創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価学会を斬る-2

2020-12-31 07:52:34 | Weblog

  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
 創価学会・公明党による言論出版妨害事件を風化させてはならない
     (本文中の色文字・下線・太線=兼ブログ主編)
 ・この世に、神や仏は存在しない!! 絶対に存在しない!!
 ・思想・信条・言論・出版等の自由での多数決が、民主主義である!!
 ・自由での民主主義が絶対ではないが、これに代わる制度はない!!
 ・創価・公明は、自由・民主主義の真逆なので絶対悪なのだ!!
      -----◇-----◇-----◇-----
   <この日本をどうする 2> --言論出版妨害事件--
 創価学会を斬る 藤原弘達 著 日新報道出版部 昭和44年(1969年)
     --目次は第2回目に掲載--
    ------(P.1)---(以下、本文)-------
  目 次
まえがき
第一部 実態--これが創価学会の正体だ
 1.恐るべき創価学会の本質
  「マキアベリスト」たちの集団か/
   徹底した“ご都合主義”集団/
   創価学会における内面的分裂症状/
   “折伏”という奇妙なる説得方法/
   状況次第でクルクル変わる“創価学会”

 2.創価学会的政治主義とは何か
   創価学会ペースの政治/
   ガンジガラメの組織形態/
   創価学会の成り立ち/
   戸田城聖的段階の学会のイメージ/
   “七年目”の飛躍とジンクス/
   創価学会発展の社会的背景とその手ぐち/
   “立身出世欲”を最大限に利用、刺激する

第二部 分析-その病理を衝く
 3.そもそも宗教をなんと心得るか
   宗教とは何か/
   政治と宗教の分離は自明の大原則/
   政教は協力しても混淆してはならない

 4.創価学会・公明党七つの大罪
  (1)公明党は創価学会の罪の“落とし子”である/
  (2)アナクロニズムの罪/危険をはらむ盲目的服従/
  (3)他人を「ノロウ」ものの罪/はなはだしい人間性への冒涜/
  (4)人を惑わす八方美人の罪/著るしい虚妄と方便/体質は保守-宗教は元来保守的である
  (5)思考停止、愚民化誘導の罪/いつもお祭り騒ぎの“演出”と“施策”/
  (6)バカバカしいほどの「虚業」繁昌にすぐるの罪/罷り通る“ゴリ押し議員”/
  (7)強きをたすけ、弱きをくじくの罪/キャスティング・ボートを握らんがための右顧左眄
      学会と公明党とを切断するべし

 5.創価学会の天皇・池田大作と幹部たち
   オールマイティな人間像のデッチ上げと神格化/
   池田「天皇」をとりかこむ「忠臣」たち/
   竹入-矢野の二人三脚/
   池田と幹部と会員の断層

第三部 展望-その危険なる未来
 6.創価学会はどこまで伸びるか
   飛び交う限界説を分折する/
   議席は増えたが伸張率は鈍化した

 7.党勢拡大へのためのさまざまなる新組織
   新労組結成にふみきる/
   既成労組は無視戦術/
   自民党顔負けの公明党後援会組織づくり/
   “第三の全学連”も結成

 8.強引きわまる公明党選挙作戦
   複雑微妙な各党の思惑/
   衆議院選挙で果たして倍増なるか/
   公明党は政界における一服の清涼剤になりうるか

 9.公明党の政治的主張を裸にする
   安保--段階的解消というが……/
   即時無条件返還は主張するだけで可能なのか

 10.公明党の目指す政治体制は何か
   「完全中立」という虚像/
   政党政治をなんとみているか/
   低迷するイギリス経済を範にするのか/
   実現できる政策を説け

 11.公明党は果たして政権をとれるか
   二〇年後に政権をとるというが……/
   池田会長政界登場の可能性を探る/
   政権など獲得されてはたまったものではない

 12.創価学会・公明党で日本を救えるか
   公明党は政党らしく目標とする政治体制をはっきりさせよ/
   創価学会・公明党の存在理由をどこに求めるか/
   創価学会・公明党は民主主義の敵である

あとがき
     ----------(つづく)---------11

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創価学会を斬る-1

2020-12-30 08:58:56 | Weblog

  --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
 創価学会・公明党による言論出版妨害事件を風化させてはならない
     (本文中の色文字・下線・太線=兼ブログ主編) 
 今回から、このブログの原点である…創価学会を斬る・藤原弘達…です。
・藤原弘達の警告から五〇余年!! 警告的中・自公一体政権から二〇年!!
・小泉・阿倍そして菅の偽善政権!!…この政権のバイキンは創価公明!!
・司法・立法・行政の三権にマスコミ(不作為・沈黙)で四権癒着!!
・米国がクシャミすれば、日本は風邪をひく!!…日本の政局も動乱か?
・真実こそ 闘う勇気の 源泉である!!…(続・創価学会を斬る・藤原)


  <この日本をどうする 2> --言論出版妨害事件--
 創価学会を斬る 藤原弘達著 日新報道出版部 昭和44年(1969年)
        --目次は第2回目に掲載--
    ------(P.1)---(以下、本文)-------

◆ まえがき
 十月始めのある朝早く、まだべッドにいた私は突然の電話に起こされた。
 電話口にでてみると、政府与党の最要職にある有名な政治家からの電話であった。これまで私は、マスコミでは何度も会って話していたが、その政治家と電話でヂカに話したことは一度もなかった。なぜ、そんな電話をかけてきたのか、といってきいてみると、私がここに出版しようとする「『この日本をどうする』第2卷・“創価学会を斬る”という本を出さないようにしてくれ、という公明党竹入委員長からの強い要請・依頼をうけての早朝電話である」ということであった。要するにその趣旨は、「ひとつなんとか執筆を思いとどまってもらえないものであろうか」ということである。

 もうすでに、それまで、公明党の都議会議員やまた多くの創価学会会員は、予告広告したにすぎない『創価学会を斬る』というこの第2巻を出させまいとする圧力を、さまざまな形で私や出版社にかけてきた。「題名をかえろ」とか、「出版時期が総選挙の前なのでまずいからこれをずらせ」とか、また「出版に要する経費は当方で負担する」とか、さらには「みせかけだけの出版をして、残りは当方が全部買いとるから書店に並べないようにしてほしい」とか、実にさまざまな勧誘や圧力がかかってきていたのである。
 この本は、そういう苦難の中から生まれてきたものである。まさに「難産の子」であるといわなければならない。私が、敢えて“創価学会を斬る”というテーマのもとに、創価学会・公明党をできるだけ国民大衆の皆さんにわかり易く批判し、その問題点をえがくにいたったのは、創価学会や公明党がカンぐるように、特定政治勢力に頼まれたり、反創価学会とでもいえるような宗教勢力の依頼によって、ペンをふるったわけでは毛頭ない。
 私が一個の言論人として、また政治評論家として、政治学者として、日本の政党政治、民主政治の前途を考えた場合、なんらかの意味においてこの創価学会・公明党という存在に対する対決を回避しては、日本の議会政治、民主政治はとうてい健全に育たないという強い確信をもったからにほかならない。

 私はすでに創価学会・公明党について、いろいろな機会に、分祈したり解明した論文を発表し、テレビ、ラジオでもこれをとりあげ批判をしてきている。批判する度に、多くの創価学会会員から、中傷をまじえた反論を度々うけているし、公明党関係の出版物や聖教新聞は、私を名指しで反論することもまた度々であった。その意味において、私と創価学会・公明党との間は厳しい相互批判関係にあったことは紛れもない事実である。

 私は、公明党がこれまで非常な勢いで伸びてきた事実を率直に認めるものであり、また創価学会の中に、そういう大衆を組織するにたるだけのエネルギーがあることも決して否定するものではない。そういう点はそれなりに私は評価し、日本の既成努力の無能と怠慢を厳しく批判し、創価学会の進出によって日本の政治がどうかされるまえに、日本の既成政党自体がもつ病理にメスをふるい、政党政治、議会政治への姿勢を正すことの必要を常に訴えてきたものである。しかし、残念ながら、そういう批判の成果があまり現われないうちに、公明党の政治進出による創価学会の政治的影響というものは、日を追って大きくなりつつあるといわなければならない。
 この段階において創価学会・公明党のあり方を本当に厳しく批判する言論というものが、学会や公明党の圧力によって国民大衆の前に現われないとしたら、まさに「日本の民主政治危うし」といわなければならない。

 言論・出版の自由のないところ民主主義はありえない。チェコの現状を憤るだけの人が、なに故に創価学会・公明党の行なうこの言論に対する卑怯きわまる圧力に対し、厳しい戦いを行なわないのか。私は、創価学会・公明党と誼しみを通ずることによってしだいに筆を曲げていった多くの言論人や評論家の姿を知っている。まことにこれを遺憾と思うものの一人である。
 また商業主義に堕落した日本の一部マスコミは、この創価学会・公明党の圧力とファナティシズム(狂信主義)を恐れ、これをタブーとし、クサイものにはフタをしてできるだけ批判を避け、ふれないようふれないようとしてきた事実もまた紛れもないところといわなければならない。こういう傾向こそ、まさに創価学会・公明党をつけあがらせ、目的のためには手段を選ばないマキアベリスティックな行動を当然視させ、不当な圧力を自由なる言論にかける不遜な態度にださしめる背景であるといわなければならないのである。

 その意味において、いまや創価学会・公明党は「民主主義の敵である」「自由な言論の敵である」と私は断せざるをえない。
 そういう中で、いろいろな圧力に屈せず、誘惑にも負けず、私の問題意識を正しく理解し、この本の出版をここまで進めてくれた日新報道というまこと小さな出版社の若い社長綿秡幹夫君、編集の皆川隆行君、遠藤留治君等々の努力と熱意と正義感を深く多とするところである。また、私の十年余の学友である明治大学富田信男教授も、この本の出版に当り、絶えざる友情をもって協力してくれたことを付記しておこう。

 ともあれ、私はこの書を世におくる。いかに広告宣伝機関がこの出版の広告を断わろうと、新聞がこの広告を載せまいと、われわれはこの本を世におくるのである。盲千人目明き千人というが、一億国民の中で創価学会七百万世帯などはまさに吹けば飛ぶような存在なのである。不当に恐れてはいけない。
 私の訴えたいのは、まさに十人に九人の正しい理性的で自由なる判断力をもつ国民大衆の皆様である。そういう人々に、創価学会・公明党を認識し、批判し、なおかつ批判だけでは足らない戦う勇気をもつことの必要性を、この書を通じて強く訴えたいと思うものである。
  一九六九年一〇月               藤原弘達
     ----------(つづく)---------5
<参考>
 藤原弘達の“創価学会を斬る”(予言=自公一体政権)シリーズ 
 1.創価学会を斬る<この日本をどうする-2>=1969年(昭和44年)<言論出版妨害事件>
 2.続・創価学会を斬る=1971年(昭和46年)
 3.新・創価学会を斬る=1972年(昭和47年)
 4.創価学会に未来はあるか=1979年(昭和54年)共著・内藤国夫
   --「興」から「亡」へ動き出した巨大集団の実相
 5.創価学会・公明党をブッた斬る=1985年(昭和60年)
   --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか
 6.創価学会池田大作をブッタ斬る=1988年(昭和63年)…初回から≒20年
   --1998年(平成10年)小渕(自民)内閣に創価・公明党参加→自公一体政治
   --1999年(平成11年)藤原弘達 没
   --2009年(平成21年)創価・公明党総選挙大敗、民主政権へ(~3.5年)
   --2012年(平成24年)自公一体政権復活(~現在≒2021)   
 7.藤原弘達『創価学会を斬る』41年目の検証=2012年(平成24年)

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創価を斬る.41年目の検証-117

2020-12-29 10:31:53 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
    (本文中の色文字・下線・太線=兼ブログ主編)


 藤原弘達 創価学会を斬る 41年目の検証 
      言論出版の自由を守る会編 日新報道 2012=平成24年
    人権侵害・政権簒奪・歴史改竄
 創価学会・公明党による言論出版妨害事件を風化させてはならない
         --目次は第3回目に掲載--
    ------(P.387)---(以下、本文)-------

【第6章】ポスト池田大作=メルトダウンする創価学会・公明党
 ◆ 2-1 池田大作は公人!!
 ◆ 2-2 公人・池田先生…お元気です!! 
①「闘病記」を発表した戸田城聖と情報不開示の池田大作の落差 /乙骨正生
 ◆ 健康状態関示は公人の義務
 ◆ 虚偽発表くり返した創価学会 
 ◆ 重篤な肝硬変であることを公表 
 ◆ 会長続投の意思を表明     
② 見果てぬ夢に終わった「天下取り」の野望
 ◆ 報告書に「天下を取ろう」
 ◆ 虚構の「大勝利万歳!」
 ◆ 昭和四三年を下回る東京の得票
③ 池田大作の欠席と池田博正登壇の意味 /乙骨正生
 ◆ 登場した池田の意志の解説者 
 ◆ 主張された「三位一体」    
④「永久・絶対」が虚しい副理事長昇格
 ◆ 事実に反する虚言 
 ◆ 五十代唯ーの副理事長に就任 
⑤「愚者の船」を作り続けた五〇年 ジャーナリスト /溝ロ敦
 ◆ 不毛の教団・創価学会   --(~以上、前掲 P.435~)--
◆ 時代の推移を堰き止めた罪
 池田は宗教者であるにもかかわらず、他者の支えなしには自己のアイデンティティを確立できない。そのため他者が支給する勲章を胸に飾ることで、ようやくアイデンティティ・クライシスを克服できる。宗教者はよくも悪くも自分に確信を抱く者である。確信がなければ信者大衆を指導できないからだが、池田には確信がなく、外部の権威を移入することで辛うじて権威者になろうとする。情けなく、みっともないことである。

 だが、そういう池田もどうやら創価学会という畳の上で往生できそうである。最後まで池田を追放できず、国外逃亡に追いやれなかった歴史は学会員信者の恥辱だが、何せ「愚者の船」に乗る人たちだから、彼らにはアフリカの小国人民ほどの期待もできない。逆に池田を追放するまでもなく、池田が死ねば、創価学会・公明党の命運も傾く仕掛けらしい。非学会員にとっては「あんなものは放っておいても消滅する」存在に成り下がったのであり、現状はまことに喜ばしい。
 公明党が恥も外聞もなく民主党に擦りよるも結構、どう転ぼうと先は短いんだから、やりたいことをやりなさいと言いたくなる。

 ところで、創価学会の投資先は池田以外になかったから、池田が死ねば、その遺産は池田家以外には渡らず、学会組織を益することはない。池田の投資先はもっとも脆弱で儚い池田本人だったという点で、池田は根本的な誤りをおかした。
 わずかに全国各地に「池田会館」の類が残るだろうが、これとても信者が集まっての会館である。池田死後、学会員信者が四散すれば、会館は宝の持ち腐れとなり、創価学会は切り売り財政に入って延命を図るしかない。池田会館が近い将来「老人憩いの家」になる公算は高い。

 こうして池田による創価学会五〇年の施政は空無となる。池田の最大の罪は信者大衆をダムに堰き止め、時代の推移を遅らせたことにあろう。彼は昭和時代を平成に持ち込み、戦後自民党政権を限りなく延命させた。獅子身中の虫である官僚をここまでのさばらせ、国民の血税を食い荒らさせた点で、創価学会公明党は多大の貢献をした。信者大衆を組織的に瞞着し、毎年振り込め詐欺もどきのカネ集めの被害者にした。池田のなした罪は大きく、その罰は無間地獄と決まっている。(文中・敬称略)

 昭和四四年に刊行された「創価学会を斬る」の中で、政治評論家・藤原弘達は、全体主義集団としての創価学会の危険性を指摘し、創価学会と自民党が組むことによる政治の全体主義化に警鐘を鳴らした。
 それから四〇年余りを経て、創価学会は池田大作の健康状態の悪化とともに、ようやく崩壊の過程へと入った。
 国難ともいえる未曾有の大震災・大津波に加え、甚大な放射能被害を伴う原発事故に、いま日本社会は呻吟している。その国難から復興する過程で、戦後の日本社会に一大奇観をなした全体主義集団が消えゆくことは喜ばしいことだ。
 仮に創価学会が今後も日本社会の中で存続していくとすれば、それは暴力や謀略を伴う反社会的体質や、人権侵害体質の清算が不可欠となる。
 いま日本相撲協会の公益法人としての適格性が問われているが、創価学会の公益法人の適格性の欠落は、日本相撲協会以上に甚だしい。

 そしてそうした反社会的体質が、池田大作のキャラクターに起因するものである以上、創価学会が今後の日本社会で存続するためには、旧ソ連でスターリンの死後、スターリン批判が行われたように、ポスト池田大作体制において池田大作批判がなされる必要がある。しかし世襲体制になることが確実な創価学会にあって、池田大作批判がなされる可能性が高いとは思われない。
 創価学会が、池田大作体制を批判・総括して、民主的かつ透明性の高い集団へと脱皮するのか。それとも金日成から金正日に権力が世襲され、いままた金正恩へと権力が継承されつつある北朝鮮のような道を歩むのか。創価学会の命運は、そう遠くない将来に確実に訪れる池田大作のXデー後の選択によって決まるだろうが、混迷する日本の政界に対する創価学会・公明党の影響力は、いまだ少なくない。その意味で、今後とも厳しい監視・批判が不可欠だろう。

     ----------(おわり)---------438

 次回から、このシリーズの第1回--
 1.創価学会を斬る<この日本をどうする-2>=1969年(昭和44年)<言論出版妨害事件>

<参考・ブログ主>
 藤原弘達の『創価学会を斬る』(警告=自公一体政権)シリーズ
 1.創価学会を斬る<この日本をどうする-2>=1969年(昭和44年)<言論出版妨害事件>
 2.続・創価学会を斬る=1971年(昭和46年)
 3.新・創価学会を斬る=1972年(昭和47年)--創価・公明党、総選挙大敗(18名落選)
 4.創価学会に未来はあるか=1979年(昭和54年)藤原弘達・内藤国夫 共著
   --「興」から「亡」へ動き出した巨大集団の実相
 5.創価学会・公明党をブッた斬る=1985年(昭和60年)〈日新報道〉
   --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか
 6.(創価学会) 池田大作をブッた斬る=1988年(昭和63年)…初版から約20年
   --1998年(平成10年)小渕(自民)内閣に創価=公明党参加→自公一体政治
   --1999年(平成11年)藤原弘達 没
   --2009年(平成21年)創価・公明党総選挙大敗
         民主党政権へ(~3.5年)、池田大作・生ける屍?~10年
   --2012年(平成24年)自公一体政権復活(~現在≒2021)
         小泉・阿倍など20年--“政教混淆”続く
 7.藤原弘達『創価学会を斬る』41年目の検証=編者・遠藤留冶他=2012年(平成24年)

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創価を斬る.41年目の検証-116

2020-12-28 10:41:29 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
    (本文中の色文字・下線・太線=兼ブログ主編)


 藤原弘達 創価学会を斬る 41年目の検証 
      言論出版の自由を守る会編 日新報道 2012=平成24年
    人権侵害・政権簒奪・歴史改竄
 創価学会・公明党による言論出版妨害事件を風化させてはならない
         --目次は第3回目に掲載--
    ------(P.387)---(以下、本文)-------

【第6章】ポスト池田大作=メルトダウンする創価学会・公明党
 ◆ 2-1 池田大作は公人!!
 ◆ 2-2 公人・池田先生…お元気です!! 
①「闘病記」を発表した戸田城聖と情報不開示の池田大作の落差 /乙骨正生
 ◆ 健康状態関示は公人の義務
 ◆ 虚偽発表くり返した創価学会 
 ◆ 重篤な肝硬変であることを公表 
 ◆ 会長続投の意思を表明     
② 見果てぬ夢に終わった「天下取り」の野望
 ◆ 報告書に「天下を取ろう」
 ◆ 虚構の「大勝利万歳!」
 ◆ 昭和四三年を下回る東京の得票
③ 池田大作の欠席と池田博正登壇の意味 /乙骨正生
 ◆ 登場した池田の意志の解説者 
 ◆ 主張された「三位一体」    
④「永久・絶対」が虚しい副理事長昇格
 ◆ 事実に反する虚言 
 ◆ 五十代唯ーの副理事長に就任    --(~以上、前掲 P.431~)--
⑤「愚者の船」を作り続けた五〇年 ジャーナリスト/溝ロ敦
◆ 不毛の教団・創価学会
 安保阻止のデモ隊が国会を取り巻いていた一九六〇年五月、池田大作は創価学会の第三代会長に就いた。以来五〇年間、職名は名誉会長に切り替わったものの、池田は終始、学会員信者の上に君臨し、創価学会=公明党を実質支配し、その私物化を続けてきた
 かって右翼の児玉誉士夫は、創価学会が存在していたために、日本での社会主義革命は阻止できたと評価したとされる。創価学会があろうがなかろうが、戦後日本に革命が起きる条件があったとは思えないが、池田創価学会というダムにより日本国民の声なき声が堰き止められ、ダム内に沈殿、滞留したことは事実だろう。当時から学会員信者の多くは経済・社会的な弱者と見られていたが、そうであってみればなおさら社会福祉など、現実政治に公正平等を、たとえば所得の再配分システムなどを求めて当然だった。

 だが、池田は学会員信者の必要性と期待を裏切り、単に彼らの票を公明党に一元化し、それを組織防衛と自己の顕彰のためだけに使った。彼らの大多数は生活の向上を願わざるを得ない境遇にあったが、それらは「福祉の党」に瞞着されて十把ひとからげにされ、与党病(自公連立)や池田の国会喚問阻止、あるいは外務省などを通じての便宜供与などに使われたのだ。
 「公明党への一票は一人を折伏するに等しい」という幹部指導は学会員信者を「朝三暮四」のサルに変えたともいえる。サルにトチの実を朝三つやる、そのかわり晩には四つだといったところ、サルたちは怒った。そこでそれでは朝四つ、晩には三つだといったところ、サルたちは皆喜んだという。
 そういう故事だが、サルへの餌はどう変化をつけても一日計七個は変わらなかった。朝三暮四はまだしも一實性を持っているが、ひきくらべ学会員信者に対する池田の約束履行は、朝三暮四のサル以下だった。
 池田が与えたのは「民衆の勝利」という幻想とスローガンだけ、民衆を養うトチの実はゼロに等しかったといえよう。

 こうした流れからいえば、池田は創価学会を「愚者たちの船」に変えた元凶である。学会員信者は「福祉の党」が福祉を切り捨て、「清潔な党」の議員がカネを貪り、「中道」が自民党路線を補完し、よりアメリカべったり、大資本・大企業優遇政策を推し進めようと、公明党政治の実際をチェックせず、単に「先生のつくった党だから」とバ力のように支持し続けた。池田にとって学会員ほどチョロく、おいしい存在はなかったといっていい。

 しかも池田という船長自身が理想を持たず、世俗的な自己顕示や名誉欲の満足だけに熱心な俗物だった。彼が頭を悩ませていた課題は自己の「偉大さ」の顕彰をどう確保するかだけだった。
 池田にあっては、創価学会=公明党は池田の名誉欲を満たす限りにおいて存在意義を持つのであり、それ以上の存在ではなかった。
 池田には優秀な後進を育て、創価学会の将来を託す気持ちなどさらさらなかった。それこそ「わが亡き後に洪水よ来たれ」であり、自分より優秀な後進はわが地位を脅かすとして、船から荒波逆卷く海に放り出し、じっと溺れ死ぬ様子を眺めることを好んだ。
 よって「愚者の船」という船内に残ったのは文字通り愚者か腰抜けであり、あるいは殴打を快感とするマゾヒストか、考える習慣を持たない能なしだけになった。自分の頭で判断できるような学会員はとっくの昔に船を下りているか、船から放り出されているか、どちらかであり、今後、池田亡き後、誰がどのように「愚者の船」を運航するのか、けだし見物である。おそらく創価学会は日本最大の新宗教団体のはずだが、これほど多数の学会員信者を抱えながら、文化的に何ものをも産み出さなかった教団は他になかろう。それもこれも全て池田により「愚者の船」とされたからだ

 なるほど学会にも芸能人やスポーツ選手は少なからずいるだろうが、客観的に見て、彼らは自力で芸能人や選手になったのであり、(彼ら自身の自已評価とは関係なく)創価学会のおかげでなったのではない。創価学会は人を養い育てず、逆にスポイルするだけの教団である。
 さらにいえば創価学会に所属するスターたちはたいていが反射神経や瞬発力に物をいわせる肉体型のスターであり、思索型のスターは皆無である。創価学会に所属することと、客観的に思索を深めることとは両立しないからだ。よって創価大学は社会に通用する思想家はもちろん、単なる学識者さえ産出できない

 また創価学会や聖教新聞、潮出版社、民音などは何か誇るべき、画期となるような作品を世に送り出したのか。たぶん皆無だろう。たしかに池田の『人間革命』はべストセラーにちがいないものの、読者は学会員信者ばかり。非学会員に対する影響力は皆無であり、会外で高く評価する者はいない。しかもゴーストライターを立てての作品だから、天下に胸を張って評価を求めるような小説ではない。一種の宣伝文書なのだ。
 こうして創価学会は徹頭徹尾、不毛の教団であり、きわめて民度が低い。なぜこうなったかといえば、池田が創価学会というダムが抱える人材をスポイル・追放し、その物財を自分のためだけに費消したからである。まるでアフリカでも小国の、どうしょうもない大統領である。国家の予算を自家の金庫に流し込み、自分と家族の栄耀栄華のためだけに費消して、やがては海外に逃亡するような汚名の男--。

 池田は燃費効率の悪いアメ車どころでなく、犯罪的なまでに創価学会の人員や物財を費消して、初めて指導者の顔ができるようなにせ物だった。同じにせ物でもきわめて程度が低いから、その分糊塗し、本ものの振りをするにはカネがかかった。
 最近の「創価新報」が誇らしげに伝えている。「国家勲章28」「識者との対話7000人」「世界からの顕彰4000」「名誉市民660」「海外講演32」「名誉学術称号285」と。世人は池田のカネに糸目をつけない「名誉」コレクターぶりに驚倒するばかりだろう。これらのタイトルは「全人類が賞賛する人間主義の哲学」の結果ではなく、タイトルに対する貪欲な物欲主義の結果であり、その意味では恥の石碑なのだが、池田だけはこのことをまるで分かっていない。
     ----------(つづく)---------435

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創価を斬る.41年目の検証-115

2020-12-28 08:59:50 | Weblog

 --いま、なぜこの悪質な組織の欺瞞性を問題にするか--
    (本文中の色文字・下線・太線=兼ブログ主編)


 藤原弘達 創価学会を斬る 41年目の検証 
      言論出版の自由を守る会編 日新報道 2012=平成24年
    人権侵害・政権簒奪・歴史改竄
 創価学会・公明党による言論出版妨害事件を風化させてはならない
         --目次は第3回目に掲載--
    ------(P.387)---(以下、本文)-------

【第6章】ポスト池田大作=メルトダウンする創価学会・公明党
 ◆ 2-1 池田大作は公人!!
 ◆ 2-2 公人・池田先生…お元気です!! 
①「闘病記」を発表した戸田城聖と情報不開示の池田大作の落差 /乙骨正生
 ◆ 健康状態関示は公人の義務
 ◆ 虚偽発表くり返した創価学会 
 ◆ 重篤な肝硬変であることを公表 
 ◆ 会長続投の意思を表明     
② 見果てぬ夢に終わった「天下取り」の野望
 ◆ 報告書に「天下を取ろう」
 ◆ 虚構の「大勝利万歳!」
 ◆ 昭和四三年を下回る東京の得票
③ 池田大作の欠席と池田博正登壇の意味 /乙骨正生
 ◆ 登場した池田の意志の解説者 
 ◆ 主張された「三位一体」    
④「永久・絶対」が虚しい副理事長昇格
 ◆ 事実に反する虚言     --(~以上、前掲 P.428~)--
◆ 五十代唯ーの副理事長に就任
 平成一八年三月九日に行われた本部幹部会の席上、池田大作氏の長男である池田博正氏が副理事長に昇格したことは、その具現化ということになろうか。今回、池田博正氏は聖教新聞代表理事の原田光治副会長、池田大作氏の秘書業務を担当する第一庶務のトップである長谷川重夫副会長とともに副理事長に昇格したが、この原田、長谷川両氏をはじめ、すでに副理事長職にある山崎尚見、原田稔、西口良三をはじめとする各副理事長は、いずれも60代以上、50代の副理事長は池田博正氏一人である。

 ましてや、この人事の直前、池田博正氏は創価学会代表団の代表として台湾を訪問し、中国文化大学の名誉博士号を受けるや、その足で創価大学代表団の一員として中国を訪問し、北京で唐国務委員(前外相)に、池田大作氏の伝言を伝えるという重責を果たしている。
 平成一八年当時、台湾と中国との開係は、中国が国家分裂法を制定し、台湾が独立を選択した場合、武力行使も辞さないとの姿勢を示し、軍事的圧力を強めていることから、極めて悪化しており、台湾海峡をはさんで両者は強い緊張関係にあった。
 そうしたさなかに台湾を訪問した足で中国に赴き、政府要人との会見をアピールすることの意図が那辺にあるかは明らかだろう。

 また、平成一八年一月二六日以後、創価学会は「聖教新聞」の創刊五五周年パーティを東京、大阪、名古屋、札幌、仙台などで開催しているが、これに池田博正氏が、学会本部を代表するような立場で出席している。
 「聖教新聞」報道によれば、このパーティには、財界の一流どころが、雲霞のように出席しているという。当然、池田博正氏はそれらの一流どころに相次いで紹介されていることだろう。
 その意味では、創立五五周年という奇妙な年次に「聖教新聞」の創刊記念パーティを開催した狙いは、池田博正氏を各界の人々に対し紹介するお披露目パーティの色彩をもっていたと見ることも可能だ。

 「創価学会会長」の「世襲」は、「全く論拠のない」話とする池田だが、SGI会長の「世襲」までは否定されていないし、「創価学会会長」の座も、すでに北條浩(四代)・秋谷栄之助(五代)・原田稔(六代)と三代にわたって弟子筋で継承されており、理論的には「世襲」ではないと強弁することも可能だ。
 いずれにせよ池田博正氏の副理事長への昇格ならびに名誉博士号の授与、そして唐国務委員との会見などの一連の動きは、池田博正氏が池田大作氏の後継者であることを明白にしたといえるだろう。
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 池田大作と池田博正を「父子一体」、あるいは池田大作・池田かね(香峯子)・池田博正を「三位一体」とする「神話」を構築し、池田博正の宗教的権威を確立しようと画策する創価学会。要するに「神話」と「血統(血筋)」で、池田博正を池田大作の後継者に祭り上げ、ポスト池田大作時代に漕ぎ出すつもりなのだ。具体的には、池田博正が池田大作の後継者として創価学会インタナショナル(SGI)会長に就任、それを日本の創価学会の会長・理事長以下の宗教官僚が支える集団指導体制になるものと考えられる。いうなれば象徴天皇制の創価学会版。池田博正を象徴天皇に据え、それを会長を中心とする内閣が輔弼し運営するという関係である。    

 しかし、池田博正に池田大作になれというのは所詮、無理な話である。なぜなら、創価学会組織の求心力の要となっている池田大作のカリスマは、五〇年余にわたる情報操作とマインド・コントロールの結果、構築されたものであり、いまさら池田博正に池田大作並みのカリスマを構築することは無理だからである。そして複数の元創価学会幹部や池田博正に接したことのある人物らの話によれば、資質的にも池田博正は、父・池田大作に匹敵するような組織統率力や人心収攬術を備えているとは思えないからである。

 「天下を取る」との野望に燃え、野望の達成に全身全霊を傾け、謀略も暴力も厭わなかった池田大作と、その「お坊ちゃま」として「乳母日傘」で育てられた池田の息子達では、はなから迫力が違うのである。
 しかも池田大作は、自らの存在を脅かす幹部の台頭を徹底的に嫌い、パージを繰り返した結果、池田の周辺にはイエスマンと茶坊主しか残らず、竹入義勝・矢野絢也と公明党の二代にわたる委員長が相次いで造反した事実が象徴するように、有為な人材はみな創価学会から離れてしまった。
 結局、「池田大作の、池田大作による、池田大作のため」の組織だった創価学会は、池田大作亡き後は崩壊の過程に入るだろう。そうした創価学会の現状と未来を検証する論考を紹介する。
     ----------(つづく)---------431

 

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