創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

創価・池田大作をブッた斬る-21

2018-02-28 09:09:59 | Weblog

創価学会-池田大作をブッた斬る  藤原弘達 1988=昭和63年
                   (日新報道/¥1,000)
    ------(P.102)---(以下、本文)-------

“創価学会効果"“池田効果”
 昭和六十三年七月十七日、創価学会名誉会長・池田大作が八王子の創価大学へでかけるというので、新聞、週刊誌カメラマンが取材にかけつけた。池田大作が創価大学へでかけるのが事件というわけではない。事件ではないが、池田大作の行く所、マスコミ、特に写真週刊誌が盛んに追いかけ走る。
 雑誌編集者、カメラマンが、“絵になる”という言葉を口にする。“絵になる”とは要するに、雑誌のグラビア頁にのせるのに見映えがする、いわゆるカツコいいのだ。映画やテレビの人気タレント、美男、美女、人気野球選手、プロゴルファー等々と、この連中が“絵になる”とみられている。
 政治家、財界人の場合だと、話題性でカメラの標的になる。これだって、ダサイのはあまり追っかけられぬ。ラスベガスで名を売った男などは、特異なキャラクター故、レンズを向けられた方である。
 ところが、池田大作に至っては、カッコいいというわけにいかず、話題性といっても、いつもきまりきった按配だ。イメージは創価学会の独裁者、好色家とくる。にもかかわらず、池田の行く所力メラマンありとは、やはりそれなりに目の離せない人物ということなのだ。
 池田の方も、マスコミに追い回されるのは不愉快であろう。そこで、カメラをシャットアウトする。学会私設SPが身辺を固めるのだ。 この連中、忠誠心の余り、過剰反応を起こすこともしばしばであるという。
 というのも、単なる池田のカメラ嫌いからではなく、真相は最近、右翼がにわかに学会、池田大作を仇敵視し始めたことにある。池田創価学会もそれなりに右翼にパイブがあるそうだが、右翼も各派いろいろとなれば、全部にパイプはつながるまい。ソ連へ出かけて十月革命を讚美してみせるから、右翼民族派にマークされる。連合赤軍浅間山荘事件に起きたリンチ事件当時、「赤軍派、よくないが、よくやる。若いんで可哀相だ。逃してやりたかった」(昭和47・2・19、第58回社長会)といったりする。
 大物ぶったつもりかどうか知らないが、こういう無責任とも意図不明としかいいようのない発言が池田には多い。

 さて、七月十七日のことに戻す。事件でもないのに池田を創価大学まで追った雑誌カメラマンを池田のボディガードが襲って、ケガ人続出となった。過剰反応の例である。
 ところが、八月二十五日、右翼が創価学会本部に銃弾をブッ放す事件が起きた。このため、翌二十六日、病死した副会長の葬儀の警備は厳戒を極めた。池田大作は姿を現わさなかったが、週刊誌はこう書いた。(「週刊文春」63・9・8号)
「……取材にきた記者・カメラマンを、警備の学会員が丹念にカメラに収めていく。学会では『反学会系ジャーナリスト図鑑』でも作ってるんだろうか。
 ……普段は会館の警備にあたるが、池田名誉会長が来る! となれば『いざ、嫌倉』の心境で馳せ参ずる。
 さらに警視庁SPが二人ついているとか。そのうえ、池田名誉会長直属の『特別警備』なるセクションがあり、常時七、八人が名誉会長の身辺をガードする。バッジをつけて、トランシーバー片手に警護官をきどる姿はまさに“SPごっこ”。
 池田名誉会長は学会員の前にしか、姿を現わさない。学会員のカメラマン以外に撮影をさせない--この方針を学会は総力をあげて、かたくなに守っていくつもりのようだ」

 プロ野球で、ベナントレース、日本シリーズ優勝チームがでると、地元は数十億をこす景気に湧く。デパート、商店街、飲食店街、銀行、ソープランドまで波及する経済効果で、例えば西武効果、中日効果といった具合に呼ぶ。お祭景気である。
 この流儀でいくと、創価学会関連効果も測定できはしないか。池田好色裁判の時、池田記事をのせた週刊誌の売上げ部数、ルポライターの稿料、カメラマンの稿料、原告、被告双方の弁護士報酬、裏で動いた金……創価学会“効果”、池田“効果”とも呼べそうである。
 創価学会は、マスコミの取材をシャットアウトしてはならない。学会“効果”や池田“効果”のためではない。国民の側の知る権利の故にだ。学会や池田大作がプライバシーを楯にとるのは理由にならぬ。池田に警視庁SPがついたのは、竹入が公明党委員長時代に手を回したことだという。
 政党委員長にはSPがつく。公明党の竹入が自分だけにSPをつけられては池田先生に畏れ多い、といったとかいわぬとか。そんなことはさて措き、創価学会名誉会長にSPをつけるとは、筋が通らない。筋を通さずにやっているとすれば税金ドロボーである。それとも、名誉会長、池田大作の立場が身辺警護を必要とする理由を明らかにして、一般国民の諒解を求めることができるのか。
 私が学会“効果”、池田"効果"などをもちだしたのは、学会も池田大作もマスコミの取材を拒否してはならないことをいうのである。 現在、学会・公明党は積極的、意図的に言論出版妨害を行なってはいないだろうが、危険な兆候なしとはし難いものがある。私が大橋敏雄代議士や藤原行正都議の告発、批判の公開をそれなりに評価するのは、その意味においてだ。
       ---------(109P)-------つづく--

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創価・池田大作をブッた斬る-20

2018-02-27 09:09:21 | Weblog

創価学会-池田大作をブッた斬る  藤原弘達 1988=昭和63年
                   (日新報道/¥1,000)
    ------(P.102)---(以下、本文)-------

創価学会的“魂の押売り”
 あるとき池田大作は、戸田城聖の言葉を引いて、創価学会がいわゆる新興擬似宗教の類でないことを説く。(「聖教新聞」34・6・20号)
 「戸田先生は『学会は新社会主義である』とおっしゃった。すなわち、あくまでも全国民の幸福を基準にして態度を決定し『個人の幸福』と『社会の繁栄』とが一致する王仏冥合の思想を根本にしたものである。(中略)創価学会は信仰の団体である。政治の団体ではない。ただ学会から推薦されて立った議員たちが、将来時代の要求として大衆の要望としてそのようなものをつくらざるを得ない場合にはやむをえないことであり、大衆の要望にこたえていかなければならないと思う」
 戸田城聖死して翌年のことで、このとき池田はまだ会長職を継いでいなかったが、既に第三代会長の自信を固めていたらしい発言だ。「新社会主義……」であるとか「全国民の幸福を基準に」態度を決定するといった発言は“ご利益”や“難病治療”請負い・新興擬似宗教より、政治団体ばりであった。

 宗教には奇跡がつきものだという。見えない目を癒したり、足萎えが立ち上がったとか、奇跡は治病に一番現われている。全国各地に残る大師(空海)伝説にも奇跡が一杯である。
 新興宗教の布教、伝道の第一幕は、むろん病気癒しだ。奇跡だ。病気癒しの奇跡から、世直しを信じさせる。敗戦後の新興宗教、擬似宗教も、総てこのコースを辿った。そして、病気癒しから世直しの段階にくると、戦後の擬似宗教たちは一様に、おとなしい精神生活改善に変わつていった。保守的厶ードを代表し、政治的にも保守勢力の基盤になる。
 ところが、創価学会は他の新興擬似宗教と同じコースをとらなかった。彼らの野心は、昭和三十四年現在の会員数一二八万世帯という数字に一段と煽られた。
 学会の政治団体化と組織強化に政治スローガンはなじまないというわけで、もっばら「王仏冥合」「第三文明」が表に出た。しかし、折伏には「王仏冥合」でも「第三文明」でもない。
 “宿業転換”と“ご利益”だ。“末法のセールスマン"といわれた如く、学会の折伏は猛烈、執拗を極めた。
 押し売り同然じゃないかといわれた時、ある学会員はこういったそうだ。
「押し売りは、商売で儲けようと思ってやる。我々は、総ての人々を、日蓮正宗の教えによって幸福にしてあげるためにやっている。まして、権力のない我々が、どうして宗教の押しつけなどできょうか」
 自分の利益のための折伏でない、あなたの幸福のためだと、まことに、おためごかしでやってくる。天皇制時代の信仰の強制ばかりが押しつけではない。「販売は断られた時から始まる」という、米国のセールス格言を知ってか知らずか、学会員は折伏に燃えた。まさしく、魂の押売り商人である。

 ゴム紐売りが一昨日、刑務所から出てきたばかりだ。助けると思って買ってくれ」と凄む。脅しやしない、お願いしただけだといっても、いわれた方は脅迫されているのである。折伏は、ゴム紐売りと同じく脅しはない。ゴム紐売りは刑務所帰りを口にし、折伏は宿業や罪を口にする。
 しかも、折伏は「相手が反対しようが賛成しようが、ぜんぶ自分の功徳になる。それで悪口を言われた。なんだ、病気のくせに、貧乏のくせに、と言われれば言われるほど、早く宿命転換できる。罪が消える。一石三鳥ではありませんか」(池田大作講話)という原理だから、ますます魂の押売りに励んだわけだ。この章の初めの方で、日蓮正宗創価学会流を覚醒剤とみたのだが、右のような池田の論理にしても学会員にはそれなりの覚醒剤的キキ目をもつ。

 ところで、池田も日蓮仏法を覚醒剤とみていたフシがある。これは、政教分離宣言後の公明党議員と懇談の席上での発言。(段勲編「創価学会・公明党の研究」晩聲社)
 「少し力をつけて日本中を変えよう。ケン力学会はじめよう。それでまたたたかれて…静かになって……これをくり返そう。忍従ばかりで、いい顔ばかりしていたら成仏はできない。……だいたい日蓮主義というものは元来過激だね。その方が男らしいよ。おとなしいと『みんな日蓮宗ですね』と妙信講あたりがいうよ。
 どうみても日蓮大聖人の仏法ははげしいね。だからへタ読むと気違いになるよ……
 またいつかやろう。もう少しガッチリしてきたら。もうそれ以上いかないというとき、いっぺんやろう。こっちは大折伏を号令するから」
 「へタ読むと、気違いになるような激しい仏法」と池田はいうが、彼自身はさめ切って決して狂信者にはならず、激しい仏法へと人々を誘いこんでいくだけの男なのである。
       ---------(105P)-------つづく-

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創価・池田大作をブッた斬る-19

2018-02-26 08:26:33 | Weblog

創価学会-池田大作をブッた斬る  藤原弘達 1988=昭和63年
                   (日新報道/¥1,000)
    ------(P.99)---(以下、本文)-------

風見ドリ的創価学会ポピュラリズム
 明治以来、日本人の宗教生活は、国家権力の側からする教化思想に支配されていた。既成宗教、新興宗教が天皇制権力から解放されたのは敗戦を経て後のことであり、解放された宗教は、非宗教的状況、無宗教状況とでもいうべき社会に立ったのである。
 いわば、日本人には明治以来、つきつめると天皇信仰・皇制礼讚に包括される精神生活しか国家権力によって容認されなかったので、天皇制宗教とでもいえるものが崩壊した後はデタラメ宗教の氾濫、一種の非宗教状況すら生みだしたといえる。諸々の新興宗教が百花斎放、しかも次から次へとめまぐるしいほどの盛況は、まさしく戦争直後の闇市に似ていた。
 ヤミ市的繁栄の新興宗教は、やがて世の中が大量生産・大量販売・大量消費時代に入ると、一層、繁栄した。大量生産・大量販売・大量消費は、新興宗教では大伽藍、大建築の出現である。

 創価学会も、同じようにヤミ市時代から経済成長期を経て“経営”規模を拡大するのだが、他の教団と異なった点は、創価学会の大衆主義と呼ぶべき大量販売方式的組織活動だった。学会直系「潮出版」「民音(民主音楽協会)」などをはじめ、「民主演劇協会」「主婦同盟」といった外郭組織は創価学会大衆主義に基づく活動だ。ことに「潮出版」は一般マスコミ界におけるオピニオンリーダーをとりこむための総合雑誌、書籍出版で、破格の原稿料は有名である。
 「民音」は、明らかに若い都市勤労者に組織をのばしていた左翼系の「労音」に対抗、切り崩しを狙ったものだ。もちろん、宗教色は出していない。
 雑誌「潮」の編集企画や「民音」の各種公演には、学会本来の反共、保守カラーは出さない。
 これは戦術的でもあるが、同時に学会大衆主義のもつ、大衆迎合、追随主義とみることができる。それは戦後早々の、愛される共産党のダンス、歌声運動や、民青の、歌って踊っての運動とは明らかに違う。
 譬えていえば、折伏大行進時代の戸田は邪教論を週刊誌(「週刊読売」)記者に説き、天皇を改宗させると豪語して、「あんなもの(伊勢神宮のことか)は邪教だから、天皇も大石寺に参る日がくる」と得意だったものである。この点、池田大作も同様、天皇の改宗を口にしたものだ。
 意気軒高といったふうだが、象徴天皇もそのように意識したところに、逆に戸田創価学会も池田創価学会も旧天皇制的感情のシッボを引きずっているといってよい。
 右翼国家主義が学会を仇敵視するのも、戸田、池田と続いた伊勢神宮邪教論を象徴天皇制否定とみるからである。伊勢神宮邪教論は牧口常三郎時代からのことにすぎない。天皇改宗云々は、戸田ドン・キホーテのハッタリだ。そういわせる政治の季節だったのである。
 しかし、今ならどうだろうか。戸田ドン・キホーテが生きていたとして、象徴天皇改宗を果たして口にするであろうか。おそらく、できはしない。
 “風見ドリ”といわれたのは前首相・中曾根康弘だが、中曽根自身が「政治というものは本来“風見ドリ”だ」と、どこかでいっていた。そしてこれとはいささか意味を異にするが、釗価学会こそ、まこと“風見ドリ”の典型で、政治の季節の移り変わり、大衆社会の動向をにらみながら戦後民主主義に対するスタンスをとってきている。公明党の言動をみると、このことが一層ハッキリしてくる。創価学会は動いていないようでも、公明党の方はクルクルと動く。公明党が動くというのは創価学会が動いたことであるのは、いうまでもない。

 政教分離のタテマエ上、学会は公明党の支持母体、つまり最大のスポンサーだと公明党はいう。政教分離を約束した時、池田大作は公明党を支持するかどうかは学会員個人の自由…といっていたが、やがてまた公然と公明党支持を明言するようになる。「公明党の実績、信頼が社会に定着するまでには、まだ二十年間は必要なんじやないでしょうか。そのあたりまでは、なんらかの形で応援してあげなければならない因縁だと思います」(「週刊朝日」56・3・27号)
 公明党が保守、革新、中道と揺れ動く時は、党勢の消長、保革の力関係、社会情勢の動向とパラレルだ。「右往左往党」「世論調査党」「ジグザグ路線党」の異名がついた公明党を池田創価学会がリモート・コントロールし、その公明党の選挙運動に学会員を全面的に動員することにより、学会の大衆主義が曲がりなりにも貫かれるのである。
 擬似新興宗教・創価の大衆欺瞞は、今や現世ご利益、功徳から、自由、平和、民主主義の幻想にまで拡がったとみなければなるまい。
       ---------(102P)-------つづく--

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創価・池田大作をブッた斬る-18

2018-02-25 09:07:11 | Weblog

創価学会-池田大作をブッた斬る  藤原弘達 1988=昭和63年
                   (日新報道/¥1,000)
    ------(P.95)---(以下、本文)-------

◆ 擬似宗教の大衆欺瞞--会員は単なる票数、記号にすぎぬ
 創価学会がいかに強弁しようと、学会は新興宗教の中の一宗派である。日蓮正宗本山・大石寺に“板本尊”(マンダラ)が存在する以上、“本尊”は大石寺、教義は創価学会というのは、それこそ信者をたばかるものだ。
 世間では、“板本尊”を持っているからホンモノ、持っていないからニセモノといったことは、どうでもいいことだ。創価学会が日蓮正宗から分かれた創価教という一派を名のる新興宗教であったところで、世間がこれを宗教であるかどうかを決めるわけではないから、宗教活動は自由である。あくまでも私事である。
 したがって、宗教法人・創価学会が大石寺と別個の布教活動をするのは、なんら不都合ではない。不都合は、大石寺を離れて別派になるとカンバンの権威がなくなることだ。
 吹けば飛ぶような零細組織から、折伏で信者を組織するために、大石寺と“板本尊”を大いに売り込んだ。日蓮正宗の権或を売ってきた以上、大石寺のカンバンは依然としてそんなところにはない。私がかって、創価学会は「戦後民主主義の落ち穗拾い…」といった,私なりの評価する面があったワケである。
 『新・創価学会を斬る』に私はこう書いた。

 「いかにも形の上ではカッコよくできたかにみえる戦後の民主主義的変革といえるものも、そこからこぼれ落ちたところの民衆を救い上げる力には少しもなっていない。それを主観的にせよ救い上げようとした創価学会のエネルギーというものを私はむしろ大いに評価している……。(中略)
 いまの日本で底辺に法を説くことはやさしい。説くだけなら自由だし、妨害はない。この底辺の大衆エネルギーを利用することはもっと易しい。ちょつと利用しただけでも結構りっぱな“宗教”ができあがるのだ。そして見事なる大伽藍もつくられ、多くの信者がこれに参り、末寺まで組織され、結構その“宗派”は栄えてきている。しかし本当に日本の底辺に分け入り、その苦悩を救い上げようとした人の魂はそうすることによってどれだけ生かされていることであろう。(中略)
 問題はむしろその点にあるのである。創価学会は池田大作自らが自己変革といいながら、現在の時点においてすでに過去の堕落した既成宗教の長い歴史をまこと短いサイクルで経過したといえるかもしれない。そしてすでに日本のさまざまな宗教が歴史的にくり返してきた同じような堕落と頽廃の時点に自分自身が立っていないとはたして本気で考えているのであろうか」

 この最後の問いかけに関する限り、現在、改めて問い直すにやぶさかでない。マトモに答えないことを承知の上で……。既成教団を含めて、現代の日本における宗教・信仰が、巨大な建造物や施設の中にないことを感じるのは、私一人ではあるまい。宗教法人という名の寺院・教会(既成、新興の別なく)は、もはや“聖域”でも何でもない。宗教法人の経営をみれば分かることである。
 良い悪いの問題でなく、“宗教法人栄えて宗教衰退”というのが現実であり、創価学会のみに限らない。創価学会の堕落とは“ご利益”とパチという中世的教義で釣りあげた信者を公明党の選挙集票マシーンとして組織したことである。堕落とよぶよりむしろ、意図的な社会犯罪といわねばならない。
 それ故、学会・公明党が政治に進出した時から、底辺大衆を救いあげる折伏活動は、学会経営と公明党票田開拓のシステムに変わっていった。学会経営の規模が発展すれば公明党の選挙基盤も拡がるのだから、学会折伏活動はセールスマンのマーケット開拓に等しいものだったのである。獲得した会員は“紙本尊”を買ったお客様ではない。もはや“落ち穂”は、拾いあげた瞬間から人間としてでなく、売りあげた“紙本尊”の数におきかえられる。個々の会員は、学会組織の一分子以上でも以下でもない存在に止まる。

 前にも指摘したように、本尊は本山・大石寺、教義は創価学会というのは、新興宗教の創価学会が既成宗派・日蓮正宗のカンバンを借りて権威を繕っただけのことであった。日蓮正宗信者ではあるが、創価学会流の教義の下、会員は「池田先生」に忠誠を尽くすこと、「池田先生」に「帰命」することが日蓮正宗信者の道だと洗脳されていった。
 これに関して、雑誌「現代」(52・12号)の内藤国夫がリポートした「創価学会と池田大作会長の変貌」に、こんな部分がある。

 「創価学会および学会員に対し『池田会長はご本仏、つまり生き仏ですか』と聞いたら、もちろん『そうではない』と返事される。心中ひそかに『ホトケさまのようなお方である』と思ってはいても。
 だから『仏さまでないなら帰命するというの、おかしくないですか』と重ねてたずねると、きまって、こう答えられる。
 『私たちは日蓮大聖人さまに、一心不乱に帰命しています。そして、そうすることが、会長先生にも帰命することになるのです』」
 一方、学会幹部に池田大作は「私が現代の仏法の指導者である」と教え、「私から幹部に任命されることは、記別を受けること……」だといった(創価学会幹部用テキスト「前進」昭和42・2)。
 ここにいう「記別」とは、
 ① 仏が弟子の未来成仏を明らかにすること、
 ② 仏が弟子に記別を授けることを授記と呼ぶ
 (池田大作監修・創価学会教学部編「御書辞典」)というのだから、記別を与える池田大作は、三段論法で「ホトケ」ということになる。
 創価学会に入り、池田大作を「ホトケ」として帰命するよう洗脳されると、会員は既に単なる記号になっているワケだ。
       ---------(99P)-------つづく--

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創価・池田大作をブッた斬る-17

2018-02-24 07:57:15 | Weblog

創価学会-池田大作をブッた斬る  藤原弘達 1988=昭和63年
                   (日新報道/¥1,000)
    ------(P.87)---(以下、本文)-------

阿片の堕弱性と覚醒剤の凶暴性
 テキヤの啖呵は、一種の大道芸に練り上げられたものも少なくない。ご存じ「男はつらいよ」の寅次郎のセリフ回しのそれなりの調子のよさである。ところが創価学会は、日蓮正宗の信者団体でありながら政党を抱えるから、政治的スローガンまで宗教に持ち込むし、逆に宗教用語をやたらと政治に結びつける。学会公明党の説くところ、なんとなく抹香臭く、テキヤほどのさえもないヤボな啖呵になってしまう。
 マルクスがいった「宗教とは悩めるもののため息」「精神なき状態の精神」「宗教は民衆のアへンである」……これら定義が現代においてもかなりの程度で妥当することは否定できない。
 わが民主憲法は信教の自由を保障している。宗教が私事であり、内的世界の思想良心の問題である限り、たとえ“アへン”であろうと、憲法はその自由を保障しているのである。しかし、創価学会批判を行なってきた私は、この人間集団に関しては宗教アへン説よりもむしろ宗教覚醒剤説をとりたい。
 敗戦直後から日本人を蝕んだ覚醒剤・ヒ口ポンは、旧大日本帝国の残した魔の遺産である。
 戦争末期に軍部は、軍需工場の徴用工、女子挺身隊に増産、増産のムチを当てた。「英雄」という名の元気の出るクスリを軍需工場に配給し、女子挺身隊員にまで飲ませた。その「英雄」は敗戦後のヒロポンとなる。爾来、多少の消長はあるが、ヒロポン、覚醒剤禍は戦後日本を明らかに蝕んでいる。
 アヘンが「悩めるもののため息、精神なき状態の精神」という宗教一般に譬えられるのは、アヘンが幻覚のうちに天国、極楽に遊ばせ、オピアム・イーターは堕弱柔順に馴らされることをいうのであろう。ところが、二十世紀「アヘン戦争」的興奮の化学が生んだ覚醒剤中毒症状は、幻覚の中に逆に地獄図をみるのだ。
 創価学会は、会員に麻薬と覚醒剤の両方を交互に打って中毒にしてしまうようなところがあるのではないか。アヘンの幻覚で地上天国に遊ぶ。“御本尊”と池田大作には絶対柔順になる。
 一方、覚醒剤が切れると地獄の幻覚が出るから、この組織は途端に凶暴になる。そして、池田大作のため、広宣流布のため、選挙運動に狂奔する。選挙には功徳なんてない。成仏への過程だと説いて、幹部は会員を煽りたてる。創価学会的狂信性と必ずしも同じではないが、戦前の「死のう団」などともなんとなく不気味な類似性を思わせる。
 戸川幸夫は「死のう団始末記」(文芸春秋臨時増刊・昭和メモ=昭和29年)でこう書いている。
 (因みに「死のう団」とは、真日蓮主義布教運動の「日蓮会」を創立した江川桜堂という男が主宰した組織。青年堂をつくり、「死のう」の血盟を結び、邪道に陥った宗教改革のため、昭和八年、東京は芝増上寺、静岡県某日蓮宗寺院の焼打ち計画を立て、さらに日蓮宗総本山身延山幹部僧侶の暗殺を計画。警察は取調べの結果、狂信者のテロを未然に防いだと発表した)
「それから四年、宗教的自殺クラブとしての色彩はぐんと濃度を増した。一九三七年二月十七日、団員五人が、警視庁玄関ホール、宮城宝田町警官立番所のわき、永田町外務次官官邸玄関前、議会正門と陸軍省側横門のあいだ、内務省三階階段で、つぎつぎに切腹したのである。
 (中略)盟主桜堂は二週間も追及の手をのがれ、そのあいだに『死のう団脱出記」『切腹事件真相記』執筆した。桜堂は脱稿すると、新聞社に連絡し、記者会見をおこなった。

  --切腹の目的は、
 一、弾圧に対する抗議のため、
 二、信教の自由獲得のため、
 三、教団興隆の基礎がため……の三つを挙げることができましょう。
   しかし私は同志の自殺行為を絶対止めています。死は逃避であり卑怯です。
   だから私は切腹した一同から“切腹するとも自殺は仕らず”という誓約書を取っております。
  --切旗はあなたが指令したのですか。
 同志の発意によるもので弘法の熱誠です。当局はあんなことをするから弾圧するというのでしようが、私は弾圧するから切腹するといいたい。
 親よりも兄弟よりもと慕ってくる同志をなんで犬死させられましょう。
 
 彼は翌三日、警視庁に自首して出た。
 この事件には、さらに後日談がついている。翌年三月、桜堂が病死すると、団員の男女四人が、そのあとを追って自殺した。彼の教化力の大きさを実証した幕切れだった」

 「日蓮」の狂信者たちにとって宗教(真日蓮主義)は、どうもアヘンではなく、覚醒興奮剤の魔力をもった。「死のう団」は、“不安の時代”と呼ばれる昭和初期に起きた狂信事件である。
 強く信教の自由を叫んだという。創価学会は、日本国憲法の信教の自由の下で、日蓮正宗を覚醒剤として政教一体の狂信を組織しているともいえる。この危険極まりなき狂信のアナクロニズムがまかり通るところ、民主主義の虚妄性は止まるところを知らない。
       ---------(95P)-------つづく--

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