優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

1989年6月(次男生後6週~・我が家の語り種)

2020-07-22 10:30:03 | 日記
6月14日
 室温が30℃になった。そのせいかSUとSOが午後に3時間半も昼寝をした。二人が並んで大の字になって寝ている姿を見ると、言いようのない満足感が込み上げてくる。さぁ、この時間が家事のできる時間。おむつを洗って夕飯の支度、洗濯ものをたたんでおもちゃを片付ける。でも、二人は昼寝をし過ぎたせいで夜は遅くまで起きていたので私はぐったり。
6月15日
 お父さんは今日も風邪のため、子供たちにうつすといけないと母屋で寝た。
6月16日
 早朝救急車のサイレンの音を聞いたが、子供たちが起き出してきたのですぐに忘れていた。ところが少しして義母が慌てた様子で「お父さんが町内の朝野球で右足首を骨折して病院へ運ばれた」と言いに来た。あっ、さっきのサイレンはそれだったのか。とりあえず義両親に病院に行ってもらい、午後から必要なものを届けながら診断書を貰って、会社に提出しに行く。6週間の入院加療とのこと。買い物をして帰ると義母が「二人とも昼寝をしないで騒いで、やっと今寝付いた」と言ってぐったりしていた。夜もなかなか寝てくれずSUは甘えて「僕お母さんのこと好き」と言う。「お母さんもSUのこと大好きだよ」と言うと「僕ね、何か物が落ちていたら、お母さんにあげる」と言う。おかしくて笑いそうになったけど、これはきっと彼なりの精一杯自分にできることなのだと気づく。そして「洗濯ばさみが落ちてたら、お母さんにあげるからね」と言って、お気に入りの歌のカセットテープを途中で止めて「お母さんの好きなテープを聞こう」と言う。私がラフマニノフのピアノ協奏曲を掛けるとSUは「僕お母さんのテープ聞くよ。お母さんこの曲好きなの?」と言うので「そうだよ」と答えると「僕もこの曲好きだ」だって。かわいい。お父さんが入院しても二人がいるから寂しいとかはない。
6月17日
 SOが時々鼻詰まりで苦しそう。お父さんの風邪がうつったのかSUも咳をしている。私ものどの痛みが。お父さんの骨折のことより、子供たちが病気になったらどうしようとそのことで不安になる。午前中義両親がお父さんの見舞いに行くというとSUもついて行った。昼前に帰ってきたが咳が酷くなっている。咳止めの座薬を入れ、昼寝するように言うとすぐに寝てくれた。SOもコンコンと咳をするようになり心配になって、午後から二人を病院へ連れて行くことにした。土曜の午後ということもあり病院は混んでいたが、3か月未満の赤ちゃんはすぐに診てくれるとのことで、二人一緒に待たずに診察室に呼ばれた。二人ともルゴールを塗布してもらい薬も量の多少で同じものが出た。生後1か月のSOにどうやって服薬させたらいいか考え、アイスクリームのへらに水で溶いた薬を乗せて口の中に入れてみた。するとそれまで泣いていたSOだが、泣き止んで舌でぴちゃぴちゃさせて飲んでくれた。
6月18日
 SOを義母に頼んでSUを連れてお父さんの病院へ行った。お父さんはそろそろ身体を持て余し気味。SUは私が里帰りしていた時はお父さんとずっと一緒だったわけで、今度はお父さんがいない生活なのに別に不思議がるわけでもなく普通にしているが「おかあさん、どこにもいかないでね」と、たぶん私がいなかったときはお父さんに言ったであろうことを口にしている。夜、SOが寝てくれません。1時間以上泣き通し。眠ったかと思い、布団に下ろすとまた火が付いたようにおぎゃーおぎゃー。ずいぶん重くなって何時間も抱っこしているのは大変。夜泣きが続きませんように。
6月20日
 お薬が無くなったので通院。「薬のせいで眠ってばかりでしょう」と言われたがそうなのかな、いつもと変わらないような気がするけど。お父さんは入院をいいことに毎日漫画ばっかり読みふけって、全くいい気なもんだ。

(この当時はもちろん携帯電話も無いし、連絡とり合うのもなかなか大変でしたね。朝野球の試合でお父さんが(本人曰く)カッコよくベースに滑り込みした時のアクシデントだそうです。このことはもちろん子供たちの記憶にはないので、大きくなってから何度かその事実を話してあげたことがあります。でも今、日記を読み返したら、その前にお父さんは風邪をひいて家族に風邪をうつしてくれちゃってるじゃないですか。私ものどをやられていたけど乳飲み子を抱えて風邪なんか引いてられないと気力で治したって書いてましたよ)

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