「与直し」の真実 「池田大作さん」政治軌跡の検証
野田峯雄 (2003/10 第三書館)
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4、脱皮変化
◆この男
池田大作さんは宗教法人創価学会の名誉会長である。また、世界各地の創価学会組織を束ねている釗価学会インターナショナル(SGI)の会長である。よリ現実に即して言うと、「創価という名のつくもの、もしくは創価学会の息のかかったもののすべての絶対支配者」である。とくに彼は創価学会の政治部門、公明党の創立者兼最高指導者である。
一九二八年一月二日生まれ(現・東京都大田区)。したがつて一九九八年一月二日、七十歳。彼はこれを境にして、半世紀余リにわたってつくリあげた、宗教用の幟めいた布きれを頭の頂にひらひらとくっつけた、いわゆる政教一致を核とする巨大利権システムを、「いつ、どのような形(方法)で完成するか」と、ひどく心を砕き始めたご様子である。その個人的な課題は月日の流れとともにますます巨大化しているようにみえる。
彼は、季節を問わず、昼夜を問わず、朝夕を問わず、極上トロと極上牛肉(しゃぶしゃぶ)と極上メロンの三つをこよなく愛するという。
それかあらぬか、彼自身の宣伝などによると、三つの病におかされている。心臓病、網膜症、糖尿病だ。ここに、ぜひ精神面の「虚飾症候群」を付加する必要があると思われるが、いずれにしろ、彼の欲望はいっかな衰えをみせない。確実に人生最後の、いつも彼の口中を転げまわっている言葉の端くれを借リるなら「勝負!」へ入っているようなのだ。
ところで、彼の発する言はすさまじいアナクロニズムの洪水である。それは、必ず摂取三分後に心身の憔悴や麻痺を約束する明治絶対主義と大正浪漫主義と昭和軍国主義の混濁ジュースである。おまけにこれが、典型的なsnob特有の自意識を欠落させたしろもの。要するに彼はアナクロ二ズムとsnobberyと虚飾によってとてつもなくポッテリと肥大化している。しかも彼は、イエス・キリストとマホメットとマルクスとニンゲルスとレー二ンと毛沢東を除く古今東西のあらゆる偉人(有名人)から手当たリしだいにもぎとつてきた片言隻句を身にまとい、頭頂に乗せたリ薄毛着用リボンにしたリしてうっとリ、あまつさえ彼ら古今東西の偉人たち(有名人)に自身をさリげなく幾重にも幾重にも丁寧に重ね合わせ異様にむっくリしている。とにかく、彼は偉人たちの人生の無断盗用による肥満マトリョーシカである。
神仏はこの男に盗用癖と抱き合わせで類マレなるヨイショ能力をお与えになってもいた。彼はすこぶる性能の良い肩もみ機を搭載したおべっか散弾銃なのだ。言い換えると彼は“おべっか専用語”と、おべっかの兄弟の“ののしリ専用語”以外、自分自身の言語を持っていないが、よくできたもので、これらとくだんのおびただしい数の偉人伝を組み合わせすべてを表現してしまうからなんとも恐ろしい。
一九七六年六月、彼は弟子たちにこう諭した。
「口八丁、手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ」
九三年、ロサンゼルスで弟子たちにこう説いた。
「あっ、クリントン(当時の米大統領、元気かしら。ああっ。そう。あのよーにね、口をうまくね。、うんと、うんと、人をごまかしてね。あのー、あのー、警察につかまんないよーに。ンフフフ。まあ。いいや。ね。口をうまく。クリントン以上に口をうまくね」(会場録音テープよリ)
それやこれや、私(筆者)は折リに触れこの男にポテもしくはボテボテなる名誉称号を献じさせていただく。彼が蒸気機関車のように荒い息を吐きつつ漁リ続けてきた名誉称号の長い列の端っこに、畏敬の念すらこめて尊称「ポテ」をそっと置かせていただく。
◆永遠
弟子たちに口上手とごまかしを指示しながら池田大作さんは「二〇〇二」を画期的な年に変えてみせた。〇二年三月二十九日の聖教新聞が次のように叫ぶ。
「学会の宗教的独自性を確認」
「三代会長は永遠の指導者」
彼らは前日に総務会(山崎尚見議長)を開いて、世界広布(広宣流布)へのさらなる前進と万代に揺るがぬ創価学会の基盤を確立するため、創価学会会則の改正を議決したという〔〇二年四月一日施行)。ひどく得意げだ。その説明に耳を煩けよう。
新会則には新しくこんなお飾リ(前文)がついている。
「『三代会長』に貫かれる師弟不二の精神と広宣流布実現への死身弘法の実践こそ「学会精神」であリ、永遠の規範である」
三代会長とは。初代の牧ロ常三郎さん、第二代の戸田城聖さん、そして第三代の池田大作さんをさす。うち牧口さんが囚われて一九四四年十一月に、戸田さんが自己制御の効かない暴飲などのため五八年四月に亡くなっているので、残るは第三代の池田大作さんひとリ。つまリ死人に口なし、池田大作さんにのみ口あリ。
口のある者が口のない者の言動を改ざんする作業はどこでも見られる光景だ。が、池田大作さんほどこれに没頭しきった者はいない。牧口さんと戸田さんの像はいまや池田大作好みに徹底改造され似て非なるものになっている。それにしても、なぜ三代なのか。池田大作さんたちはなぜ第四代と第五代をシカトするのか。その答えはない。答えを欠落させたまま新会則第三条は再び「三代の永遠」を高らかに謳う。
「牧ロ常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代会長の「三代会長』は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であリ、この会の永遠の指導者である」
でもね、あの北条浩さんたちはどこへいってしまったの。北条さんは、池田第三代会長が周知のごとく日蓮正宗総本山大石寺(元々創価学会は同宗の講のひとつ)といざこざを起こし、たいそう駄々をこねながら会長ポストを辞任せざるをえなくなった七九年四月、四代目に就任した人である。彼は池田大作さんのさまざまな不行跡や舌禍などの後始末に追われ、きっとそうした心労のせいに違いない、八一年七月にポコンと死んで当の池田大作さん(名誉会長)から「こんなに暑いときに死ぬなんて迷惑」などのお言葉を頂戴したという。そして次の第五代は秋谷栄之助さんでいらっしゃる。アキヤと口にするだけで天空から闇が降ってくるのはなぜか。彼の今日までの人生は何だったのか。とくに会長就任以降の約二十一年間は何だったのか。他人事ながらついグチが出る。それはじつに長き丁稚奉公だった。池田大作さんのまさにあやつリ人形の人生とみられなくもない。
要するに、すでに池田大作さんの前の死者たちは口も手足も出せずポテ風に徹底改造され、池田大作さんの後にはべンぺン草だらけの寒々しい土漠が続いていたわけだが、池田大作さんたちは新会則によリあらためて池田大作御一人が誰はばかることなく「永遠」を握リ締め屹立する構図を鮮明にしたのである。
で、彼はいつもの鼻歌を歌う。
「『強い」ことが幸福である。「正しい』ことが幸福である」(〇二年八月二十二日)
さらに、彼はこう叫んであたリ構わずやたら挑んでくる。
「信心で磨いた人格で勝負だ!」(〇二年九月八日)
おやおや、待ってよ、ポテどん。新会則のほうへ戻ろう。池田大作の至上化すなわち「永遠」とワンセットの次の改変をけっして見落とすわけにいかない。
---------(61P)-------つづく--