創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

続・創価学会を斬る-34

2020-01-31 06:07:48 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
続・創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道・昭和46年(1971年)
       ----------(以下、本文)----------166

◆ 六割学会員の駅弁教授陣
 しかし、問題は教授スタッフである。たしかに量的にいえば経済学部教授一七名、助教授、講師一四名、法学部教授一六名、助教授、講師一五名、文学部英文学科教授一五名、助教授、講師八名、同社会学科教授一五名、助教授、講師七名、この一〇七名がすべて専任教員であり、このほか非常勤講師が約三〇名に及ぶというデラックス版である。

 これらの教授のことごとくが創価学会会員ではないが「学長の高松教授をはじめ、関順也経済学部長、岩井津一法学部教授、斉藤節教授、川崎寅雄文学部教授、根本誠文学部長、中野三郎教授などが創価学会の会員で、教授の六割が学会員だという」(『週刊読売』四六・一・ニー号)ことである。

 さらに独文学の芳賀檀教授になると創価大学、創価学会へのほれ込みようは大変なもので、「日本のなかに、まだ、これだけ純粋な“民族”がいたのかと驚きました。創価学会の人たちは、とにかくよく勉強はする。責任感は強い、権謀術数などを使って人を裏切らない。やはり、創価学会は、仏教、すなわち日本の精神、民族の精神の凝集体のような気がしました。やたら末香臭くない生きた宗教です。“愛と知と行”とを一致させた世界的な宗教です。それに比べたら、キリスト教は偏狭な宗教ですからね。宗教関係の大学は、学問に干渉することがよくあります。私もキリスト教関係の大学にいたことがありますが、学問の自由なんていうのはどうもいいかげんですね。そのことを創価大学の場合も確かめてから学間の自由を絶対に認めるというんで承諾したわけです。
 いまの日本の大学は学校であって大学じゃないです。真理をきわめ、人間をつくるという目的が二つともダメになっていますからね。その意味では創価大学の建学の理念は、人間革命の哲学が土台にありますから、日本で初めての大学らしい大学になる期待がもてるわけです」
 とにかく、芳賀教授にとってはいいことづくめの創価大学である。彼は創価学会の会員にもなり、日蓮正宗、創価学会の本山、富士の大石寺にも参拝してきたという熱心さである(同上)。
 なかにはこんな教授もいるのかというひとつの見本でもあろう。

 それ以外の教授、つまり学会員でない教授は創価大学の建学精神に共鳴して相集い、その理想を実現するために特進しているという。建て前はなるほどそうかもしれないが、それらの教授は学会によるトレー二ングの洗礼を受けているわけではない。そこで学生に対する良き人間教師になるために、教授自身が人間教育をされなければならないとされている。教師は学生に先立って洗脳されなければならないということだ。つまり、たとえ学会員でなくとも日蓮正宗の信者、ないしは創価教育学体系及び池田会長によって示された教育論の信者にならなくてはつとまらない組織になっているようだ。たしかに創価大学は外見的には一応宗教色ゼロということになっている。しかし、池田が創立者であり、その理念にしたがって教育をすることになり、その理念をまず教師にたたきこむというのであれぱ、少なくとも創価学会人間でなければ教師はつとまらない筈である。池田大作は一方で青年をおだて、他方で教授陣にはかなり厳しい言葉をつかっている。まず青年に関しては、池田大作は次のように言っている。

 「青年は純粋である。曇りのないレンズのように、はっきりと被写体の実相を受けとめるものだ。ゆがみはゆがみとして正直に映し出して容赦しない。潔癖で清らかな青年の心情は、腐敗した偽りの繁栄の中に、“昭和元禄”だの“豊かな社会”だのと、うそぶく大人の図々しさに我慢がならないのであろう。
 現代文明の危機というものも、冷静な英知の眼からみれば、皮肉な戯画の題材になりかねない。頭上に吊り下がっている核兵器のダモクレスの剣や、足もとに押し寄せる戦争の危機、そして、うわべの豊かさに反して、心の中にぽっかりあいた空桐等々…。
 もとより、現代の大人達にも、これらが見えていないわけではない。見えてはいるが、凝視することを忘れているのではないか。
 少なくとも、この社会の矛盾をできるかぎり解決し、正常なものにして,次代に譲るような努力をすることが、大人の義務ではあるまいか。 
 しかるに、そうした青年たちの不満や憤りを権力で抑圧するなどとは、卑劣とも、愚かともいいようがない。
 私自身、社会の矛盾と不満に対しては、不断の戦いをつづけてきたし、権力の横暴にも真っ向から挑戦してきた一人である。青年たちの憤りと決意が、痛いほど私の生命に共鳴するがゆえに、私は心から同情せずにはいられないのである」(池田論、既掲書一四九~一五〇ぺージによる)

 青年は純粋である。社会の矛盾を、曇りのないレンズのように見つめ、そのゆがみを容赦しない。青年は潔癖である。腐敗した社会に対し、あるいは政治権力の横暴に対し、立ち向かうのは当然である…。と言った調子で青年をおだてあげているが、これもまた戦前の右翼のリーダーが、青年達を煽動した言葉とどこか共通性があるとはいえないだろうか。
 全共闘系の極左の過激な学生と、右翼のラジカルな青年達とは、ある種の体質的な同質性をもっている。池田にもそうした面があり、現代社会や大学を告発する学生に共感を示している。
 「お前らの気持はわかる、決して悪いようにはせん」と青年将校にいった戦前の将官たちのように、池田は一見したところ、極左的な運動を支援するかのようである。しかし、それは同時に場合によっては一八〇度の転換をして、学生をファシズム運動へとかりたてることにもつな
がりはしないか。彼は告発する学生達を抑圧する国家権力、それに同調する多数の大学教授を烈しく批判し、学生と同じ口調で大学革命、学問革命を主張する。そしてその「革命」を実現するために、まず大学のスタッフの人間革命をし、そして創価学会をになうエリートたちをここで養成しようとするワケである。

それではこの大学にどのようなスタッフが集まったか。その一覧表は前頁〈170頁・省略〉にかかげてある通りであるが、学長・高松和男は前東北大学教授であり、公明党の福祉経済改策はほとんど彼の手によってまとめられたといわれる。そのほか有名無名の学者連中で構成されているが、後世の学問に貢献するような業績をあげているものはまず皆無に近い。
 ところで池田会長の謳う大学の建学精神は三つのモットーからなっており、それは--
 ① 人間教育の最高学府たれ
 ② 新しき大文化建設の揺籃たれ
 ③ 人類の平和を守るフォートレスたれ--というものである。
 人間教育の最高学府たれということは、日蓮正宗や牧口常三郎の創価教育学体系のいう全体的人間、創造的人間の育成を目指した教育をなすところたれということで、つまり創価学会的人間をつくりだす本山たれということである。
 大文化建設の揺籃たれとは、はからずもこの新しき大文化なるものが、つまり日蓮正宗の教義、創価学会の池田大作のいう文化であって、しかもそれを建設するということであり、思想的にこの日本を、学会イズムによっておおうという野望をいいあらわしたものといえよう。

 人類の平和を守るフォートレスたれ、つまり平和を守る砦たれということは、言葉だけなら何ら問題はないかもしれないが、しかし、すべての人が日蓮正宗の信者、創価学会の会員とならないかぎり平和を守れないという理念に裏打ちされている以上、大きな問題が伏在しているといわなければならない。
 池田会長は、この創価学園、ことに創価大学に大きな期待をよせており、宗教団体である創価学会を中心に、右は政治的には公明党、左は思想的には創価大学と、この創価学会なる政治的宗教団体を中心に、左右に政治と教育をたずさえて、そしてこの両面から創価学会の進展をはかろうとしているわけである。

 だが、言論出版抑圧問題で公明党が傷ついたいま、彼に残された大きな望みは、まさに創価大学にあるといえるかもしれない。世俗的に功成り名を遂げたくだらない政治家や財界人が、一定のポストを得たり金をためたあと手を出す事業はしばしば事業としての教育である。そして教育に投資することで、一方で何らかの罪ほろぼしをしたような気になり、他面において、次代の青年を育てるということで自己満足しているが、池田もどうやらその心境になってきたようにも思われる。
 創価大学によっていかなる人物ができあがってゆくか、まだ発足間もないこととて、必ずしも明確な予測はできないが、ともあれ学会の文化祭で示されたような思想的柔軟性を欠く馬車馬のような人間ができるであろうことだけは確かなようである。
     ----------(つづく)---------172

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・創価学会を斬る-33

2020-01-30 09:12:16 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
続・創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道・昭和46年(1971年)
       ----------(以下、本文)----------163

創価大学・学会幹部の養成所ー2
 ところで故牧口常三郎が、おそらく夢みたであろう創価学園の創立は、昭和三十九年六月創価学会学生部総会の席で、池田会長によって明らかにされ、それ以来具体的日程にのぼることになった。そして四十年七月三十日の学会教育部会第四回幹部総会において池田会長は次のように述べている。
 「最初にご報告申しあげたいことは、創価大学ならびに、付属の創価高等学校の設立についてであります。十一月ごろ、設立審議会を発足させる予定になっておりますが、ここにおいて、二十年先、五十年先の日本の指導者、世界平和を築いていく指導者を育ててまいります。と同時に、特に初代会長の創価教育学説を、この社会で実践しきっていく教育をしたい。したがって、そのための完璧なる教育陣営・教育設備をつくりあげたいと思っております」(池田諭、既掲書九一ページによる)。

 この発言に従つて十一月に審議会が発足し、創価学園の設立にむかって全力が投入され始めたワケである。ここではっきりと述べられているように創価学園、つまり創価中学、創価高校、創価大学の目的は、初代会長の牧口常三郎の創価教育学説によって、いわば創価学会的人間をつくりあげるということを目的としているワケだ。 学会はそれをまず教育を通じて意識革命からやろうというのである。それがいうところの“人間革命”ということにもなるのであろう。
 そういう意味からも創価大学の目的は学会イズムによって武装された学会リーダーの養成所ということもできるのである。

 事実、池田大作は四十五年五月に創価学会のビジョンとして「具体的には、まず第一歩として、今後は新しい文明の基礎をつくる教育文化に力を注いでいきたい」(『週刊サンケイ』四五・五・一一号)と、新しい文明の基礎をつくると述べ、創価大学の充実発展を発議しているのである。さらに伊藤満(法学部長)によれば、それは単に発議せられたにとどまるのではなく、広大な敷地をはじめ、すべての建築、いっさいの施設、要するに一木一草ことごとくが創立者の心血をそそがれた苦闘のなかから生みだされたのである。金額にみつもって、すでに六十億円以上の巨費が投ぜられていることは周知の事実である。
 しかも、その内容は、世間によくある宗団が信者から寄附を強制的に集めてといったたぐいのものでは決してなく、創立者の筆になる多数の著書や創立者の指導による出版物などの果実が主である、ということである(「創価大学」『書斉の窓』二〇一号)。しかし、浅野秀満によると、「敷地や校舎で、すでに六十億円をかけていたが、池田は金に糸目をつけないといっている。設立基金は十五万五千人からよせられた十二億円と、学会の四十八億円」と述べている〈『あすの創価学会』〕。
 いずれが本当か、どうやら後者のようである。かりに池田の印税等によるにしても、それはあまりたいした価値のない本を買わされた会員のポケットからでているものであることは間違いない。個人所得に対する税金もどうなっているのか、甚だしく気になる。

 ところで、創価大学は建物や設備面からいうなら、まことにデラックスな大学である。
 前出の伊藤満のいうところによると敷地は四五〇余万平方メートル(十四万坪)という広さであり、八階建て文科系校舎、ラーニングセンター、福祉厚生棟、大教室棟(以上四棟は冷暖房完備)、体育館、学生寮、教職員宿舍(以上三棟、暖房設備)がすでに立ち並び、やがて二〇〇人以上収容の中、小教室五五(大教室は別棟)、教員個人研究室一三四、共同研究室五、ゼミ室二〇を備えることになるという。
 視聴覚教育設備や野外音楽堂、立派な図書館、医務施設など、いたれりつくせりの設備が整えられているということである。
 せまい研究室、スシ詰め教室、まともな厚生施設もない、多くの大学からみるならば、まさにそうした面では夢の宮殿であり、創価大学は垂涎のマトでもあろう。
     ----------(つづく)---------166

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・創価学会を斬る-32

2020-01-29 06:08:17 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
続・創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道・昭和46年(1971年)
       ----------(以下、本文)----------154

創価大学・学会幹部の養成所ー1
 最後にあげるベきは、四十六年四月に開校された創価大学である。この大学こそ創価学会イズムによって武装された次代の学会リーダーを養成するところだからである。
 すでに立正大学、大谷大学をはじめ、仏教系大学もいくつかあるが、創価学会もまた教育とのかかわりは元来深いものがあるといわれる。初代会長、故牧口常三郎は小学校の校長をし、この校長在職時代に意をそそいだのが、彼自身の教育学体系の完成であり、そこで編みだされたのが昭和五年から九年にかけて出版された『創価教育学体系』〔全四卷〕である。それよりさき昭和三年に彼は日蓮正宗に入信しており、彼の哲学と宗教とを融合することが試みられ、今日の教義の出発点が形成されたといえよう。そして十二年に六十数名の会員とともに創価教育学会なるものを結成している。これが創価学会の起点となり、また創価大学の原点にもなったワケである。
 “創価”という意味は、人間は価値の創造者であり、価値の創造につとめることによつて人間としての発展が期せられるということにあろう。

 ところが、この価値なるものが間題である。牧口のいう価値は、当時の新カント派哲学の影響を受けると共に旧来いわれてきた真、善、美に対して美、利、善を価値としたことであろう。
 真、善、美とは、学問、道徳、芸術の追及すべき価値をあらわしたものであるが、彼のいう美、利、善とは、表現は真善美を模したものであろうが、内容はかなり異質なものなのだ。
 それでは牧口のいう価値とは何か。やや陳腐な所論であるが、一応彼のとっている立場を、池田諭の『第三の大学--創価大学』に紹介されているところに従がって述べると、次のようになる。

 牧口のいう価値とは上述のように、美、利、善であり、それについて彼は--
 「美の価値とは、目・耳・口、皮膚のいわゆる五官によつて獲得するところの感覚的、一時的価値。
 利の価値は、各個人がその生命を維持発展するに足る対象との関係状態であり、
 善は、各個人が要素となって統一されている社会の、生成発展に寄与する人間の有為的行意を評価したものですなわち公益を善という」(三五ページ)と述べている。
 美は審美的価値で、部分的生命に関する感覚的価値、利は経済的価値で、人間の生命に関する個体的価値、善は道徳的価値で、団体的生命に関する社会的価値という三段階の価値体系であり、これらの価値は、体系として統一されなければならない、というように主張し、その統一された価値が幸福ということであった。これが牧口の教育学体系のかなめとなるものであも。(三六ページ)

 これを受けて二代目会長戸田城聖は、牧口の思想の究明発展よりも、その思想を日蓮正宗の中でどう位置づけるのかということに苦心した。牧口のいう美、利、善の統一的価値とは日蓮の教えそのものであり、法華経そのものである、というように関連づけることにもっぱらその力がそそがれている。そして日蓮正宗を政治、経済、教育、芸術などと併存する一宗教の位置から、それ等いっさいを包含し、統一するものとしての宗教、本来的意味での普遍性をもつ宗教に再生をさせようという懸命のコジツケ努力を払ったワケである。(三九ぺージ)

 かくして日蓮正宗こそは人間科学、自然科学、社会科学を包含する諸科学統一の法則でありその生命論は、人間、社会、宇宙を統一的に把握するものであるとされる誇大妄想的ともいえる宗教論へと発展していったのだ。
 学会の教義は一方では幸福論に立脚している。それもベンサム流の最大多数の最大幸福ではなく、全民衆の最大幸福を具現すべきである、という主張を骨格にしている。しかも他方でもう一つの側面があることを無視できない。それを私が“無限抱擁型”と名付けたように、古今東西のあらゆる思想、あらゆる教義を止揚し、統一したものだという発想も同時に含んでいる点が特徴的である。

 前段の幸福論が折伏などの際に、大いに俗っぽく語られて、いわゆる「御利益」となる。
 信じさえすれば病も治る、生活も楽になる、争いもおさまる、さまざまのストレスも解消する、人間関係もよくなる、というふうに表現されてくるのだ。信ずれば御利益がもたされ、信じなければ罰があたる。“功徳と罰”、この二つのタームからなっている教えが、実は日蓮正宗というより俗なる創価学会の仏法であり、教えなのである。
 精神的にせよ、肉体的にせよ、それなりに苦しみ、ワラをもつかみたくなっている人々を吸引するにふさわしい単純素朴な表現として展開されるのである。だいたいこうした御利益をふりかざすことじたい宗教の堕落ではないかと思う。世俗的御利益ではなく、人間に内存する本質的なものをみつめ、内面的救済をすることにこそ、宗教本来の使命があるように思うのだが、創価学会はその点日本の新興宗教一般の傾向と全くちがわない“御利益教”といえるだろう。

 また、創価学会・公明党は第三の道とか、第三文明とか、“第三”ということと“中道”ということをひんぱんに用いる。この“第三”というのは、へーゲルの弁証法の正・反・合からヒントをえていることは明らかであり、対立する二つのものをアウフへーベンし、止揚したものが“第三”と表現されるものである。
 これに西田哲学、田辺哲学の通俗的転用が加味されて創価学会は、唯心論と唯物論、資本主義と社会主義といった具合に、なんでもかんでもあらゆるものを正・反・合と止揚してゆく。そして過去のあらゆるイデオロギー、思想、その他一切合さいを止揚した最高のものというようにデツチあげられるのだ。最高にするための「無限抱擁」という日本的イデオロギーのパターンがそのままあらわれている。
 これは戦前における右翼理論家が言ったことを想起させるものがある。戦前の右翼理論家・蓑田胸喜は次のように述べている。
 「神ながらのみちは、古今東西の教という教、学という学の一切、仏教・儒教・基督教また希臘哲学より近代西欧科学、更にデモクラシー・マルキシズム・ファシズム、国家社会主義等をも凡て原理的にそのうちに融化解消している」(『国家社会主義に対する精神科学的批判』)

 戦前の「神ながらのみち」も、日蓮正宗も、その信奉者によれば、あらゆるものを包括し、それを止揚したもの、ということである。こういう無限抱擁の論理的結末はいわずして明らかである。逆に内容は空疎になり、たんに言葉の遊戯、ハッタリと化し、妄想的雄大さのみが残ることになる。
 池田会長の著書に、いかに多くの外国人の言葉があらわれることか。しかも、それらは前後と無関係に、その思想的立場の異なるものが平然と、池田のいうところを正当化し、飾りたてるためだけに引用されているのである。
     ----------(つづく)---------162

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・創価学会を斬る-31

2020-01-28 08:58:05 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
続・創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道・昭和46年(1971年)
       ----------(以下、本文)----------154

民労--華やかなデビュー、尻つぼみの結末
 次に、総評、同盟に対抗して組織しようとした「日本民主労働協議会」について触れよう。
 創価学会が急速に伸びた昭和三十年代、学会員と労組との間にさまざまのトラブルがおきた。
 それは学会員が労組の機関決定に従わなかったからである。ことに支持政党をめぐってトラブルが次々と起こった。例えば十二年前の炭労事件では、参院選のとき、組合の推せんした侯補者を学会員が支持せず、学会推せんの侯補者に投票したわけであるが、これに対し、組合側は「信仰をやめろ」とか、「分裂を招くようなことはやめろ」といった具合に学会員にねじこんだ。創価学会にしてみれば、その勢力を拡大する上では、労働組合であろうが、資本家側であろうが、中産階級であろうが、その対象はどれでもいいのであり、これを折伏し、既成の組織をくいちらしていくことが必要であったわけで、当然のこととして、衝突が発生したワケである。

 そうしたことを、くりかえすうちに、学会はむしろ学会系の労働組合をつくった方がよいという考えにかたむいていった。そうすれば労働者の中に、支持層を拡大する新しい契機ともなると考えたようである。この構想が表面化したのは、四十二年十一月に行われた学会青年部総会における池田会長の発言からであると言われている。彼は、この総会で労組結成の意図を次のように述べている。

 「社会党における総評、民社党における同盟ごとく、公明党においても、その支持団体として、組合組織をつくってほしいとの要望、機運が全面的に高まっております。大衆福祉をめざして進む公明党が、真実の労働者の味方として、この要望を国政に、地方政治に具現していくのは、当然の理であります。真実の労働者の声を反映するためには、理想的な組合をつくらなければならない。それが時代の趨勢であることも、私はよく知っております。今日まで労働者は、むしろ既成政党の党利党略に利用されてきたという、多くの声も聞かれる。また、これまでの組合組織が、いたずらに大衆と遊離し、圧力団体のごとき存在と成り下っているということもいわれている。私はここで、公明党にも、その支持団体である労働組合の組織をつくることを、検討し始めたならばどうかと、諸君に提案申し上げるものであります。」(西島久『公明党』二七六~二七七ページによる)

 以上のような池田会長の提案は、いつものように満場一致の拍手のうちに了承された。
 池田会長は、松本清張との対談〔『文芸春秋』四三年二月号)でも「未組織労働者の組合をつくり、なおそういう小さい企業の経営者とも、共存共栄できるような方式を実行していくつもりです」と、学会の労組結成が主として未組織労働者の結集にポイントをおいていることを明らかにしている。そして、従来の組合と対決するためのものではなく、いわんや労働者全体の団結をくずすものではなく、あくまでも第三勢力としての組合として行動するのだということを強調している。

 また松本清張の「公明党労組の結成そのものに対しても、労働者への裏切り行為だ、という声があがってくる」という発言に対して、池田会長は「そんなこということ自体が、労働貴族のセクショナリズムであり、エリート化ではないですか。もっと幅広く真に労働者が何を欲しているかを知るべきです。いまのままの労働組合でよいと思っている人が幾人いるでしょうか。私どもはいじめられどおしだったから、やむにやまれず立ちあがった、というのが真相なんですよ。
 日本の労働組合でも政党でも、あくまで大衆、庶民のためになれぱいいではないですか。ほんとうに民衆がよくなれば、公明党がどうなってもかまわない。共産党でも民社党でもいい。民衆の方が大事だ。
 労働者が主義主張のため、一部の者の利益のために利用されたりするのは、わたしたちのいちばん忌み嫌うことです。」と民衆福祉優先を唱えて、一応の反論を展開している。
 さらに政党支持については「労働組合を作っても、あくまでもそれを公明党支持の機関にしてはいけない、と思っている。どこの労働者ともケンカをしてはいけない。自分たちの利益のために手を結ぶべきだ、政党支持は別問題だ」と言明している。

 しかし創価学会・公明党がつくろうともくろんだ多くの組織が、それぞれ結成され、それなりの活動をしているなかで、この民労だけはさまざまの努力にかかわらず結成されずに終わりそうである。
 四十六年九月の公明党の党大会において、梁田弘一議員は「企業で働いている人たちのなかには、既存労働組合のなかで困っている人も多い。いったい、党は民労についてどういう考えをもっているのか、また、組合内の活動は具体的にどうあるべきか、総評、同盟に対してどう評価すればよいか」と疑問を投げかけている。

 これに対して矢野書記長は「基本的には組合員が幸せになり、組合員のためになる新しい組合をつくっていきたいと考えているが、現実には、既存の労組の中に新労組をつくるというのであれば対立と分裂が起こってくる。結局、そのシワ寄せを受けるのは、企業のなかで働いている公明党員であり支持者である。私は、そうした人たちが分裂主義者であるとか第二組合をつくるのかという非難を受け苦しむのは、まことに心苦しい。そういう思いが一方にあり、もう一方にも、現在、労働界の統一への動きが高まっているときに、新労組をつくると労働界にとってマイナスになるのではないかという判断がある」と新労組結成にブレーキをかける趣旨の発言をしている。

 新労組結成の思惑は、明らかに池田会長の誤算であり、既成労組の反撃の強さをみくびったことの結果であったといえよう。まして野党再編といったことをもくろむ以上、しかも現実に社公民共闘をしている以上、社会、民社両党を刺激することはできない。新労組結成は公明党にとってまさに痛し痒しなのである。そして民労結成をなしえなかったことは、学会の組織を発展させるうえで、大きなマイナスの条件となるものであろうことはいまや疑うベくもない。
     ----------(つづく)---------158

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・創価学会を斬る-30

2020-01-27 09:34:25 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
続・創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道・昭和46年(1971年)
       ----------(以下、本文)----------148

◆ 学会・公明党文化工作の“ウルトラC方程式”
  次に創価学会・公明党の宣伝と文化人工作を兼ねる重要なものに出版社がある。そのカナメとなるのは「聖教新聞社」と「潮出版社」である。聖教新聞社は創価学会の機関紙「聖教新聞」をだしており、その発行部教は公称四一一万部といわれる。

 これは日本の三大紙「朝日」「読売」「毎日」に次ぐ発行部数といえる。そ機構は国内に七総局三十二支局をもち、海外は一総局八支局におよんでいる。そして取材記者一、〇〇〇人のほかに、一般学会員を取材に当たらせたりすることもある。紙面は学会関係に関するものと、一般紙が掲載するものとの両者からなっており、週四回は八ページ、残り三回は一二ページとなっている。この新聞を助けるために、「二十一世紀研究会」「近代マスコミ同志会」「現代マスコミ研究会」「近代思想研究会」「東洋研究会」などが協力している(浅野秀満『あすの創価学会』一九四~一九八ページによる)。

 このほか同社は『聖教グラフ』を出しており、その発行部数は公称一〇八万部に及んでいる。この聖教新聞社の幹部が学会幹部によって占められていることはいうまでもない。社主は池田大作、社長は北条浩、編集局長は初代が石田次男で、そのあと秋谷栄之助、青木亨、福島源次郎とつづき、現在は美作房洋である。なお聖教新聞社からは『日蓮大聖人御書講義』、『御義口伝講義』(上・下)、『立正安国論講義』、『創価学会入門』などの仏教関係書、それに出せば必ずべストセラーとなるいわゆる池田大作の『人間革命』などが出版されている。

 ついであげなければならないのは潮出版社である。同社は月刊総合雑誌『潮』、季刊雑誌『日本の将来』を出していて、『潮』の発行部数は公称三七万部といわれ、いまや『文芸春秋』(公称五八万部)につぐ強さをもっている。ところがこの潮出版社なるものは単に出版だけではなく、保険代理業や不動産業までできるようになっており、学会のぬけめなさを示している。社長は島津矩久である。
 なお潮出版社の利益は四十四年には二億一六九万円にもおよんでいるのだから大したものである。とてもまともな出版社ではまねのできない増収益である。

 ほかに東西哲学書院は『牧口常三郎全集』などをだし、鳳書院は秋谷城永(栄之助)の『創価学会の理念と実践』、小平芳平の『創価学会』なども出版している。
 この東西哲学書院は潮出版社が保険代理業、不動産業ができるのと同じく出版以外に保険業や仏具用品の製造販売、化粧品、煙草の販売、軽食喫茶に関するものなど、きわめて手広い営業をすることができるようになっている。この書院の四十三年度の利益は一億三三〇五万円であった。
 鳳書院は三十七年にできたものであるが、ここは割合まともな書籍雑誌制作販売に目的が限定されている。
 新しいところでは新社会研究所があり、『新社会情報パック』という本を四十六年五月から出版しはじめた。設立されたのは四十四年四月であり、さまざまな情報収集、興信業務を行なう機関でもある。
 さらに「総合ジャーナル社」があり、ここでは創価学会文化局の機関誌『文化創造』を発行している。

 創価学会・公明党の出版物としては、機関紙・誌のほかに、定期的に刊行されるものとして『公明グラフ』(三五万)、『公明写真ニュース』、『大白蓮華』(二〇〇万)、『灯台』(七万)、『大学新報』(一五万)、『聖教タイムズ』(一万)、『小、中学生文化新聞』(一五万)などがあり、それに池田大作の、小説『人間革命』(六一七万部)、『家庭革命』(三五万部)、『科学と宗教』(五〇万部)、『私はこう思う』(四二万部)、『わたくしの随筆集』、あるいは日蓮正宗の教義などの仏教関係書が出版されており、その言論活動はまこと驚くベきものがあるといえよう。〈四十五年十一月末〉(浅野、足立、既掲書による)

 第三に文化工作としてつくられた芸能関係の外郭団体をあげる必要があろう。この種の団体としてもっとも著名なのは「民主音楽協会」である。この民音は労音に対抗して創立されたものであり、学会・公明党の宣伝および「折伏」に一役買っている。この民音の舞台には、ほとんどあらゆる音楽家、芸能人が登場し、時には外国から招待された楽団の演奏などもあり、われわれの気持をさそうこともある。そこが学会のつけめであり、音楽や演劇にさそわれ、民音にでかけると、ひとりでに学会のふんいきにとけこむようになる。また民音に出席したのを機縁に折伏攻勢を受けるようにもなる。民音の幹部も創価学会幹部があたっており、現在の代表は北条奏八である。

 ほかに「民主アーチスト協会」「富士吹奏楽団」といったものがある。前者は四十三年七月に結成されたもので、芸能人の組織化をはかったものである。選挙のときに、「公明党支持者」として名前をつらねる芸能人、街頭応援演説などに繰り出される芸能人は、殆どがこの協会に入っている。この協会の代表は阿部憲ー(参議院議員)であり、理事の中には三和完児、伊藤雄之助、二本柳寛、中村雀右衛門、川村深雪、和井内恭子といった人が含まれ、長谷川明男、守屋浩、増田順司、原田信夫、本間千代子、小林哲子など、テレビでおなじみのものも会員となっている。後者の「富士吹奏楽団」は純然たる創価学会内部の組織といってもよい。

 第四には、さまざまの「研究所」と称するものがある。例えば、『アジア文化』を発行している「アジア文化研究所」、『民族文化』を出している「アジア民族協会」、日蓮正宗の教義を研究している「東洋思想研究所」などがあり、その他、数えあげれば枚挙にいとまのないほどである。

 第五には、主婦や学生を対象としたものがある。奥様族の組織化をはかる「主婦同盟」、勤労婦人を対象とする「働く婦人の会」、学生を対象とした「新学生同盟」などである。この中でいささか触れる必要があるのは、「新学生同盟」であろう。学会は学生対策にかなり意を用いているからである。
 「新学生同盟」は四十四年五月三日に池田会長が「学生運動の第三の道」を提唱して以来、学会内で本格的に取り上げられ、十月十九日に結成のはこびとなったものである。これよりさき九月二十五日に結成準備会が開かれたが、その時に当面の学内活動について「全共闘運動の一定の意義は認めるが、バリケードは戦術としても拙劣」「全共闘、民青など、他の学生組織と場合によっては共闘もありうる」「学生自治会は否定しないが、いまの自治会は多分に形がい化しており、新学生同盟から自治委員を送りだすことはしない」「基本的には反戦、反権力の闘争」といった考え方を示している。(「朝日新聞」四四・九・二六)

 十月の結成大会には、全国三三八の大学から七万五千人が参加したといわれ、ゲバ棒、竹ざお、ヘルメット姿が代々木公園を埋めたのである。学会員であるというだけで、スタイルは、いわゆるゲバ学生と少しも変わらない。かって池田会長も、このゲバ姿を喜んだことがある。
 学生部には現在二八万人が所属しているといわれるが、学会の各大学への浸透もかなり著しく、四十五年八月現在で、日大の六、〇〇〇人を筆頭に、中大四、〇〇〇人、法大三、三〇〇人、早大、明大、近大各三、〇〇〇人、拓大一、八〇〇人、関大、専修大、東洋大各一、五〇〇人などとなっている。
 東大や京大にも各七〇〇人いるということである。(浅野、既掲書による)
 人数だけからいえば、民青系学生、全共闘系学生を上回る数だが、各大学の内部では、まだまだそれほど大きな影響力をもっていない。大学生の相場が下がり、知能低劣なのも少なくないが、まだ創価学会にいかれるほどの学生は、それほど多くないのだろう。

 そのほかにも外郭団体はあり、例えば「新文芸評論会議」「第三文明協会」等々がある。そしてこれらは、いずれも学会,公明党の手足として動いているわけである。
     ----------(つづく)---------153

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする