「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「弥生つごもり」

2019年03月31日 | 季節の移ろい・出来事

                              

またたく間の1・2・3月であった。気が付けば早くも弥生つごもり。
弥生とは言わずと知れた3月の旧い呼び方である。
益々栄える弥栄の「イヤ」と生い茂るの「オイ」を合わせて「イヤオイ」という語源が、長く使われるうちにちぢめられて「ヤヨイ」と言う呼び方が定着したのだそうな。

いずれにしても、大地の草花が弥栄え、萌えるような新しい芽を出すいい季節ということ。
今年は少し早めに満開を迎えそうな錦帯橋の桜も、そろそろ見ごろである。
毎年のことであるが、正月が過ぎた頃から4月初めまでを極端に忙しく感じる。

特に今年は、中学校同窓会準備という一大事を抱え、慌ただしさ目を見張るごとし、であったなどと言うと少し大袈裟かな~。
年を重ねると、時間の流れがゆるやかな人と、そうでない人とに別れるという話を耳にした。
どちらがいいのかは別として、時間の流れがゆるやかだな~などと感じるいとまがないほど、何かに追っかけられているような日々を過ごしている。

「ボーっと生きてるんじゃねーよ!!」と、チコちゃんに叱られることはない生き方だとは思っているが、「それで幸せなの?」と訊かれると返事に窮する。「なんであなたは時間が足りないほど忙しく感じるの?」と訊かれると、これまた返答に困る。
よく考えてみると、アタシの場合は「年を取ったことで頭の回転や指先の動きが緩慢になっているから」という結論に達する。今までと同じことでも、同じような資料作りも、説明文も、以前より随分時間がかかるようになった。

しかしである。単にそれが、高齢化による脳の働きの劣化や、小回りの利かなさとばかりも言えない、と自分で分自分を慰めている。というのも、「今までは初めてのことなのだから仕方がない」と世間が許してくれていた部分も、年を重ね、経験を積んだ分「少しは上達の跡を見せなければ」という、多少なりとも向上心が働くことは確かだ。のんべんだらり、進歩なく同じことを繰り返す生き方には、あの、顔を真っ赤にして頭から湯気を発する「ボーっと生きてんじゃねーよ!!」と、チコちゃんに叱られる愚を避けたいなと思っている。無駄な抵抗かもしれないが・・・・・・。百年一日のごとし、などとは言われたくないね~。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「先ず、1勝!!」

2019年03月29日 | スポーツ・観戦

    

プロ野球ファン待望のペナントレースがいよいよ開幕した。
何は置いても、試合開始にはテレビの前に座るように、一日のサイクルや仕事の段取りが固まって来る。

セリーグ三連覇を成し遂げたら、今度は四連覇をねだるカープファン。
何もカープファンに限らず、どこのチームのファンも同じように、一つ勝てば二つ勝て、二つ勝てば三つ目を。
ファンの欲望は果てしなく広がる。相手がいることなのでそう簡単に行かないことは解っているが、やはり
必死になって応援し、勝ち続けることを夢に見る。

カープの2019年開幕ゲームは、地元マツスタで巨人を迎え撃つこととなった。
昨年まで、カープで2年連続MVPとなった丸選手が移籍した巨人を相手である。何はともあれ開幕戦はカープに勝たせたかった。カープファンが一丸となって声援を贈った開幕投手の大瀬良大地投手が頑張った。名前の通り大地を踏みしめ、浮足立つところなど微塵も見せず、8回を完全に抑え切った。

個人的なことなどどっちでもいいようなものだが、巨人の3番打者としてチームを引っ張るはずの丸選手を4打席4三振に抑えての勝利投手は、大瀬良にとってもカープファンにとっても、溜飲を下げる場面であったことは間違いない。巨人のエースにとどまらず、日本のエースと言われる菅野投手から、先制の価値ある一発を放った安部選手の活躍も、今後に期待を持たせる。

兎に角、開幕戦は勝った。143分の1勝には違いないが、幸先よしと言える。
またこれから、夕方までの時間を忙しく駆けり回る日が続きそうである。今夜はグッスリ!!

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「第1回目、お花見」

2019年03月27日 | 季節の移ろい・出来事

          
               ソメイヨシノに先駆けて、満開の山枝垂れ桜

今年の桜を愛でる第1回目のお花見を敢行した。少し勇気のいるお花見であったような。
いつもの通り、錦帯橋そばのソメイヨシノの下に、広々とブルーシートで陣取った高齢者11人。
お花見とはいえ桜の開き具合はまだホンのわずか。数値で言うなら1分咲きにも満たないか。三々五々そばを通り過ぎる人たちの、好奇のまなざしや、少しの同情気味な視線を気にもせず?兎に角、マイペースなおしゃべりと、お花見弁当を楽しんだ。

ただ一点、これまでの花見と異なるのは、お酒の量が極端に減ったことである。酒豪が断酒中。車で来た人もあり半分はノンアルコールビール。こちらまで缶ビール350㏄が1本半もあれば十分な量で終わった。
まあそのくらいが身の丈に合った酒量と言えるのかも。ただただおしゃべりは弾んだ。

陣取った周辺のソメイヨシノはまだまだ固いつぼみの方が多かったが、帰りがけに吉香公園を横切っていたら、なんとまあ信じられないほどの満開、今が見ごろの真っ白い枝垂桜に出くわした。
毎年見ている桜なのに、今年は、固いつぼみの花見帰りだったせいか、それはそれは格別に美しく華やかに見えた。

段々劣化する一方の視力ではあるが、時として目を見張るほどの感動を覚える対象に出会うと、自分の視力を褒めてやりたくなることさえある。人間て、如何にいい加減なものか、と自分で自分を呆れることもある。

何はともあれ1回目の花見は上々であった。さて今年はあと何回かな。指折り数えて・・・・・・。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「黄色く萌えて」

2019年03月26日 | 季節の移ろい・出来事

           

硬くて荒い土の中から、針のような細~い青い芽を出し始めたのは10月半ばであった。
「ずいぶん早くから春を待つ支度をするもんだね~」と感心したのを覚えている。
針の太さが徐々にふくらんで、暮れには爪楊枝の丸さに。そして年が明けたあの寒さの中でグングン伸びた。

その確かな成長は、まるで受験生が最後の追い込みで、それまでに蓄えてきた力を一気に吐き出す勢いに似ていた。
同じ水仙族でも、ラッパ水仙などはとっくに咲き始め、終わりに近づくころに、やっとこのイトスイセンは尖った先穂が膨らんできた。3月初めにチラホラちっちゃな花を見せはじめた。その後まもなく、温かさも手伝ってた一気に満開へ。狭いに庭にひしめくように咲き競う、幸せを運ぶといわれる黄色い花。
受験生の全てがこのイトスイセンのように、時期が来たら見事に花開くというわけには行かなかったろう。

イトスイセンの芽生えとほぼ同じ時期の昨年10月初めにスタートした同窓会幹事会。
あれこれの実務と並行して水面下の努力をしながら、4月3日の本番に備えてきたのだが。
時期が来たら、幸せの黄色い花をあふれんばかりに咲かせるイトスイセンと同じにはならなかった。

3月15日の返信ハガキ締め切時点で、約30数人が音も沙汰もなし。もちろん参加者も決して伸びない。
その後昨日までの10日間でやっと8枚ばかりが追加で届いた。その間の出席率は3割強。
そして今朝は、東京在住の出席予定者から電話が。「何人くらい出席?」「今回はちょっと少ないんよ」「いいよいいよ、懐かしい友の顔を見に行くからよろしく頼むよ」。イライラやガッカリばかり募らせてはいられない。こんな仲間もいてくれるのだから。

兎に角、数が勝負ではない、中味だよ……と自らに言い聞かせ、当日の演出をあれこれ練っている。
イトスイセンに背中を押されながら、5時間を如何にプロデュースするか。自分も楽しみなってきた。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「平成の怪物」

2019年03月23日 | ニュース・世相

                

平成と言う一時代を、常に衆目を集めながらも、完全に己の道を貫き通し、駆け抜けた怪物。イチローと言う男。数え上げればキリがないほどの栄光を背負ったまま、惜しみない怒涛の声援の中を静かに去って行ったプロ野球選手。

プロ野球生活28年。45歳。気持ちの中では50歳の現役を目標にしていたような。
そのために、小さなことでも自分にできる努力を惜しまなかった彼にとって、唯一逃した目標が50歳現役というとてつもない一大事なのだから、我々凡人が何をかいわんやである。

日米通算4367本のヒット。もちろんホームランも三塁打も二塁打もたくさん含まれている。
日本人初のメジャーリーグ野球殿堂入りがほぼ約束され、日本では国民栄誉賞が決まりそうである。
それらの成績による数々の勲章もさることながら、彼のひたむきな努力の裏に秘められた数々の理論が実に面白い。テレビなどでイチロー談話やインタビューがあると聞くと、何は置いても目を耳を傾けた。真剣に。

「後悔などあろうはずがありません。自分なりに頑張ってきたということははっきり言える。重ねることでしか、後悔を生まないということはできないのではないかと思う」。
これが怪物イチローの引退会見の出だしの名言である。
後悔を生まないために、繰り返し繰り返し重ね、積み上げて目標に近づける。この努力が彼には出来た。

他の人にはなかなか真似のできない至難の業であろう。
何かを目指す人間にとって、欠くべからざる心得と聴いた。身近に野球少年を目指す9歳がいる。
もう少したって、理屈ではなく躰で理解できる時が来たら、一方的ではなく二人でじっくり話をしてみたい。

そんな平成を駆け抜けた怪物、イチロー選手、お疲れ様。もっともっと多くのイチロー語録を聞かせて欲しいものだ。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「胸弾む3月!!」

2019年03月20日 | ニュース・世相

                                    
              岩国短期大学、学位記授与式。 

3月1日の孫兄ちゃんの高校卒業式に始まって、小中学校さらには短大まで。卒業式オンパレードの3月であった。
地域活動やOBとしてのつながりなどからご丁重な案内状を頂くと、よほど格別な要件以外は、卒業式出席の方を優先している。礼服にお祝い用のネクタイを締めると、世俗に流されて忘れかけていた心地よい緊張感と、背筋が伸びる思いを新たにする。

大学の場合、卒業式とは言わず「学位記授与式」というちょっといかめしさを感じさせる雰囲気がある。それぞれに習得した学位を背負って、未知なる世界に踏み出そうとする夢や意欲が、この胸に伝わってくる。さすが大人のお別れともいうべきか、おもわず鼻の奥をツーンとさせる送辞や答辞を耳にすると、このような席に侍らせていただく幸せを改めて感じる瞬間でもある。
式全体が終わると、卒業する学生による「慶祝コンサート」が開かれた。トップに登場したのは幼児教育科の課程を修了した男子学生である。ピアノを弾いたことがなかった彼が、この2年間で習得したピアノ技術と弾き歌いを発表するもので、タイトルは「犬のおまわりさん」という基本的な曲を演奏しかつ歌う。会場からは暖かい手拍子と、彼の努力に対するねぎらいの声援が飛ぶ。もちろんプロに近い弾き手もいてウットリさせられる。小中高とは違う雰囲気の卒業式を味わった。

一方小中高の卒業式では、入場、退場時に惜しみない拍手を贈るとき「自分にお気に入りの夢をさがしなさいよ~」と胸の中で叫ぶ。そして、愚直に前を向こうと努力した、遠い昔の自分がふとよみがえる。ちょっと切なく、ちょっと甘酸っぱい郷愁に誘われる。

二人の我が子も、幼小中高専門学校の卒業式に立ち会った。その時も同じような感覚になったのか考えてみる。
我が子の時は、働くことに無我夢中で、今ほど冷静にしっかりと、彼や彼女の気持ちに寄り添うゆとりがなかったように思う。特に小中学校は、PTA会長挨拶を如何にそつなくこなすか、そちらに頭が行って、肝心な感動を味わうことさえ忘れていたのではないか、と手遅れながら反省してみる。

桜のつぼみが膨らんで、開花時期の予測が飛び交う今、新たな世界へ踏み出そうとする、孫兄ちゃんも含めて多くの若人に励ましの言葉を贈るとしたら、さてさて。
『良くも悪くも一寸先は闇と言われる世の中ではるが、人生は長い。一直線に夢に向かって突き進め』そして今一言『ときにふと立ち止まって、自分のつけた足跡を振り返れ。意に染まなければ軌道修正すればいい。やり直すことに躊躇するな。もう一人の自分との出会い、新たな自分を発見するチャンスになるかもしれない。』

ピンチの後にはチャンスがある。ネガティブをポジティブに。変えるのも気づくもの、豊かな人生経験という「足跡」が教えてくれる。長い人生、単発よりも双発の方が面白いかも。ガンバレ!ルーキー!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「少しの寂しさを癒されて」

2019年03月16日 | おせっかい

                
                   今日日の1歳9ヵ月

4月初めに予定している、中学時代の同窓会。返信ハガキのの締め切りは昨日15日金曜日であった。
やはり当初の予想通り、出席者はこれまでの最低記録を大巾に更新した。
幹事としては「『喜寿77歳』という節目を元気で迎えられたことを互いにお祝いをしよう」という
心積りと、今回が最後だという殺し文句で売り込みを図ったつもりである。

こちらの思いなど見事に蹴散らされた。というか、「今さら中学時代の仲間に出会ってもね~」という
冷めた気持ちを、温かくほぐすには至らなかった。幹事の力不足を痛感する最後の同窓会となった。
そんな淋しさを感じるのは、単に出席者が少ないということだけでは決してない。

問題は、昨日の締め切りをもう1日猶予をもって今日の土曜日には、返信ハガキが数枚は届くだろう、
などと掛けた期待さえも見事に裏切られたことである。今日はたったの1枚だけ。これは実に淋しい。
160通出した案内状のうち、2割近い31人が締め切りに間に合っていないという現実。
50歩譲って、体調を考慮しながらギリギリまで返信を遅らせている人もあろのかも・・・。などと思って
もみる。でもねー。会場に設定した総合結婚式場との人数設定などの折衝も始めなくてはならない。

そんな落ち込み加減の昨夕、倅一家が2泊2日の里帰りをして来た。
じいちゃんにまとわりつく5歳9ヵ月の長女。夕ご飯はジジのそば。お風呂もジジをご指名。かたや
1歳9カ月の次女は、ソファーにもたれて母親のスマホを右手人差し指で、上下左右に操って、上手に
自分の好みの動画を探している。
こんな姿を見ていると、イラッとするのがアホらしくなる。格好の癒し材料ではある。

また月曜日、気を取り直してもう少し届くかもしれない返信を待つのである。
同窓会などに出席するといいよ、などとお進めまではしないが、返信を締め切りまでに出すのは常識で
あり最低限の思い遣りと思召せ、ご同輩。

やっぱりこういうことは「お節介」なのかも。お節介とは「節度の有るなかだち」という解釈もある。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「祈りの日」

2019年03月11日 | ニュース・世相

  

あの日から8年。尊い命も大地も全てを飲み込んでしまう、未曽有の大津波。
東北太平洋沿岸地方を一瞬にして廃墟にしてしまったあの東日本大震災。8年と言う歳月が流れた。
たとえニュースと言えども何度も目にしたくない、あの押し寄せる濁流の悲惨な光景。無残な爪痕。でもそれが現実ならやはり目をそらさず、ありのままを後世に伝え、一つの教訓として残すことが肝要かと思う。

復興努力はされているのだろうが、被災された方々にとってはまだまだ復興道半ば。やり切れぬ思いが胸に迫る。
軽々に語るのは不謹慎極まりないことだと判っている。しかし、目の前で肉親を奪い去る自然の猛威に対して、なすすべがない人間の弱さを改めて身に妬きつけてとおくことが、今後の防災体制確立の道しるべとして生かされるなら、奪われた命へのご供養になるのではないかと思う。

地震・津波・集中豪雨・河川氾濫・土砂災害。ありとあらゆる自然災害が、いつなんどき、何処で発生するか分からない昨今。安全地帯などあり得ないことを肝に銘じたい。
南海トラフ地震が段々現実味を帯びて来そうな、物騒などと言う言葉を通り越して恐怖さえ覚える時代である。緊急時の身の処し方、直面した時の対応など、しっかり身に付けることを、今日の祈りの一日に学ばせてもらっている。

『自分の命は自分で守る』『先ずは安全な場所へ逃げる』『安全な場所はどこか』。
常日頃から少しでも意識して生活することが、東日本大震災や、昨年の各地を襲った自然災害を風化させない、忘れない、ことにつながっていくのであろう。 今一度、東の空に向かって 合掌。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「おすそ分け、続編」

2019年03月10日 | 季節の移ろい・出来事


 残った実を食べに来たヒヨ鳥  くちばしの先に赤い実をくわえて  案の定、午前中に完全に一粒残して完食!!

今日は朝から本格的な雨。見るともなしに窓を覗くと、昨日畑に出して置いたピラカンサスにヒヨ鳥が寄ってきている。
今日こそは、とカメラを構えた途端に飛び立つ。4・5分するとまたやって来る。構える。すぐに感知される。

カーテンをすぼめて、カメラのレンズだけを覗かせて待つこと数分。やってきた。うまく撮れた。
ヒヨの方が角度を変えて、より多く実が残っている側に回ってついばみ始めた。赤い実をくちばしにくわえたところを狙ってパチリ。
うまいこと行った。間違いなく、尖ったひよのくちばしに赤い実が見える。

取り敢えず、モデルになってくれたヒヨに感謝して自分の仕事を。
そして11時頃に再び覗いてみたら、見事に枝と葉っぱになっていた。ただ一粒だけ赤い実を残して丸裸に。
でも何故か一粒だけ残されているのだ。ひょっとしたら、最後の一粒がまた新たな芽を出すかもしれない可能性を、ヒヨは知っているのだろうか。ヒヨの粋な計らいについつい笑ってしまった。

思わぬところから、二日がかりのピラカンサスとヒヨの観察となってしまった。ヒマなのかな~。
そんなこたーない。たまたま未明からの雨で、孫君のソフトボールの試合が中止になっただけのこと。
お陰で、予定の行動は完璧に進んだ。途中休憩で琵琶湖マラソンも、居眠りを交えながらなんとか見られた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「おすそ分け」

2019年03月09日 | 季節の移ろい・出来事

            
               半日で半分になってしもうたピラカンサの実

暮れの「ふれあい市」で買ってきた鉢植えのピラカンサス。
小さな木を、直径1cmもあろうかという真っ赤な実が覆い尽くすように無数に生っていた。
燃える様な赤は、何となく元気をくれる色で、玄関に飾っていた。正月の生け花にも違和感なくマッチして見事ないろどりを添えてくれていた。

そろそろ観賞の賞味期限も近づいたな~と思うがこれほどの実をどう処分するか。ひょっとして来年も赤い実をわんさかと付けるかもしれない木を傷めないように、実だけを取り除きたい。
そうか、べつに悩むことなどありゃぁせん。2・3日外に出しておけばヒヨ鳥が格好のフルーツとして召し上がってくれるに違いない。

出来るだけ人が邪魔しない場所を選んでそっと置いたのが午前9時過ぎ。
何度かおいしそうに食べるのを見かけた。カメラも用意していたが、警戒心の強いヒヨ鳥は尋常にはカメラに収まってくれない。仕方なし日暮れ前に食べられた木をカメラに収めたら、ちょうど半分を食べたところであった。
この調子だと、明日の午前中くらいには丸裸になって、貧弱な気に貧弱な葉っぱだけが残るのであろう。

それにしても、何処からどのような視力、眼力で、このような臨時の獲物を感知するのであろうか。人間の感覚の遥かに及ばない空飛ぶ生き物の、人知を超えた生き抜く生命力のなせる業なのであろうか。
観賞し尽くした物をヒヨにおすそ分け、と言えばかっこいいが、小さな木を傷めないように上手に、大量の実を食い尽くしてくれるヒヨ鳥の習性に助けてもらったようなもの。

のんびり田舎の穏やかな半日。気持ち休まるひとときではある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい