創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

新・創価学会を斬る-43

2020-03-31 08:21:45 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
 もし(将来)自由民主党が過半数の議席を失なうというようなことになった場合…(池田創価公明と)自民党とで連立政権を組み、…自民党の右翼ファッシズム的要素と、公明党の宗教的ファナティックな要素の間に奇妙な癒着関係ができ、保守独裁体制となる。…(創価学会を斬る・藤原弘達の警告・昭和44年)=小泉・阿倍は池田に土下座し、自民支持を依頼した!
 かくて20年、アクセルとブレーキ同時の政教一体(国・地方共)自公政権に、(宗教テロ恐れる)野党・有識者・マスコミなど沈黙!
 宗教政党が、個人・家庭・社会・国家で、“絶対悪”であること、古今東西の歴史である!

新・創価学会を斬る 藤原弘達 著 日新報道 昭和47年(1972年)
    --傷つけられた大衆の怒声--(目次は、第2回に登載)
    ---------(以下、本文)--------224

◆ 大蔵商事がのびた不動産関係
 大蔵商事はその後、幾多の紆余曲折を経て株式会社大蔵屋(東京都新宿区西新宿七-八-一〇)に変身したとされているが、設立は昭和三十六年一月二十四日ということになっている。資本金三億円、従業員三五〇名(男子三一〇名、女子四〇名)。増資の過程は三十六年一月が設立時で百万円、以下同年十月二百万円、十一月四百万円、十二月一千万円、三十九年二月二千万円、四十年二月四千五百万円、四十一年九月五千百万円、四十六年四月一億円、四十七年一月一億四千八百万円、同年二月三億円となっており株主数は役員と大蔵屋開発㈱の十名である。
 同社も日政連と同様、四十七年三月末日現在で徳陽相互銀行新宿支店から短期で一億円、長期で一億二千万円の借入れをしている。
 役員ならびに持株数は次の通りである。

  取締役社長・清水源次     四五四、四七〇株
  〃専務・小玉吉博        一九、二〇〇株
  〃常務・浅野次男         八、四五〇株
  〃企画部長・大場利次       七、五七五株
  〃住宅センター事業部長・早坂潤平 七、五七五株
  〃シャンボール事業部長・渡辺賢一 六、七五〇株
  監査役(非常勤)・梅原茂平     ニニ、五〇〇株
  代表者・清水源次の略歴
      大蔵屋不動産、大蔵屋開発、大蔵屋観光㈱各社長、大蔵屋建設㈱会長
      昭和八年二月五日北海道に生る
      昭和二十七年札幌経専卒
      同三十四年大蔵屋商事創業、同三十六年株式に改組、大蔵屋不動産改称、代表に就任、
      同四十年大蔵屋建設会長、同四十二年大蔵屋開発を設立、社長、同四十三年大蔵屋観光社長となる

相変わらず妙な動きの徳陽相互
 『続・斬る』で触れた日本政治経済連盟(日政連・理事長・蛭田王)と前項にでた徳陽相互銀行(本社、仙台市国分町1-5-1、東京支店・東京都台東区上野1-18-3)の貸借関係は相も変わらずつづいている。
  (別掲表支払利息の項参照) 同行東京支店次長・安田正夫氏および支店長代理・伊藤友勝氏を取材した者からの報告書をみると次のような状況である。
 ただ両氏とも担保問題に関しては「ノーコメント」を守りつづけており、非生産団体にこれだけの信用貸を行なうことは、なんとしても常識では考えられないということである。

・ 調査報告
 (い) 当行と同団体は一種の業務提携をなしており、密接度は濃い。
 (ろ) 通常取引とは異なり、表面は当座取引のみであるが、実際は一部固定預金を依頼し(別名儀)手形貸付の扱いをしており、現在三千万円内外である。
  (注) 三千万円の貸付に対し、固定預金(六か月定期)一千万円内外ある模様。(別名儀扱か無記名扱いと思われる)
 (は)  蛭田正氏との個人取引は皆無であり、また同団体の他役員との個人取引もない。

 私がどうしても知りたかったのは、この別名儀の主が誰であるかということであったが報告ではどうしても解明できなかったし、銀行側も、正規の手続きを踏めということを橾り返すのみであったという。四十六年度上半期の支払利息をみても、『続・斬る』で指摘した借入金よりもさらに増えていることは確かである。他の政治団体とは異なり、寄付金の提出先がきわめて少ない点からみても、何か正常でないものを感じさせる。
 また同行員と蛭田氏とは、かなり親しい関係にあるという報告がきているが、姪田氏は昭和三年三月十日生れで大世学院出身といえば誰でもすぐに気づくように池田の同窓生である。そして大世学院を卒業後も池田の別人格的存在になって企業活動もしているようである。

 ところでこの日政連は公明党系の政治外郭団体であることはすでに『続・斬る』で述べたがどうも最近は両者の間もあまりうまくいってないらしい。
 この日政連が四十七年五月公明党埼玉県支部から抗議をうけた。埼玉県では次期の知事選をめぐり自民党県連候補をめぐり数か月にわたり大荒れに荒れたのである。
 公明党は態度を中立と決めた。ところが日政連が新聞紙大のビラで自民系の一侯補を支持する論調を打ち出したというのであった。その紙面構成は第一面を自民系侯補の対談でつぶし、他の面は公明党衆議院候補者の紹介で埋めている。これに対し公明党埼玉県本部では日政連は党とは何も関係ないというし、自民党埼玉県連では、そのような事実は全く知らなかったと言っている。

幹部六人名義の学会不動産
 ところで本部がある東京信濃町、南元町ー帯は、さながら学会王国のように、学会・公明党関係の建物がズラリと並んでいる。この辺の土地は東京でも一等地に属するところで一平方米=五〇~七〇万円はする。この地帯の中核はもと国有財産として大蔵省の管轄にあったものを、政界大物某氏グループの斡旋を通して払い下げられたともっぱらいわれているところである。
 なお個人的な小地主からも買収していることも事実ではある。ただ問題にしなければならないのは、当然、創価学会という宗教法人所有であるべきものが個人名儀になっていることである。

 登記によると例えば、公明会館のある東京都新宿区南元町十七番の五が昭和四十五年十月十四日付で所有権が土地(一〇二八、七六㎡)、建物(二九五三、六九㎡〕ともに公明党委員長・竹入義勝へ創価学会から移されていることである。ところでこれよりさき昭和三十八年三月十五日には原島宏治所有、四十五年三月二日売買により三月三日(財)公明協会に、所有権移転がなされたものがさらに、同年三月十三日になって錯誤が原因としていずれも抹消されている。
 つまり内部的に数段階経て竹入義勝名義になっている。なんともおかしな譲渡といわねばならない。しかも税金面でも持典のある宗教法人から個人名儀への讓渡も世間の常識からみて妙である。ともあれ竹入はいまや大へんな財産家であるということだ。
     ----------(つづく)---------230

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新・創価学会を斬る-42

2020-03-30 07:58:23 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
 もし(将来)自由民主党が過半数の議席を失なうというようなことになった場合…(池田創価公明と)自民党とで連立政権を組んだとき、…自民党の右翼ファッシズム的要素と、公明党の宗教的ファナティックな要素の間に奇妙な癒着関係ができ、保守独裁体制となり…(創価学会を斬る・藤原弘達の警告・昭和44年)=小泉・阿倍は池田に土下座し、自民支持を依頼した!
 かくて20年、アクセルとブレーキ同時の政教一体(国・地方共)自公政権に、(宗教テロ恐れる)野党・有識者・マスコミなど沈黙! 誰もが善人ぶり、誰も責任とらない不思議な国・日本!

 新・創価学会を斬る 藤原弘達 著 日新報道 昭和47年(1972年)
    --傷つけられた大衆の怒声--(目次は、第2回に登載)
    ---------(以下、本文)--------217

◆ 学会運営方式をまねた“養老の滝”
 矢満田富勝なる人物が総大将である。
 長野県松本市に“富士養老滝”を個人創業、その後、地域の不便さや後進性を痛感し、昭和二十六年六月横浜市中区に株式会社養老滝を設立した。
 矢満田富勝は“木下藤吉郎”と自称するような風変りさをもち、長野県の飲食店関係者からも異端児扱いにされていた。創価学会内では有力者の一人であり著名人とも称されている。

 池田が青年部をかわいがりその人材を自己の側近としたように、矢満田も若者を最重要視し社内統制は学会同様軍隊組織のそれにならっている。格付けも“統帥、勲位、功位、隊位”の各ランクに大、中、小を設けているが、軍隊の編成名称に、勲功のランクをミックスしたものである。
 統帥部といえば、かっては軍隊組織では最高機関であった。この各ランクにまた一級、二級など細分化しているところも、学会とまるっきり同じ発想である。
 矢満田は各従業員に信教の自由を認めているとはいっているものの、代表以下重要幹部がすべて学会員であれば、ここで働く人も学会員たらざるをえなくなるのは、しごく当然のシカケというべきであろう。さらにここの親衛隊にも相当するのが「偲松会」(さいしょうかい)という組織である。長野県の松本時代を偲ぶ会ということで、この会員が現在の幹部クラスであることは論をまたない。学会でいえば参謀室というところであろう。
 間接経営店舗には営業指導社員が派遣され指導に当たるとともに指導料を徴収する仕組みになっているが、指導社員が中堅学会員であることもつけ加えておいてよいだろう。

 その後昭和三十六年六月には「養老商事株式会社」が資本金 一、〇〇〇万円で設立され、以後、ここがこのグループの中核となっている。現在販売店は六九三軒になっているが直接経営店舗は五店で、残りはすべて間接経営店である。
 養老の滝のチエーン形態は三つに分類される。すなわち“ファミリーA、B、C”と呼ばれている。
 フアミリーAは直営店のことで、入社する従業員はここで勤務する。そして特別功労があるとファミリーB、すなわち新しく支店を持たせるか、既存の支店を分けるかする。ファミリーは非直営店であり、いわゆる「のれん貸し」の支店で、人物、資金などを審査してのれんを貸す、他業種からの転業店などがこれに相当するわけである,ただこの場合でも売上商品、規定量、販売単価などは直営店と同一されたものでなければならない。いわゆるFC(フランチャィズ・チェーン)なのである。非学会員がこの系列下に入った場合、どう変化してゆくかは論ずるまでもなかろう。

 矢満田富勝は、五十歳引退論を唱え、現実に昭和四十五年三月二十日に代表を辞任、監査役になり、実弟の敬司に代表職を讓っているが、健在なかぎりは、“今太閤”よろしく経営指導を行なうことに変わりはあるまい。池田の終身会長制と似たようなものである。
 ここのメインパンクは三井銀行であり、三井銀行から目付役的存在で出向社員が常駐しているか、これらのことについてはいずれも両社のトップ会談によって決定されているという。

 労務関係で学会員を相当に利用してきたことは関係者が一様に認めるところで、外様的ファミリーCの店主ならびにその従業員も当然この範疇に属するのも想像に難くない。
  数字的なものは学会同様公表しないので、一応こちらの調査から別掲のものを推計した。
 金繰り状況は概ね次のようになっている。現在の陣容は、
 会長 百瀬三郎、社長 矢満田敬司(富勝実弟)、取綺役として矢満田忠弘、上条元司、野本豪、金子忠雄、浦田徹、堀内伝四郎であるが、後継指導者としては金子忠雄および浦田徹が実力者といわれている。
 従業員は職員男三九〇名、女子三一〇名、現場員男子二、五〇〇名、女一、〇〇〇名となっており、常勤役員は七名である。
 取引先銀行は三井銀行五反田支店が主力で住友銀行日比谷支店、太陽銀行本店、大和銀行、第一勧銀、三菱各五反田支店がある。
 主要仕入先には大洋漁業、サッポロビール、白鶴ほか八十社にのぼっている,
 関連会社としては、仕入の窓口になる国際物産株式会社、アメリカ養老貿易株式会社、養老の滝企業経営学院、国際酒販株式会社などがある。
 矢満田富勝が尋常小卒であるためか、ここでは学歴無用を打ち出しているが、商売が商売だけにあまりインテリ層を必要としておらず、まさに学会員らしい底辺がほとんどのようである。

 また面白いのは富勝が長野時代に「毎タ新聞」をやり、これは失敗したが、性こりもなく現在では「養老経済新聞」(タブロイド版)を発行したり、経営学院をつくったりするのも、学会が得意とする出版物・学校への執着といえるだろう。
 〈日程表〉さらに最近の新入社員教育のスケジュールをみると、現在の学会活動の縮刷版のような感を受ける。
 平均給与七万円に屈服した学会予備軍の洗脳教育が行なわれているような観を呈している。
 社貝の発言、態度を見れば学会員のそれであることは十二分に納得できるというものであろう。
 たとえば“木下会長様”“上暇断眠の陣頭指揮”“現証の年”などいくらでもあげられる。これも研修の成果なのであろう。 
     ----------(つづく)---------224

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新・創価学会を斬る-41

2020-03-29 08:41:19 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
 もし(将来)自由民主党が過半数の議席を失なうというようなことになった場合…(池田創価公明と)自民党とで連立政権を組んだとき、…自民党の右翼ファッシズム的要素と、公明党の宗教的ファナティックな要素の間に奇妙な癒着関係ができ、保守独裁体制となり…(創価学会を斬る・藤原弘達の警告・昭和44年)(小泉・阿倍は池田に土下座し、自民支持を依頼した!)

 新・創価学会を斬る 藤原弘達 著 日新報道 昭和47年(1972年)
   --傷つけられた大衆の怒声--(目次は、第2回に登載)
   ---------(以下、本文)--------213

第七章 「金儲け宗教」をとりまく「金儲け小集団」
◆ 宗教法人という名のカクレミノ
 宗教団体の台所は外からはなかなかにわかりにくいものである。つまり宗教法人のやる事業は大半が“聖なる事業”だということで税法上からも一般社会通念上からもある種の“特典”を受けているからである。もっとも最近、この宗教法人の事業と税制について年々きびしくなっているところから、とかくの論議はおこっていること、いうまでもない。もっともブーブーいいだしているのはどちらからというと宗教法人側からであり、われわれからみればむしろ虫がよすぎるのではないかと思われる点なきにしもあらずなのである。
 宗教本来の自覚に徹した事業をやっておれば当然宗教法人法によつて保護されているのであるから、税制上の間題などがおきるはずがない--とわれわれ素人の側はみたくなるからである。

 宗教法人がいろいろおこなう事業について、すべて宗教法人法をカクレミノにしているという傾向がかなり強くなってきているところに、いまや大いなる問題があると思う。つまり宗教法人のなかにはいわゆる“教化の財源”と称して各種の事業に手を出し、不動産会社やリース業、ひどいのになると金融業者まがいの事業をやっているところもあるようだが、これなどはどうみても宗教法人として行なうマトモな事業という自覚とはおよそ縁遠いものといえよう。

 何故そういうことが行なわれるか。私にいわせれば宗教法人の収支決算の公開提出の義務みたいなものがなく、したがって経理がガラスばりでないところにまず問題がある。私は数回創価学会の収支決算ともいうべきものを調ぺようとし、八方手をつくしたがついにわからなかった。前に述べたような正本堂建設資金の使途をこの際天下に公けにしたかったからである。このときほど宗教法人法というものは宗教の側にとって実に便利なものだなあと思ったことがない。一般法人ならば年度ごとの収支決算報告書を提出する義務を負わされており、それなりの規模、事業内容がわかるのだが、こと宗教法人になるとそれが皆目見当がつかない。こんな不明朗なことでは、かえってさまざまな憶測をされても仕方があるまいというものだ。

 学会幹部が不当に税をのがれているかどうかはよくわからない。しかし会員にさえそう思われるような宗教法人というものの仕組みそのものに、どうしても疑惑の念をもつのは決して私一人だけではなかろう。とはいっても税法上の恩典が与えられているということは、あくまで合法的であり、現段階では法律上の問題としては異論を述べるものではない。大蔵省なども宗教法人というものを一般法人の公益事業の一種であるからこそ税法上の恩典も与えられているのだという基本的な見解をもっているわけだろう。チャンと「公益」に奉仕している限りは、とやかくイチャモンをつける余地はないわけである。
 ただ問題は、そういう宗教法人という、いわば“聖域”をいいことに、デタラメなことをやってはいないかということだ。どれだけ「宗教法人」という自覚があるかにもギモンが残る。

 また宗教法人としての性格を故意にゆかめ、単なる一経済機関としてしかみられないような宗教法人はないかどうかということである。結構“一種の金融機関”まがいの金集めもやるし、銀行操作にもたけているのである。そういうやり方をする集団が公益性ある事業ができるはずがないのだ。極論をいえば宗教法人にはもともと公益性などない。もっぱら自らの信徒の教化育成しかしておらず、事業といってもロクな事業などしていないではないか。そんな集団に税法上の特典などやる必要はない、という人もいるようだが、私はこと創価学会に関しては全くそのとおりであるといわざるをえないように思う。

◆ 株式会社「創価学会」をとりまく経済の根
 学会の経済活動をうながした原点は、戸田が創設した金融と出版の二つにあることはいうまでもない。出版部門に関してはすでに第五章において述べたので、この項では会融を基点とした「株式会社 創価学会」の各事業部の在り方に蝕れる。

 内容的には事業部的存在であるが、なにしろ本家が宗教法人であるので、いずれも表面上は全く別の法人格の企業ということになっている。そしてこれらの各企業はその形態ならびに運営法から大別すると四つのタイプに分類される。

 その第一は直系とも目されるもので、実質的な業務面にまで立ち入り、学会員を顧客の対象としているものである。例えば大石寺の台所担当として和四十年十一月二十五日に発足させた「大富士企業㈱」とか阿部憲一(参議院)がやっている「阿倍商店」などがこの部類にはいる。「聖教新聞社」などもそうである。さらに民音など『続・斬る』に拇げた外郭団体がこれに該当する。

 第二は学会の息がかかってはいるが、あくまでも対象を一般に求めたもの。「潮出版社」もそういう性格で発足したものであるが、やはり代表的なものは「養老の滝」や大蔵屋商事系統のものといえよう。

 第三は別会社にはなっているが、実質的には学会の財政に貢献する部類である。信濃町一帯の土地買収にも力を貸した「㈱鳳書院」などがその例である。

 第四は学会の事業活動に力を借し、反対給付を与えるもので、これには首脳部がニワカ学会員になっている企業が多い。金融関係では三菱銀行、建設は大成建設、大林組の順、デパートは西武百貨店、松屋、伊勢丹等々がそれで、これらの企業を池田が訪問するときの光景は、かっての天皇陛下の行幸時と全く同じであるとのことである。社長以下全重役が一列になり、最敬礼のもとで出迎えるという。とりわけ銀座の松屋デバート社長・古屋徳兵衛などは池田の訪米(四十七年五月一日イギリス経由で出発)に随行するほどの熱の入れようである。
 こういう企業では、当然のことではあるが、末端学会員の学会活動に、会場を提供するなどの便宜を与えているのである。
     ----------(つづく)---------217
 

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新・創価学会を斬る-40

2020-03-28 09:03:16 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
新・創価学会を斬る 藤原弘達 著 日新報道 昭和47年(1972年)
    --傷つけられた大衆の怒声--(目次は、第2回に登載)
    ---------(以下、本文)--------209

〇月X日
 仏法には直接的には何の関係もないような事柄--例えば創価学会における池田会長選任による選挙制度ついて質問すると「この人はまだ過去に信仰していた念仏の害毒が残っているから、池田会長の心が理解できないのだ」とかいって、まわりの会員を煙に巻くようなことをしたりする幹部の態度は、宗教を利用しての逃げ口上にすぎないと思う。

 言論出版妨害問題でもそうだ。政治的な疑問には仏法で答え、仏法の功徳を征明するのに、信者を、その指導者達の行なう政治活動に、忠実に従わせることによって立証しょうとする。色心不二の哲理を巧みに利用したところの卑劣極まる悪行としか思えない,
 日蓮正宗の行者に対して、その障害となった者は、その十倍の罰があるということは、常日頃から彼等指導者達が後進の信者に言い慣わせている言葉である。正宗である限りは正しく行をしなければ罰があるはずである,その模範であるべき幹部からして、具体的政治問題を仏法の抽象論議によって回答するなどは、少なくとも仏法を世法に転換することが得意であるはずの先師の良心的な態度ではない。こうした幹部指導者の態度は、かって後進の信者に我見を戒めた自己の誇りを、自ら棄却した宗教信仰に対する裏切り行為である。日蓮正宗でいうところの自界叛逆の真理を、彼等自身の生命哲学に還元されても致し方のないようなことを現実にやっているではないか。

 かって池田大作会長は新聞にでかい活字をつかい「私にとって政治などは爾前経に過ぎない」と大言壮語したことがあった。あれはたしか、公明党結党を宣言した時であったと思う,会長が爾前経に等しいというからには政治に対しては釈迦四十二年の経々の如く、日蓮正宗においては第二義的に考えているものと思われる。この時は池田会長も宗教者として神経の確かなところがあったと思う。
 ところが信者に対して爾前経に等しいといったのは、われわれに油断をさせる為だったということがその後の会長の政治干渉という形で露呈されてきたではないか。爾前経に等しいものなら、自分は政治には何んの干渉もせず、信者の自主性に待てばよかったように思う。そして自分自身は、純粋に日蓮正宗の広宣流布のために邁進していけばよかったのではないか。

 事の本尊であるが故に、折伏の行を第一とし、教学よりも実際的な救済を優先させることが人類の罪障消滅の直道であると説くのなら、何故、徹底してそれを実行しないのか。政治というものが会長にとって、一閻浮提総与の大御本尊より二義的な存在でしかないならば、創価学会にファッショの危険性があるからという理由で、この信仰から離脱してゆこうという哀れな多くの人々を救う為に、何故、爾前経のような、政治を捨ててでも正道に還ってくれないのか、どう考えても私には理解できない。彼が自分自身の口から言った如く、池田大作という人は爾前経の域を出ない敗残者というほかはない。爾前経のような小局にとらわれて、大局である日蓮の心を忘れた人、日蓮大聖人の仏法をば利用することしか知らない、また真に生かすことのできない哀れな政治権力者でしかない。

 法華経の行者の障碍となれば、十倍の罰があるという日蓮正宗、創価学会の最高位の立場にありながら、爾前経の如き低級な政治観念を信者に押しつけて、本来の教済の目的を犠牲にして省みない。このような会長に何の仏法の罰がないのに、他人に何の宗教的迷惑もかけた覚えのない末端の信者がどうして罰をこうむるのだろうか。

 この手記には、真面目に信仰に生きようとして学会に入りながら、次々と裏切られ、裏切られながらも必死になって考えてゆこうとする血みどろな内面的葛藤の跡が、しごく具化的に描かれている。大なり小なり、これに近い苦悩に喘いでいるおびただしい信者が、全国いたるところにいるということを忘れてはならない。

 言論出版妨害事件のときは、約二十日間にわたり箱根の研修所に逃れたといわれる池田であり、自らの手で創設した創価高校へ息子(慶応高校)を入学させない大作なのである。
 さらに、ある関係者の話によると、富士短大卒業免状を受けるにあたり、五十万円、百五十万円と二回にわたって納金した事実がありその控え書もあるとのことだが、まずは、インチキで固まった厚顔無恥な人間が池田大作の実像であることを重ねて学会員は肝に銘ずるべきである。
     ----------(つづく)---------212
 

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新・創価学会を斬る-39

2020-03-27 09:37:36 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
新・創価学会を斬る 藤原弘達 著 日新報道 昭和47年(1972年)
    --傷つけられた大衆の怒声--(目次は、第2回に登載)
    ---------(以下、本文)--------205

◆ 池田と大幹部こそ退転者だ!-(2)
 『斬る』を読む。

 〇月X日(昭和四十四年)

 そしてある会員に次のように進言してみた。「政治家になりたければ自由に立候補させてもいいが、これに学会の宗教組織を利用することを止めたらどうか。本当に御本尊が力の持主なら、別に池田会長が采配を振らなくとも、多くの改革された信者の自由意志によって、自然と世の中が良くなってゆくのではないか」と。

 彼は「それは正論ではあるが、それでは広宣流布が遅れるから駄目だ」という申し開きをした。彼は私の言ったことを正論として受け取りながら、なおも創価学会の指導者の言葉を支持している。
 私はまた別の会員に「創価学会がやっている信心と称する思想の統一は、憲法違反にならないのか、君達の言っていることを聞いていると、何んだか公明党に投票しなければ、信心がないような言い方だが……」と質問する。彼は自分には良くわからないから、誰かに尋ねてくるという。       

 〇月X日
 三日後に返事があった。「信心である以上その信者の思想を統一することは当然であるとのこと。現在選挙活動中なので、それを正当化する理由を言ったのだと思う。そこでまたしても疑問が湧く。
 「思想および良心の自由は、これを侵してはたらない」(憲法第十九条)
 いかに信心とはいえ、憲法まで侵してはばからないこの宗教指導者は、いったい何様のつもりでいるのかと考える。私の同じ質問に対して婦人会員は次のようにまた答えている「法律も糞(クソ)もない。選挙活動を指導されるままにやることが、功徳につながる信心活動である」と。

 「教義にあるところの理の一念三千は、池に映った月であり、あの池にも、この池にも映るから本物でなく、日蓮大聖入の仏法は唯一の真実、天上の月である」と教える。
 『天上の月』とは事の一念三千を譬えたものである。そして事の一念三千とは仏法の道理を知って拝むだけでなく、実行することにこそ信心が生きてくるのだという。これを地で行っているのが創価学会であり、その指導者の命令に忠実に従うことが、事の本尊をまじめに行ずることになるのだという。この仏法の教養の原典に解釈を加えたのは池田会長であり、世法に転じ得るのも池田会長であれば、仏法にうとい一般の信者は、まるで本尊そのものの如く会長の言に従わざるを得ないことになる。池田会長を信じているからこそ、この婦人会員も、私の世法上の質問に対して、前述のような法律を無視してはばからない返答ができたのだと考えざるを得ない。

 信者から、まこと絶大な、否、それ以上に、本尊そのもののような信頼を受けている池田会長は、憲法をもないがしろにしながらなお、民主政治以上の生活を国民である信者に保障し得る自信があるのだろうか。もしそうでなければ、現在まで池田会長の実行してきた政治に対する独善的な行為は、民主主義国である日本において、絶対に許されるべきことではないことになる。

 〇月X日
 「べつに公明党に投票しなくても、自分の支持政党に入れてもいいでしようね」と。
 彼が答えるには「それは君の勝手だが、信心があったら公明党に入れるのが本当だ」とのこと。何か割り切れないものが胸の底に残る。私の意志や主義を、池田会長推薦による立候補者が、はたして代表し得るのであろうか,それを池田会長が保証するというのであれば、当選後の彼等議員は、会長の支配下に置かなければならなくなる。そうなると実質的には、この代議士達は、全員池田会長だけの意志を代表する結果になり、池田会長に一片の意志も伝えられなかった者の人権は無視されてしまう。これでは民主主義ではなく、まさに独裁である。

 〇月X日
 ある会合に出席。数百人の会員の前で、幹部が池田会長を理解させるために「この本の著者は別段、信心者ではない。だから記述されている内容は公平であるし、値段もわずか二百五十円だから買うように」とすすめた。入信のとき創価学会は金をとらないといいながら、何時もこんな調子で出費させるのだ。
 どんな内容かと思い買ってみる。会長池田大作が創価学会で如何に活躍しているかを宣伝しているに過ぎない本だった。こういう風な宣伝をやった著作者は、それでずい分儲けさせてもらったのではないかと思う。これでは宗教とその信者を半強制的に利用した、悪質な商売ということであり、一番馬鹿な目を見るのは、その本を買った信者そのものにほかならない。さしずめ池田会長は、自分を宣伝しておきながら、さらに会員から金を巻き上げている立場にあるのだ。こんな創価学会会長の宣伝用の本などは、民主主羨の破壊にも一役かっているのだから、汽単の中の時間つぶしにもなりはしない。

 〇月X日(昭和四十五年)
 創価学会の言論出版妨害問題で世情が騒然としている。私も学会の一会員として政教分離の間題に池田会長が如何なる決断を下すであろうか注目する。一か月ほど前、小汀利得氏と細川隆元氏がテレビ放談でいっていたように、池田会長をその席に招待し、全国民注視のもとで会談する予定であったそうだが、池田会長は病気を理由として出席は延期とのこと。一か月も経過した日曜日にも出席がなく、また公式の意思表示が何もない。
 会員の大部分の者が、テレビ等の影響を受けて、会長池田大作という人物に懐疑心を抱き始めている。
 こんな状態だったので、今日の会合は大いに興味があった。私達のブロック長は、この問題を次のように弁解した。その言からみても会員の動揺を恐れていたことは間違いない。

 ブロック長曰く「皆さんは、この間のテレビ対談に会長先生が出席しなかったことで、疑っている人もいるかもしれませんが、あの時も会長先生は、信者の皆さんのために出席する、出席して世間の人にも納得していただこうと言って、出て行く気持ちになっていたのだが、側近の人達が、行っても無駄です。邪宗の信者には、この宗教の奥底など、とても理解して貰えないから止めときなさい、と言って、会長が行くというのを無理に引き止めたんです。だから皆さんもそこんとこをよく考えて下さい」というのであった。
 みんなは黙然とその話を聴いていたが、狂信的な婦人連中は、「なるほど、もっともだ」と言わんばかりに首をタテに振り、うなずいている人が多かった。
 話の直後は私もそうだなと思った。が、帰宅して考えてみると、どうもおかしい。大体、この宗教は一筋縄ではいかないことに気づいているこの頃である。

 この宗教の最高の地位にいながら、どんなに側近の者が力づくでとめたからといっても、その信者数百万を指導し、支配する権力者であり、責任者でもある者の弁解にはならない。
 私も一人の信者として、あのテレビ対談に、そして藤原弘達氏の抗議に対して会長自らが出向き、堂々と日蓮正宗の真意をぶちまけてもらいたかったのだ。それでもし本当に、会長に不慮の專故があったのならば、私も信者の一人として、決して会長の敵に回る心算りはなかったのである。昔の日蓮大聖人は如何なる大難にも屈せず、たじろがなかったところに正義の広布の面目があった。
 重大問題が提起されるたびに会員たる者が秘密のベールに隠れるとか、倒近の部下にその意志を左右されるようでは心もとない。もし将来、例えば政権をとるようなことがあったとしても、信者や国民の危険も顔みず、その意志を御都合主義で変更してしまう危惧が十分にあることになる。この事件は、池田会長の欺瞞性と、その正体の片鱗を露呈した典型的なものであった。
     ----------(つづく)---------209

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