創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

乱脈経理-12

2014-01-30 11:27:17 | Weblog
○〝乱脈経理…創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント、矢野絢也…講談社…2011/10刊〟より
◆ドイツ統一の日に
 一九九○年一○月三日は世界史に残る一日だった。東西冷戦の象徴だった東西ドイツが一つ
のドイツとして統一を回復したのである。だが私はと言えば、相変わらず国税幹部との交渉に
追われていた。私と八尋氏は国税庁の山口直税部長、吉川料調課長との会談に臨んだ。冒頭、
三点セットの一つの「本部会計収支計算書」を提出するつもりであることを八尋氏が説明した
が、山口氏らは当然のことながら不満顔で、三点セットのぅちの残りの貸借対照表、そして墓
苑会計の三点セットの提出を強く要求した。
 これに対し八尋氏は「今年は収益会計、来年は公益会計といぅ段階論ではなかったのか」と
抵抗。池田氏の個人所得など六項目に関しても断固拒否の姿勢を貫いた。
 一方、国税側は、フロー (取引)から生じた収益や費用を示した収支計算書だけでは不十分
だとし、ストック(資産等の残高)を示す貸借対照表が必要だ、と主張。墓苑会計についても
墓石の販売など、多分に収益性があるとの指摘がなされた。
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 私は、学会の墓苑が墓石の形、大きさ、材質などすベて同じ「規格型墓地」で、他の墓苑と
は違うことを強調。「学会の規格墓地は民主的で差別がない。だから土地・墓石ともワンセッ
トと考えるべき。しかもこれは宗教活動であり非課税だ」と強調した。
 吉川氏がすぐに反論したが、私は宗教性を強調して墓苑への課税に反対の姿勢を貫いた。八
尋氏との事前の打ち合わせにあったように、墓苑課税は仕方がないと私も思っていたが、強く
抵抗することで「墓苑ですらこの抵抗だ。池田氏問題にふれるのはとても無理だ」と国税側に
思わせる必要があった。相手の要求水準を引き下げさせるための学会側の作戦だった。
 この国税側との会談の翌日、私は山口直税部長に電話で「国税が要求してきた貸借対照表を
出す方向だ。六項目について私は学会に『ふれさせない』と約束している。六項目については
配慮してほしい」と頼み込んだ。池田氏がらみの六項目だけはさわらせない、ということが私
に課された至上命令だった。
 山口氏は渋つていたが、「六項目は私なりに、いまのところ責任を持つ」と答えてくれた。
八尋氏にその旨、報告すると大変喜び、翌五日も「秋谷会長、森田理事長ら学会の主だった幹
部は全員喜んでいる。ぜひ六項目ノータッチを前提に進めてほしい」と弾んだ声で電話をかけ
てきた。何のことはない、あれもダメ、これもダメと言いながらも、八尋氏ら学会首脳も本音
では、池田氏さえ守ることができれば、あとは何とかなるとみていたのだ。むろん資料を出す
と言つても、池田氏がらみのマズイ部分は削除するなどの「改竄」を内々に済ませてから、と
いうのが学会首脳たちの腹積もりだったょうだ。
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この日の午後一一時半、永田町の議員会館の私の事務所を国税庁の山口部長と吉川課長が訪れ
た。八尋氏も同席した。山口氏らは心底うんざりしている様子だった。
私は二人に次のように迫った。
「学会の本部会計の収支計算書と貸借対照表の他、墓苑会計についても過去三年分を出してく
れるよう、八尋氏がi首脳を説得中だ。私も手伝っている。学会は私に『六項目ノータッチ
について約束してくれるか』と言ってきている。私は『国税当局の当事者ではないが、約束す
る』と答えておいた。だからぜひ吉川氏、八尋氏、東京国税局の幹部の三者会談を開き六項目
を守ることを前提にまとめてほしい」
 吉川氏はかなり厳しいことを言った後で、渋々「今回はそれでやる。あとは現場への説得が
大変だ。今後の税務_代の原案を作ったら矢野さんと山口さんで調整してもらう。三者会談の
内容は矢野さんにフィードバックする」と妥協した。八尋氏と私からみて、これは大きな転換
点だった。吉川氏に対し、上層部からの指示があったのだと感じた。
 私たちのしつこい念柙しに辟易しながら、吉川氏は「現場でのヒアリングでも八尋さんに
(池田氏がらみの)六項目のことは聞かないから緊張する必要はない。すぐ終わる」と約束し
た。
 二人が席を立ってから八尋氏は「今日、ご一緒させていただいて本当によかった。完璧だ」
と喜び、税務調査のめどがようやく立ったことに満足している様子だった。
 翌日、八尋氏と吉川氏らの三者会談が行われた。会談後、電話をかけてきた八尋氏の声はい
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くぶん弾んでいた。
「吉川さんらとの三者会談は終わつた。吉川さんは矢野さんの顔を物凄く立てていた。現場の
国税調査官も既に了解済みの空気だつた。池田氏がらみの六項目は除外するという言葉こそな
いが、完全に除外することを前提にした話し合いだった。墓苑はかっちりやられそうに思う
が、本部会計は助かりそう。褒賞激励費も何とか逃げ切れた」
 懸念していた池田名誉会長からの褒賞激励費について、吉川氏は「職員と学会員が同席して
いた場合の褒賞激励費について、職員なら源泉徴収が必要だが、学会員は源泉徴収は不要で本
部から金が出ていても問題ない」という趣旨で了解してくれたという。要は、池田氏は単に学
会を代表して職員らに「臨時ボーナス」を渡しただけという解釈らしい。池田氏がこの問題で
所得を調べられることはなくなり、職員分だけ褒賞激励費の明細を出せば課税問題はクリアで
きるということだつた。
「秋谷氏らは喜んでいるが、引き締めてやろう」
 八尋氏が珍しく軽口を叩いたのが印象的だった。
 一〇月一二日、国税庁が公益会計の調査分野についての原案をまとめ、それをもとに議員会
館の事務所で私は、山口部長、吉川課長と話し合った。これがこの年の税務調査の大詰めだっ
た。
 こちらの大前提は池田氏を守ることだが、本部会計にもできるだけふれさせず、墓苑会計な
どの納税額もできるだけ少なくしたいと考えていた。こうした身勝手とも言える学会測の要望
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をどこまで国税庁に飲ませられるか。事前のやり取りで大幅譲歩の予想はしていたが、国税庁
の原案をみるまでは安心できなかった。はたして山口氏の提示した原案は、学会側にとってほ
ぽ満点と言える内容だと私には思えた。山口氏が原案書を読みながら内容を説明した。
《「(Ⅰ)墓苑特別会計は調査する。
(Ⅱ)本部会計については矢野さんのいう六項目は(調査しないことを)前提とし尊重する。
 種々の意見があるが、今回の調査については①本部会計をやるという原則は維持するが、宗
教活動はやらない。事務管理費、一般管理費のみとする。しかし調査上、聖域を設けた形にし
ないため布教活動費もやるが、それは税法二〇四条報酬払い(一〇パーセント)弁護士、税理
士などに限定する。②職員貸付金、雑収入バーゲンなど(は調査する)。③財産目録について
は、整理する時間がほしいとのことであるから、次回とする。
(Ⅲ)収益事業はすでに問題が浮かび上がっているが、激励費、収益と(公益と)の費用配
分、本部会計と関連する部分は調整する。
 筋道をたてて、すべてをやったことにするため、外へは絶対に漏れないよう配慮願いたい。
角谷長官からもくれぐれもよろしくとのこと。調査の場所はこれまで通り聖教新聞社とする。
単年度で終わらないケースも多いので、来年から数年にわたりやることとする。今後は収支計
算書、貸借対照表を提出されたい。でき得る限り矢野さんの顔が立つようにした」》
 池田氏がらみの問題がすべて調査対象から外れたばかりか、学会側がずっと抵抗してきた財
産目録の提出も免除されたのである。
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 ほぼ学会の主張を丸吞みしつつ、外部にも聖域なき調査を行ったと説明できるという、いか
にもエリート官僚らしい原案と思えた。
 私は「大変ご配いただき心からお礼申し上げる。これで十分だと思うが、私は専門家では
ないから、今夜八尋に説明し、これでいくようにする」と感謝した。
◆帳簿の改竄
 学会と擦り合わせたうえで一〇月一五日に最終的な打ち合わせをすることを約束した後、山
口氏は「矢野さんがいる限り、やりにくくて困る。角谷も限度をこえて配慮してくれている」
と私を見ながら微苦笑した。私は角谷長官ら国税庁の皆さんへの申し訳なさと、感謝の気持ち
を込めて「くれぐれも御礼を申し上げてほしい」と深々と頭を下げた。
 翌日の私と八尋氏との電話でのやり取り。
《八尋「秋谷は本山にいるので十分話してないが、今夜F会(最高会議)をやり、相談する。
しかし完璧な仕上がり。矢野さんに感謝していた。問題は本部内部から『うちはやられない』
という話が漏れること。それをいちばん、国税は恐れている。情報はこちらから漏れていると
みている。そうなると、ことは重大。演技も必要。本部全体やられているという印象を出しつ
つ、それもほどほどに......」
矢野「それはしっかりやってもらいたい」》
 気の緩みが怖いので、厳しい税務調査を受けている演抜をしょうというのだから学会側も相
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当余裕が出てきたのだろう。
八尋氏によると、この日夜のF会では「秋谷会長ら学会の主だった幹部全員が、よくここま
で来れたものだと感謝感激していた」とのこと。八尋氏が続けた。
「秋谷会長によると、池田名誉会長が『矢野の力だ。矢野が長年培った人脈のおかげだ』とほ
めていたそうだ」
 だが、ここまで国税庁が譲歩しても、なお心配のタネがつきないのが学会会計の実情だっ
た。何しろ学会本部会計のたいていの分野に、池田氏がらみの表に出せない金の出し入れが含
まれており、学会側としては、国税が見る前に、池田氏がらみの金の帳簿上の処理を終えるつ
もりでいた。はっきり言えば帳簿の改竄である。
 一○月一四日、レストランの個室で会った八尋氏はいつもの気難しい顔に戻っていた。八尋
氏は一般管理費の中の「仮払い」の処理について頭を痛めていると打ち明け、「仮払いからも
池田氏がらみの褒賞激励費が出ている。仮払いを国税庁から突っ込まれると応答できない」と
顔をしかめた。仮払いの金額は相当額に上っていたようで、八尋氏は「一般管理費だけをコン
ピユータでソート(分類)して一覧表を作り、領収書などはコピーで……。でないと結局、す
ベてを見せることになつてしまう。仮払いはなくす方向だ」と話していた。要するに一般管理
費から仮払金を削除し、伝票や帳簿を改竄するということだろう。
 また伝票と引き換えに金を出す聖教新間社の「受け払い」伝票を調べたところ、ここにも第
一庶務がらみの表に出せない金が人っているので困つているとのことだった。そこかしこに池
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田氏がらみの支出があったということだろう。また学会の理事会議事録も国税庁に提出できな
いと八尋氏は話していたが、これも同じような理由からだと思われた。
「池田氏側近の鈴木副会長はすべての事情を飲み込んでいる。大丈夫だと思うが、決着がつか
ないことは上(池田氏)にフィードバックして確認していく。なお本部総局は美術品の総点検
をやつている。(学会本部)全体が臨戦態勢だ」
 結局、最後は「上」つまり池田名誉会長がうんと言わない限り何もできないということだ。
別れ際に八尋氏が言っていたところによると「F会で幹部たちは、税務調査は一九九○年分だ
けで八八、八九年はなしにしてもらう」などと虫のいいことを言つていたそうだ。人の苦労も
知らないで何を調子のいいことを言つているのか。私は二の句が継げなかつた。
 八尋氏との打ち合わせを終え、翌日、私と八尋氏はレストランの個室で国税庁の山口部長、
吉川課長との会談に臨んだ。
 山口氏は「一般会計は源泉徴収を中心に来年も調べる。財産目録については物品所在照合も
やる」と説明。来年のことなので、こちらとしても特に異存はなく、私は前日に八尋氏と打ち
合わせたとおり、「仮払い」のことを取り上げた。
 すると吉川氏はたちどころにこちらの意図を見抜き「日計表など、いっさい書類は改竄した
と思われることのないよう、さわらないこと。調査の対象としていないものは問題にしないか
ら信頼してほしい。むしろ、うちは、改竄を目こぼししたと学会内部から漏れるほうが怖い」
と諭すように言つた。
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 池田氏がらみの激励費などは国税側が自主規制して見て見ぬふりをしてけっしてふれないか
ら心配するな、もし改竄の形跡が見つかれば、現場の怒りを買い、現場としては摘発せざるを
得ない。逆効果になるのでやめろ、と忠告してくれているわけだ。
 釘を刺された学会側がその後、改竄を断念したかどうか私は知らないが、八尋氏はうなずい
て「理事会議事録は出せない。激励費は既に職員分のみ書類を作っている」と説明。
 今後の日程について吉川氏が「聖教新聞社の調査は今週で終わり、二二日から墓苑会計をや
り、その後、本部会計を調べる」と言うので、私は「墓苑の調査は二九日からにしてほしい。
その前に学会本部で税務調査に関するヒアリングをやってほしい。そのほうが聖域なしという
印象を与えられる」と侬頼した。学会本部で調査官が税の調査で職員相手にヒアリングをすれ
ば、それが内外に伝わり、〝手抜き調査〟の実態を形だけでもカモフラージュできると考えた
のだ。
この日は、さらに最終的な徴税方法についても話し合われた。国税側からは「学会側の自主
的な修正申告の形にするか、それとも更正決定でいくか。全体像がみえてきたところで相談す
る。修正Iは四谷税務署に公示する。更正決定は不正があったょうにみられる」と説明があ
つたが、こちらとしては、むろん自主的な修正申告以外の選択肢はなかった。
 最終的な徴税方法まで詰めたので、この年の税務調査は、この段階で実質的に片がついたよ
うなものだつた。私は今度こそ一山越えたと安堵した。あとはルールに沿った実務レべルの交
渉だけだった。
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◆情報漏れ
 一〇月ニ六日、国税庁の山口氏と打ち合わせしたとおり、学会本部で料調調査官から税務調
査に関する総括質問ヒアリングが実施された。その模様と今後の見通しについて八尋氏は、
「本部会計は簡単に仕上げるつもりのようだった。一応、全部やったという形を取りつつやる
のだろう。やはり墓苑会計に全力を置くようだ。仕上げのところで矢野さんの協力をお願いす
ることになる。でないと金額が大きくなりそうだから」と語つた。
 一〇月二八日、関西本部の西口良三総関西長から「名誉会長より矢野さん宛に頂き物があ
る」との電話連絡があった。西口氏は学会の〝関西のドン〟と呼ばれる実力者だ。税務調査が
らみのお礼らしい。
 税務調査は着々と進んで行った。以下は八尋氏からの電話連絡だ。
《一○月三○日、「昨日、本部会計、墓苑会計、両方やった。現場は激励褒賞にからみ資料要
求の空気あり。料調から一二〇項目の調査要求項目が出たが、七○項目は二〇四条税理士報酬
がらみで問題ない。第一庶務も二、三あったが大したことない。資料の点検も東京国税局のキ
ヤップが選んだ上のこと。むしろ怖いのは現場の当たりが弱く、こちらが楽観—(その空気
が外部に)漏れる恐れあり」
 一一月一日、「伝票の示し方(について)、封をしたり留められたら困る、そのまま出してほ
しい、付箋をつけて(くれれば)、それ以外は関心持たないから(と国税キャップに言われた)
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キャップがそばにいてチェックしている。激励費─来週話し合つて自主的にそのままいくつも
り。中心は墓苑にあり」》
 このころ、どこで聞き込んできたのか朝日新聞の知り合いの記者が「噂では矢野さんが国税
を担当しているそうだが。いままで矢野さんが学会のことでいろいろ苦労しているのは承知し
ている。でもそれは学会にとってよくない。学会はいつも同じ失敗をやっている。矢野さんの
親切が仇になつている」と忠告してくれた。しかし、私は「何もやってない」としらばくれる
しかなかつた。
 一一月七日、『週刊実話』が国税調査について報道。記事の中に、ある党首脳が八尋氏に話
した内容が載っていたことから、八尋氏はその首脳の名前を挙げ「彼のリークだ」と決め付け
た。私は「いまは微妙なとき。リークは困るが内部で波風を立てないようにしてほしい」と頼
み込んだ。八尋氏はプンプン怒つていた。
 その二日後、私はまた山口部長、吉川課長らと会った。彼らは週刊誌に情報が漏れたことに
ついて、かなりナーバスになっていた。
《山口「(国税庁)長官は、マスコミ各社六、七名の記者と懇談している。相手は政治部長、
社会部長、デスクなど。そこで、必ず創価学会の調査はどうなったか、終わったのかと質問が
出る。情報漏れもあるようだ。今回の取り組みは異例中の異例のことで、もし漏れると大変。
こちらも大変。矢野先生も大変。学会はもっと大変。週刊誌のようなことは困る。今年と来年
との分野調整の打ち合わせもあるが、もう一度調查の見直しをやる必要も出てくる」
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吉川「もし書類を偽造したら七年(間)さかのぼり徹底的に調査することになる。これは強
行。まるで刑事罰。ご存じとは思うが……。出された書類をそのままハイそうですか、では調
查にならない。裏づけ調査、現場調査もやるし、自由に反面調査もやる」
矢野「こちらから漏れた漏れたと言うが、岡目八目的な見方はどうしても避けられない。そこ
まで言われるとどうしようもない」
山口「調査を四点までやつて(満点の)一○点やってないとなるとまずい。せめて六点ぐらい
までは……」
矢野「仮に一○点やっても悪く書く奴は書く」
山口「だから範囲を広げてやり方もきつくやるべきだ」
矢野「私は学会より六項目の貴任を持てるかと言われ、持つと言ってきた。範囲を広げるのは
困る」
吉川「私は佐賀県の出身で、葉隠れ(の精神を知っている)。職場に忠実に、しかし(相手にも)
優しさが必要(だと思ってやってきた。だが……これでは)」
矢野「八尋たちが学会会計を改革しようとしている。改革をやらないなら私も知らん顔する。
八尋も必死。だから私も必死でやっている。それと致命的なことになると八尋も潰れる。漬れ
たら改革もできない」》
 最後はお互いの心情を吐露し合うやり取りになった。国税庁の幹部も現場も職務に忠実に、
真摯に働いていた。しかし、私や公明党という壁に阻まれ思うように動けない、歯がみする思
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いが国税の上にも下にもあった。誠に申し訳ないと思ったが、私もお世話になってきた池田名
誉会長と創価学会を守るために必死でやっており、一歩も引く訳にいかなかった。たとえそれ
が社会通念に反していてもだ。
 国税幹部との会談後、私は、対マスコミの情報管理を徹底するとともに、学会経理の改革を
必ず行うよう、学会の幹部数名と話し合った。
 一一月一五日、私は山口部長と会い「先週の話は、学会幹部五、六名を集めてしっかりやっ
た」と説明。山口氏はうなずきながらも、新聞社が学会問題に強い興味を示していることへの
危機感を示した。
「五大紙の動きが心配だ。関心が強いクラブ記者がおり、社会部が〟創価学会の調査は終わっ
たのか〟とうるさく聞いてくる。税務処理が終わったら本格取材が始まることが予想される。
かなりきつい。学会にも聞かせて情報管理をしっかりやらせてほしい」
 山口氏は「それにしても聖域なき調査の形をつけることと六項目を守ること、この境界線が
難しい」とこぼす一方、いよいよ銀行や証券会社に反面調査を始めることを告げた。
「来週から反面調査をやるが、これは矢野さんと約束した六項目違反ではなく、前から言って
きたことだ。学会本部の調整が済んでいない問題については反面調査しない」
 これまでは学会と国税の間で話が終わっていたが、これからは銀行など外部を巻き込んだ調
査になり、情報がマスコミに漏れる危険性がさらに高まる。私はその日のうちに、八尋氏らに
対マスコミの情報管理を徹底するよう、再度注意を促したが、八尋氏からの報告には黙り込ま
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ざるを得なかった。引き続き私に公明党の常任顧問をやれというお逮しがあったというのだ。
おそらく池田氏ら学会首脳の差し金だろう。
「今日、公明党の三役会で矢野前委員長に、引き続き常任顧問としてご指導をお願いしたいと
いう話が出て了承された。公明党の石田委員長から報告があった」と八尋氏。
 党からでなく、なぜ学会の八尋氏から党人事の話を聞かされるのか? 八尋氏としては、私
へのサービスのつもりだったのだろうが、本人の了解を得ることなく勝手に決められたことも
不満だった。何にも増して、これから先も学会の尻拭いをさせられるのかと思うと疲れがどっ
と出てきた。
 一一月一七日、公明党本部で結党記念式があった。記念式で挨拶した後、私は大阪に行き、
大阪選出の公明党代議士、浅井美幸、矢追秀彦の両氏と韓国料理屋で食事をした。
 矢追氏は「市川は学会に恨みを持っているように思う。思い込みが強くて学会が自公民(自
民•公明•民社党)路線を求めていると確信している。市川は〝池田名誉会長はあと一○年、
勝負は五年以内〟と見ているようで(自公民連立を)急ぐ必要があると思っている。はたして
それでやっていけるのか。市川は矢野さんを煙たがっている。常任顧問は会合に出ないように
働きかけたが(学会の上に)潰された」と市川書記長に強い不満を述べた。私は「それは私の
不徳の致すところ。市川さんもやりにくいのだ。私も口やかましいから反省している」と述
ベ、「市川君は学会に恨みを持っている訳ではない。多少、自負心過剰な点はあるが、周りに
対してじれったい気持ちもあるのだろう。でも、いまの切羽詰まった状況を何とか打開したい
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と努力しているので、彼の突破力できっと何とかするような気がする」と感想を述べた。しか
し、浅井氏も「石田委員長も頼りない。市川の言いなり。市川が人の意見を聞かないので今後
が心配だ」と表情を曇らせた。
「私を煙たがる理由はわかる気がする。いちいち口出しするからだ。私が悪い。今後は、党の
会合には出席しないようにする。それでよいなら(常任顧問にでもなんでも)任命すればよい。
いささかも(ポストに)恋々とはしていない」
 私はそう受け流したが、後で石田委員長から電話がかかってきて「市川が矢野さんの批判を
しているが気にしないでください。市川がそういうことを言うのはけしからん。他の人は市川
が言うようなことは考えていませんから」と釈明した。私は「別に気にしていない。私も反省
している。そっとしておいてほしい。こちらも命がけでやっているのだから……」と頼んだ。
石田氏は「誠に申し訳ない」と答えていた。
 市川氏は、やや気難しい点はあるが、合理的かつ明晰な戦略家で、そのような人材は党にお
いては他にあまり見たらないように思えた。市川氏は学会青年部の元参謀室長だった。参謀
室長の経験者は学会では池田名誉会長と市川氏の二人しかいない。それだけ市川氏は池田氏に
能力を高く買われていた。
 ところが、市川氏は、練馬の投票所で午後六時の投票締め切り時間を過ぎて投票所に詰めか
けた学会員を投票所に入れるかどうかで選挙管理委員などに暴行を働いたとされ、指名手配さ
れかかつたことがあり、それを機に池田氏から遠ざけられた。もしそのようなことに巻き込ま
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れず学会に残つていたら、市川氏も学会の最高指導者の一人になっていたのではないかと言わ
れている。
 その後、市川氏は学会から追われるように活躍の舞台を公明党に移した。公明党に来てから
市川氏は、学会の仕打ちは冷酷だという趣旨のことを平気で言っていた。学会に対し複雑な感
情を持っていたのだろう。また市川氏が私に敵愾心を持つていたという話を聞いたことがある
し、私も不愉快に思うこともあったが、「打倒対象となるだけでも光栄」と私は思っていた。
 イエスマンとダンマリばかりの学会・公明党首脳の中で、物事をはっきり言う市川氏の存在
は、組織にとつて、むしろ好ましかった。学会•公明党で市川氏のような突破力を持った人物
は池田氏以外には見当たらなかつたが、気の毒なことに、この時期、彼は学会と党の板挟みで
苦しんでいた。
────────────────◇────────────(引用ここまで、つづく)
今回のコメントは最近テレビで活躍の〝津川正彦〟さんです。
津川さん…「池田大作?‥やりたいでんなぁ…勿論、芝居をですよ!!…人生は芝居だからね…映画のほうですねぇ…テレビドラマはコマーシャルの〝オマケ〟で駄目…永久に?‥NHKだけに頼ってもねぇ…田中角栄・小沢や児玉?‥断トツで池田ですよ…脚本九割ですね、ポアもどきも入れてね…そう後藤組!!…海外のお城の取得も…××一郎を〝貴様、何様だ!!〟と恫喝し…××一郎が失神した…このシーン是非ほしいネ…××一郎を悪友の〝勝谷さん〟にして欲しいね。役者も大切なので…勿論、大会館で〝元気ですか!!〟〝ハーイ!!〟〝沖縄・糸満…キンマンコ!!〟〝大爆笑〟〝大拍手!!〟」「甲子園の〝関西文化祭〟で右手を振って得意のポーズ…下手な〝平和〟の人文字も…北朝鮮なんかヒヨコですよ…」 「さて、題名ですね…闇の脱税王、偽善王、嘘ツキ王、…権力王…どれも今一ですね…これは、一般から募集したらどうでしょう?…前宣伝にもなります‥」「ワクワクしますネ。今晩寝らねない…女と一緒でも?‥これは枯れましたが〝月刊ペン事件〟の濡れ場も欲しいね‥ここの脚本は任せて下さい‥」「池田まだ生きている?…残念ですねェ…死から一年以内ですね?‥葬儀会場が浮かびました。中国大使にケネディ女史の参列?、安倍さんは当然でしょう?‥自民の最大の支持団体なんだから…田原に森田に、毎日の社長、アグネスに中川家の二人‥プロ野球から芸能・法曹・Etc‥焼香だけで?/?時間‥」「プロローグは葬儀会場から‥ボカシが増えて、海苔を干してある海岸で、ぼろの着の一人の少年‥いじめられっ子で泣いているシーン‥おもむろに‥久米宏のナレータ‥「この少年が、後の世界征服王となった池田大作であった‥‥」
「エピローグも葬儀会場の続き、焼き場で遺骨を受け取るカネ子夫人‥生ゴミの袋にそれを入れる‥ゴミ回収のシーン‥回収車を〝腕を組んで〟見送るカネ子夫人〝ニタ!!〟と笑う‥〝終演〟の文字徐々に拡大‥カネ子夫人の役?‥田島さんが似合う?‥」「女も金も…追うと逃げる?‥」 「人の〝死〟は難しいね…望んでも来ないし、望まなくとも突然に…ですね。たかじんありがとう…〝たかじん〟のような芝居もあるんだネ!!…」

(誤字・脱字、文法無視、パクリ・援用・重複・勝手編集も‥笑って♪♪‥許して♪♪‥)
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乱脈経理-11

2014-01-28 08:29:52 | Weblog
○〝乱脈経理…創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント、矢野絢也…講談社…2011/10刊〟より
◆ファミリーにはふれさせない
 九月二一日、私はレストランで山口直税部長、吉川料調課長ら国税側三人と会った。反面調
査を行うことにより、今後、マスコミと国会の追及を受ける危険性が出てくる。その点への対
処を聞いたところ、国税側はこう答えた。
《「国会で質問があったとき、やっていないことをやったとは言えない。適法に手順を踏み、
やったと答えることになるが、抽象的に答える。名前は出さない。マスコミにも一句も漏れて
いない。しかし、現場にも限度がある。もう三ヵ月やっている」
「三点セットは出してもらう。そのうえで八尋氏と打ち合わせてから分野調整をして、調査を
する。どんな分野調整になるか、信頼してもらいたい。このまま終わることはできない。も
し、そうなれば重大なことになる。角谷氏は矢野さんへのこともあり(配慮して調査官の)人
────────────────改頁──────116
数を半分にする(と言っている)。分野調整をして本部会計もやったという形は絶対につけなけ
ればならない。人数を半分にするということは最大の厚意。あとは信頼してもらいたい」》
 だが学会側、つまり池田名誉会長が本部会計の三点セットを出せないと言っている以上、私
も妥協することはできない。私は傲岸不遜を承知のうえで二度「ナッシングだ」と繰り返し
た。ナッシング、つまり三点セットについてゼロ回答だと繰り返したのである。国税庁側の三
人は私の顔を啞然として見ていたが、埒があかないと見てか「あとは現埸でやろう」と話を打
ち切ろうとした。私もそこは年の功、押したり引いたりしながら譲歩を迫った。彼らは苦笑い
しながら聞いていた。
 山口部長らは、調査官の人数を半減させ、国会での質問にも抽象的に答え、しかもどの分野
を調査するかの調整も八尋氏と相談して進めると約束してくれた。国税側としては最大限の譲
歩である。本来は感謝こそすれ、文句を言う筋合いはなかったが、私は立場上、強硬な姿勢を
崩さなかった。私は譲步の言質を取るために「いまのあなたの精神(=発言内容)は生きてい
るか」とあえて念押ししたが、国税側は「上(角谷長官)に言う」と答えるに留めた。
 会談後、八尋氏に連絡すると「大変な譲歩だ。ありがたい。よく秋谷氏と相談する」と喜ん
でいた。八尋氏は、私にゼロ回答のまま国税と交渉させ、国税の反応を見ようとしていたよう
だった。
 九月二五日、八尋氏と料調の現場責任者が今後の調査の進め方について再び話し合った。責
任者は「いよいよ収益会計の調査も終わりになり、本部会計に移る。我々は収益•公益両方や
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る。その考えに変わりはない」と述べた後、「そこで、挨拶を兼ねて森田(一哉)理事長、山
崎(良輔)代表理事に会い、話し合いたい。八尋さんも大変ご苦労され、申し訳ないと思う
が、ぜひお二人にお会いしたい」と学会の森田理事長らとの会談を公式に申し入れてきた。
 八尋氏は国税側の意同を訝しがり、私に「森田に会って(三点セットを出せと)通告すると
いうことか。それとも八尋ではダメだから上を揺さぶろうということか」と尋ねたが、私にわ
かるはずもなかった。
 同日の八尋氏からの電話によると、この他、国税側は「白木本人にどうしても話を聞きた
い。聖教新聞社前の建物について現場を検分したい」と要求しているとのこと。八尋氏は「か
なりハードな動きになつてきた」とボソリ。
 同日午後、再び八尋氏から電話。
《八尋「一時間以上、秋谷と電話ですべてを復習した。秋谷は矢野にくれぐれもよろしくと言
っている。これが限度かとの判断を秋谷はもっている。かけられるだけの歯止めはかけた」
矢野「しかし、歯止めにも不安はある。すべて抽象論だから」
八尋「その通り。しかし、これが限度だと思う。明夜、会いたい」
矢野「池田名誉会長からの〝墓苑への課税は止めたい〟とのお話に背くが、それで秋谷にとっ
てよいのか」
八尋「大丈夫でない」
 やはり最大のネックは、自分は安全なところにいながら、「三点セットもダメ、墓苑もダ
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メ」と裏で勝手放題言つて、私や秋谷、八尋両氏を振り回し続けている池田名誉会長の存在だ
った。そして、その存在と発言は絶対的な重みをもっているのだ。
 すべてを開示して納める税金を支払ってしまえば国税も納得するのに、話がこじれるのは、
学会側があれもダメこれもダメと言いすぎるからだ。「少しぐらい問題点はあつても隠さない
ほうがよい」と私が感想を述べると、八尋氏は溜め息をついて「まあ、そうです。しかし池田
先生を死守するのが信心」と言うので、私は話を打ち切った。
 九月二七日、私は再び山口直税部長と会つた。前回の「ナッシング」発言がよほど腹に据え
かねたのか、山口氏は開口一番、「この間の打ち合わせは失望した」と率直に切り出した。
「こちらは相当、譲つている。一般的な調査はこうではない。矢野さんのご尽力があるので、
こちらも丁寧に、例外的な扱いをしてきた。特例、異例になつている。やろうと思えばすべて
できる。社長(池田名誉会長)の家に行くとか」
 調査対象の団体、企業の各部屋に自由に出入りして資料を調べ、関係者から事情を聞くのが
〝鬼より怖い〟と言われる料調の本来の調査のやり方だ。ところが学会の抵抗で、調査官は聖
教新聞社の部屋に缶詰にされ、資料も好きに見られない。山口氏の怒りは当然だろう。
「八尋さんは上を説得しかねていると見えるが、国税は八尋さんに上を説得してくれと頼んで
いる訳ではない。我々のやり方でやればすむことだ。宗教法人への凋査はこういうものだと学
会側に認識してほしい。世論の目もある。他の宗教団体もやっているが、もう終わりつつあ
る。特別扱いしているとなると国会での答弁もできない。クリアしたほうがいい。返事もいま
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までのように頑ななのはおかしい。理解してもらいたい。三点セットについては他の宗教団体
は出している。例外はない。学会は公益会計と収益会計との関連が入り組んでいる。本来、収
益会計扱いのものが公益会計に入り込んでないか。公益会計に目を通さないとわからない」
 山口氏の主張に私は「もっともなことだ」と心の中でうなずいていたが、立場上、妥協する
訳にいかなかった。
「本来なら即答を求めることではないね。論争したい」
 私がはねつけると山口氏も「民間会社で言えば、収支計算書と貸借対照表とその明細だ。当
たり前のことを要望しているだけだ。学会の言い分はあまりにも非常識だ」「三点セットを出
してもらわないと、こちらも考えないといけません。もし出ないときはそれ相応のことになる
でしょう。そちらが引いてほしい。調査の範囲ですか? ギリギリ詰めることではないでしょ
う」と、これ以上譲歩する気はないという態度だった。
◆譲れない六項目
 九月二九日、私は久しぶりに秋谷氏と会った。場所は日本料理屋。私の慰労名目で、八尋氏
も同席した。秋谷氏は「お世話になつている」と頭を下げ、私に丁重な挨拶をした。状況を私
が説明すると、秋谷氏は厳しい顔つきで「調査範囲を絞ると言っても難しい。調査の期限を切
るしかないのではないか。創価学会だけを狙い撃ちしたものとは思えない。公益法人へのメス
だと理解するが……」と考え込んだ。具体的な詰めの話を終えて、場も終わりに近づいたの
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で、私は「もうそろそろ次の衆議院選の後のことを考える必要がある。四二年当選組への風当
たりが強いようだから、私は出ないつもりです。だから国税担当も交代してほしい」と丁重に
申し出た。
 秋谷氏は真剣な表情で、国税問題に対処できる人材が他に見当たらないとして「人を育てる
と言っても、その気のないものを育てることはできない。人材が出てくるのを待つしかない。
だから私と矢野さんは死ぬまでやるしかないんだ」と学会•公明党の人材不足を嘆き、強い口
調で私を激励し、指導した。
 私は秋谷氏が、問題の引き延ばしを図っていると感じたが、それとともに「秋谷氏も本気だ
な」と肌で感じた。だから「それでは仕方がないが、やるだけのことはやろう」と話を収め
た。
 森田理事長らに事情を聞きたいという国税側の要望については、森田氏らが会計や税金問題
については、ほとんど何も知らないという理由で国税側に断念してもらうことになり、実際そ
うなった。
 だが三点セットにっいて国税側は妥協しなかった。山口氏や現場の調査官は「三点セットの
提出がないと話が進まない」と繰り返し求めた。一○月二日、私は八尋氏と最終的な詰めをし
た。八尋氏にょると、この日、調査官の人数は八人以下に半減したという。調査官の人数を半
分に減らすというのは国税庁にとって大きな譲歩だ。山口氏は私との約束を果たしてくれたの
だ。池田氏の意向次第でコロコロ態度を変え、約束を平気で反故にする学会とは大違いだと私
は思った。
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 (ダブルクリックで拡大)
この日、八尋氏は今後の学会側の方針をまとめた一枚の書面(写真参照)を私に渡した。書
面には学会のエゴと醜悪さが凝集されていた。納税者も他の宗教団体も熟視すべき歴史に残る
書面だと私は思う。書面には「総論」として
  ①財産目録は出さない
  ②美術品にふれない
  ③(池田氏の)個人所得にさわらない
  ④第一庶務にさわらない、
  ⑤会員のプラィバシーにふれない、
  ⑥宗教活動にふれない、
 の六項目が記されていた。
このぅち①から④までが池田名誉会長がらみ。⑤と⑥は学会の収入の柱でぁる学会員から
の寄付=財務に関するもので、会員のプラィバシーなどを理由に財務についての調査を断固と
して拒否する決意が感じられた。⑤と⑥については私も信教の自由を守る視点から特に異存は
なかった。
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 しかし、その狙いははつきりしていた。学会は財務、つまり会員からの寄付明細、特に大口
の寄付内容を国税に知られたくなかったのだ。学会財務については巷間、経理処理が適切かど
うか疑念を持たれていた。学会内部ですら「財務の一部を裏金扱いにしているのではないか」
とか「海外の大学などから池田氏を名誉教授などにしてもらうための工作資金に財務が使われ
ているのではないか」といった噂が囁かれていたほどだから、学会側とすれば、寄付明細を知
られることは断固阻止せねばならなかったはずだ。
「信者の浄財なのだから堂々と提出するのは当然のことだ」と国税側は主張していたが、学会
側は一顧だにしなかつた。
 書面を示しながら八尋氏が説明を始めた。
「昨夜、秋谷氏と詰めた。個人所得にふれないというのは池田名誉会長のこと。パチンコ財務
の件もあり、特にこれは譲れない」
 パチンコ財務のことは捨て金庫事件のところでふれた。学会の大口寄付者のパチンコ屋が脱
税で国税に調べられ、学会発行の領収書が見つかったが、寄付金は学会に入らずどこかに消え
ていたと疑われた事件だ。それを池田氏の個人所得と関連付けて話したところを見ると、パチ
ンコ屋の寄付は池田氏への裏金にでもなったのだろうか。八尋氏は財務とのからみで、池田氏
個人の所得にふれさせてはならないと強調したが、八尋氏のニュアンスは財務の金が池田氏が
らみの裏金に消えたケースがあると示唆しているょうに思えた。
 八尋氏が続けた
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「第一庶務も同様だ。個人所得と第一庶務にふれさせてはならない。美術品については未記載
と所在不明の絵がたくさんある。財産目録についてはそうした未記載と所在不明の絵を来年四
月までかけて整理し、記載するのでそれまでは出せない」
 八尋氏が示した書面には、他に「各論」としてA「厚生費、通勤費、旅費交通費、会議費、
交際費」、B「褒賞激励費、活動会食費、渉外活動費」、C「活動経費、海外指導交流費、国際
文化交渉費、慶弔費」と書かれていた。八尋氏はこれらの扱いは要注意だと前置きして、「激
励費は二九億円、財務は昨年一四○○億円。会食費などが六億円でこの明細は出せない。海外
もいろいろあり出せない。墓苑はある程度やむを得ない」と話した。
「各論」については、少し説明を加える必要があるだろう。Aグループは学会職員に関する経
費で、これはさほど問題はない。あるとしたら「交際費」の中に池田氏分が含まれている可能
性があることだ。
 だがBグループの褒賞激励費は八尋氏の言うとおり、確かに扱いが難しかつた。褒賞激励
費は池田氏が自分の名前で職員や聖教新聞社の取次店職員らにばら撒く特別ボーナスのょうな
もので、一人一回当たり五万から一○万円だが、総額は二九億円にも上る。褒賞激励費の原資
は学会の金だが、池田氏が個人的に配っている以上、学会から池田氏にいったん贈与したもの
を池田氏が個人的に職員に贈与したとも考えられ、池田氏個人の所得税などの問題が発生する
可能性があった。また、こちらはささいなことだが、池田氏から激励費をもらった職員も所得
扱いにされて税金を支払わなければならない可能性があつた。
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一方、活動会食費や渉外活動費は実態が不明だが、池田氏の身辺警護を担当する学会の組織
「金城会」などのための費用が含まれているのではないかとみられていた。
 Cグルーブでは、海外指導交流費と国際文化交渉費が、八尋氏が言うように「いろいろあっ
て(表に)出せない」金とされる。先述のように、池田氏は世界各国の大学などから名誉博士
号や勲章をもらい、それが連日のように聖教新聞に大きく報じられている。名誉博士、名誉教
授など数え切れないほどの称号を授与されている池田氏は〝世界一の勲章マニア〟とも称され
ている。博士号は博士論文を提出し厳正な審査に合格しないと授与されないが、名誉博士とい
うのは学術能力を保証するものではなく、大学への寄付など社会的功績に対して与えられる単
なる顕彰にすぎない。名誉教授も本来は長年、大学の教授職を務め、大学に功績のあつた人に
贈られる称号だが、池田氏の場合は、教授職を務めたり学術的に功績がある訳ではないから単
なる称号である。それでも事情を知らない学会員からすると、世界各国から称号や勲章をもら
つている池田先生は凄いと映る。
 そのための海外要人との交渉や、海外の自治体や大学などへの寄付がここに含まれるとみら
れる。これらも池田氏がらみの資金らしく、ふれられるとまずい金だつた。
 一方、八尋氏の書面には「一〇月三日要求資料」、つまり国税側が提出を求めている学会本
部の三点セットなどの資料に関し、「一九九○年の収支計算書、明細、勘定科目一覧表、活動
支払報酬」などを出す案が記されていた。
 八尋氏は私に「この線で行つてもらいたい」と国税庁幹部との交渉を頼んだ。
────────────────改頁──────125
「これでも金額が大きいから国税庁はピックリするのではないか。それで国税庁の路線が変わ
るのではないか」
 八尋氏は珍しく自信ありげだった。確かに一歩前進だが、私には八尋氏のその自信が理解で
きなかった。肝心の三点セットを出すことになっていないからだ。きっと国税は難色を示すと
予想した。
────────────────◇────────────(引用ここまで、つづく)
今回のコメントは〝山田風太郎だ〟さんです。あの〝山田風太郎〟さんですか?‥‥
風太郎…「〝忍法ブーム〟の?‥そうですよ、その読者の‥です。同姓同名です」「人は死んだらおしまいよ…です」「エッ?‥では、飲んだら寝る!!寝る前に飲む…?‥戦前、戦中、戦後の日記…これ、わしの真打ちでした…この本、今も売れているらしいでんなぁ…」
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乱脈経理-10

2014-01-25 09:20:49 | Weblog
○〝乱脈経理…創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント、矢野絢也…講談社…2011/10刊〟より
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第三章 国税幹部たちとの攻防
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◆特金問題
 一九九〇年九月六日、私はレストランの個室で約二時間半、国税庁の山口直税部長、吉川資
料調査課長ら三人と話し合った。特金の経理操作や池田氏の激励費など、学会本部会計にいろ
いろと不明朗な金の動きがあることをつかんだためか、この日の国税庁側はかなり強い態度だ
った。
「本来なら役員の自宅•職場もいっせいに(調査を)やる。他の宗教法人はほとんど調査が終
わった。学会は、あれこれ注文があるからかえって遅くなり、かつ疑惑を深める。ここで終わ
ることはできない。学会だけを特別扱いすると、後で問題が起こる。こちらも現場が爆発寸前
だ。本部会計抜きの調査はできない。後でバレたら重大なことになる。こちらもそちらも」
 そして国税側は我々に学会本部会計の収支計算書、貸借対照表、財産目録の「三点セット」
を提出するよう強く要求。それが出ないと調査はいつまでたっても終わらず「エンドレスにな
つてしまう」と釘を刺した。
 一方、八尋氏は特金問題について説明した。
「特金を一二〇億円やり、赤字が出て本部会計に移管した。八億ほどの赤だ。いま現在売って
いる。その時収益会計で損を出せばよかったのを体裁を重んじて本部へ移した。関係者は交替
した。(現場の調査官は)その人物を出せと言ってきた。いわゆるニギリはない。証券会社に乗
せられた」
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 ニギリとは、証券会社に投資を一任する、いわゆる一任勘定のことで、法律で禁止されてい
る。実は、この問題は翌年八月にマスコミに大きく報じられ、学会が証券会社から損失補填を
受けていたことも世間にわかってしまうのだが、私には経理の詳しい事情は理解できなかっ
た。ただ八尋氏の必死の形相を見て「この事件は底が深い」と直感した。
 八尋氏は特金に投資した金額を一二〇億円、赤字を八億円と説明したが、これは後日の新聞
報道の内容とかなり違っていた。
 新聞報道にょると、国際証券側は、学会の特金資金は七○億円で一九八九年に一七億円の損
失を出した、と説明。八尋氏の話より投資額で五〇億円少なく、赤字は九億円多い。なぜ数字
が違ったのか理由ははっきりしないが、会合で八尋氏が「一二〇億円を出資し八億円の赤字を
出した」と発言したのは事実だ。八尋氏が「いま現在売つている」と言つていることから、八
尋氏が話した時点では、まだ特金を処分中で数字が確定していなかったことも考えられる。
 また、この日のやり取りには出なかったが、後日判明したところでは、国際証券側は同社保
有のワラント債といぅ債券を売却して、学会側の四億五七○○万円の損失を穴埋めしており、
国税庁はこれを学会への「損失補塡」と認定して国際証券に課税している。学会が「損失補
塡」を受けたことは世間から激しい反発を買い、後に学会側は「証券の担当者が了解を得ずに
勝手に運用した結果、被害を蒙ったため正当な損害賠償を受けた。損失補塡とは異なる」と強
く否定することになる。
 国税幹部との会合の時点に話を戾すと、特金について国税側は「本部(会計)を見せてもら
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わないと。またその経過•決済などを見る必要がある」と主張、さらに「激励費については本
部会計からも出している」として、池田氏が激励費としてばら撒いた金は学会本部の公益事業
会計から出ているだろうと畳み掛けてきた。本部の公益事業会計を見なければ何もわからない
というメッセージだつた。
 国税側が池田氏がらみの生命線にふれてきたため、私は「これはまずい」と判断。とっさに
机を叩いて「理屈どおりなら頭を下げて頼まない」とドスを利かせた。政治家一流のパフォー
マンスだったが、これには国税側も、ややたじろいだようだ。それに乗じて八尋氏は「何とか
本部会計を来年に延ばして。本部のうち、これとこれを今年、あれは来年、と具体的にブツを
示してもらえるなら」と要求したが、さすがに吉川氏は難色を示し爆発寸前だつた。山口氏が
とりなし「長官に相談する」と即答を避けるとともに、機先を制するように反撃した。
「他の政治家、たとえば竹下さんや、小沢さんなどに頼んでもムリだ。他の宗教団体もいろい
ろあつた」
 山口氏は、私が竹下元首相と懇意なのをよく承知しており、私が自民党の実力者に相談して
国税庁に圧力をかけるのではないかと考えたのだろう。他の宗教団体の中には政治家を通じて
国税庁に圧力をかけてきたところもあったというが、私自身も同じことをやつており、他の宗
教団体のことをとやかく言う資格はなかった。
 私は、もう一つの論点である税務調査の期限について「六月、七月、八月、三ヵ月は長すぎ
る」とクレームをつけたが、吉川氏は(実際の調査は)八月三日からの一ヵ月、まだ長くな
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い。それまではお邪魔をしていただけ」と、すました顔で答えた。六月、七月は私や学会惻の
妨害で、調査らしいことは何もできず、調査は八月に始まつたばかりというわけだ。
 さらに吉川氏は「宗教法人をいくつか調査している。もうだいたい終わりつつある。無用な
注文がつかないから早い」と、何かにつけて難しい注文をやたらにつける我々に軽いジャブを
繰り出したうえで、一歩も引かない断固とした口調で言い切った。
「このままでは学会のケースはエンドレスになる。やるところまで、とことんやる。特に狙い
は個人(池田名誉会長)と会の閨係だ。これは公•収の区別を超えて、個と会、私と公の関係
だ」
 池田名誉会長という個人の金と、「公•収」つまり学会の公益事業会計と収益事業会計の金
の関係をとことん調べるというのだ。言葉どおりなら創価学会に対する宣戦布告に他ならな
い。学会の妨害で調査がはかどらないことに現場の調査官の苛立ちはピークに達していた。そ
の苛立ちは課長として現場を指揮している吉川氏も共有するものだ。抑えに抑えてきた現場の
鬱憤が吉川氏の口をついて噴出した感じだった。
 お互いが言いたいことを主張して、この日の会合は終わった。
 その二日後、八尋氏から料調の動きについて電話連絡があった。
「担当官は、細かいことを聞いている。昨日も、旅費仮払いのない出張をした職員三〜四人
に、この時期にこんなゆとりがあるのはおかしいから、通帳を出せと言つてきた。かなり嫌が
らせが強い。秋谷と明日、出口論、戦略論を打ち合わせる。学会本部も池田先生個人と会との
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関係で突っ込まれると弱い。絵画などもハッキリしないのが多い。そんなわけで、財産目録だ
けは絶対に出せない。突き合わされると所在不明のものが出てきて矛盾だらけになる。時間を
かけて整備するしかない。会員が持ってきた品物をパーゲンして職員に売った。それも収益だ
と国税は言う。吉川課長が強硬路線を現場に指示していると見る。九月末が山。角谷長官が方
針を決めないうちに先にインプットしておいてほしい」
 最後のインプットのくだりは「池田氏がらみに手をつけず、早く操作を終われ」と私から角
谷国税庁長官に注文をつけてくれということだ。
◆出口戦略
 二日後の月曜日、私は角谷長官に電話をかけた。かなり込み入った話し合いをして、最後に
角谷氏は「仮の案だが」と断ってから、こう言った。
「事情は山口から聞いている。矢野さんの言い分はあまりにも一方的だ。入り口論でもたもた
しないでほしい。出口論が必要だ。本部会計で源泉徴収と墓苑をやる。あとは来年に必ずや
る。学会は三点セットの書類が未整備だからと言うが、いつまでも待てない。その間に書類が
改竄される可能性もある。未整備であっても、今回はどうしても三点セットを出してもらう。
まだ現場と詰めていないが、感じとしてこんなところでどうか。折り合いをどこかでつける必
要がある」
 本部会計で今回調査するのは学会職員の源泉徴収票と墓苑事業に限定し、あとは来年回しに
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する。その代わり本部会計の三点セット(収支計算書、貸借対照表、財産目録)の資料は出して
もらう、これを今回の税務調査の出口にしてはどうかというのが角谷氏の提案だ。
 さすがに海千山千の最高指揮官だけのことはある。学会のタブーである池田問題を先送りし
て、学会側が妥協できるょうな落とし所をちゃんと考えて提案してきた。おそらく角谷氏の考
えは、今回は墓苑など問題なく課税できるところだけに留め、残りは来年に回すが、来年、本
格的に本部会計を調べるためには基礎資料が必要だから、今回の調査で三点セットなど、でき
るだけ資料を集めておこうということだつたのではないか。
 私としては源泉徴収の調査についてはむろん異論はなかったし、墓苑への課税もやむを得な
いと考えていた。角谷氏が私の言い分に留意しながら、落とし所を示してくれたことに私は心
から感謝した。
 問題は三点セットの提出に応じるかどうかだった。現状において三点セッ卜を出せば、池田
氏の公私混同の証拠を国税庁に握られるのは確実だ。私は八尋氏、都議会公明党のドン、藤井
富雄都議と相次いで協議した。
 八尋氏は「墓苑事業は土地については非課税の公益事業だが、墓石は通常、収益事業だ。寺
が土地を売り、石屋に注文•生産するのが世間一般のやり方だ。墓石の購入•販売に課税する
ということか」と、墓石課税については納得した様子だった。
 一方、公明党の市川氏らに対する八尋氏の不信感は相変わらずで「どちらにしても公明党は
使わない。公明党はー本にならないし力量もない。やる気もないのに頼んでも仕方がない」と
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相手にしたくない様子だった。これは本音というより私へのお追従のつもりだったのかもしれ
ない。あるいは学会本部の深層部で、池田氏の意向を受けた「別の線」が動き出していて、八
尋氏はそれを警戒していたのかもしれない。
 私は「それをあまり言うべきでない。党内がおかしくなって逆効果だ。彼らも十分、私が動
きやすいよう留意してくれているから」とはっきりと言つた。
 一方、藤井氏は「何とか出口を探すしかない」と出口戦略に全面的に賛成した。藤井氏によ
ると、元自治省事務次官で官僚トップの石原信雄官房副長官と藤井氏が会合を持ったとき、藤
井氏が「国税問題は矢野さんが全部やっている。力があるのは矢野さんしかいない。石田、市
川は信用されていない」と打ち明けたところ、石原氏は不思議そうな顔をしていたそうだ。後
で詳しく述べるが、市川氏を中心にした別のラインでも、私には内緒で国税対策が行われてお
り、石原氏はおそらくそれを知っていたのだろう。
 藤井氏が苦い顔で言った。
「先日、八尋と話したが、八尋は『石田、特に市川はお手並み拝見といった感じで、むしろ邪
魔をしている』と怒っていた。市川は周囲に『池田名誉会長が秋谷に〝矢野を使うな〟と指示
した』と話しているが、名誉会長はそんなことは言つていない。『市川は悪党だ』と八尋は罵
倒していた。秋谷も逃げるところがあり、困ったことだ」
 学会の連中はフラストレーションの捌け口を公明党、とりわけ市川氏に向けているにすぎな
かった。私は藤井氏の話にとりあわなかった。
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 しかしながら、私が公明党首脳陣から反感を買つていたのは事実のようで、それは不徳の致
すところだ。創価学会•公明党では、池田氏が何を言うかですべてが決まる。学会・公明党の
幹部たちは、池田氏の歓心を買おうと池田氏に擦り寄り、池田氏の言葉に一喜一憂する。だか
ら私のょうに池田氏から仕事を仰せつかると、たとえそれが本人にとつて迷惑千万でしかなく
とも、幹部たちから激しい嫉妬を買うことになる。池田独裁下の政教一致の世界である。創価
学会・公明党の宿痾と言ってしまえばそれまでだが、江戸時代の大奥さながらの醜悪な世界だ
った。
 それはともかく、九月一〇日の角谷国税庁長官との電話会談は有意義だつた。国税トップの
意向はさすがに大きい。角谷氏と話した後、事態が大きく進展した。角谷氏の提案どおり、本
部会計のほとんどが翌年に先送りになり、学会に対する税務調査の出口が見えてきたのだ。
九月一一日、八尋氏から国税の態度が軟化してきている旨の連絡があつた。
「聖教新聞については早く調査を終わるべし、ということで調査のピッチが上がつてきた。党
のからみも穏やかにやるつもりだと国税は言つている」
 私が了解すると、八尋氏は「今週中に三点セットなどについて学会の態度を決める」と約束
した。源泉徴収票の提出については、本部職員だけか役員を含めるか、まだ決めていないとい
うことだったが、池田名誉会長個人の収入については絶対にふれさせてはダメだ、と強調し
.た。
 当時の池田名誉会長の身分は、学会の本部職員でも責任役員でもなく、源泉徴収の対象では
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なかったと思う。したがって料調が源泉徴収を調べても池田氏の所得はつかめないはずだっ
た。では池田氏の収入はどうなっていたかというと、その多くが印税収入だった。
 池田氏は聖教新聞社などから『人間革命』などの著書を山のように出版しており、その印税
として学会及び学会系出版社などから池田氏に毎年、巨額の報酬が支払われていた。ちなみに
池田氏の年間の納税額は一九八九年が一億四四四九万円、翌年が八三三四万円、一九九五年が
二億四一○九万円などとなっている。年によって納税額にかなり開きがあるが、これは学会の
収益事業の申告所得の増減とある程度相関関係にあり、学会の収入が増えれば池田氏の収入も
増える傾向がうかがえる。
 角谷長官が示した出口論に従い事態が動き始めていることに、八尋氏はやや安堵の色をにじ
ませていた。
「料調が墓苑のカタログをくれと言ってきた。慎重にやっている様子だ。特金もこちらの当該
先任者を出して説明した。料調は本部がらみについては突っ込んでこない」
 九月一四日、『週刊文春』が再び税務調査に関し報じたが、八尋氏は「奇跡に近いくらい調
査の内容は漏れていない。イクラがどうとか、つまらないことばかり」と余裕を見せた。国税
調査の軟化や墓苑が焦点になっていることについて情報が漏れていないことに安心したようだ
った。イクラとは、『週刊文春』(一九九〇年九月二〇日号)の以下の部分を指す。
『聖教新聞社の地下に社員食堂があるが、この食堂部の仕入れ帳簿に「高級イクラ十人分」と
いう項目があるのを目敏く見つけた調査員が、鋭く突っ込んで来た。
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「普通、社員食堂ではこんなものは出さないでしよう。それに、全員に出すには量が少なすぎ
ますね。これは何ですか?」
学会側はしどろもどろになったが、これは勿論、池田大作先生の食事に供したもの。
「実は、池田家の食事材料の仕入れは、全部聖教新聞社の食堂部がやっているんですよ。つま
り、大作さんが公私混同をしているんです。それがはしなくもパレてしまったわけです」(本
部関係者)』
まったくつまらない話だと呆れ果てた。
◆池田氏の収入
ようやく最小限の調査で事を収められそうだと安堵していた九月ー九日、私は八尋氏と会合
をもった。八尋氏は、これからが正念場だと表情を引き締めていたが、呆れたことに話の内容
は「あれも出せない、これも出せない」のほぼゼロ回答。せっかく角谷長官の配慮で出口が見
えてきたというのに、また入り口に後戻りかと私は呆れるやら腹立たしいやら。会合ではおく
びにも出さなかったが、私の地元の関西弁で言うなら「話が違うやんけ」という思いだった。
《八尋「やはり本部会計にさわられると、まずい。対応できない。六日の話、秋谷と詰めてき
たが、墓苑については三点セット出してもよい。本部は収支計算書のみ、後の調査はなしにし
てほしい。韫苑も«作されるとまずい。色々説明できない支出があって。本部は財産目録出せ
ない。問題は現物(絵、その他など)がどこにあるかだ。預金も同様、特金もまずい。第一庶
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務がらみは聖域中の聖域、私もさわれない。だから調査なしでお願いしたい」
矢野「せっかく出口が見えたのに、どこで話が逆転したんだ。無理と思うが、アポはとってあ
るから話はしてみる。被調査者(学会副会長の八尋氏のこと)とは、やはり同席は困るというの
が先方の強い意志。本音が出ないということだろう」
八尋「矢野さんに任せる。これらは(池田氏秘書の)大山副会長にすべて話してある。池田名
誉会長は墓苑はやらせないようにと言っている。いよいよ正念場だな。打ち合わせに第一庶務
が出ているから、池田氏も税務調査の概略はつかんでいる。料調は、白木周次•聖教新聞庶務
局長(池田夫人の弟)にも説明を受けたいとのこと、これも断ることにする」》
 八尋氏の話は勝手極まる内容で、私は「話が違いすぎる。もう私は降ろしてほしい。第一庶
務が国税と直接話し合えばよい。陰に隠れて何でも反対では卑怯すぎる」と抗議した。八尋氏
は「弁解の余地はないが、とにかくそれが実情。頼みます」と泣くように詩って頭を何回も下
げた。
 国税庁は学会本部の公益事業会計の三点セットの提出を求めているのに、学会側は三つのう
ち収支計算書一つしか出せないという。出せるのは公益事業会計ではなく墓苑事業会計の三点
セットのみ。池田氏の公私混同が疑われている絵画などの美術品を含む財産目録はむろんのこ
と、学会の預金や特金、第一庶務がらみの経理もいっさい出せないときた。池田氏が後ろで指
示を出しているのだろうが、こんな「ないない尽くし」では国税庁側が飲む訳がない。
 しかも八尋氏も了解していた墓苑についてすら「調査されるとまずい」と言い出したのだか
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ら、ゼロ回答どころかマィナス回答だ。八尋氏が豹変したのはもちろん池田氏が墓苑調査に反
対しているからだが、それには事情がある。私が聞いているところでは、学会はこれまで墓苑
の土地購入などのために、地元の有力者に工作資金を払ったりしており、その資金を捻出する
ために裏金作りをしてきたという。それ以外にも学会関係者へのバックペイの噂もあって、私
のところへかなり克明な投書すら来ていた。墓苑事業会計を調べられると、そういう裏金工作
がわかつてしまう恐れがあると考えたようだ。
 また学会による共産党・宮本顕治委員長の自宅盗聴事件など数々の学会スキャンダルを暴露
した山崎正友・学会元顧問弁護士が学会を恐喝したとして逮捕されたが、学会が山崎氏に支払
った三億円の多くは墓園事業会計から支払われたという噂も以前からあった。墓苑会計を調べ
られると、こうした学会の暗部が知られてしまう可能性もあつたのだ。
 なお料調が池田ファミリーの白木氏に聖教新聞社の会計について事情を聞きたいと申し入れ
た件は、池田氏側近の鈴木琢郎副会長の判断で即座に却下されたそうだ。相手が誰であれ、学
会の上御一人たる池田氏とそのファミリーには指一本触れさせてはならないのが学会の不文
律。学会としては当然の成り行きだった。
 九月二○日、学会側の実質「マィナス回答」を受け、私はやむなく山口直税郃長に電話し
「公益会計は、すべてではなく、今年と来年の二年で、やる対象を分野調整してもらえない
か」と頼んだ。私は切羽詰まった口調で山口氏と何回も柙し問答をした。その甲斐あって山口
氏は「全然さわらないわにはいかないが分野調整はやる」と分野調整には渋々応じた。私の苦
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境を察してくれたのだろう。
 この日、八尋氏も聖教新聞社で料調の調査チームの責任者と話し合った
 料調側は「収益部門の整理は進んでいる。初めから言っているように本部会計の決算書など
の調査が今後の仕事。源泉徴収票もこれまでの職員局だけのものではダメ。全職員の源泉徴収
を調べるには本部会計を見ないことにはわからない。それから経費も見る必要がある。科目を
特定しろと言われても、入り組んでいて、いろんな科目を見ないとわからない。墓苑会計には
収益事業と見られるものもある。我々にも集積した情報がある」と原則論で押してきた。
 これに対し、八尋氏は「彼らはますます身構えて、きつくなっている。一七年間も来ない
で、突然来て本部会計を全部見せろと言われても説得のしようがない。学会の現場の職員にも
役員にも、そこまでやる必要があるのかという声がある」と料調側に責任を転嫁したが、料調
責任者はすかさず反論した。
「屁理屈は止めてもらいたい。来ている我々の立場を考えてもらいたい。ずいぶん配慮しなが
らやってきた。我々は聖教新聞の調査に来ているのではない。創価学会の調査に来ている。私
見だがこれは引けない。もしこのまま終わり、それが外部に漏れたら重大事になる。あまりに
ひどい対応なので、帰って上に報告する。来週は三日間調査し、一○月初めは休み。この問、
必要な反面をやる。反面調査。銀行や証券会社へ行くと外に漏れるし、収益・公益の区別はつ
けられない。マスコミにも聞こえる可能性がある」
 反面調査とは、税務調査の対象団体や企業の会計が正しいか否かの裏付けを取るため、取引
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先の銀行や企業などに国税庁の調査官が確認調査を行うこと。これをやると税務調査の事実が
外部に知られ、マスコミに調査内容が漏れる恐れがある。料調側はそれをやると断言したの
だ。
 八尋氏の話を聞いた私は、あわてて山口直税部長に電話を入れた。翌日、山口氏ら国税庁幹
部と会う約束を取り付けていたので、その確認とともに今後の方針を聞いたのだ。山口氏は
「まず本部会計の三点セットを出してもらい、それを見て、分野調整するというのが角谷長官
の考えだ」と原則論を繰り返し、反面調査については後で説明するとした。
────────────────◇────────────(引用ここまで、つづく)
今回のコメントは、前回と同じ〝越後屋さん〟です。〝越後屋さん〟のリクエストです。
越後屋…「前回のコメント、少し舌足らずでんねん…そう、残尿感??‥そうそう、池田は〝ワルの天才〟これは耄碌元知事と同じ‥‥それよりか、池田は運がよろしいんでんなぁ‥‥終戦直後の回復期からバブル・少子高齢化にデフレまで、信教の自由から日蓮の選択‥‥税制の免税・軽減‥何より、信仰で煽った寄付金の総額、内訳が秘密、〝運も実力のうち〟でっかなぁ‥」「まだおまッ‥戦後、日本在住朝鮮人の貧困層への布教、在日利権からこぼれた朝鮮人が、池田教に興奮した‥今も、在日参政権の公明党・生活保護の公明党‥」「偉人・聖人ではないが、〝スゴイ〟いワル‥これは確信‥‥〝死ぬまでダマされた人〟に合掌!!‥歌謡曲に〝死ぬまでダマして欲しかった!!〟‥おましたなぁ‥‥」
ありがとうございました。又、お願いします。‥‥アルコール?‥なしで‥‥。
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乱脈経理-9

2014-01-21 10:49:26 | Weblog

○〝乱脈経理…創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント、矢野絢也…講談社…2011/10刊〟より
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 調査は翌日も続き、調査官が建物内を自由に動かないことと引き換えに、学会側は調査用の部屋を三室に増やした。
 この日を境に、料調の動きは激しくなっていくのだが、当時の私の手帖には、このころ、税務調査とは別にもう一つ学会に大きな問題が起きていたことが記されている。
◆前門の虎、後門の狼
 いわゆる第二次宗門戦争である。学会は国税庁を相手にしながら、同時に宗門とも激烈な争いを繰り広げていたのである。自らが蒔いた種と私は思うが、まさに「前門の虎、後門の 狼」という厳しい状況に学会は立たされていた。
 宗門との戦争の引き金は第一次のときと同様、今度も池田氏の問題発言だった。第一次宗門戦争は一九七七年、池田氏が「創価学会は在家と出家双方の役割を果たしているから、供養を受ける資格がある」「創価学会の会館や研修所は現代の寺院である」と発言したのがきっかけで始まり、池田氏は学会会長を辞任に追い込まれ名誉会長に就任した。池田氏は会長辞任後も法的には権限のない名誉会長職にありながら、実質的に学会の全権を掌握し続ける一方、池田氏を辞任に追い込んだ細井日達猊下が亡くなると、在家信者の総代である「法華講総講頭」に復帰した。
 だが、池田氏の宗門憎しの感情はむしろ日を追うごとに強まり、そんな中、起きたのが第二次宗門戦争だった。池田氏が学会幹部らに宗門の権威をたびたび否定する発言をしていることが宗門の知るところとなり、再び両者の対立が激化したのだ。池田氏の発言の狙いは宗門を意図的に挑発することだったとみられる。
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 一九九〇年八月二三日の手帖にはこうある。発言者は親しくしていた学会本部の幹部職員 だ。
《宗門は、阿部日顕猊下が学会にきつい。池田名誉会長も相当強く言っている。池田氏もカリカリで、いまのままいくと激突する。そこで秋谷会長を正面に立て、第一次宗門戦争で池田氏に会長辞任を要請したとされる野崎、原田たちを使って池田氏の代わりに宗門批判を言わせて ぃる》  野崎勲副会長と原田稔副会長(現会長)は、秋谷氏らとともに一九七九年の第一次宗門戦争の際、池田氏に会長辞任を進言し、それが原因で執念深い池田氏にずっと疎まれていた。それ までも池田氏は何かにつけて、彼らをいびってきたが、このときも池田氏は自分は表に立たず、面倒な宗門対策を彼らに押し付けていた。 この日以降、私の手帖にはしばしば第二次宗門戦争に関する池田発言メモが登場することになるが、一方で、国税庁との鍔ぜりあいも、日増しに激しさを増していく。
 八月二八日の八尋氏からの電話連絡。
《敵(国税庁)はひたひたと来ている。ルールは守っているが、本部会計への(調査に入る) きっかけ作りをやっている。秋谷氏も本部会計は一年先延ばしにしてほしい、いまやられると もたないと言っている。収益会計と公益会計の混同、池田氏の公私混同の区別がついていないところへ調査が入ってきている……。
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 池田夫人の日程、車輛日誌など既に全部廃棄した。かなり厳しい伏況だ。調査は二八、二九、三〇日と続くがルールを守っているので物の言いようがない。事情を知らない人は、八尋は何をボヤボヤしているのかと批判しているが、トップは事情を皆知っている。每日、こちらから電話しなければならないのに申し訳ない》
 池田ファミリーは学会内では特別扱いされている。創価学会は、池田氏のカリスマ性と指導力で牽引されていることは明白で、学会にとって余人をもって代えられない存在だ。だから池 田氏専用の豪華施設などが、あたかもそれが池田氏への忠誠心の証であるかのように多数建設されるなど、特別扱いはとどまるところがなかった。香峯子夫人もこの当時、学会内で特に役職を持たなかったが、私的な買い物を含め、どこに行くにも学会の運転手付きの車で送り迎えしてもらっていた。こうしたことは学会本部の日程表や車輛日誌に記録されていた。あまりに 公私混同が明白なので学会側は急いで夫人に関する記録を廃棄したわけだ。
 私は「宗教にとって最高指導者を崇拝するのは当たり前。そんなことは大した公私混同ではないから気にするな」と八尋氏をなぐさめる一方で、「改竄すると内部からリークされて国税 を刺激する。改竄はするな」と注意した。
 それからしばらくは連日、八尋氏から電話などで連絡が統いたが、八月二九日の八尋氏の電 話は切羽詰まった様子だった。「絵画にまで国税の手が回ってきた」と八尋氏はあわててい た。詳細は不明だが、絵画という池田氏がらみのタブーに踏み込まれそうになって泡を食っている感じだった。
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◆池田氏所有の絵画にも
 八月三○日、私は、公明党の石田委員長、市川書記長と国税問題で話し合った。市川氏は 「軽井沢の研修道場で名誉会長から『国税は矢野にやってもらっている。矢野は私が使う』と言われた。八尋さんが矢野さんの窓口になっていると聞いた。矢野さんに協力していくよう に、と言われた」と話した。
 市川氏は「公明党がキャスティング・ボートを握っているのだから、それなりに抑止力にな っているはずだ」と国税問題で公明党が学会首脳から評価されないことに不満気だったが、私は「それで十分だ。委員長・書記長が表立って動くとかえって事が大きくなる」となぐさめた。石田・市川両氏は「そのとおりだが、学会は私たちが具体的に動かないと報告の材料がな いので、盛んにせっついてくる」とこぼした。私は「あまり二人にぎゃあぎゃあ言うのなら、 私から秋谷さんに話してみる」と話した。
 会合後、石田氏が電話で教えてくれたところでは、池田氏は研修道場での幹部たちとの食事の際に、秋谷氏を厳しく叱りつけたという。池田氏が買い集めた絵画が料調にマークされていることがよほど不愉快だったらしく、叱責された秋谷氏は食事に箸もつけられなかったそうだ。
 石田氏の電話の後、秋谷氏から電話で「とにかくよろしく頼みます」と繰り返し国税対策を 頼まれた。心中を察して、私は「わかりました」と答えて電話を置くと、すぐに八尋氏からも電話があった。
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 八尋氏の声は落ち着きを失い、明らかに恐慌をきたしていた。原因は池田氏お気に入りの絵画を料調の調査官が七○点も調べ歩いたためだ。聖域にチェックが入りそうなのでパニックに陥ったのだ。
 「これはまったくの査察だ。調査官が絵を七○点見た。私もついて行った。来週六日、国税庁幹部との会合をセットしてほしい。よろしく頼む」と八尋氏は必死だった。
 八尋氏は追い詰められて良識を失っていたのだろうが、それにしても国税調査の対象団体首脳が、国税幹部との会合を日程まで指定して要求してくるとは、図々しいにもほどがある。確かに八尋氏に一度、大蔵省・国税庁首脳陣を紹介した。しかし首脳陣は八尋氏と会ったことを不快がっていた。それは八尋氏もわかっていたはずだ。にもかかわらず日程まで指定して会合をセットせよとは、あまりの非常識さに私は絶句した。
 学会本部や聖教新聞社には東山魁夷ら和洋の高価な絵画が数多くあった。私もかなりの絵画を、池田氏の説明つきで拝見したことがある。また八王子にある学会の美術館の収納庫にも絵画が多数、保管されていた。八尋氏が「ついて行った」のはおそらく聖教新聞社七階の「迎賓館」などだろう。こうした絵画の中には、学会本部の財産目録や帳簿にも載せられず、未整理 のままのものも多かったのは前述のとおりだ。
 「建物内を自由に歩き回らない」という約束はしたものの、聖教新聞社内に缶詰にされていて は調査にならないと、調査官たちもしびれを切らしたのかもしれない。それに各部屋を歩き回 るのでなく、絵を確認しに行っただけだから八尋氏も止めようがなかったのだろう。
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 八月三○日には、学会本部の幹部職員からも電話があり、料調がコンピュー夕の専門家まで 連れてきて、学会本部会計のコンピユー夕の記録を調べ始めていることを知らせてきた。まさに風雲急を告げるといった感じだった。
 私は、急き立てられるように角谷国税庁長官に連絡して会合のセッティングを依頼した。ふだんは温厚な角谷氏もさすがに苛立った声で、「小細工するから疑われるのです」と厳しく指 摘し、「私は出られないが山口 (直税部長)、吉川(資料調査課長)を出席させる」と約束してくれた。学会に急き立てられたためとはいえ、私もずいぶん鉄面皮になったものだと我ながら感心していた。
 国税との会合を決めた後、私は会合のテーマを八尋氏と詰めた。八尋氏は大きなテーマとし て①公益事業会計に触れさせない、②調査期間の期限を切る、という二点を挙げた。
 私は黙って聞いていたが、続いて八尋氏が話した「各論」を聞いて、思わずのけぞった。驚いたことに聖教新聞社は資金運用で億単位の大きな損失を出していて、その巨額の損失を聖教 新聞社の収益会計で処理せず、学会の公益会計に回して損失隠しをしていたのである。しかも それを国税に知られてしまったというのだ。
 事情はこうだ。聖教新聞社は一九八七年に東洋信託銀行と特定金銭信託(営業特金)を結 び、中堅の国際証券で資金運用を始めた。バブル崩壊前ですべてが右肩上がりの時代。学会は ほとんどの資金を安全•確実な定期預金に回していたが、時代背景から、学会マネーの一部を 営業特金に投資した。ところが八八年、この取引で証券会社が投資に失敗し数億円の損失を出してしまった。 
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 聖教新聞社の損失だから本来なら収益会計で処理すべきで、そうすれば損失は 損金扱いになり税金も安くなるはずだった。
 ところがそれをやると聖教新聞社が営業特金で巨額投資をして損失を出したことを国税庁に知られ、当局にマークされてしまう。学会の資金運用は秘中の秘で隠し通す必要があった。しかも、もし世間に知られたら世論の批判は避けられなかった。そこで学会は聖教新聞の損失を学会本部の公益事業会計に移す経理操作をしたのだ。公益事業会計は非課税•非公開だから、 たとえ経理操作をしても税務当局に知られることはないとたかをくくっていたのだろう。ところが間の悪いことに捨て金庫事件をきっかけに税務調査が入り、経理操作を国税庁につかまれてしまった。学会は国税庁に学会の公益事業会計を調査する格好の口実を与えてしまったわけ だ。
 八尋氏によると、料調調査官は特金の経理操作について「学会本部でどのように損失を会計処理したのか」と質問したとのことで、これを放置すると、学会本部会計つまり公益会計に踏み込まれる恐れがあった。それを指摘すると、八尋氏は「そうです。いずれ証券会社にも裏付け調査が入るだろう。マスコミに漏れると大変」と顔をしかめた。
 料調は、特金問題以外にも四点、質問してきていた。
 第一は池田名誉会長から学会本部職員への「激励費」の扱いだった。池田氏は、やれ選挙に 勝ったとか、聖教新聞の部数が増えたとかさまざまな名目で、本部職員や学会幹部に激励費と称して金一封を渡していた。職員全員に配られる訳ではないが、何かにつけて池田氏が激励費をばら撒くものだから総額は膨大な額に上った。
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 しかも激励費は職員の臨時給与とみなされ所 得税の対象になるのだが、むろんのこと誰も所得税など一円も払っていなかった。これについて説明を求められているのだから学会側はさぞ困ったことだろう。   もう一つは公明新聞の問題だった。公明党の機関誌「公明新聞」は紙面編集のための独自のコンピユー夕システムを持っておらず、聖教新聞社のコンピユータシステム(CTS)を利用 していた。これは公明党から聖教新聞社への業務委託に当たるのだが、公明党からの委託費用 の支払いがあまりに少ないのではないか、と料調から指摘されたという。また公明新聞の配達も学会の聖教新聞販売店に委託していたが、こちらもわずかしか委託料を払っていなかった。
 最後の一つは学会役員への報酬や池田名誉会長の所得がどうなっているか、という問題だった。私は「公明党の問題は大したことはないが、特金問題はかなり厄介。池田氏の激励費と所得の問題は輪をかけて厄介だ」と思った。
 九月五日、八尋氏が料調の調査官の動向を説明してくれた。
 「昨日は一五人来た。調査の進め方について調査官から要望があった。私が現場でいちいちクレームをつけるから調査が遅れている、と言って調査官たちの不満は爆発寸前だった。私が気 色ばんで反論すると、国税側も一応は引いたものの険悪な空気だった。調査の時期(=期間) を詰めるよう、調査官たちが上から言われた感がある」
 特金や公明党のコンピユー夕システム委託料の問題など五項目について八尋氏は「国税側は 〝特金を担当していた職員に会わせろ〟〝公明党の現場とも会わせろ〟などと言ってきている。いずれももっともな要求だ」と話した後、翌日の国税首脳との会談について、私にすがるよう に念押しした。
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「明日は矢野さんから〝本部会計はダメ。調査の終わる時期を早くしろ〟と原則論で押してほ しい。私は具体論を話す。秋谷氏は〝学会本部会計だけは来年(以降)にしてくれ〟と言って いる。池田先生から叱られっぱなしで状況は深刻だ」池田氏の名前が出てくると私も折れざるを得なかった。
────────────────改頁──────100
────────────────◇────────────(引用ここまで、つづく)
 今回のコメントは、元バリ活の越後屋さんです。越後屋さんは不動産業でした。
 越後屋さん…「脱税の手口‥ピンハネでんがな‥‥あんさん。例えば会館建設、土地の取得から建設までの多くの契約書ありまん。表の契約書と裏の契約書多数(実態は一つ)、その中に池田の裏金が必ず入っている。関係者には、信心、共犯(贈収賄)、恫喝・恐喝で〝黙っていろよ〟」「シンプル〟イズ〝ベスト〟でんがな‥あんさん‥」「わてかて?‥少しはな!!‥しかし、その内の一つが相手方の裏調査で見つかって‥、加算税・地方税でほぼ倍の税‥アホラシイ?‥全て露見する?‥山より大きな獅子はでまへんがな‥あんさん‥ただ、ほどほどネ‥池田はほどほどが無いね!!‥怖い、うっとうしい‥がないね、スゴイと思いますなすなァ‥」「学会の場合、この本の〝税務調査〟でも17年目、しかも前回は幹部職員の給与の源泉調査‥実質初めて?‥不動産・絵画・車等の取得税はなし、固定資産税等なし‥‥調査をしても、学会の資産の出所が秘密である。寄付者のプライバシーの配慮から?」「越後屋、おぬしも〝ワルじゃのう〟‥〝とても、トテモ!!‥駄作先生とではヒヨコです。官僚、政治、マスコミ押さえ〟‥ワッ!ハッ!ハッ!‥」「捨て金庫事件の金、類似の金‥裏調査逃れるための隠し金です。」「池田は〝正本堂〟の建設(昭和40年末)頃からですかね、墓園事業・会館建設・博士号・顕彰‥表の〝美辞麗句〟を利用した〝脱税・裏金〟づくり‥三菱商事でっせ‥あんさん‥秘密のためには、暴力団も‥」
 本書(乱脈経理)の調査から20年過ぎましたが、学会の税務調査はなしですか?‥また、お願いします。

(誤字・脱字、文法無視、パクリ・援用・重複・勝手編集も‥笑って♪♪‥許して♪♪‥)

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乱脈経理-8

2014-01-18 09:32:22 | Weblog
○〝乱脈経理…創価学会VS国税庁の暗闘ドキュメント、矢野絢也…講談社…2011/10刊〟より

◆大蔵事務次官らの歓送迎会
 七月四日、大蔵省・国税庁首脳らの歓送迎会を兼ねた懇談会が開かれた。場所は銀座にある
「ホテル西洋 銀座」の一一階の部屋。簡単なおつまみとワインがテーブルにあった。立食
で、勘定は割り勘だった。大蔵省•国税庁側からは小粥事務次官、角谷国税庁長官、保田主計
局長、平澤前事務次官、水野前国税庁長官という大蔵の新旧首脳陣がズラリ顔を揃えた。私は
事前連絡抜きに八尋氏を連れて行った。完全なだまし討ちだ。私が紹介すると、場の空気は凍
りついた。「私は経理も税も苦手だから、当事者を連れてきました」。私がいけしゃあしゃあと
話すと、大蔵省•国税庁首脳たちは苦虫を嚙み潰した顔で「話が違うようですね」と冷ややか
だった。しかし、そこは彼らも大人で私の顔を潰すようなことはしなかった。
 この日の出来事を記した私の手帖の一九九〇年七月四日の欄を見ると、発言者は不明だが大
蔵側から「宗教が聖域というのは胡散臭い印象。一度クリアしたほうがよい。入り口のところ
でガタガタしないほうがいい」との発言があったと書いてある。これに対し八尋氏は「こちら
は年寄りが多く、強硬な意見を言う人も多いのです。それを説得しながらやっています。今年
はこれ、来年はあれと順序だてて少しずつ進めてほしい」と、やや調子に乗って反論をした。
 国税側はとたんに苦い表情に変わった。角谷氏が柔らかな口調ながら念を押すように言い切
った。
────────────────改頁──────75
「一度やっておいたほうが後々、楽だと思う。矢野さんは大蔵の〝顧問〟。これまでずいぶん
お世話になった。だがルールは曲げられない」
 後日、その席にいた国税高官は私にこう漏らした。
「八尋さんも立場があっての発言だろう。しかし学会内部が税務調査に反対だなどという話は
手前勝手な話だ。ずいぶん図々しいことを言う。遠慮なしにガッンとやったほうが内部の意識
が変わるし、八尋氏のためにもよいのではないか」
 七月六日、ホテルニューオータニで私は八尋氏と会談した。前日に聖教新聞社に再び料調の
調べが入ったため、八尋氏の表情はいつにも増して暗い。
 「国税は公益会計の計算書のみならず、伝票など決算関連資料をすべて出せと言ってきてい
る。水野前長官の話と違う。通達の趣旨についても、国税は必要があれば要求できるという解
釈だ。秋谷氏も最初は公益会計について計算書ぐらいはやむを得ないかと思っていたが、困っ
ている。私は学会役員会が強硬論で固まっていることを説明し、〝いっぺんにと言われても無
理。個別テーマで具体的に何が必要か言ってもらいたい。何年もかけてやろう〟と提案したが
国税側は〝個別テーマは特にない〟と言う。〝それなら(調査は)必要ないではないか〟と反
論すると〝いや、いろいろある〟と。私は国税は何か特別な狙いを持っているとみている」
「特別な狙い」と言った後、八尋氏は緊張した面持ちで言葉を継いだ。
「調査員が聖教新聞社の資料にしおりを入れていたのを垣間見た。聖教新聞社七階の迎賓館、
絵と金庫のところだ。ポイントはその辺に絞ってきている」
────────────────改頁──────76
 この八尋の見方が正しかったことは後で裏付けられるのだが、八尋氏の指摘に、私は事の
重大性を感じずにはいられなかった。
 なぜなら料調がしおりをはさんでいたという「迎賓館」「美術品」などはいずれも池田名誉
会長がらみだったからだ。
 迎賓館は聖教新聞社七階にある池田名誉会長専用の豪華な部屋のこと。絵は聖教新聞社にあ
る絵画を指し、池田氏の好みで買ったものだ。金庫については、真偽のほども正確なこともわ
からないが、聖教新聞社のどこかに池田氏がらみの裏金か何かを隠すための金庫があるという噂
は職員の間で囁かれていた。
 もしそうなら、これらを探られると、池田氏の名誉に傷がつく可能性がある。学会にとって
池田氏は神聖かつ絶対的な存在だ。相手が国税庁であれ何であれ、池田氏をお守りするのが池
田氏の弟子たる学会員の本分である。料調が何らかの形で池田氏個人を狙っているのなら、学
会は組織を挙げて阻止せざるを得ない。そうなれば国税庁との全面戦争も予想された。事実、
秋谷氏から「池田先生をお守りすることが信心なのだ」という宗教的指導を私はしばしば受け
た。
 もし国税庁の狙いが池田氏個人にあるのならば、学会の姿勢ははっきりしている。徹底抗戦
────────────────改頁──────77
しかない。厄介なことになりそうだが、やるしかないと私も覚悟を決めた。しかし、わが身に
ふりかかるであろう災難を考えると気が重くなった。国税庁と学会の対立が激化するような事
態になれば、池田氏の意を受けた学会幹部らが国税庁との交渉に当たる私を激しく突き上げて
くるのは目に見えていた。学会だけではない。既にこのころ、公明党内では一部の幹部らが、
交渉役を押し付けられた私への反感を募らせていたのである。
 池田氏との距離ですべてが決まるのが創価学会•公明党の体質であり、池田氏がこの問題を
私に押し付けてきたことが逆にジェラシーを生んだのだ。ある党幹部は「自分がやればすぐに
解決してみせる」と周囲に話していたというが、そんな自負心が私への反感をよけいに強くし
たようだ。石田•市川両氏は「矢野さんがやっていることの中身もわからないでお気楽なこと
だ」と私をなぐさめてくれた。やりたくもない仕事を押し付けられて党内で反感を買い、学会
からも激しく突き上げられるのではたまったものではない。心底うんざりしたが最後のご奉公
と決めた以上、逃げ出す訳にもいかなかった。
 私は大蔵省の保田主計局長に力添えをお願いした。保田氏は同情しつつも、迷惑顔で「角谷
(国税庁長官)は新任だから、いますぐ影響力を使うと逆効果。今後の状況には様子をみて対応
するしかない」と慎重な姿勢を崩さなかった。
◆『週刊文春』にすっぱ抜かれる
 七月二二日。三日後にソ連訪問を予定していた池田名誉会長から「いつも大変ありがとう。
────────────────改頁──────78
とりあえずいま本山なのでお礼まで」という伝言が第一庶務室幹部から伝えられた。池田氏は
国税や私たちの動きをよく承知していたようだ。
 その池田氏がソ連に出発した七月二五日に、私が密かに恐れていたことが現実になった。
『週刊文春』が突然、取材で学会に乗り込んできたのだ。
 料調の調査開始から既に一ヵ月が経過していた。料調が聖教新聞社を調べていることは聖教
新聞社の職員はむろん、本部職員も知っていた。学会幹部や公明党の議員も当然知っていた。
人の口に戸は立てられない。いずれ漏れるのではと心配していたが、よりによって池田名誉会
長がソ連訪問に出発した日とは。『週刊文春』は、国税が入ったので「池田氏はソ連に逃げた」
と書いた。
『週刊文春』の動きを私に伝えたのは八尋氏だった。八尋氏によると『週刊文春』側は「聖教
新聞は公器であり、取材に応じるべきだ。こちらはすべてわかっている」と余裕たっぷりだっ
たそうだ。八尋氏は「内部から情報が漏れていると言わざるを得ない」と険しい声だった。
 その日の夜、八尋氏は『週刊文春』の早刷りと思われる記事をどこからか人手してきたらし
く「記事には税務当局としか出ていない。近く四人体制が二○人体制に増員と出ている。これ
は当たっている。聖教の七階や絵のこと、学会本部に来たことも書いている」と説明。さらに
『週刊文春』の情報ルートとして公明党の市川書記長を名指しして「疑わしい」と語った。市
川氏が七月二三日に八尋氏に話していたことがそのまま記事に出ているとのことだったが、こ
れは市川氏にとって的外れの中傷だと言える。なぜならその程度の情報は学会、公明党の職員
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なら誰でも知っていたことで、皆興味津々といった空気だったのだ。だが八尋氏の犯人捜しが
学会内に充満していた疑心暗鬼の空気を反映していたのは確かだ。
『週刊文春』(八月二日号)の記事は詳細にわたっていた。
『税務当局のベテラン四人が、聖教新聞社の一階に陣取り、山のように積まれた帳簿に目を光
らせている。さらに、歩いて二、三分ほどの「創価学会本部」にまで度々、調査が及んでいる
というのだ』
『以下は本部職員の証言。
「最高幹部たちは大変なあわてようでしたね。フランスから買ってきた高価な絵画を創価学会
に隠せの、第一庶務(池田名誉会長の秘書グルーブ)には、名誉会長に宛てた報告書をすべて焼
却しろ、とか倉庫に眠っている書類を始末しろなどの指令を飛ばしていました。聖教、本部内
とも蜂の巣をつついたような騒ぎですよ」』
 同誌はさらに『池田氏のカネづかいの荒さはよく知られている』として、国税に、学会本部
の第一庶務の裏帳簿を調べろ、とけしかけていた。
 その翌日、料調の職員が聖教新聞社にやって来た。当然のことながら、『週刊文春』の記事
が話題になった。料調側は「国税からは漏れていない。なぜ調査官を四人から二○人に増員し
たことが漏れたのか」と学会からの情報漏洩をたしなめるような口ぶりだったという。
『週刊文春』の記事が出てから料調の態度は明らかに厳しくなった。マスコミに感付かれた以
上、国税としても、学会に配慮して、いつまでもだらだら調査をしている訳にいかなくなった
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らしい。以下は八月九日に八尋氏が電話で話した内容だ。
《「問題発生だ。国税が各局各部を自由に調査したいと言っている。自由に歩かれるとまった
く無防備。どうしても止めてもらいたい。それと職員の源泉徴収がらみで学会本部会計もみる
という。職員は聖教新聞も学会本部も区別がないから源泉徴収のことを持ち出されると断れな
い。国税は、調査の場所も学会本部で、と言っていたがこれは断った」
「国税の印象が変わってきた。今日新しく来た二人のうち一人が〝週刊誌に出てしまった以
上、もうショックもないだろうから(学会本部会計の調査を始めても)いいではないか〟と言っ
てきた。反論したが調査官たちも内部的に突き上げられている感じだ。投書などたくさん情報
が国税に入っているようだ」
 八尋氏に泣きつかれ、私は動いた。夏休み休暇中だった小粥事務次官に「このままでは党は
無能だと突き上げられる」と事情を説明し、同じく休暇中の角谷国税庁長官にも同様の話をし
たが二人とも素っ気なかった。それでも私が何日もかけて頼み込むので、角谷氏は渋々、「調
ベてみる。二〇日までは国税は事実上夏休みなので、その後に会おう」と約束。二二日に角谷
氏ら国税庁関係者と極秘会談することが決まった。
◆極秘会談
 極秘会談前日、私と八尋氏はホテルで二時間、対応を協議した。
「秋谷氏が〝矢野さんにくれぐれもょろしく頼む〟と言っていた。秋谷氏は今回のことについ
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て大山(博道)副会長(池田氏の側近中の側近)と十分、打ち合わせ済みだ。第一庶務は大山氏
と連携している。池田名誉会長は知らないことになっているが、軽井沢では〝本部だけは来さ
せないようにしたいな〟と言っていた。つまり名誉会長は全部知っている」
 八尋氏はそう語った。要は「名誉会長は矢野の活動をご存知だ。しっかりやれ」というハッ
パだったのだが、私はその手のおだてには不感症になっていた。しかし池田氏が脅えているこ
とだけはよくわかった。学会・公明党内では「国税のターゲットは池田氏の公私混同」との見
方が強まっていた。つまり池田氏自身がトラブルの種だった。それにもかかわらず「本部だけ
は来させないようにしたいな」と他人事のように言う池田氏の神経が理解しかねた。
 八尋氏は「とにかく自由に国税に動かれ、次々と問題点を質問されるともたない。聖教新聞
社内の一部屋から調査用の部屋を増やすから動かないようにさせてほしい。それと本部会計に
は触れさせない。このニ点を頼みたい。実のところ、池田名誉会長の公私ごっちゃで意識革命
が必要。いまやられると決定的なダメージになる」と嘆いた。
 学会本部の中を料調の調査官が自由に歩き回って調査すれば、学会会計のずさんぶりはむろ
んのこと、八尋氏の言う池田氏の「公私ごっちゃ」、つまり池田氏の公私混同問題がたちどこ
ろに明らかになるのは必至だった。それだけは断固、防がねばならないと八尋氏は念を押し
た。先の「本部だけは来させないようにしたいな」という池田氏の発言の真意はそういう意味
だった。
 池田氏の「公私ごっちゃ」は挙げればキリがない。たとえば料調が注目していた聖教新聞社
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七階の池田氏専用の迎寶館もそうだ。迎賓館は改装費だけで九億円もかけたと言われ、その贅
を尽くした豪華な室内を先に挙げた『週刊文春』記事は次のように書いている。
『壁一面に張りめぐらされた大理石は、わざわざイタリアから取り寄せたものだし、テーブ
ル、椅子、サイドボードはすべて特注品。来客用のため人口に置かれて記帳台などは、これ一
点で一千万円といわれる。
 実際に、室内に人った職員の証言では、ぶ厚いペルシャ絨緞の上を歩くたび、足のくるぶし
まで埋まったという』
 軽井沢の研修道場など、全国にある池田氏専用施設も豪華さでは引けを取らない。軽井沢の
研修道場の奥には、池田氏と限られた人しか入ることが許されていない池田氏の専用施設があ
る。柱や壁、障子、襖などすベてに最高級品を使用。風呂場には池田氏のために檜づくりの大
きな浴槽がしつらえてある。この池田氏の専用施設は、建て前上は「恩師記念室」と呼ばれて
いる。国税対策のカモフラージュのためだ。「御自分の贅沢に恩師の名を僭称するとは、冒涜
ではないか」と、ある公明党幹部は毒づいていた。
 また学会本部のすぐそばに建てられた「白雲寮」は周囲を高い塀で囲まれた瀟洒な和風家屋
で、池田氏の大のお気に入りだった。警備も厳重で、池田氏は近くに自宅があるのに、そちら
には帰らず白雲寮を自宅代わりに使っていた。
 学会内では「池田氏は最高権カ者だから豪華施設を専用で使うのは当然」とされていたが、
これに異議を唱える副会長もいた。池田氏は名誉会長なのだから、会長と違って宗教法人法上
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も学会の内部規則上も何の権限も責任もなかった。そういう人を特別扱いするのは正しくない
というわけだ。
 豪華専用施設を池田氏はいっさい家賃を払うことなく使っていたが、当然のことながら、こ
れらについては学会から池田氏への便宜供与や贈与の疑いが指摘された。事実、白雲寮につい
ては、税務調査が始まった後になって、池田氏が過去四年四ヵ月分の家賃を遡って学会に支払
っている。
 料調が注目した絵画などの美術品も、池田氏の公私混同の象徴的存在だった。池田氏は自分
好みの絵画などの高価な美術品を世界中から買い集めていた。個人の趣味なら本来、池田氏が
自分の財布から払い、個人資産として所有するのが筋だ。ところが池田氏の絵画購入費用はほ
ぼすべて学会持ちだった。美術品は学会系の美術館や学会の関連施設などに飾られたり、倉庫
に保管されたりしていたが、飾られた絵について池田氏は「どうだ。いい絵だろう。俺の絵
だ」と、私に自慢した。こうした絵が、いつの間にか池田氏の自宅に飾られていたことも私は
目撃した。
 しかもこれらの絵が学会の帳簿や財産目録にキチンと記載されていたならまだしも、かなり
の絵が実際は誰のものかわからないまま、帳簿記載も整理もされずに放置されていた。もし国
税庁が帳簿と財産目録、美術品の現物一つ一つをチエックしたら、帳簿記載のない持ち主不明
の美術品がゴロゴロ出てきて収拾がつかなくなっていただろう。帳簿にあっても現物が見当た
らないということもあったはずだ。
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 捨て金庫事件は、中西氏が池田氏の裏金としてこっそり保管していたものを日本図書輸送が
うっかり捨ててしまったのが真相ではないかともっぱら噂された。もし料調の調査が人らなか
ったら、こうした持ち主不明の大量の絵画は、はたして誰のものになっていたのだろうか。も
し池田氏が持ち帰っても、帳簿にも載っていないのだからおそらく持ち帰ったことすらわから
なかったのではなかろうか。
 これらは池田氏の数ある公私混同疑惑のほんの一部にすぎないが、これだけでも、学会が、
なぜ美術品などが表示される財産目録の提出や第一庶務などの本部会計に踏み込まれるのを嫌
がったか、おわかりいただけるだろう。
 八月二二日、私と八尋氏は角谷国税庁長官らと一一時間二○分にわたって話し合った。
 本来、こんな会合は許されるものではないし、おそらく国税庁側も相手が私でなければ会談
になど絶対に応じなかったはずだ。先に私は書記長を二○年間も続けたため大蔵省・国税庁の
幹部たちと親しい閨係ができたと書いたが、それにしても、なぜ国税トップの長官をはじめ国
税側が私の立場を重んじてくれるのか奇異に思われるかもしれない。そのあたりの事情につい
て、いま少し補足しておく必要があろう。
◆大蔵官僚との交友
 私は公明党書記長時代、主に国会対策と大蔵省対策に力を入れてきた。大蔵省対策に力を入
れたのは同省が各省庁の予算を握る役所の中の役所だったからだ。大蔵省と国税庁は表裏一体
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の関係にある。私は、大蔵省と国税庁所管の法案の国会審議が滞るたびに、大蔵省首脳から要
請され、法案成立にできるだけ協力してきた。当時、野党第一党の社会党は公明党と連携して
動くことが多かったので、公明党が賛成する法案には社会党も同調してくれることが多かっ
た。
 たとえば、国税庁から感謝されたのが国税庁OBの税理士資格取得問題だった。全国五万五
○○〇人の国税庁の職員は、一定期間、国税庁に勤務経験があれば、試験や研修を受けなくて
も税理士になることができる。これが不公平だとして国会で追及されたことがあり、私は公明
党書記長としてこの制度を擁護し、政府にも私が根回しして、「徴税というのは大事な仕事だ
が、国民から嫌がられる仕事でもある。そういう仕事を続けるにはインセンティブが必要だ。
また、脱税者との馴れ合いを防ぐためにも、将来の保障が必要だ。この制度は絶対に守るべき
だ」と強く主張。私の主張が通って制度は存続した。それ以来、国税庁は私を味方だと思って
くれていたようだ。
 また現在、財務省(旧大蔵省)が実施している「財政収支試算(見通し)」も、私が国会で大
蔵省に作成を求めたのがきっかけで始まり、その後、定着したものだ。これは税収の予測に少
なからず寄与し、私は大蔵省からずいぶん感謝されたものだ。
 だが何より大きかったのは、国会でキャスティング・ボートを握る公明党の存在だった。公
明党が「何でも反対」で徹底したら国政は麻痺してしまう。このニラミは十分有効に働いてい
た。
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 こうしたこともあって、「矢野の言うことなら、法に反しない限り裁量の範囲なら仕方がな
いな」という暗黙の関係ができていたのだ。
 しかしいくら私が陳情しても、法を曲げることは絶対になかったし、彼らの職務上の規則、
モラルに反することはいささかも譲歩してくれることはなかった。
 この日の国税庁側の出席者は角谷氏の他、山口厚生直税部長、吉川勲資料調逄課長ら五人だ
った。国税側の発言は次のとおり。
《「国税職員五万五〇○○人のモラルがあり、なかなか現場に話すことは容易でない。他の宗
教団体もやっており、公益法人にいま、重点を置いている」
「前回のお話もあり、いまのところ公益会計にはあまり触らないようにやっている。しかし次
の段階では調査することになる」
「本来、社長、重役の自宅、職場も伝票などの精査をやるのは当然だが、学会の場合は今回は
抑えている。こんなこと外に漏れたら大変」
「とくに源泉がらみはどうしようもない。これは営利会社も公益団体も関係ない。個人の所得
の源泉だから本部会計も当然見ることになる」
「他は絵画、研修道場の売店、墓苑の墓石仕入れ、銀行口座の預金残高と帳簿のチエックな
ど。色々情報がある」
 社長、重役とは池田名誉会長と学会の主だった幹部のことを意味し、企業の調査ならトップ
の自宅を含め個人資産も徹底的に調べるところを我慢して抑えているということだ。国税がい
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かに学会に配慮しているかを強調したわけだが、言葉の端々に、私や学会側の横槍で調査が進
まない現伏に対する国税側の強い苛立ちが感じられた。彼らの発言は、いささかの妥協の余地
もなかった。
 これに対し私は「学会の若手が公明党議員を突き上げてきている。〝権力になめられてい
る。初代、二代が治安維持法で検挙され、初代は獄死した。権力を怖がるな〟と突き上げら
れ、議員は困っている」と話し、学会きっての行動派である男子部、青年部がこの問題で党を
激しく突き上げていて、暴発寸前の状況にあることを説明した。
 こうした学会の若手の不満を逆手に取るのは、手前勝手な言い方だとわかっていたので、私
自身冷や汗の出る思いだった。国税側は私の気持ちを察して憫笑していた。内部から突き上げ
られているという理屈が国税相手に通用するはずがない。だが私も「ここは一歩も引けない」
と思い、「本部会計は見せられない」と大声で国税側を牽制した。私は公明党がキャスティン
グ•ボートを握っていることを婉曲にほのめかし、「法案成立に私は貴任をもてない」とまで
言った。一種の政治的脅迫だった。
 さらに、私は「公益事業会計は非課税であり、そもそも見せる必要がない」「公益事業会計
は学会員の寄付金。それを見せると、どの学会員がいくら寄付したかがわかり、プライバシー
の侵害につながる」などと執拗に反論した。
 当然のことながら、国税側は「プライバシーの問題はわかったが、調査を止めることはでき
ない」と納得しない。ただ「各局自由に動くことがないょう工夫する。国税側が調べたいテー
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マを示し資料を部屋に持ってきてもらう」と譲歩し、聖教新聞社内を自由に動き回ることは自
重すると約束してくれたのだ。曙光が見えて私はほっとした。
 ただ、学会本部の公益事業会計を調査することについて国税側はけっして妥協しなかった。
「収益会計が正しいかどうかは公益会計を見ないと判断できない。また本部の収支計算書、貸
借対照表、財産目録を出してもらえるなら、こちらから問題(調査テーマ)を提示する」と言
うのだ。
 国税側が言及した収支計算書、貸借対照表、財産目録の三点セットは税務調査に欠かせない
資料であり、三点セットを見れば学会の公益事業会計の全貌がわかる。むろん、三点セットの
中には、池田氏の公私混同が疑われるお金が大量に紛れ込んでいるから、学会としては絶対に
出せない資料だった。
 私は「それはできない」と、これも拒否した。国税側の顔はこわばっていた。ここまで極端
に学会、公明党が非協力の姿勢を取るとは予測していなかったようで、明らかに彼らの態度は
硬化してきた。「矢野先生、それは言いすぎだ」と角谷氏は私に直言した。
 結局、物別れに終わったが、とにかく自由に動き回ることだけは阻止できた。いまから思う
と、強気一辺倒で我ながら呆れる。自分の厚顔ぶりが恥ずかしい。
◆三点セッ卜
 ここで議論になった三点セット、これを「出せ」「出さない」が終始一貫論争の焦点だっ
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た。そして結論を言えば、学会側は、資料の未整理、未完成を理由に提出を拒否し、最後まで
抵抗した。
 国税側は執拗に提出を求めたが、話は平行線のまま進まず、国税側はやむなく「すみやかに
整理して出すように」と注文し、今後の「宿題」として残した。国税側が求めたのは、単なる
書類の提出次元の話ではなかった。国税側は三点セットをベースに学会の預貯金や美術品など
と帳簿を突き合わせ調査を行うつもりでいた。国税側はこの「宿題」を学会に課し、履行を約
束させたうえで、いったん引き下がったのだ。
 だが、その後、学会が「宿題」を提出したという話も、また国税側が提出された「宿題」に
基づいて帳簿との突き合わせ調査を行ったといった話も聞かない。学会の本部経理がいまも不
可侵のベールに包まれているとするなら、「宿題」の点検をしてこなかった国税側も怠慢とい
う誹りを免れまい。
会談後、八尋氏は私に「大成功だ。ありがたい。彼らに自由に動かれたら、もたない。何し
ろ公私混同の区別がついていないから……」と感謝しきりだった。
 だが、本部職員の源泉徴収票については見せることになった。どの企業、団体でも職員に給
料を払っている以上、源泉徴収を行っており、源泉徴収票の提出を拒否する大義名分はどこに
もないからだ。
 むろん国税側も、学会本部職員の源泉徴収に不正があると疑っている訳ではない。あくまで
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源泉徴収票に記載されている全職員の氏名や役職などの個人情報をもとに学会会計のアウトラ
インをつかむことが目的なのだが、これは学会にとって、本部会計の〝玄関〟に入られるのも
同然だった。
 しかし、料調の側からこれを見ると、調査開始から約二ヵ月もかかって、ようやく調査の端
緒にたどり着くなどというのは異例中の異例の事態である。何しろ〝鬼より怖い〟料調であ
る。一般企業が相手なら、料調は強制調査の令伏なしにマルサ同様の問答無用の強制調査を行
い、二ヵ月もあればほとんど調査を終えていたのではないか。ところが私や学会の横槍やサボ
タージユで調査は遅れに遅れた。学会側は、さまざまな理由をつけて各種資料の提出を拒み、
徹底抗戦の構えを崩さなかったのだ。
 角谷国税庁長官らとの会談の二日後、料調の調査官一六人が聖教新聞社を訪れ、三班に分か
れて調査を始めた。
「上から聞いている。その線でとりあえず聖教新聞をやる。自由に各局に行かない。学会側に
指示して資料を持ってきてもらう」
 調査チームの責任者が八尋氏に告げた。八尋氏は了解したが、後で私に「しかし一六人とは
物々しい。顔も初めて見るのが 一○人はいた。みんな対応が硬い感じだ」と言っていた。
 八尋氏によると、料調の現場にはかなり不満が鬱積しているように見えたという。角谷氏ら
は私との約束を守ってくれたのだが、内心では反発していたに違いない。まして現場は活動を
制限されていたのだから不満が溜まるのも当然だった。
────────────────◇────────────(引用ここまで、つづく)
今回は、公明党の委員長‥山口さんのコメントです。池田さんを師と仰ぐ学会員さんです。
山口‥「池田先生の今?…それは特定秘密事項です。何故?…それも特定秘密事項です。ん?‥選挙や財務に影響するからです‥‥合理性のある常識です。学会に支持されている公明党・自民党が、自分や学会に不利になること話しますか?…池田さんの脱税の手口?…あなた、病院へいきなさい!!」
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