秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

京都と米軍。

2010年08月10日 08時45分09秒 | Weblog
そろそろ敗戦記念日です。(終戦記念日なんてゴマカシはいけません)。テレビのドラマ
やドキュメンタリー番組でとりあげられてようやく、ああ、そうだったんだ、って気づく
程度になってきた感があります。

今じゃ、アメリカと戦争していたことすら知らない若者がいるそうですから。ワタクシに
しても父親世代の話ですから仕方ないですよネ。

この前、ダレと話てたか忘れたけど、ワタクシたちの子供時分に新京極などの繁華街で
傷痍軍人がたってはるのを見たって話になったんですけどね。


あれはホントに見たのか映画かテレビのシーンだったのか、今では記憶が定かでない・・。
(なかには傷痍軍人のふりをして喜捨を受けていた、という人もいたそうですが)

空襲の被害がほとんどなかった京都ですから、終戦後の京都に米軍が進駐していた、という
話を聞いても今一つピンとこないけど、実際は京都にも在中していたそうです。

米軍が摂取していた建物はすべて青色のペンキで塗りたくられていたそうですが、無茶しよ
んなぁ、というかセンス悪いですよね。(理由はあるんでしょうが)

若いころ、聞いたんですけどある人は祇園の八坂神社を米軍兵たちが面白半分にジープで
上り下りしているのを見て、あんな石段を登れる車を所有している国には負けて当然だと
思ったそうです。

そんな話をしてくれる人たちもだんだん少なくなってきています。

ところで、京都のお年寄りで先の戦争といえば戊辰戦争(明治維新)のコトだ、なんて話
は「京のぶぶずけ」と同じタグイですョ。

これはおそらく司馬遼太郎先生のエッセイが、面白おかしく伝えられて伝説化したんだと
思います。

これは昨夜12時過ぎの桂川。遠くはるかで台風が発生していますけど、まだ京都では影響
はありません。けど、なんとなく川原を吹き渡る風にいささか涼しさを感じましたネ。