「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「丸よ、やっぱりあんたもか!」

2018年11月30日 | スポーツ・観戦

                                                

プロ野球セ・リーグ今年のMVP(most valuable player)つまり最優秀選手に、我が愛する広島カープの丸選手が選ばれた。広島を拠点とするローカル紙中国新聞には、本来なら紙面が赤く染まるほどの大々的記事と写真が載るはずである。
ところが、これほどの大ニュースの記事の扱いが極めて地味なのである。むしろ「タナ・キク・マル」の3人揃ってゴールデングラブ賞をもらった記事の方が大きく取り上げられている。写真も3人の笑顔が大きく載せられている。

それもそのはず、「丸、巨人移籍へ」という記事が1面左上に載っているのだから、カープ関連記事が主流のスポーツ欄と言えども、丸のMVPより、ゴールデングラブ賞受賞ニュースの方が重くなるのであろう。
これは飽くまでも、カープファンを自認してやまない小生の勝手な憶測ではあるのだが。

丸選手の巨人移籍は、既定の路線と言えなくもない。それなりの事前準備は着々と進められていたことを、新聞・テレビ・ラジオのメディアが一斉に報道し始めた。「出来たら広島に残ってもらいたい」というカープ関係者は、そのような事前準備をキャッチしながら、敢えて公表しなかったのかもしれない。

やはり大枚のお金を目の前に積み上げられると、そちらに傾くのも無理はない。
しかも、痩せても枯れても巨人選手というネームバリューは、プロ野球選手にとっては魅力なのだろう。
ここ数年の間に、何人の大物選手が巨人のユニフォームに袖を通したか。そして何人がそれなりの満足いく成績を残したか。育ててもらったチームにいれば、一枚看板の中心選手でいられたものを、移籍したばかりにその他大勢の仲間となり、忘れられていった選手を何人も見て来た。

それでもなんでも、勝って優勝すればそれでいい。それが勝負の世界なのだ。という見方も当然ある。
無名の原石を磨き上げ育て上げて、一人前の選手になったらお金で引き抜かれて行くチームはどうなるんだろう。

負け惜しみではないが「去る者は追わず」。現有勢力で来季のカープの奮闘ぶりを期待しよう。
なんかしら気持ちがうすら寒い、霜月つごもりではある。

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「作って食べて笑って」

2018年11月28日 | 地域活動

       

この頃では、我が家以外で食べる昼ご飯は「ランチ」と呼ばれている。
が、ここに登場する話の主役はランチではなく、飽くまでも「昼ごはん」と呼ぶ方がしっくりくる、賑やか昼ごはんのお粗末である。

入会3年を経過した地域の男性料理教室は、どちらかというと高齢者の男性会員20人が集う、実に楽しい会である。
指導者は、岩国市食生活改善推進協議会、通称「食推」に所属する、ちゃんと講習を受けた主婦のベテランおばさん方。
指導方法も手慣れたものなら、一人ひとりの動きや手許を観察するのも得意中の得意。鋭い眼力で「そこはこうしなさい・ああしなさい」と無遠慮な指示が飛ぶ。「まあよう出来たねー、これはおいしそうよ」という褒め言葉も散りばめられる。

何を言われようが、厳しいご指摘を受けようが、こちらは、包丁歴も味付けも素人の集まり。相手はその道百戦錬磨のベテラン、しかもよそのおばさん。カミサンに指導されるのとは違って喧嘩にもならない。和気あいあい。
あらかじめ決められた献立を頭に描き、レシピとにらめっこで、剥く、切る、練る、蒸す、煮る、焼くといった調理の原点を辿っていく。

およそ1時間半から2時間で出来上がり。班ごとに並んで試食という名のお昼ごはん。楽しさは最高潮に達する。自分でこしらえた副菜のサラダの味を気にしながら、先ずは自ら「おいしいねー」と声を発する。すかさず食推のおばさまから「今日はようがんばったね、一人で何もかもやってサラダを作ったね」と褒め言葉が飛んでくる。

「あんたぁ段々お腹が出て来たねー」「今年のレンコンは出来がええよ」「ゆっくり噛んで食べるのが健康のコツよ」などなど脈略のない会話が飛び交う中で、大笑いの昼ご飯が進む。
ひと昔前までは、何人か集まれば「酒なくてなんのおのれが桜かな」と言いつつ、食事はそこそこに一升瓶を転がしていた仲間が、こうして酒抜き昼ご飯に笑い転げるとは、ある意味、再びやって来た青春を楽しんでいるような気がする。
思い切って地域の活動に参加した自分を褒めてやりたい。

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「喪中はがきⅡ」

2018年11月23日 | つれづれ噺

日を追って数が増える喪中はがき。その内容も複雑多岐にわたることはすでに述べた。
それにしても90歳を過ぎようとする母親が、60歳の長男を突然に失ってしまう悲しみは如何ばかりかと推察する。たとえその理由が予期せぬ病気に襲われたためとはいえ、悲しみの深さを想像するだけで胸ふさがる思いがする。

中国の旧いことわざに「親より先に死ぬ子は鬼っ子」というのがある。地方によってはろくな葬儀も出さず、川に流してしまうほどの「親不孝」とされたという。
今回めぐり合った話がそれと同じとは言わないが、やはり順番を違えて、高齢の親を残して先に逝った息子を恨みに思うな、という方が無理な話かもしれない。只々お気の毒である。

「私たちが先に行くべきなのに」と、目頭を押さえる残された母親に、掛ける言葉が見つからないほどの同情の念を抱く。だからといって、先立った長男への同情は、それ以上のものであることに気付かされる。
まだまだ現役働き盛り。老いた両親や愛する妻・家族を残して、あわてて逝きたくはなかったであろうに。

改めて、人間の運命というか、授けられた天寿の儚さを思い知らされる。
幸い現在のところ、私たちにとっての二人の子もその連れ合いも孫たちも、無事元気に生きていることに感謝すべきなのであろう。何事もなく過ごしている現実を、当たり前と思い過ぎるのは、実は幸せな人間の傲慢ではないのか、などと思ったりする。

こんな悲しみを胸に秘めて、自らに与えられた命を元気に全うされんことをお祈りしたい、師走を前にした喪中はがきの季節ではある。

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「喪中はがき」

2018年11月20日 | 幼馴染の動向

            

11月に入ったとたんに、「喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます」という葉書が届き始める。
喪中の理由は様々である。親や兄弟の不幸であったり、我が子との突然の別れという深い悲しみもある。中には義理の姉の喪中に付き、などというのもあれば、誰がいつ亡くなったのか要領を得ないものもある。

今年届いた中でも特筆すべきは同級生からの1枚である。喪中欠礼の追伸として「高齢となり年々手元がおぼつかなくなり(中略)今年をもって年賀状を失礼させて頂きたく」(後略)と認められている。
2・3年前までは、同級生の中でも一番長生きしそうな元気な男だったのに、最近は病に付きまとわれるようになっていたことを思うと、「そんな急に老け込むなよ」とも言いにくくなった。

これも、今流行の「終活」の一つと言えるのであろうが、いざ同級生から正面切って突きつけられると、「ウーンそうか、ついに吾輩たちもその仲間に入ったか」などと神妙になる部分はある。
確かに、儀礼の最たるものであると解っていても、長年の慣習で年賀状を辞められずに今に至っている相手も多い。もちろん、儀礼ではなく心から年始の挨拶を交換したい人はいる。しかしそれは全体の半分くらいなのかなーなどと思う。

そして今ひとつ思うのは「喪中って、随分長い期間だなー」ということ。
亡くなった人との関係によって、多少の長短はあるにしても、喪に服する期間はおよそ1年ということである。とするならば、今年1月1日以降の不幸に対しては年賀状を差し控える「喪中」ということになる。
喪中の間は慶事や祭りごとを控えるという考え方から行けば、当然喪中につき年賀状は控えるべき、という結論にいたる。

但し、どこまでのつながりを喪中対象と考えるのか。明確な答えはないようであるが、およそ2親等あたりまで、と言うのが世間一般の考え方のようである。慌ただしい年末をまえに、考えることも多いねー御同輩。

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「伝統を守る土俵へ」

2018年11月17日 | 家族・孫話

この季節になると、孫三兄弟が通った小学校では、400年に及ぶ長い歴史と伝統を誇る相撲大会が行われる。
かつて、豊臣秀吉が大勢の将兵を従えて海上を九州に赴く際、瀬戸内海通津沖にさしかかったところで、風待ちをすることになり、一旦将兵を通津に上陸させた。風待ちが長引くと将兵の士気が低下するのを恐れた秀吉は、各部隊のつわものを選りだして相撲を取らせ、士気を高めた。という由来に基ずく由緒ある相撲大会である。
各学年別に予選が組まれ、男子女子それぞれ勝ち残った2人が土俵に立てる。

       
                    応援団の大声援を受けて           やや緊張の面持ちで土俵へ 

1回戦。「呼び出し」から声高らかに名前を呼ばれて土俵に上がる悠雅君。「ユーガ、ユーガ!」の大声援に緊張は最高潮に達する。相手は1年先輩の4年生。体はでかい。身長も違う。まともにいっては勝ち目が薄い。
立ち合い一瞬の作戦か、「下から両手で挟むように押し上げる」というジジの戦略も頭をよぎったのか、相手に抱き着くように双差しで密着。しばし揉みあいのうちに相手が弱ったところを寄り切った。「行司」の勝ち名乗りにも笑顔なし。ホッと一息。 

   
  ハッケヨイ! 大きな相手にもろ差しで攻め立てる      勝ち名乗りを受ける悠雅君

2回戦はもう優勝決定戦。1回戦で勝ったもの同士のぶつかり合う。こちらも4年生で体はでかい。同じように食いついて行って相手の根負けを誘い出す。再び勝ち名乗りを受けて、3、4年生男子の部優勝決定。そこでやっと頬がゆるむ。 

             
             実行委員長さんから賞状とトロフィー授与 

         
              喜びの学年別、男女別優勝者(右から3人目)

体重はともかく、身長は決して自慢できないが、下半身の頑丈さとその俊敏さ・瞬発エネルギーは引けを取らない。高三の兄ちゃんに負けず劣らずの、スポーツ万能で小学校生活を謳歌しているようだ。褒めてやろう。

特にソフトボールには努力させたい。三つ褒めたら二つ叱って戒めて、テングを抑え、何事も「基本動作」と「本質の大切さ」を教えてやろう。それが、実績らしいものは何もない、経験則と理屈だけはわきまえていると自負するジジの役目だと思っている。本人にとっては大いに迷惑であるに違いない、と思いつつ。

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「粋な別れ」

2018年11月15日 | 季節の移ろい・出来事

                

石原裕次郎が唄う「裕次郎演歌」の中の好きな一曲に「粋な別れ」というのがある。

    ♫ いのちに終わりがある 恋にもおわりがくる 
           秋には枯れ葉が小枝と別れ 夕べには太陽が空と別れる・・・・・・♬

季節は初冬。まさに枯れ葉が小枝と別れる、なんとなく物悲しさを覚える季節ではある。
半年間、熱く燃えさせてくれたプロ野球の世界にも、粋な別れになってくれればいいが、と思わせる別れがいくつも転がっている。差し当たって愛する広島カープでは、豪快な空振りの向こうに当たればホームランと、ファンに期待させ、がっくり肩を落とさせたエルドレッド選手が、今期限りでお役御免。勝ちパターンの8回のマウンドを守って来たジャクソン投手も、今年の成績で契約更改無し。

もちろん日本人選手も6人は早くから戦力外通告をされ、他球団に挑戦するトライアウトや、進路変更を余儀なくされた。この様に戦力外通告、いわゆる解雇になる人が毎年、何人何十人と生まれる。華々しい入団交渉の席でガッツポーズを見せたのとは、あまりにも対象的過ぎる厳しい現実である。

植物の世界は、古くなった葉っぱを落とすことで、来るべき春に向かって新たな芽を育む大切な季節である。
人間様は、殊のほか暑かった今年の夏の影響で体調を崩した人たちが、今この季節にしっかりと休養を取り、冬の寒さに耐える体力を増強し、次に訪れる春に向かって、静かにエネルギーを蓄える時なのであろう。
そこには、夏バテなどによる体調不良と『粋な別れ』をして欲しいという願いが込められる。

冬枯れた土地に軽く鍬を入れ、育てたタマネギの苗を植え付ける。水やりを忘れず、7か月先の収穫を夢見る。粋な別れを強調するこの季節でも、ちょっと目先を変えてみれば、新たに植え付けをして実りを待つ躍動の季節となるものもある、ということだ。大いに期待したいところである。

秋から冬に代わる、大切なエネルギー補給の季節に、風邪など引いていては元も子もない。
伊達の薄着は風邪の元。少々不格好でも風邪対策専一に。要注意の季節でもある。

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「もみじの錦・・・」

2018年11月13日 | 家族・孫話

     

体調不良を訴え始めたのは9月初め。普段よりやや厳しい腹痛からのスタートであった。
日ごろからあまり痛みを訴えない山の神にしては、少し気弱な表情ではあった。「夏バテが出たんかねー」などと割と気軽に構えていた。
段々自覚症状に厳しさが増してきて、新たに開業したクリニックで胃の内視鏡検査を自ら申し込んでいた。

特に異常なしの診断後、自覚症状の不気味さが収まらず、今度は大腸がん内視鏡検査をおこなった。こちらも特に所見なし。
どちらかというと、少々のことでは弱みを見せない元気ジルシ。そんなカミさんが、自らこれほどの病院遍歴をすること自体異常であることにもっと早く気付いてしかるべきであった。

2月に行った定期健診では異常がなかったが、今一度血液検査を中心に健診をしてもらった。そこで驚くほどの異常値が示された。部位が部位だけにいささかうろたえた。「〇〇がん」の疑いで緊急CT検査。更に詳細検査のためMRI検査。と続いた。
「な~~に、大丈夫だろう」などと、何の根拠もない空威張りが、時間の経過と共に段々しぼんでいく。

CT検査の説明の時も、今日のMRI検査の説明も、テープレコーダーの如く、医師の言葉を一言一句洩らさぬように聞き耳を立てた。こちらの心配が大きければ大きいほど、医師の言葉は大きく胸に刺さる。
「最終的には、すい臓がんも胆管の異常もありません。引き続き自覚症状の変化に注意しながら健康生活を」というお墨付きを頂いた。
もちろん、血液検査の異常値対策はこれからが本番である。何一つ油断できる状態でないことは認める。

しかし、ようやく虎口は脱したのである。命の縮む思いから半分解放された。
残り半分は、普通の生活をする中で、血液の検査値を正常に戻すことである。今までより目を光らせる必要がありそう。
それにしても、ホッと一息。病院の帰り道、隠れた紅葉の名所「岩国もみじ谷公園」を通りかかった。

「・・・・・・もみじのにしき 神のまにまに」 百人一首の一節を思い出した。
『このたびは ぬさもとりあえず手向け山 紅葉のにしき 神のまにまに』。気持ちの奥に漂う祝いの気持ちに、錦織りなす紅葉が花を添えてくれた気分であった。 

さて次は、体調不良で臥せる友の完全回復を祈り、今を見ごろの紅葉を話のタネにお見舞いをしよう。

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「癒しの収穫」

2018年11月11日 | 家族・孫話

 

ここ2週間ばかりあまり気分の優れぬ日が続いていた。しかし、屈託なくジジババに甘える孫と戯れると、小理屈抜きの元気を貰うし、
新たな力がみなぎる思いがして、ホッと一息ではある。
昨日、孫の希さんと奈那さんと嫁さんが急きょ里帰りして来た。お父さんの勤務通りなら今夜帰ってくるはずであった。

希は、じいちゃんが植えておいたサツマイモが掘りたくて掘りたくて仕方がなかったらしい。
たった一日の違いなのに、それを待てずに「電車で帰る」と、親の心を動かし、昨日里帰りしてきた。
今日は朝はやくから「畑に行こう、お芋ほりしよう」と、ジジの朝ごはんが終わるのさえ待ちきれない様子。 

               
わずか20本の苗を買って植えた、狭い芋畑ではあっても、土の中から顔を出すサツマイモを引き抜く快感は、彼女らにとってみれば1年に1度の楽しみなイベントなのかもしれない。やっぱり植えておいてよかったと、思わされる晴耕雨読の真骨頂である。

数こそ決して多くはないが、自分の手に余るほどの大物が土の中から出てくると、それはそれは歓声上げて大はしゃぎ。
この声こそ何物にも代えがたい、癒しの収穫である。そばでは、まだ物言えぬ奈那さんが、一丁前に両手におイモさんを握ってニッコリ。早くもお姉ちゃんの真似をして、成長しようと頑張っている様子が見て取れる。

週明けにはMRI検査が待っている山の神。結果次第では次の厳しい状況も予想される中、倅一家への特別メニューの献立や、普段の3倍くらいの量をこしらえる夕ご飯準備に追われ、忙しく時を過ごしている。そんな雑事に意外と気持ちは紛らわされているのだろうか。
ヨチヨチ歩きの奈那でさえ、ばあちゃんの笑顔を求めて一生懸命歩み寄っている。

まだまだ元気に、この子らの成長を見届けるのが私たちの責務なのであろう。
厳しい病との闘いが始まらないことを祈りたい。                                         

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「祥月命日」

2018年11月10日 | つれづれ噺

                 

平成30年11月10日。母の10回目となる祥月命日を迎えた。
母を見送ってから何年たっても、何回祥月命日を迎えても、なにかしら、ちょっと胸に迫る何かを感じてしまう。
それが何なのか、はっきり説明できないが、何か感じるものがある。

幸い、息子の嫁さんと二人の孫が里帰りしてきたので、母からみれば「子供・孫の嫁・曾孫」の三代揃ってお墓参りもした。
このお墓参りというのが、何か不思議と心落ち着かせる行事に感じるようになった。
孝行をしたい時分に親はなし、さりとても石に布団は着せられぬ。と言われる通り、いまさら墓石に向かってねんごろに手を合わせたとて、何の孝行にもならないと判ってはいても、墓石に水を上げ、花を生け、線香をくゆらして掌を合わせると、得も言わずひと仕事を終えた気分にさせられる。

母の臨終に立ち会った時、病室の窓から見えた、ひよひよと風に揺れる心もとない一輪のコスモスは、今も脳裏に焼き付いている。
祥月命日に飾る花は、あの嫋やか(たおやか)なコスモス一輪が小生のイチオシなのだが、そうも行かなくて今を盛りの菊の花を手向ける。

100歳で逝った母と、104歳で逝った4つ違いの妹と二人仲よく、よもやま話をしていることだろう。
そういう意味ではあまり寂しくないはずだから、今を生きている小生たちを急いで迎えに来ないでね、と言いたいものだ。
特に、息子である小生よりも深い信頼関係にあった嫁を、早くに迎えに来てもらっちゃ困るよ、とお願いしたいものだ。

いずれにしても、母が亡くなったのはついこの前という感覚と、実際には10年たっているという感覚が入り乱れることがある。
ただ言えるのは、生前の母を思い出すとき、佳き姿、優しく大らかだった姿の方がはるかに多くなった。
晩年の言うに言えない苦労話など、全てが笑い話に変わろうとしていることに、自分自身が安堵するところがある。

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「虎口を跨いで」

2018年11月07日 | 家族・孫話

                                  

元気ジルシで人一倍動く山の神が、定期健診を受けた。
血液検査の数値が、これまで見たこともないほど異常に高く、赤字で記され、おまけに赤丸で囲んである。
食が細くてヤセッポチ。体重も信じられないほどか~~るい。それでも元気だけは十分にあった。

そんな日常であっただけにまさに青天の霹靂。健診結果一覧表を見せられて本人以上にこちらが驚いた。
こう見えても、衛生管理者の資格を持って、従業員1800人の健康管理を任せられる職場で5年半働いてき
た。血液検査の数値で、ある程度の病気発症予測はできる。但し、他人のではなく自分と身近な家族のものだ
けだが。

異常値の中でも、これはヤバイと思われる項目が目に留まった。そういえば最近、背中が痛い。お腹がしっく
りこない。食欲がない。などと訴える回数が多くなったことと考え合わせると、一瞬背筋が寒くなった。医師
の勧めもあって大至急であれこれ検査をした。CT画像の一カ所は特に入念なチェックをお願いした。

幸いなことに、不治の個所のガンではないことが分かった。こんな場合「虎口を脱する」というが、小生の場
合、『虎口を跨いだ』ような冷や汗感覚であった。でもこれで結果の全てが終わったわけではない。
「他にこの部分と、この合流する部分は、さらに詳細な画像が必要です。MRI検査をしてみましょう」と、
CT画像をもとに詳細な説明を受けた。来週初めに受信予約をとった。

虎口を跨いで片方の足は向こう側にある。でももう一方の足は虎の口の目の前である。なんとか食われないよ
うに「虎口を脱したい」と必死に願っている。普段気を付けているつもりでも、ひとたび目に見えぬところで
病に襲われると、無力で哀れな人間と化してしまう。

「10回目の祥月命日が近いので、ばあちゃんが淋しくなって迎えに来たのかねー」などと、そんな呑気な話
ではない。 

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