優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

哲学とは

2016-05-10 18:39:16 | 日記
新聞に「子どものための哲学対話」(永井均 著)という本の紹介があったので読んでみた。
以前はあれほど、哲学?なにそれ?意味わかんない!と敬遠していたのだが、年を取るにつれ、学問は哲学に始まり哲学に終わると思うようになり「子どものための」というタイトルは私のような者でも取っ掛かりが出来そうではないかと思ったからだ。

思えばはるか過去の大学生になりたての頃、一般教養の科目に哲学がありニーチェやカント、ウィトゲンシュタインを語る大学生ってかっこよくない!?と何となく哲学を学ぶ自分を想像し酔いしれていた。ところが実際は、ご高齢な煙のような先生がぼそぼそと語る講義はまるで催眠術でもあるかのようで、私にとっては闘いの学問だった(睡魔との)。

「子どものための哲学対話」は、「ぼく」と猫のぺネトレの対話形式で書かれているようだ。
痛快なのは「人間は何のために生きているのか」という問いに対しぺネトレが「遊ぶためさ」と答えるところ。この遊ぶというのは、自分のしたいことをすることで、その時やっていることだけで満ち足りた状態でいること。それは誰にも認めてもらえなくても平気だし、困難や努力さえも楽しいと思えると言う。

そして私があっと思ったのはここだ。
「自分のことをわかってくれる人なんかいなくても生きていけるってことこそが、人間が学ぶべき何よりも大切なことで、友情は『友達なんかいなくても生きていける人たち』の間にしか成り立たない」というところ。

子どものときそれに気づいてたなら、もうちょっとましな大人になれたかも。
薄っぺらい友情という名のもとにどれだけ傷つき悩んできたことか。随分無駄な時間を費やしたものだと今更ながら思う。
でも、ここで語られる「学問とはこの世で一番楽しい遊び」ということに関しては、やっぱり大人にならないとその意味が解らないだろうなと思った。

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