優しさの連鎖

いじめの連鎖、って嫌な言葉ですよね。
だから私は、優しさの連鎖。

「銀河鉄道の父」について ⑶

2018-02-07 16:51:06 | 日記
賢治はシスコンで、トシのことを妹というより女性として愛していたのではないかと言う人もいる。
そんな生々しい話はともかくとして、トシのことを書いた作品は多く、童話の中にも兄と妹が登場する話は多い。
そして確かに賢治は、トシが東京の大学在学中に肺炎に罹り小石川の病院へ入院した時、自らその看病を買って出た。さすがに父は年ごろの娘とあって自分が付き添いをすることは遠慮したのか、妻のイチに一緒に行くよう言う。
この話は有名なので知っていたが、ずっと疑問に思っていた。いくら兄妹と言え看病のために上京するか?しかも最初のうちは薬を飲ませたり身体を拭いたり食事を食べさせたり、と母がやっていたことを自分にやらせてくれと言い、洗濯したり便の始末までしたというではないか(さすがに体はふかなかったけれども、という記述はあるが)。おまけに他の患者が汚物で汚した蛇口まで磨いたという。
当然のことながら病院内では看護婦や患者たちの噂になったらしい。

だよね。大正時代と平成の今だから感覚が違うということではないのだ。やはり一般的に考えてそこまで出来るかってことだ。
そこのところに今まで引っかかっていた私だが、今回この本を読んで妙に納得したのがここだ。

   (なんで、こんなに)
    自分でもよくわからない。
    こんなに心が沸き立つのは、ひょっとしたら、生まれてはじめてではないか。
   「賢さんは、負けずぎらいだからなハ」
    などとイチはしばしば当惑顔で言うし、
    まぁ負けずぎらいは事実だけれども、それよりも胸に浮かぶのは、
   (お父さん)
    政次郎の顔だった。
    今この瞬間もふるさとで質屋の帳場に座しているはずの、厳格な、しかし妙に隙だらけの父親。
    その視線の届かぬ場所にいるということが、心を躍らせ、
    手足をむやみと動かしているのは確かなようだった。
    いうなれば、逃避。
    
でも賢治が思ったのは逃避ばかりではなく、


    (あの人のやることが、おらにもできる)


というよろこびだったというのだ。


    自分には質屋の仕事も、世間なみの人づきあいも、夏期講習会の開催もできないが、
    家族の看護ならできるのである。
    そう、かつて政次郎がしたように。
    政次郎はこれまで、一度ならず二度までも、入院した自分をつきっきりで看病してくれた。

    賢治には、自分の命は、とても即物的な意味において、
    ―――父のおかげ。
    という意識がすりこまれている。
    そうしてその政次郎ですら、ほかの患者の糞便の始末まではしなかったということは、
   今の賢治は                        


    (お父さんに、勝った)


そうか、もちろん妹トシに対する愛情はあったと思うが、根本はそこなのだ。
    
    

「銀河鉄道の父」について ⑵

2018-02-07 09:09:15 | 日記
賢治が赤痢で入院したのが6歳の時だったからそれから12年後、鼻の手術をするために入院することになるのだが、なんとその時も政次郎が病院の付き添いを買って出たのである。その時賢治は盛岡中学校を卒業していた。年は18歳である。
当時は家族が病院に寝泊まりして付き添ってあげるのは当たり前なのだがそれにしても、心配でおちおち仕事などしていられなかったのだろう。緊急性を要する病気でも無いし伝染性の病気でも無いし、この時は周囲もどうせ言っても聞かないだろうとすんなり許可したようだが。
鼻の手術は無事成功し、入院中父と息子はこの先のことで話をする。「進学したい」という賢治に「進学はあり得ねべ。お前は質屋の子なんだじゃい」という政次郎。
その翌日、賢治は高熱を出す。チフスに罹ったのだ。そしてこの時もまた父はチフスに感染し、ひどい目にあったようだ。これは笑えない事実である。

生きて会えるかとすら思った政次郎は、やっと親子ともども退院出来て、これからの宮沢家の将来を思い描いていたに違いない。
でも心のどこかに抱いていたのかもしれない。賢治をこのまま家の跡継ぎにして質屋の商売をやらせるのがいいことなのかということを。


  「店番をしてみろ」
  「やんたじゃ」
   とは、賢治は言わなかった。
   小さく首肯するだけだった。
   やはり彼は彼なりに父の病気への責任を感じているのにちがいなかった。いや、責任というより、
   (負い目かも)

   息子の親孝行というのは、せんじ詰めれば、資金を積み立てるという正の行為ではない。
   負い目の借金を返すという負の域の行為である。



この文章には考えさせられた。なるほどと思った。もちろんこれは小説家門井慶喜さんの書いた言葉であるのだが、きっと「銀河鉄道の父」もそう感じていたに違いない。