創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価学会を斬る-38

2019-11-30 09:40:21 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
 <この日本をどうする-2>
創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道出版部
    --言論出版妨害事件-- 昭和44年(1969年)
    ------(P.169)---(以下、本文)-------

◆ 第三代会長に池田が就任-1
 池田が創価学会の就任したのは、1960年5月3日のことである。戸田城聖なきあとの創価学会をどのように拡大発展させてゆくかということが、三代会長としての彼に与えられた最大の使命であった。就任当時の規模は、ほぼ170万世帯であり、現在のほぼ4分の1強に過ぎない勢力であった。これを拡大発展させうるか、現状維持にとどまるか、それとも崩壊の道を歩むか、その重大な選択をせまられ、創価学会の運命はまさに彼の腕ひとつにかかっていたといっても過言ではなかろう。
 そのとき、池田大作は32歳。総務の職にあって、まさに熾烈な折伏の闘いをつづけ、宗教戦争の真只中にあって、全会員の先頭に立っていたといわれる。彼の若い胸中には戦争中の特攻隊長のそれにも似た悲壮な覚悟とヒロイズムが去来していたかもしれない。
 当時の彼の心境は、その就任挨拶の中によく現われている。1960年5月3日、彼は東京両国の日本大学講堂において、会長就任の挨拶を次のように述べている。

 「若輩ではございますが、本日より戸田門下生を代表して、化儀の広宣流布をめざし、一歩前進への指揮をとらせていただきます。
 申すまでもなく、わが創価学会は、日蓮正宗の信者の団体であります。
 したがって、私どもは大御本尊様にお仕え申し上げ、御法主上人貌下に御奉公申し上げることが学会の根本精神であると信じます。
 初代会長・牧口常三郎先生、また二代会長・恩師である戸田城聖先生の、総本山に忠誠を尽くされたその心を心として、今、私は全学会員を代表して、日達上人猊下に、より以上の御忠誠を誓うものでございます。創価学会は全大衆の最大の味方であります。敵は邪宗教です。邪宗教は人々を地獄に落とす。正法は仏にする。そのあらゆる、いっさいの不幸の本源は邪宗邪義にありと、日蓮大聖人様の御金言がございますが、その御金言どおりに獅子吼なされたのが、恩師戸田城聖先生であります。
 その恩師戸田城聖先生の邪宗撲滅の大精神を精神として、今、ふたたび門下一同は、邪宗撲滅に猛然とおそいかかっていきたいと思うのでございます。

 私はあくまで、恩師戸田城聖先生の教え、思想をば実践していく会長でいきたいと信じております。
 会長先生の幾多の将来への指針、御遺訓がございますが、その一つに、昭和33年2月の10日、その朝に『あと7年間で300万世帯の折伏をしような』とおおせられたことが、私の頭脳にこびりついております。300万世帯ということは、深い深い、また先生の御意図があると思いますが、今、先生のお教えのなかの、御遺訓のなかの一つである300万世帯の達成、すなわち恩師戸田城聖先生の7回忌のその年いっぱいまでに、断固として、楽しく、そして仲良く、たくましく、300万世帯の遂行を、成し遂げたいと思うしだいなのでございます。

 また、戸田城聖先生は、おなくなりになる寸前にまで『世界各国の名産を集めて、総本山に大客殿を建立しなさい』ということを、つねづね申されておりました。今、先生の御遺訓を、同じく先生の7回忌までに、世紀の大客殿を総本山に御寄進申し上げたいと思うものでございます。
 どうか、人のため、わが身のため、国のため、護法のため、全衆生のために、御木尊様を根本として、しみじみと大御本尊様のありがたさを感じつつ、邁進していきたいものと思い、以上をもって就任のあいさつといたします。」(赤文字・引用者)(笠原、既掲書による)

 ここに池田会長の決意の程がうかがえるであろう。そして「戸田前会長の御遺訓」なるものの実現が、池田新会長に背負わされた課題であるということがくり返し強調されている。
 ともかく、この挨拶のなかに、戸田前会長の名前がやたらとでてきているように、池田は戸田城聖を師とし、その手足となってきた男である。
 1958年四月、戸田城聖会長は58歳で、波乱にとんだ一生を終るのであるが、後継者としては「青年部から出す」という遺志を示しただけであったということである。しかし、これには戸田の深い配慮があったといわれている。「池田大作を後継者にする」という遺言を残したとすると、会長になるかもしれないという期待をもっている他の幹部たちの失望をかうことにもなりかねない。それよりも後に残るものが十分に話し合って新会長を選んだほうが、それなりに結束が固くなるとみたためではないであろうか。そして、会長を「青年部から出す」ということだけいっておけば、池田をおいて他に会長になれるような人物はいないから、当然池田が会長になるということを見通していたのである--こういう推測もできる。
 いまや死人に口なしで、これはあくまでも第三者の憶測にすぎないけれども、あたらずといえども遠からずという感じがするということである。
     ----------(つづく)---------171

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創価学会を斬る-37

2019-11-28 17:03:07 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
 <この日本をどうする-2>
創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道出版部
    --言論出版妨害事件-- 昭和44年(1969年)
    ------(P.166)---(以下、本文)-------

◆ オールマイティな人間像のデツチ上げと神格化-2
 この種の宗教組織の頂点に存在する教祖的存在と組織そのものを考えるなら、そこには一つの相関関係があるといえるだろう。池田大作の場合には、教祖的資格として卓越した能力をもっていると同時に、オルガナイザーとしての才腕をも両立してもっている点が特徴的である。元来、この種の信仰団体の教祖という存在は、死んではじめて神格化されるというようなことが起こるものだが、池田会長の場合は10年足らずですでに一種の神格化がはじまっている。ここにも一つの政治的意味がある。少なくとも日本の近代史の中でも前例のないケースとして興味をよぶものである。戦前においては、天皇がそうであったけれども、戦後社会において、この種の生存型神格化パーソナリティとして、池田会長は、その筆頭にあげられてしかるべき人物かもしれない。

 もっとも神格化を支えているものは、国民全体ではなく、ごく限られた創価学会信者であることは当然の前提なのである。
 少なくとも池田会長は、いまや創価学会において絶対的な権力者であるだけでなく、学会の政治支店である公明党の躍進とともに、学会外にまで、その指導的影響力を拡大しつつある。
 国内を飛行機旅行する場合、空港などで飛行機のタラップまで車を横づけにしていると聞くけれども、かっての天皇といえども、そういうことはめったにしなかったというから、池田会長が個人の意思によってそういうことをしているのか、池田を神格化するあまり、信者がタラップのところまで車を横づけにするのか、そのどちらであっても大へんな権勢ぶりといわなければならない。
 果たして池田自身が、そういう一種の神格化、個人崇拝の対象になることを必要と考えて、自分の意思でそうしているのかどうか、それとも池田をとりまく連中が、彼をことさらオミコシのようにまつりあげているのであろうか。おそらく、現在においてはこの両者が相関的に作用しながら、池田神格化傾向として表面化している、といわなければならないだろう。
 しかし、ともかく池田会長を「会長先生はわれわれのお父さんのような方です」「会長の判断は絶対に誤りがないのです」といってはばからない、年齢的には池田のお父さんクラスの幹部連中の神経たるや、まさに異常性を示すものといわなければならない。だが同時に、そのような信仰の対象となって平然としている彼の神経のなかにも、大いに問題があるといわなければならないだろう。

 ともあれ、創価学会・公明党内部の特異な現象として池田神格化傾向が存在するのはまだしものこと、公明党の政治的影響力が拡大していったとき、それがどのような影響を日本の政治社会に及ぼすか、その点についてやはり一言いわざるをえない。創価学会では部外者の批判に対しては、異常なまでに神経をとがらし、とくにそのなかでも池田会長に及ぶ批判となると、正気のサタでないような反撃ぶりを示すのを常としている。この異常性は、かって日本の特高警察や憲兵が天皇の批判に対しては徹底的に弾圧したときの行動様式とすこぶる似ている、といってよい。こと池田会長に対する批判となると、学会は総力をあげてこれを封殺しようとする傾向さえある。そのやり方は程度の差こそあれ、戦前の官憲と似かよっている。そうした点とともに、そういう傾向が拡大再生産された組織の中に池田会長が平然としているということもまた、われわれとしてはやはり大いなる驚異と感ぜざるをえない。

 このようなことが起こっているということを、神格化的個人崇拝の対象となっている池田会長自身が果たして知っているのかどうか、あるいは知りながら知らん顔をしているのか。人間の影響力というものは何も特定の言動だけに限られるものではない。たとえば、隣国中国の毛沢東は、あれほど個人崇拝を峻烈にイデオロギーの立場から否定しておきながら、ついに自から個人崇拝、神格化の対象となってしまったように、いままた創価学会の池田大作にしても自から知ってか知らずしてか、そういう個人崇拝、神格化への道を歩みつつあるということなのである。そこでは、池田という人間とは別に創価学会の勢力拡大のためのオールマイティな人間像がデッチあげられているということである。こういう傾向のうえにある限り、池田の神格化はますます進むだろうし、個人崇拝はますます熱狂的なものになってゆくだろう。

 たしかに宗教や信仰集団においては、その教祖的指導者にカリスマ的要素を必要とすることは、ある程度まで不可避な傾向である。そういうカリスマ的素質とでもいえるものが、いったいどのような影響をこの異常集団の中に及ぼしていくか、そこに創価学会を占なう一つの大きな問題点がある。池田はなるほど温和な静かな声で大衆に語りかける。彼の書いたさまざまな著述を読んでも、まことに平凡で淡々としており、そしてほとんどてらうことのない陳腐なまでの平凡な真理が述べられている。しかし、その真理を実行しょうとする彼をとりまく幹部たちが、これをどういうように学会員大衆に伝えており、また学会員大衆はこれをどう受けとめているかということに問題がある。

 池田のいうことは、その内容の故に有難がられるのではなく、池田がいったが故に尊ばれ、無条件の服従の対象となっている。そこに多くの問題があるということなのである。そういう意味において、池田という人間の経歴はそれなりに多くの興味をよぶ。
 彼がどのような経歴の持主なのか、彼の履歴書とでもいえるものを彼がどのような経歴の持主なのか、彼の履歴書とでもいえるものをここでめくってみることにしょう。
     ----------(つづく)---------169

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創価学会を斬る-36

2019-11-28 16:58:30 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
 <この日本をどうする-2>
創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道出版部
    --言論出版妨害事件-- 昭和44年(1969年)
    ------(P.163)---(以下、本文)-------

5 創価学会の天皇・池田大作と幹部たち
◆ オールマイティな人間像のデツチ上げと神格化-1
 創価学会・公明党の両方の手網をしっかりと握りしめているのは、ほかでもない池田大作会長である。池田会長はなかなか演出力に富み、フェースも千両役者に優るとも劣らない美男子である。ラスキーは、「現代の政治家は大衆消費用の高度の俳優である」というようなことをいっているが、たしかに、池田大作は高度の俳優であり、フェースにしても風格にしてもまさにスターたる資格をもつタイプである、といって過言であるまい。

 今度、この本の出版にあたって、創価学会からさまざまな圧力があったが、そのなかで「池田大作会長のことについての批判は許さない」という注文もつけられた。そこで私は、「そろそろ池田会長が公明党委員長になって政界にのりだしたらどうだ」といったところ、「それは非常に結構です、どうかそういうように池田会長が政界に出馬できるような論陣をはって下さい」というようなことを、私のところにあってきた公明党都議会議員が強調していた。たしかに創価学会会長としておさまっているよりも、むしろ大衆の前におどりでた実践政治家として十分に通用するタイプであるということがいえるかもしれない。

 菊村到流の表現を借りれば、“池田会長はテレビの総合司会者タイプ”ということかもしれないが、テレビ総合司会者自体が、現代社会では一種の英雄になっているような状況を考える場合、彼はそういう点において、人物像としても学会及び公明党の頂点に位し、しかもその重みを発揮し、重要な役割をにないうるパーソナリティを持っているといってよい。
 彼は、創価学会の究極の理想--言葉に現わせば非常に立派なものなのであるが--を実現するために、次のように述べている。

  「日蓮大聖人の御遣命である、広宣流布であります。それは、末法の正法を日本国に、全世界に流布して、この地上から“悲惨”の二字をなくし、全人類の幸福な生活を確立することにあります。したがって恒久平和の樹立、人間性尊重の理想社会の実現といったことも、当然含まれています。
 二十世紀の今日、物質文明、機械文明は極度に発達し、一面、人間生活の向上は見られたが、半面、それを駆使すべき人間を忘れたため、かえって、人間性喪失、人間疎外といった深刻な事態が現出してしまった、ここに人間革命の必要がある。心ある人々は、今こそ、真実の高等宗教、偉大なる宗教が必要であることを力説し、世界の眼は東洋に、なかんずく日本に注がれています。
 この人間性喪失、人間性疎外といった現象は、ひとえに人間生命の尊厳を見失ったことに起因しております。この生命の尊厳を明確に、徹底して説き明かした宗教は、日蓮大聖人の色心不二の生命哲学以外にない。これこそ、二十世紀の要望にこたえ、二十一世紀の黎明を拓く大宗教であると、われわれは確信しております。」(池田大作著『私はこう思う』所収「20の質問に答える」より)

 こういう理想を実現する二十一世紀の大宗教を身に体し、理想実現のために全世界の人々を折伏し、日蓮正宗の教義を滲透させようというのであるから見方によれば、壮大な夢を追う現代のヒーローであり、また別の見方からすれば、ドン・キホーテないしはピエロということにもなる。主観的覚悟だけは見上げてもよい。
 当人は「偉大なる凡夫でありたい」などといっているけども、そうした平凡に徹するポーズはなかなか非凡な面でもある。まあ現在の日本を見渡したところ、昭和生まれの若い指導者として、良きにつけ悪しきにつけ池田大作クラスの人物はそうざらにはいない。700万世帯、1000万人余の大集団という未曽有の宗教集団を組織したところの才能、手腕というものは、それなりに大したもんだとはいえるだろう。
     ----------(つづく)---------166

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創価学会を斬る-35

2019-11-27 07:46:13 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
 <この日本をどうする-2>
創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道出版部
    --言論出版妨害事件-- 昭和44年(1969年)
    ------(P.157)---(以下、本文)-------

◆ キヤスティング・ポートを握らんがための右顧左ベン
 第一は、東支持でこりたことがあげられる。大量の選挙違反者をだした東派を支持したことに対して、「政界浄化」を看板としていた公明党は、はなはだ苦しい言い訳を繰り返さなければならなかった。東派は1959年にも悪質な選挙違反者をだしているのだから、そういう弁解はなり立たなくなっていたといってもよい。さらに東を支持しておきながら東都政を批判するのは、おかしいという論議もあったし、批判をさし控えれば、公明党は口どめでもされているのかという批判をうけることにもなった。 いずれにしても公明党は、都議会で散々な目にあったわけである。

 第二は、会員内部に保守派もいれば革新派もいて、東支持は革新派の不満をよび起こした。
 支持しても是々非々の立場でいくのだとかなんとかいって、この不満を抑えたけれども、自社両党のいずれの候補を支持しても学会内には不満が必ず起こってくるという気配があったからである。

 第三には、自社両党の働きかけをあげることができるであろう。自民党は、公明党が社会党と共同推薦することは絶対にないとふんでいた。都議会では社会党と公明党は宿敵の関係にある。ことに水道料金値上げ問題、その折の乱闘事件で、当時都議であった竹入義勝委員長は社会党議員によって手痛い目にあっているのである。それらのことを自民党はちゃんと知っていた。では、何故に自民党は公明党に働きかけたのか。もちろん自民党と公明党との共同推薦にこぎつけることができれば、文句はない。かりにそれができないとしても公明党が中間的立場をとらず、むしろ独自候浦を立てることを願ったからである。
 自民党にとって太田薫は強敵である。彼をおろしたいのである。太田はウカツにも「公明党の支持がなければ……」ということを口にした。バカ正直な男である。その言葉をとらえ、公明党に独自候補を立てさせ、太田をひきずりおろすことに自民党の筋書が組み立てられていたということがいえるであろう。
 竹人は委員長になるすぐ前の年(1966年)の2月上旬に、自民党最右翼の巨頭である賀尾興宣と会っている。何を話したかは不明であるが、公明党への働きかけは賀屋の線によると推測されている。右寄り的体質があるのかもしれない。竹入ははなはだ自民党好きである。

 社会党は社会党で共同推薦を期待していた。成田書記長(現委員長)は「共同推薦がだめというなら、独自候補を立ててくれ」と依頼した。前回のように自民党と公明党が組まれては、戦わずして敗北は明瞭であったため、そういう態度をとらざるをえなかったのである。創価学会・公明党は各党にねらわれ、こうした取り引きにたけていない公明党は、まさにモミクシャにされた観があった。
 ところで、選挙から話しはそれるが、これまでのところを見るとモミクシャにされて落ちついたところは、おおむね自民党との妥協であった。都議会ではしばしば自民党と公明党の妥協工作によって、法案が通過してきたといっても過言ではない。最近の選挙において都議会第三党に転落した社会党は、公明党にふりまわされ、与党としての権威をはなはだしく失墜しているが、公明党はこのチャンスを逃さず、あくまでもキャスティング・ボートを握りつづけようとしている。

 1967年の都知事選挙でこそ独自侯補を立てたが、その他ではさなきだに強い保守独裁を助け、野党勢力を分散し、いがみ合う革新系三党の力をそれなりにくじきつづけている。こうした公明党の存在は、野党といいながら、態度はきわめて暖昧である。 もし、公明党が第三の政党として独自性をだすことに意義をみいだすとしても、このような傾向自体のもつ問題を決して軽んじてはならないといわなければなるまい。

学会と公明党とを切断するべし
 以上のような創価学会・公明党七つの大罪の大半は、公明党という政党が国民政党と口ではいいながら、事実上は、創価学会という特定信仰集団の特定利益のために存在する政党であることによって起こってきている、と判定してよいであろう。
 創価学会の会員が増加してゆくことによって、公明党という政治勢力が自動的に伸張してゆくしかけになっており、そういうやり方自体が政治的にみて邪道であるとすれば、両者の関係をここではっきりと切断することが望ましいといわなければならない。

 しかし、創価学会と公明党とがバラバラに切り離されたならば、公明党という政党の中味はそれこそ空っぽになるほかないのである。創価学会関係者以外の国民各層の政治意識に訴えて、国民政党性を主張するには、公明党はまったくといってよいほど政党としての本来的条件を欠いているからである。もしこのままで、創価学会と公明党とがシャム双生児のような形で発展してゆくとすれば、新らしい型のファシズムとして変貌してゆくかどうかの判断は別としても、日本における民主政治のルールにとって、百害あって一利なきものとなろう。それはまず間違いない見通しといってよいように思われる。
 そして、シャム双生児の一方が死ぬと他方も死なざるをえないように、いつかは両者ともに腐臭紛々たるなかに共倒れする可能性もでてくることになろう。カイゼルのものはカイゼルへ、宗教勢力は本来の宗教の使命に立ちかえることこそが、創価学会の本筋というべきであろう。私が、政党としての公明党の解散を強く命じ、公明政治連盟的組織にかえれという所以もここにある。

 地方選や参院選に信者代表を送って、宗教的立場からそれなりの政治に対する自己主張を展開するぐらいのところが、宗教勢力による政治進出のマキシマム・リミットだということにほかならない。多数勢力を衆議院で占め、政権を担当しない限り、王仏冥合の理念が実現できないというなら、それはもはや人間の内面を担当する宗教の分野には属さないといわなければならない。それならば宗教であるという看板をおろすべきであろう。はっきりと、そのいずれかにする必要がある。

 創価学会そのものを解散して、公明党なる政治団体の教宣機関になるのなら、話はまた別である。それでは創価学会と公明党の関係においては主客転倒ということになろう。むしろ創価学会はその本来の宗教活動を通じて、間接的に政治粛正に専念し、そのことを通じて、そのめざす王仏冥合的な政治の実現にアブローチする道を選ぶべきではないだろうか。
     ----------(つづく)---------161

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創価学会を斬る-34

2019-11-26 05:21:55 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
 <この日本をどうする-2>
創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道出版部
    --言論出版妨害事件-- 昭和44年(1969年)
    ------(P.153)---(以下、本文)-------

◆ 強きをたすけ、弱きをくじくの罪
 第七の罪は、強きをたすけ、弱きをくじくの罪、というように表現できるかもしれない。
 「庶民の味方、公明党」「みなさんの党、公明党」というような表現をとっているけれども、その内容をみるとはなはだ権威的なくさ味をともなっている。強きをたすけ、弱きをくじくことこそ、むしろ創価学会の本領ではないのだろうか、そういう感じさえしてくるということである。
 弱いものに対しては徹底的に強く出て、強いものに対してはきわめて柔軟な姿勢をとる。

 かって創価学会台頭期には、暴力折伏というようなことが、ずいぶんと新聞の三面記事をにぎわした。創価学会の本質から現象面にいたるまで、非難したり、批判する文章がかなり現われた。しかし敎年前から、この種の創価学会批判はまったくカゲをひそめるようになり、今日では創価学会を批判する文章を探すのに苦労するくらいなのである。その代りにおびただしい学会関係の出版物がではじめている。創価学会・公明党のチョウチンもちのような評論や著書まで現われるようになった。そういうものが、創価学会推薦図書の名のもとにかなり売れているというのであるから、驚くほかない。
 このことは、学会を利用しょうとする金儲け中心の助平な連中が多く現われてきたということであり、また学会の、出版その他に対する圧力が強いために、いわばその圧力を避けて易きについている現在のマスコミ界の一つの問題点がでているということでもある。

 政界は学会の組織票をねらって動き、財界はその財力に着目し、銀行屋はその莫大な資金を預金してもらおうとして狂奔している。各党各候補が票をいただき、その勢力を利用しようとしてペコペコと日参するようになった傾向、そのもっとも著るしい例が、1963年の東京都知事選挙のときにみられたといえるであろう。

 自民、社会両党、それに東竜太郎、阪本勝両派の創価学会工作はまことにすさまじいものがあった。結局は公明党(当時は公明政治連盟)は東を支持することになったけれども、このときになんらかの取り引きがあったのではないかという、黒いウワサがたちこめたものである。政界浄化を叫ぶ公明党が、あくどい選挙違反をした側をたすけ、弱い野党をくじく側にまわったのである。その態度、識見、能力のすべてが、この選挙における創価学会のとった態度に現われた。この時の態度は公明党へのはなはだしい疑問を、東京都民のみならず日本国民に与えたといって過言ではなかろう。

 公明党は、支持したからには当然のこととして、東派の選挙に関する政治責任を負わなけれはならないはずである。政治というのは、その人の主観は別として客観的な結果に責任を負わなければならないはずのものだからである。
 偽証紙が現われてから、あわてて創価学会は宗教団体だから政治責任はない、というようなことをいっていたようであったけれども、こういう態度そのものが、政治を語る資格のないことを物語るものといってよいであろう。政治責任はあくまでも結果責任である。そういう結果に対する責任を放っておいて、宗教団体であるが故に「わしゃ知らん」というような態度では、もはやこういう政党に責任をもたせること自体ナンセンスといわなければならない。まさか、日蓮さん、御本尊様に責任をとってもらうわけにもいくまいということである。

 ともかく、この時の都知事選における自民党の工作の中にも現われているように、強くあるいは下手にでて、プライドや虚勢をうまく助長しながら働きかければ、公明党はどうにでもなびくと思われており、そうした工作は、今でも活発に行なわれている。各党ともに学会の票が欲しいからである。公明党を叩きたいけれども、しかし他方ではその組織票も欲しいということで、各政党にとって痛しかゆしの状態にあるということである。したがって、本来なら競争相手であり、厳しく競合しなければならない政党にあっても公明党批判の鉾先はとかくにぶりがちである。その点からもまこと奇妙な形になっているといわなければならない。
 むしろ、鉾先や批判を故意ににぶらせて、学会・公明党との取り引きの機会、話し合いの機会など、なんらかの窓口をあけておきたいとねらっている傾向すら、各政党にかなり顕著に目立つのである。政策が暖昧であり、立場が中間的であるというのも、それなりに各政党がつけこんでゆく余地を残しているということもいえる。いうならばわざわざスキをみせているということにもなるのである。

 1967年4月に行なわれた統一地方選挙、ことに東京都知事選挙をめぐって、公明党工作が活発に行なわれたことは周知のところであり、とくに自民、社会両党の動きにははなはだ顕著なものがあった。東京では創価学会員がキャスティング・ボートを握っていると考えられ、自・社両党ともに、公明党との共同推薦をねらったわけである。前総評議長の太田薫が、はじめて都知事選出馬の意向を表明したとき、公明党推薦を条件としたのも、同党の支持なくしては当選がむずかしいと考えたからにほかならない。また、自民党が名前もたいして売れていなかった当時の鈴木副知事を候補者として考えたのも、鈴木が公明党に受けがよいということが一つの重要な理由であったといわれている。

 しかし結局は、自・社両党ともに公明党の完全な支持をうることができなかった。そして各々松下正寿(自民・民社共同推薦)、美濃部亮吉(社会・共産共同推薦)を候補に立て、その結果、美濃部が松下を破り当選したことは周知のとおりである。公明党は阿部憲ーという独自の候補を立てたけれども、その背景には三つの理由があったといわれている。
     ----------(つづく)---------157

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