創価学会・公明党が日本を亡ぼす

  政教一体で憲法(20条・89条)違反だ!-打首獄門・所払い(=解散)せよ!

これが創価学会だ-6

2014-03-30 08:14:16 | Weblog
○これが創価学会だ…元幹部たちの告白…植村左内…あやみ出版社…S45.2.10(1970)
────────────◇───────────◇────────(以下、援用)
中村君の日記から I
     〈組員・組長時代〉
◆信心指導
○月X日─。
 まず信じることが第一だという。卸本尊の力を絶対だと信じれば、すべてが思いどおりに進んで
いくという。誰だって信心が判っている人はいないと、地区部長が指導してくれた。信心は理解で
はなくて、心から信じることだ。読んで字のごとし。そのとおりなのかも知れない。
 信じて朝晚三べんの題目をあげれば、日常生活が思うままに楽しく過せるという。題目をあげる
のがいやなら、御本尊さまを持っているだけでも功徳があるというが本当だろうか。三ヵ月経った
が別に変りはない。折伏してくれた時、班長が「必ず三ヵ月以内に初信の功徳がある」といったが、
初信の功徳とはいったいどんなものだろう。
「それは、あなたがせっかく手にした幸福製造機を、そのまま飾りものにしておいたから、だから
────────────────改頁──────40
功徳がないんですよ。たとえばあなたが電気洗濯機を買った時、そのコードをコンセントにつなが
なかったら、洗濯機は動かないでしょう。それと同じで、せっかくの幸福製造機がその役目を果た
さないわけです。
 御本尊さまを護持して、私だってこんなに幸せになれたし、学会員みんなが幸せになっているん
だから、あなただって幸せになれる。功徳はいくらでも貰い放題なんだから、功徳の出るような信
心をしていこうよ。それには朝晚の勤行をして、学会の組織につくことです。末法の信心には血脈
が大事なんだから、やはり組織から離れていたんでは功徳が出ない。そういうことになっているん
です。今までやっていたんだから、もう一息頑張ろうよね」
 本当にそうしたものだろうか。畳のすり切れた六畳間に、親子五人が生活している班長さんが、
なぜ幸せなんだろうか。
◆班座談会
○月×日─。
 きょうは班座談会に出てみた。班長さんの家が狭くて使えないので、班座談会は班担さんの家で
開かれた。定刻七時だというのにまだ六人しか集まつていない。
 班長さんと班担さんはご夫婦のように仲が良い。過日、旅館から出てくる二人を見かけたという、あの噂は本当かも知れない。地区部長さんや地区担さんが、ほかの班座(班座談会の略)に出席した
────────────────改頁──────41
ので、担当幹部として男子部の隊長さんが、来てくれた。まだ十八歳のこの隊長さんは、入信して
から三年目だという。うちの班長さんは入信十年になるというから、仏法は勝負だということは本
当だろう。五十年配の班長さんが、このぴちぴちした青年部の隊長さんにぺこぺこしている。よそ
の奥さんと旅館通いをして、おたがいにあつあつだから、いつになつても地区部長になれないとい
う話である。
 やり方さえうまければ、結構どんどん偉くなつている人もあるというから、うちの班長さんは、
やり方がへただということになる。しかし変な話だ。信心していながら浮気しているということは、
何時になったら班長さんは〝人問革命〟するんだろうか。
「班長にもなれないようなご亭主と、班担にもなれないような奥さんをもった、そうしたカップル
同志は、仏法律からいくと、当然結ばれる宿命にある」
 そう組長さんがいっていたが、まだ信心初歩の私には理解できない。理解できなくとも、そう信
じれば良いことだろう。
 学会歌は実に素晴しかった。心が浮き浮きする。また座訣会に出席して、はやく歌えるようにな
りたい。
 隊長さんも素晴しい。あの若さで独身で、それでいて、結婚後六年も経つという夫婦問題のトラ
ブルを指導していた。
「信心にそれほど反対するご主人が、たとえ社会的には会社の重役であっても、それは可の価直も
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ない。この世の中はすべて価値か反価値かである。たとえその身が乞食であっても、御本尊さまを
護持している人間のほうが、はるかにあなたのご主人より価値的である。
 しっかり題目をあげて心を决めなさい。子どもの二人や三人どうにでもなる。御本尊さまをえら
ぶか、ご主人をえらぶか、どちらかにしなさい」
 十八歳とは思えない激しいロ調の指導である。御本尊さまはそんなに大したものだったのか。し
っかり信心しょう。
◆初めての折伏
○月×日─。
 末法は自行化他の信心だから、折伏しなければ功徳がない。支部長さんが地区座談会でそう話し
ていた。学会の信心は、功徳、功徳といっているが、どこまでいったら功徳が貰えるのか。先の見
当がつかない。もうやめてしまいたい。
「あなたがようやく勤行もできるようになつたし、座談会へも出られるようになつたから、あなた
に信心をさせまいとする力が働いているのよ。それは三障四魔といって、この学会の教えが正法だ
から、あなたを幸福にさせまいとする魔の働きが、あなたの心を迷わせているのよ。だから、やる
ぞ、と、そう腹を決めてしっかり題目をあげてごらんなさい。そうしたら、そんな魔なんか一ペん
で吹き飛んでしまうから」
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 婦人部長さんのようにこう優しく指導されると弱い。どうせここまでやったんだから、ひとつ折
伏してやろう。きっと功徳が貰えるだろう。
 御本尊さまに「折伏させて下さい」そうお願いすることが最高の祈りだというが、そう願って折
伏すると、宿命打開をして幸せになるというが、信じることだ。
「仏壇に先祖の戒名を祭って、これを拝んでいるなんてとんでもない。気狂いや、てんかんで死ん
だ祖先を拝むから、ろくなことにならない。末法の御本仏日蓮大聖人さまだ、そのお生命が御本尊
さまだから、御本尊さまを拝まなければいけない」
班長さんから教えて貰った感応妙というやつを、一発やったら、相手から、
「うちの先祖には、てんかんや気狂いはいない。学会員はみんな先袓に気狂いやてんかんを持って
いるから、だから得体の知れない紙きれを拝むんだろう」
と、逆襲された。折伏は難かしい。
────────────────◇────────────(引用ここまで、つづく)
◆座談会と折伏
 今回も懐かしいですねぇ‥‥恥ずかしいですねぇ‥‥
 御本尊様は〝幸福製造機〟、その電源コードをコンセントに接続‥これは、池田でなくて戸田二代会長の表現でしたね。この〝幸福製造機〟昭和40年代まで盛んに使われていましたねぇ‥当時は〝ドラエモン〟の漫画なかったはずですねぇ‥御本尊様が何故〝幸福製造機〟なのか??‥、その証拠はあるのか??‥その視点がないのですねぇ‥疑わないというのは、愚かですねぇ‥しかし、幸せでしたんですねぇ‥〝ドラエモン〟の〝のびた〟のように‥‥。

 私自身は、折伏の成果―御本尊送り(下附願の紹介者)には、一件もなっていません。折伏(座談会の出席者や、職場・地方折伏、母等の親族)はしたが‥他人への功徳・罰の責任を自分が負うかも知れない‥その怖さですかねぇ‥
〝疑わざるを信というなり〟‥あれだけ〝はまっていた〟ときでも‥心底に疑いがあった‥のですかねぇ‥

〝心は、コロコロ変わる〟から心という‥これは、小学六年卒業のとき、学級担任の言葉でした。
名前は〝ど忘れ〟していますが、イケメンの面影が浮かびます。
 昔から人は勿論、学問・教育・音楽・絵画・芝居‥なんでも、その思いは〝コロコロ変わる〟ん
ですねぇ‥

(誤字・脱字、文法無視、パクリ・援用・重複・勝手編集も‥笑って♪♪‥許して♪♪‥)



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これが創価学会だ-5

2014-03-28 10:00:25 | Weblog
○これが創価学会だ…元幹部たちの告白…植村左内…あやみ出版社…S45.2.10(1970)
────────────◇───────────◇────────(以下、援用)
◆組長任命
 中村君が創価学会に入信してから、半年になる。これまでに、個人折伏を七世帯やったというか
ら、中村君も一流闘士の仲間入りをしたわけだ。普通は、たとえ一世帯でも折伏すると、組長に任
命される。七世帯も折伏してから組長というのは、例外中の例外だ。昔ならいざ知らず、最近の折
伏は難かしくなってきている。簡単に創価学会に入信するような、大衆の底辺層は、ほとんど折伏
しつくしている。それだけに、半年間で七世帯という折伏成果は、珠玉にも等しい成果だ。
 中村君は、とくに本部長に面接して、本部長から創価学会幹部としての心構えを指導され、はげ
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まされた。普通は、支部長、あるいは総支部長に面接することになつているから、中村君の場合は、
これまた例外中の例外といえる。しかも中村君は、恒例の八月、折伏の月における総支部決起大会
の席上で、折伏体験を発表し、学会員たちの嵐のような拍手の中で、組長任命を受けた。
 自らの手で折伏した七世帯十二人の組員とともに、中村君は果敢な闘争を展開し、この月に二世
帯の成果をあげている。折伏もする代りに中村君は、人一倍題目もあげていた。朝晩の勤行の後で
は、かならず線香三本の題目をあげ切った。三本の線香が、つぎつぎと完全にともり切るまでの時
間は短かいものではない。これを毎日、確実に実行するということには、よほどの意志を必要とす
る。
 中村君はこの習慣を、たとえ一日たりともくづすことはなかった。時には一万べんの題目もあげ
た。これまでの半年の間に、中村君は自分自らの宿業の深さを、創価学会の組織活動の中からしみ
じみと学びとつていたからだ。『福として来たらざるなく、祈りとして叶わざるなく、理として顕
われざるなき御本尊さま』であったとしても、自ら持って生まれた宿業は、やはり受けなければな
らない。悪い宿種を一日も早く出し切って、成仏の境涯にはいるためには、それだけ強盛な信心を
しなければならない。
 創価学会に入信したということは、どぶ泥のびっしりつまったビニールホースを、水道の蛇ロに
つないだことと同じだ。水道のコックをひねり、清水をビニールホースに流し込むことが信心で、
ちょろちょろと水を流すか、激しく水を流すかは、信心の度合による。早く成仏するためには、そ
────────────────改頁────── 36
れだけ激しく水を流さなければならない。つまり、人一倍強盛な信心をしなければならないことに
なる。
 信心すればするほどに、いろいろの面で悪いことが起こるのは、その信心の結果、悪い宿種が出
てきた証拠だ。だから、この信心をして生活が苦しくなつたとか、会社を馘になったとか、病気が
重くなったとか、悪いことが起これば起こるほど、それはよろこばしいことといえる。大悪起これ
ば大善来たるといって、悪いことは、良くなることの前提でもあるからだ。
 また創価学会の信心には、「転重軽受」あるいは「変毒為薬」という不思議がある。自らの宿
業は、これを必ず受けなけれぱならないのだが、会長池田先生の御指導どおりに、創価学会の組織
について、時に叶った信心をしていけば、重く受けるはずの宿業を軽く済ませていくことができる。
しかも、そうした状態が、逆に有益な結果を生むこともある。
 ある曰の信心指導で、中村君はこんな話を聞いた。
 山形県に井上という学会員がいた」この人は啞だったが、素直に御本尊さまを信じて、いつも班
長につき切って学会活動をしていた。聖教新聞の配達もしていた。聖教新聞は、会長池田先生か
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ら学会員につかわされたお手紙だ。だから配達するだけでも功徳がある。末法は創価学会仏だ。また、末法の御本仏日蓮大聖人さまを現代に約せば、会長池田先生ということになる。だから、聖教新聞を配達するだけで功徳があって当りまえだ。
ある日井上さんが、ふとしたもののはずみで自動車にひかれてしまった。全身打撲で瀕死の重傷
を負ったが、不思議と生命だけは取りとめた。本当なら、この時井上さんは死んでいたはずだ。井
上さんは自動車事故で死ぬという宿業を持って生まれ、創価学会の信心を素直にしてきたから、死
ぬべきはずの生命を取りとめた。
 その上、自動車事故のショックのため、啞がなおってロがきけるようになった。重きを軽く受け
毒を薬に変じたわけだ。こうしたことをきかされればきかされるほど、中村君は夢中で学会活動に
挺身した。家へ帰るのは、毎日夜半過ぎの一時二時だった。だから、会社の出勤時間に遅れたこと
もあるし、時に無断で欠勤したこともある。
 仕事では、金が儲かっても成仏できない。成仏できるのは、創価学会の信心だけだと教えられて
いた。仏法は、世法や国法に数段勝っている。世法や国法を無視しても、創価学会の指導を優先さ
せるのが、末法の信心だ。
 しかし、創価学会の指導どおりに、素直に信心していると、家庭が犧牲になり、社会的にも、と
かく批判の的になりがちのことが多い。どれほど信じていようとも、しょせんは凡夫の悲しさ、こ
ういう時は、時に信心を疑いたくもなる。
────────────────改頁────── 38
 だからといって、いささかでも御本尊さまを疑い、創価学会を疑うことは、これは大変である。
成仏のために、せっかく毎曰積みあげて来た福運が、一べんで消えて、もとのもくあみに帰ってし
まう。福運が切れてしまうだけではなく、創価学会を疑ったり、批判したりすると、御本尊さまの
厳罰がたちどころに下だされる。
御本尊さまの右の御肩に、「若悩乱者頭破七分(もしのうらんするものあらばこうべしちぶにやぶる)」
左の御肩は「有供養福過十号(くようするあらんものはふくじゅうごうにすぐ)」とあるように、罰と功
徳は仏勅で、日夜読誦したてまつる題目のなかに、御本仏日蓮大聖人がこの二大原則を大声叱せ
られている。(折伏教典222頁)
 功徳が大きいからこそ、厳罰が明らかなのは当り前だ。こうして中村君は、脇目もふらずに学会
活動に励んだ。しかし、今に良くなる、今に良くなる、きっと成仏すると、そう信じて夢中で学会
活動してきた中村君は、親譲りの家屋敷も売り払い、職も転々として、六畳一間の裏長屋に住まざ
るをえないようになるのである。
────────────────◇────────────(引用ここまで、つづく)
◆分隊長任命
今回も懐かしいですねエ‥恥ずかしいですねエ‥中村君は〝組長〟ですか?‥
組長・組担は壮年部・婦人部なので‥‥青年部の男子部には所属しなかったのですかね‥
当時の青年部・男子部は‥部隊長―隊長―班長―分隊長(私、数名の部員を担当)でした。
担当部員への‥会合の連絡、連れだし、信心指導、友人・知人の折伏等々‥の毎日。

創価学会はやたら数多くの組織をつくり、役職をつくる。73の私のカミさん婦人部の〝グループ長〟
に任命されて、元気イッパイ‥‥夫の私、家出しても〝池田センセー〟を選ぶと気にしない。
数年前、各県所属の副会長を一人配置が原則から、一挙に1000人余にしたらしい。
アメとムチ・池田のピンハネ要員である。理事とか庶務と会長・副会長は〝会員の寄付金〟からの
分配金(給料)である。内部情報かな‥副会長は、基本給が1000万円らしく、池田ピンはねのダンマリ料
がボーナスらしい。問題は、〝会員の寄付金〟〝接遇所〟〝正月等お祝い金〟等の総額が不明なことである。
国税庁に、麻生大臣・菅官房に安倍総理も知らない。自民100人余の議員が危ない。

勿論、私のカミサン‥給料はなし、〝池田センセー〟〝成仏・功徳・一家和楽・広宣流布〟で感動!!
‥‥上位のしらゆり長・地区担さんも‥一緒なのよ‥‥

※ 線香三本のお題目‥‥多分1時間でしたね‥‥
※ 福として来たらざるなく、祈りとして叶わざるなく、理として顕われざるなき‥‥
※ 泥のびっしりつまったビニールホース
※ 大悪起これば大善来たる
※ 若悩乱者頭破七分・有供養福過十号
※「転重軽受」あるいは「変毒為薬」
※ 聖教新聞は、会長池田先生からのお手紙だ。末法は創価学会仏だ。
※ 仕事では、金が儲かっても成仏できない。
これを毎日部員にしゃべっていると‥段々とその気になるんですねぇ‥確信になるん
ですねぇ‥他にも沢山ありましたねぇ‥〝四箇の格言〟〝三障四魔〟〝声仏事をなす〟等々。

懐かしく‥恥ずかしいですねエ‥今の創価学会はどうなんでしょう。私のカミさん‥
センセーの博士号はスゴイ‥ゴルバチョフと対談‥とか‥世界で尊敬されているとか‥‥、
戦争反対に・福祉国家・一家和楽もありましたか??‥

(誤字・脱字、文法無視、パクリ・援用・重複・勝手編集も‥笑って♪♪‥許して♪♪‥)




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これが創価学会だ-4

2014-03-26 06:49:51 | Weblog
○これが創価学会だ…元幹部たちの告白…植村左内…あやみ出版社…S45.2.10(1970)
────────────◇───────────◇────────(以下、援用)
◆組織に付いた信心
────────────────改頁────── 32
 本尊送り(祀り込み)もすんで、中村君は名実ともに学会員になった。聖教新聞(日刊、月決
め講読料三百五十円)や大白蓮華(月刊誌、五十円)もとることにした。
 創価学会では、一股の仏教団休のように、仏前に花を供えない。先祖供養もしない。花はすぐに
色あせて散り落ちるから、水持ちの良いシキミを供える。これは生命力の強さをあらわすとともに、
シキミが日本で唯一の香木だからだと、先輩の藤田組長が教えてくれた。
 シキミの水持ちが良いというのは、どうやら眉唾らしい。一週間も経たないうちに、中村君の戒
檀の中は、散り落ちたシキミの葉でいっぱいになってしまった。真夏の暑さのせいも手伝ってそう
なったのかも知れないが、藤田組長は中村君の題目が足らないからだといった。題目を数多くあげ
ればシキミは何時までも緑々としているという。
 それにしては、毎日三時間ずつ題目をあげているという藤田組長のシキミも、やはり散りかけて
いたが、中村君にはそこのところが呑み込めなかった。シキミは、夏にはたしかにもちが悪い。し
かし、題目があがっていれば長くもっといわれたら、現実がどうあろうとも、長くもつのだと信じ
るのが信心だという。それを素直に信じられないのは、中村君が組織に付いていないからだという。
藤田組長は中村君が座談会に出席するよう奨めた。
 創価学会の組織に付いて、会長池田先生との歯車がぴたりと嚙み合った信心をしなければ、功徳
がでてこないそうだ。座談会は、創価学会の組織のそれぞれの単位に応じて、組座談会、班座談会、
地区座談会がある。また、横線組織のブロック座談会、大ブロック座談会がある。
────────────────改頁────── 33
 縦線組織は折伏の系列で、横線組織は住居の系列だ。縦線の学会活動は、折伏、登山、教学など
で、横線の学会活動は、選挙闘争が主体になっている。横線の選挙闘争を創価学会では、文化闘争
と呼んでいる。
 はじめて地区座談会に出席した時、中村君は、その元気の良いのに驚かされた。四十過ぎのおば
さんが、白扇片手に股をひろげて仁王立ちになり、「さあ、みんな元気良く!!」と学会歌の指揮を
とっていた。身振りをまじえて白扇を振りあげ振りおろし、「それ」「はい」「もっと元気良く」
と掛け声をかけながら、指揮をとる姿に、中村君はすっかり圧倒されてしまった。
『ものすげえ!!』これが中村君のいつわりない感じだった。あとで判ったことだが、このおばさん
は、鈴木班担さん(班担当員、班長を補佐し女性にかぎる)だった。
 地区座談会に参集した三十人ほどの学会員たちが、手拍子を打ちながら斉唱する学会歌の雄壮な
メロディーは、中村君に不思議な闘志を湧きたたせた。一種の熱気にも似たムードが、会場を圧し
て、何時の間にか中村君も、知らず知らずのうちに手拍子を打っていた。
 学会歌が終わったあとで、中村君は地区部長から体験発表をするように指名され、いささかあわ
てた。体験発表といわれても、入信間もない中村君が、信仰体験など持っているはずがない。
「なんでも良いのよ、わからなくとも、ただ御本尊さまは有難い、それだけでも良いから一言話し
なさい。こうして座談会の会場で、休験発表できるということは、それだけでも功徳なのよ」
 地区担さん(地区担当、地区部長を補佐し、女性に限る)が、そうロ添えしてくれた〝中村君は、
────────────────改頁────── 34
なにも判らぬままに「御本尊さまは有難いと思います。一生懸命で信心します」ただそれだけをぶ
っきら棒にしゃべった。おかしなもので、それだけのことをしゃべつたというだけで、『御本尊さ
まは有難いんだ。一生懸命信心しよう』と、本気で中村君はそんなことを考えはじめていた。一種
の自己暗示かも知れない。
 中村君に続いて、何人かの人たちが体験発表をしたあと、班長やら班担やら地区部長やらの幹部
がこもごも立って、折伏の大切なこと、登山(大石寺参詣)に進んで参加しなければならないことな
ど、学会の信心のあり方を教えてくれた。なるほど、組織につくということは、知らず知らずのう
ちに、何時の間にか信心のぺースの中に引き込まれてしまう。これなら、どんなことでも信じてい
ける。『これからは進んで座談会に出席しょう』中村君は、いつの間にか、そう心に决めていた。
────────────────◇────────────(引用ここまで、つづく)
◆自己催眠!!
懐かしいですねぇ‥恥ずかしいですねぇ‥
〝自己陶酔〟〝自己催眠〟‥すり込み‥マインドコントロール‥自分ではきずかない。

最初は、折伏の関係から縦線の座談会‥‥支部・地区・班・組でしたね。
多分、班座談会で‥三十人ほどの学会員たちが、手拍子を打ちながら斉唱する学会歌の雄壮な
メロディー〝日本男子と生まれきて♪♪‥戦の庭にたつからは♪♪‥〟は、感動でしたね‥
おばちゃん‥股開いて、扇子広げ‥左腰に手‥左、肩上から右足下へ‥振り下ろす。次いで、
右肩上から左足下へ‥‥おばちゃまは、多分入信=入会の新しい〝組担〟であったと思います。
座談会の最後は、未来を意味し‥男子部の‥多分入信=入会の新しい〝分隊長〟であったと思います。

半年位して、住所の近くで‥ブロック組織のあることを知りました。当時は〝公明政治連盟〟で、
仏法を修行した立派な人材を〝参議院〟に送るための活動でした。
今は、このブロック組織だけですか??‥多分、前記はなしですか??‥

中村君の体験発表‥なにも判らぬままに「御本尊さまは有難いと思います。一生懸命で信心します」
ただそれだけをぶっきら棒にしゃべった。おかしなもので、それだけのことをしゃべったというだけで、『御本尊さまは有難いんだ。一生懸命信心しよう』と、本気で中村君はそんなことを考えはじめていた。一種の自己暗示かも知れない。

結婚、車の購入、家の購入・新築など、人生の節目・大事のとき‥‥終わったことは
〝自分の決定を肯定しないと自分が救われない〟‥‥自己保身の落とし穴‥創価学会は天才だ‥
‥‥やたら、多くの役職をつくり‥大勢の前で‥御書拝読・決意発表、体験発表、地区部長指導・
事務連絡、学会歌の指揮等々‥功徳は〝ご本尊様〟からもらえ!?‥‥(幹部職員は給料)‥‥
この、〝自己催眠〟‥すり込み‥マインドコントロール‥‥これが、数年続きましたね‥‥

(誤字・脱字、文法無視、パクリ・援用・重複・勝手編集も‥笑って♪♪‥許して♪♪‥)

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これが創価学会だ-3

2014-03-22 10:32:29 | Weblog
○これが創価学会だ…元幹部たちの告白…植村左内…あやみ出版社…S45.2.10(1970)
────────────◇───────────◇────────(以下、援用)
◆御授戒
 中村君は複雑な気持で、日蓮正宗の寺院への道をいそいでいた。折伏のときの学会員たちがつき
そっている。
 創価学会は、それ自身も宗教団体だが、世界で唯一の正しい宗教である日蓮正宗の護持団体であ
り、入信するときは、日蓮正宗の寺院で御授戒という儀式をうけなければならないという。
 入信するときに書かされた〝御本尊御下附願〟に手数料三百円(現在は五百円)を添えて受け付け
に差し出した。手数料をむき出しで差出しさないように、半紙を四つ切りにして、〝御本尊下附〟
と紫色のゴムスタンプを押されたものが手際よく用意されている。
 百三十円で珠数と経本を買わされる〝折伏されたとき「創価学会は一銭のお金もかからない」と
いわれたことを思い出し、「話が違うじやないか」というと、「確かに学会は一銭のお金もいらな
い。ここは正宗の寺院じやないか。間違えるナ」とたしなめられた。
 本堂にはいった中村君は驚いてしまった。〝黒光りのする大きな木に〝南無妙法蓮華経〟と金文字
────────────────改頁────── 30
を彫り込んだものが、正面にでんとすえられている。これが御本尊さまだという。本堂の中は、
〝御授戒〟を待つ人たちが多勢いて「なんみようほうれんげきょう」と大声をあげている。これが
〝題目〟というものだと知らされた。
 やがて、薄ねずみ色の衣を着た日蓮正宗の僧侶がはいってきて、本尊の前に正座する。堂内は水
をうったように静まりかえり、鐘の音が響きわたるとともに、題目を三唱、つづいて学会員たちも
一緒に得体の知れない声を出しはじめた 
 法華経の「方便品第二」と「如来寿量品第十六」というお経をあげているのだそうだが、中村君
にはその意味がさっぱり判らない。あとで学会員たちに聞いてみたが、誰もわからないという。わ
からなくとも、声仏事をなすといって、読みさえすればよいのだそうだ。
 長い読経が終ると、また題目を三唱して、今日入信した人たちだけが最前列に並ばされた。いよ
いよ僧侶から戒を授けられるのだ。僧侶は金糸の袱紗につつまれたものを入信者の一人一人の頭の
上にかざす。袱紗のなかにはやはり、御本尊がはいっているのだという。
「爾前迹門の邪法を捨てて、正法正旨の正義を護持し奉るや否や」
 と、袱紗づつみを頭にかざしながら僧侶がいうと、うしろのほうにいる、つきそいの学会員たち
が、一斉に「護持し奉るべし」と叫ぶ。中村君たちは、ひとことも口を開かないで何だかわからな
いものを「護持し奉る」ことになつてしまったらしい。つづいて題目三唱。
 つぎに、中村君たちは、〝御本尊御下附願〟の控を経本の間にはさみ込み、しきみの葉を口にく
────────────────改頁────── 31
学会員が各家庭でおがむ お形木本尊〝(左は新しいもの)───写真───ご本尊───2体
────────────────改頁────── 31
わえた僧侶から〝お形木本尊〟をその上に乗せてもらう。お形木本尊は、富士大石寺の大御本尊さ
まの分身だそうだ。これを拝めば,どんな願いも叶えられるので、別名を「幸福製造機」というの
だそうだが、中村君にはどうもピンとこなかつた。
 こうして〝御授戒〟が終り、つぎつぎに学会員が生まれて行く。寺院の近くには、仏具屋が軒を
ならベている。中村君はその中の一軒で、〝戒壇〟と呼ぶ仏壇やら、鈴やらの一式をそろえたが、
千七百円ほどだった。戒壇だけでも数百万円もするのがあるというのだが、いったいどんなお金持
ちが買うのかと、中村君は思いながら家に帰った。
────────────────◇────────────(引用ここまで、つづく)
◆御本尊について
懐かしいですねぇ‥一斉に「護持し奉るべし」と叫ぶ‥。実は、ブログでこの書の紹介発端が今回の〝ご授戒〟でした。
昔の創価学会への入会は、即、日蓮正宗へ入信となりました。その儀式が日蓮正宗の末寺に出向いて、紹介者の指導を得ながらの〝ご授戒と御本尊〟の授与です。キリスト教でのそれは、教会で牧師による゛洗礼〟と呼称されているものと同じだと思います。

私の場合、大阪の〝S寺〟で帰りに受領した〝御本尊様〟は、日宣猊下(江戸時代の日蓮正宗44世)のものを代書?し、昭和34年当時の日昇猊下が丑寅勤行で)入仏・開眼したものでした。

肝心要のこの〝御本尊〟‥今の創価学会は、日寛猊下(日蓮正宗-26世・栃木県・浄圓寺)ものをコピーし変造、どこで・座談会等でどんな儀式で授与しているのですかね??‥誰が入仏・開眼したものですかね??‥日蓮正宗から破門された創価学会が、(日蓮正宗の猊下であった)日寛猊下の〝御本尊〟は(日蓮正宗から栃木県・浄圓寺は離脱)‥へ理屈・詭弁・すり替えに池田狂‥本尊はどれも一緒?‥己心の本尊?

面白いですねぇ‥私の創価学会からの脱退は、昭和52年に発覚した‥池田の〝ニセ御本尊八体〟が真打ちでした。その前後からありましたが、創価学会員数人からの罵詈雑言、私の親族・友人・知人・旧・職場への懺悔悔悟。
ほぼ、40年経過の今日も完全な解決は有りません。私のカミさんが最近〝グループ長〟になったことも大きいです。カミさんと別居して一年。超シルバー世代の離婚です。‥元気ある(^_^)‥
ここで、ヘタな狂歌を一句‥‥
  一家和楽 池田に染まる バカ婦 夫家出し (池田)アンチのブログ
 
(誤字・脱字、文法無視、パクリ・援用・重複・勝手編集も‥笑って♪♪‥許して♪♪‥)


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これが創価学会だ-2

2014-03-20 09:37:04 | Weblog
○これが創価学会だ…元幹部たちの告白…植村左内…あやみ出版社…S45(1970)‥より
───────────────◇─────────◇────────────
プロローグ
中村君の〝人間革命〟(1)
◆一粒の砂
千葉県勝浦海岸は、昔は墨名から川島にかけて、広い白い砂浜だった。築堤工事の関係で、水位
が上がったのか、今は昔の面影を留めないほど、砂浜は狭く、波打ぎわが迫っている。
 中村君は、そうした勝浦の、白い砂浜が好きだった。砂浜には色とりどりの貝殼が波に打ちあげ
られて、その一つ一つが、あどけなく散らばっていた。
 貝殼のまわりには、砂の一粒一粒が、キラキラと光り輝いて美しかった。波打ぎわからせり出た
岩礁には、磯のりが水にゆらいで静かな春を漂わせていた。
 春休みになると、きまって中村君は勝浦を訪れた。春の海には詩があった。限りなく広がるうね
りの中に青春があった。
 中村君はO市の旧家の一人息子として、自由気ままに育てられ、近隣の人たちからは『若さま』
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と呼ばれていた。なんでもが、自分の思いどおりにならないことはなかった。だから、中村君がF
大で映画芸術を専攻するようになった時、中村君は父親にねだって、勝浦に小さな別荘をつくって
もらつた。
 幼い頃から、人を疑うことを知らずに育てられた中村君は、またそれだけに人一倍義俠心も強か
った。学友の誰でもが、困ったことが起こると、必ず中村君に相談した。どんな問題にでも、中村
君は利害を超えて打ち当つていつた。
 経済的に困っている学友には、惜し気なく求める物を与え、どんなことを頼まれても、決してい
やといわなかった。中村君はだから無類のお人好しだったともいえる。義俠心が強くお人好し、こ
うした中村君の性格は、『パラダイス』という、彼のニックネームの中にいいつくされている。よ
くいえば天真爛漫ということだろうか。それだけにまた、中村君は人一倍多感な青年だった。
 中村君が京子を知ったのは、勝浦海岸を一望できる、遠見岬神社の境内だった。
切り立つ丘の上の境内から見下ろす、海の夕映えは、時間帯から中村君を切り離して、無限の思
索に沈ませた。そんな自分を、中村君は好きだった。
 そうした思索の中から中村君が、何気なく視線をめぐらせて、石の鳥居を見た時、その鳥居に大
きな瘤ができていた。夕暮れの中で、中村君はたしかに瘤だと思った。
 その瘤は蠢めきながらすすり泣いていた。白っぽい和服を着た京子だった。
 母親が病気で、医者に見せたくとも経済的な事情が許さないこと。そのため、遠見岬神社に母親
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の病気平癒を祈願に来たが、親類縁者もない現在の境遇を考えて、急に悲しくなつてしまったこと。そうしたことを、ぽつぽつ語る京子は、浜の娘らしい香りと素朴さにつつまれていた。三年前、京
子が十五の時に父親を亡くし、今は母親と二人暮らしだという。
 中村君は京子を連れて、さっそく土地の医者を訪れた。〈自分が金を払っても良い〉そう考えて
いた。しかし、思いのほか医者は親切だった。
 「なにをいうか、ばかたれ。病人をなおすのが医者の勤めじや。金の問盟は二のつぎだ」
医者はさっそく京子の母親を往診し、
「場合によっては医療保護の手続きをとるから、心配しなさんな」
と、京子を励ましてくれた。
 中村君が、二度目に京子に会ったのは、中村君が岩礁の上に裸足であがり、磯のりをむしり採っ
ていた時だった。磯のりを入れた味噌汁を、中村君は大好きだったから、砂浜を散歩した折に、気
がむくと磯のりをむしり採った。
この時京子は、浜の女が仕事着として使っている、つつ袖の胴着を着ていた。中村君は、京子を
美しいと思った。その肢体から若さがあふれでていた。湧き出る京子の若さのため、がんじがらめ
にされたようなとまどいを中村君は感じた。中村君は率直に、これが恋だと思った。
 「母親の病気は、経過が大変良い」と、京子は何度も中村君に感謝の言葉を繰り返した。
 磯のりは、手でむしっても、上手に採れないから、適当な貝殼でかき採ったほうが採りやすいと、
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京子は部厚い蛤の貝殼で器用に磯のりをかき採ってみせた。
「あれえ、おもしれえ(面白い)貝があった」
 京子の奇声に、中村君が馳け寄ると、岩礁の間に不思議な形をした卷貝がはさまっているのを見
つけた。
「まるで観音さまみたい……」
 そういって京子は、くすくす笑った。観音さまとはシラミのことだそうだが、そういえばこの卷
貝は、シラミを大きくしたような形をしていた。振るとカラコロと乾いた音がした。
 京子は観音さまの卷貝を拾って、中村君に手渡した。
 この日から、中村君と京子の素朴な交際がはじまった。春休みだけではなく、許す限りの休日を
中村君は勝浦で過ごすようになった。
 遠見岬神社に隣接した本行寺という寺に、勝浦城主を祖先とする、古式床しい武家の墓のあるこ
とも知った。出水に乳銀杏という、めずらしい銀杏の古木のあることも知った。
 勝浦灯台へも、何回か行った。京子の母親も、中村君をこころよく迎えいれてくれた。
 こうして、「観音さまの卷貝」を見つけてから、ちょうど二年目の春のことだった。中村君と海
岸を散索する京子の様子が、何時になくしんみりとしていて、顔色が冴えなかった。中村君が、い
くら訊ねても、容易に京子は理由をいおうとしなかった。気まずい時間が二人の間を流れ去って、
春の日射しが遠い水平線の彼方に没しょうとしていた。
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 やがて、砂浜に腰をおろした京子がぽつんといった。
 「おれ、もう中村さんに会えなくなる」
 中村君は、京子がどうしてそんなことをいうのかわからなかった。京子は、手で砂を掬い取って、
さらさらとこぼしながら、京子が家を継ぐために、婿とりをしなければならないこと。そのお婿さ
んが決って、今年の秋には祝言することになつたことを、泣きながら一気にしゃべった。
 中村君は、これですべてが終ってしまったと感じた。どうにもならないと思った。泣きながらし
やべる京子は、無意識に砂をすくってはこぼしつづけた。
 夕陽にほんのりと赤く染められた砂の粒が京子のひざの上に落ちる、その一粒一粒の中に、中村
君の青春が消え去り、埋められて行くような寂しさを、彼はただ黙ってかみしめていた。
◆学会員誕生
 それから一年の月日が流れた。どうやら無事に大学を卒業した中村君は、東京に出て、日の丸商
事の営業部に就職した。
大都会の渦の中に、ただ一人で放り出された中村君は、孤独だった。何不自由なく、わがままい
つぱいに育てられた中村君にとって、サラリーマン一年生の単調な毎日は、地獄の中のようなつら
い日々だった。
 そんな彼のただ一つの慰めは、彼の青春の思い出を秘めた「観音さまの卷貝」だった。上役に叱
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らおたとき、仕事が思うようにはかどらないとき、苦しいにつけ、悲しいにつけ、彼はそっと、そ
の不思議な形をした巻貝をとり出し、それをなでまわしては京子との思い出にふけるのだつた。
 この貝殼を拾ったとき「観音さまみたい」といった京子の言葉、その言葉は、彼の心の中でいつ
までも生きつづけていた。
 彼にとって、その貝殼は、京子の分身のようなものだった。京子との悲しい恋の思い出は、時間
がたつにつれて美しい思い出に変って行く。こうした波が、きびしい現実からの唯一つの逃避の場
として、貝殼を通しての京子との思い出にふけっているうちに、その貝殼の存在価値は、彼の内郃
で大きな変化をもたらしはじめていた。それは「観音さまみたいな貝殼」から、ひとつの信仰対象
としての「観音さま」への変化だった。
 この貝殼のすべすべした肌を撫でながら、顧いをかけると、どんな顧いでもきっと叶えられるー
─中村君はこう信じるようになったのだ。そう信じることによって、彼は急激な環境の変化の中で
自分を納得させ、孤独をまぎらわしていたのかも知れない。
 長い間、彼はそれを、彼一人だけの秘密にしていたが、やがて孤独にたえられなくなったのか、
誰かれとなく、自分の持っている貝殼の肌を撫でながら顏いごとを頼むと、どんな顧いでも叶えら
れる──と吹聴するようになった。こうなると中村君は、もう立派な「貝殼教」の信者といっても
よい。わたしも、中村君に一、二度、その貝殼を見せてもらったことがあるが、彼がよほど撫でま
わしたらしく、手垢で黒光りしていた。
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 だが、中村君の「貝殼教」信者の時代は、そう長くはつづかなかった。夢多き青春のロマンを、
そっと自分の胸だけに秘めておれば良かったのに、誰かれとなく吹聴して歩くものだから、「誰か
良い折伏相手はいないものか」と探し歩いていた創価学会の信者たちの間に、中村君は「良い獲
物」として伝わって行った。
 あるむし暑い夏の夜、中村君のアパートを「貝殼を見せて下さい」といって訪れてきた、見も知
らない三人の創価学会員により、中村君は折伏をうけた。
 彼らは、エネルギッシュに夜中の午前二時ごろまで六時問も喋りまくり、今まで中村君が聞いた
こともない難かしい仏教用語を使って、これでもか、これでもか、とせめまくった。中村君の頭の
中はすつかり混乱してしまった。
 三人の学会員は、それぞれ映画俳優か新劇の俳優のような役割りをもっているように中村君には
思えた。一人は、中村君の貝殼をさんざんにけなして、
「〝鰯の頭も信心から〟というのは、あれは嘘だ。あんたの貝殼は鰯と同じだよ。宗教の肝要は、
なんといつても信仰対象だからネ。今の時は末法といって、日蓮大聖人さまの南無妙法蓮華経の題
目でなけれゃあ、なんの力もない。この正しい南無妙法蓮華経を唱えているのは、創価学会ただ一
つだけだ。だから世界で正しい宗教は、わが創価学会だけ、他はみんな邪教だ!」
 と頭ごなしにどなった。中村君は《信仰というのは、個人の心の奧の奧のもので、信仰対象は何
でもよいから、自分の信じたいものを信じていればよい。他人にとやかくいわれる筋合いのもので
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はない。また、こちらもいうべきものでもない》と考えていたので、「創価学会以外は んな牙教
だ」といわれて驚いてしまった。
《いったい信仰とは何なのだろう。宗教とはなんだろう》という疑問がふっと頭の片隅に湧いた。
すると中村君のその疑問をみすかしたように、中年の女の学会員が猫撫で声でやさしく話かけてき
た。
「宗教とはいったい何でしようか。世間の人が宗教だと思って信じているのは、あれは宗教という
名の企業なんですよ。宗教でほんとうに人が救えるのなら、なにも学校や幼稚園を経営することは
ないじやないですか。そうでしょう。創価学会では会長池田先生はじめ、全学会員が一銭の給料も
もらわずに、皆さんを幸福にするために働いているんですよ。邪宗と違って、一銭のお金もかから
ないんですからネ。会費も何もとらないんですよ」
「まあ、こんなことをいつたって、あなたにはわからないでしょうがネ。だから、まず信じること
です。信じて、結果のでるのが正しい宗教、正法です。末法の正法は創価学会だけです。かならず
功徳がでますよ」
 もう一人の若い男は、自信にみちた態度で、
「信じるということは大変なことだ。まして、宗教を信じることは難かしい。信じる対象への媒体
がなにも無い。信じることは、無媒体の認識ということだ」
 とわけのわからない哲学めいた言葉を吐いたあと、
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「何人にもせよ、まったく未知の霊性の世界に一足とびで飛び込めること自体、むしろ奇蹟に近い
ことではないだろうか。だからこそ、宗教では、いろいろの段階における修行が、信じるためにも
行なわれている。ところが、創価学会はそうではない〝ただ、信じさえすれば、それだけで、修行
もなにもしないで良いのだしこんなすばらしい仏法はほかに絶対にない」
といった〝それからの三人は、異口同音に、信じることの必要性を説き、中村君に創価学会への
入信(創価学会では入会のことを入信と呼び、脱会のことを退転と呼ぶ)を強要した。
一人は高圧的に、一人は、中村君の疑問を見すかしたような初歩的な宗教の話をやさしく、一人
は、わけのわからない仏教用語を使って……。
そして、長時間にわたる折伏に、中村君の頭がすっかりおかしくなつた頃、
「最初から理解しろといっても、これは無理なことです。わたしたちだって、なにもわかってはい
ないんだから。ただ学会で指導されたとおりを素直に信じれば良いんです。会長池田先生の指導ど
おりに、先生が折伏といわれたら折伏をやる。文化闘争(選挙運動のこと)といわれたら、なにも考
えずに文化闘争をやれば良い。どだい、われわれ凡夫に、この一大深秘の法が理解できるはずがな
い。だから、学会を信じて、いわれたとおりに信心すれば、限りなく功徳が貰えるんです」
 中村君は《ただ、信じさえすればよい。功徳がもらえるなんて、宗教とはそんなに都合のよいも
のか》と思った。彼らはつづけていう。
「あなたがどんなに努力しても、学会に入信しないなら、必ず目的が達成できるという保証はどこ
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にもない。いまのあなたは、大海のまっただ中に、エンジンも舵もない小船で漂っているようなも
のだ。あなたがいかに必死に努力をしてみても、あなたの小船は目的に向かって走ってはいない。
知らない間に、とんでもないところに流されているのだ。それはお宗教の害毒のためだ。いっさい
の不幸の根源が邪宗教の害毒である、ということが、創価学会にはいればわかる。あなたが目的を
逢成できる保証は、これ以外にはない。創価学会に入信して、世界最高の大御本尊さまを受持する
ということ(信仰を保ちつづけること)、それが、舵のない小船に舵をつけ、エンジンのない小船に原
子力エンジンをつけることと同じことなのだ。どこへでも、目的に向かって面白いように船を走ら
せることができる。とにかく、中村さんもやってみょうじやないか」
 中村君は、こんなうまい話なら、乗ってみるのも悪くはない、と思った。しかし、あまりにも話
がうますぎるので、しばらく考えさせてくれといってみた。すると、今までやさしく話かけていた
学会員までも、はげしい口調で、
「もし、今すぐ入信しないと、あなたは一週間後に罰があたって、交通事故で頭を割って死ぬ」
「いや、三日以内に頭が七つに割れて死んでしまう。間違いない」
 といって強迫した〝中村君は、急に不安をおぼえた。《〝観音さまの卷貝〟だって願いごとが叶
うんだから、信じるだけで、なんでも思うとおりになるという、創価学会の本尊なら、ほんとうに
罰があたるかもしれない。だまされたと思ってはいってみるか》
 こうして、中村君は、ついに折伏をされた。すると彼らは、「謗法払いだ!!」と叫んで、中村君
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が大切にしていた貝殼をこなごなに砕いてしまい、風呂釜の中で燃してしまった。風呂釜の中でパ
チパチとはぜる貝殻の音を聞きながら、中村君は何かうら悲しくなった。学会員たちは「ほれ、謗
法が苦しんで、パチパチと声をたてて泣いている」といってはしゃぎ、「中村さん良かったね、こ
れからは良くなる一方だよ」といった。
────────────────◇────────────(引用ここまで、つづく)
◆入信・入会でのコメント

 創価学会への入信・入会は、その殆どが紹介者による折伏から始まります。

 この書の主人公〝中村君〟は、折伏されて‥(プラトニックの)〝貝殻教〟を捨てる。

 私の生家は真言で自身は無宗教でしたが、ある日職場で〝大善・中善・小善〟の議論で折伏されました。 即ち、〝乞食に金・物をやるな〟〝中善・小善〟になるが‥働かなくなって(本人・国・社会の)〝大悪〟となる。
 私が入信=入会した昭和34年当時、鉄工業の労働組合は〝共産党〟に勢いがありました。そして創価学会は、弱者の味方・共産党が一番の好敵手でした。

 そして、近時は‥〝福祉の公明党〟〝(不法申請を含め)生活保護は公明党〟〝貧困ビジネスの公明党〟‥役所・精神科医・不動産業者・サラ金・薬転売・パチンコ等々‥弱者の味方を演じているのは、創価=公明党です。今と昔とでは、何でも180度、正反対となっています。
 
 最後の四行‥貝殻がパチパチとはじけて壊れる‥謗法が泣いている‥紹介者が(良いことしたと思って)笑っている‥中村君は茫然としている‥
 私の体験ではありませんが、この作者の体験なのでしょうか!!??‥目に浮かびますね‥。

誤字・脱字、文法無視、パクリ・援用・重複・勝手編集も‥笑って♪♪‥許して♪♪‥)

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