「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「我が良き友よ…」

2009年04月29日 | 趣味・・エッセイ

「世の中ちょっとやぶにらみ」。視点を変えてにらんでみれば……。ブログ開設から丸一年、365日目を迎えた。やはり反省が多く目立つ。兎に角1年、色んな友に背中を押され、支えられて今日を迎えた。

先日、マイブログのテンプレートが、いきなり変更されたの嘆いた「ある日突然に…」をアップした。
その翌日、奇特な友達から、失ったはずの幻のテンプレートがメールで送られてきた。 昨年5月2日に、自分のパソコンに画像として保存していたのだという。

誰とは言わないが、私にはこのような友がいてくれる。 大きな声で、“エッヘン!!”
彼に限らず、タケノコの友・身障者授産施設で精を出す友・エッセイを介した兄貴のような友・エッセイの大勢の仲間・陰に陽に優しく見守ってくれる友・頼りに思ってくれる昔の友・そして1年前のブログアップ以来、新たに交流の始まった多くの友。それぞれがかけがえのない存在であり、失えば大損失の疑いない私の財産である。

数え上げればキリがないほどの多くの友、私を支え力を貸してもらった多くの人々。
皆さんのお陰で、曲がりなりにも一年間のブログ生活を、心底楽しませてもらって来た。

そしてある意味、一年という四季を一回り過ごしたことになり、身の回りの自然や草花は、ブログネタとして食い尽くして来たのかな…という感じがしないでもない。
となれば、実質的に2年目に入る明日からは、また新たな視点・新たな感覚が必要となってくるのだろうか。 ちょっときつい気がする。少し引き気味になる。

しかし、考えてみれば、たったの1年間である。その1年の間にもそれこそ多くの事柄が、私の目の前を通り過ぎていった。 母の死という後にも先にもない出来事に見舞われた。その落ち込む気持ちを見事に孫がフォローしてくれた。更に、母の命に代わる新しい生命が、3人目の孫として誕生した。

このように考えてみると、私などが想像するだに及ばない、大きな大きな宇宙の力で、ゆっくりと、世の中は動いている。そして我々人間も宇宙の力で生かされていることを感じる。
与えてくれるブログチャンス・エッセイチャンスを逃さないよう、大きく目を見開けば2年目のジンクスも乗り切れるかも知れない。

自分で踏み出した一歩なのだから、モタモタするようなことがあったら、自分を叱り、自分を鍛え、自分を磨く…この繰り返しで行くしかない。 改めて、これからも皆さんの大きな声援をお願いする次第です。

       ( 写真: 一番最初のお気に入りテンプレート )
 
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「294編…」

2009年04月28日 | 趣味・・エッセイ
思い起こせば1年前のこの頃。連日のように参考書と首っ引き。あーでもないこーでもない……悩みながら、ブログ開設に向けて挑戦の日々を過ごした。何とか開設にこぎ着け、第1回目をアップしたのが4月30日。

あれから364日が過ぎた。 その間294編。1ヶ月平均24.5編。この数字が多いのか少ないのか、よく分からないまま突っ走ってきたように思う。

何故、区切りよく5月1日スタートにしなかったのか?? 血液型A型のyattaro-にしては半端なスタートとなった。 実はこだわりがあった。5月1日を実質的スタート、そのためには4月のうちに、何編か練習でのブログアップを試みておきたかった。 これも血液型によるこだわりだったのかも知れない。

エッセイ創作仲間の先輩ブロガーや、創作仲間皆さんの応援を背中に、エッセイ創作の練習台のつもりで始めたyattaro-ブログ。 時には手紙感覚、時にはラブレター感覚、時に思い出、時に口角泡を飛ばす怒り…そして何より、家族・孫たちとの心の交流…そんなことを主題に、あれこれ思考をめぐらした。

そして今日、364日・294編目が、毎日新聞はがき随筆(250字)として掲載されたエッセイを、アップできる偶然を心秘かに喜んでいる。他愛もない内容ながら、孫に送る、ジジの精一杯のエールとご理解頂けると有り難い。 また、本当は多くを望んであまりある欲張りジジの、心の葛藤をご賢察あれ……。

『 “オレ、1年生になったよ”。はじける笑顔で入学式の報告にやってきた。 彼なりの夢と希望に胸躍らせているようだ。普段より一段とハイテンション。 名前は「天使の羽根」なのに、学用品とジジの期待も一緒に詰め込んで、身の丈に合わぬ重い大きなランドセル。 最初っから、甘さたっぷりの「ふゆう柿」ならそれもいい。8年たって「渋柿」のままならそれもまたいい。 甘くても渋くても、柿が柿であるように、人間に変わりがあるものか。 強く、優しく、たくましく、できれば賢く……など多くは望まぬ。 元気な笑顔、それが最高! 』
                                (2009.4.28(火)毎日新聞掲載)

        (写真: 身体の厚みの倍もありそうな、重い大きなランドセル)
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「シルバー返上…」

2009年04月27日 | つれづれ噺
柄にもなく先日、とある美術展に出向いた。会場の受け付けとして、素敵な中年と思しき女性に応対された。内容はあらかじめ調べては行ったが、今回の展示の内容・目的など当事者から直接聞きたかった部分もあって、軽くおたずねしてみた。

「私は会場担当としてシルバーから派遣されたもので、内容については分かりかねます……」とやんわり断られた。 エッ!この方がシルバーからの派遣??と思ったがご当人がそうおっしゃるのだから……。

結局展示関係者には会わないまま帰ってきた。
ふと思い出したのは「シルバーという言葉の響きがよくないねー」という渡辺淳一さんのことば。

確かに我々世代は、第一線を退いた、同時に人生のゴールデンエイジは終わったのかも知れない。
しかし、いきなりシルバーまで落ちてよいものか……金色は放たなくてもプラチナという素材があるではないか。

「プラチナなら、ゴールドほど派手派手ではないし、シルバーほど地味でもない。ケバケバしくないが底光りがする世代」。実にうまいことをおっしゃる渡辺淳一さん。

展示会場の受付をされた素敵なシルバー女性も、「プラチナ人材センター」から派遣されていたなら、案外、内容や目的くらいは説明できる準備をされたかも知れない。 人はその環境に馴染む、馴染まなければ生き延びられない厳しさも知っている。

我々世代をワンランクアップした扱いをするなら、もっともっと豊かな新しいパワーが世の中に溢れるかも…。 待てよ…と思い返して貴金属相場を調べてみたら、プラチナはゴールドより遙かに上を行っている。ちょっとおこがましい気もするが、見た目の「底光り…」という点で、プラチナ世代がいいな……。

        ( 写真: プラチナ入りゴールドに比べると見劣りがひどいシルバー… )
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「新たな一ページ」

2009年04月26日 | 家族・孫話
21日に誕生して丸5日。産院の管理下で順調に時を過ごし、今日退院。
いよいよ、親やジジ・ババの管理下で生育を見守ることに相成った。 先ずは無事な退院を喜んでいる。

「悠雅 ゆうが」と命名された。「千陽 ちひろ」・「和来 かずき」そして「悠雅」。いずれも親の深い思い入れを託された名前であろう。それぞれ名に恥じぬ生き方をしてくれたらそれに越したことはない。

思い起こせば8年前。長男の誕生後我が家に退院してきた娘。何一つ無理をさせた覚えもないのに、突然の体調不良を訴え緊急入院。母のいない子になるのでは……と心配をするほどの一時重症となった。 その経験を踏まえ、次男の時はことさら産後の肥立ちに神経を使った。

幸いここまでは事なきを得た。しかし、前回のお産から6年がたっている。
しかも今回は、小3・小1という、やんちゃ盛りの二人の兄がいる。触りたくて撫で撫でしたくてたまらないカー君。片時も目を離せない。そんな状況の中では、母親の健康回復には必然的に近くに住んでいるジジ・ババの出番が増える。
などと、迷惑そうなことを言いながら、必死に手助けを買ってでもやってのけるのではあるが……。

気持ちの上では人一倍心配する。なのに実働的には大きな役に立たないジジの悲哀を感じている。 
贅肉の蓄えのないババが、これ以上細くなったら骨になる。責めて足だけは引っ張らないよう心したい。

そして娘の体調が回復し、育児休暇で家にいる間に、小学生のお迎えも雑事も全てを娘に任せ、カミサンに何か褒美をやることにしよう。
ここは一番片肌脱いで、ルーブル美術館やライン川クルーズでもプレゼントするか……。となれば、ジジ・ババにとっても新たな一ページになるのかな…。果たして喜ぶんだろうかー…。ヌカミソの代表者は…。

         ( 写真: いい名前をもらった新たな生命「悠雅君」 )
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「何処からともなく飛んできて…」

2009年04月25日 | つれづれ噺
どこから飛んできたのか、はたまた鳥が運んできたのか、我が家の畑にぽつんと一つ、見るからにひ弱そうなヒョロヒョロっと伸びた茎の先に、朱色の可憐な花が一輪咲いている。
カミサンによく見させたら「これはケシの花でしょう…」とおっしゃる。 ふと思い出した。
   
   ♪♪ 赤く咲くのは けしの花 白く咲くのは 百合の花
           どう咲きゃいいのさ この私 夢は夜ひらく~~ ♪

言うまでもなく、栽培してよいケシと法律によって栽培や所持が禁止されているケシがある。その上、ヒナゲシ・オニゲシ・ボタンゲシ・ハカマオニゲシ・トルコ種……など種類も多く、栽培可能と栽培禁止の見分けが付きにくい。となれば、君子危うきに近寄らず。毒性種ではないかも知れないが、ケシと名が付くからには毒されないうちに早めにケシてしまうことも考えなくてはならないのだろう。

時期を違えず、精一杯のエネルギーをほとばしらせて咲く、花という花に対して一様に愛着を持つこの身には、どこから迷い込んで来ようと、鳥が運んで来ようと、我が敷地内に咲く花は大事に育てたいと思う。
しかし、その花が成長と共に毒を持ったり、この身や周囲に害を及ぼすに至っては抜き去らざるを得ない。
数が少ない上に、一輪で咲く見るからにたおやかな花ではある。出来れば抜き去ったりしたくない。
毒を持たない花であって欲しい。同じケシでも害を及ぼさないケシであって欲しい。

自分ではっきり見分けが付かない。誰か詳しい人に見てもらって判断するか、それともバッサリ抜いて自分自身で処分してしまうか……誰にもケシかけられないよう、自分でジックリ考えてみよう。 

         ( 写真: ケシの花と思しき、一輪の可憐な花 )
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「ハチャメチャ人生…」

2009年04月24日 | つれづれ噺
世の多くの会社勤めをしてきた人たちは、規定の年齢に達したら、定年引退というシステム構造が確立されている。
その世界では、よほどの理由がない限り一様に役目を終える時期は定められている。

広島県出身のジャズ・サクスホン奏者、坂田 明氏が面白いことを言っている。
自分たちは、引退と言うことに関しては、社会のシステムの外にいるから、状況が変わるとその状況に従って、あっちにプカプカ・こっちにプカプカ、ハチャメチャな人生を送ってきた。まるで浮遊生活を続けるプランクトンみたいに……。
年齢に関係なく、サックスが吹けなくなったときが現役との別れにはなるが、その時が「引退」かどうかは分からない。サックスに変えて口笛でも、鼻歌でも、ものを表現しようという意欲があれば、何か方法はあるはず……。と。

さすがに、一芸にも二芸にも秀でた世界のサックス奏者。ひと味違う凄味を感じさせる。

一応60歳でひと区切りを迎えた我々世代の全ての人が、定年と同時に「社会からの引退」を考えている訳ではないと思う。それぞれがそれぞれの思いで、出来ることに手を出し、興味を持ち、社会貢献に精出しているのだと思う。とすれば、ステージや状況の違いはあっても、意欲を持って事に当たる…という点では、天下の坂田明氏と大きくは変わらないのかな…なんて勝手に思っている。

絞った直後のお酒は、味が尖っている。だけど時間をおくと熟成してまろやかになっていく。自分の中の個性・性格といったものも、やがては熟成しつつ折り合いを付けていかなければならない。そう言う意味では、それぞれの人生なのだから、自分はサックスとミジンコ博士と呼ばれる人生。他のミュージシャンは他のミュージシャンの人生になっている……。とも。

我がちっぽけな人生で何を語ることやある。責めて我が意の赴くままに、楽しく生きて行けたらいいな…一回こっきりの人生だもの…。
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「手習いは……」

2009年04月23日 | 趣味・・エッセイ
亡くなったおふくろが、若いときから何度も何度も聞かせてくれた珠玉の名言が幾つか頭に残っている。
いずれその全部を紹介したいと思っている。
今回はその内の一つ 「 手習いは 坂に車を押す如し 油断をすれば 後にもどるぞ 」。

今では、一日たりとも開かない日はない…というほど、来る日も来る日もお世話になり、生活の中に溶け込んでしまっているパソコン。
最初のとりつきは、会社の業務遂行上、止むを得ず何がなんでも使い方だけはマスターしないと…という切羽詰まった形で、追いたくられるようにパソコンと向き合った。

そこには、パソコンのイロハなどという基礎知識は必要ではなかった。兎に角、品質管理の作業能率向上が最優先で、当面の扱い方のみ叩き込まれた。 そのうち自らがその素晴らしさ・楽しさに目覚め、自分で購入し我が家でのパソコンライフが始まった。

初代のPC、Windows95を購入したとき、使用説明会という教室で教わった以外は、ほとんど我流でここまできた。耳学問や見よう見まね。どうにかこうにか使ってはいるが、一度は本格的なパソコン教室・パソコン講座なるものを覗いてみたかった。

ようやく思い切って、自治会主催パソコン講座に申込み、2日間・4講座を受講し終えた。
正直な話、完全なる復習でしかなかったとは思うが、それはそれで、一通りパソコン講座の内容を知り、どのような教え方をするのか…という疑問への回答にはなった。

もちろん、簡単に使える方法を、我流ゆえ遠回りしていた部分も多く見つかった。
やはり、我流を過信することなく、手習いは繰り返しやらなければ……と改めておふくろの言葉を思い出すパソコン講座。それなりの意義を身に付けてまた一つ、自信みたいなものが湧いてきた……かな??。

       ( 写真: パソコン講座教室風景 )
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「ある日突然に…」

2009年04月22日 | つれづれ噺
昨日、いつも通りマイブログを開いた。 ナヌッ? これは?? 目が点になった。
昨年4月30日、苦労してブログの立ち上げを試みた。テンプレート・パーツ貼り付けなどあれこれ探し回った。
ようやくお気に入りのテンプレートが見つかり、パーツも貼り付けてスタートした。

後わずかの日数で丸一年を迎える…と思っていた矢先の昨日、発信元のgooブログが、一方的にメンテナンスを行った。
「メンテナンスのお知らせ」
「一部テンプレート配布と利用終了のお知らせ」
という通告によって、立ち上げ以来、慣れ親しんだテンプレートがいきなり消されてしまった。

使用していたお気に入りテンプレートが、「配布と利用終了」の仲間に入っていたためである。
代わりに、クールブラックという極めてシンプルな、淋しすぎる背景に変わっていた。

急遽、新たなお気に入りテンプレートを探した捜した。かれこれ半日近くかかってようやくそれらしいのが見つかった。
それでも、最初ほどの感動はない。が、自分で勝手に描くことの出来ない、ひな形から取り込むわけだし、何せ無料なのだから…。

それにしても、ある日突然足下をすくわれた感じがしないでもない。
でもまあ、考えようによっては、昨日誕生した3人目の孫の生命と同時スタート。
記念すべき出来事かも知れない…と良い方に解釈して、当面この「オープンカフェ」とお付き合いを、よろしくお願いする次第です。

テンプレートはリニューアルされても、ブログの中味はリニューアルされないねー…との声も聞こえて来そうです。
そこんところを、曲げて、ひとつ今後ともよろしくお付き合い頂けると有り難いな……です。
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「生命の誕生物語」

2009年04月21日 | 家族・孫話
新しい生命の誕生物語!! 予定より1週間早い今日からのスタートとなった。

2009年4月21日午前11時37分。男子、体重2700㌘、無事生まれた。新たに一人、家族が増えた喜びに浸る。
自分が生まれた時2480㌘、保育器に2日間お世話になった娘が、3人の男の子の母親となった。母子共に健在。この上何を望むことやあらん。 娘、よくやった!!

兄ちゃんとカー君二人を連れて赤ちゃんの顔を見せに行く。乳児室のちっちゃなベッドに寝かされて、盛んに手足を動かす新しい生命の躍動に、二人はしばしくぎ付け。
カー君は一足先に母親の部屋に戻ったと思ったら、靴を脱いでベッドに潜り込み母親に頬ずりして甘える。帰り際には涙があふれる。

そこは兄ちゃん、広い入院室のシャワー室からトイレ・ロッカー…あっちこっち全てを点検。その間何度も何度も赤ちゃんの顔を見に走る。帰り際も母親からジュース代をもらってケロッとして引き上げる。

長男8才・次男6才・3男0才…長男・次男それぞれに異なる個性。加えて6才の年齢差を持つ3人兄弟、どのようにうまく育て上げるのか。親はもちろんながら、ジジ・ババにとっても、大きな試練なのだろう。

身体を鍛え…とまでは行かなくとも、ここは一番ジジ・ババ共同戦線を張って、当分の間「老い」など寄せ付けず、「病魔」も退散させるよう勢いを持続させなければならんのだろう。はてさて3男が何歳になるまで付き合ってやれるやら…。

有り難いことに、また一つ気持ちを新たに、生命誕生物語を執筆出来る。やれ嬉しや……。

        ( 写真: 入室禁止の乳児室で、躍動する新たな生命 )
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「ここだけの話…」

2009年04月20日 | つれづれ噺
思いがけない人から思いがけない人の訃報連絡が入った。
何はともあれ押っ取り刀でお通夜に参列した。遺族親族の代表としてお話しされた、故人の妹さんの言葉が爽やかな印象として残っている。「享年79才の兄は、5年前に肺ガンの宣告を受けた。この5年間はガンとの闘いの日々であったが、周囲の人々との暖かい交流に支えられて、ガンを笑い話に変えたり出来る幸せな明るい人生だったと思う……」といった内容だった。

歳のせいか…(最も使いたくない言葉の一つであるが、文章のつながり上仕方なく使う)この頃は、テレビドラマやニュース番組などで『ガンの告知』というテーマが、やけに目に付き耳に入るようになった。

現在、何処が悪いわけでもなく、病院とも無縁に過ごす。自覚症状なども全くない健康体。と思っている。

でも、でも、でもね、ある日突然「……○○ガンですよ…」と宣告されたらなんとしょう…と二人で真剣に話すことが多くなった。 結論は、お互い正直に本人に告知することで意見の一致をみた。
但し、医師の言う「…後○○年とか△△ヶ月の命です…」という期限は一切口にしないという具体的方法も合意に達した。

間違いのないガンなら当然教えて欲しい。が、あと何年・何ヶ月生きるかまでは知る必要はない…と。
後どれだけ生きるかは、生きてみなきゃわからない。それこそ神のみぞ知る。運を天に任せるとはこのことだ。

ガンの告知を受けたその日から、新たな人生のスタートとして、終焉までの限られた期間を精一杯生きる。これぞ生命を味わう醍醐味だ……などとかっこつけて、軽やかにハンドル握り葬儀場を後にした。 
ガンガン飛ばす気にはなれない晩春の夕暮れ、ソーっとクルマを走らせた。

       (写真: ネーネーあのねー… ウーン聞こうかどうしようか…)
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