創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

池田の脱税・ピンハネ-59

2015-08-31 08:38:12 | Weblog

◆そこまで“脱税・ピンハネ”いいんかい…!!  (再)    
  *脱税・ピンハネの総合商社(寄付・会館・出版・墓園・民音・学校・宣伝・Etc)の池田創価(=公明党)
 *躁・鬱病の似非医者、ユスリ・タカリ・恫喝、役所と連携の生活保護利権は、池田創価(=公明党)
 *脱税・ピンハネの貧困ビジネス(露・闇市・薬の転売・他)利権も…共産党より池田創価(=公明党) 
 *池田創価(=公明党)のアメとムチで総体革命、司法・行政・警察・マスコミ・芸能・評論家・Etc
 *自民党国会議員の半数以上を支持する池田創価、国税等の脱税・ピンハネ黙認で、?十年…!!
 *池田創価の脱税・ピンハネ黙認は、政府・国税庁の憲法違反<89条・不作為の公金支出>ダ…!!
 *池田創価の脱税・ピンハネ課税+マイナンバー課税すれば…消費税なしで財政再建できる…!!

〇乱脈経理…創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント<矢野絢也・講談社…1,800¥>より
  ----------P250-----本文・ここから---
◆池田氏はヒステリー状態
 九月一一日、私は竹下元首相に経緯を説明した。竹下氏からも、国税庁側の態度が厳しいとの報告があつた。
 私は石田氏と会い、竹下氏の話を伝えた。石田氏は「竹下さんがダメだと言つているのならダメかも」と弱音を吐いた。私は石田氏に「これから竹下さんに電話をして頼むから、あんたからも頼んでみてくれ」と言つて、竹下氏に電話をかけた。「無理を承知のうえで何とか協力してほしい」。竹下氏に拝むように頼み、私は石田氏に受話器を渡した。石田氏は後に竹下氏に「恩を仇で返す」ことになるのだが、このときは「肝に銘じてご恩はお返しします」と電話の向こうの竹下氏に頭を下げ必死の形相で協力を求めていた。
 竹下氏と話し終わるやいなや石田氏は直ちに尾崎長官にも電話をした。石田氏は、私と違い、国税庁の求めに応じ学会側が「風呂敷包み案」を飲むと見て、尾崎氏に「学会は風呂敷を持つていく」と約束した。
 だが事が容易でないことは尾崎氏にもわかつていた。尾崎氏は石田氏に冷たく言い放つた。
「とにかく東京国税局に学会が出向いて誠心誠意話してほしい。足を運んで努力することが大事だ。公党の委員長が税務調査のことで国税庁長官に頼み事をしたなんてエライことですよ。大問題です」
  この日、池田名誉会長も出席して学会の会議が開かれ、秋谷、原田、八尋各氏らも出席した。池田氏は「俺のところにも税務調査が来るのか」と苛立った。池田氏は秋谷氏を叱責し「今後、学会の決裁は秋谷から森田に替える」と言い渡した。秋谷氏から会長の権限を剥奪するというのだ。池田氏お得意の気紛れであり、その後、権限剥奪はなかった。
  翌日、秋谷氏に電話して尾崎氏とのやり取りを詳しく説明したが、秋谷氏は元気がなく、「三項目にふれないという条件を飲めば東京国税局に行く。誠心誠意説明しに行く。いきなり東京国税局に学会に来られても困る」と繰り返した。
 やむなく私は再び国税庁を訪ね、尾崎長官、坂本課税部長に直談判した。「いきなりの調査は困る。池田氏にふれない、会員のプライバシー(会員がいくら財務をしたかの意)にふれないように願いたい」。尾崎氏らは苦りきっていた。
 私には残された方法は一つしかないと思えた。池田氏個人にふれないなど、池田氏がらみの三項目の条件について学会が譲歩することはあり得ず、国税庁側に譲ってもらうしかない。私は国税庁に三項目の条件を飲んでもらい、それを担保に私が学会を責任を持って説得し東京国税局に資料を持っていかせるという方法だ。
 私は尾崎長官と坂本部長に私の考えを話したが、二人の考えはやはり「三項目の条件は飲めない」だった。私は秋谷氏ら学会首脳陣にそれを告げた。
 九月一六日、秋谷、八尋、山崎尚見、福島の各氏と私は鳩首協議を行った。学会側からは次のような提案があった。
「財産目録は持参することにして、財産明細はサンプルを持っていくことにしよう。ただし、見せてから持ち帰る。特金の損失補?問題は持ち帰り、学会内で話し合う。絵画などは、池田氏への寄贈が多いので、寄贈者のプライバシーを守ることを理由に寄贈リストの提出を拒むことにする。寄贈品には九〇、九一年に記帳されたものが多く、江戸川区の学会の倉庫にあったものを整理した」プライバシーの保護を盾に池田名誉会長周辺に税務調査が来るのを防ぐというのだ。
 池田氏が私邸代わりに使っている白雲寮については、学会の社宅であり池田氏が泊まるのは問題ない、またその他の池田氏専用の豪華施設についても学会首脳用の設備なので池田氏は学会の仕事=会務で宿泊しているのだから個人使用ではないという論理で押し切ることが決まった。
 根拠法としては宗教法人法八四条、刑法一三四条など、学会側に有利なあらゆる条文を駆使することになった。
 この席で秋谷氏らが話したところによると、池田氏は、相変わらず秋谷、八尋の両氏を叱り続けていた。池田氏は、自分のことが原因で税務調査が進まないことを棚に上げて「国税庁にすべて見せてやれ」と大風呂敷を広げる一方、「秋谷が責任を取ってしっかりやれ」と秋谷氏の尻を叩き、うまくいかないと秋谷氏らを怒鳴りつけていた。
 翌日、池田氏の本部幹部会での発言が衛星放送で全国の会館に同時中継された。池田氏は宗門批判の一方で「議員はだらしない」などと話し、出席していた国会議員たちを叱りつけた。
 池田氏は「山崎(尚見副会長)が会長を狙っている」などと山崎氏を批判したかと思えば、秋谷夫妻にも当たり散らし、公明党の市川、神崎氏らにも「手柄を立てろ」と迫った。
 本部幹部会後の会食のときも池田氏の怒りは収まらず、秋谷、山崎両氏は叱られ続けた。また会食に同席した公明党の矢追代議士は、池田氏に「矢追は(議員になって)何年だ」と問われ「二〇年です」と答えたところ「何の役にも立たんな」「退職金を持って来い」と池田氏に怒鳴られた。市川書記長も「委員長になれないぞ」と池田氏に叱られている。
 この当時、池田氏は以前にも増して怒りっぽくなっていて、ほとんどヒステリー状態だった。
 会食後、八尋氏から「明日、東京国税局に行き、打ち合わせをすることになった」との連絡があった。結果がどうなるかは読めなかったが、第一次修正申告から四ヵ月もかけてようやく東京国税局と学会側が第一次税務調査の進め方について話し合いの席につくところまでたどり着いたのである。
 一九九一年九月一八日、八尋、福島両氏と学会本部職員の三人が東京国税局課税第二部に出向き、財産目録、減価償却資料などを見せた。東京国税局側はこれらの資料は提出されるものと思い込んでいた。ところが学会側がサッサと持ち帰ろうとしたので場が白けたという。気分を害した東京国税局側は「いずれ学会本部に行く。反面調査も必要があればやる」と通告したが、八尋氏らはブライバシー論を盾に第一庶務の経理や学会の特定役員の給与明細等の資料の提出を拒んだ。
 会談後、私と秋谷、八尋、森田の三氏で打ち合わせが行われ、次のことが決まった。「次回の東京国税局との打ち合わせの際は他の資料を持参するが、財産目録の明細は出さない。東京国税局の統括主査は反面をやらないと言い、別の幹部はやると言つている。その矛盾を突く」。内輪の話にせよ、夜郎自大のたわごと、私には完全な言いがかりにしか聞こえなかった。私は呆れたが面倒なので、あえて反論はしなかった。
 東京国税局との打ち合わせ場所も議題にのぼった。
「こちらから東京国税局に行くと途中の打ち合わせができず不利だが、学会本部に調査官が来るとマスコミに漏れる。これをどうするか」という話になった。このときは話はまとまらなかったが、最終的には四谷三丁目近辺のビルに学会が部屋を借りて資料を運び込み、そこで調査官が資料調べをすることになる。
 むろん、こんなことは税務調査では異例中の異例のこと。通常の税務調査は企業や団体の本社、本部に調査官が乗り込んで帳簿を調べる。ところが学会が相手だと東京国税局は本部にも行けないし、資料は頼んで持ってきてもらうしかない。竹下元首相まで動員して妨害工作を重ねた張本人なので私に批判する資格はないにしても、このうえなく理不尽だった。こういうのをゴネ得と言うのだろう。
 九月二〇日、八尋氏から電話があった。
「今日、東京国税局に五人で行った。学会の国内外への金や品物の寄贈と受贈の手続きについて聞かれた。学会の社宅についても資料を出せと言われた。明らかに池田名誉会長の白雲寮もターゲットにしている。次は二四、二五の両日に学会の収入について打ち合わせをすることになった」
 九月二四日の午前一〇時半から午後四時まで、翌日も午後に学会と東京国税局の打ち合わせの予定という。「東京国税局に行き続けているとマスコミに見つかりそう。学会の別の施設で打ち合わせすることを考えるつもりだ」と八尋氏は心配そうに語ったが、この「別の施設」が先にふれた四谷の事務所だ。
 九月二六日、『週刊文春』(九一年一〇月三日号)に、またもや税務調査の事実がすっぱ抜かれた。
 同誌は、財産目録の作成と提出が税務調査の焦点になっているとき、さらに、前回の税務調査で学会が財産目録を出さなかったため、国税庁から「財産目録を作り、一般会員から要求があればいつでも見られるようにしておくのが、宗教法人ならば当たり前のことだ」という趣旨の厳重注意を受けた、と書いた。また「国税庁は改めて財産目録を提出させ、それをもとに本格的調査、つまり池田名誉会長の個人収入・財産との線引きにとりかかろうとしている」とも書き、現状を的確にレポートしていた。コメントしているのは「学会本部関係者」ということだが、内情にかなり詳しい学会内部の人間が情報提供しているとみられた。
 私は秋谷、八尋の両氏、国税庁の坂本部長と連絡を取り、情報漏れに注意するよう申し合わせた。
  ----------------改頁------256-つづく--

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池田の脱税・ピンハネ-58

2015-08-30 09:54:21 | Weblog

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〇乱脈経理…創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント<矢野絢也・講談社…1,800¥>より
  ----------P237-----本文・ここから---
◆国税の強硬姿勢
 九月二日、私は再び竹下氏に相談した。竹下氏は私と尾崎長官の会談の内容を知ると、「ルノワール事件は検察がやるとよいテーマだと思う。検察はもう捜査に入っているはずだが、尾崎には強く働きかける」と請け合ってくれた。
 ただ私が「ルノワール事件で検察が本気でくるのは困る」などと、それとなく検察の押さえを期待していることをにおわせたところ、竹下氏は笑いながら「あそこは下手に手を出すとまずいよ」と軽くかわした。
 竹下氏と話し終わると、石田氏が「これから尾崎長官に電話する。注意点を聞きたい」と電話してきた。秋谷氏にかなりきつく尻を叩かれたせいだろう。
 だが勢い込んでいたわりに、尾崎氏との対話の成果は上がらなかったらしく、再び電話をかけてきた石田氏は「尾崎氏の話は矢野さんに言った内容と同じだった。押さえつけたら現場が反発しリークすると言っていた。最小最短(調査範囲を最小に、調査期間を最短にの意味)でやったほうがよい。学会側が東京国税局に風呂敷包みを持つて、相談に行ってほしいとのことだった。まったく厳しい」と太い溜め息をついた。
 石田氏は私に二度目の電話をかけてくる前に、秋谷氏に尾崎氏との対話の首尾を報告していたらしく、秋谷氏とのやり取りについても私に話した。
「秋谷会長に事情を話したところ『絵画が何万点か未整理だ』という。それに対し私が『たとえ未整理でもそれは見せられるものは見せ、わからないことは事情を説明すれば済む話ではないか』と言うと、秋谷氏は『未整理で出した場合、東京国税局がどう反応するかわからない』と不安がり『東京国税局の条件がわからないので、相手の条件を詰めてほしい、そうでないとOKを出せない』と言っていた。こっちのカードは最後まで出さないで、相手の力ードを全部見てこいという意味だ。これはやはり学会のほうが無茶だ」とこぼしていた。
 石田氏の声は沈んでいた。石田氏が困惑するのももっともだった。
 私は石田氏に秋谷氏提案の三原則、つまり①池田氏個人、②第一庶務、③美術品の三つにふれないことを東京国税局に飲ませるよう提案した。もし東京国税局が三点を了解すれば調査に合意するという、いわば「三原則入り口論」である。私は「池田氏個人と第一庶務の税務調査はしないという原則は確保すべきだ。三つ目の美術品は東京国税局が承知しないだろうから半分ぐらい譲るようにもっていったらどうか」と話した。私は同じ内容を秋谷氏にも伝え、同意を取った。
 九月五日、出張先のホテルオークラ神戸に秋谷氏がやって来た。秋谷氏は「山崎尚見が竹下と会った。かなり事情を知っていた。第一庶務などということも言っていた。金丸元幹事長の秘書からの話では、一一月に国税と宗門のダブルパンチが来ると言っていた。とにかく入り口で頑張ってほしい。石田は弱気でダメ。市川とはゆっくり話し合う」と話し、「八尋と矢野さんしかいない。一生最大の闘いだ。よろしく頼む。とにかく池田名誉会長に課税しないことを絶対条件にしてほしい」と深々と頭を下げた。私は慌てて「そんなことしないでください」と制止した。
 とはいえルノワール事件と税務調査の二つを私一人でやれと言われても、とても手におえるものではない。秋谷氏ら首脳部も、結局のところ私に全部仕事を押し付けて自分たちは逃げ回っていた。「大概にしてほしい」と私は心の中で嘆息した。
 翌日、信濃町の学会本部で学会?党首脳会談が行われた。出席者は学会側が秋谷氏、森田理事長、山崎尚見副会長の三人。八尋氏はルノワール事件の当事者なので外れた。党側からは石田、市川、神崎の三氏と私だった。
《秋谷「あらゆる手段を尽くすべきだ」
石田「努力しているが、かなり厳しい」
秋谷「党が泥をかぶるのは当たり前だ。池田名誉会長はこう言われている。『第一次宗門紛争のときは本山から追われ、学会会長を辞任させられて学会から追いだされた。そして今度は税務調査によつて私邸代わりに使っていた白雲寮から出ることになった。海外にも行けない。俺だけが苦しんでいる…。とにかく池田名誉会長に課税されないよぅにしてほしい」
 山崎「①池田名誉会長にさわらず、②第一庶務にさわらず、③絵画などは未整理で提出できない、という三原則で突っ張つてほしい」
秋谷「池田名誉会長も『強気で行かないと魔は退散しない』との言葉だった」》
 党側は終始無言。最後に市川氏がボソッと「(すべての事情を)マスコミは知っている。自民も知っている」と言って引き上げたが、学会側の要請で党側では私一人が残された。この席で秋谷氏は学会首脳たちの前で、PKO法案に公明党が賛成することを初めて許可した。
《森田「矢野さんにすがるしかない。文句ばかり言うが助けてほしい」
秋谷「市川がむくれているが、私も腹を決めた。PKOその他、表舞台の法案推進について、自民との話し合いを了承する。石田?市川にやらせる」
矢野「PKOに賛成すれば石田、市川が泥をかぶることになるが、時代も変わった。むしろその方が党のためによいと思う。あなた方は国税との交渉役をこっちに振ったりあっちに振ったりして済むのでしようが、学会が拒否ばかりでは手の打ちようがない。まあPKOに賛成できれば、これで表舞台は一歩前進でしよう。国税への働きかけは石山・市川が動いて、もしバレると大問題になるので、引き続き私がやるが、私だって別に一人でやりたいわけではない。その点、誤解しないでほしい」》
 九月九日、私と国税庁幹部の打ち合わせが行われた。調査の人り口段階で学会が徹底抗戦していることに尾崎長官ら国税側の苟立ちはピークに達していた。
 国税側は「九月半ばまでに方針を示してほしい。それがリミット」と通告し「池田名誉会長に会って話してほしい。すべての資料を風呂敷に包んで持ってくるやり方でないと国税庁内はもたない。他の条件をつけるのは時間稼ぎとみなす。その場合はこちらも決断する。着地点はこちらでも考えると一歩も引かない構えだった。
 若干補足すると、この段階では、第一次税務調査のときのようにいきなり学会本部に調査に入るようなことはしないという暗黙の合意が国税庁と学会の間にできていた。調査官が学会本部に行けば、たちどころに調査が始まったことが学会本部内で噂になり、外部に伝わるからだ。
 国税側が学会本部に来られない以上、まず学会が貸借対照表や財産目録などの三点セットを含め、会計資料を「風呂敷包み」に入れて東京国税局に持っていくしかない。「そのうえで話し合ってはどうか」というのが竹下氏の提案だった。要は「最初からこまごましたことを調整していては学会の抵抗で時間がかかって仕方がない。三点セット全部をドサッと持ってこい。
国税はそれですベて見たことにして、約束以外のことは問題にしないJという竹下流の腹芸だったのだが、如何せん学会側にそれに応える度胸がなかった。
 尾崎長官は「すぐには調査に入らないが三項目を守ることは約束できない。誠心誠意やってもらわないとこちらも納得できない。政治的配慮はできない。いずれにせよ学会側が東京国税局に来てほしい」ときっぱりと話した後、語調を和らげて「池田名誉会長個人にさわらないでほしいことや絵画で未整理の分があるのも理解している。しかし学会側の対応の仕方が誠心誠意でないと東京国税局は納得しない。現場の感触を賢く理解してほしい。三項目を守ることは約束できない。財産目録、財産明細書は最初の日に持参してほしい。来週、早く来てもらいたい」と促した。
 だが学会が三点セットの提出に応じるはずはない。池田氏が許すはずがないからだ。竹下氏提案の風呂敷包み持参案は実現しないだろうと私は思つていた。
  ----------------改頁------250-つづく--

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池田の脱税・ピンハネ-57

2015-08-29 10:00:27 | Weblog

◆そこまで“脱税・ピンハネ”いいんかい…!!  (再)    
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〇乱脈経理…創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント<矢野絢也・講談社…1,800\>より
  ----------P237-----本文・ここから---
◆自公合体
 私は会談の内容を秋谷氏らに伝え、石田氏にも事情を話した。「証券疑惑はもうすぐ山を越える。次は学会だ。学会としてもどう収沿するか、出口を考えないといけない。国税庁もマスコミから〝正義の味方じゃないのか〟と責められている」。私は尾崎氏の言葉を引きながら事情を話し彼らの理解を求めた。
 その後、学会本部の六階会議室で秋谷氏ら学会首脳と公明党の石田・市川両氏らが私を交えて協議した。「石田、市川で尾崎長官に再度、会談したいと打診してみては」と学会側から意見が出たが、「矢野さんでそんなに厳しいのでは私たちではダメだ」と石田、市川両氏は慎重な姿勢だった。
 秋谷氏は「税務調査にも裁量があるだろうから交渉を続けるように」と二人を説得したが、市川氏は「局部的なことでの裁量ならあるかもしれない。しかし入り口論だけで出口を学会が押さえているのでは堂々巡りになるだけだ」と冷静な口調で反論した。
 山崎尚見副会長はほとんど黙っていたが、「池田名誉会長の脱税事件になるようなことだけは防がねばならない」というせりふを何度か繰り返した。我々が意見を述べても、彼はまるでそれを言うのが目的で会議に出席していたかのように同じことを言い、話がいっさいかみ合わなかった。本部経理担当で検事出身の福島副会長が見かねて「いまおおわらわで整理中だ。訳がわからないことが多くて困っている。絵画が帳簿に載らないで積んである。山になっている」と取り繕ったが、山崎氏は同じせりふを繰り返すだけだった。
 このように代わりばえのしないやり取りが続く中、注目すべき発言を行ったのが市川氏だった。
 市川氏は、自民党の小沢氏が戦争中に政府の弾圧で潰された大本教の例を引き「国税調査によって学会は潰れるから、早く自民党と公明党は合体すべきだ」と話していたことを明らかにしたのだ。
 秋谷氏らは市川氏の言わんとしている意味が理解できずポカンとしていたが、私には市川氏の言葉の表裏がよくわかった。表向きは国税解決のためには自民党と協力するしかないとほのめかし、裏では将来を兄据えた小沢氏との政界再編を目指すという戦略を市川氏は立てていたのだ。
 政界再編は後日、市川氏の構想どおり実現する。国税との泥沼交渉に明けれれている私に比ベ、市川氏は国税問題を逆に利用して政界再編を進めようとしていた。見事としか言いようがなかった。私は会議の後で市川氏に「あなたが言っていた線は政界再編につながると思う。大事に繋いでおいたほうがいい」と話しかけた。市川氏は喜んで「学会を守る気持ちは私も同じです。再編の必要がわかるのは矢野先輩だけです」と私の手を握った。
 八月二九日、石田委員長と公明新聞の製作・販売委託費問題を話し合った。国税庁から「委託費が少なすぎる」と指摘されている問題だ。だが石田委員長は「党本部の財政伏況は年間経常収支だけで二四億円の赤字で、地方組織からの金で赤字を賄っているがパンク寸前だ」として委託費引き上げに反対した。
 一方、ルノワール事件の捜査は八月三〇日になってもアート・フランス社長の行方がわからず、警視庁は捜査の終結宣言が出せずにいた。「警視庁は社長の行方をつかんでいる」という坂本氏らの情報は誤りだったようだ。
 八月三〇日、秋谷氏と党首脳の会議があった。秋谷氏は第二次税務調査について、こう発言した。
「矢野さんのラインは温存してケンカ別れしないように。とはいえこれ以上は無理だろう。風呂敷袋に一切合切書類を人れてもってこいというが、ズルズルと引き込まれる。人り口で阻止とか条件闘争とかを考えねばなるまい。最悪の場合は、池田名誉会長の脱税調査だけは阻止する。絵画と第一庶務、公私混同の三つだけは防ぐ。PKOは時問をかけて検討する」
 党側は、依然としてか反論なし。市川氏は会議後「戦機というものがある。なぜPKO協力法案賛成について学会は早急にOKを出さないのだ」と怒っていた。本当はすでに学会側もPKO法案には賛成する意向を固めていたが、秋谷氏から口止めされている以上、私の口からは何も言えなかった。
 八月三一日、八尋氏から「朝から対応を協議したが東京国税局の出方がわからない。最悪に備えて分析したが埒があかない」とお手上げ状態との報告があった。八尋氏は「国税庁トップの考えはほぼわかったが、実際に調べるのは東京国税局だ。まず公明党の石田・市川の二人が東京国税局に働きかけて、どこまで調査をするつもりか探るのが先決」との意見を述べた。私は「たとえ二人が手ぶらで行っても、次は学会に書類を持ってこいという話になる」と話した。八尋氏は困り果てていた。
 ついに、国税側が第二次調査の開始時期と言っていた一九九一年九月がやってきた。
 九月一日、第二次調査に関して竹下氏が「用があったら遠慮なく電話を寄越せ」と言ってくれたが、肝心の学会・公明党の方針が決まらない。
 たとえば公明党の石田氏など、私に電話をかけてきて「秋谷会長とは意見が違う」と言っていた。石田氏によると「学会が東京国税局に行くべきだ」と石田氏が秋谷氏に提案したところ「公明党で何とかするように」と逆に叱られたという。温厚な石田氏がぼやいていた。
「学会が東京国税局に行くのじゃないのか、と秋谷氏に言ったら、まだ準備ができてないと言う。どうしたらいいというのか。学会がやるべきだ」
 私は「あなたの意見に賛成だ」と石田氏に話した。党のトップが汚れ役として表に出ることはあまり芳しいことではない。もし工作が表沙汰になつた場合、即、政治問題になってしまうからだ。
 石田氏の後で、八尋氏からも電話があった。だが、八尋氏は「石田・市川にやってもらう」の一点張り。学会と党で責任を押し付け合っているだけだった。
  ----------------改頁------245-つづく--

 

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池田の脱税・ピンハネ-56

2015-08-28 07:44:43 | Weblog

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  *脱税・ピンハネの総合商社(寄付・会館・出版・墓園・民音・学校・宣伝・Etc)の池田創価(=公明党)
 *躁・鬱病の似非医者、ユスリ・タカリ・恫喝、役所と連携の生活保護利権は、池田創価(=公明党)
 *脱税・ピンハネの貧困ビジネス(露・闇市・薬の転売・他)利権も…共産党より池田創価(=公明党) 
 *池田創価(=公明党)のアメとムチで総体革命、司法・行政・警察・マスコミ・芸能・評論家・Etc
 *自民党国会議員の半数以上を支持する池田創価、国税等の脱税・ピンハネ黙認で、?十年…!!
 *池田創価の脱税・ピンハネ黙認は、政府・国税庁の憲法違反<89条・不作為の公金支出>ダ…!!
 *池田創価の脱税・ピンハネ課税+マイナンバー課税すれば…消費税なしで財政再建できる…!!

〇乱脈経理…創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント<矢野絢也・講談社…1,800¥>より
  ----------P237-----本文・ここから---
◆竹下登元首相との会話
 この日、私は尾崎長官と会う約束を電話で取り付けた。その際、公明党の石田委員長が会いたがっている旨を伝えたが、尾崎氏は「矢野さん一人で来てほしい」と素っ気なかった。石田氏にその話をすると「私は行けないのか」と不満そうだった。私は「委員長は軽々に動かないほうがよい。私が君の代理みたいなものだ」となぐさめたが、「学会がそう思わないので困る。何かやらないと学会から文句を言われる」と悩ましい顔をしていた。石田氏の気持ちもわかる気がした。
 もうー件、私は大事な電話をした。相手は竹下登元首相である。
 当時は海部俊樹内閣だった。竹下派の小沢氏が海部首相のことを「御興は軽くてパーがいい」と語ったとされるように、この政権は自民党最大派閥の竹下派丸抱えの政権だった。自民党幹事長も竹下派の小渕恵三氏だった。当然のことながら竹下氏は首相の座を降りたとはいえ、政府・自民党に大きな影響力を行使できる立場にあった。
 私が竹下氏に、第一次調査の経過と第二次調査の事情を説明すると、竹下氏は既に承知していたようだった。いつもの柔らかい口調で「二七日に(学会の第二次税務調査の件で)尾崎とマムシ(坂本部長)が話し合い、私のところに報告にくるようにしておいたから」と、既に手を打ってあることを明かした。池田氏の指示で学会と自民党のパイプ役を務めていた学会の山崎尚見副会長から事前にある程度事情を聞いていたのだ。
 私と竹下氏は損得勘定抜きの友人だった。このときもいっさいの見返りなしに動いてくれた。
 竹下氏と私が親しくなったきっかけは八五年二月七日の創政会発足だった。このとき竹下氏は中曽根内閣の大蔵人臣。自民党最大派閥田中派の後継者と目され、ポスト中曽根の首相候補の最右翼と見られていた。
 ところが派閥のオーナーの田中元首相はロッキード事件の被告の身で、権力を失うことを極度に恐れていた。田中氏は、派閥の後継者を決めようとせず、竹下氏がボスト中曽根で名乗りを挙げるのも認めなかった。田中派の代替わりが進むことで政界への影響力を失うのを恐れたのだ。田中派内では「なぜ田中派から自前の総理・総裁候補を立てないのか」という不満がマグマのように溜まっていった。私が仕掛けた二階堂擁立劇の淵源もここにあった。
 そこで竹下氏は盟友の金丸信幹事長や小沢一郎氏らとはかり、密かに創政会の旗揚げに動いた。創政会は勉強会という名目だったが、一月二七日に創政会発足の動きが表面化すると、竹下・金丸氏ら創政会グループと田中・二階堂進両氏ら非創政会グルーブの抗争が激化。二月七日の創政会設立総会前に、両グループによる切り崩し工作が展開された。
 だが設立総会前に、竹下氏は大臣として難しい問題を抱え込んでいた。このころ、国会では消費税の前身とも言える大型間接税導入問題が審議されていたが、竹下蔵相が大型間接税を巡り中曽根首相と食い違う答弁をした。中曽根氏が「流通の各段階で投網を掛けるような総合的な消費税は考えていない」と発言したのに対し、竹下氏は「欧州共同体型付加価値税のような多段階課税方式は否定されていない」と、将来の包括的大型間接税導入に道を開く発言をしたのだ。私は「閣内不一致だ。閣内で調整するまで予算審議はできない」と予算委員会の総括質問で追及、審議をストップさせた。
 翌日に創政会設立総会を控えた二月六日、竹下氏の要請で、私は竹下氏とその側近である橋本龍太郎氏と会談した。竹下氏は「私事で言いがたいが、明日、創政会の正式の発足だ。おやじ(田中角栄)が怒ってご存知のように死ぬ思いだ。派閥の発足は個人的なことだ。だが大蔵大臣として予算委員会がストップしたまま、派閥の発足は辛い、できない。立ち往生だ。理解してほしい」と、竹下氏にしては珍しく感情のこもった表情だった。
 私は蔵相答弁を変更するだけでなく、将来にわたって自民党内閣では大型間接税を導入しないと約束するように迫り、妥協しなかった。竹下氏は〝将来にわたって〟とまでは約束しなかったものの、こちらの主張を大幅に取り入れて発言を大きく変更するので了承してほしいと切々と訴えた。私は竹下氏の話を党に持ち帰り、党執行部で協議した。その結果、変更した内容が将来、政府・自民党を拘束する答弁になるとの判断が固まり、公明党として竹下氏の申し人れを受け入れることになった。私は審議ストップを解除して審議に戻った。創政会設立総会は無事開かれ、後に竹下氏は中曾根氏の指名で首相に就任することになる。
 竹下政権下の八八年にも似たようなことがあった。税制改正法案を巡り野党が審議拒否したとき、公明党はゴールドプラン(高齢化社会に備え厚生省が制定した「高齢者保健福祉推進十か年戦略」の通称)を自民党が取り入れることを条件に審議拒否をしなかった。これらはほんの一例だが、こうしたことが重なって竹下氏は私に非常に恩義を感じてくれていたようで、私たちは友人として親しく語り合うようになった。
 一九九一年八月二八日は大きな転換点となる一日だった。
 竹下氏から電話で「昨日、尾崎(国税庁長官)と坂本(部長)に会った。キーは握った。風呂敷に包んで宿題解決に行ったらどうか」と連絡があったのである。「キーを握った」とはポイントを把握し、ドアを開ける方策があるということ、また「風呂敷包み」とは、出すべき資料は風呂敷に包むようにして国税庁に持っていき、包括的に話し合えという意味だった。つまり学会側の条件を国税が飲むという前提で、学会側は国税の指示に全面的に従い、必要な資料をすベて提出せよという意味である。その後、紆余曲折を経て結果的に竹下氏の提案どおりに事態は進む。竹下氏の言葉は「言語明瞭、意味不明」と言われたが、それはこうした抽象的な言い回しが多かったからだろう。親しくなればけっして「竹下語」は難しくない。
 竹下氏の連絡を受けた私はすぐに尾崎長官を訪ね、坂本部長も同席して一時間二五分、話し合った。
《尾崎「現場は正義感でやっているので上から押さえると必ずリークする。学会の情報をたくさん握っている。国税の現場に投書が多い。今まで投書はあまりこなかったが、今年になってよく来る。国税が学会の調査をしていることが世間に知られているからだ。投書によると、学会内で国税対策を立て書類を隠し、書類の改竄もやっているとのこと。これは刑法にふれる。現場が反発し、隠蔽、改竄される前に早くやれ、ということになる。
 社会部、警察から嫌味がくる。癒着だと。とくに国税の現場の調査官らを社会部が突く。フラストレーションが溜まり、爆発寸前。もし押さえると爆発し、かえつて学会にマィナス。
 ルノワール、警視庁の動き、八尋の事情聴取。本来は国税の仕事。それらを矢野の言う通りやってきた。現場は怒っている。
 そこで学会から行動を起こしてほしい。心証をよくするため。風呂敷包みを持ち、途中経過を説明し、宿題について相談に来たというようにやってほしい。非協力の感じではなく。
 六頃目を不問に付すことはできない。池田名誉会長のプライバシー、第一庶務、美術品、財産などすベてやる。でも矢野先生に言われると弱い」》
 尾崎氏にょると、私以外にも公明党議員や「いろいろな政治家」が大蔵省の官房や主税局などに来て「学会の調査はどうなっている」と探りを人れてくるのだそうだ。公明党議員の働きかけについて尾崎氏は「公明党と国税庁が結託していると周囲に宣伝しているょうなものだ」と迷惑そうに話し、公明党の石田委員長からの会談申し人れについても「矢野さんと会って話した以上のことは話せないのだから会う気はない」と取り付く島もなかった。
  ----------------改頁------241-つづく--

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池田の脱税・ピンハネ-55

2015-08-27 08:08:36 | Weblog

◆そこまで“脱税・ピンハネ”いいんかい…!!  (再)     
 *脱税・ピンハネの総合商社(寄付・会館・出版・墓園・民音・学校・宣伝・Etc)の池田創価(=公明党)
 *躁・鬱病の似非医者、ユスリ・タカリ・恫喝、役所と連携の生活保護利権は、池田創価(=公明党)
 *脱税・ピンハネの貧困ビジネス(露・闇市・薬の転売・他)利権も…共産党より池田創価(=公明党) 
 *池田創価(=公明党)のアメとムチで総体革命、司法・行政・警察・マスコミ・芸能・評論家・Etc
 *自民党国会議員の半数以上を支持する池田創価、国税等の脱税・ピンハネ黙認で、?十年…!!
 *池田創価の脱税・ピンハネ黙認は、政府・国税庁の憲法違反<89条・不作為の公金支出>ダ…!!
 *池田創価の脱税・ピンハネ課税+マイナンバー課税すれば…消費税なしで財政再建できる…!!

〇乱脈経理…創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント<矢野絢也・講談社…1,800\>より
  ----------P230-----本文・ここから----
◆P献金
 翌日、秋谷、八尋両氏と打ち合わせた。
秋谷「池田名誉会長を守れないとしたら自分は何のためにいるのか。存在意義がない。辞表を懐にやっている。(国税との交渉の)現場は矢野さんに頼むしかない」
矢野「お気持ちはわかるが、先日、市川君は国会の表舞台で、政府、自民党に貸しを作ることで私のバックアッブをするということを言つていた。私をバックアッブしてくれるという党の気持ちを私はありがたく思っている。しかし学会を守るためにPKOに賛成して泥をかぶるという党の申し出に対し、学会側は返事すらしない。学会は婦人部の反発を恐れているのだろうが、学会と党が一緒に泥をかぶるべきじゃないですか。それに、この後(の国税問題を巡る官邸などとの調整)は党の執行部や若手にやらせるべきだ。私だけでは浮き上がってしまう」
秋谷「それはわかるが、いままでの経緯もあり、ぜひ君にやってほしい」
 秋谷氏と私はしばらく押し問答を繰り返した。
矢野「市川君たちの考えを、学会がバックァッブしてやるのがよいと思うが」
秋谷「そのことは十分、内部で話す。矢野さんは先輩として党を大らかに見守つてほしい」
矢野「そのつもりだ」
秋谷「しかしいまのところ、市川の言うような条件を学会が飲んでウルトラCをやることについて、こちらからOKを出せない」
矢野「党は『泥をかぶつてでも』と言っている。学会は知らぬ顔をするのか。この件は党の執行部と学会首脳部の話し合いでどうするか決めてくれ。私は(国税との交渉役という)職人に徹するしかない」
 突き放すように言うと私は国税問題に話を移した。
矢野「第二次税務調査についてだが、学会の会計書類の改竄は私文書偽造で刑法に引っかかることを承知しておいてほしい。それから今後は私以外の人脈も使ってもらいたい。たとえば矢追代議士は国税の坂本部長と懇意だ。矢追氏を使うべきだ。また国税庁と理論的に張り合うために、信教の自由と徴税権の研究をやって学会も理論武装すべきだろう。人脈をもっと再検討してほしい」
秋谷「とにかく矢野さんに頑張ってもらうしかない。石田委員長が尾崎国税庁長官と会う計画はあきらめたので、会えなくてよい。こじれると矢野さんも国税庁と本音の話ができなくなると思う。場合によっては第二次税務調査で、本部会計の一部の調査をやらせることもその調査のときに考慮する。オール・オア・ナッシングという訳ではない」
 要は、秋谷氏ら学会首脳はPKO問題などで婦人部などから猛烈なクレームが来ることを恐れていたのだ。
 打ち合わせ後、私は石田委員長に、矢追氏を坂本担当につけること、他に人脈がないか調べること、宗教と徴税権力について党としても勉強会をすることを求めたが、石田氏から逆に「矢野さんが頼り。よろしく頼む」とボールを投げ返された。
 その後「石田さんから連絡を受けた」と言って矢追氏がやってきた。
矢追「市川が〝独自の立場でやってみる〟と言っていた。彼は役職が力だと思っている」
矢野「確かに、役職は力なのだ。うまく使えばのことだが……。市川君は表と裏の両面で、一気に解夬しようと考えている。市川君は泥をかぶってもやる気なんだから、私の最大の協力者なんだよ。でも学会が慎重で……。とにかくみんなで頑張ってやるしかない」
矢追「みんな秋谷会長に言われているから動く素振りをしているが、会長は頼りにならない。みんながバラバラ。下手を打つと学会と党がダメージを受ける」
 矢追氏はそう言って心配していたが、結局、また私にお鉢が回ってきた。私は半ば諦めて国税庁対策に奔走する腹を決めた。
 その後、「国税庁側といつ接触するのか」と連日、石田委員長や秋谷氏らから問い合わせがあった。だが先方が夏休み休暇中なので無理は言えない。
 学会の関西本部職員からも「九月から国税庁が来るというがどうなのか」と問い合わせがあった。この職員にょると「関西本部の管理局が徹夜で準備している」とのこと。つまり徹夜で会計関連資料を改竄していたということらしい。
 改竄の関連で付け加えておくことがある。
 第二次調査の対象には公明党も含まれていたが、実は公明党については第一次調査が始まる前の段階で資料の改竄が済んでいた。なぜ改竄が必要だったかというと、公明党議員や党本部から池田名誉会長宛に多額の寄付や贈り物が届けられていて、その痕跡を消す必要があったからだ。
 まず議員の寄付についてだが、私も議員を辞めたときに感謝の意味でまとまった金額のお金を池田名誉会長宛にお届けしたことがある。他の議員も同様にしてきた。また選挙で当選すると私たち国会議員はお礼の意味で池田氏にお金をお届けした。その他、池田氏の外遊やお祝いごとの都度、池田氏にお金や品物をお届けした。お届けするといつても、池田氏に直接渡すのではなく、第一庶務という秘書集団にお願いする。第一庶務のほうでも議員の当選時にそれとなく催促してくる。池田先生のお蔭で議員にしていただいたのだから払うのは当然だという感覚なのだろう。これがいわゆる「P献金」だ。「P」は「プレジデント=池田氏」の略である。寄付したお金がその後、どこに流れたのか定かではない。仮に池田氏の個人収人になつていたとしたら池田氏は申告して税金を払っていたのだろうか。もし払っていなかつたら池田氏が脱税に問われかねない。党としてはP献金関連の報告書や学会第一庶務からの連絡メモといつた池田氏がらみのもろもろの書類をすべて廃棄しなければならなかったのである。
 P献金については二〇〇七年一〇月一六日の参議院予算委員会で、民主党の石井一議員が政府に質問している。
「政府にお伺いいたしますが、P献金というのがある。Pというのは、ブレジデント、池田名誉会長のことを指す。外国から二〇〇個の称号をもらつたというので、国会議員一人当たり三〇万円ずつ徴収される。(中略)これはいつたい、公職速挙法違反なのか、政治資金(規正法)違反なのか」
 P献金については公明党を離党した福本潤一元参院議員も、それが事実であることを著書『創価学会公明党「カネと品位」(講談社)で暴露している。
 池田氏が、名誉博士、名誉教授など数え切れないほどの称号を授与され〝世界一の勲章マニア〟とも称されていることは先に触れた。福本氏によると、こうして集めた名誉称号が二〇〇を超えたとき学会でお祝いの会が開かれ、福本氏ら公明党国会議員全員が学会から出席するよう指示された。だが手ぶらではいけない。そこで各自がそれ相応のご祝儀を持っていき、福本氏も三〇万円を包んで届けたという。議員が支援団体の最高責任者に寄付するのは公職選挙法に抵触する恐れがある。
 お金だけではない。池田氏のところに集まる贈り物の量も半端ではない。池田氏は大の食通で、私が書記長時代、竹人委員長が音頭を取って毎年、特上のマグロや牛肉などの池田氏の好物を党から届けていた。チマチマ届け物をしても池田氏は喜ばないので大量に贈るのが基本。
 軽井沢で避暑を楽しんでいた池田氏に冷凍車二台分のマグロなどを党から届けたこともある。
 池田氏は軽井沢の研修道場に集まる地方幹部らに「党がこんなもの贈ってきやがって。ほら、みんなで食べろ」と気前よく振る舞う。すると学会員たちは「池田先生のご相伴にあずかった」と大喜びし、池田氏にさらに心酔していくわけだ。
 こうした贈り物は表沙汰にできないものだった。
 八月も終わりごろになると、それまで婦人部などの反発を恐れていた学会首脳部に変化が現れた。国税庁の足音がひたひたと迫る中、学会首脳部は平和主義をかなぐり捨て、PKO問題で大きな方針転換を行おうとしていた。
 国税庁対策のためにPKO協カ法案に賛成し政府・自民党に貸しを作るという党の考えを容認する方向に学会は舵を切ろうとしていたのだ。池田氏から「俺を守れ」と、よほど尻を叩かれたのではないか。
 八月二六日、秋谷氏が私に言った。
「PKOはよい。PKF(国連平和維持軍)も内心ではイエスだがタイミングが問題だ。政府に対するたった一枚のカードだから」
 PK0協力法案にゴーサインを出しただけでなく、将来的にはより危険度が高いPKFへの自衛隊参加も認めるというのだ。秋谷氏も国税庁の動きを封じ込めようと焦っていたのだろう。だが秋谷氏は「このことはまだ党には伝えないでほしい」と私に頼んだ。正式決定ではないからということだった。自民党との交渉に苦労している党首脳のことを思うと、彼らが気の毒になったが、上部団体の会長の指示だから従うしかなかった。
  ----------------改頁------236-つづく--

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