秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

綱敷行衛天満宮。

2010年11月13日 10時47分14秒 | 京都非観光迷所案内
全国に天神の数はほぼ1万あるといわれます。このブログでも京都市内の天神さんを数箇所
紹介せてもらっていますね。北野と吉祥院以外はこじんまりした社がほとんどです。
     
天神=菅原道真というのが一般的な認識ですが、もとはカミが鳴る、イナ・ビカリ→稲の稔
りを表す雷神を祀っていたそうです。雷神と道真の関係は前以前に書いたから今回は省略。

こちらの天神さんはえらい長い名前ですけど、それは「綱敷天満宮」と「行衛天満宮」を合祀
したため。綱敷の由来は道真が筑紫に左遷され、上陸した折に船の綱を御座としたそうです。
     
すると一夜にして総白髪となってしまったんですと。それほど悔しい思いをされた、って
ことですかな。その道真の像を画にして「一夜白髪」の御影とよび、祭ったから「綱敷天満宮」
の名がついたともいわれます。(別説もアリ)

他の地区の綱敷天満宮(神戸、九州など)の言い伝えとは若干違いがありますが、これは
京の都で起こった事件ですから、怨みツラミを絡めたほうがリアル感が出るので「一夜白髪
説」が生まれたのかもしれませんね。(いつものごとく私の勝手な解釈ですけど)

行衛は吉祥院にあった道真の屋敷から北野天満宮の南門につながる道の「西靸負(ゆきえ)
小路」に面していたことからそうよばれていたそうです。この道は北野天満宮の南門から
吉祥院天満宮に通じる道で道真はこの道を利用して吉祥院に通ったと、説明書きに記されています。

吉祥院はともかく、道真生存中に北野天満宮に通う理由があったっけ?北野に祭祀されたの
は氏が没してからずい分経てからだしなぁ。

二つの社を合体させたから、道真と無理やり結びつけたって気もするけど、なにかしらの
根拠があったのかも知れませんネ。(いつものごとく無責任なまとめですんまへん。)

由緒、地図はコチラ↓
http://www.kamimoude.org/jinjya/kyoto-city/shimogyou/si-amishi/index.html

本文とは無関係な写真↓。相方は昨日から3日間、祇園歌舞練場で催事。ゴクローさんです。

で、店はワタクシの一人営業。これまたゴクローさん。いつから休んでいないのか?って事
はもう考えないことにしたもんネ。「私の辞書には休業の文字は無い!!」