「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「新たな1年に向けて」

2010年04月30日 | 趣味・・エッセイ
2年前、2008年4月30日。ブログ「世の中ちょっとやぶにらみ」をスタートした。
今日がその731日目、3年目のスタートとなる。

1年目が295編、2年目が268編。昨日までの730日で合計563編をアップした。
この数字が低いのか高いのか…自分では判断しかねる。
ただ我ながら努力したな~という気分にはなれる。

本音をぶちまけると、ブログを始めたことを後悔したこともある。正直なところだ。
のめり込んでしまった頃は、毎日・必ず、何かを書いてアップしなければ…という切迫感に追っかけられて、楽しいはずのブログアップが、苦しみに変わった時期もあった。

あれこれ思いあぐねて得た結論は「ヘタな考え休むに似たり」これだっ!と思い至った。
書く材料に事欠いたら休んだらいい。思考力に変化が付けられないときは書かなきゃいい。
という気楽さを会得したとき、目の前が開けた。

「無理して書くことはない」「気楽に…」「書こうと思うネタがあったら書く」このようなアドバイスを何度も頂いてきた。

そのたびに、「そうはいっても書くと決めたのは自分だから、休むことは出来ない…」という一種悲壮感にも似た感情が先走った。ともすれば己の感情を満たすために、文字を並べたことはなかったか、反省する気持ちが芽生えるときもあったような・・・。

そんなこんなを経て、新たな1年に向けてのスタート。何かしら気持ちが引き締まる。
ただし「もっと書こう・もっと力を入れて…」などという気負いとは異なる感情がある。
言うなれば、すごくリラックスした柔らかな気持ちの上で、自分流の目線を確保しようとしているのだと思う。生意気なようだが、わずかな余裕のあらわれかな?

3年目。これまでとはさらにネタの範囲が絞られる。そのためにどうあがくのか。どのような打開策を見つけるのか・・・難しいところだ。が、策がないわけではない。
出来れば、これを機に皆さんの手を借りて、ひと皮剥けたいと思っている。

「易きに流れる自分の弱さを自分で叱る」これは難しいことなのだろうが、やってみるしかない。

      ( 写真: 昨年のブログテンプレート )
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「錦帯橋祭り賑わう」

2010年04月29日 | 季節の移ろい・出来事
今年も大型連休となるゴールデンウイーク。今日が初日の昭和の日。
錦帯橋では、例年の通り華やかに彩られた大名行列はじめ、大正ロマン・女の行列。
横山河川敷広場は、骨董市や何でも市で大賑わいの『錦帯橋祭り』。
まだら新緑に担ぎ上げられたお城が、青空を背景にニッコリ笑って見下ろしていた。

3週間前の桜の錦帯橋は、それはそれで見応えあるし自慢の観光名所である。
が、押し出すように感じるお城山の今の葉緑に包まれる錦帯橋も、間違いなく一見の余地ある景色ではある。
遠くにクルマを停めて、長距離ウオーキングを試みたのに、肝心な歩数計は引き出しで眠ったまま。
それにしても今日はよく歩いた。

  柔らかな葉緑のもと、賑わう骨董市
  錦帯橋を渡る大名行列
  音の熱演で花を添えた岩国太鼓

・・・とまあ、色んな目の保養をした錦帯橋祭りの話題はひとまずおいといて…。

さて今日の本題は。yattaro-にとってまた一つ迎えた節目の日である。
と言うほど大げさなことでもないかもしれないが、「ブログ開設730日」あの日から丸2年という歳月の流れ。本人にとっては大切な記念日である。

ただただ夢中で駆け抜けた2年間。いろんな思いが交錯した。ような気がする。
明日から731日目が始まる。
これまでをちょっとだけ振り返り、明日からのことは明日考えることにしよう。

つたないブログ・勝手な解釈の展開にもかかわらず、この2年間、優しくお付き合い頂いた多くの方に、心から感謝申しあげます。
皆さんに支えられて今日まで来ました。明日からも同じように続けたいと思っております。
勝手なお願いながら、出来ましたら明日からも、更に優しくお付き合い頂きますよう心からお願い申しあげる次第です。
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「たからぶね」

2010年04月28日 | 季節の移ろい・出来事
玄関先に横たわる小さな小さな箱庭。
五葉の松・園芸用小さな男竹・八重の白梅・ひいらぎ・おもと。これらを従えるように柘植(つげ)の木がある。

新しい芽を吹き出す時、金色に近い黄色の光沢を帯びていることから、金芽柘植と呼ばれている。
山柘植の一種で枝葉は広げるが、幹の成長は極めて遅い。
今年は何年振りかで、すこぶる元気に金芽を吹き出している。見事な黄金色だ。

数年前に、イタズラ半分で船形に刈り込みをした。
上に伸びるのを抑え、横へ横へと広がらせた。これが意外にかっこよく、今では帆を張った船の形に見えるようになった。
特にこの季節は、吹き出す金芽が宝船を思わせる。(自画自賛)

狭い庭に小さいながら、縁起を担いだ松竹梅。
そして金運を運んでくれる暗示をかけた、宝船が植えてある。
なのに一向に金運に恵まれない我が家ではある。

もっとも、この程度のことで金運が巡ってくるなら、この世の中に貧に苦しむ人はいなくなるだろう。
やはり稼ぐに追いつく貧乏なし…か。汗をかきながら節約に相務めよう。

ゴールデンウイークに向けて、金芽の柘植は萌え出でても、景気は相変わらず確かな手応えをみせない。
株価も投資信託も暗礁に乗り上げたまま身動きとれない。
何とかしてよ、我が家の小さな「たからぶね」。
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「イチゴが咲いた」

2010年04月26日 | つれづれ噺
今年もイチゴの花が咲いた。
昨年のひと株が、プランターで冬を越し、新しい芽を吹き花を咲かせた。
花だけは毎年咲く。実も幾つか付ける。せめて一粒でも二粒でもいい、口にはいるのを期待して待つのだが……。
なんせ本格的な露地物。残念ながら未だ口に入らず。ましてや孫達に味見さえさせてやれない。

一応実が生る。明日は食べられるかな…と思って一晩置く。ダンゴムシ(マルムシ)とナメクジの格好の餌となっている。一晩で実が穴だらけになったり、ナメクジのぬめりが白く透明に光る。口に入れるどころではない。

思いきってオルトランでダンゴムシ対策、ナメトールでナメクジ除去してしまうか。
これらは完全な農薬の仲間である。こんなものを根元に撒いて成長したイチゴを口にしたくない。
となれば無農薬でムシとの闘い。黒いビニールシートで土を覆っても、敵もさるもの、餌を求めて死に物狂い。上手にシートをかぶせても、イチゴの根っこから這い上がってくる。

スーパーに行けば年がら年中手に入るイチゴ。実際にはいつ頃出来るのか孫達は知らないと思う。
ならばこそ、今花が咲いて、花の中心に実が育って、5月半ばから6月初め頃が最も美味しい季節なんだ…と教えてやれるのに。ほとんど虫の餌を栽培しているようなものだ。孫達にはハウス栽培の綺麗で形の良いものを買ってやろう。トホホホ。

ダンゴムシやナメクジの気持ちを物語るように、イチゴの花言葉は「尊敬と愛」「幸福な家庭」だとさ。
イチゴの花に負けないように、昨年のプランターからオーシャンブルー・琉球朝顔が元気に新芽を吹き出している。こちらは昨年同様楽しめそうだ。

             
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「テレビはぶてる」

2010年04月25日 | つれづれ噺


長年、我が家のリビングに居座り、みんなの注目を一身に集め続けたテレビ。
ついに時節到来、地デジ対応テレビにその座を譲る時が来た。

1999年7~12月製造、ビクターアナログ、ハイビジョン対応32型。という当時ではちょっと気張った最新鋭の鼻高機種であった。横幅・奥行きは横綱級。重さも20㎏超。
あれからちょうど10年。

来年7月でアナログ放送終了、地上デジタル放送に移行するというタイミングもあって、そろそろ換え時かな~と電気量販店で資料集め。珍しく衝動買いの癖を抑えた。というのも、エコポイント還元制度のあるうちに、2台のテレビ買い替え。エアコンを1台更新・1台新設。となると、半端な出費ではない。ついつい慎重になる。購入後しばらくは「おかゆと塩で食費を切り詰めよう…」とハラを決めて、予約を入れた。

10日間待っていよいよ明日は新品がやって来るという日の昼下がり。それまで機嫌良く映し出されていた画面が、何の断りもなく突然消えた。音声はそのまま。「アレレッ?」あれこれ手を打ってみる。音声そのまま、映像なし。「自分はまだ現役なのにリサイクル品として扱われのか…」と、はぶてたのに違いない。仕方なし、およそ1日間テレビなし生活、何と味気ない。いつも傍にいてくれるものだと思い込んで、感謝の気持ちさえなくしていた。

テレビにもはぶてる(すねる・怒る・嫌がらせをする)感情があるとは驚いた。これまでの10年をひたすら感謝して丁重に送り出した。

新たに家族となったテレビもエアコンも、はぶてさせないよう大事に寿命が尽きるまで付き合って行くとしよう。
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「優先順位」

2010年04月23日 | 趣味・・エッセイ
普段の生活の中で何かの行動を起こすとき、優先順位を決めるという一つの判断基準がある。
ゆっくり考える場合もあれば、思考回路フル回転、瞬時の判断を迫られるときもある。

クルマの運転など特にそうである。お互いの生命と財産を守る「安全最優先」を念頭に、相手を思い遣る心、これらは決しておろそかにはできない。

振り返ると、日本列島改造から所得倍増へ、そしてバブル経済に向かってひた走ったわが国の成長期。そんな中にドップリつかり、生活を支えることが課題の日々では、優先順位など考えるまでもなく、一にも二にも仕事優先。特に男性にとっては家庭を顧みる余裕もないほど、仕事人間、会社人間に仕立て上げられた。

一方で、女性や子どもたちが必死に協力して家庭を守るという一つの暗黙の了解があった。
そういった社会が良かったのか悪かったのか、結果論では色々言える。が、当時はそれが一つの社会通念でもあり、現在の繁栄の基礎になったのも事実である。

その後、男女雇用機会均等法や女性の職場進出などで、構造そのものが変化した現代社会では、価値観の多様化と言われ優先順位の内容も大きく様変わりした。そのような歴史の変化はあるとしても、人間同士がつながる社会性とか公共性を大切にする感情まで失ってはならない気がする。

病院を臨時休業にして、息子の大学入学式に夫婦で出席した開業医もいるという。
お陰で大学側は、保護者の参加者が多すぎて、入学式を二日に分けて行う、というおまけまでついたそうな。
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「ハッピーバースデー悠雅くん」

2010年04月21日 | 家族・孫話
満1歳、誕生日おめでとう! 3人目の孫 悠雅くん!!
ついこの間生まれたばかりとおもうのに、早くも1歳の誕生日を無事に迎えた。
3人兄弟の末っ子。まぜくる(混ぜっ返す)能力は兄に引けをとらない。
          
      5合の餅を背負って大喜び      仏壇が遊び場となる

我が家での誕生パーティ。1升餅をつき、二つのお餅を作り、一つを背負わせる。
ヨチヨチながらなんとか持ち堪えて歩く。誰よりも本人が大喜び。
何故かしら、我が家の孫達は日本間がお好き。しかも仏壇のお道具が遊び道具になったりする。
這い這いの頃からリンを鳴らすことはいち早く覚えた。すぐ上の兄カー君はお経本を棒読みする。

       
      階段だって上れるんだ        兄ちゃん達にもみくちゃ

早くも階段も上がれるようになった。短い足を踏ん張りながら、片方は膝で片方は足を上げる。
二人の兄にもみくちゃにされるのも慣れてきたようだ。

             
              このまま仲良く成長してと願う   

同じもみくちゃにされても、上のお兄ちゃんを常に追っかけまわる。
上のお兄ちゃんが上手にあやすし、面白いことをしてはケタケタ笑わせる。
その点カー君は、まだ自分が末っ子の気分が抜けず、言ってみれば主役の座を悠雅くんに奪われた被害者みたいなものだ。悠雅くんに八つ当たりすることもあるが、無理もない。

こうして3兄弟になって早1年。色んなことがあるが、兎に角無事元気に今日を迎えた。
これからもしっかり応援したい。そのためにも先ずはこちらが元気でいなければ…。
悠雅くんの成人式…。どうなんだろう。出来たらこの目で見たいものだ。
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「ローカル」

2010年04月20日 | つれづれ噺
町の玄関口と言われ繁華であった岩国駅から山ふところに入ること8.5㎞。
錦帯橋のかかる錦川の支流の谷あいに位置し、山の斜面に設置されている無人駅がある。
今日の主役「柱野駅」。

列車の窓から眺めながら何度となく通り過ぎてきた駅。降り立ったことはなかった。
友を迎えるために、初めてその駅に寄った。

その昔、1934年(昭和9年)かつての山陽本線として、西岩国 - 高水間が開業した際に設置された。
そこらの駅とは歴史の重みが違う風情があったのだろうと想像はしてみるのだが、ウーン。

無常にも流れゆく歴史とともに、海岸線を走っている柳井経由が山陽本線に戻されたため、電化から取り残されこちらが岩徳線として、ジーゼルエンジンに引っ張られるのどかなローカル線である。
                 
クルマが10台は置けるかなというほどの駅前広場。階段を上がって駅舎に着く。
そしてホームに出ようとすると、先ずそこに遮断機がある。駅舎とホームの間を岩国駅に向かう上り線が走っている。これは珍しい。
これぞローカル。驚いた。

通学の生徒に聞くと「慣れたら別に・・・」とあっさり言われた。
なるほど、慣れるってこういうことも飲み込んでしまんだな~。
それにしても、わがお膝元にありながら、このような特筆すべきローカル。
なんかしら新たな発見をした思いに浸った。
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「お楽しみイベント」

2010年04月19日 | 季節の移ろい・出来事
この時期の一大イベント「薮の中のクラス会」
今年もひと汗かいて、大いに呑み大いに食べ、大いに笑い大いにしゃべり…楽しく賑やかな春の一日となった。
気の毒に、ウグイスのきれいなさえずりが、だみ声にかき消される始末。

これぞ命の洗濯。健康・元気・やる気の必要性を改めて思い知る。

前日のアクシデントによるドタキャン1名を除く8名の大所帯。
出来れば予定の10人勢揃いが理想であるが、なんせこの御年。家族の介護で欠席になったり、身の程もわきまえず、酩酊の挙げ句地球を相手に喧嘩して、痛くて唸っている友もいる。

堀たてをその場で皮を剥く。大きな平釜に放り込む。2時間あまり、火を絶やさないようグラグラゆで上げる。
二釜分、およそ5時間。
体調や服用薬の種類・数量が話題の主流。ときに政治・基地問題・世界情勢・岩国の観光などなど、話しがあっちへ飛びこっちへ飛び収拾がつかない。だから面白く話しは延々と続く。

 大きな平釜で茹で上げる
 BBQ囲んで話しが弾む。

この日のためにこれからも足腰鍛え、脳も磨いておかなければ…とみんなが思う。

そして何より、竹藪を守り育て、歓迎してくれる友に改めて感謝。有難うアイちゃん!!
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「分かっちゃいるんよ…」

2010年04月17日 | 趣味・・エッセイ
新学期が始まり、年度も新しくスタートした。まさに時は春。
寒く縮こまった冬のエネルギーを一気に発散させようといった塩梅に、あちらこちらで、グループ活動や各種団体の発表会や展示会が目白押しである。

そんな中の一つ。筆と墨の彩「俳画・水墨画展」に出向いた。
俳画も水墨画も素晴らしい指導者がおられたり、気の合う仲間同士がお互い切磋琢磨したりで、各々自分の世界を楽しく生きておられる様子が直に伝わってくる。

会場に入ったすぐ右の壁に掛けてある看板に目が行った。
そこには、墨跡鮮やかにこのように書いてあった。

『俳画とは、大胆な省略 思いきった運筆 描きつくさずして 余白に語らせる心を大切にします。書き添えられた賛句と相まって 情景 色彩 余韻 ひびき といったものを見る人に感じさせるものです』

なるほど……。そして、「俳画とは…」を「エッセイとは…」に置き換えてみたくなる。
大胆な省略。思いきった発想。全てを文字にしない。行間に、文字にならない余韻を塗り込めて読む人に察知してもらう。読む人が幅広く想いを巡らせるような表現を取り入れる。

自分が趣味の一つとしているエッセイを、このような気持ちで書きたいと常々思っている。
しかも分かっていると思うのに、実際には何にも分かっていないような出来映えになってしまう。
それでもやはり、分かっちゃいるのに……
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