創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

池田の真実-53

2015-05-30 08:18:46 | Weblog

○池田大作・創価学会の真実……原島嵩・日新報道<¥1429-購入>
    誰も書かなかった池田大作……創価学会の真実
    曰本に君臨する男・池田大作の正体
    宗教界を冒浣する教団・組織の実態
    会則変更で学会員を「池田教」へ洗脳
 ────────────────改頁────────227
◆醜い本仏の演出
 私たちかっての側近は、当時、池田の絶対化を推進し、何があっても「池田先生を
お守りする」ことだけを真実の信仰であると錯覚していたのです。
 池田は、昭和五十年ごろから「弟子分帳」なるものをつくり、また幹部に「広宣流
布血脈の本弟子(新弟子)たることを証す」という証書を授け始めていました。そし
て、これを池田から私たちへの「記別」であるとも語っていました。
 日蓮正宗においては、血脈とは「血脈の次第日蓮日興」とあるように宗祖日蓮大聖
人から開祖日興上人に伝えられた「法水」をいうのであり、七百年間、代々の御法
主上人に唯授一人の血脈は流れ、今日に至っています。池田はこれとはまったく別な
「広布血脈」なるものを創作したのです。「記別」というのは、仏が弟子に対し、仏に
なる確証を与えることであり、池田は、明らかに自分が「仏」であるとみずから思い、
他の人々にもそう思わせていたのです。
 池田は「私の側にくると福運がつく」「私と感応しなければ成仏できない」「私の
あげたものには福運がある」等々と述べ、およそさまざまな機会に、自分を本仏化す
るために演出してきました。
「弟子分帳」なるものも、この一つです。みずから仏であるとの我執、我見が、その
根底にあるのです。
 さらに「弟子分帳一の証書を手渡すにあたって、「私が、赤く背きおわんぬ(背
いてしまった)と一度、朱線を入れてそう書けば、もうその人間は生々世々地獄なの
である。もう二度と人間に生まれてこない、ということだ」という趣旨の話を何回か
していました。
 私は当時、厳粛な面持ちで聞いていましたが、いまとなって、池田の謗法の根の深
さに身ぶるいがします。仏でなければ、このようなことは言えません。いや、たとえ
背いた人であったとしてもすべて救うというのが仏の慈悲の精神です。末法の御本仏
日蓮大聖人は「無間地獄の道をふさぎぬ(ふさいだ)」と仰せられ、全衆生の救済を
説かれたのです。また「我れを損ずる国主を最初に導かん」とも仰せられています。
 大聖人を迫害した指導者(国主)を真っ先に正法に導くのだ、との大慈悲に立脚せ
られていたのです。
 その昔、インドにおいても、釈尊は、「入滅にあたっての最大のなげきは阿闍世王
のことだ」といわれています。たとえば、父母の愛はすべての子供に平等であっても、
特に、重病の子には最大の慈悲を注がれるように、釈尊は阿闍世王(父を殺し、釈尊
に敵対した)のことがいちばん可愛いといわれるのです。
 ところが池田は、「いいか!私の言うことを聞け!聞かないと地獄に堕ちるよ!」
と、口ぐせのようにいうのです。創価学会の信仰は、池田に従順であるか、それとも
池田に背いているか、両極で判断されるのです。それにしても「私が一度朱線を人れ
て書けば、もう二度と人間に生まれてこない」などというのは、宗教が精神の世界で
あり、とくに、三世の生命を信ずる私たちにとっては、世間の脅迫以上の厳しい言葉
です。もはや、脅迫罪などというものではありません。成仏を志す私たちには、それ
は死刑の宣告以上の鋭さをもっています。死刑は今生だけのことですが、永遠に人間
として生まれてこられないというのは、それ以上の厳しい宣告だからです。
 これに比較して、戸田二代会長は何といわれているでしょうか。
「罰論を説くに当たっても、教えるという態度でなくてはならぬのに『私の言うこと
を聞かなくては罰が当たる」等と、さも自分が仏になったような─醜い至りである。
 罰のよってきたるところ、貧しきわれらの境遇を諄々と説き、尊極無上の御本尊を
讃嘆し、救わるるはこれだけであるということを説くべきである」(「折伏の心がけ」
昭和二十八年三月三十日)
 池田大作は「私の言うことを聞かないと地獄に堕ちる」「私が背きおわんぬ、と朱
を入れれば地獄に堕ちる」と言い、戸田会長は「『私のいうことを聞かないと罰が当
たる』等と、さも自分が仏になったような─醜い至りである」と戒告されています。
 これではまったく逆です。池田には、自分の恩師の言葉が耳に入らないのでしょう
か。私には、池田の姿が醜く映じてなりません。
 ────────────────改頁──────231--つづく──

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池田の真実-52

2015-05-30 08:15:15 | Weblog

○池田大作・創価学会の真実……原島嵩・日新報道<¥1429-購入>
    誰も書かなかった池田大作……創価学会の真実
    曰本に君臨する男・池田大作の正体
    宗教界を冒浣する教団・組織の実態
    会則変更で学会員を「池田教」へ洗脳
 ────────────────改頁────────224
◆『真実の証明』の池田破折
 御法主日顕上人は、戸田二代会長と池田大作の違いについて、ご自身の著『真実の
証明』のなかで、次のように記されています。
「牧ロ氏の後を受けて第二代会長に就任した戸田城聖氏は、仏法上の謗法(正しい仏
法に背くこと)に対する断固たる信念には強いものがあり、また様々な人生生活を下
積みから過ごした苦労人であったから、個人的な面では率直にして、わだかまりのな
い人柄で、池田大作の如き自我の偏執による傲慢さはなく、自らの誤りは潔く認める
素直さがあつた。
 昔、私と出席していたある会合の後に、宴席になった折、当時宗門の東京方面の宗
務支院長をしていた僧侶が宴席の傍らで戸田氏に対し学会の行き過ぎた行動に抗議し
たところ、戸田氏は話を聞き終わると両手を畳について頭を深く下げていた光景が、
今も思い出される。
 また戸田氏によつて中国地方に一寺院が建てられた時、その親修をされた総本山第
六十五世日淳上人に対し、戸田氏は『創価学会が将来、宗門の内政に干渉したり、宗
門に圧力をかけた時は、どうか直ちに創価学会を解散させて下さい』とはっきり申し
述べた。創価学会とは、宗門の七百年来護持し来った正法を信仰し、護り、弘める団
体であり、宗門から離れて別個に存在するものではないという戸田氏の信念が、この
ような言葉になつて出たのであろう。
 また戸田氏は、『わたしたちは、無知な人々をみちびく車屋である。迷っている人
があれば、車に乗せて、大御本尊様の御もとへ案内していくのが、学会の唯一の使命
である』とも言っていた。そこに戸田氏には根本的な心構えとして、仏法における総
本山に対する誠心と謙虚さがあったことが窺われる。─中略─戸田氏亡き後、越えて
二年後の昭和三十五年五月三日に会長となったのが池田大作である。池田は戸田二代
会長の残した会長絶対体制に作り上げられた組織に、極めて自然に乗り移ることに成
功した。それからは、戸田氏の作り上げた創価学会独自の会長絶対崇拝の思想が根づ
く中に、組織は逐次発展を遂げていった。
 このような因縁から、学会員、特に婦人部による極端な池田礼讃は、本来の日蓮正
宗の御本尊よりも池田に帰依する信仰のような奇妙な流れとなり、創価学会はこのい
びつな中で、会員獲得と活動を展開した。御本尊を、現世利益的傾向の強い体験や実
証のあり方と学会員の妄執たる池田礼讚信仰とが相俟つて、いつの間にか会長絶対思
想、会長のためには水火をもいとわないという姿に変質し、正しい信仰からいえばま
ことに異端的団体が巨大化していつたのである。
 その中にあつて池田大作の世俗的な贅沢や我がままは止まるところを知らず、今ま
でも世の種々の出版物に書かれている如き様々な事柄をやりたい放題にやつてきた。
 しかるに世間の批判も何のその、池田は常に組織内にあって生殺与奪の権を持ち、
内部の幹部会員は生活のためにも常に池田を護ることを余儀なくされている。池田の
実体を知らぬ一般会員は、ただ見境もなく池田絶対の信仰により池田を守ることしか
考えぬあり様で終始している。
 仏法を我執と我見によってもてあそぶ池田の性癖は、先師日達上人の時代、数回に
わたって大きな問題として取り上げられた。池田はその度に、形だけの反省懺悔を繰
り返したのであつたが、昭和五十四年四月、創価学会会長の職を辞任するに至った。
 さらに、日達上人のもとで、一旦は法華講組織の最高の地位である総講頭に就任し
ていたが、これをも辞任して、名誉総講頭になった。
 まことに、ここに日顕上人が、創価学会の過ちを「本来の日蓮正宗の御本尊よりも、
池田に帰依する信仰のような奇妙な流れ」「学会員の妄執たる池田礼讃信仰」「会長
絶対思想」「仏法を我執と我見によってもてあそぶ池田の性癖」等と示されたことは、
創価学会問題の根本を明確にされております。
 ────────────────改頁──────227--つづく──

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池田の真実-51

2015-05-28 08:50:24 | Weblog

○池田大作・創価学会の真実……原島嵩・日新報道<¥1429-購入>
    誰も書かなかった池田大作……創価学会の真実
    曰本に君臨する男・池田大作の正体
    宗教界を冒浣する教団・組織の実態
    会則変更で学会員を「池田教」へ洗脳
 ────────────────改頁────────217
Ⅳ 本仏を粧う池田の本質
◆宗門支配の画策
 戸田城聖第二代会長は、「今後、広宣流布にあたつて創価学会が大難を一身に受け、
総本山に累が及ばぬよう外護の任にあたる」との趣旨で、宗教法人の設立を、宗門に
願い出たはずです。どこまでも総本山を根源の地として守りぬき、絶対に犠牲にさせ
てはならない。すなわち学会が大難を受けて、総本山を外護するということでした。
学会のために総本山が犠牲になるとか、日蓮正宗もインチキ宗教だとか、学会がすべ
ての主体であるというにいたつては、もはや宗教法人設立の基盤を崩壊させることで
あり、池田のこれらの発言が本心であるなら、創価学会は日蓮正宗から離れて独立す
るか、宗教法人を解散することが当然の筋道というものです。
 いまにして、昭和四十九年に日達上人が仰せられた「日蓮正宗の教義でないものが
広宣流布しても、それは広宣流布にならない」との強いご決意が、私の心に甦ってき
ます。
 すでに有名になっている、昭和四十九年の「山崎・八尋文書」「北條文書」も、こう
した池田の発言と軌を一にしていました。現在、池田創価学会は破門されていますが
その遠因は、この頃すでにあったのです。
 昭和四十九年四月十二日の「山崎・八尋文書」では、
「今後の私達の作業の進め方について。
 本山の問題については、ほぼ全容をつかみましたが、今後どのように処理して行く
かについて二通り考えられます。
 一つは、本山とはいずれ関係を清算せざるを得ないから、学会に火の粉がふりかか
らない範囲で、つまり、向こう三年間の安全確保をはかり、その間、学会との関係で
はいつでも清算できるようにしておくという方法であり、
 いま一つは、長期にわたる本山管理の仕掛けを今やっておいて背後を固めるという
方法です。本山管理に介入することは、火中の栗をひろう結果になりかねない危険が
あります。
 しかし、私の考えでは、本山、正宗は、党や大学、あるいは民音以上に学会にとっ
ては存在価値のある外郭だと思われ、これを安定的に引きつけておくことは、広布戦
略の上で欠かせない要素ではないかと思われます。こうした観点から、後者の路線で
すすむしかないように思われます。そのための布石としては、
(1)本山の事務機構(法人事務、経理事務の実質的支配)
(2)財政面の支配(学会依存度を高める)
(3)渉外部の支配
(4)信者に対する統率権の支配(宗制・宗規における法華講総講頭の権限の確立、
   海外布教権の確立等)
(5)墓地、典礼の執行権の移譲
(6)総代による末寺支配
 が必要です。これらの事は機会をとらえながら、さりげなく行なうことが必要であ
り今回のことは、(1)(2)(3)を確立し更に(4)まで確立できるチャンスで
はあります。
 いずれにせよ、先生の高度の判断によって決せられるべきと思いますので、ご裁断
をあおぐ次第です」
と綴られています。これは、創価学会は本山から分離独立して池田教、創価学会教を
作るか、それとも本山を実質的に支配して乗っ取りを計るか、いずれかの道を講ずべ
きであると池田に献策しているのであって、あとで述べる「北條文書」と並んで恐る
べき背信謗法の陰謀の文書です。
 このなかに、宗門を公明党、創価大学、民音等の外郭団体であるとの認識が書かれ
ていますが、これこそ池田や学会首脳の根本的な考え方だったのです。まさしく、学
会が主、宗門が従という本末転倒の発想です。ここには、創価学会が日蓮正宗の信徒
団体であるとの認識は、露ほどもありません。
 また、日蓮正宗を学会の支配下に置く=宗門を乗っ取るという計画は、正宗七百五
十年の歴史に類例をみない不遜きわまる陰謀であり、そこには日蓮正宗の信仰は微塵
も見られません。宗制・宗規における法華講総講頭の権限の確立は、要するに学会も
宗門の僧俗も、池田の指導下に置こうとするたくらみであり、池田の絶対化、本仏化
をさらに徹底する意図にほかなりません。墓地典礼の執行権の移譲をはかるというの
は、正宗の化儀、寺院,僧侶の蔑視または否定であり、すでに昭和五十二年路線の準
備は着々と整えられていたのです。
「北條文書」は、昭和四十九年五月十日付と、同年六月十八日付と二通りあります。
五月十日付のものは、その前日の九日に日達上人にお目通りしたときのことを記した
ものです。そのなかで、
「先生が前々から見抜いておられた本質がさらけ出されたように思いますが、あまり
にひどいので、かえすがえすも残念です。
 広宣流布など全く考えていない、自分たちの私財がふえることと、信徒を見下して
えばって暮らせれば満足という風にしか考えられません。
 学会が生きぬいてゆくためには、相手に信心がないのなら、うまく使ってゆくか、
徹底的に斗って、学会の旗を守って死んでゆくか、いずれにせよ、先生の最大のご苦
心にふれる思いで、決意をかためました」とあります。
 また六月十八日付のものでは、
「広布の前途を大きく開いて帰国された先生に、このような報告を申し上げることは、
洵に残念なことであり、且つ申し訳ない限りでありますが、報告を怠ってご判断をあ
やまらせてはより以上重大なことと思い、中西、秋谷、山友と相談の上ご報告申し上
げます。また、私たちなりに検討しました対策もしたためますので、ご指示賜りたく、
その上で私ども、いかなる事なりとも斗う所存です。かねて先生の仰言っておられた
通り、私たち到底想像することの出来ない、みにくい姿であります。いずれにしても、
私たちは、断固たたかいぬく決心です」
「4、状況判断
G(猊下)の心理は、一時的なものではない。今こんな発言をしたら、宗門がメチヤ
メチヤになつてしまうことも考えないのではないか。困るのは学会だと思つているの
だろう。
宗門は完全な派閥で、G(猊下)と総監とは主導権争いになっているのではないか。
長期的に見れば、うまくわかれる以外にないと思う。
本質は、カソリックとプロテスタントのような違いである。
 戦術的には、すぐ決裂状態となることは避けて、早瀬理事とのパイプ(山友、八尋
が話し易い関係にあります)を太くするとか、当面G(猊下)の異常心理をしずめ、
新しい進路を開きたいと考えます。
 但し、やる時がきたら、徹底的に斗いたいと思います。
 以上、甚だ要をえないご報告で恐縮ですが、口頭で申し上げる時を賜らば、その時
にご報告申し上げたいと存じます」とあります。
 この「北條文書」に流れているものは、御法主上人に対しても「相手に信心かない
のなら」と述べているように、創価学会にのみ信心があり、宗門には信心がないとい
う発想によつています。創価学会は日蓮正宗の信徒団体との意識はさらさらありませ
ん。また「先生が前々から見抜いておられた本質」ともあるように池田は、首脳に対
して、つねづね宗門を否定していたのです。実際、私も池田が、何回も何回も猊下や
宗門のことを口汚く罵っていたことを聞いています。「山崎・八尋文書」も「北條文
書」も、こうした雰囲気のなかで書かれたものです。池田は、正本堂建立以後「これ
で宗門のことは終わった」とし、広布第二章をかかげて「創価学会万代路線」を敷い
たのです。つまり「宗門にはできる限りのことをやってあげた。あとは創価学会を万
代にわたって盤石にするのだ」と言って、実質“池田教”の旗揚げをしていたのです。
それが、「五十二年路線」につながっていったのです。
 よく、「五十二年路線」を宗門支配か、それとも一宗一派としての独立にあったのか
と言われますが、創価学会にとってプラスになる宗門に対しては宗門支配、その宗門
が学会に乗っ取られないようなものであれば、一宗一派の独立路線を歩むということ
でした。「北條文書」の「うまく使う」とか「徹底的に戦う一かのどちらかだというの
は、この事実をよく物語っています。北條副会長の方は、猊下に向かって、「帳簿(宗
門関係の金の出入りを記した文書)を見せなければパーだ。手を切る」と語ったそう
ですが、これなどは、根底に宗門を排斥する考え方です。池田はどちらかといえば
「山崎・八尋文書」にあるように、宗門支配路線に傾いていたのです。後に、昭和五十
四年ごろ、池田は私に「とにかく北條さんはすごかった。宗門を切れ、切れとさかんに
言っていた」と語ったことがあります。
 もしも、この頃、戸田城聖第二代会長が存命であれば、池田・北條をはじめ首脳を
即座に除名したことでしょう。
 ────────────────改頁──────224--つづく──

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池田の真実-50

2015-05-28 08:25:57 | Weblog

○池田大作・創価学会の真実……原島嵩・日新報道<¥1429-購入>
    誰も書かなかった池田大作……創価学会の真実
    曰本に君臨する男・池田大作の正体
    宗教界を冒浣する教団・組織の実態
    会則変更で学会員を「池田教」へ洗脳
 ────────────────改頁────────213
◆投票所襲撃事件
 創価学会の謀略性、暴力性をよく示すものとして、昭和四十四年七月に起きた東京.
練馬区の投票所?撃事件があります。一般に「練馬事件」と呼ばれています。
 その年の七月十三日は、東京都議会議員選挙の投票日でした。投票時間終了後、練
馬区第四投票所にあてられた豊玉第二小学校で、投票所を百数十人の創価学会員が取
り囲み、投票所立会人を床に土下座させ、四時間半にわたり吊し上げたうえ、駆けつ
けた選管委員に殴る蹴るの暴行を加えるという、日本では前代未聞の投票所襲撃事件
を起こしたのです。
 この事件は、その事態の深刻さからいって重大な問題であったにもかかわらず、な
ぜか一部を除いてマスコミも沈黙し、これまでも大新聞は取り上げていません。
 投票時間を二分以上過ぎて投票所に現われた男女二人に投票させなかったことを理
由に、押し寄せた創価学会員によって、さながら無法地帯のように暴力をふるわれま
した。この時の目撃者の証言はリアルです。
「選管委員の渕上さんがなぐられ、口の周りをまっ赤にしていたあの姿……忘れよう
と思つても忘れられないおそろしい光景だつた」
「創価学会の人たちは何十人もが目をつり上げ、唇にあわをため、女性二人をふくむ
四人の選挙立会人を四時間にわたつてつるし上げたのです。四人の立会人の中には七
十歳のお年寄りもいました。『お前ら、創価学会にたいして申し訳ないと思わんか!
土下座してあやまれ』といって、体育館の床にすわらせてこづきまわすのです」
「いっていることが無茶苦茶なんです。自分たちが遅れてやってきたのに「投票を拒
否されている二人の生活をだれがみるんだ。生活の保障をすると、この場で一筆書
け!』と…」
 この練馬事件の首謀者が、のちの公明党書記長・市川雄一です。市川は当時、青年
部参謀室長でした。参謀室長という役職に就いたのは、池田大作以外には、市川ただ
一人です。
 この事件と、昭和三十三年に起きた池田参謀室長の僧侶リンチ事件と何と酷似して
いることでしょうか。また、昭和五十二年に、池田の指示によって原田稔青年部長、
野崎勲・男子部長(いずれも当時)らが次々と起こした僧侶吊し上げ事件も、暴力性
という点でこの練馬事件とまったく共通しています。
「土下座しろ!」「創価学会に詫びろ!」「一筆書け!」-選挙手続きの厳正・公平
を守ろうとした立会人や選管委員に暴力を加え、土下座を強要した彼らの理不尽な罵
声。市川は池田の後継者であるとの自覚に立ち、暴力を断行したのです。
 昭和五十二年の原田、野崎らの行為も、池田大作の会長職の後継者として忠誠の証
しのために、池田の指示に従ったのです。
 ともかく、この練馬事件もまた長いあいだ、闇から闇に葬り去られていました。こ
んな民主主義の根幹を破壊するような大事件が、なぜほとんど問題にされないまま、
立ち消えになったのでしよう。
 内藤国夫は市川について語ります。
「もう時効になった話だが、昭和四十四年、東京・練馬区内で発生した投票所襲撃事
件の首謀者。組織ぐるみの犯罪で、警視庁から指名手配寸前の危機に追い込まれた。
公明党首脳らが警視庁首脳部に圧力をかけ事なきを得たが、政治責任に時効はない」
(「創価学会スキャンダルウォッチング」日新報道)
 市川は、その後、順調に公明党の衆議院議員に昇進。池田は、一時、将来の公明党
委員長に市川を据えると語っているし、市川に「新弟子証」の№7(数字の7は創価
学会では特別の意味をもっている)を与えています。結局、池田は警察権力に働きか
けて「参謀室長・市川雄一」を逃し、自らに累が及ぶことを全力で防いだのです。そ
こには犯罪に対するする罪の意識はさらさらなく、その後の待遇をみれば、かえって
「市川はよくやつた」とする池田の意思が働いているようにさえ思われます。
 ────────────────改頁──────216--つづく──

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池田の真実-49

2015-05-26 21:26:14 | Weblog

○池田大作・創価学会の真実……原島嵩・日新報道<¥1429-購入>
    誰も書かなかった池田大作……創価学会の真実
    曰本に君臨する男・池田大作の正体
    宗教界を冒浣する教団・組織の実態
    会則変更で学会員を「池田教」へ洗脳
 ────────────────改頁────────206
◆あらゆる謀略を使う創価学会
 昭和四十年代前半、創価学会には言論部が結成されました。言論部というと聞こえ
はいいですが、「創価学会・公明党のための世論形成」「いざ鎌倉のときに立ちあがる」
「月二回ぐらいの投書活動」〈S42・7『前進」市川雄一言論部長)が目的でした。なお、
驚くべきことに、この市川論文には朝日、毎日、読売、産経、東京などの新聞の一ケ
月の投稿総数や内容まで記されており、マスコミの内部情報も入手していたことがう
かがいしれます
 つまり、言論部は、実際には学会=池田批判者へのイヤガラセの投書を書いたり、
電話をかけたりする部門でした。全国の会館や拠点に、それぞれ百人以上の幹部を集
め、波状的に投書戦術、電話戟術を行なわせました。ィャガラセ、脅迫の執拗な攻撃
によつて、相手を根負けさせ、「創価学会には二度と関わりたくない」という嫌気を起
こさせるためです。『創価学会を斬る』の著者の藤原弘達氏へのミカン箱十箱分の投書
は、この言論部員の活動によるものです。
 こうした戦術は、言論出版妨害事件以後も、巧妙な形で続けられました。
昭和五十七年に『サンデ?毎日」誌上に、山崎正友、それに私、内藤国夫を批判する野
崎勲手記が掲載されましたが、そのとき創価学会は、それに支持の投書を送るように
指示する「本部通達」を出しました。その内容は、創価学会が組織をあげて、しかも
非会員を装わせ投書をするというものでした。この内部文書は私も入手しており、相変
わらずの創価学会の謀略体質が明らかとなりました。むしろ、創価学会中枢が直接手を
くださないようにするだけに陰湿となつています。
 反池田とみた人間や勢力に対しては、時として検察、警察の力を借り、時には宗門
を利用して、抹殺を図ろうとする。小冊子や第三者を装ったマスコミを使い、さらに
は組織を通じた口コミによつて、反池田の人間を徹底的に悪人に仕立てるのです。
「魔」「地獄へ行く」というレッテルを張り、それは、あたかも戦前の「非国民」の
レッテル張りと同じです。
 さらには、造反者に対する迫害は、商売や家庭の破壊工作、経済封鎖にまで及んで
います。例えば「あの八百屋で買った野菜が腐っていて食中毒を起こした」「あの店
では有害な薬品を扱つている」などとウワサがウワサを呼ぶようにするのです。
 池田は、ウワサを大切にします。自分がどのように世間でウワサされているか神経
質に気にする人間だけに、敵対者を攻撃するのにも、口コミでウワサをふりまくこと
に力を人れるのです。
「公明党は伸びるという噂だが、噂程すごい事はない。コンクリートも何回も何回も
塗り込められて、初めて使いものになる」(S44・11・23社長会)
 それが、ウソで塗り固められたウワサであってもよい。池田にとってプラスになる
ことが大事なのであって、真実かどうかは関係ないのです。
 昭和四十四年の衆院選の際には、東京八区の中川嘉美(公明党)の選挙活動員が、
「対立候補の山田久就が脳溢血で死んだ」というデマを流して投票依頼をし、虚偽事
項公表罪で逮捕されました。前述した池田の「対立候補が……」と何とよく似た事件
ではないでしょうか。
 口コミの怖さは、それが謀略として用いられた時には、思いもよらない社会的悲劇
を生む場合があることです。関東大震災の朝鮮人虐殺は「朝鮮人が暴動を起こして…」
という流言飛語から始まつています。
 さらに昭和五十二年に、大阪・豊中市で起きた共産党演説会への「ニセ一一九番事
件」も同じ構造をもっています。
 池田大作の謀略性は、公明党と検察・警察両首脳の談合を通じて威力を発揮します。
池田が、一番最初に“味”をしめたのは、昭和四十年七月の参院選挙違反事件の時で
一般には、昭和四十三年の参院選における集団替え玉事件が有名ですが、それに先
立つ三年前にも、実はもみ消し工作が行なわれました。
 大がかりな創価学会の選挙違反が、このときにもありました。三重地検により違反
事実がキャッチされ、逮捕者は十数人に及びました。創価学会の県本部責任者や当選
者の小平芳平にまで、捜査の手が伸びようとしていました。公明党からは、参院法務
委員長の和泉覚、都議会からは幹事長の竹入義勝、竜年光、そして大野潔らが三重に
飛び陣頭指揮をとりました。当時、公明党は参院法務委員長のポストを独占し、都議
会のキャスティング・ボートをにぎつて、警視庁に圧力をかけられる権威をもつてい
ました。結果的に選挙違反摘発にストップがかかり、創価学会は事なきを得たのです。
 池田は、この時非常に喜び「くだらない事件であるが、将来起きてくる事件を未然
に防いでいるのである。この事件に携わった丁(竹人義勝)さん、0(大野潔)さん
は広布になくてはならない人材に成長する。今、やっているのは訓練だ」(「前進」
S40・11号)と述べていますが、公権力を利用することの強さを、この時改めて実感し
たのです。
 同じ頃、東京・大田区のデパート「ダイシン百貨店」が、創価学会員を解雇したと
の理由から、攻撃の的にされました。
 竜年光都議らは、地元の消防署に「消防法の落ち度をつけ」と圧力をかけました。
デパートは、突如として消防署の査察を受けました。次に保健所への圧力。保健所も
食品売り場などを点検。さらに警察への圧力。デバートの看板が道路交通法違反だと
されました。念が入ったことに?務署へも圧力をかけ、脱税はないかと目を光らせま
した。
 こんなふうに公権力を利用されては、ひとたまりもありません。デパート側は、解
雇した学会員店員にやむなく特別待遇を与えました。
 池田が、得意絶頂の面もちで、みずから「日本の最高権力者となる」と宣言したの
も、昭和四十年のこの時のことでした。
 勢いに乗った創価学会は、昭和四十三年七月の参院選で集団替え玉投票を強行しま
した。当時の新聞は「投票入場券十万通消える。大量の不正投票か」と報じましたが、
このうちの大多数が創価学会員による不正投票でした。
 なかでも新宿区の選挙違反は悪質で、組織的、大規模なものでした。この時の同区
の選挙総司令は八矢英世(当時、総務)でした。事件の全貌については省略しますが、
これが内部告発された昭和五十五年当時、秋谷栄之助(当時、副会長)は、「これが
氷山の一角であるかのごとく宣伝するのは、大変な誤り」「本部が替え玉投票を指示
するなど、とんでもない」(『聖教新聞」S55・6・28付)として、ほんのひとにぎりの
人間の暴走であると、責任逃れの弁解をしました。たしかに有罪判決を受けたのは数
人にとどまりましたが、これもまた公明党が事件のもみ消しに動いたためです。
 池田語録には、はっきりと、選挙違反の首謀者が八矢英世であったことが記録され
ています。
「八矢君の今回の失敗は前回の区議選の時、正論を言っていられず、秋谷が失敗した。
その戒を自分の戒としてやれば、こんな事はない。慎重な反面、傲慢な面がある」
(S43・9・11社長会)
「今年度の採点、田中さんは一億の借金で丙、八矢さんは選挙の件で丙」(S43・12・17
社長会)
「新宿の選挙違反事件等は、絶対にいけない。八矢は、アブノーマルな点が心配だか
ら、絶対にいけない」(S47・2・4社長会)
 しかし、八矢は選挙違反が露見したためにたしなめられただけであって、その後も
池田から重用されました。のみならず池田は、「今回の闘いは本当によくやつた」
「東京から参謀級を相当やった。兵庫には五十名入れたが、九州は飛行機で辻、星野、
藤原と十名だけやった」「今度の勝利は信心の団結の勝利だ」「一年間で百十万
(票)も伸びる党は無いよ。すごいものだ」(いずれもS43・7・ 8社長会)と、みずか
ら参院選の総指揮をとつたこと、そしてその結果の勝利に酔いしれていました。
 しかも、「警察だって動かしているのは竹入、井上だよ。竜なんかおどかすだけで
味方にならない。竹入の一声だよ」(同)と竹入義勝(当時、委員長)をもちあげ、
警察権力も意のままに動かせるという自信を披瀝していたのです。
 ────────────────改頁──────213--つづく──

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