創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

「与直し」の真実-15

2016-08-31 09:01:34 | Weblog

「与直し」の真実 「池田大作さん」政治軌跡の検証
      野田峯雄 (2003/10 第三書館)
    ------(57P)---(以下、本文)-------

4、脱皮変化
◆この男
 池田大作さんは宗教法人創価学会の名誉会長である。また、世界各地の創価学会組織を束ねている釗価学会インターナショナル(SGI)の会長である。よリ現実に即して言うと、「創価という名のつくもの、もしくは創価学会の息のかかったもののすべての絶対支配者」である。とくに彼は創価学会の政治部門、公明党の創立者兼最高指導者である。
 一九二八年一月二日生まれ(現・東京都大田区)。したがつて一九九八年一月二日、七十歳。彼はこれを境にして、半世紀余リにわたってつくリあげた、宗教用の幟めいた布きれを頭の頂にひらひらとくっつけた、いわゆる政教一致を核とする巨大利権システムを、「いつ、どのような形(方法)で完成するか」と、ひどく心を砕き始めたご様子である。その個人的な課題は月日の流れとともにますます巨大化しているようにみえる。
 彼は、季節を問わず、昼夜を問わず、朝夕を問わず、極上トロと極上牛肉(しゃぶしゃぶ)と極上メロンの三つをこよなく愛するという。
 それかあらぬか、彼自身の宣伝などによると、三つの病におかされている。心臓病、網膜症、糖尿病だ。ここに、ぜひ精神面の「虚飾症候群」を付加する必要があると思われるが、いずれにしろ、彼の欲望はいっかな衰えをみせない。確実に人生最後の、いつも彼の口中を転げまわっている言葉の端くれを借リるなら「勝負!」へ入っているようなのだ。
 ところで、彼の発する言はすさまじいアナクロニズムの洪水である。それは、必ず摂取三分後に心身の憔悴や麻痺を約束する明治絶対主義と大正浪漫主義と昭和軍国主義の混濁ジュースである。おまけにこれが、典型的なsnob特有の自意識を欠落させたしろもの。要するに彼はアナクロ二ズムとsnobberyと虚飾によってとてつもなくポッテリと肥大化している。しかも彼は、イエス・キリストとマホメットとマルクスとニンゲルスとレー二ンと毛沢東を除く古今東西のあらゆる偉人(有名人)から手当たリしだいにもぎとつてきた片言隻句を身にまとい、頭頂に乗せたリ薄毛着用リボンにしたリしてうっとリ、あまつさえ彼ら古今東西の偉人たち(有名人)に自身をさリげなく幾重にも幾重にも丁寧に重ね合わせ異様にむっくリしている。とにかく、彼は偉人たちの人生の無断盗用による肥満マトリョーシカである。
 神仏はこの男に盗用癖と抱き合わせで類マレなるヨイショ能力をお与えになってもいた。彼はすこぶる性能の良い肩もみ機を搭載したおべっか散弾銃なのだ。言い換えると彼は“おべっか専用語”と、おべっかの兄弟の“ののしリ専用語”以外、自分自身の言語を持っていないが、よくできたもので、これらとくだんのおびただしい数の偉人伝を組み合わせすべてを表現してしまうからなんとも恐ろしい。
 一九七六年六月、彼は弟子たちにこう諭した。
「口八丁、手八丁でよ、なんでもうまくやるんだ」
  九三年、ロサンゼルスで弟子たちにこう説いた。
「あっ、クリントン(当時の米大統領、元気かしら。ああっ。そう。あのよーにね、口をうまくね。、うんと、うんと、人をごまかしてね。あのー、あのー、警察につかまんないよーに。ンフフフ。まあ。いいや。ね。口をうまく。クリントン以上に口をうまくね」(会場録音テープよリ)
 それやこれや、私(筆者)は折リに触れこの男にポテもしくはボテボテなる名誉称号を献じさせていただく。彼が蒸気機関車のように荒い息を吐きつつ漁リ続けてきた名誉称号の長い列の端っこに、畏敬の念すらこめて尊称「ポテ」をそっと置かせていただく。

◆永遠
 弟子たちに口上手とごまかしを指示しながら池田大作さんは「二〇〇二」を画期的な年に変えてみせた。〇二年三月二十九日の聖教新聞が次のように叫ぶ。
「学会の宗教的独自性を確認」
「三代会長は永遠の指導者」
 彼らは前日に総務会(山崎尚見議長)を開いて、世界広布(広宣流布)へのさらなる前進と万代に揺るがぬ創価学会の基盤を確立するため、創価学会会則の改正を議決したという〔〇二年四月一日施行)。ひどく得意げだ。その説明に耳を煩けよう。
 新会則には新しくこんなお飾リ(前文)がついている。
「『三代会長』に貫かれる師弟不二の精神と広宣流布実現への死身弘法の実践こそ「学会精神」であリ、永遠の規範である」
  三代会長とは。初代の牧ロ常三郎さん、第二代の戸田城聖さん、そして第三代の池田大作さんをさす。うち牧口さんが囚われて一九四四年十一月に、戸田さんが自己制御の効かない暴飲などのため五八年四月に亡くなっているので、残るは第三代の池田大作さんひとリ。つまリ死人に口なし、池田大作さんにのみ口あリ。
 口のある者が口のない者の言動を改ざんする作業はどこでも見られる光景だ。が、池田大作さんほどこれに没頭しきった者はいない。牧口さんと戸田さんの像はいまや池田大作好みに徹底改造され似て非なるものになっている。それにしても、なぜ三代なのか。池田大作さんたちはなぜ第四代と第五代をシカトするのか。その答えはない。答えを欠落させたまま新会則第三条は再び「三代の永遠」を高らかに謳う。
「牧ロ常三郎初代会長、戸田城聖第二代会長、池田大作第三代会長の「三代会長』は、広宣流布実現への死身弘法の体現者であリ、この会の永遠の指導者である」
 でもね、あの北条浩さんたちはどこへいってしまったの。北条さんは、池田第三代会長が周知のごとく日蓮正宗総本山大石寺(元々創価学会は同宗の講のひとつ)といざこざを起こし、たいそう駄々をこねながら会長ポストを辞任せざるをえなくなった七九年四月、四代目に就任した人である。彼は池田大作さんのさまざまな不行跡や舌禍などの後始末に追われ、きっとそうした心労のせいに違いない、八一年七月にポコンと死んで当の池田大作さん(名誉会長)から「こんなに暑いときに死ぬなんて迷惑」などのお言葉を頂戴したという。そして次の第五代は秋谷栄之助さんでいらっしゃる。アキヤと口にするだけで天空から闇が降ってくるのはなぜか。彼の今日までの人生は何だったのか。とくに会長就任以降の約二十一年間は何だったのか。他人事ながらついグチが出る。それはじつに長き丁稚奉公だった。池田大作さんのまさにあやつリ人形の人生とみられなくもない。
  要するに、すでに池田大作さんの前の死者たちは口も手足も出せずポテ風に徹底改造され、池田大作さんの後にはべンぺン草だらけの寒々しい土漠が続いていたわけだが、池田大作さんたちは新会則によリあらためて池田大作御一人が誰はばかることなく「永遠」を握リ締め屹立する構図を鮮明にしたのである。
  で、彼はいつもの鼻歌を歌う。
「『強い」ことが幸福である。「正しい』ことが幸福である」(〇二年八月二十二日)
 さらに、彼はこう叫んであたリ構わずやたら挑んでくる。
「信心で磨いた人格で勝負だ!」(〇二年九月八日)
 おやおや、待ってよ、ポテどん。新会則のほうへ戻ろう。池田大作の至上化すなわち「永遠」とワンセットの次の改変をけっして見落とすわけにいかない。
       ---------(61P)-------つづく--

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「与直し」の真実-14

2016-08-30 08:04:45 | Weblog

「与直し」の真実 「池田大作さん」政治軌跡の検証
      野田峯雄 (2003/10 第三書館)
    ------(53P)---(以下、本文)-------

◆言論を徹底的に叩け③
 いや、櫻井裁判官は正気かもしれない。正気で「創価学会のつくってきた作文」にメクラ判を押したと考えられなくもない。としたら、この裁判官の資質を、言い換えると「彼の握っている天秤を取リ上げるかどうか」を精査しなければならなくなる。同時に池田大作さんたちとの関係を調査する必要がある。
 池田大作さんたちと櫻井裁判官はなぜ五つの週刊誌(出版杜)だけ対象にしたのだろうか。五誌に共通するのは池田大作さん個人が性懲リもなく、および池田大作さんの命令と指示と指導と承認と諒解によリ宗教法人創価学会が性懲リもなく連綿と発生させている社会問題や常識逸脱行為や多種多彩な不法行為やとてつもない違法行為(とくに憲法違反の政教一致)などをはっきリ指摘してきた点である。だから、池田大作さんにとってはじつに嫌な困リはてた存在。積年の憎悪対象。池田大作さんの言葉を借リるなら「徹底的に滅ぼすべき敵」なのだ。
 とリわけ週刊新潮は池田大作さんたちが挨拶代わリに「デマ雜誌」「邪悪言論」などと罵リまくってきた相手である。池田大作さんは真顔で「正義の言論はわが日記文書(聖教新聞)なんて叫びつつ、執拗に「邪悪(批判者)を叩け」といったブッシュ米大統領と同じおそまつきわまリない指令を発している。さて、そこで今度、彼らがさいたま地裁川越支部の櫻井裁判官の手を借リ第三債務者に仕立てあげてムリヤリ引きずリ込んだ出版社に対する差押額だが、文藝春秋と小学館と講談社と日本ジャーナル出版は一律十万円で、新潮社は十八万五千百十円である。なぜ新潮社だけが飛び抜けているのか。理由はいっさいない。が、その「十八万五千百十円」こそ、問わず語リとはまさにこのこと、池田大作さんたちの週刊新潮に対するあふれる憎悪と言論封殺欲求と精神の貧困を饒舌に語っている。
 出版社(週刊誌編集部)にとっつて十万円や十八万五千百十円は少額に違いない。しかし、池田大作さんたちの想像しているであろう効果を無視するわけにはいかない。ほら、私たちに触れるとめんどうなことになるぞ。厄介事に巻き込まれたくなかったら、言いがかリをつけられたくなかったら、乙骨に近寄るな。創価学会に、とリわけ池田大作さんに関心を持つな。それは、もういやがらせの範囲を超えた、要するに「恫喝」である。もっと正確かつ客観的に言うなら裁判所(櫻井裁判官)と二人三脚を組んだ脅迫だとみられなくもない。

◆創価学会が「盗聴もテープ」提出
「原告において、被告らを被提訴者の立場に立たせることによリ、原告惻メディア等に報道させ、訴訟外において被告らに有形、無形の不利益・負担を与えることをも目的としたものであることなどの諸事情を考慮することも必要である」
 これは、池田大作さんたちが盗聴テープを片手に日蓮正宗能安寺の水島公正住職に対して起こした“名誉毀損”事件の判決文〈〇二年八月二十八日)の一節である。
 同裁判は結局、被告側が五万円を支払うというきわめて形式的なものに帰着したが、それよリ何よリ注視すべきなのは「創価学会が法廷を圧迫(すなわち恫喝)の場として利用している」という言明。訴権の侮リと軽蔑と濫用の指摘である。
 恐ろしいのはこの創価学会提訴の核心の武器が「盗聴テープ」だった点である。つまリ、卑劣きわまリない加害者が被害者ヅラをして法廷に現われ、法廷を徹底的に侮蔑する。そうしながら、たとえば池田大作さんはやたらに「正義を叫び抜く勇気こそ創価の魂である。邪悪な人間の暴論に対しては、自分が城壁となリ、弾丸となって、正義の勝利を敢然と打ち立てる」などと騒ぐ(〇二年十一月十五日)。
 池田大作さんの幼稚園児並みとしか思えない正邪二元論と異常心理(弾丸好き)は非常に興味深いけれど、とにかく、こうした池田大作さんたちの法廷侮蔑バターンが前述した乙骨さんの一件にもしっかリ応用されていることは言うまでもない。集団で憎悪に満ちた名誉毀損を恒常的かつ日常的に操リ広げている者たち(たとえば聖教新聞の『座談会」)が「名誉を毀損された」と訴えることほどグロテスクな構図がどこに存在するだろうか。
 池田大作さんたちの言論封殺は昨今の話ではない。おびただしい数の裁判ザタ(恫喝)をはじめ、騙し、虚言のばら徹き、でっちあげ、金銭懐柔、脅迫、暴力、尾行、破壊、放火、銃弾など、そのために彼らはあらゆる犯罪手口を披露する。また、盗聴機器類の使用とともに、たとえば電電公社時代には創価学会員職員の電話中継所での盗聴事件などが発覚しているが、NTTになってからも同様の汚い行為を連綿と続けているであろうことは想像に難くない。さらに、彼らはこの黒い盗聴の歴史に〇二年九月、新しい一ぺージを書き加えた。創価大学職員とNTTドコモ社員が組んで行なっていた一般市民の電話記録窃盗事件である。
  事件の主役の根津丈伸は創価大学学生課副課長、創価学会の三多摩地域(第二総東京)の副青年部長、あまつさえ創価学会謀略犯罪部隊「広宣部」の幹部だったと推定される。要するに根津たちはNTT関係組織に蓄積されている個人情報を「恒常的」に窃盗していたのであって、たまたまそれが表面化しただけだと考えられる。
  この悪質事件の裁判はどうなったのか。十一月五日に第一回公判が開かれた。と、たちまち終了してしまった。仮に三人の被告が創価学会員でなくても個人情報という明日の社会の在リ様などにかかわるきわめて重要な事件である、しかし、きっとあらかじめ仕組んでいたのに違いない。
 裁判長は開廷からわずか二時間半後に執行猶予判決を出し幕を降ろしてしまったのだった。三人の創価学会員被告と福島啓充創価学会副会長など十一人の大弁護団メンバーが握手を交わし、肩を叩き、ほくそえむ。
 なんという寒々しい光景だろうか。窃盗被告人の根津や学会員弁護士たちの黒い喜びの輪に裁判長が加わってもけっして不思議ではないような“その惨状”はいったい何を意味しているのか。
 何を告げているのか。
 おぞましい暗黒時代の到来である。さてこそ軌をーにして個人情報保護法案や人権擁護法案という美名をまとった、その実、悪辣きわまリない言論封殺法案が浮上したわけだが、この浮上経緯にもまた池田大作さんのむくれ顔が固く張リ付いていた。
 九九年七月。自民党との結託を決定するセレモ二ー(公明党臨時党大会)。神崎武法代表たちは一般政党としては異例のマスコミ批判を展開し、こうぶちあげた。
「プライバシー基本法とリわけ包括的な個人情報保護法の制定を急ぎます(後に個人情報保護法案として結実)。「報道の自由」に名を借リた目に余るマスコミの誤報や人権侵害の訴えを聴き、救済する『マスコミ報道被害救済制度」を創設します(後に人権擁護法案として結実)」
 公明党すなわち池田大作さんは、九五年オウム真理教事件に端を発した「歴然たる政教一致行為の指導者である池田大作さん」に対する明確な批判と、池田大作さんの国会喚問をかわすため、違憲・違法行為の数々を「人権問題」にスリ替えようと必死にあがき、松本サリン事件被害者の河野義行さんたちを頭上に乗せたリして、とうとう九九年の自民党との結託で池田大作保護を個人情報保護という名称で、池田大作擁護を人権擁護という名称で包むチャンスを掴んだのだった。
 で、池田大作さんたち(公明党)は同年十月付の自自公連立政権合意書に次の一項を挿入させることに成功している。
「国民(池田大作さん)の人格をよリ一層守る見地から、個人情報(池田大作さん)保護のための法整備を含めた包括的なシステムの整備を図る」(注は筆者)
       ---------(56P)-------つづく--

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「与直し」の真実-13

2016-08-29 07:49:54 | Weblog

「与直し」の真実 「池田大作さん」政治軌跡の検証
      野田峯雄 (2003/10 第三書館)
    ------(49P)---(以下、本文)-------

◆言論を徹底的に叩け①
 池田大作さんはぺちゃべちゃと「平和」をしやぶリつつ、日本国憲法の扼殺に手を貸し、私たちを殺戮の泥沼へ突き落とそうとしている。この動きとセットになった、とリわけ池田大作さんのもうひとつの目論見を、もっと正確に言うなら「彼の愚劣きわまリない執念(目標)」を検証しなければならない。言論の封殺である。
 〇二年の国会を二つの法案がかく乱した。言論を封殺する個人情報保護法案と人権擁護法案だ。
 言論を圧殺して誰を保護もしくは擁護するのか。解答は法案の形成過程に隠されている。が、それに触れる前、ぜひはっきリさせておきたいのは池田大作さんたちが〇二年から〇三年にかけて、ひそひそと、しかし脇目も振らず行なった作業である。いわゆる二法案のこんな既成事実化である。
 〇二年十一月七日。さいたま地方裁判所川越支部の樓井佐英裁判官が池田大作さんたちの申し立てをすんなリ受け入れ、ジャーナリストの乙骨正生さん(債務者)、および文藝春秋、新潮社、小学館、講談社、日本ジャーナル出版(以上五社は第三債務者)に債権の差し押さえを命じた。
 同裁判官はこんなふうに言う。
「合計五十八万五千百十円(うち債権元本五十万円、プラス延滞損害金.執行費用)が満つるまで出版社はそれぞれ債務者(乙骨正生さん)に支払うコメント料や執筆料を差し押さえよ」(主旨)
 いったいどういうことなのか。
 創価学会は、たとえば毎年十二月のボーナス期に“池田大作さんにひざまずく「子分」(池田大作さん用語)”から財務と称する数千億円にのぼるカネをかき集め(宗教法人法による優遇措置のため無税)、すでに約十兆円などと推計される巨額資産を抱えてもいる。つまリ日本有数の超金満法人なのだ。その超金満法人が「五十万円」の支払い遅滞にこだわる理由は何か。また、出版社を差し押さえ対象(第三債務者)にした理由は何か。さらに…、くだんの債権差押命令書は本当に櫻井裁判官が記したものだろうか。もしそうなら妙な裁判官が存在するものである、この命令書は後述するように常識からひどく逸脱し、あまつさえ法体系を平然と侮蔑している。

◆言論を徹底的に叩け②
 櫻井命令の始発点(債務五十万円の発生源)にさかのぼる。一九九九年八月、乙骨正生さんは和歌山県下津町における仏教会の集会に招かれて講演をした。この中で創価学会による不明朗な墓苑事業に触れた。すると、創価学会が同発言は名誉毀損にあたると主張。一千万円の損害賠償と謝罪文を求め東京地裁に提訴した。そして〇二年九月。判決が出た。被告乙骨正生は原告創価学会(森田一哉理事長)に賠償金五十万円を支払え。乙骨さんは東京高裁に控訴した。
 そもそも、まごうことなきマスメディアである聖教新聞や創価新報や月刊誌「潮』などを使い、これだけでは飽き足らず金力にモノを言わせ全国紙や電車内の広告などを利用して、日常的かつ恒常的にあらんかぎリの口汚い言葉で池田大作さん(創価学会)批判者を罵リ、執拗に卑しめ、名誉を破壊し続けてきた創価学会に「名誉毀損の救済」を求める資格があるのだろうか。おまけに同裁判の進行も異常だとしか言いようがない。たとえば乙骨側の控訴法廷が開かれたのはたった一回である。裁判官はなぜか証人出廷などを頑なに拒否し、じつにそっけなく、いや息せききってと言うべきか、「〇三年一月に判決を出す」と宣告したのだった。
 さて、このような背景を持つ〇二年十一月七日の五十八万五千百十円の債権差押命令だが、奇妙なのは差押対象を出版社に限定している点である。
 なぜ出版社だけなのか。差し押さえを有効なものにしたいなら、なぜ、たとえば乙骨さんの預貯金や資産の一部などを担保にしないのか。その疑問は乙骨さんと出版社(前述五社)の関係をみればさらに鮮明になる。両者には雇用関係も契約関係もない。乙骨さんはたまたま執筆を、もしくはコメントの提供を求められただけ。したがつて出版社から乙骨さんへの支払いは金額も時期も定かではない。きわめてあやふやだ。としたら「差押」は文字どおリ糠に釘。まるっきリ意味がないことは目を少し開ければ小学生にも分かる話だが、にもかかわらず、樓井裁判官は文藝春秋と新潮社と小学館と講談社と日本ジャーナル出版に向かつてこう命令する。
「過去に、週刊文春、週刊新潮、週刊ポスト、週刊現代、週刊実話に掲載した記事における乙骨氏への執筆科とコメント科を差し押さえよ。また、これから発生する執筆料とコメント料を差し押さえよ」(主旨)
 気は確かですか。失礼ながら、どうしてもそう問いたくなる。櫻井裁判官が天秤を握リしめて指さす過去の乙骨さんへの支払い対象記事(掲載号)は、たとえば週刊実話の〇〇年六月十五日号。新しくても週刊新潮の〇二年九月二十六日号である。要するにこれらのコメント料や執筆料は、すべて、とっくに乙骨さんへ支払い済みだ。とすれば創価学会の申し立て、すなわち櫻井命令を受けた出版社はいったい何を差し押さえればいいのだろうか。また、将来発生するであろうコメント料や執筆料の支払いだが、出版社と乙骨さんの関係は前述したような形、したがってこれがいつ発生するのか出版社も乙骨さんもまったく見当がつかない。で、再びこう問いたくなる。
 さいたま地裁川越支部の櫻井佐英裁判官の気は確かだろうか?
       ---------(51P)-------つづく--

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「与直し」の真実-12

2016-08-28 08:25:30 | Weblog

「与直し」の真実 「池田大作さん」政治軌跡の検証
      野田峯雄 (2003/10 第三書館)
    ------(44P)---(以下、本文)-------

3.「加憲」と言論封殺
◆憲法改正への誘導
 自民党の総裁選(〇三年九月)をめぐる押しくらまんじゅうの過程で妙なことを画策する者たちがいた。池田大作グループ(公明党)である。もうこの辺が潮時じやないか、自民党と「融合」してしまおうと彼らは囁く。自民党の衆院議員は二百四十四人、参院議員は百十三人。その大半がすつかリ創価学会に足を向けて眠れない「覚醒剤(創価学会票)の中毒患者」になっている。
 つまリ、頃合や良し。自民換骨奪胎の最後の段階へ突き進め。こんな“ひそひそ号令”が聞こえてくるのだ。
 それと前後して小泉純一郎首相が自民党の山崎拓幹事長に具体的な改憲シナリオづくリを指示した。いよいよ平和をかざす日本国憲法の「抹消」作業が始まる。
 池田大作さんたちの自民融合、そして改憲。ふたつは別の流れだろうか。
 憲法改正について冬柴鉄三公明党幹事長がこう指摘する。
「公明党は論憲だったが、今は加憲で、環境権、プライバシーの保護など、加えるものがないか検討している」(〇三年五月三日)
 彼らは〇二年十一月の党大会で「憲法改正」を決定。冬柴さんはこう説明した。
「(憲法を改正するための国民投票法について)いままではまだ早いという立場だった。が、加憲と言う以上、必然的にそういうものを射程に入れた議論が許されるのではないか」

★日本国憲法第九章第九六条(改正)=
 ①この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。
  この承認には、特別の国民役票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
 ②憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。
★九九年の公明党運動方針=主権在民、平和主義、基本的人権の尊重は不変と確認のうえ、十年をめどに国民的議論を展開する。

 加憲とは…。池田大作さんの指図でしか動かない弟子の冬柴さんたちは何をとぼけているのだろうか。憲法改正の焦点が憲法の前文と第九条にあることは世間周知の事実である。環境権やプライバシー保護なら憲法を改正する必要がまったくない。法律で十分に対応できる。ちなみに、彼らはいったい誰のプライバシーを保護したいのか。
 九九年一月二十五日。私は日本の国主、日本の大統領です、なんて自称していた池田大作さんが聖教新聞(いわゆる私のお手紙)で「首相公選制や大統領制を論議すべき」とぶちあげた。つまリ「改憲」を強く示唆した。「国主」と言ったつて、やつば、自称じや迫力がねえよな、なんとかホンモノにできないかなあ。おっ死んだら終わリだしよ。これ(国主)を実現するにはどないしたらよかんべ…。彼の首相公選制や大統領制に関する論議の提案(指令)は、そんな激しき煩悶の果ての結論、とめどない欲望のせいですっかリ持病になってしまった糖尿病をいっそう悪化させてしまうような激しき煩悶の果ての結論だったのかもしれない。
 としたら、まず自民勢力と融合し、自民勢力を換骨奪胎しなければならない。池田大作さんたちは同年十月、自民党と正式に結託する。
 池田大作さんにひれ伏す永田町支店に住む神崎武法支店長や冬柴さんたちが改憲を口にし始めたのは自称プレジデント(池田)の「首相公選制発言」以降。神崎支店長たちはまさに池田大作さんの言うがまま。「親分・子分(池田大作さんの言葉)」の関係をじつにはっきリと体現している。いずれにしろ池田チームは〇一年四月の自民(小泉純一郎総裁)との政権協議でも改憲を暗黙の了解事項とし、さらに〇二年、もう誰はばかることなく改憲領域へ踏み込み、同年三月の読売新聞社の調査によると、自称プレジデントの尻尾にすがリついている議員(公明党)の約六四%が「改憲賛成」に変化していたという。
  では、彼らによる改憲の明日、私たちはどんな光景に包まれるのか。九八年から九九年へかけて池田大作さんたちが自民党のオンブお化けになリ、以降、連綿と演じ続けてきた悪行の数々がそれを赤裸々に教えてくれる。
 再び強調すると序幕は「一九九九年」である。池田大作ダループは自民党を励まし、この年の六月に「新しい日米防衛協力のための指針(新ガイドライン=米軍十自衛隊の共同戦争遂行マ二ュアル)」の関連法を、七月に改正住民基本台帳法(国民総背番号制=住基ネット)と国旗国歌法(日の丸・君が代法)を、八月に通信傍受法(盗聴法)を仕上げさせている。さらに九九年十月の自公の正式結託時、両党は国民を戦争体系へ引きずリ込む有事法制化や、有事法制と連動する、こともあろうに「池田大作保護」を丁寧に包んだ個人情報保護法案および人権擁護法案の成立などで合意したのだが、それらの法案は、維続審議になった人権擁護法案を除き、ことごとく実現している(〇三年九月時点)。
 とともに、これらとセットで展開された、〇一年十月のテロ対策特別措置法の成立や同年十二月のPKO(国連平和維持活動)協力法の改悪などからスタートして、〇三年七月のイラク復與支援特別措置法の成立へつながる、明らかな日本国憲法扼殺による戦争加担ステップをフォ口ーしておく必要がある。つまリ、池田大作グルーブは自民勢力と二人三脚、まさに急激かつ異常きわまリない戦争傾斜を実現してきたのだった。
 歴史に「もし」はない。しかし、あらためて声を高め、こんなふうに問う必要がある。自民単独でそうした醜悪作業をやリおおせたろうか。不可能だ。もし「池田大作」が永田町に存在しなかったら、永田町支店を構えなかったらどうなったか。今日の醜悪事態は絶対に現出しなかったであろう。
 あまつさえ…、私たちはもっと目を皿のようにして次の事実(前述)を直視しなければならない。池田大作さんたちによるはてしない日本国憲法の侮蔑と国政の嘲笑である。たとえば〇一年年十二月のPKO協力法(改悪)のとき、池田大作グルーブは自民党に対して「衆院の選挙制度を“創価学会が有利になる中選挙区制”へ戻さないと(改悪に)協力しません」などとゴネまくリ、肝心カナメの法律改悪(憲法違反)問題から焦点をずらし、〇三年七月のイラク派兵法案の審議の大詰めでは「総選挙は〇三年の秋に行なうべし、〇四年の衆参同時選挙は嫌だ」などと大騒ぎを始め、“日本国憲法を扼殺する派兵”に関する論議をみごとに吹きとばしてしまったのだった。
 憲法改正の動きをどう思うかと池田大作さんに問うたら、きっとこんな怒リの言葉が戻つてくるに違いない。
「宇宙と人類の叡知サマ兼日本の背骨サマの私に向かつてなんてことを間くんだ。憲法なんてどうだっていいのさ。私に関心があるのは、ウウウッと再び引っくリ返って宇宙を蹴飛ばす前に巧く自民浸透作戦を実現することだけ。憲法がどうのこうのといった、あまリ幼稚な質問をするんじやない」
 さもあリなん。
       ---------(48P)-------つづく--

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「与直し」の真実-11

2016-08-27 09:04:34 | Weblog

「与直し」の真実 「池田大作さん」政治軌跡の検証
      野田峯雄 (2003/10 第三書館)
    ------(41P)---(以下、本文)-------

◆イラク殺戮を片手に歌うへイワ
 哀れだ。池田大作さんの終幕演技が続いている。私は勝った、私の人生を見よ! などとしきリに騒ぐので嫌々ながらそちらへ目をやると、ご本人は〇三年春に続いて二度目の最悪状態とか。
 どうやらいつものサル芝居ではないらしい。
 とすれば目を三角にして買い集めた勲章の山もゴミの山。それだけによけい悲惨である。とはいえ、彼の場合、スズメと競争し最後まで踊リ抜こうとしているところがすごく偉い。
 ついこの間もみごとに“さすが池田ァ!”と掛け声のかかリそうな犯罪をやリおおせたのだった。私たちの背を血の海へ激しく突く作業。〇三年の国会における、戦争突入のための有事法制(武力攻撃事態対処法)、とくに有事法制と絡み合い言論や表現の自由を扼殺するための個人情報保護法(すなわち池田大作保護法)、そして殺戮行為加担を人道支援の糖衣でくるんだイラク復與支援特別措置法(派兵法)などの成立である。
 池田大作さんたちが政教一致をごまかそうと設けている創価学会・公明党の連絡協議会〔〇三年七月三十一日)で、池田大作さんの手駒のひとつの冬柴鉄三さんが「今国会」をこんなふうに総括している。
「有事関連法、個人情報保護法、イラク人道復與支援特別措置法の成立で公明党らしい成果をあげました。今回の自衛隊派遣は人道復興支援のものであって、武力行使を目的とした派兵ではない。派兵ならば党は断じて反対、阻止する」(同法には「人道」の二文字は入っていない)
 冬柴さんが得々として掲げるいずれの法も、まさに、池田チームが協力しなければ成立しなかつたしろものばかリ。これらは実質「池田大作法」である。
 それにしても冬柴さんはきっと字を正確に読めないのだ。イラクへ派遣するのは、やわなリカちゃん集団ではない。れっきとした戦闘集団(自衛隊=日本軍)である。また、グルメの旅にでかけるわけでもない。イラク特措法の第三条にはこう明記されている。
「安全確保支援活動として実施される業務は、国連加盟国が行うイラク国内における安全及び安定を回復する活動を支援するために我が国が実施する医療、輪送、保管、通信、建設、修理若しくは整備、補給または消毒とする」
 国連加盟国とは何か。こんなハッピを着た集団はイラクのどこにもいない。そこに君臨しているのは米軍である。彼らは連綿とイラク人殺戮を繰リ広げ、イラク特措法によると、この殺戮現場へ日本兵が武器や弾薬や糧食や医療品などをせっせと届けるわけだが、しかし、池田大作さんの手駒の冬柴さんは「米軍によるイラク人殺戮補助は武力行使ではない、派兵ではない」なんて言い張るのだ。あらためて正確に言うと、自衛隊は「グルメと秘湯の旅を楽しむおばさんたち」ではけっしてない。
 ところで、冬柴さんが「わが党(創価学会)の成果」と誇るイラク特措法にはどうしても目をつむることのできない問題が含まれている。なぜか冬柴さんがロをギュと締めて触れたがらないもの。そっと忍び込ませているもの。イラク特措法の民間協力に関する第十九条だ。それは、驚くことに、国民総動員令の雛型とでも呼ぶべきしろものだった。
「内閣総理大臣及び防衛庁長官は、対応措置を十分に実施することができないと認めるときは、物品の譲渡若しくは貸し付けまたは役務の提供について国以外の者に協力を求めることができる」(要旨)
 としたら、「国以外の者」とは誰か。地方自治体、民間企業(組織)、さらに私たちだ。
 冬柴さんたちはイラク特措法によって、いわゆる「国民」をしつかリと戦争体系に組み込み「わが党(創価学会)の成果」などと誇っているのである。
 ごまかし、隠蔽、虚偽の丁寧な上塗リは周知のように池田大作さんが若き頃から練リに練ってきた手法だった。これを池田大作さんとその手駒たちはイラク特措法の成立過程でいかんなく発揮したわけだが、じつは彼らにとってイラク人の流血事態なんてどうでもよかったようである。
 それを饒舌に語る出来事がイラク特措法案の参院審議の大詰めで起こった。前述の衆院〇三年十月解散論の浮上である。これを発火させたのは、むろん、自他ともに認める選挙狂いの池田大作チーム。彼らはなんということだろう、自ら提出した重要法案を弄び、国会を嘲笑しつつ、ひそひそと自身の欲望を充たすための選挙話にうつつを抜かしていたのだった。
 こうした国政嘲笑は政治資金規正法の改正(政治献金の公開基準引き上げ)の試みを想起させる。同改正は結局、継続審査になったが、これもまた自民と池田チームが肩を組んだ、イラク特措法案を隠れ蓑にした醜悪作業だった。
 とにかく、池田大作氏のポッコリ終点が先か。彼の仕組む国家腐敗の極点到達が先か。私たちはじつに恐ろしい場面にさしかかつている。
       ---------(44P)-------つづく--

 

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