「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「路傍に咲く花」

2012年05月31日 | 趣味・・エッセイ

        

所用の帰り路、今を盛りに咲く鮮やかなまっ黄色の花に目が留まった。
名前も知らない、菊の花に似ているが菊ではなさそう。まあいい、今日はお互い名乗らずにやり過ごすことにした。が、あまりのきれいさに、肖像権侵害という後ろめたさを感じながらも、そーっと携帯カメラに収めた。その分、実際より色褪せて見えるのはお許しを。

家に帰ったら、「日野原重明」医学博士のトーク番組がテレビから流れていた。
100歳と半年という年齢などどこ吹く風。極めて健康的で明るくて、一言一言の重みを感じずにはいられない人生の大恩師である。いつか是非直接お話を伺いたいと思っているが果たしてそんなチャンスが訪れるのだろうか。そのような方が山口県の湯田出身とは、ここ岩国人も少し面目を施すところである。

聖路加国際病院理事長であり、数え上げればきりがない肩書きをお持ちのことはここで説明などいるまい。「50の金言」を提唱されていることも先刻ご承知の通り。
そんな50の金言を次は100の金言にして発表したいと意欲満々に語っておられた。

『創める(じはじめる)ことさえ忘れなければ、若さは保たれる』『いい人と出会いなさい』『お茶の心、一期一会を大切に』 これが若さを保つ秘訣と教わった。

ふと考えてみる。周囲を見渡してみる。
今お付き合いのある友人知人、親戚、家族など、みんないい人との出会いであり、自分を支えてもらっている。せっかく巡り合えた友との縁も決して粗末にはしていない。
そして今一つ肝心なのは『創るめことさえ忘れなければ・・・』この一点が問題である。何でもいい、自分の考えを形にしているだろうか、何かを生み出す努力をしているだろうか??大いに疑問は残る。でも、なんにもしていないなどとは思いたくない。

今日で5月も終わる。忙しさにかまけて、行きあたりばったりその場しのぎでやってきた日々と今日でお別れ。明日6月1日から出直そう。計画的でスマートな日々を取り戻そう。
そう決めた今日と言う日。路傍に咲く名前も知らないきれいな花に目が留まった。その上このような話に出会った。単なる偶然かもしれないが、自分の生き方もまだまだ捨てたもんじゃない。若さを保つ秘訣のかけらを持ち合わせているのかな。
そう思って明日からの日を大切にしよう。

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「ビール&演歌」

2012年05月29日 | 晴耕雨読

            

あれから3週間余り。ひと汗流した夏野菜の植え付けはGWの後半だった。
トマトもキューリもピーマンも順調に根付いた。もちろん本命のスイカも。
特にスイカは成長著しく、速く地面を這わせてくれ・・・と催促するように、防虫用のビニール囲いから顔をのぞかせているではないか。

よしよしこれから手を入れよう・・・と、日が陰ってから畑に出る。
待っているのはやぶ蚊の群れ。一瞬の隙を与えればこそ、低血圧のこの身の血圧をさらに下げるほどの勢いでもぶれ付いてくる。露出しているのは顔と耳だけ。集中的に襲ってくる。作業が半分、蚊との闘いが半分。

スイカのビニール囲いを取り除き、土寄せをして枯れ草を畑一面に敷き詰める。
スイカは自らの茎を伸ばすために、小さなひげを出して枯れ草に巻き付きさらに四方八方に新芽を伸ばす。つまり気持ちよくツルを伸ばさせるためのベッドみたいなものだ。

そんな作業にひと汗かいて、プシュッと開ける缶ビールの旨さ!たまらんねー。
流れる歌は、あの演歌の女王、美空ひばりさんの誕生日にちなんで、ひばり演歌の熱唱ときた。これまた演歌ファンにとってはたまりませんね~。

「港町十三番地」「りんご追分」・・・まさに半世紀、50年も60年も前のヒット曲。なのにちゃんと耳に残っているし、歌詞も頭にこびりついている。
今どき流行っている歌、AKBなんたらというのが50年先に思い出される歌なのだろうか。などと下らんことを言っても始まらないねー。あと50年生きるわけないもの。

それにしても歌ってすごいねー。こんな心に残るひばり演歌をスイカに聞かせてやったら、美味しくホッぺが落ちそうな味になるのは間違いなしだろう。
ひばりさんは好きになれない人もあろう。しかし彼女の歌のうまさ、声量・音域・感情移入、いずれをとっても後に続く人が出てこない。それだけに、下手は下手なりではあるが、カラオケをぶっ放すときの理想とするのはひばりさん以外にはない。
たかが350ccの缶ビールに酔っているのだろうか。いやとっくに醒めたはずだが・・・。

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「小学校最後の運動会」

2012年05月27日 | 家族・孫話

毎年秋の一大行事であった、孫の通う小学校の運動会。
今年は、校舎の耐震化工事が二学期に行われるため、5月に繰り上げられた。
        
6年生の兄ちゃんはいよいよ小学校最後の運動会となる。
思い出に残る一日になることを願って、手作り稲荷寿司に兄ちゃん好物のお煮しめを詰め込んで応援に馳せ参じた。

お役目は、競技ごとの得点数を集計して表示する記録係で、テントの下で計算機片手に神経をとがらせていた。「間違えんようにね」「まかせといて」Vサインが返ってくる。
自分の出番は全て一生懸命こなしていた。プログラムも進んで最後の男子選手リレー。
兄ちゃんは毎年選ばれてきた。今年は4年生の弟カー君も選手リレー出場と言う。
兄弟揃っての出場は嬉しいが、兄ちゃんは白組、カー君は紅組。カメラを構えながらどっちも応援しなければ・・・。手に汗握る。やはりカー君は初出場だけに気にかかる。

3年生から始まるリレー、カー君はトップでバトンを受ける。「抜かされるな!」背中を押したくなる。必死に走る。後ろが速い。ア~・・・差は詰められたがなんとかギリギリだったように見えたが、本人は敗北宣言。少しショックが残っていた。
 
 必死に走るカー君(右から3人目)       写真判定では2着か(右から4人目)

順位が入れ替わり、今度は兄ちゃんがトップでバトンを受け取った。昨年の苦い経験を持つ彼は、今年は何が何でもトップのままでバトンを次へ。
歯を食いしばり鬼の形相で疾走する。よかった断トツのままバトンタッチ。

 
    トップでバトンを受けて、歯を食いしばり、何が何でもトップでバトンを・・・

ジジの運動会は、皆の背中を見ながらゴールイン。選手になるなどは他人事の世界だった。それが今、兄弟そろって運動会最後のリレーを楽しませてくれる。

そして今一人三男坊。これもまたマイペースこの上ない。
勝手知ったる学校の庭。昼ごはんが終わるやいなや、兄ちゃんの手を引いて足洗い場に直行。水に入って嬉々として遊ぶ。そばに寄ってくる子に足で水をかける。
まるで二人の兄ちゃんに守られて、全く怖いもの知らず。
 

3歳になったばかり。ということはあと9年間この小学校の運動会を楽しませてもらうことになる。兄ちゃんは終わったが現役のカー君と、予備軍の悠雅君がいる。
ジジもババもまだ暇を貰えそうにないということだ。まあ仕方がない。こんな笑顔や一生懸命な姿を見せてくれるのは今のうちなのだろうから、せいぜい今を楽しもう。

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「ふるさと・愛・平和・・・」

2012年05月26日 | つれづれ噺

       

毎年この時期に行われる、国際ソロプチミスト岩国による文化講演会。
今年は俳優「林隆三」さんを招いて「ふるさと・愛・平和を願って」と題した宮沢賢治の詩の世界を朗読。そしてご自身の生い立ち、俳優志望のいきさつなど。
それは講演という堅い感じとは程遠く、表情豊かな独り芝居の世界でもあった。

さすがにベテランで個性豊かな俳優さんならではのテクニックで、知らず知らずのうちに彼の話術の世界へ溶け込んでいく面白さ・楽しさを味わった。
時に迫力のあるあのドスの効いた大きな声を張り上げ、また静かに静かに声をひそめて聴衆の耳をステージに吸い寄せる心にくいまでの演出は、真似が出来ないだけに大きな大きな魅力を感じる。マイクを使う上で今後の参考になるひとときでもあった。

宮沢賢治の詩の世界と、自身の生い立ち、人間として成長していく過程の中で「身体で覚える」「実体験に勝る教育はない」との体験談が主題であったような。

豊かな人間を育てるのは、周囲の暖かな人間関係、いわゆる住んでいる周りの人々、すなわちふるさとであり、深い親の愛である。
母親の一言によって一大奮起した、俳優・役者としてのスタートに話が及ぶと俄然熱が入った。ここにも母親の力の偉大さを改めて見せつけられた思い。

ふるさと・愛・平和などと続くと、東日本大震災の傷跡と、人間の絆の大切さが想い起される。そういった言葉や感情だけが一人歩きしないよう自制する言葉も聞かれた。そして、それらの言葉の真価が問われるのはこれからである。という言葉に説得力を感じた。

ピアノの弾き語りでは「愛の賛歌」に共感をおぼえ、アンコールに応えた「千の風になって」にも、何かしら心打たれるものを感じたのは、あながち、あの声のファンだからだけではない思いが残った。今日もまた佳き一日。

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「裏年か・・・」

2012年05月24日 | 晴耕雨読


            例年の半分にも満たない梅の生り具合。裏年か

この時期の恒例行事、梅の下刈りに大汗を流した。
川のせせらぎも例年通り、ほったらかしの草の伸び具合も例年通り。ほぼ似たような毎年の風景。ただ一つ目をみはったのは、梅林の一角に咲く可憐なアヤメの花。

周囲の薄緑を従えるが如き濃い紫色が見事なコントラストを見せる。
これから2時間余りのしたたる汗を予想してか、ハナから気持ちを和らげてくれているようだ。花言葉は「良き便り」「吉報」「あなたを大切にします」となっている。

ところが、草刈り機を駆使しながら見上げる梅の木は、こんな花言葉とは無縁のように、実の数が極端に少ない。しかも小粒で、昨年よりもっと見劣りする。
大豊作だった一昨年から考えるとまるで半分以下に見える。裏年かなー。
「たわわに・・・」とか「枝がしなるほどに・・・」などと言う表現は全く当たらない。

いつまでも厳しい寒さが続き、梅の開花が2~3週間遅れたという気象変化は確かにあった。それにしても花が咲いたことには違いはない。花が咲けばそれなりの実が生るだろうと思うのが自然であろう。が、自然はそんなに甘くない。特に生りものの場合、異常気象には必ずと言っていいほど異常な結果をもたらす。つまり、普通どおりには実らないということ。それでも下刈りは下刈り、汗を流さないわけにはいかない。

収穫まであと1カ月。少しでも実太りするのを待つことにしよう。
残念ながら今年は、青梅外交が出来そうにない。当然梅ジャム使節も控えめになるのだろう。惜しいことだが仕方がない。こんな不作がもしも我が家だけの現象だとしたら、思い当たるのはただ一つ。忙しい忙しいと言って剪定の時期を逸したこと。剪定はもちろんやったのだが、例年より3週間ばかり遅かったことを認める。

梅酒での晩酌の期間が短くなるのを我慢しよう。そして来年に夢を託そう。
あまりにも正直な梅の木に、襟を正して時季を外さないお付き合いをして行こう。

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「ウオーキングツアー」

2012年05月23日 | 趣味・・エッセイ

          
                     熊野古道、語りべさん(友人ブログ拝借)

今、ウォ-キングツアーが静かなブームだと言う。
目的地までバスで行って、目的の場所を数時間かけて歩き、またバスで帰ってくる。大勢の初対面の他人と同行するわけだが、単独でも参加できる気安さはあるようだ。

富士登山に始まって、色んな山歩きや沢歩きなど、日帰りか一泊の単発的なツアーが結構人気商品らしく、旅行会社も力を入れていると聞く。
山口県にも、萩往還ウォーキングというのがある。日本海側の萩から、明治維新を成し遂げた多くの志士が行き来した道。瀬戸内海に面した三田尻(現在の防府)間を歩くツアーである。これとて1泊2日と2泊3日コースがある。

そんな折、友人が熊野古道ウォーキングツアーに参加、このほどその全てを踏破。
熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の熊野三山を制覇。その頑張りと気力体力に心からの敬意と祝福をお贈りしたいと思っている。

この世界遺産にも登録された信仰の道、熊野古道ウォーキングコースの中でも、起伏の激しい紀伊路、中辺路全15回を無事達成された。
熊野古道ウォークは、月に1日、8~12キロを歩く。8月は休みとなるので、順調にいっても15カ月はかかる計算になる。友人の場合、スタートしたのは2010年10月であった。昨年の台風被害による山の崩落、古道の破壊などでツアーが中断された。再開を待って、ようやく述べ21カ月に及ぶ満願成就。喜びもひとしおであろう。

天候を気にしながら、服装も真冬から真夏まで、しかも体調管理は言うに及ばず、常に日常の中で足腰の鍛錬は要る。そんな気の遠くなるような日数を耐えて手にした喜び、如何ばかりか。アップされるブログで、その時その時のご苦労をただ想像するだけの身は楽である。が、段々回数が重なるにつれて我がことのように肩に力が入る。

語りべさんの説明に丁寧に耳を傾け、多くのことを知ろう、そのためには書物による予習も怠らない・・・そんな前向きな姿勢を実質2年に及び遠く近く見せて頂いた。
果たして自分にもできただろうか。途中で膝が痛いなどと逃げ出していたかもしれない。

1000年という古い歴史を持つ熊野行幸。本当にチャンスが巡ってきたら挑戦するのだろうか。満願成就の喜びを迎えられるのだろうか。ウ~~ン・・・?

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「金環日食、不発!」

2012年05月21日 | ニュース・世相


                      太陽の恵みを受けて、金・銀・パールに輝く電線

世の話題をさらった金環日食。
我が家の上空は、7時前から雲に覆われて、完全に金環となる7時半頃には太陽がまともに顔を出さなかった。残念ながら、平安時代以来と言われた金環日食は不発に終わった。朝方5時頃には音を立てるほどの雨もあった。

何かしら期待する部分はあったが、如何せんお天道任せの天体ショー。その時に合わせてかなり暗くなったのは確認したが、ついに見上げるには至らなかった。
しかもカメラを向けようとすれば特殊な装置が必要とか脅されて、そちらも不発。

ところが世の中捨てたものではない。
いつでもござんなれ・・・とばかりに望遠レンズを付けたカメラを身近に置いて見守っていたら、意外なチャンスに恵まれた。
未明に降った雨が、電線に見事な雨粒を持たせている。折よく日食を終えた頃には雲が切れて、まばゆい太陽が顔を出した。

電線に宿る大きな雨粒を、赤く、青く、金色に、まさに金銀パールに輝かせるではないか。これとて日食時間よりはもっと短い、ホンの束の間のチャンス。
シャッターを切りまくった。などと大見栄を切るほどの出来栄えではないが、望遠の焦点を電線にピタッ!10数枚を写し取った。見事な赤や金色のしずくが撮れた。

雲のせいで金環日食を完全な形では見られなかったが、未明に降った雨のお陰と雲の切れ目で、金銀パールのプレゼントをもらった。
もちろん物足りなさは残るが、雲に邪魔されて手も足も出なかったわけではない。その代わりと言うにはお粗末ではあるが珍しい条件が重なった自然からの贈り物をもらった。
ホンの少し風が吹いていたら、電線とて雨粒を宿してはいられなかったろう。決して負け惜しみではないが、世の中とはこういった側面があるということ、かな。 

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「ミュージカル鑑賞」

2012年05月20日 | 旅行・レジャー

        

今日は、日ごろお世話になっている先輩のお勧めもあって、柄にもなくミュージカル見学と洒落こんだ。地元で活躍しているミュージカル劇団「CLIMAX岩国」のオリジナル作品『HAUNTED 2』というタイトル。

小さな会場で、歌い踊り、躍動するパワーを目の当たりにしながら、歌舞伎とは異なる、お芝居とも違う、舞台劇とも違う、独特の興奮を味わった。
結論から言うと、華やかさ愉しさ、リズミカルな進行、演出の面白さなど、これがミュージカルだな思わせるシーンの連続であったと思う。ただ、はなはだ失礼ながらストーリーその物が少し分りにくかった。但し、これはミュージカルに馴染のない素人の意見として割り引いて考えてもらっていい。

脚本・演出を手掛けたクライマックス代表の女性は、この作品の上演決断に至った理由を次のように述べている。「昨年3月11日の震災は私たちの心を揺さぶりました。きっと天に召された魂は、心残りはあったでしょう。でも残された大切な人の幸せを願っていると思います。逝く苦しみ、残される苦しみ、私たちなりにしっかり受け止め、この作品に全力を注ぎました。主人公は12歳の少女、自分の置かれた立場を疑似体験として表現したかった・・・」と。
物語も、ハリケーンで命を落とした亡霊と12歳の少女が、あの世の疑似体験を通して現実とのはざまで揺れながら成長していく・・・という物語であったような。

ミュージカル(musical)とは、音楽、歌、台詞及びダンスを結合させた演劇形式を言う。とある。ユーモア、ペーソス、愛、怒りといったさまざまな感情的要素と物語を組み合わせ、全体として言葉、音楽、動き、その他のエンターテイメントの各種技術を統合したものである。そもそもミュージカルとはミュージカル・シアターの略語で、ミュージカル・プレイ、ミュージカルコメディ、ミュージカル・レビューの総称である。とネットに書いてある。

もう少し早くに馴染んでおけばよかったが、このような解説を見ると、あまり近寄らない方が無難なのかな、などと逃げ腰になってしまう。
まあ兎に角、一度はこの目で確かめた。眼で耳で楽しむ分には何の問題もなかった。
そう言えば今思い出した。若かりしころ劇団四季の「オンディーヌ」を観たことを。

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「のんびりと」

2012年05月19日 | 季節の移ろい・出来事


       豆のツルの中で、小さな虫をついばむスズメ。            砂浴びに夢中

初夏の日差しが心地いい土曜日。遅めの朝ごはんのテーブルに着く。
同じように、出窓の向こうでもスズメが1羽、終わりが近いスナック豆のツルの中で、伸びあがったり身体をねじったりして小さな虫をついばみ朝ごはんにしている。
特にライバルがいるでもなく、その動きは極めてのんびり、のどかである。集団でやってくる例年に比べると本当に個体の数が少ない。間違いなく異常に少ない。

グリンピースはまだこれからが食べごろ、ツルもそれほど弱ってはいない。だがスナック豆は、ほとんどをもいで散々頂いた。そうなるとツルも終わりに近ずく。
その頃になると小さな虫が付き始める。スズメにとって格好の繁みであり恰好の食事となる。食事が一通り終わったら、隣りの、まだ植えていないサツマイモ用畑に降りて砂浴びに余念がない。あちこち小さなくぼみが出来ている。

考えてみれば、ライバルのいないスズメの行動ものんびりのどかであるが、その姿をカメラに収めようと、望遠レンズを右に左に回しながらピントを合わせる我が身も、スズメに負けず劣らずののんびり穏やかなひとときではある。

こんな時間が持てる幸せを感じるのは、結構忙しく時間に追われる日々を過ごした裏返しなのだろうか。とすれば、時には自らを追い詰めるほどの作業を抱え込むことも、その後ののどかさが倍にも3倍にもなるタネを蒔いていることになるのかな。

暇があり過ぎても人間はダメになると言われるが、忙しすぎるのも問題あり。
フトコロ具合とよく似ている。あり過ぎると却って自堕落でダメにしてしまう。無さすぎると気持ちまで落ち込んで卑屈になる。世の中ままならないものだな~。
どちらかというと、暇よりも忙しさを求める貧乏性が似合っているようだ。

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「記念日あれこれ」

2012年05月18日 | つれづれ噺

        

人にはそれぞれに色んな思いがあり、心に残る個人の記念日を持っている。
誕生日に始まって、入学や卒業、就職、初恋、出逢い、結婚、あれこれあれこれ・・・。
中には誰に言うでもない、胸の奥深くに秘めた個人の記念日だって一つや二つはあるだろう。

記念日は、何らかの物事や過去の出来事を記念する日である。広義には週間・月間なども含み、年中行事も含むことがある。国民の祝日も記念日の一種と言える。
また地方自治体が自分の地域や特産品などをPRするため、あるいは地元で発生した大災害を忘れないよう制定した記念日、企業や商店が商品の販売促進のために制定した記念日など数えればきりがないほど多種多様である。

国または国の機関が定めた記念日は、1月1日の元旦に始まって12月24日の学校給食記念日まで年間58日超に及ぶ記念日が制定されている。
さらに日本記念日協会や日本記念日学会というのもあるそうだ。

日本記念日協会の言う、今日5月18日は、「防犯の日」「ベビーブームの日」「18リットル缶の日」「ファイバーの日」などと決められている。何故18リットル缶の日なのか、『18リットル缶、通称1斗缶は、従来5ガロン缶と呼ばれていたが、「全国18リットル缶工業組合」が18リットル缶と名称を統一した。そこで5ガロンの5と18リットルの18をとって5月18日をその記念日とした』ということだそうな。ややこしややこし!

そんな話はともかく、個人の色々な記念日が増えて行くということは、その人が色んなところに色んな形の足跡を残すことに他ならない。ならば、自分自身の記念日をこれからどれだけ残せるか、どんな新しい記念日を作れるか、これが生きていることのバロメーターになりそうである。

ブログ記念日、コメント記念日、メール記念日、処女出版記念日、などなどいっぱいありそうな気がする。減らすことなく、さらに充実した自分記念日を制定出来る生活が面白そうである。

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