創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

闇の帝王・山崎正友-21

2016-02-10 08:38:37 | Weblog

私は山崎正友を詐欺罪から救った! -- 2002/05
   --アウトローが明かす巨額“手形詐欺”事件の真実--
    -------(前回、174P)--以下、本文--

7 血脈相承疑惑
 血脈相承疑惑。この問題は、日蓮正宗の宗門内のことで、この「手記」には、直接には関係がない。この血脈相承疑惑問題に関しては、シーホースの倒産事件による手形事件や、取り込み詐欺事件の頃、山崎から聞いたことについては既に述べた。
 山崎が企てていた創価学会乗つ取りの大陰謀の説明の中で、この日顕法主の血脈相承の疑惑事件も聞かされていたのだ。
 山崎は、日蓮正宗の六十七代目法主となった阿部日顕の血脈相承に疑義がある旨を唱え、昭和五十五(一九八〇)年に『週刊文春』の誌上で、「現法主日顕の血脈相承に疑義がある」という旨の文章を寄稿していた。
 そして、この問題は、日蓮正宗の全国各地の末寺の僧侶百八十名以上(正信会)が、一同に決起して、日顕法主への血脈相承は無かったとして、「管長地位不存在確認請求訴訟」という前代未聞の裁判事件となった。
 そして、一方、日顕法主側が、これら僧侶達を相手取り、僧侶の地位をクビにし、寺院の明け渡し請求訴訟を起こすという訴訟合戦となった。日連正宗はじまって以来の大事件である。
 さらに、この血脈相承疑惑問題は、その後、機会あるごとに山崎が取り上げて、創価学会を攻撃し、さらには、この問題で、日蓮正宗第六十七代法主となった日顕を誹謗中傷してきていた。したがって、この山崎が提起したこの血脈相承疑惑は、日蓮正宗に大変な波紋を投げかけていたのである。
 そして山崎の話に乗ったこの正信会僧侶達は、彼を頼りにし、また彼にとっても唯一の味方だった。この唯一の味方を、山崎はものの見事に裏切ったのだ。
 私は、平成七(一九九五)年二月十六日に発行された「慧妙」という、日蓮正宗御用達のゴマスリ新聞を持っている。この『慧妙」という新聞は、山崎が私に送ってきたものである。その新聞の二面に、山崎の寄稿文が大々的に掲載されている。
 その寄稿文を、ここに少し写し取ってみる。
 寄稿--
「最近の血脈相承否定の疑難について」「私が“御相承”を拝信するに至るまで」
「『文春』掲載の手記について」「いま、懺悔と共に御相承を拝信」
「……私が、日顕上人猊下の卸相承について否定した「週刊文春」掲載の見解は、今日では認識不足であり大きな誤りであった、との結論に達した。
 如何なる理由や、心情があろうと、信者の立場で、“御相承”を云々したことは、甚だ僭越なことであり、深く反省し、お詫び申し上げる次第である。
 そして、今後は、二度と触れることはないつもりである。あるいは、この私の態度に対し無節操・変節等の批判もあるやもしれない。
 しかし、人間進む勇気も必要だが、改める謙虚さも失ってはならない。
 それを勇気と言えるのだと、私は思う」
 まあ、よくここまで図々しく厚顔無恥になれるものだ。十数年間唱え続けてきた自説を、これ程簡単に、変節できるものなのか、無節操にも程がある。
 この血脈相承の疑惑問題について、山崎の変節で一番困惑したのは、正信会の僧侶達であった。
 ところで、なぜ山崎は変節したのか。山崎は、『慧妙』でもっともらしい御託を並べているが、実はこの変節の動機は、まったく別のところにあったのだ。

8 墓苑計画
 ある日、私のもとに日蓮正宗の法華講の関係者から、信徒用の墓地建設の話が舞い込んできた。法華講の信者で、田中という私の友人からの話であった。
 それによると、日蓮正宗総本山大石寺の周辺には、信者専用の墓地も葬儀社もなく困っている。信者組織の法華講連合会でトップにある柳沢某も承知していることなので、ぜひ墓地の造成に手を貸してくれないか、ということであった。
 相談を受けた私と山田某は、墓苑建設なら山崎は経験もあるし、大石寺との折衝役として打ってつけではないかと考え、山崎を誘い込むことにした。
 それで山崎にこのことを話すと、山崎も、「まとまった金が必要だ。いい知恵がある」と二つ返事で乗ってきた。
 山崎の話では、「日顕が自分に会いたがっている、自分と日顕の手打ちをさせようとする仲介者がいる。自分が日顕の血脈相承を認める。その代わり条件として、日顕から墓苑建設のお墨付きをもらおう。それが一番いい」ということだった。
 そのために私たちと山崎の間で、平成六(一九九四)年十月には「業務委託契約書」なるものまで作成して、墓苑実現に向けて動き出したのであった。
 この「業務委託契約者」は、今も私の手元に残っている。
 その後二、三力月がたち、山崎から何の音沙汰もないので、山田某に、どうなっているのか山崎に聞いてみろと指示したところ、山田が私に報告してきた。
 その話によると平成七(一九九五)年二月、山崎は、法華講の機関紙『慧妙』に「私が御相承を拝信するまで」なる一文を発表し、「御相承否定は間違っていた」と、日顕法主の相承を認める記事を書いている。
 計画は進んでいるので、もう少し待ってくれとのことだった。私は、これで今度こそ大きな仕事になるなと期待していた。
 ところが、一向に話が進まない。業を煮やして山田某を介して再度山崎に問いただすと、彼は、山田某が「山崎事務所山田」の名刺を使って大石寺の墓苑をつくるという話で動きまわっている、その話が大石寺に入り、大石寺からクレームがきて、この話はこわれたと言っているとのことだった。まるでこちらが悪い、というような話だった。
 結局、この約束は反古になり、墓苑の完成予想図まで人れたカタログも宙に浮いてしまったのである。
 私は、この山崎の態度に憤慨した。私たちが山崎に持ちかけた話は、けっして裏に悪事のある話ではない。宗門関係者が墓苑を作って欲しいと望み、それを実現しょうとしただけである。しかたなく私は、この計画の後始末に奔走せざるを得なかった。しかし山崎からはなんの挨拶もない。
 山崎の犯罪を隠蔽するために奔走して成功させ、さらには頼まれるままに恩義ある組さえも抜けて、山崎を守った人間は誰だったのか。
 そうした人間に対して後足で砂をかけ、梯子をはずし、自分だけが「いい子」になって他人様に説教まで垂れている。
 その後、日顕法主に取り入って有頂天になった山崎が、同じ『慧妙』紙上で、「俺は冤罪だ、池田名誉会長こそ悪だ」などとうそぶく姿に、私は我慢がならなかった。
 要は山崎は、あれだけ正信会の僧侶を信じこませて、訴訟までやらせた「血脈相承問題」を、金のためにいとも簡単に一八〇度変えてしまったのだ。それが、血脈相承問題変節の真相である。
 そして、手形詐欺事件の真相が世間に知られていないのをいいことに、今もまたマスコミを利用し、創価学会攻撃のフィクサーよろしく得意満面になってさまざまな団体を操り取り人つている。
       ---------(180P)-------つづく--

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