--いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
<この日本をどうする-2>
創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道出版部
--言論出版妨害事件-- 昭和44年(1969年)
------(P.169)---(以下、本文)-------
◆ 第三代会長に池田が就任-1
池田が創価学会の就任したのは、1960年5月3日のことである。戸田城聖なきあとの創価学会をどのように拡大発展させてゆくかということが、三代会長としての彼に与えられた最大の使命であった。就任当時の規模は、ほぼ170万世帯であり、現在のほぼ4分の1強に過ぎない勢力であった。これを拡大発展させうるか、現状維持にとどまるか、それとも崩壊の道を歩むか、その重大な選択をせまられ、創価学会の運命はまさに彼の腕ひとつにかかっていたといっても過言ではなかろう。
そのとき、池田大作は32歳。総務の職にあって、まさに熾烈な折伏の闘いをつづけ、宗教戦争の真只中にあって、全会員の先頭に立っていたといわれる。彼の若い胸中には戦争中の特攻隊長のそれにも似た悲壮な覚悟とヒロイズムが去来していたかもしれない。
当時の彼の心境は、その就任挨拶の中によく現われている。1960年5月3日、彼は東京両国の日本大学講堂において、会長就任の挨拶を次のように述べている。
「若輩ではございますが、本日より戸田門下生を代表して、化儀の広宣流布をめざし、一歩前進への指揮をとらせていただきます。
申すまでもなく、わが創価学会は、日蓮正宗の信者の団体であります。
したがって、私どもは大御本尊様にお仕え申し上げ、御法主上人貌下に御奉公申し上げることが学会の根本精神であると信じます。
初代会長・牧口常三郎先生、また二代会長・恩師である戸田城聖先生の、総本山に忠誠を尽くされたその心を心として、今、私は全学会員を代表して、日達上人猊下に、より以上の御忠誠を誓うものでございます。創価学会は全大衆の最大の味方であります。敵は邪宗教です。邪宗教は人々を地獄に落とす。正法は仏にする。そのあらゆる、いっさいの不幸の本源は邪宗邪義にありと、日蓮大聖人様の御金言がございますが、その御金言どおりに獅子吼なされたのが、恩師戸田城聖先生であります。
その恩師戸田城聖先生の邪宗撲滅の大精神を精神として、今、ふたたび門下一同は、邪宗撲滅に猛然とおそいかかっていきたいと思うのでございます。
私はあくまで、恩師戸田城聖先生の教え、思想をば実践していく会長でいきたいと信じております。
会長先生の幾多の将来への指針、御遺訓がございますが、その一つに、昭和33年2月の10日、その朝に『あと7年間で300万世帯の折伏をしような』とおおせられたことが、私の頭脳にこびりついております。300万世帯ということは、深い深い、また先生の御意図があると思いますが、今、先生のお教えのなかの、御遺訓のなかの一つである300万世帯の達成、すなわち恩師戸田城聖先生の7回忌のその年いっぱいまでに、断固として、楽しく、そして仲良く、たくましく、300万世帯の遂行を、成し遂げたいと思うしだいなのでございます。
また、戸田城聖先生は、おなくなりになる寸前にまで『世界各国の名産を集めて、総本山に大客殿を建立しなさい』ということを、つねづね申されておりました。今、先生の御遺訓を、同じく先生の7回忌までに、世紀の大客殿を総本山に御寄進申し上げたいと思うものでございます。
どうか、人のため、わが身のため、国のため、護法のため、全衆生のために、御木尊様を根本として、しみじみと大御本尊様のありがたさを感じつつ、邁進していきたいものと思い、以上をもって就任のあいさつといたします。」(赤文字・引用者)(笠原、既掲書による)
ここに池田会長の決意の程がうかがえるであろう。そして「戸田前会長の御遺訓」なるものの実現が、池田新会長に背負わされた課題であるということがくり返し強調されている。
ともかく、この挨拶のなかに、戸田前会長の名前がやたらとでてきているように、池田は戸田城聖を師とし、その手足となってきた男である。
1958年四月、戸田城聖会長は58歳で、波乱にとんだ一生を終るのであるが、後継者としては「青年部から出す」という遺志を示しただけであったということである。しかし、これには戸田の深い配慮があったといわれている。「池田大作を後継者にする」という遺言を残したとすると、会長になるかもしれないという期待をもっている他の幹部たちの失望をかうことにもなりかねない。それよりも後に残るものが十分に話し合って新会長を選んだほうが、それなりに結束が固くなるとみたためではないであろうか。そして、会長を「青年部から出す」ということだけいっておけば、池田をおいて他に会長になれるような人物はいないから、当然池田が会長になるということを見通していたのである--こういう推測もできる。
いまや死人に口なしで、これはあくまでも第三者の憶測にすぎないけれども、あたらずといえども遠からずという感じがするということである。
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