◎ 池田大作と原島家 池田大作を会長にした原島宏治とその家族 原島昭 2014/3
池田大作の創価学会乗っ取り作戦…<人間の科学新社 1800¥>…より
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●池田が愛した「愛染かつら」の歌
私が法廷の傍聴席に座ったのは、嵩の2回目の出廷の時でした。当日、前もって学会側の誰かが取得してあつた傍聴券が法廷の入口で私に手渡され、私が座つた傍聴席は弟にごく近い正面の席でした。学会側の狙いは、弟に心理的圧力をかけることでした。
その時の弟の証言の中から、かって実際に私もその場にいて、今も鮮やかに記憶している情景を述ベ、長く続いた私の告発の筆を擱きたいと思います。
昭和三十二年一月二日の夜、その日は池田参謀室長の二十九歳の誕生日で、大田区小林町の池田家には松島通子さん(後に結婚して渡部姓となる)ら数人の客が、池田を囲んで食事や談話を楽しんでいました。私も弟(嵩)もその場にいました。
食事が終わったころ、一人の青年が私たちの団らんに加わりました。青年の名前は貞永昌靖といい、池田が部隊長だった時の部下で、池田を師と仰ぎ慕っていました。近い将来、渡米して仏法を弘めるのだという大志を抱いていました。後にそれを実行して、全米中を駆け回り、ジョージ.ウイリアムスと改名して米国に帰化、アメリカ各地に創価学会の組織を作り上げ、アメリカSGI(創価学会インターナショナル)の初代理事長になりました。
さて、話を池田の誕生日の夜に戻します。
夜が更けて、一人二人と客が去り、貞永氏も去って、客で残ったのは松島さんと私たち兄弟の三人でした(池田夫人の香峰子さんは、宵の口には在宅していたと思うのですが、その時はいなかったのです)。
そろそろお開きの時間になりました。部屋の片隅に置かれたレコードから、霧島昇の美声が流れてきました。それは映画『愛染かつら』の主題歌で、私の幼児の時代に作られたその映画は、空前の大ヒットを記録したのだそうです。
花も嵐も踏み越えて
行くが男の生きる道
泣いてくれるなほろほろ鳥よ
月の比叡を独り行く
曲に耳を傾けながら、池田はにっこり笑って、「これが私の精神だよ」と言いました。
松島さんは、隣の部屋で布団に横たわつた池田の肩や腰を揉み始めました。
そこで、私と弟はいとまごいを告げ、池田と松島さんだけを残して立ち去つたのですが、それにしても、あの歌詞についての池田の言葉が、後々まで私の心に引っ掛かつていて、いろいろ考えさせられました。『愛染かつら』の愛染とは、真言密教の本尊の一つで愛染明王のこと。愛欲に苦悩する人々を救うとされる神で、上野の寛永寺坂の愛染堂にあるかつらの木の下で愛を誓い合った男女は、将来必ず結ばれるという伝説がありました。
池田にとって、「花」とは松島さんを指すのか、それとも、池田が踏み越えていった、多くの哀れな女性たちを指すのでしようか。
では「嵐」とは何か。おそらく池田の行く手を遮る障害の数々を意味するのでしょう。
自分を絶対,無謬の存在と規定する池田にとつて、自分を諫めたり批判したりする者は、すべて自分の絶対性を脅かす邪魔者なのです。
しかし、自分の周囲をロボットの集団に守らせていても、ロボットは暖かい血の通う生きた人間ではないし、面従腹背の者たちも、主人に従っているかぎりは、命令どおりに動く機械に過ぎない(そしていつ主人に背くか分らない)ので、絶対者は独り孤立した存在なのです。
こうして、今や巨大ロボット(あるいは奴隸、あるいは頭脳マヒ)集団化した創価学会は、ますます孤立化し、衰退の一途をたどることでしょう。
私は今、正しい信仰の道に入って、あらためて内外に様々な害毒をまき散らす創価学会の恐ろしさを知り、一人でも多くの学会員ならびに誤った宗教の信者を覚醒させることに余生をささげたいと考えております。 (了)
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ありがとうございました。次回から--
◎自民党・創価学会亡国論 屋山太郎 2001/8
創価学会本当の恐ろしさ・ほか…<三笠書房 1500¥>…より
です。ご期待ください。