◆ドイツ統一の日に
一九九○年一○月三日は世界史に残る一日だった。東西冷戦の象徴だった東西ドイツが一つ
のドイツとして統一を回復したのである。だが私はと言えば、相変わらず国税幹部との交渉に
追われていた。私と八尋氏は国税庁の山口直税部長、吉川料調課長との会談に臨んだ。冒頭、
三点セットの一つの「本部会計収支計算書」を提出するつもりであることを八尋氏が説明した
が、山口氏らは当然のことながら不満顔で、三点セットのぅちの残りの貸借対照表、そして墓
苑会計の三点セットの提出を強く要求した。
これに対し八尋氏は「今年は収益会計、来年は公益会計といぅ段階論ではなかったのか」と
抵抗。池田氏の個人所得など六項目に関しても断固拒否の姿勢を貫いた。
一方、国税側は、フロー (取引)から生じた収益や費用を示した収支計算書だけでは不十分
だとし、ストック(資産等の残高)を示す貸借対照表が必要だ、と主張。墓苑会計についても
墓石の販売など、多分に収益性があるとの指摘がなされた。
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私は、学会の墓苑が墓石の形、大きさ、材質などすベて同じ「規格型墓地」で、他の墓苑と
は違うことを強調。「学会の規格墓地は民主的で差別がない。だから土地・墓石ともワンセッ
トと考えるべき。しかもこれは宗教活動であり非課税だ」と強調した。
吉川氏がすぐに反論したが、私は宗教性を強調して墓苑への課税に反対の姿勢を貫いた。八
尋氏との事前の打ち合わせにあったように、墓苑課税は仕方がないと私も思っていたが、強く
抵抗することで「墓苑ですらこの抵抗だ。池田氏問題にふれるのはとても無理だ」と国税側に
思わせる必要があった。相手の要求水準を引き下げさせるための学会側の作戦だった。
この国税側との会談の翌日、私は山口直税部長に電話で「国税が要求してきた貸借対照表を
出す方向だ。六項目について私は学会に『ふれさせない』と約束している。六項目については
配慮してほしい」と頼み込んだ。池田氏がらみの六項目だけはさわらせない、ということが私
に課された至上命令だった。
山口氏は渋つていたが、「六項目は私なりに、いまのところ責任を持つ」と答えてくれた。
八尋氏にその旨、報告すると大変喜び、翌五日も「秋谷会長、森田理事長ら学会の主だった幹
部は全員喜んでいる。ぜひ六項目ノータッチを前提に進めてほしい」と弾んだ声で電話をかけ
てきた。何のことはない、あれもダメ、これもダメと言いながらも、八尋氏ら学会首脳も本音
では、池田氏さえ守ることができれば、あとは何とかなるとみていたのだ。むろん資料を出す
と言つても、池田氏がらみのマズイ部分は削除するなどの「改竄」を内々に済ませてから、と
いうのが学会首脳たちの腹積もりだったょうだ。
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この日の午後一一時半、永田町の議員会館の私の事務所を国税庁の山口部長と吉川課長が訪れ
た。八尋氏も同席した。山口氏らは心底うんざりしている様子だった。
私は二人に次のように迫った。
「学会の本部会計の収支計算書と貸借対照表の他、墓苑会計についても過去三年分を出してく
れるよう、八尋氏がi首脳を説得中だ。私も手伝っている。学会は私に『六項目ノータッチ
について約束してくれるか』と言ってきている。私は『国税当局の当事者ではないが、約束す
る』と答えておいた。だからぜひ吉川氏、八尋氏、東京国税局の幹部の三者会談を開き六項目
を守ることを前提にまとめてほしい」
吉川氏はかなり厳しいことを言った後で、渋々「今回はそれでやる。あとは現場への説得が
大変だ。今後の税務_代の原案を作ったら矢野さんと山口さんで調整してもらう。三者会談の
内容は矢野さんにフィードバックする」と妥協した。八尋氏と私からみて、これは大きな転換
点だった。吉川氏に対し、上層部からの指示があったのだと感じた。
私たちのしつこい念柙しに辟易しながら、吉川氏は「現場でのヒアリングでも八尋さんに
(池田氏がらみの)六項目のことは聞かないから緊張する必要はない。すぐ終わる」と約束し
た。
二人が席を立ってから八尋氏は「今日、ご一緒させていただいて本当によかった。完璧だ」
と喜び、税務調査のめどがようやく立ったことに満足している様子だった。
翌日、八尋氏と吉川氏らの三者会談が行われた。会談後、電話をかけてきた八尋氏の声はい
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くぶん弾んでいた。
「吉川さんらとの三者会談は終わつた。吉川さんは矢野さんの顔を物凄く立てていた。現場の
国税調査官も既に了解済みの空気だつた。池田氏がらみの六項目は除外するという言葉こそな
いが、完全に除外することを前提にした話し合いだった。墓苑はかっちりやられそうに思う
が、本部会計は助かりそう。褒賞激励費も何とか逃げ切れた」
懸念していた池田名誉会長からの褒賞激励費について、吉川氏は「職員と学会員が同席して
いた場合の褒賞激励費について、職員なら源泉徴収が必要だが、学会員は源泉徴収は不要で本
部から金が出ていても問題ない」という趣旨で了解してくれたという。要は、池田氏は単に学
会を代表して職員らに「臨時ボーナス」を渡しただけという解釈らしい。池田氏がこの問題で
所得を調べられることはなくなり、職員分だけ褒賞激励費の明細を出せば課税問題はクリアで
きるということだつた。
「秋谷氏らは喜んでいるが、引き締めてやろう」
八尋氏が珍しく軽口を叩いたのが印象的だった。
一〇月一二日、国税庁が公益会計の調査分野についての原案をまとめ、それをもとに議員会
館の事務所で私は、山口部長、吉川課長と話し合った。これがこの年の税務調査の大詰めだっ
た。
こちらの大前提は池田氏を守ることだが、本部会計にもできるだけふれさせず、墓苑会計な
どの納税額もできるだけ少なくしたいと考えていた。こうした身勝手とも言える学会測の要望
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をどこまで国税庁に飲ませられるか。事前のやり取りで大幅譲歩の予想はしていたが、国税庁
の原案をみるまでは安心できなかった。はたして山口氏の提示した原案は、学会側にとってほ
ぽ満点と言える内容だと私には思えた。山口氏が原案書を読みながら内容を説明した。
《「(Ⅰ)墓苑特別会計は調査する。
(Ⅱ)本部会計については矢野さんのいう六項目は(調査しないことを)前提とし尊重する。
種々の意見があるが、今回の調査については①本部会計をやるという原則は維持するが、宗
教活動はやらない。事務管理費、一般管理費のみとする。しかし調査上、聖域を設けた形にし
ないため布教活動費もやるが、それは税法二〇四条報酬払い(一〇パーセント)弁護士、税理
士などに限定する。②職員貸付金、雑収入バーゲンなど(は調査する)。③財産目録について
は、整理する時間がほしいとのことであるから、次回とする。
(Ⅲ)収益事業はすでに問題が浮かび上がっているが、激励費、収益と(公益と)の費用配
分、本部会計と関連する部分は調整する。
筋道をたてて、すべてをやったことにするため、外へは絶対に漏れないよう配慮願いたい。
角谷長官からもくれぐれもよろしくとのこと。調査の場所はこれまで通り聖教新聞社とする。
単年度で終わらないケースも多いので、来年から数年にわたりやることとする。今後は収支計
算書、貸借対照表を提出されたい。でき得る限り矢野さんの顔が立つようにした」》
池田氏がらみの問題がすべて調査対象から外れたばかりか、学会側がずっと抵抗してきた財
産目録の提出も免除されたのである。
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ほぼ学会の主張を丸吞みしつつ、外部にも聖域なき調査を行ったと説明できるという、いか
にもエリート官僚らしい原案と思えた。
私は「大変ご配いただき心からお礼申し上げる。これで十分だと思うが、私は専門家では
ないから、今夜八尋に説明し、これでいくようにする」と感謝した。
◆帳簿の改竄
学会と擦り合わせたうえで一〇月一五日に最終的な打ち合わせをすることを約束した後、山
口氏は「矢野さんがいる限り、やりにくくて困る。角谷も限度をこえて配慮してくれている」
と私を見ながら微苦笑した。私は角谷長官ら国税庁の皆さんへの申し訳なさと、感謝の気持ち
を込めて「くれぐれも御礼を申し上げてほしい」と深々と頭を下げた。
翌日の私と八尋氏との電話でのやり取り。
《八尋「秋谷は本山にいるので十分話してないが、今夜F会(最高会議)をやり、相談する。
しかし完璧な仕上がり。矢野さんに感謝していた。問題は本部内部から『うちはやられない』
という話が漏れること。それをいちばん、国税は恐れている。情報はこちらから漏れていると
みている。そうなると、ことは重大。演技も必要。本部全体やられているという印象を出しつ
つ、それもほどほどに......」
矢野「それはしっかりやってもらいたい」》
気の緩みが怖いので、厳しい税務調査を受けている演抜をしょうというのだから学会側も相
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当余裕が出てきたのだろう。
八尋氏によると、この日夜のF会では「秋谷会長ら学会の主だった幹部全員が、よくここま
で来れたものだと感謝感激していた」とのこと。八尋氏が続けた。
「秋谷会長によると、池田名誉会長が『矢野の力だ。矢野が長年培った人脈のおかげだ』とほ
めていたそうだ」
だが、ここまで国税庁が譲歩しても、なお心配のタネがつきないのが学会会計の実情だっ
た。何しろ学会本部会計のたいていの分野に、池田氏がらみの表に出せない金の出し入れが含
まれており、学会側としては、国税が見る前に、池田氏がらみの金の帳簿上の処理を終えるつ
もりでいた。はっきり言えば帳簿の改竄である。
一○月一四日、レストランの個室で会った八尋氏はいつもの気難しい顔に戻っていた。八尋
氏は一般管理費の中の「仮払い」の処理について頭を痛めていると打ち明け、「仮払いからも
池田氏がらみの褒賞激励費が出ている。仮払いを国税庁から突っ込まれると応答できない」と
顔をしかめた。仮払いの金額は相当額に上っていたようで、八尋氏は「一般管理費だけをコン
ピユータでソート(分類)して一覧表を作り、領収書などはコピーで……。でないと結局、す
ベてを見せることになつてしまう。仮払いはなくす方向だ」と話していた。要するに一般管理
費から仮払金を削除し、伝票や帳簿を改竄するということだろう。
また伝票と引き換えに金を出す聖教新間社の「受け払い」伝票を調べたところ、ここにも第
一庶務がらみの表に出せない金が人っているので困つているとのことだった。そこかしこに池
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田氏がらみの支出があったということだろう。また学会の理事会議事録も国税庁に提出できな
いと八尋氏は話していたが、これも同じような理由からだと思われた。
「池田氏側近の鈴木副会長はすべての事情を飲み込んでいる。大丈夫だと思うが、決着がつか
ないことは上(池田氏)にフィードバックして確認していく。なお本部総局は美術品の総点検
をやつている。(学会本部)全体が臨戦態勢だ」
結局、最後は「上」つまり池田名誉会長がうんと言わない限り何もできないということだ。
別れ際に八尋氏が言っていたところによると「F会で幹部たちは、税務調査は一九九○年分だ
けで八八、八九年はなしにしてもらう」などと虫のいいことを言つていたそうだ。人の苦労も
知らないで何を調子のいいことを言つているのか。私は二の句が継げなかつた。
八尋氏との打ち合わせを終え、翌日、私と八尋氏はレストランの個室で国税庁の山口部長、
吉川課長との会談に臨んだ。
山口氏は「一般会計は源泉徴収を中心に来年も調べる。財産目録については物品所在照合も
やる」と説明。来年のことなので、こちらとしても特に異存はなく、私は前日に八尋氏と打ち
合わせたとおり、「仮払い」のことを取り上げた。
すると吉川氏はたちどころにこちらの意図を見抜き「日計表など、いっさい書類は改竄した
と思われることのないよう、さわらないこと。調査の対象としていないものは問題にしないか
ら信頼してほしい。むしろ、うちは、改竄を目こぼししたと学会内部から漏れるほうが怖い」
と諭すように言つた。
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池田氏がらみの激励費などは国税側が自主規制して見て見ぬふりをしてけっしてふれないか
ら心配するな、もし改竄の形跡が見つかれば、現場の怒りを買い、現場としては摘発せざるを
得ない。逆効果になるのでやめろ、と忠告してくれているわけだ。
釘を刺された学会側がその後、改竄を断念したかどうか私は知らないが、八尋氏はうなずい
て「理事会議事録は出せない。激励費は既に職員分のみ書類を作っている」と説明。
今後の日程について吉川氏が「聖教新聞社の調査は今週で終わり、二二日から墓苑会計をや
り、その後、本部会計を調べる」と言うので、私は「墓苑の調査は二九日からにしてほしい。
その前に学会本部で税務調査に関するヒアリングをやってほしい。そのほうが聖域なしという
印象を与えられる」と侬頼した。学会本部で調査官が税の調査で職員相手にヒアリングをすれ
ば、それが内外に伝わり、〝手抜き調査〟の実態を形だけでもカモフラージュできると考えた
のだ。
この日は、さらに最終的な徴税方法についても話し合われた。国税側からは「学会側の自主
的な修正申告の形にするか、それとも更正決定でいくか。全体像がみえてきたところで相談す
る。修正Iは四谷税務署に公示する。更正決定は不正があったょうにみられる」と説明があ
つたが、こちらとしては、むろん自主的な修正申告以外の選択肢はなかった。
最終的な徴税方法まで詰めたので、この年の税務調査は、この段階で実質的に片がついたよ
うなものだつた。私は今度こそ一山越えたと安堵した。あとはルールに沿った実務レべルの交
渉だけだった。
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◆情報漏れ
一〇月ニ六日、国税庁の山口氏と打ち合わせしたとおり、学会本部で料調調査官から税務調
査に関する総括質問ヒアリングが実施された。その模様と今後の見通しについて八尋氏は、
「本部会計は簡単に仕上げるつもりのようだった。一応、全部やったという形を取りつつやる
のだろう。やはり墓苑会計に全力を置くようだ。仕上げのところで矢野さんの協力をお願いす
ることになる。でないと金額が大きくなりそうだから」と語つた。
一〇月二八日、関西本部の西口良三総関西長から「名誉会長より矢野さん宛に頂き物があ
る」との電話連絡があった。西口氏は学会の〝関西のドン〟と呼ばれる実力者だ。税務調査が
らみのお礼らしい。
税務調査は着々と進んで行った。以下は八尋氏からの電話連絡だ。
《一○月三○日、「昨日、本部会計、墓苑会計、両方やった。現場は激励褒賞にからみ資料要
求の空気あり。料調から一二〇項目の調査要求項目が出たが、七○項目は二〇四条税理士報酬
がらみで問題ない。第一庶務も二、三あったが大したことない。資料の点検も東京国税局のキ
ヤップが選んだ上のこと。むしろ怖いのは現場の当たりが弱く、こちらが楽観—(その空気
が外部に)漏れる恐れあり」
一一月一日、「伝票の示し方(について)、封をしたり留められたら困る、そのまま出してほ
しい、付箋をつけて(くれれば)、それ以外は関心持たないから(と国税キャップに言われた)
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キャップがそばにいてチェックしている。激励費─来週話し合つて自主的にそのままいくつも
り。中心は墓苑にあり」》
このころ、どこで聞き込んできたのか朝日新聞の知り合いの記者が「噂では矢野さんが国税
を担当しているそうだが。いままで矢野さんが学会のことでいろいろ苦労しているのは承知し
ている。でもそれは学会にとってよくない。学会はいつも同じ失敗をやっている。矢野さんの
親切が仇になつている」と忠告してくれた。しかし、私は「何もやってない」としらばくれる
しかなかつた。
一一月七日、『週刊実話』が国税調査について報道。記事の中に、ある党首脳が八尋氏に話
した内容が載っていたことから、八尋氏はその首脳の名前を挙げ「彼のリークだ」と決め付け
た。私は「いまは微妙なとき。リークは困るが内部で波風を立てないようにしてほしい」と頼
み込んだ。八尋氏はプンプン怒つていた。
その二日後、私はまた山口部長、吉川課長らと会った。彼らは週刊誌に情報が漏れたことに
ついて、かなりナーバスになっていた。
《山口「(国税庁)長官は、マスコミ各社六、七名の記者と懇談している。相手は政治部長、
社会部長、デスクなど。そこで、必ず創価学会の調査はどうなったか、終わったのかと質問が
出る。情報漏れもあるようだ。今回の取り組みは異例中の異例のことで、もし漏れると大変。
こちらも大変。矢野先生も大変。学会はもっと大変。週刊誌のようなことは困る。今年と来年
との分野調整の打ち合わせもあるが、もう一度調查の見直しをやる必要も出てくる」
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吉川「もし書類を偽造したら七年(間)さかのぼり徹底的に調査することになる。これは強
行。まるで刑事罰。ご存じとは思うが……。出された書類をそのままハイそうですか、では調
查にならない。裏づけ調査、現場調査もやるし、自由に反面調査もやる」
矢野「こちらから漏れた漏れたと言うが、岡目八目的な見方はどうしても避けられない。そこ
まで言われるとどうしようもない」
山口「調査を四点までやつて(満点の)一○点やってないとなるとまずい。せめて六点ぐらい
までは……」
矢野「仮に一○点やっても悪く書く奴は書く」
山口「だから範囲を広げてやり方もきつくやるべきだ」
矢野「私は学会より六項目の貴任を持てるかと言われ、持つと言ってきた。範囲を広げるのは
困る」
吉川「私は佐賀県の出身で、葉隠れ(の精神を知っている)。職場に忠実に、しかし(相手にも)
優しさが必要(だと思ってやってきた。だが……これでは)」
矢野「八尋たちが学会会計を改革しようとしている。改革をやらないなら私も知らん顔する。
八尋も必死。だから私も必死でやっている。それと致命的なことになると八尋も潰れる。漬れ
たら改革もできない」》
最後はお互いの心情を吐露し合うやり取りになった。国税庁の幹部も現場も職務に忠実に、
真摯に働いていた。しかし、私や公明党という壁に阻まれ思うように動けない、歯がみする思
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いが国税の上にも下にもあった。誠に申し訳ないと思ったが、私もお世話になってきた池田名
誉会長と創価学会を守るために必死でやっており、一歩も引く訳にいかなかった。たとえそれ
が社会通念に反していてもだ。
国税幹部との会談後、私は、対マスコミの情報管理を徹底するとともに、学会経理の改革を
必ず行うよう、学会の幹部数名と話し合った。
一一月一五日、私は山口部長と会い「先週の話は、学会幹部五、六名を集めてしっかりやっ
た」と説明。山口氏はうなずきながらも、新聞社が学会問題に強い興味を示していることへの
危機感を示した。
「五大紙の動きが心配だ。関心が強いクラブ記者がおり、社会部が〟創価学会の調査は終わっ
たのか〟とうるさく聞いてくる。税務処理が終わったら本格取材が始まることが予想される。
かなりきつい。学会にも聞かせて情報管理をしっかりやらせてほしい」
山口氏は「それにしても聖域なき調査の形をつけることと六項目を守ること、この境界線が
難しい」とこぼす一方、いよいよ銀行や証券会社に反面調査を始めることを告げた。
「来週から反面調査をやるが、これは矢野さんと約束した六項目違反ではなく、前から言って
きたことだ。学会本部の調整が済んでいない問題については反面調査しない」
これまでは学会と国税の間で話が終わっていたが、これからは銀行など外部を巻き込んだ調
査になり、情報がマスコミに漏れる危険性がさらに高まる。私はその日のうちに、八尋氏らに
対マスコミの情報管理を徹底するよう、再度注意を促したが、八尋氏からの報告には黙り込ま
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ざるを得なかった。引き続き私に公明党の常任顧問をやれというお逮しがあったというのだ。
おそらく池田氏ら学会首脳の差し金だろう。
「今日、公明党の三役会で矢野前委員長に、引き続き常任顧問としてご指導をお願いしたいと
いう話が出て了承された。公明党の石田委員長から報告があった」と八尋氏。
党からでなく、なぜ学会の八尋氏から党人事の話を聞かされるのか? 八尋氏としては、私
へのサービスのつもりだったのだろうが、本人の了解を得ることなく勝手に決められたことも
不満だった。何にも増して、これから先も学会の尻拭いをさせられるのかと思うと疲れがどっ
と出てきた。
一一月一七日、公明党本部で結党記念式があった。記念式で挨拶した後、私は大阪に行き、
大阪選出の公明党代議士、浅井美幸、矢追秀彦の両氏と韓国料理屋で食事をした。
矢追氏は「市川は学会に恨みを持っているように思う。思い込みが強くて学会が自公民(自
民•公明•民社党)路線を求めていると確信している。市川は〝池田名誉会長はあと一○年、
勝負は五年以内〟と見ているようで(自公民連立を)急ぐ必要があると思っている。はたして
それでやっていけるのか。市川は矢野さんを煙たがっている。常任顧問は会合に出ないように
働きかけたが(学会の上に)潰された」と市川書記長に強い不満を述べた。私は「それは私の
不徳の致すところ。市川さんもやりにくいのだ。私も口やかましいから反省している」と述
ベ、「市川君は学会に恨みを持っている訳ではない。多少、自負心過剰な点はあるが、周りに
対してじれったい気持ちもあるのだろう。でも、いまの切羽詰まった状況を何とか打開したい
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と努力しているので、彼の突破力できっと何とかするような気がする」と感想を述べた。しか
し、浅井氏も「石田委員長も頼りない。市川の言いなり。市川が人の意見を聞かないので今後
が心配だ」と表情を曇らせた。
「私を煙たがる理由はわかる気がする。いちいち口出しするからだ。私が悪い。今後は、党の
会合には出席しないようにする。それでよいなら(常任顧問にでもなんでも)任命すればよい。
いささかも(ポストに)恋々とはしていない」
私はそう受け流したが、後で石田委員長から電話がかかってきて「市川が矢野さんの批判を
しているが気にしないでください。市川がそういうことを言うのはけしからん。他の人は市川
が言うようなことは考えていませんから」と釈明した。私は「別に気にしていない。私も反省
している。そっとしておいてほしい。こちらも命がけでやっているのだから……」と頼んだ。
石田氏は「誠に申し訳ない」と答えていた。
市川氏は、やや気難しい点はあるが、合理的かつ明晰な戦略家で、そのような人材は党にお
いては他にあまり見たらないように思えた。市川氏は学会青年部の元参謀室長だった。参謀
室長の経験者は学会では池田名誉会長と市川氏の二人しかいない。それだけ市川氏は池田氏に
能力を高く買われていた。
ところが、市川氏は、練馬の投票所で午後六時の投票締め切り時間を過ぎて投票所に詰めか
けた学会員を投票所に入れるかどうかで選挙管理委員などに暴行を働いたとされ、指名手配さ
れかかつたことがあり、それを機に池田氏から遠ざけられた。もしそのようなことに巻き込ま
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れず学会に残つていたら、市川氏も学会の最高指導者の一人になっていたのではないかと言わ
れている。
その後、市川氏は学会から追われるように活躍の舞台を公明党に移した。公明党に来てから
市川氏は、学会の仕打ちは冷酷だという趣旨のことを平気で言っていた。学会に対し複雑な感
情を持っていたのだろう。また市川氏が私に敵愾心を持つていたという話を聞いたことがある
し、私も不愉快に思うこともあったが、「打倒対象となるだけでも光栄」と私は思っていた。
イエスマンとダンマリばかりの学会・公明党首脳の中で、物事をはっきり言う市川氏の存在
は、組織にとつて、むしろ好ましかった。学会•公明党で市川氏のような突破力を持った人物
は池田氏以外には見当たらなかつたが、気の毒なことに、この時期、彼は学会と党の板挟みで
苦しんでいた。
────────────────◇────────────(引用ここまで、つづく)
今回のコメントは最近テレビで活躍の〝津川正彦〟さんです。
津川さん…「池田大作?‥やりたいでんなぁ…勿論、芝居をですよ!!…人生は芝居だからね…映画のほうですねぇ…テレビドラマはコマーシャルの〝オマケ〟で駄目…永久に?‥NHKだけに頼ってもねぇ…田中角栄・小沢や児玉?‥断トツで池田ですよ…脚本九割ですね、ポアもどきも入れてね…そう後藤組!!…海外のお城の取得も…××一郎を〝貴様、何様だ!!〟と恫喝し…××一郎が失神した…このシーン是非ほしいネ…××一郎を悪友の〝勝谷さん〟にして欲しいね。役者も大切なので…勿論、大会館で〝元気ですか!!〟〝ハーイ!!〟〝沖縄・糸満…キンマンコ!!〟〝大爆笑〟〝大拍手!!〟」「甲子園の〝関西文化祭〟で右手を振って得意のポーズ…下手な〝平和〟の人文字も…北朝鮮なんかヒヨコですよ…」 「さて、題名ですね…闇の脱税王、偽善王、嘘ツキ王、…権力王…どれも今一ですね…これは、一般から募集したらどうでしょう?…前宣伝にもなります‥」「ワクワクしますネ。今晩寝らねない…女と一緒でも?‥これは枯れましたが〝月刊ペン事件〟の濡れ場も欲しいね‥ここの脚本は任せて下さい‥」「池田まだ生きている?…残念ですねェ…死から一年以内ですね?‥葬儀会場が浮かびました。中国大使にケネディ女史の参列?、安倍さんは当然でしょう?‥自民の最大の支持団体なんだから…田原に森田に、毎日の社長、アグネスに中川家の二人‥プロ野球から芸能・法曹・Etc‥焼香だけで?/?時間‥」「プロローグは葬儀会場から‥ボカシが増えて、海苔を干してある海岸で、ぼろの着の一人の少年‥いじめられっ子で泣いているシーン‥おもむろに‥久米宏のナレータ‥「この少年が、後の世界征服王となった池田大作であった‥‥」
「エピローグも葬儀会場の続き、焼き場で遺骨を受け取るカネ子夫人‥生ゴミの袋にそれを入れる‥ゴミ回収のシーン‥回収車を〝腕を組んで〟見送るカネ子夫人〝ニタ!!〟と笑う‥〝終演〟の文字徐々に拡大‥カネ子夫人の役?‥田島さんが似合う?‥」「女も金も…追うと逃げる?‥」 「人の〝死〟は難しいね…望んでも来ないし、望まなくとも突然に…ですね。たかじんありがとう…〝たかじん〟のような芝居もあるんだネ!!…」
(誤字・脱字、文法無視、パクリ・援用・重複・勝手編集も‥笑って♪♪‥許して♪♪‥)