創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

続・創価学会を斬る-23

2017-09-30 06:52:44 | Weblog

続・創価学会を斬る  藤原弘達 (昭和46=1971 日新報道)
    ------(P148)---(以下、本文)-------

学会・公明党文化工作の“ウルトラC方程式”
  次に創価学会・公明党の宣伝と文化人工作を兼ねる重要なものに出版社がある。そのカナメとなるのは「聖教新聞社」と「潮出版社」である。聖教新聞社は創価学会の機関紙「聖教新聞」をだしており、その発行部教は公称四一一万部といわれる。これは日本の三大紙「朝日」「読売」「毎日」に次ぐ発行部数といえる。そ機構は国内に七総局三十二支局をもち、海外は一総局八支局におよんでいる。そして取材記者一、〇〇〇人のほかに、一般学会員を取材に当たらせたりすることもある。紙面は学会関係に関するものと、一般紙が掲載するものとの両者からなっており、週四回は八ページ、残り三回は一二ページとなっている。この新聞を助けるために、「二十一世紀研究会」「近代マスコミ同志会」「現代マスコミ研究会」「近代思想研究会」「東洋研究会」などが協力している(浅野秀満『あすの創価学会』一九四~一九八ページによる)。このほか同社は『聖教グラフ』を出しており、その発行部数は公称一〇八万部に及んでいる。この聖教新間社の幹部が学会幹部によって占められていることはいうまでもない。社主は池田大作、社長は北条浩、編集局長は初代が石田次男で、そのあと秋谷栄之助、青木亨、福島源次郎とつづき、現在は美作房洋である。なお政教新聞社からは『日蓮大聖人御書講義』
『御義口伝講義』(上・下)、『立正安国論講義』、『創価学会入門』などの仏教関係書、それに出せば必ずべストセラーとなるいわゆ
る池田大作の『人間革命』などが出版されている。

 ついであげなければならないのは潮出版社である。同社は月刊総合雑誌『潮』、季刊雑誌『日本の将来』を出していて、『潮』の発
行部数は公称三七万部といわれ、いまや『文芸春秋』(公称五八万部)につぐ強さをもっている。ところがこの潮出版社なるものは単
に出版だけではなく、保険代理業や不動産業までできるようになっており、学会のぬけめなさを示している。社長は島津矩久である。
 なお潮出版社の利益は四十四年には二億一六九万円にもおよんでいるのだから大したものである。とてもまともな出版社ではまねのできない增収益である。
 ほかに東西哲学書院は『牧ロ常三郎全集』などをだし、鳳書院は秋谷城永(栄之助)の『創価学会の理念と実践』、小平芳平の『創価学会』なども出版している。この東西哲学書院は潮出版社が保険代理業、不動産業ができるのと同じく出版以外に保険業や仏具用品の製造販売、化粧品、煙草の販売、軽食喫茶に関するものなど、きわめて手広い営業をすることができるようになっている。この書院の四十三年度の利益は一億三三〇五万円であった。鳳書院は三十七年にできたものであるが、ここは割合まともな書籍雑誌制作販売に目的が限定されている。
 新しいところでは新社会研究所があり、『新社会情報パック』という本を四十六年五月から出版しはじめた。設立されたのは四十四年四月であり、さまざまな情報収集、興信業務を行なう機関でもある。さらに「総合ジャーナル社」があり、ここでは創価学会文化局の機関誌『文化創造』を発行している。
 創価学会・公明党の出版物としては、機関紙・誌のほかに、定期的に刊行されるものとして『公明グラフ』(三五万)、『公明写真ニュース』、『大白蓮華』(二〇〇万)、『灯台』(七万)、『大学新報』(一五万)、『聖教タイムズ』(一万)、『小、中学生文化新聞』(一五万)などがあり、それに池田大作の、小説『人間革命』(六一七万部)、『家庭革命』(三五万部)、『科学と宗教』(五〇万部)、『私はこう思う』(四二万部)。『わたくしの随筆集』(四五万部)、『私の人生観』(三〇万部)<発行部数四十五年十一月末>、あるいは日蓮正宗の教義などの仏教関係書が出版されており、その言論活動はまこと驚くベきものがあるといえよう。(浅野、足立、既掲書による)

 第三に文化工作としてつくられた芸能関係の外郭団体をあげる必要があろう。この種の団体としてもっとも著名なのは「民主音楽協会」である。この民音は労音に対抗して創立されたものであり、学会・公明党の宣伝および「折伏」に一役買っている。この民音の舞台には、ほとんどあらゆる音楽家、芸能人が登場し、時には外国から招待された楽団の演奏などもあり、われわれの気持をさそうこともある。そこが学会のつけめであり、音楽や演劇にさそわれ、民音にでかけると、ひとりでに学会のふんいきにとけこむようになる。また民音に出席したのを機縁に折伏攻勢を受けるようにもなる。民音の幹部も創価学会幹部があたっており、現在の代表は北条奏八である。
 ほかに「民主アーチスト協会」「富士吹奏楽団」といったものがある。前者は四十三年七月に結成されたもので、芸能人の組織化をはかったものである。選挙のときに、「公明党支持者」として名前をつらねる芸能人、街頭応援演説などに繰り出される芸能人は、殆どがこの協会に入っている。この協会の代表は阿部憲ー(参議院議員)であり、理事の中には三和完児、伊藤雄之助、二本柳寛、中村雀右衛門、川村深雪、和井内恭子といった人が含まれ、長谷川明男、守屋浩、増田順司、原田信夫、本間千代子、小林哲子など、テレビでおなじみのものも会員となっている。後者の「富士吹奏楽団」は純然たる創価学会内部の組織といってもよい。

 第四には、さまざまの「研究所」と称するものがある。例えば、『アジア文化』を発行している「アジア文化研究所」、『民族文化』を出している「アジア民族協会」、日蓮正宗の教義を研究している「東洋思想研究所」などがあり、その他、数えあげれば枚挙にいとまのないほどである。

 第五には、主婦や学生を対象としたものがある。奥様族の組織化をはかる「主婦同盟」、勤労婦人を対象とする「働く婦人の会」、学生を対象とした「新学生同盟」などである。この中でいささか触れる必要があるのは、「新学生同盟」であろう。学会は学生対策にかなり意を用いているからである。
「新学生同盟」は四十四年五月三日に池田会長が「学生運動の第三の道」を提唱して以来、学会内で本格的に取り上げられ、十月十九日に結成のはこびとなったものである。これよりさき九月二十五日に結成準備会が開かれたが、その時に当面の学内活動について「全共闘運動の一定の意義は認めるが、パリケードは戦術としても拙劣」「全共闘、民青など、他の学生組織と場合によっては共闘もありうる」「学生自治会は否定しないが、いまの自治会は多分に形がい化しており、新学生同盟から自治委員を送りだすことはしない」「基本的には反戦、反権力の闘争」といった考え方を示している。(「朝日新聞」四四・九・二六)
 十月の結成大会には、全国三三八の大学から七万五千人が参加したといわれ、ゲパ棒、竹ざお、ヘルメット姿が代々木公園を埋めたのである。学会員であるというだけで、スタイルは、いわゆるゲバ学生と少しも変わらない。かって池田会長も、このゲパ姿を喜んだことがある。
 学生部には現在二八万人が所属しているといわれるが、学会の各大学への浸透もかなり著しく、四十五年八月現在で、日大の六、〇〇〇人を筆頭に、中大四、〇〇〇人、法大三、三〇〇人、早大、明大、近大各三、〇〇〇人、拓大一、八〇〇人、関大、専修大、東洋大各一、五〇〇人などとなっている。東大や京大にも各七〇〇人いるということである。(浅野、既掲書による)
 人数だけからいえば、民青系学生、全共闘系学生を上回る数だが、各大学の内部では、まだまだそれほど大きな影響力をもっていない。大学生の相場が下がり、知能低劣なのも少なくないが、まだ創価学会にいかれるほどの学生は、それほど多くないのだろう。

 そのほかにも外郭団体はあり、例えば「新文芸評論会議」「第三文明協会」等々がある。そしてこれらは、いずれも学会,公明党の手足として動いているわけである。
        ---------(153P)-------つづく--

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続・創価学会を斬る-22

2017-09-29 07:48:20 | Weblog

続・創価学会を斬る  藤原弘達 (昭和46=1971 日新報道)
    ------(P138)---(以下、本文)-------

党幹部と末端のみにくい軋轢
 竹入委員長が刺されるという思わざる事件はあったが、第九回党全国大会は、三日間の日程を一応はとどこおりなく終えた。だが、この大会で種々の問題が、初めて露呈されたのである。

 まず「党組織の充実」に関連して小野寺寿博(埼玉)は「先の統一地方選挙と参院選挙の総括分析について、議案には『統一地方選においては九七パーセントの当選率を得、改選前に比ベニ百四十三議席を増加し、参院選においては全員当選の大勝利を得ました』とあるが、参院全国区は三年前よりも得票数、率とも低下しており、たんに大勝利と片づけていいのか」と手痛い質問をしている。つまり中執の回答の如何にかかわらず、一般党員は四十六年に施行された選挙を“勝利”とは感じていないのである。
 また「農業問題」に関連し、厚地墾(鹿児島)は、「公明党は都市部において強く、農村部において弱いといわれているが、これは公明党の農業政策の基本的な問題はともかく、実施要網の面において政策的な弱さがあると思う」といった質問をしている。
 これは党員が公明党の抽象的、観念的なスローガンはともかくとして、それを具体的にどう実施していったらよいのか、という点の政策的弱点をついたものといえよう。党員自身がそのことをよく知っているのである。このようにおざなりな政策についてそのほかにも数多くの疑義がでているのである。
 高橋鉱(北海道)は、「昨年の第八回党全国大会の最終日に竹入委員長が中道革新構想を提唱したのをきっかけに、再編への動きが急速な高まりをみせ、ある程度のコンセンサスが形成された。だが、今年の二大選挙後、再編への動きは弱くなったように思う。社公民の三党協力が高まるという客観情勢の変化にともない、方針に変更があることは理解できるが、もう一つしっくりしない面がある。再編から三党協力に移行した経緯と今後の展望について説明してほしい」とただしている。
 野党再編構想にしても、民社党の故西村委員長、当時の社会党江田書記長らの思惑にのって、いわば言論出版妨害問題に対する救いの神として、西村構想にのったにすぎず、また選挙に際しては社会党の呼びかけに応じ、根本的な方針もないままに三党協力に移行していったのである。これといった状勢の見通しもなく、ただ状況に応じクルクルと変わってゆく党の体質について、党大会の代議員自身からすら疑問がでているわけである。
 また佐竹二郞(宮城)からは、「次期衆議院選において『限定した形で野党の選挙協力を検討する用意がある』と明記されているが『限定した形』とは具体的にどのようなことをさすのか」と活動方針のアイマイさを衝かれている。
 これに対して矢野書記長は「各県本部、党員の皆さんのご理解を受け、支持を受けられるようにしていくとしか現時点では申しあげ
られない。了承してほしい」と、答えている。
 まこと、アイマイであり、ある意味では実にふざけた答弁ですませているといえよう。

 さらに野村光雄(北海道)は、「次期衆院選にあたって、原則として党勢拡大のために全選挙区で立候補すべきだ。やむをえない場合は、主体性をもって態度を明確にすべきである」と、党の主体性の確立を訴えている。
 これまでの選挙において、公明党が立候補していない場合は、少しも自主性がなく、右に左に揺れていた、その主体性の欠如をこの代
議員は衝いているわけである。
 小見喜代治(埼玉)は、「院外における問題別の大衆行動は、原則的に大いにやるべきだと思う。しかし、最近の社会党の発言は遺憾なものが多く、党執行部は、現在までの選挙協力の結果をどう分析しているのか。とくに、他党の候補を支援することによって、わが党の勢力を弱体化していくことは明らかであり、その点で共闘はやめるべきだ。党の主体性のもと、当落は別にして積極的に独自候補を出すべきである」と主張している。
 まさにその通りといえよう。党中執の選挙分析は、如何に内外をごまかすかということに重点が置かれ、自主性の欠如、あるいは三党協力に末端の反発があることをあえて無視し、党の弱体化を隠蔽し、無原則のままに選挙戦に臨んできたわけである。こうした代議員からのさまざまな疑問は、少し冷静に考えるならば、当然すぎるほど当然な疑問ということであり、むしろその提起が遅すぎたというべきだろう。

 こうした代議員から出されたさまざまのあまりにも当然すぎるほどの疑問をもあえて無視して“反自民勢力”を結集するとか、幅広い国民の支援をめざすとかいって、野党再編や三党協力を続けるとする姿勢のうちに何か一般議員にも知られたくない「お家の事情」があるのではないかと感ぜられるのである。それはいったい何かといえぱ、結局は公明党は学会の出店にすぎず、学会の勢力拡大のため以外には何一つとして自主性も原則もなく、状況次第ではまた変わることもあるのだというふくみとさらに第三党として、自民対社会・民社・共産のバランスの上に立ってキャスティングボートをにぎろうというこんたんがあるからにほかならない。
 こうした代議員の質問にすら党幹部はまともに答えられず、代議員から数々の疑問が出てくるということ自体に、末端以上に党中央部の右往左往ぶりがうかがわれるのである。

 しかし、このように党そのものは、さまざまの欠陥を有するにもかかわらず、創価学会がバックにあるかぎり、そして創価学会がマンモス組織であるかぎり、公明党がにわかにつぶれるということは考えられない。しかも学会の出店である党そのものは弱体であるにもかかわらず、この党は機関紙として「公明新聞」を発行し、その発行部数は、共産党機関紙「赤旗」の二倍もの八十万部の発行を誇り、「公明新聞・日曜版」は一四〇万部にもおよび、さらに月刊『公明』は七万部を発行し、党の宣伝、党勢拡大につとめているのである。 そのほか隔刊の『公明グラフ』が出されており、その発行部数は三八万部といわれる。
 そして、その財政は四十五年下半期の収支に関する報告によると、収入は二七億八七八八万四二三〇円であり、この額は自民党の七八億五一六七万円、日本共産党の四一億七二万円についで第三位を占めている。社会党、民社党などははるかに下で、社会党は六億三一一万、民社党にいたっては二億八六〇四万円にしかすぎない。支出も当然これと対応するわけであり、公明党の支出は二八億九一六九万七九四円であり、やはり自民党、共産党についでいる。自民党は七八億二一八六万円、共産党は三九億九二四七万円、社会党は六億一三七万円、民社党は二億五六六一万円となっている。
 一件一、〇〇〇万円以上の支出をみねと、公明党が断然多く、七、五三九件、自民党四、二八三件、共産党二、七五七件、社会党二、一四〇件、民社党一、ニ二五件となっており、公明党は実に細々とした支出が多いことが指摘できる。
 なお支出の中では材料費が件数も金額ももっとも多く、一、二八五件、四億四〇八二万二五四〇円におよんでいる。この材料費がいろいろな文化人などにうまく配分され、支払われていることは、すでにみたとおりであり、その詳細は五六ページ以下の表のとおりである。これをみても公明党の各種方面、とくに文化人への工作が並々ならぬものであることが物語られている。

 なお、学会は公明党以外にもいくつかの政治団体をつくっている。その一つは、「財団法人・公明協会」であり、これは昭和四十年十月に創価学会が三百万円を出資してつくったものである。この組織は公明党の宣伝、ならびに文化人工作、マスコミ対策などに利用されており、役員には創価学会・公明党の幹部が名を連ねている。「公明協会」の四十五年下半期の収入は三億二八九七万九七七八円、支出は二億三六五万一二〇七円であり、財政的にもきわめて大きな組織であることがわかろう。この「公明協会」では堀米庸三が大活躍をしているようである。
 公明系組織として、さらに財団法人「日本政治経済連盟」があげられる。この連盟は四十五年七月につくられ、公明党を組織と資金の両面から支援しょうとするもので、三年後に一〇〇万人にすることを目標にしている。目下のところこの方の収入(四十五年下半期)は九六七万九六〇〇円、支出(同)は三一四二万五一六七円と規模がぐっと小さくなっている。この組織は蛭田正ひとりで切り回しているような団体である。ちなみに、蛭田なる人物の給料は月額五〇万円、他の職員は三~五万円である。なお、この蛭田なる人物は職員録、紳士録、人事興信録、大衆人事録などのいわゆる名簿には記載されておらず、一説によると、某地方銀行の役員出身ともいわれているが定かではない。
 このように、この団体の実態はハッキリしない。しかも二一七四万五五六七円の赤字であり、一部は徳陽銀行から借入れている。半期でこれだけの赤字を出しながら、なおかつその存続を安泰ならしめているのはいささか奇妙である。
 このほか青年を対象にしたものとして、「青年政治連盟」がある。これは池田会長の提唱により、四十三年十二月二十四日結成されたものであり、いわば共産党系のにも対比されるべき存在といえよう。同連盟は、出版物の発行、座談会、討論会を行なったり、あるいは青年たちの労働条件の改善、福祉増進のための運動をしたり、親睦やリクリエーシヨン活動を通じて青年を創価学会・公明党に組織、結集しょうとしている。
 そのほか、「日中国交正常化協議会」、「原水爆反対全国高校連盟」、「日本青年平和連盟」「日本女子平和連盟」、「公明党支援協議会」などなど数多くの団体があり、いずれも、創価学会・公明党のために政治活動をすることを目的とした団体であるということができるであろう。
 なお注目すべきものに「安全保障研究会」と「福祉経済懇話会」なるものがある。前者は日本の安全保障問題を研究する組織だが、これに公明党側から矢野絢也、黒柳明、多田省吾、正木良明、渡部一郎、大久保直彦、伊藤惣助丸ら国会議員のなかの外交問題に関心がある主要メンパーが参加しているほか鑞山道雄(上智大教授)、本間長成(東大助教授)、武者小路公秀(上智大教授)、岡部達味(都立大教授)らの学者も参加している。これらの学者を入れているのは、外交問題に弱い公明党が学者からお知恵を拝借するためと、他面において文化人工作をなす一石二鳥をねらったものであろう。
 後者は公明党の一枚看板ともいうべき“福祉経済”を研究する組織で、正木良明、小平芳平らが加わり、学者としては伊藤善市(東京女子大教授)、島野卓弥(同助教授)、神川信彦(都立大教授)、清水幾太郎(哲学者)、川上源太郎(学習院大講師)らが参加している。これもいわゆる福社経済を党側が学ぶためと、学者工作をねらったものであることはいうまでもあるまい。(足立、既掲書一四〇ページ)

 さらに公明党がこれからつくろうとしているもので注目すべきものに「革新再編成協議会」がある。これは四十六年一月七日に竹入委員長が年頭記者会見で述べたもので、その発言要旨は「再編成は国民的視野からの盛り上がりが必要で、そのため労働界、学者文化人、評論家、マスコミ人などによる『革新再編成協議会』といった第三者的機関が中核となることお望ましい。こういう会ができ、充実してゆくなら、参院選における支援態勢として、各党公認をこの会の推薦ということにすることもできる」というものであった(『週刊朝日』四六・一・ニニ)。
 これは参院選を前にして、野党再編という大義名分を失わずに野党協力を行なおうとしたヤリクリ構想であったといえよう。
 これについて矢野書記長は「国民のお役に立っていくためには、政教分離路線の貫徹が望ましい。創価学会員以外の人を選挙で公認するとか、学会員以外の人と政治行動を共にするというのが、そのゴールだ。再編というのは、この考えを極端な形で実行するものだ。党がなくなるのは耐えがたいという声も党内下部にはあるが、国民的に“開かれた政治勢力”となったときの公明党は、もはや発展的に解消する」と述べている(同上)。ここにはからずも学会・公明党の本音の一部が語られている。つまり、場合によっては、創価学会のお荷物となりつつある公明党を発展的に解消してもよいという考えである。
 この構想は四十六年九月段階では、名称もハッキリとは定まっておらず、まだ実っていない。
 しかし、九月の党大会で矢野書記長は次のように発言している。
「委員長は今年の春、革新勢力の結集をするにあたって党のレベルを考えると、各界、各層など国民全体を基盤とする革新政治懇談会、協議会を設置したいと述べていた。その後、党としてはそのための打診工作をしてきた。二党一派的な公式の会合は党としてはできない。権威のある第三者機関ができ、そこからわが党に申し入れがあった場合、欣然(きんぜん)と代表を出席させることにやぶさかではない。公明党のいう中道革新連合の有力な条件の一つができるからである。選挙協力については、手あかのつかないフレッンュで脱政党意識をアピールするようなユニークな人物を見つけ出して所属は無所属として推薦し協力していくというふうにすれば、新しい政治の息吹きというものを吹き込めるのではないか。革新勢力の結集の問題に対して矛盾を感じられるのもよくわかるが、将来の展望の一つの試案としてこのようなことを考えている。反自民で国民の幅広い結集をめざし努力していきたい。」(『公明新聞』四六・九・二四)

 夢はまだすてていないようである。しかしそれは野党再編への構想というより、若干の学者文化人などをまきこんで、公明党の外郭団体がひとつ生まれる可能性がつよいというべきであろう。
       ---------(147P)-------つづく--

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続・創価学会を斬る-21

2017-09-28 08:03:46 | Weblog

続・創価学会を斬る  藤原弘達 (昭和46=1971 日新報道)
    ------(P129)---(以下、本文)-------

竹入刺傷事件にみる創価学会・公明党の二枚舌
 ところで、この公明党に“重大事件”がおきた。それは公明党の第九回党全国大会の初日(四六・九・ニ一)に、党本部前で竹入委員長が刺されるという不慮の事態が発生したことである。この重大な事件に対して、公明党はただちに次のような「党声明」を出した。
「この犯行は、中道革新、政界浄化、日中国交回復、大衆福祉実現等を推進してきたわが党の真の革新に対するいわれなき卑劣な暴挙であり、重大な挑戦である」。「わが党は、従来、生命の尊厳を叫び、理由のいかんを問わず、暴力の否定を主張してきた。今回のこのような問答無用の卑劣な暴力事件が起こったことは、民主主義の敵であり、かかる暴力に対しては強い憤りを禁じ得ず、絶対に許すことはできない。」
 ところで竹入委員長を刺した矢島孝晃という犯人は『サンデー毎日』(四六・一〇・一〇)によると「立正大学を出た、いわば本格的な日蓮の信者だが、その信仰ぶりは偏執狂的な異常さ。ことし六月には宗教上の口論から東京都内で老婦人を殺して指名手配中で、彼が六月まで住んでいたアパートの壁には創価学会の池田大作会長の写真に五寸クギが打ちこんであった。つまり警察の調べによると、竹入委員長を襲った暴漢は宗教的な狂信者ということになる」と述べられている。
 竹入委員長剌傷事件が起きたときには、そこに政治的背景があるのか、あるいはイデオロギー的なものがあるのか、それともその他の理由によるのか、ということがすぐに話題になった。しかし、犯人の言によると、「創価学会の金儲け主義に我慢がならなかった」ということで「池田会長か竹入委員長を殺そうとかねがね思っていた」ということである。
 その後の調べによると、矢島の犯行の原因は創価学会に対する反惑であり、イデオロギー的な、あるいは政治的な背景はなさそうだということである。つまりひとりの宗教的な狂信者の犯行ということになっている。矢島ば性格的に時に狂暴になる性質があるそうだが、特別、気狂いというわけでもないらしい。
 ところでこの矢島について立正大学での同級生は次のように語っている。

「非常に純粋な男でした。彼が日蓮大聖人にどれほど深く帰依してたかを知らないと、今度の事件の真相はわかりませんよ。
 今の仏教界は腐敗その極に達してる。その堕落を痛感してたのが彼です。お寺の子弟はイヤイヤ坊さんになるのにくらべ、在家の学生は熱意がちがいますね、とにかく聖人の御遺文を現代にアテハメなくては承知せぬ男で、仏教学部の自治会では、本門寺のお会式へでかけて街頭演説をやりましたよ。雄弁家でね、熱狂的な迫力があるんです。
 学生時代、本当に大石寺=創価学会系の学生の行動は目にあまった。彼等はお寺から金もらってキャパレー遊びしてるんですから、『日蓮悪しくうやまはば国亡ぶ』このことばを痛感しましたね」(宮川博文氏・僧侶)
「大学を卒業すると、大石寺の幹部候補生になるんだとかいって、好き勝手なことの仕放題。
 困るのは、日蓮の教義がはじまると、彼等日蓮正宗の徒は集団で騒いで教授に食ってかかるので、講義中断もしばしば。しかし矢島クンはそういうときも憤激せずに黙っていた。温厚な人ですよ。だから今度も、まさかあの人物が! とフシギです。非常にマジメで、代返をたのむとことわる人ですからね、友だちのたのみでも」(川口富男氏)(『週刊文春』四六・一〇・一一」

 ともかく性格的に多少問題があるにしてもまったくの狂人の仕業ではないようである。
 とすれば、ここに二つの問題がでてくる。第一はいったい、竹入委員長が剌されたのは、単なる不運なのか、あるいはバチなのか、ということである。
 民主主義社会において暴力を排撃すべきことは言をまたない。バレット(弾丸)をバロット(投票)にかえたことにこそ、議会制民主主義の本質がある。いっさいの私的暴力はこれを認めない。これが法治国家の大原則であり、民主主義国家の大前提である。その意味において、理由がどうあれ、矢島の犯行行は絶対に許しがたいものがある。
 しかし、こうした犯行に対して創価学会はどのような解釈を下すのであろうか。今まで創価学会は人の不幸をみると、それは御本尊様を信じないバチであるといった論法で、あざけり笑っていたのである。例えば、宗教学者の佐木秋夫の子どもの死に対し、「ハツキリとした罰ですよ」とあざけるように記したことがある。それでは同じ論法をもって学会は,学会への忠実な使徒である竹入委員長を、あざけり笑うであろうか……「言論出版抑圧問題で学会に迷惑をかけたバチだ」と。

 私は竹入委員長が刺されたことに対して、人間として、その立場は異なれ、そのイデオロギーは異なれ、深い同情を禁じえないし、彼の心身の傷が一日も早く癒えることを祈っている。
 しかし創価学会・公明党は、これに対して、宗教上の立場からどういった評価なり判断を下すのであろうか。これまでの罰論からいうとどうなるか。われわれはそこを聞きたいのである。
 事件が発生したとき、社会党の成田委員長、石橋書記長、江田三郎、自民党からは竹下官房長官、保利幹事長その他政界の要人の多くが、急遽見舞に訪れた。しかし新聞の報道によると、すぐにかけつけた者のなかについに創価学会会長池田大作の名前はみられなかったのである。
 竹入委員長はかって学会の総務として、学会にさまざまの貢献をなしてきた人である。それに対して池田大作会長がすぐに見舞に行かないということは、いったい、どういうことであろうか。また「公明新聞」には、周恩来や王国権からの見舞の電報、それに日中議連訪中団からの見舞の電報がきたことにはふれてあるが、その他の見舞については、いっさいふれていない。
 これもまたきわめておかしな話である。
 第二の問題点は、竹入委員長刺傷事件の追跡報道がまったくといってよいほどなされていないことである。少なくとも、わが国で自民、社会に次ぐ多数の議席を擁している公明党の党首が刺されたのである。何故、刺されたのか。犯人になんらかの背景があったのかどうか。この事件は政治的、社会的にどういった影響を及ぼすのか等々の事柄について新聞やテレビは追跡すべきであるといえよう。ところが刺された直後の新聞には大きく取上げられ、犯人についてもふれられ、いろいろな人のコメントもあったが、それだけで、この事件の報道は新聞などマスコミからパッタリ途絶えてしまったのである。
 公明党もまた、事件直後には、暴力排撃の烈しい声明を出したが、それも一日で終わり、あとはこの事件にあまりふれようともせず、反暴力のキャンぺーンをするといったところもみられない。どうもその背後に何かがあると惑ずるのは、かんぐりにすぎるであろうか。犯人から創価学会の暴露をつぎつぎとされることを何か恐れているような気配が感ぜられてならないのだ。犯人は死刑を覚悟しているだろうから、どんなことでも、しゃべる可能性がある。それを不安気に学会は見守っているというようにも受けとれる。これは私の感じにすぎず、具体的裏付けをもたないのであるが、こういった民主主義社会を破壊する行為については、徹底的に究明し、その真相を明らかにし、こういった暴力的事件が再び起きないような措置を講ずる資料とすべきであろう。大久保清のケースとは、事件の性格も違うが、扱い方も違いすぎるというべきである。学会・公明党もまた、この真相究明を怠ってはならないと信ずるが、どうであろう。
       ---------(137P)-------つづく--
 

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続・創価学会を斬る-20

2017-09-27 07:01:19 | Weblog

続・創価学会を斬る  藤原弘達 (昭和46=1971 日新報道)
    ------(P129)---(以下、本文)-------

4  創価学会のさまざまな外郭団体    
   --学会イズムの担い手からそのタマゴまで--
◆ 創価学会の尖兵・公明党の苦悶
 創価学会は、実にさまざまな外郭団体をもっている。その筆頭にあるのはいうまでもなく政治を担当する公明党にほかならない。公称党員数は一〇万六〇〇〇人(四五年二月末)、竹入委員長、二宮文造、浅井美幸、多田省吾の三副委員長、矢野絢也書記長をはじめ、衆院四七人、参院二三人を擁し、第三党の地位を占めている。
 中央執行委員は上記五人のほか、大久保直彦、松本忠助、三木忠雄、長田武士、田代富士男、渡部一郎、黒柳明、矢追秀彦、市川雄一、沖本泰幸、多田時子、鈴木一弘、鶴岡洋、小平芳平、峯山昭範、正木良明、大野潔、大川清幸、二見伸明、山田徹一、沢田実、伏木和雄、藤原行正、鈴木仁、原田立、斉藤実の三一人である(四六年九月現在)。
  党本部には総務、組織、文化、国際、広報宣伝、機関紙、労働、青年、婦人少年、地方議会、中小企業、農林水産、国民生活、教育、選対事務の一五局、それに政策審議会、国会対策委員会、国民運動本部、公害対策本部がおかれ、それぞれの責任者には中執メンバーがあたっている。そのほか中央統制委員会と会計監査がある。地方には各都道府県にそれぞれ都道府県本部がある。政党としての機構は、けっこう整備されているといってよい。(公明党組織図・省略)

 ところで公明党には派閥はないということになっている。「中国に反毛派でてきても、公明党に派閥が生ずることはない」という一部ジャーナリズムの診断があったくらいである。池由会長はかって「公明党に派閥ができたら解散させる」とまでいったといわれる。だが、竹入・矢野辞任劇をめぐっては派閥対立に近いものが.生じた。それは竹入・矢野擁護派と竹入・矢野追い落し派の対立である。竹入・矢野が辞任表明をしたあと、二宮文造、正木良明説が新聞にあらわれた。
 竹入.矢野追い落しをはかったのは、竜年光、多田省吾、二宮文造、鈴木一弘、黒柳明、正木良明、矢追秀彦、渡部一郎、西中清等で、浅井美幸も微妙な動きを示した。このうち竜年光は戸田城聖の門弟で池田大作と兄弟格、公明党創立の中心人物の一人であり、本来なら竹入にとっては最もけむたい人物であった。
 四十五年六月の新生大会で竹入・矢野の再選が決まり、執行部の新しいメンパーが決まつたが、この時に中執メンバーからはずされたのは竜年光ただひとりである。これで竹入にとってウルサイ人物がようやく党役員から消えたことになった。そして竹入に反旗をひるがえした形となった二宮文造、浅井美幸は副委員長に棚上げされたのである。
 さらに四十六年九月の党大会で竹入・矢野追い落し派だった多田省吾を文化局長からやはり副委員長に棚上げし、鈴木一弘を組織局長から地方議会局長に移し、西中清は中執メンバーからはずされた。副書記長兼政審会長であった正木良明は副書記長の兼務を解かれた。渡部一郎は四十五年六月の大会でいったんは平中執となったが、四十六年の大会で文化局長におさまっている。ともあれ、彼はなかなかのやり手なのである。無傷ともいえるのは黒柳明と矢追秀彦で、黒柳は公明党にあって数少ない国際関係の専門家ということで、かえたくともかえられず重用されているといえよう。若くして創価学会総務となった矢追は、池田の信頼の厚い人物であり、むげにも扱えず、広報宣伝局長におさまっている。
 ともあれ、初の動揺をきたし、内部抗争も生じた公明党は、いろいろと組織を整備し、それなりの再建工作を進めていることは事実である。

 だが、いわゆる“政教分離”が進んでいるかというと、その方はサッパリなのである。四十五年十月現在で、公明党議員で学会の役職を辞任したのは、衆院議員四七人、参院議員ニニ人、それに都議で党の中執メンパーとなった四人の七三人だけである。当時、公明党は中央、池方あわせて議員は二、二〇七人いたわけで、学会役職の辞任実施率は僅か三%、その後も、地方レベルでは殆ど学会役職辞任が進んでいないのであるから、“政教分離”はやはり掛け声だけといってよい(浅野秀満『あすの創価学会』二八二ページによる)。中央の国会議員が学会の枢要なポストにいるのでは目立ちすぎるから、国会議員や党中執メンバーだけ、学会の役職を辞任しておこうというにすぎないのだ。やはりゴマカンである。
       ---------(132P)-------つづく--

 

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続・創価学会を斬る-19

2017-09-26 08:21:35 | Weblog

続・創価学会を斬る  藤原弘達 (昭和46=1971 日新報道)
    ------(P120)---(以下、本文)-------

背伸びがまねいた公明党の“四面楚歌”
 矢野書記長は、公明党の“中道革新路線”に基づく社会改革のピジョンとしての“人間性社会主義”とは何かという問いに対する具体的な答えとして「まず人間性尊重を基調とする社会主義であり、漸進的な社会主義、民主的な社会主義、平和的な社会主義、日本の政治経済的状況を踏まえた社会主義、未来志向型の社会主義などと定義しています」(「変容する政治状況と公明党の路線」『公明』四六年七月号)と述べている。しかし、これはまったく思いつくままに述べたような羅列的な総花的社会主義であり、公明党の経済基本政策特別委員会が出した具体的な答としては、あまりにお粗末としかいいようがない。
 ともあれ以上のようにいろいろ並べているが、少し考えてみれば、--

 人間性尊重を否定する政党などはなく、ただ人間性尊重というだけならば、自民党から共産党まで異口同音に唱えているものである。
 「漸進的な」ということで非合法的、急進的革命の手段を排除するならば、また民社党も説いているところであり最近は共産党もその主張のなかにそうしたニュアンスが含まれている。
 また民主的ということが議会制民主主義を守ることであるならば、これまた全野党共通しているし、平和に至ってはこれを否定する政党はなく、日本の政治経済的状況をふまえたという点では、むしろ共産党の自主独立路線の方が最近ではピッタリしているように思われる。
 未来志向型の社会主義などといっているが、過去を志向する社会主義などは資本主義のなかではあり得ないぱかりか、如何なる政治も一応は未来を志向し、内容の優劣はともかく、ある一定のビジョンを描いているのである。

 --つまりもっともらしく述べているが、実は何もいっていないということだ。
 こうした言葉の羅列修飾によって国民をごまかし、実体を覆い隠すのが公明の“革新”ともいうべきものの正体なのであろう。その意味において、公明党の病理はむしろまこと根深いものがあるというべきであろう。
 こうした政党が四十六年六月の参院選では、どのような成績をあげたか、ここでいささか調ベてみることにしよう。
 公明党は言論出版妨害事件によって大きな打撃を受けた。その後、既述のように党再建を期すべく党網領を改正し、“政教分離”を打ちだしたわけである。今回の選挙はこうしたいわゆる政教分離後の初めての国政選挙であり、党の浮沈はこの選挙にかかっていたといってよい。
 それ故に“七〇年代は自由とヒューマニズムの中道革新で”というのをメイン・スローガンとし、日中復交、安保反対、沖縄返還協定反対を打ちだし、いわゆる革新色を鮮明にして選挙に臨んだのである。立候補者としては全国区は前回より一人少ない八人、地方区は三人少ない二人と手堅くしぼった。これは言論出版妨害事件、政教分離による得票数の減少を考慮してのことであったことはいうまでもない。結果は全員当選で、とにかく最初の山は乗り切つたと評する向きもあった。
 公明党は参院選終了後、「党声明」をだし、その中で「激烈をきわめた選挙を戦い終えて、わが党は全国区八人、地方区二人の全員当選の大勝利を収めることができました。わが党にとって昨年いらい、国民政党としての新しい路線で初めて迎える国政レベルの選挙であり、今後の発展を占う、いわば試金石ともいうべき選挙でありました。
 われわれの『自由とヒューマニズム』を基調とする中道革新、大衆福祉の党の政策、実績、卓抜した実行力が、国民の期待や要求に合致した結果であると確信いたします」といささか得意気に述べたものだ。
 しかし本当に公明党の選挙結果は、彼等のいうように大勝利であっただろうか。公明党にとっては、いわば比例代表制的意味合いをもつ全国区の得票が何よりも問題であったはずである。ところが今回の選挙における全般的な投票率の低下、それに伴う有効票の減少にかかわらず、公明党の全国区における都道府県別得票率をみると、東京で〇・八%、福岡で三・〇%、愛知で一・四%と、ごくわずか三都県で伸びた以外は、四十二道府県にわたり軒並み低下し、また地方区では大阪で前回より下り、東京は前回と同じということで、明らかに停滞または後退を示したのである。全員当選とはいうものの、とても大勝利といえる内容ではなかった。ことに同党の得票は、依然として浮動票が少なく、この党がまだ大衆政党になっていないことが証明されたわけである。
 公明党の全国区における得票率は一四・一%であり、前回を一・三%下回っている。ことに岐阜では五・九%、三重では四・九%、徳島では四・八%、高知では四・六%、愛媛では四・四%、香川では四・二%と、いずれも大きく得票率がそれぞれ低下したのである。前回の参院選で得票率が二〇%を越したところは徳島、愛媛、和歌山、髙知と四地方区あったが、今回は二〇%を越したところは一つもなく、最高は大阪の一九・九%であった。なお岩手は七・七%、新潟は八・三%、富山は七・六%、石川は六・八%、福弁は八・七%と、まこと低率のところがあり、北陸をはじめ裏日本一帯では依然としてこの党が伸長していないことが示されたのである。
 この党は何といっても都会政党であり、都市の社会的連帯を失い、原子化された精神的ないしは経済的デクラッセから成り立つている。そのことが今回の選挙結果からもうかがえるのである。
 票数からいうならば、前回は六六五万六七七一票であったが今回は、五六二万六二九二票で一〇三万票もその票数を滅らしているのである。これは創価学会を主要な支持母体とする、否、むしろ創価学会のみを母体とするものにとって実に重大な結果といわざるをえない。もし創価学会がいうように会員が七五五万世帯あるとするならば、一世帯当りの票数はわずか〇・七五票にしか過ぎない。このことは学会員でありながら、なお投票しない人がでてきたのか、それとも名前だけ残っている幽霊会員が多いのか、あるいは実質的な創価学会の退潮を物語るものかねいずれかといわねばならない。

 三年前の会員数は六五〇世帯といわれた。れに対して全国区の得票数は六六五万であったからほぽ一世帯一票は確保できたわけだ。ところが今回はやっと四分の三票を獲得するにとどまったのである。この結果は表面では大勝利と謳っているものの、実はその内容において創価学会・公明党にとって大きな衝撃であっただろうことは疑いえないところである。
 今回の参院選の結果について矢野書記長は、「ひと口で言いますと公明党が提唱している『中道革新』路線、すなわち自由とヒューマ二ズムを掲げる人間尊重の政治理念が、この七〇年代を通じて非常に大切であると国民の各界各層の方々から評価されたということ、さらにまた公明党は、今後も日本の将来を背負って立つ責任政党の一翼をになうべきだと、国民の皆様から期待され信託を与えられたからであると考えております」(「参院選の勝利と今後の政治展望」『公明』四六年八月号)と述べているが、一〇三万票減ったということはひと口でいうと、公明党が提唱している中道革新路線から、一般国民のみならず創価学会員ですら離反していったということを物語るものといえよう。国民は今後公明党は責任政党の一翼をになうべきでないと判断したともいえよう。
 有賀弘は「公明党自身の説明によれば、昭和四十年の参議院選挙における、信者一世帯あたりの得票数は一・七七票であり、四十二年の衆議院選挙においては、一・九八票に増大したとされている。四十一年について得票数から逆算すると、信者世帯数はおよそ二八八万となるが、当時公表されていた世帯数は五三〇万である。また、四十二年に候補者を立てた選挙区については発表された信者数は意外といえるほど少ない。今年の公称世帯数が七五〇万、参議院全国区における得票数が五六二万余り(一世帯当り〇・七五票)であることを考えれば、信者世帯数は公称の半分程度に見積っても、それほど間違いではないであろう」と述べている。(「脱宗教化への公明党の道」『別冊経済評論』四六年八月五日発行、七一年秋季号)
 あるいはこの有賀の説が当たっているかもしれない。創価学会の会員数というものは、同会としては決して減ってはならないものなのである。何故ならば一種の“神話”として創価学会というのはもっばら伸長する一方でなければならないということになっている。そこで常に折伏成果が水増しされ、とんでもない数字となる可能性がある。あるいは案外、三~四〇〇万世帯というのが実質的な信者世帯数といえるかもしれない。それはともかく、公明党支持票が初めて一〇三万票も減ったということは、創価学会・公明党の歴史からいって、重大な意味をもつといわざるをえない。学会も三代目にしておごりたかぶり、そして初めて池田大作会長のもとで下降線をたどり始めたのである。言論出版抑圧問題も、中共べースにのった公明党使節団の訪中も、ヒューマニズムをうったえた中道革新路線のスローガンも、ともにそれほど効果がなかったということになるかもしれない。むしろ次第に雜反してゆく末端学会員をこの程度で食い止めたということが、学会幹部にとってのわずかな慰めであったかもしれない。もし学会員が普通の常識をもち、そして冷静に客観状勢をみつめるゆとりをもつならぱこれからもなお停滞状態をつづけ、池田大作、竹入義勝の意に反し、やがては大きく下降してゆかねばならぬことになるであろうことは火をみるより明らかである。
 ちなみに『週刊朝日』(四六・九・三)の「コンピューター・フィクション次の総選挙をうらなえば…」(上表・略)によれぱ、公明党は現議席四七に対し次回は四一という解答がでているのである。
       ---------(127P)-------つづく-- 

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