創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

公明党=創価学会の真実-3

2017-04-30 07:52:16 | Weblog

 公明党=創価学会の真実 乙骨正生 (2003/1  かもがわ出版 1800-)
    ------(18P)---(以下本文)-------

第一章 盗聴とマスコミ支配と言論テ口
1 “盗聴教団”の体質いまも脈々と
◆ 創価大学職員らによる通話情報流出事件発覚
 平成十四年九月十三日に発覚した創価学会幹部で創価人学の職員・OBらによるNTTドコモからの携帯電話の通信記録の盗み出し事件は、共産党宮本委員長宅盗聴事件に象徴される創価学会の盗聴体質をあらためて浮き彫りにするとともに、そのような盗聴体質がいまもなお、創価学会の組織内で脈々と受け継がれていることを窺わせるものとなった。
  事件は、創価大学学生課職員、剣道部監督で八王子地域の創価学会組織の男子部主任部長の田島稔容疑者が、元交際相手の女性の男性関係を調べるために、元交際相手の女性とその女性が付き合っている男性の携帯電話の通信記録の盗み出しを、上司筋にあたる創価大学学生課副課長の根津丈伸容疑者に依頼した。この根津容疑者は創価学会の全国副青年部長、第二総東京(三多摩地域)の副青年部長を歴任した創価学会青年部の中枢幹部であるとともに、池田大作創価学会名誉会長の三男である池田尊弘副会長などとともに、創価大学の同窓会組織である「創友会」の運営委員・評議員を務める創価学会の超エリート。その根津容疑者はNTTドコモの関連会社であるドコモシステムズに勤務する創価大学の後輩で熱心な学会員の嘉村英二容疑者に通信記録の盗み出しを依頼。嘉村容疑者は派遣先のNTTドコモ通信部から田島容疑者の元交際相手の女性とその女性がつきあつている男性の通信記録約一力月分を盗み出していたのである。
 事件は田島容疑者が元交際相手の女性が付き合っている男性を詰問した際、女性に電話をしている日時を正確に言い当てるため、不審をもった男性がNTTドコモに照会したことから発覚。三人は電気事業通信法違反(通信の秘密侵害)容疑で、警視庁保安課に逮捕された。
  報道では、事件は単なる田島容疑者の色恋沙汰に端を発した単純な事件のように記されているが、実は、通信記録の盗み出しは田島容疑者の元交際相手だけにとどまらず、創価学会と対立する関係にある人物や団体の周辺にも及んでいたとの情報もある。
  というのも田島容疑者の依頼を受けて創価大学の後輩である嘉村英二容疑者に通信記録の盗み出しを依頼して逮捕された根津丈伸容疑者は、先述のように創価学会の全国副青年部長という要職にあったばかりか、「広宣部」という創価学会に対立する人物や団体の情報収集や攻撃に従事する組織に所属していたと伝えられるからだ。
 そうした立場の根津容疑者が、嘉村容疑者を使そうして犯した通信記録の盗み出しに、仮に創価学会と対立する関係にある人物や団体の関係者が含まれていたとなれば、これはもう単なる色恋沙汰の事件ではなく、創価学会が対立者の情報を収集するために行った組織的犯罪という様相を帯びてくる。それだけに事件の全容解明、事件の背景についての捜査結果が注目されていた。
  だが、十一月五日午前十時から東京地裁刑事三部で行われた初公判は、実に驚くべきものだった。
  まず通信記録の盗み出しという個人のプライバシーを侵害する悪質な犯罪を犯した三人の被告には、なんと創価学会の弁護士グループのトップに位置する福島啓充副会長をはじめ、創価大学OBの松忖光晃副会長など総勢十一人もの錚々たる創価学会弁護団が編成されていたのである。
  事件発覚翌日の九月十四日付「聖教新聞」には、池田大作名誉会長の「社会に迷惑を、学会に迷惑を、かけゆく愚者は我らの和合僧より断じて追放せよ!」との怒りに満ちたメッセージが掲載されていた。にもかかわらず創価学会は、三人の被告を徹底して守ったのだった。
  なぜ、創価学会は十一人もの大弁護団を結成して三人の被告を守ったのか。
 その理由は、今回のNTTの通信記録の盗みだしという卑劣な犯罪が、実は、田島被告の男女関係のもつれに起因する単純な事件ではなく、創価学会に対立する人物や団体の情報を収集することを目的とした創価学会の組織的な盗聴犯罪だったからではないのか。
 というのも、事件を担当した警視庁は、根津、田島、嘉村の三被告の余罪について、具体的な捜査を行っていた事実がある。
 しかし、公判では、創価学会員弁護士で固めた弁護側はもとより、検察側も創価学会の「そ」の字にも触れなかったばかりか、事件を田島被告の男女関係のもつれに基づく単純な事件として立件。三人の被告は立件された事実をすなおに認め、ひたすら謝罪と反省の言葉を口にした。
 そして松村副会長をはじめとする被告代理人は、事件を「計画性のない、偶発的かつ単発的犯行である」とくり返し主張、すでに逮捕以来五十日以上にわたって拘留されており、被告らも十分反省しているとして、寛大な判決を求めたのだった。
 その結果、裁判所は、検察側の論告求刑、弁護側の最終陳述を経て、わずか五分ほど休憩した後、公判開始からわずか二時間半で、嘉村被告に懲役一年六力月・執行猶予三年、根津被告に同一年二力月・執行猶予三年、田島被告に同一年・執行猶予三年の有罪を言い渡した。
 軽微な犯罪では今回のような即日判決ということは珍しくない。だが、個人情報の保護やプライバシーの保護が大きな社会的関心事となっており、マスコミも大々的に報道したように社会的に大いに注目された事件が、即日判決となることはほとんどないという。
 その意味では、今回の公判は、極めて異常というか、驚くべき公判だったのである。
 元公明党委員長竹入義勝氏や元創価学会顧問弁護士山崎正友氏は、過去に創価学会がらみの事件において、警察や検察に対して事件もみ消しや、創価学会に有利な取り扱いをするような工作を行った事実を明らかにしている。
 今回の事件でもそうした動きがなかったのか。極めて疑わしい。
 ちなみに判決言い渡し後、釈放された三人の被告と学会員の錚々たる弁護士たちは笑顔で、握手し、肩を叩き合い、あたかも無罪ででもあったかのような勝ち誇った姿で法廷を後にした。
 それにしても、副青年部長という中枢幹部の立場にあった人物を含む幹部会員が、通信記録を盗み出すという人権侵害甚だしい犯罪を犯したにもかかわらず、創価学会はこの事件についてなんら言及していない。
 創価学会は日頃、機関紙「聖教新聞」紙上に、秋谷栄之助会長や森田一哉理事長などの首脳幹部による座談会記事「人権と平和と社会を語る」を掲載、しきりに人権の尊重をアビールしている。だが、現役の創価学会幹部である根津被告らが犯した人権侵害を伴う犯罪行為については、有罪が確定しても謝罪どころか、事件そのものにもいまだに一言も触れないのである。
       ---------(22P)-------つづく--

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公明党=創価学会の真実-2

2017-04-29 08:36:07 | Weblog

 公明党=創価学会の真実 乙骨正生  (2003/1  かもがわ出版 1800-)
    ------(10P)---(以下本文)-------

 ◆ 創価学会嫌いの小泉首相がなぜ?…
 ではなぜ、離婚した妻が創価学会に在籍し、その父親が熱心な学会員だったことから、創価学会嫌いと言われていた小泉首相が、この時期に突然、豹変し、池田大作氏を礼賛したのか。
  その理由は、去る十月二十七日に投票が行われた衆参統一の七つの補欠選挙の結果が影響している。
  周知のように、先の衆参統一補選において、自民党は公明党そして創価学会の全面支援を受けて、五勝二敗で乗り切った。補選の公示(告示)に先だつ十月十三日、大阪十区に応援に入った小泉首相は、公表したスケジュールでは町村信孝自民党総務局長との打ち合わせとなっていたにもかかわらず、実際には密かに大阪府高槻市内にある、たかつき京都ホテルに待たせていた創価学会の西口良三総関西長、藤原武関西長らと面談、西口氏らの手を握り、ひたすら「よろしくお願いします」と頭を下げた。
 これを受けて創価学会は、組織挙げて自民党候補を支援。低投票率だったことも追い風となり、自民党は五勝二敗という好成績を収めた。仮に選挙結果が逆の二勝五敗だったとしたら小泉政権の足許は大きく揺らいだことは間違いない。
  要するに小泉首相は、創価学会に三拝九拝することで補選に勝ち、政権崩壊の危機を免れたのである。
  公明党大会の席上、小泉首相が池田氏が撮影したとされる写真を最大限、ほめちぎり、そこに写されていたモチーフの「月」になぞらえて自らの心情を吐露するという、破格のリップサービスを行ったのは、補選勝利の原動力になった創価学会・公明党の支援に対するお礼の意味合いだったことは想像に難くない。
 だが、よく言えば「正直」、悪く言えば「単純」な小泉首相が、補選勝利のお礼として池田氏の写真を絶賛し、池田氏の写真に触発された自らの心情を、“率直”に吐露したことによって、日本の政治の“危機的状況”が一般にも分かる形で明らかになった。
 それは、支持率六〇%強を誇り、多くの国民の支持の上に乗っているかのように見える小泉政権だが、その政権基盤は極めて脆弱であり、創価学会の集票力によって支えられているという事実。すなわち自・公・保連立政権は創価学会票をその政権基盤としているという事実である。
 その結果、創価学会の政治的影響力は、いまや総理大臣にまで及んでいるということ。ひらたくいうならば時の総理大臣すら創価学会ならびに池田氏の前に膝を屈しなければならないという事実である。

創価学会の“票縛り”が政界を蹂躪
 平成三年十二月六日に行われた創価学会の県長会の席上、秋谷栄之助会長は、翌平成四年七月の参議院選挙に向かっての創価学会の選挙闘争の取り組みについて言及したが、その際、日本の政治を動かしているのは創価学会・池田大作氏であると次のように豪語した事実がある。
「(池田)先生が訴えている人間主義、世界平和に対し、世界一流の人々が共鳴し、賛同している。先生の示す方向こそ、二一世紀の希望であり、その時代にまさに入ってきた。
 同時に、日本の中で、公明党のしめる位置は重要になってきている。今は、キャスティングボートをにぎる立場になっている。自民党が二百何人おろうと、公明党の参議院ですべての重要法案が決まる。そのバックに創価学会がある。日本の命運を決するのは学会。公明党に握られているのが今の日本である。その状況が生まれている。
 その重みが社会的にも、国際的にも大きくなってきた。
 そのことを恐れている勢力もある。公明、学会によって、日本が動かされていく恐れをいだく勢力、ヤキモチをやく勢力もある。自民の中にも苛立ちをもつ者も出てくる。自・公となると社会党はカヤの外に出される。第二党の力を発揮できない。民社は相手にされなくなる。キヤスティングボートの立場は左右からも総攻めをされる立場である。何かスキがあれば攻め込んでくる。そういうバランスにある。
 マスコミも自分たちのわからない所で決められるのではとの思いがある。
 一国をあげて、全て先生という時代になってきて、丁度、(日蓮)大聖人の時代に、大聖人お一人に憎しみが集中した、宗教も権力も、それと同じである。全てそれで日本の動向が決まる時代になってきている。
 こうして起こる問題に逃げてもダメである。大事なのは同志の団結と守り合いで突破していくことである。これが広布の命題である。
 それがそのまま参院選の比例区の票がバロメーターになる。それを七五〇万と決め挑戦する。
 前回は六〇九万票。七五〇万票は至難かもしれないが、しかし、世間は票が減ることを望み、様々な仕掛け、妨害をし、世論を反対の方向に向かせようとする。その力と我々の戦いである」

 ここで秋谷会長は、公明党が参議院のキャスティングボートを握っていること、そして七五〇万票という参議院比例区での公明党の得票が、創価学会そして池田氏が、日本の命運・動向を握っていく上での鍵であることを明らかにしている。
 その後、政局は、非自民連立政権、新進党の結党と解党、自・社・さ政権から自・自・公政権へと変遷したが、その過程で公明党は平成五年八月成立の非自民連立政権で初めて政権の一角を占め、平成十一年十月の自・自・公連立政権への参画によって、自民党と組んだ本格的な連立政権の一翼を占め、今日にいたっている。
 現在、参議院の定数は二百四十八議席。その過半数は百二十五議席だが、自民党の現有議席は百十一議席で単独過半数に達しない。連立与党の保守党の五議席を加えても過半数には届かない。
 結局、公明党の二十三議席がキャスティングボートを握る形になっている。
 また、平成十三年の参議院選挙の比例区で公明党は八百十八万票を獲得したが、この八百十八万票を三百小選挙区で割れば一選挙区あたりの平均は二万七千票となる。先の衆参統一補選の結果が示すように、政治不信が蔓延し低投票率が続く各種選挙においては、この創価学会票が選挙結果を左右しかねない。
 実際、平成十二年六月の衆院総選挙では、小選挙区で当選した自民党議員の六六パーセントにあたる百十八名が創価学会・公明党の支援を受けて当選している。こうした現実の前に、多くの国会議員をはじめ各種の首長の大半が、創価学会の軍門に下っている。
 「金縛り」ならぬ創価学会の「票縛り」にあっているのである。
 自・公連立に反対の立場をとっている平沢勝栄自民党代議士は、かって創価学会票を「覚醒剤」に譬えていた。その理由は、創価学会票をもらえば選挙は楽になる、しかし、票をもらえばその意向に従わねばならず、結果的に創価学会に呪縛されてしまうことを、警察官僚出身の平沢氏は、使用すれぱいずれ身体がボロボロになる「覚醒剤」に譬えたのである。この平沢氏の言を借りるならば日本の政界は「覚醒剤中毒」の症状を呈しはじめているともいえよう。
 しかし、こうした政治状況を創価学会では、創価学会が日本を動かす「日本の柱」体制と呼んでいる。先の秋谷発言にならえば、「池田先生が日本を動かしている」体制ということになる。
  細川護熙氏を首班とする非自民連立政権発足前日の平成五年八月八日、創価学会の本部幹部会の席上、池田氏は翌日、発表になる組閣名簿を事前に発表し、公明党から労働大臣、郵政大臣、環境庁長官が出ることを明らかにした上で、次のように「デェジンは学会員の部下」だと発言した。
 「すごい時代に入りましたね。そのうちデェジンも何人か出るでしよう、ね、ね。もうじきです。ま、明日あたり出るから。あの、みんな、あの、皆さん方の部下だから。そのつもりで」
 いま、小泉首相の公明党大会での池田氏に対する「ベンチャラ」を耳にした池田氏は、こう豪語していることだろう。
 「総理大臣は、あの、俺の部下だから。そのつもりで」
       ---------(16P)-------つづく--

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公明党=創価学会の真実-1

2017-04-28 09:04:24 | Weblog

 公明党=創価学会の真実  乙骨正生  (2003/1  かもがわ出版 1800-)
                                     
■目次
序 章 政界支配目論む創価学会--小泉首相の池田礼賛が意味するもの
第一章 盗聴とマスコミ支配と言論テ口
   1 “盗聴教団”の体質いまも脈々と
   2 マスコミ御用化ここまで
   3 批判者に異常な“言論テロ”
   4 謀略訴訟もあった--司法制度悪用し批判者攻擎
第二章「池田教」教祖は勲章が大好き
   1 池田大作氏「称号・賞獲り」のカラクリ
   2 池田外遊に外務省が総理なみ接遇
   3 池田大作カリスマの原点・大阪事件の虚実
   4 「池田教」宣言の創価学会会則・規則変更
   5 池田礼賛・宗門攻撃に駆り出される学会芸能人
第三章 創価学会は「政治・宗教団体」
   1 総理大臣人事にまで介入する池田大作氏
   2 東京都議選、一名減の「全員当選」
   3 参議院選・一千万票には届かなかったが…
   4 東大阪市長選に見る創価学会のマキャベリズム体質
第四章 創価学会の金権.腐敗体質
   1 創価学会本部の腐敗と職員倫理規定
   2 「八葉」事件にみる学会員犯罪
終 章 北朝鮮と蜜月だった公明党そして創価学会
   あとがき
  
  序章 政界支配目論む創価学会
   --小泉首相の池田礼賛が意味するもの
日本政界の現状を象徴するシーン
 それは日本政界の現状を象徴するシーンだった。
 平成十四年十一月二日、公明党は、東京・千代田区の日本教育会館で第四回全国大会を開催し、神崎武法代表、浜四津敏子代表代行、冬柴鉄三幹事長体制の現執行部の継続を決めるとともに、「与直し」を掲げ、十五年春の統一地方選、次期衆院選、十六年参議院選を「日本の進路を決する、日本の存亡がかかった重大な意義を持つ」選挙と位置づけ、大勝利を目指すことなどを確認した。
 この公明党大会には、連立与党の党首として小泉首相も来賓として出席、挨拶したが、その内容は、驚くべきものだった。では、小泉首相はどのような挨拶を行ったのか。その「要旨」を「公明新聞」は次のように報じている。
「神崎代表を中心に、小泉内閣に力強いご支援、ご協力をいただき厚く御礼申し上げたい。政権を担当して一年半、私は、公明党が小泉内閣の改革路線に熱い期待を寄せ、行動に移して支持していただいていることを一番強く感じている。(中略)
 九月に南アフリカのヨハネスブルグで環境と開発に関する世界の首脳会議があり、その際、私はNGOの展示会を見学した。その一角にSGI (創価学会イン夕ナショナル)の会場もあった。
 その中に見事な写真があり、強く印象に残った。暗い空に煌煌と月が輝き、緑の葉がクッキリと写っていた。その写真は池田SGI会長が撮影された写真だった。自然の風景を見事に写していた。私は、支持率が高くても低くても、グラグラしちやいかん(笑い)、いろんな批判があっても孤高で孤独でも、空の果ての月のように耐えなければと思った。私は『改革なくして成長なし』路線を確固として進める。(中略)
 今後も公明、保守との3党連立体制を大事にしながら、小泉内閣としての使命を果たしていく。常に国民の中に入り、国民と共に苦楽を分かち合う公明党のご支援、行動を心強く感じている。今後とも『与直し政党』として発展されることを期待したい」(11月3日付)
 公明党が自・自・公連立政権に参画したのは平成十一年十月のこと。以後、公明党大会には森喜朗首相も出席しているが、党大会の席上、公明党の創立者でもある池田大作創価学会名誉会長を礼賛したのは小泉首相が初めてである。
 しかも「公明新聞」には記載されていないが、一般紙の報道によれば、この際小泉首相は、南アフリカで池田氏の写真を見ただけではなく、帰国後、池田氏の写真集「澄心天籟」を手にしたことも明らかにし、池田氏の写真を見て「不動心」を養ったと発言。満場のヤンヤの喝采を浴びたのだった。
 ちなみに小泉首相をSGIの展示会場に案内したのは、外務省の創価学会職員組織「大鳳会」のトップに位置する榎泰邦駐南アフリカ大使だった。
 周知のように昭和四十五年五月三日に行われた創価学会の第三十三回本部総会の席上、池田大作創価学会会長(当時)は、前年暮れに発覚した創価学会・公明党による藤原弘達著『創価学会を斬る』をはじめとする創価学会批判本に対する言論出版妨害事件について謝罪するとともに、創価学会・公明党の組織、人事等を分離するとの「政教分離」宣言を行った。以後、創価学会と公明党は、両者の関係をかっての社会党と総評、民主党と連合との関係同様、政党と支持団体に過ぎないと主張してきた。
 だが、日本の世論の大勢は、創価学会と公明党は実質一体であると思っており、特定の宗教団体である創価学会を母体とする公明党が政権に参画していることには、多くの識者が、憲法二十条一項後段の「いかなる宗教団体も国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」との信教の自由を制度的に保障する「政教分離」規定に抵触する疑いがあると指摘している。
 その公明党の党大会で、創価学会の池田大作名誉会長を誉めあげることは、首相自ら、両者の政教一致体質を是認したことに他ならない。その意味で、今回の小泉発言は、日本の政治史上、特筆されるエポックだったといえるだろう。
       ---------(10P)-------つづく--

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創価学会・婦人部-25

2017-04-27 07:47:28 | Weblog

創価学会・婦人部=最強集票軍団の解剖  創価学会問題研究会
            (2001/7  五月書房) 
    ------(193P)---(以下本文)-------

やめるべきか、やめざるべきか…
 --洗脳、マインドコントロールという言葉を知つてますか?
G--いつだったか、テレビで大学の先生が話していたことを聞いたことがあります。平成3(1991)年、学会が宗門から破門されたとき、学会を脱会した人と口論になった際に、同じようなことを言われました。そのとき、学会をやめた婦人部の人が私に、学会の悪口を書いた新聞を置いていったんです。すぐ、捨てようかと思いましたが、何げなく読んだんですよね。そしたら、全国にある池田専用施設は贅沢三昧の造りとか、プール付きの別荘まで所有していたなどと書かれ、部屋などはカラー写真で紹介までしておりました。
 --それもウソだと。
G--そう思いました。私たちが預金まで解約し、家族の生活を切り詰め、苦しい生活の中で、何十年と財務を出し続けてきたんです。秋谷会長も、財務は1銭だつて無駄遣いをしていませんと、言ってますしね。それで私は、そのウソ新聞を置いていった元婦人部のところに電話をかけて、“こんなウソを書いて、池田先生を誹謗すると罰が当たるわよ、地獄行きよ! 池田先生は私たちのお金を、そんな贅沢なことに使っていない!”と怒ったんです。そしたら、相手の人は“あなたたちは、何も知らない。ウソだと思うなら、どこの文化会館でもいい、あなたの目で確かめたらいいじやない”と…。
 --確認しましたか。
G--あまりにも頭にきたので、私がよく会合で行く文化会館に行ったとき、会館の職員の人に事情を説明して、部屋を見せてくださいとお願いしてみました。そしたら、池田先生の執務室はあるけど、そんな部屋はありません、と言い、見せてはくれませんでした。そのとき、私たちの財務で造った会館ですから、見せるぐらいだけならいいのではないかと、思ったんです。
 この目で確かめたら、ウソを書いている新聞の鼻を明かすこともできるでしょ。
 --どうして見せてくれなかったのでしようか。
G--帰宅して、そのことを主人に話をしましたら、“まあ、いろいろあるんだろう”と。でも私はそのことがずっと胸のどこかにひっかかるようになったんです。あの新聞の記事は本当なのかなと思ったり。しかし、そんなふうに疑うことが、私の信心がおかしくなったからではないかと、題目を真剣に唱えました。ある日、割合に親しくしている婦人部の幹部にこのことを話してみたんです。そしたら、“そんなこといいじやない。たとえ事実であっても、池田先生を少しでも疑ったらだめよ”と。
 --納得したのですか。
G--私の人生は、創価学会でした。隣近所の親が子供を連れ海や山に遊びに行くのを横目で見ながら、ただひたすら、広宣流布のために学会活動に専念してきました。隣の人が東京の郊外に家を建てて引っ越して行ったときも、私たち家族は狭い団地に住みながら、財務を出し続けてきました。本当の幸せは、住まいなんかと関係ないと、自分に言い聞かせてね。でも、もうその人生も終わりに近づいてきて、最近、よく振り返ってみることが多くなつたんです。私の人生は、家族は、これでよかったのかしらと。信心は疑ったら終わりですけど…。
 --会館以外にも、何か信仰上のわだかまりがあるんですか。
G--正直に言って、これまで疑ってはだめ、疑ってはだめと自分に言い聞かせてきました。でも、私たち信心の目的は、一生成仏と、王仏冥合にあると、幹部から何十年も指導されてきました。しかし、その二つとも、いつの間にか学会では話さなくなったんです。それに、毎朝お勤めするご本尊様は、日蓮大聖人の血脈を保つ、代々宗門の猊下様しか書写できず、それを学会が拝んでいる。だからほかの新興宗教と違い、功徳もあるんだと教えられてきました。しかしこれも宗門から離れて以来、別なご本尊様を拝まされるようになったんです。肝心のご本尊様が変わるなんて、実はショックを受けていました。これでも功徳があるんでしょうかと思ってきたんです。もうひとつ、結党以来、あれほど自民党を批判してきた公明党が、今や仲良く一緒になってしまいました。それを今、学会では一生懸命に応援しています。
 --いろいろと矛盾を感じているというのですか。
G--分かりません。怖いのは、今、学会を否定しますと、私の人生そのものを否定することにもなるからです。私の一生って、一体なんだったのかしらと思うことが怖いんです。
 広宣流布、広宣流布と言ってきたけど、私が学会に入ったときより確かに会員が増え、組織も大きくなり、会館なども完備し、社会というか国に対して、学会や公明党の影響力も強くなりました。でも、世の中は昔よりも悪くなっているような気がするんです。30年前ぐらいなら、深夜、近所の公園を歩いても少しも怖くはなかった。でも今、1人では怖くて歩けませんもの。
 学会員が増えるにしたがって広宣流布が近づき、それだけ平和な社会が生まれていくだろうと確信してきたのに、現実、私たちが夢に描いた広宣流布が、学会員の増減や存在と関係なく、むしろだんだんと後退しているような気がしてなりません。広宣流布を祈願として私たちが生活を犠牲にし、昼夜を惜しんで学会活動を行ってきたのはなんだったのでしょう。ただ単に信者を増やし、組織を潤すだけが目的だったら、ほかの宗教団体と少しも変わりがありません。
 それなら金もかからず、せめて、子供たちと遊び、宿題を見てあげられるくらいの、ゆとりのある宗教を選ぶべきでした。私たち会員は幻想に酔う、幹部たちの駒にすぎなかったのでしようか。
 私が人生の選択を間違っていたら、少しでも残りの人生を取り返したいし、あるいはこのまま、余計なことを考えず死ぬまで組織の中で流され続けたほうが幸せなのかとも思ったりもします。今、少し冷静になって、考える時間がほしいんです--。

あとがき
  創価学会の公称世帯数、約800万世帯の活動主体者である「婦人部」にスポットを当て、そのパワーぶりを浮き彫りにしてみた。婦人部の歴史を振り出しに、公明党支援のための「F取り」、財務の「集金作戦」聖教新聞の「啓蒙活動」…。どの活動をみても、婦人部のエネルギッシュな行動には感嘆を通り越し、驚異さえ抱かされる。
 家庭や家族を犠牲にしてまで、日夜没頭する選挙活動。家計を二の次にする財務納金。一般紙の拡張軍団に匹敵する新聞の啓蒙活動ぶり。婦人部をこうした活動に駆り立てるパワーの源泉は、一体、どこにあるのか。
 ほとばしる信仰心の現われなのか。それとも、世界の指導者と慕い尊敬する名誉会長・池田大作に応えるためなのか。多くの婦人部員や元婦人部員にインタビューを試みて、おぼろげながらその一端を知ることができた。「広宣流布」である。
 では、婦人部が二言目に口を開く広宣流布とは何なのか。学会の言う広宣流布の定義が微妙に変化してきているが、本稿でも触れたとおり、簡単に言えば、日本ないし世界中の人口が、創価学会員で埋まることである。映画の題名ではないが、ミッション・インポッシブル。不可能な使命を信仰の目標に立て、いわばゴールのない道程を突き進んでいるのが婦人部である。
 門外漢から言えば、まさに幻想の世界。それでも、幻想に酔っている間は会員や組織もまだ一枚岩である。しかし、個々の会員や組織が息切れを自覚したとき、創価学会も衰退の一途に向かわざるを得ない--。

 (本文中において、すべて敬称を略させていただいた。)   おわり。  

次回から
  公明党=創価学会の真実 乙骨正生 (2003/1  かもがわ出版 1800-)  -を予定しています。

  

 

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創価学会・婦人部-24

2017-04-26 08:40:52 | Weblog

創価学会・婦人部=最強集票軍団の解剖  創価学会問題研究会
            (2001/7  五月書房) 
    ------(185P)---(以下本文)-------

◆ 学会活動は365日
 --財務納金もそうでしよう。
G--特別財務や財務とかは、昭和52(1977)年頃が始まりでした。一年間かけて預金をするのですが、それを全部、財務に出しました。
 --お金が惜しいという気持ちはなかったですか。
G--ありません。むしろ、喜んで納金しておりました。私自身も部員に、なるべく多く金を出せと勧めていたんです。池田先生の指導の中に、“創価学会員には、雨が降るように功徳がある。何千、何万、何億倍も受ける資格がある。世界一、宇宙一の功徳がある。逆に創価学会をバカにしたり、中傷批判した場合は、仏罰が当たる。全部、地獄へ行く”と。私は、池田先生の指導を信じてました。
 --「月刊ペン」の裁判があって、池田さんの女性問題が問われたことがありました。知ってますか。
G--ええ知ってます。なんてひどいウソを書くんだろうと思いましたね。池田先生は仏法の王者で、女性に優しい人です。そんなこと、考えることさえも罰が当たると思っていましたね。
 --創価学会がすべて、池田先生がすべて、という人生だったんですね。
G--学会のない人生なんて考えられませんでしたもの。毎日、毎日、歓喜に燃えて、池田先生と一緒に私たちの手で、広宣流布をやるんだ、王仏冥合を成し遂げるんだ、という強い気持ちを持ち続けておりました。毎晩、学会活動を終えて帰宅し、勤行を済ませて寝るのは深夜の1時過ぎ。12時過ぎて、幹部からの電話連絡網、なんて当たり前でしたから。
 --どのような学会活動をやっていたのですか。
G--まず、欠かせないのは行事への参加です。多いときは1日に2つも3つも行事が重なっておりましたから。ブロック座談会、地区座談会、支部総会、教学の勉強会、B (ブロック)担会など活動者の協議会、地域友好期間、衛星による本部幹部会の参加、婦人部幹部会、聖教新新聞啓蒙の日。新来者(入信希望者)を集めた会合、統監など。このほか、自宅を訪ね歩いて部員の指導、部員増加のための活動、聖教新聞の啓蒙。昔は毎日、時間が空くと折伏活動に、電車に乗って地方にも出かけました。ほか、選挙になったら、これがまた多忙を極めました。選挙運動の期間中は、拠点(地域の主として活動者が自宅を提供し、学会会館の代役を務めるような集会所)には少なくとも一日に一回は顔を出しました。正直、家の掃除も洗濯もする暇がないほど選挙活動に没頭しましたよ。
 --財務も?
G--そうです。会合で広布部員の決起大会を開いたり、まだ申し込みをしていない部員宅を訪問して、財務納金に参加するように説得したり、口数が少ない会員には、「あなた、功徳が欲しくないの」と言い、少しでも多く出してもらうようにしました。財務でお金を多く集めることも学会活動のひとつでしたね。
 すべてが競争なんです。あの地区には負けたくない。支部でトップになって池田先生におこたえしたい。聖教新聞の啓蒙部数や財務の金額も、また、公明党のF票にしてもそうでした。
 勝つことが信心なんだと思っていましたから。学会が運営している墓苑もそうです。全国で10力所を超えているでしょうか。全部、池田先生にお造りいただいた。もちろん、私も口ーンで購入したし、部員にも買うように勧めました。私は1つですが、墓を3つも所有している幹部など何人もおります。

家族との葛藤
 --お子さんは何人いらっしゃるのですか。
G--2人です。創価中学から創価大学まで進ませたかったのですが、中学のとき試験に落ちましたね(笑い)。
 --2人とも学会員ですか。
G--まあ、そうですけど、学会活動にはあまり熱心ではありません。2人とも社会人です。ただ、この子供たちに、今になつて少し寂しい思いをさせてしまったかなと思うことがあるんです。子供たちが小学校の頃、私たち夫婦とも地区の幹部でしたから、とにかく毎晩のように学会活動で家を留守にします。テーブルに食事の用意をして、うるさいほどガスの始末、冬なら電気ストーブに気をつけなさいと言って家を出ます。あとは子供たちが勝手に寝たり、テレビをつけっ放しでうたた寝しているところに帰ってきます。
 ですから、ほかの家庭より、親子の団樂や会話が極端に少なかったですね。ゆっくりと宿題を見てやる暇もありません。なんとかまじめに育ってくれましたからホッとしていますが、子供たちは寂しかったのではないかと思います。
「なぜ、うちのお父さん、お母さんは夜家にいないの」
  と、1、2度、長男から言われたことがありましたから。でもこれも、広宣流布のために戦っているんだという気持ちで、頑張ってきたんです。子供に対する申し訳なさといえば、外で2、3回ぐらい食事をしたことがありますが、満足に家族旅行などはしたことがないんです。
 経済的事情もありましたが、遊んでいる時間などありませんでしたから。それでも、学会は地方の海岸沿いとか山の中に研修道場を持っているんです。そこに1泊2日で子供たちを連れて行ったことがありました。それでもこの10年ぐらい、学会活動にもゆとりができるようになりましたが、でも子供を旅行に誘っても、もう2人とも子供の親。相手にしてくれません(笑い)。
 --親戚にも学会員が多いのですか。
G--主人の実家は学会員ではありません。ただ主人の兄弟の中に、学会の人と、そうでない人がおりまして、学会でない人とはあまり付き合いがありませんね。会っても、すぐ学会の話になり、昔、私が激しく折伏したことがありますから、以来、ずっと嫌われているんです。
 --隣近所の付き合いはどうですか。
G--普通にお付き合いしていますが、公明党のF票をお願いする関係がありますから、路上で会っても、普段からなるべく笑顔であいさつをするように心がけてきました。昔は、無料で聖教新聞などを配りましたが、あるとき、束にして突っ返されてから、近所に配るのはやめました。私が学会員であることを近所の皆さんが知っていますが、学会に誘われることが嫌なようで、先方さんから買い物に行きましょうなどと、誘われることはありませんね。
 --学校の同級生とかはどうですか。
G--公明党のF取りで、中学、高校時代の同窓名簿を見ましてね、電話をかけたり、訪ねて行きました。「え!! あなた、学会に入っていたの」と、驚かれたり、学会員とは絶交したいと言われたり、いろいろです。拒否する人には、私は胸の中で軽蔑をしましたね。なんでこんな素晴らしい宗教を理解しないのだろうか、池田先生という大指導者を人生の師と仰ぐ私たちは、いかに幸せか。あの人たちは不幸だ、と思っていたんです。だから、反発があればあるほど、信心に燃えたんです。批判、中傷があればあるほど、それは正しい宗教の現証だと、教わってきましたから。また学会を週刊誌やマスコミが攻撃するのは“法難”と受け止めて、絶対に負けないぞと思っていましたね。でも、学会批判の雑誌などほとんど読んだことがありませんでした。電車の中で、週刊誌の広告を見て、池田がどうのと書かれているでしょ。これも軽蔑しましたね。この人たちは、池田先生の偉大さが何も分かっていないと。私の友人の学会員なんかは、書店に行くでしょ。学会批判の本なんかありますと、その上に違う本を乗せて隠してくると言ってましたね(笑い)。

なぜ、婦人部が学会活動に熟中するのか
 --学会組織の中で、壮年、婦人、学生、男女青年に区分しますと、婦人部が圧倒的に強い。聖教新聞の啓蒙でもF取りでもそうですし、また、池田名誉会長を敬う気持ちもそうですが、なぜだと思いますか。
G--まず言えますのは、学会組織では婦人部の絶対数が多いことでしょうか。毎月の座談会でも、出席者の3分の2が婦人部です。座談会の会場によっては、20人ほどの参加者のうち、男は子供とか、2、3人の若い男と壮年です。新聞啓蒙でもF票でも、婦人部が圧倒的な結果を出すのは、まず、活動している時間が多くあることでしょう。とくに、私のような専業主婦は、毎日、学会活動が仕事みたいなものでしたからね。壮年部などは役職を持っている会員は別ですが、ほかはほとんど動きません。仕事も忙しいのでしようが、面倒くさいのでしょうね。
 --で、婦人部は、池田氏を敬う気持ちが強いようですが、どうしてでしょう。
G--う~ん。そう、単刀直人に聞かれますと返事もできませんが、昔は池田先生の講演を聞いただけで、自然に涙が流れてきました。なぜだか分かりません。ただ感動して泣いてしまうんです。そりゃそうでしょう、20年間も、30年問も、毎日、毎日、聖教新聞を読んでいても、池田先生は素晴らしいと書かれています。また幹部の話でも毎日、毎日、「池田先生は、こうおっしゃっている」「池田先生は婦人部のために、こんなことをしてくれた」「池田先生は毎日、私たち学会員が幸せになるように朝晩、題目を唱え、ご祈念してくださつているのよ!」「世界的指導者が私たちの師だなんて、しかも、広宣流布のために一緒に闘えるなんて、素晴らしいことじやない」。明けても暮れても、頭の中から池田先生の名前が離れない。もう、生活の一部にもなっているんです。だから、池田先生の話は絶対だし、こんな素晴らしい先生はこの地球にいるだろうかと思ってしまうんです。
 --池田氏に対する批判の本とか、雑誌などは読んだことがなかったのですか。
G--皆無です。池田先生の悪口が書かれた雑誌など薄汚くて、手にとりたいとも思いませんでした。幹部からも、そんな雑誌を読んでいると、信仰が濁るとか、信心が足りなくなった証拠だと指導されていましたから。むしろ、批判されている池田先生が可哀想でしたね。本当に、池田先生は闘っているんだなと。地方に住む私の知り合いの婦人部幹部なんかは、朝方、池田先生の悪口が書かれていた週刊誌の新聞広告を見ると、すぐに駅売店と書店を回って、その週刊誌を全部買い占めてきたことがあるそうですよ。地元の学会員に読ませたくなかったのでしょう。
 --婦人部はみんなそういう考え方ですか。
G--はじめから婦人部は活字を読むという習慣が少ないんです。学会に限らず、ほかの婦人もそうでしょう。まして、何倍と多忙な学会の婦人部はなおさらですよ。池田先生の本さえ読む暇がないんですから、一般の雑誌などなおさらです。
       ---------(193P)-------つづく--

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