創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

闇の帝王・山崎正友-14

2016-02-03 10:14:42 | Weblog

私は山崎正友を詐欺罪から救った! -- 2002/05
   --アウトローが明かす巨額“手形詐欺”事件の真実--
    -------(前回、119P)--以下、本文--

3 創価学会乗つ取りの野望
 山崎の言う「第二の創価学会づくり」とは、いったいどんなことなのか。私は興味津々だった。
「俺はこれまで学会の顧問弁護士として大石寺(日達猊下)との間で、学会とのトラブルの調整を図ってきた。しかし、創価学会は宗門との間で約束したことを守らない。
 それどころか宗門の僧侶に対して、僧侶は僧侶らしくして学会を大事にしろとかいろいろな無理難題を持ちかけ、それをすベて俺にやらせやがって、俺も頭にきているのだ。
 まあ、塚ちゃんに言っても何もわからないだろうが、前々から学会と宗門との間でいろいろともめごとがあり、この俺が学会側の顧問弁護士の立場で宗門との交渉係をやってきたが、学会側は宗門の僧侶たちを馬鹿にしている。
 大石寺があんなに大きくなったのは、創価学会があるからなのだ。学会から金が回らなくなったら、宗門は非常に困る。
 宗門は宗門としての体面があり、今は創価学会を破門にしてもしかたがない、という状況になっているんだよ」
 そう山埼は説明した。だが、実際は違った。この説明も山崎独特の嘘だったのだ。先に紹介した判決文には、山崎自身が、創価学会と宗門との間に入って和解を進めているように見せながら、実は、双方を離間させて問題をこじらせようと動いた事実が克明に記されていた。
 もちろん私は、この当時そのことを知る由もなかった。山崎の話に戻そう。
「俺は学会の顧問弁護士として、学会の言い分を日達猊下に伝えてきたのだが、去年の夏に突然死んでしまった。その後を継いだのが日顕という僧侶で、この日顕は創価学会の名誉会長の池田にベッタリと張りついて、学会の力で猊下になってしまいやがった」
「日顕は、宗門ではナンパー7なんだ。日達上人の娘婿が菅野といって国立にいるが、これが跡目だった。日顕は悪いやつで、日達上人から相承もないのに相承があったと言い張って法主になってしまいやがった。
 俺は日達上人が死ぬまぎわまでそばについていたから、日顕なんかに相承されなかったことはわかつている。日達上人は日顕を全然信用していなかった」
「だから俺は死ぬ前の日達猊下との約束で、多くの反創価学会派の僧侶たちのためにも戦わなければならない。それにトラブルの元は、学会側にあるのは歴然としている。日達猊下が言っていたことの方が正しいのだから、俺としては、どうしょうもないのだ」
「塚ちゃん達は知らないだろうが、富士宮の大石寺だけでも数百人の僧侶がいる。この坊主たちの中には創価学会派と反創価学会派がいて、生前の日達猊下も反対派の僧侶との調整で非常に苦労していたんだ。
 反創価学会派の僧侶たちが、これ以上創価学会に勝手をさせていては駄目だ、宗門の権威を脅かされるような事態は避けるべきだと言っている。そのため、創価学会名誉会長の池田を罷免するほかには方法がない、という状況になってきているんだ」
「これについては学会の内部にも、名誉会長の方が間違つているという人も多くいて、俺にいろいろな形で言ってくる幹部の連中がいる。俺も今はこの問題で頭が一杯なんだよ。
 日達猊下との話し合いで、このままでは名誉会長だけでも破門にするしか方法がないと言われていたのだが、日達猊下が急に亡くなり日顕に代わってからは、池田名誉会長は反学会派の僧侶の言うことなど眼中にない。
 この状態で喧嘩をやれば、本山をはじめ各地の未寺の僧侶たちが困るだけで、創価学会としては一向に困らないことになる」
「塚ちゃんも知つていると思うが、創価学会はこれまでに全国各地に日蓮正宗の末寺を数百も建てたり改修したりして、宗門のためには莫大な金をかけ、総本山には正本堂も建てた。この正本堂だけでも三百五十億円以上の金をかけている。
 また総本山には、毎日数千人の学会員を団体で登山(参詣)させて、この会員の落とす金が総本山を潤している。このため総本山の僧侶たちは、かなりいい思いをしている。金のなる木の学会を破門にした場合に困るのは宗門なんだ。学会はなんら困ることはない。
 このような状況をわかっていた日達猊下が、死ぬ前に俺に泣きついてきたんだ」
「この時の日達猊下との話が、今ごろになって学会派の僧侶から学会側に漏れて、俺が学会を裏切っていると言われるようになってきているんだ。
 この前週刊誌にそのことか書かれていたのは、塚ちゃんも知っている通りだ。死ぬ前の日達猊下から、学会を全部破門にし、反創価学会の信徒を集めて第二の創価学会のような信徒団体を作るようにと、生前に俺は頼まれていたんだ。
 そのためにも俺は、なにがなんでも創価学会と戦争をやらなければならないし、勝たなくてはいけないんだ」
「俺が引っ張り込んだ教学部長の原島嵩が、俺の言う通りの時期を待てずに勝手に宣戦布告をしてしまいやがって。俺が考えている戦争に勝てる準備は、まだ完全にできてないんだ。
 それなのに原島のバカ野郎が、創価学会の大切な秘密資料を持ち出して学会の幹部に見つかり、その幹部の挑発に乗って喧嘩をしちまいやがって、まったくバカ野郎だ。
 だが、いずれは俺の方から仕掛けなければならない戦争なんだ。それにつけても今はシーホースの件があるので、困っているんだ」
 この原島氏のことについては、それ以前に印象深い出来事があった。山崎がまだ三番町のマンションに住んでいた時分のことだ。私がそのマンションに行っている時にちょうど電話が鳴った。そして山崎が誰かと話をしていたが、その電話の応対振りは、部下か、いや、それ以下の人物としか思えないほど、相手を馬鹿だ間抜けだとののしり叱り続けるものだった。 山崎の怒鳴り方は、半端なものではなかった。
 そしてこの電話の相手が、創価学会の幹部職員であることなどは知る由もなく、この事件の経過につれてやっと知ることとなったわけであるが、この人物が、原島氏であり、創価学会の教学部長で、聖教新聞の編集長の地位にあった人であったとわかったときは、さすがの私も驚いた。
 そして、このときの電話による対応を思い出すと、創価学会内における山崎というこの男の、地位の高さを知らされた思いがしたものだ。
 そのような背景から、私が、「先生の言う戦争に勝つことができた時は、先生が会長になるの」と聞くと、山崎は、「馬鹿を言うな。俺はそんなに馬鹿ではないよ。他の奴に会長をやらせて、俺は後ろでコントロールして金儲けだけするんだよ。
 そうなったら塚ちゃんにもいい思いをたくさんさせてやるからな。だから、シーホースの件は絶対に事件にせず、買い手形で事件になるような証拠はすべて抑えこんでくれ」と、言っていた。
 私は、山崎の言う第二の価学会に大変な魅力を感じた。夢のような話ではあるが、山崎についていけばできるのではないか、と正直思ったものである。
 私は山崎に言われた通り、改めて手駒の仕事師らを呼びつけた。そして、その後の債権者らの状況を逐一報告させ、被害届を出しそうなところがないかどうか、一件たりとも漏れがないよう、念には念を入れて確認するように言い含めた。
 相手によっては少々の金を渡して抑えるように言い、もし話のつかない相手があれば、私の所属する菅谷組の看板で脅してもかまわないと指示した。
 さすがに一級の仕事師である彼らは、ものの見事に十数日後には一件の漏れもなく、すベての債権者を抑えつけてしまった。
 債権者(被害者)の中には私らに抑えこまれたことを不服としながらも、いったん承諾したことを覆して告訴をした場合、ヤクザの仕返しがあることを恐れた者もいた。
 いずれにしても、一件たりとも告訴人を出させるようなことはなかった。私は山崎の思惑通りに仕事をなし遂げ、取り込み詐欺や買い手形の証拠もすベて湮滅し、事件そのものを抹殺することに成功した。
       ---------(126P)-------つづく--

コメント
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