「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「今年のいちばん咲き!」

2022年08月31日 | 季節の移ろい・出来事

   
   
            今年の一番咲き。赤みを少し控えめに、ピンクの彼岸花

葉月つごもり。いよいよ明日から9月の始まり。
そんな季節の移ろいを感じ取っているのだろうか。「ねぇ見て見て!」おどけておねだりするように、今年の一番咲き彼岸花が、隣の空き地にひっそりと花開いた。あのグロテスクな深紅が奔放に広がる花の集団こそが、彼岸花の真骨頂かなと思ってもみるが、深紅を抑えて優しいピンク色がこうして広い空き地にポツンポツンと咲くさまもまた風情がある。

生い茂る夏草を、日照りの塩梅を見ながら草刈り機を駆使して刈り込んだ隣の空き地。時期を間違えると、彼岸花の芽も刈り取ってしまう。今年は少しだけ早めに刈込んだのが彼岸花にとってはグッドタイミングだったのかも。それにしても振り返ればもう彼岸花の季節、そして沈む夕日が色んな形を見せる季節を迎えたのだ。う~~ん、やっぱり時の流れの速さを実感している。

左肩腱板断裂の修復手術以来9ヵ月近くになるが、今もまだ療法士さんによる術後リハビリは続いている。
自分の家でも、数年前に流行った「健康ぶら下がり器」を自己流に改良した、腕引っ張り器を使って訓練している。マニュアル通りの屈伸なども実行して努力はしているつもりなのだが、引っ張っても曲げても少し痛みがきついとつい止めてしまう。そこへいくと、療法士さんによるリハビリは甘くない。マスクの下で大口を開いて必死で痛みに耐えているがお構いなし。アイタタッ!アイタタッ!は続く。お願いヤメテ!心の中で叫んでいる。

この痛さを我慢して屈伸を続けることで正常の動きが戻るのだと信じて、9ヵ月近くのリハビリに耐える日々。長いな~と思う。
時の流れの速さを実感する裏で、痛みに耐える日々は長いな~と思う。矛盾の多い8月が往く。

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「晩夏の代替わり!」

2022年08月30日 | 晴耕雨読

   
    とっくに盛りを過ぎたキューリ                  今年2代目の、地這いキューリ

照り付ける太陽にも負けず、来る日も来る日も新鮮な実りで夏場の食卓を彩ってきたキューリさん。
4月半ばに植えて4カ月半。十分に役割を果たして夏の終わりをむかえた初代のすぐ横には、代替わりの新たなツルが伸びている。

昨日の「晩夏の実り」は田んぼの稲穂であったが、それとは真逆に、水分の少ない真砂土の畑では「晩夏の枯渇」とでも言おうか、夏野菜の代表格キューリもトマトも終焉の時を迎えた。1年という短いサイクルの中ではあるが、季節を謳歌する野菜たちの栄枯盛衰というところかな。

このところ連日のように日の暮れどきに畑の草取りに精を出している。まさに夏場に伸びた草との戦いは、腰痛に耐え、したたる汗に耐える難行である。
その大きな理由はもちろん、秋撒きの冬野菜に備えて畑づくりをすることであるが、今ひとつの大きな理由がある。それは、終盤に入ったプロ野球カープさんの不甲斐ない戦いぶりは、試合開始から見るほどの気が起きなくなったという寂しさがある。

プロ野球の世界でも晩夏の枯渇、初秋の息切れという現実が目の前にひろがると、若干涼しくなった中での日の長さを無駄にしては、晴耕雨読を標榜するこの身には似合わない。などと立派な理屈を並べてはいるが、これでもしもカープさんが3位の可能性でも出てきたら、夕方の草取りなどもってのほか。いち早くテレビ桟敷に陣取って、畑の草は伸び放題ということになるのだが。はてさて、明日の夕方は草取りをさせるんじゃろうか。

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「晩夏の実り!」

2022年08月29日 | 季節の移ろい・出来事

  

ここ数日の朝夕の涼しい風に「これってホンモノ?」「このまま涼しくなるんじゃろうか?」などと疑い半分、楽しみ半分で初秋の風を待っていた。
そしたら何のことはない、今日は再び熱波が戻って来た。陽射しの強さ暑さは半端ではなかった。物言わぬペットのメダカさんの水に指を入れたら「なんじゃこりゃ!」ぬるま湯になっているではないか。思わず真新しい冷たい水を足してやった。下手をするとメダカの煮干しが出来るところであった。
真夏の暑い日々はどうしていたかって??もちろん、専用にこしらえた日陰用ネットを被せてお湯にならないよう注意していた。それが急に涼しくなったものだから、日陰用ネットを被せるのをオサボリしていたのである。ごめんね、メダカさん。

          
ぶり返しの感あるこの暑さ。晩夏の実りや如何に、近くにあるなだらかな棚田の稲穂の状態をこの眼に止めておきたくなった。
いつもなら、燃えるように咲く彼岸花に縁取られる黄金色の稲穂を皆さんにお送りするところを、今年は彼岸花の前の実り状態を確かめておきたかった。
稲穂は、灼けつく太陽を浴びてしっかり根を張り豊作を約束する。但し、半端でない今年の日照りは稲穂にとって害になってはいないだろうか、そんな老婆心というか、素人なりの気がかりがあった、ということ。

ご心配なく。適度な雨さえあれば、日照りは強いほど有難がる稲穂の逞しさ。見事な晩夏の実りを見せてくれた。
2~3週間先には、例年通りの紅と金色のコラボ、彼岸花と垂れる稲穂をお届けしましょう。雨風の大きな台風や屋根を吹き飛ばすような大風に見舞われなければ、豊作疑いなし。岡目八目、素人が申しております。

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「いわくに 久杉橋」

2022年08月28日 | 旅行・レジャー

       
                下流から見た久杉橋、右手に見えるのが商品の直売所

      
                上流から見た久杉橋、右手に見えるのが本社社屋

岩国市の山奥に、ネットを通じて世界市場に名を連ねる日本酒の醸造元、旭酒造がある。
ブランド銘を「獺祭(だっさい)」という高級日本酒として、地元はもとより海外市場で大きな評価を受けている。
下戸の私でも、口当たりがよくて確かに旨いと思う。しかし高嶺(高値)の花で、いつもの晩酌にとは手が出せない代物ではある。

この山間の蔵元を、2018年7月の西日本豪雨による土砂災害が襲った。出荷前の製品や醸造工程に大打撃を受けて計り知れない損失となった。
しかし、世界に名を馳せる新進の醸造元だけにその立ち直りも早く、ブランド名に傷を付けることもなく製造再開、雇用も守った。
その工場の前を昔から流れている小さな川を挟んで、商品直売所がしつられられている。工場と直売所を結ぶ約21mの小さな橋が「久杉橋」と呼ばれる話題の橋である。久杉橋も当然ながら西日本豪雨で跡形もなく流された。

何故にこの復旧なった久杉橋が注目されるのか。この橋のデザインを担当したのが、建築家でありデザイナーとして世界中から注目され絶賛されている「隈研吾」氏の手による作品だからである。彼の仕事ぶりや学歴などは、ここで述べるまでもなく多くの方が先刻ご承知であろうから省略するが、兎に角大変な実力者である。

災害復興の象徴としてデザインを依頼された彼は、山口県産のヒノキ8トンを使い、美しい曲線を描く久杉橋を創り上げた。
新しい橋は長さ21メートルのコンクリート製で、欄干両側に1266本(長さ30センチ~2・7メートル)の10・5センチのヒノキ角材が組み合わされている。19年11月に着工、今年6月末に完成した。総事業費は3億7千万円で、デザイン料2億円を旭酒造が負担、工事費1億7千万円は県が支出した。維持、管理は7月から岩国市が担っている、というもの。

小さな町の山里に、象徴として世界につながる力を持っていると、デザイナーご本人に言わしめた、まさに目をみはるばかりの美しい曲線美。匂うばかりのヒノキの躍動。叶うなら現物をお見せしたいところではあるが、拙い写真をご覧頂いてさらに想像を膨らませて頂ければ幸いである。

  一度はおいでよいわくにへ 人情溢れる城下町
     緑の山に囲まれて 湧き出る清流数知れず ・・・・・・自慢するもの少ない我が町にも、こんな新たな名所が生まれているんだよ。
                               かく云う私も噂には聞いていたが、実物見学は初めてである。
                               親しい友からの近回りお勧めスポットの一つ。見応えがあった。

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「相続!」

2022年08月26日 | つれづれ噺

               

人間とはよくも悪くも「欲」という厄介なものを持つ生き物である。
欲があるから努力する。我慢もする、涙を呑んで捲土重来を期す。裏返すと、欲があるからありとあらゆる犯罪を犯す。
まっこと厄介で困った生き物でもあるが、人知れず努力をし我慢もできる可愛さも持つ生き物でもある。

欲を持つことの最悪の例は、目下報道を賑わせている、大阪高槻市の1億数千万円という保険金殺人事件である。
自分は働かずにいて、ただ悪知恵だけを働かせ、世の中の仕組み悪用して濡れ手に泡の大金を手に入れる。そのためなら人の命の尊さなど屁とも思わない蛮行に突っ走る。いわゆる保険金受け取りという相続にからむ話である。

そんな悪事は置いといて、昨日、今日と銀行や郵便局を回って、突然亡くなった姉の預貯金口座の解約手続き、つまり姉の遺産相続の手続きを終えた。現在の金融機関では、こういった口座解約や相続手続きに手慣れていると見えて、意外と簡単であったのには驚いた。
全国ネットで親族の印鑑証明付き承諾印や戸籍謄本など要求されたら面倒だなーと考えながら銀行窓口に出かけた心配は杞憂に終わった。これは助かった。

ただ一つ、郵便局はそうは行かない。1000円に満たない残高口座を解約するにも、身寄りや血縁親族がない姉の死去の場合、先ず生存の姉弟の承諾が必要。続いて姉弟死亡の場合は、それこそ全国に散らばる姪・甥の印鑑証明付き印と、戸籍謄本が必要という。「そんな面倒・煩雑な手続きが要るのなら口座解約をせず、そのまま放棄します」という相続放棄がいとも簡単に暗黙の了解を得た。こちらも助かった。

もっとも、姉の銀行口座には遺産と言うほどの金額も残っておらず、相続人だけが裕福を味わうということでもないことから、書面上の手続きで相続を認め、口座の解約が終えられた。かくして、姉の急逝という一大事発生からおよそ4ヶ月。一通りの事後処理を終えた。

みしも、遺産を分配するほどの大きな金額が残されていたら、思わぬ臨時収入を宛てにされ、姪・甥対叔父・叔母の欲の張り合いが勃発しかねない遺産相続手続きであるが、分配するに足らない小額で、何のもめ事も、いさかいもなく最終決着がついたことを喜んでいる。これも、上手に使い切って旅立った姉の、弟へのはなむけだったのかも知れない。

ヘタに多くの遺産を残して、欲の皮の突っ張った親族同士の争いを引き起こすより、自分の代で貯めたものは自分の代で使ってあの世へ行くのが遺族に対する思いやりですよ・・・という教訓の相続活動であった。

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[秋となすびと昔話」

2022年08月24日 | 晴耕雨読

                  

この夏もいよいよ二十四節季の一つ「処暑」を過ごした。だんだん暑さも収まるころのはずなのだが、なかなか暦通りには行かないところが味噌である。
そもそも処暑とは、暑さがとどまる、落ち着くという意味がある。朝夕には涼しい風が吹き、心地よい虫の声が聞こえてきて秋の実りを予感させる晩夏そして初秋へと続く季節の変わり目でもある。

今年初めて挑戦した夏野菜のナスとカボチャ。どちらもそこそこに実って、初挑戦にしては上出来!と自分では思っている。
カボチャの方は、スイカと同じツルものなのでもう完全に終わってしまった。だが、ナスの方は相次ぐ雨不足に喘ぎながら、葉っぱをダラリと下げながらも花を咲かせ実をならせている。これはピーマンも同じである。

そこで、そろそろ秋の収穫を狙って、一度丸裸にするほどに鋏を入れて枝葉を刈り込む。ナスもピーマンも同じようにする。そうして小枝があまり横に張り出さないよう周りを縛ってやる。少し窮屈にしてやると、真ん中の幹を中心に元気を出して、秋の収穫を期待させる花が咲き始める。
問題はその新たに実った秋ナスの話である。耳にされた方も多いと思うが「秋ナスは嫁に食わすな」という古諺がある。

それも、善意を込めた場合と、ちょっと皮肉を込めたイヤらしさを表現している場合と、相反しているのが面白いと言えば面白い。
善意は「秋のナスは美味しいのだが灰汁(あく)が強いため、あくの強い嫁になってもらっては困るので食べさせない」というもの。
今ひとつは「秋のナスはあくが強くて美味である。こんな美味しいものを嫁に食わせてなるものか」という姑根性を言い表わしたもの。
さてアナタはどっち好み?まあ遠い昔話としてサラッと流すのがよろしいようで。

いずれにしても、今まで一生懸命生ってくれた、ナスにもピーマンにも、もう一踏ん張りしてもらって、美味しい秋ナス、秋ピーマン食べさせて頂けるよう、手を入れ肥やしを入れて、作り手のほうももう一踏ん張りの晩夏である。

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「一つの夏の終わり!」

2022年08月22日 | スポーツ・観戦

コロナ蔓延に怯えておこもり。一歩外に出れば何もせんのに汗が流れ落ちる猛暑。そんな家庭滞在時間の長い夏をうまくカバーし楽しませてくれた全国高等学校野球甲子園大会。但し、今年ほどエアコンを長く使用した夏も珍しい。どうかすると電気代がどれほどかさむのだろう、と気を揉んだりつまらぬ心配しながらでも、我が山口県代表下関国際高校がどんどん勝ち進むではないか。

ベスト8の激突では、優勝候補の大阪桐蔭を破った。準決勝ベスト4の戦いは、春の準優勝の実力者滋賀県近江高校。こちらも撃破してついに決勝戦に進出。山口県勢64年振りの優勝旗奪取か。山口県を沸かせた。
対するは、こちらも鍛えに鍛えられた仙台育英高校。深紅の大優勝旗を引っ提げて「白河の関を越える」との固い決意で、東北に初の優勝旗をもたらして、一つの夏が終わった。

  
   両雄死力を尽くした戦いは終わって             おめでとう!仙台育英高校 勝利の校歌斉唱

          
                  戦い済んで、閉会式に臨む下関国際高校

          
                 全国3547校が参加した2022年高校野球大会閉幕

全国ら3547校という膨大な学校が参加し、しのぎを削る高校野球。
今日の優勝戦は、野球部の練習帰りに泥まみれのユニフォーム姿で我が家に立ち寄った、中1の孫君と並んでテレビ観戦した。
小学時代はソフトボールで頑張り、中学校でも野球部の一員として泥と汗にまみれている以上は彼も野球選手の卵である。もしも甲子園にでも行くことになったらどうしよう。などとジジがうろたえることではないが、兎に角今はボールを追いかけ、バットを振って基礎体力を鍛えてくれりゃそれでいい。ジジの生きている間の夢の一つだもの。

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「晩夏のふる里」

2022年08月21日 | 季節の移ろい・出来事

              

忘れていたわけではないが、何かと忙しく過ごした今年のお盆月。思い出したように今日、カミサンのふる里を訪ね1週間遅れのお墓参りをした。
目に映る景色、セミの声、耳に馴染んだ川のせせらぎ、カジカガエルの鳴き声など、迎えてくれるふる里の表情は50年前の結婚当初と大きく変わらない。変わったのは人の姿が見えない、人の声が聞こえないということ。

義兄夫婦も今は高齢となり、病も得てこのふる里に住むこと叶わず、繁華な街中にある介護施設で生活している。鍵の掛けられた実家を横目に見て、物言うこともなく、ふる里の一角に佇む先祖代々の墓石に静かに手を合わせる。このお墓も義兄が場所を移して新しく建て替えたから、私たちも簡単にお参りできるが、初代のままであったら草深くてお参りも叶わなかったはずである。

直前に降った驟雨のお陰か、川の水は溢れるほどに岩を噛み白く泡立っている。
" 瀬をはやみ 岩にせかるる滝川の われても末に逢わんとぞおもう ”という古歌を思い出させるような、ゴーゴーたる賑わいを見せているというのに、人と人の賑わいは遠く影を潜め、集落の面影さえ失われつつある。さてこの後何年持ち堪えるのだろうか。

そんな我がふる里から2km山奥に入った場所に、鉱山跡の鉱脈を活用した観光施設が出来ている。「ムーバレー」と呼ばれ、地底探検の穴場として観光客を集めている。夏休みも終わりに近づいて、子どもたちにせがまれて押し寄せてきたのか、他県ナンバーのクルマとの出会い・離合が激しい。普段のこの道は、私たちの里帰り専用道路みたいな感じで、ゆったり穏やかに迎えてくれているのに。

事ほど左様に、何かの産業を産み出さなければ、高い山と森林に囲まれた昔ながらの小さな集落は立ちゆかないことを、改めて実感させられる。
森林作業や、国内材木供給の振興など、税金の使い道を考える奇特な政治家が出て来ないものかねー。それで無くても自給資産の乏しい我が国なのだから。

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「世界のデザイナー」

2022年08月20日 | ニュース・世相

            
                  活躍中の森英恵さんとその家族 (ネット拝借)

世界中の美と艶を奏でるファッションの世界に「ハナエ モリ」の名前をとどろかせ、君臨し続けたデザイナー森英恵さん。
96年の歳月をもってその活躍のステージは静かに幕を下ろした。

主に女性向けのデザイナーという印象が強くて、私生活において彼女のデザインを格別に意識することもなかったような気がしている。それでも、蝶をあしらう森英恵デザインのタイピンとか財布、ハンカチーフに目を惹かれ、気取って愛用した若い時もあった。それより何より、我が青春華やかりしころから、周囲の同年配や少し先輩女性のあいだで、森英恵さんは話題の中心であったような記憶がある。そしてこの名前の文字を森ハナエと読むことに大きな抵抗を感じたことも、若いころから森英恵さんを記憶し大きな大きな理由の一つでもある。

ファッションデザイナーのコレクションなどというと、やたら奇抜で派手過ぎて、普通の衣装としてはとても使えそうもない「まるで別世界」と感じる内容を多く見て来た。しかし、森英恵デザインは英国王室や我が国皇室の正装として実用的に採用されているように、斬新なアイデアの上に上質な気品に満ちているように感じてはいた。何も分からない素人が、知ったげな小理屈を並べているが、若い頃からの人気が96才まで維持出来るところは、やはり並みの人ではないと、あまり関係のないところではあるが、心底尊敬している。

人はいつか終わりが来る。振り返ったときの足跡の大きさ、歩んできた道幅の広さ長さなど、色んなことをいろんな人が勝手に評価するのだろうが、第一線のトップランナーとして半世紀どころではない長きその活躍に、敬意と拍手を持ってお見送りしたい気持ちである。

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「コロナ慣れ、大丈夫??」

2022年08月19日 | カープ一喜一憂

           

コロナ感染対策の「行動制限」が政府から発表されない第7波の真っただ中の今。
すべからく中止に次ぐ中止で日本全体が我慢したあの2年間はなんだったのか?と首をひねってみたくなる。
高校球児の夢を奪った高校野球甲子園大会の中止やプロ野球無観客、観客数制限。サッカーや各地の一大イベントも軒並み中止を迫られた過去は何だったのか。感染者実数もあの3波・4波・5波そして6波よりもはるかに多くなっており、今日もまた北海道、広島、長崎など感染者数最高記録を更新している。

このまま放っておいていいのか。感染防止対策を個人の裁量や自治体など小単位の判断に任せておいていいのか。という率直な思いはある。というか、無症状と呼ばれる患者がどこにいるのかも分からない状態の中で、もしもあなた自身に、私自身に感染したらどうしてくれるの?っていう話である。
医療現場の逼迫やベッド数の不足は、以前の比ではないほどの困窮ぶりを見せている。早い話が、コロナ感染が身近に迫っていて正直怖さを感じている。

狭い空間に超大勢の観衆を集めるプロ野球もサッカーもそして甲子園球場高校野球も大盛況である。
その陰に隠れてというか、すでに表に出ているが、プロ野球各球団でも選手スタッフひっくるめて大量の感染者である。高校野球チームでさえコロナ感染で出場辞退もあり、試合日程組み合わせ変更など大変な事態に至っている。

広島カープのここ4試合をみても、首脳陣はじめスタメンの大幅な入れ替え。投手陣の編成苦労など、痛々しく目に映る。勝てないジレンマも含めて。
試合に出てなんぼの選手がコロナで休む。私たちがコロナにかかれば入院もできなくて自宅療養で命を縮める。困った世の中だね~。
コロナを完全に抑え込む手立てとか、感染しないおまじないみたいなものはないのだろうか。今さら愚痴ってもね~。

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