創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

闇の帝王・山崎正友-12

2016-02-01 09:14:45 | Weblog

私は山崎正友を詐欺罪から救った! -- 2002/05
   --アウトローが明かす巨額“手形詐欺”事件の真実--
    -------(前回、103P)--以下、本文--
第3章 恐喝
1 創価学会を恐喝
 私は、山崎がどのように創価学会を恐喝したのか、その全貌を当時はまったく知らなかった。後に、恐喝事件で山崎が実刑三年の判決を受けた際の「判決文」を読んで知ることになる。この判決文を参考にして、恐喝事件の経緯を見ることにする。
 山崎は、昭和五十五(一九八〇)年四月十七日の段階で、「俺が学会に仕掛ける戦争は、まだ学会にはバレていない」などと言っているが、これはウソである。創価学会は、山崎の言動のおかしさに早くから気が付いており、すでに三月いっぱいで顧問弁護士を解任していた。
 山崎がバレていない、と言ったのは、これからもっとすごい戦争が始まるのだと私に予感させ、私が山崎を助ければその見返りは相当に大きなものになると信じ込ませたかったからだろう。
 昭和五十五年四月十五日にシーホースは倒産するのだが、判決文には、四月十三日から同月二十二日までの間に脅迫したと記載されてある。十三日が、脅迫開始日である。したがって、第一回目の脅迫は、シーホース倒産日の二日前である。
 山崎には、倒産を防ぐための資金がどうしても必要であった。理由はシーホースの計画倒産日を七月末日と決め、取り込み詐欺を働き始めていたからである。どうしても四月中での不渡りは避けたかった。
 山崎は、創価学会の北条会長に電話をかけ、「会社が大変だ。このまま行くと倒産する」と援助を泣きつき、三億円を要求し、それが断られると、「そうですか。じゃあ僕一人で勝手にやれということか。どうなっても知らないぞ」と迫った。
 山崎は、前年の暮れからマスコミを使って創価学会への攻撃を開始していた。
 当然、創価学会の首脳は、このまま放置すれば、山崎はさらにマスコミを利用して創価学会を攻撃してくるにちがいない、と予想した。
 山崎は、私と会ったその夜、創価学会幹部に連絡し、「シーホースが倒産した。学会に債権者が押し寄せるぞ」と脅した。「ヤクザ者を創価学会に押しかけさせる」とも言っていた。
 翌十八日も、「全部放っぼり出そうか。放っぼり出せば債権者は学会に行くぞ」との台詞を吐き、二十一日には、「ミサイルを二、三発ぶち込む。学会と全面戦争だ。恐喝だって何だっていい。刑務所に入ってもいい。本気で喧嘩をすれば、二、三力月で学会はつぶれるぞ」と脅迫し続けた。
 山崎は、原島氏が聖教新聞社から持ち出した厖大な内部資料を手許において、日蓮正宗の僧侶たちの反学会感情を煽ったり、マスコミを使って学会攻撃をするぞと暗示して創価学会を恐れさせ、その結果、三億円の喝取に成功した。
 しかし、この恐喝はこの時点では、まだ事件として立件されていなかった。山崎は三億円もの大金を喝取することに成功したことに味を占め、その後もシーホースの倒産で解决資金が足りないと脅し、さらに五億円を出させようと脅迫を続けた。
 その際に一番に利用したのが、ジャーナリストの内藤国夫氏である。
 この内藤氏は毎日新聞記者で「公明党の素顔」なる著書を出版したジャーナリストであった。『創価学会を斬る』を著し、毒舌家で鳴らした藤原弘達氏とともに、この両名は創価学会嫌いの双璧として、マスコミ界で有名だった。
 山崎は、この内藤氏を自らの陰謀に利用することを考え、昭和五十四(一九七九)年の晩秋に近い頃、第三者を通して内藤氏に近付くことを図り、ある情報を伝えさせた。
 それは顧問弁護士の山崎を始め中西治雄総務、原島嵩教学部長といった池田大作氏の側近中の側近である創価学会大幹部の三人が、創価学会に造反するというビッグ二ュースであった。学会ウオッチャーを自認する内藤氏にとって、記者歴のなかでも驚愕すべき情報だった。
 内藤氏は、早速、山崎にアプローチしてきた。両者が会ったのは、その年の十一月初旬だった。
 内藤氏は山崎に、幹部の造反情報の真偽を質問したが、この情報は山崎自身の策略で流した情報であり、今すぐこの情報を利用されては困るため、まったくの誤情報であるがごとく装いながら、ある程度の内部情報をチラつかせて、このジャーナリストを誑し込んでいった。
 山崎は学会に造反した時から、この内藤氏の持つコネクションを利用した。山崎は三億の喝取に成功した翌日には、早速、内藤氏に会っている。
 昭和五十五年五月十八日、内藤氏とホテルグランドパレスで会った山崎は、内藤氏が『月刊現代』に掲載する創価学会問題の記事を執筆中であることに目を付け、池田名誉会長に隠し子がいる、と嘘の情報を伝えた。
 そうとは知らない内藤氏は、まんまとその罠にハマり、記事にする。そして山崎は『月刊現代』編集部次長だった杉本暁也氏から、事前にゲラを受け取り、二十四日にこのゲラを創価学会幹部に見せ、これと同じものを『週刊新潮』と『週刊文春』『週刊ポスト』に書かせる、と脅して、五億円を要求した。
 そして、「マスコミを怒らせたらああいうふうになるよ」「内藤さんが火つけ役よ」などと操り返し脅迫を続け、六月に入ると山崎は予告通り、週刊誌を使って学会攻撃を仕掛ける。
「内藤国夫がついに暴いた池田大作「女のスキャンダル」」(『週刊文春』昭和五十五年六月五日発売)、「内藤レポートから削除された池田大作女性関係の原稿」(『週刊新潮」昭和五十五年六月五日発売)。
 さらに同年六月十二日から『週刊文春」誌上で、「創価学会最高幹部七人の内部告発」が、「衝撃の新連載!」と題して開始される予定だった。
 これに業を煮やした創価学会は昭和五十五年六月五日、ついに三億円の恐喝および五億円の恐喝未遂で山崎の刑事告訴に踏み切ることになる。
 創価学会はシーホースの信用調査をする過程で、社員である学会員から、シーホースを舞台に、山崎がヤクザと組んで取り込み詐欺を働いているという情報をつかんだという。
 こうしたことから警視庁も、シーホースの倒産事件にヤクザがからんでいるとにらみ、捜査四課(暴力団担当)が特捜班を組んで担当することになった。
       ---------(109P)-------つづく--

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