「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「天邪鬼(あまのじゃく)」

2018年07月31日 | 季節の移ろい・出来事

       

今年の夏はどういうわけか「蚊」がいない。これも天変地異の前触れか、不気味なほど蚊がいない。
それでなくても暑くて寝苦しい夜中に、耳元でブ~~ンなどと囁かれると、一気に眠りが覚め、我が耳、我が頭を平手で張ってみる。
再びやって来る様子があると手探りでスプレーを探し、目くらめっぽう吹かしまくる。やっと落ち着いて眠りにつく。
同じ耳元で囁くのなら、蚊の羽音よりもっと優しい蚊の泣くような声の方がいいのかも。

毎夏そんな経験を繰り返して来たのに、今年はそんな悩みの回数が極めて少ない。これは有り難いことである。
夜中の眠りを妨げるにっくき蚊の襲来ではあるが、ただあまりにも無さすぎると「なんで蚊がおらんのじゃろうか」気にかかる。
いなきゃそれでいいじゃん、という話ではあるがそうばかりも言っていられない。

日本の夏に蚊は付き物であり、蚊取り線香も日本の夏の風物詩の一つである。蚊を追い払うウチワだって風情がある。
なのに、夕方畑に出て水やりをするときも「やぶ蚊」がほとんど襲ってこない。
今年の夏も前半までは夕方の水やりなど、長袖カッター・長ズボン・帽子に手袋、腰に蚊取り線香という完全武装であったのだ。
だから刺すことも出来ないのに、それでも体中にもぶれつくほど集まって来ていた。

あの西日本豪雨災害とその直後からの「命にかかわる高温」のダブルパンチで、今年は蚊まで消滅したのだろうか。
可能性としてはあり得る。間もなく羽化する予定だった幼虫が、あの豪雨によって押し流されてしまったか。
また、雨に流されなかった幼虫も、その後の熱波にやられて絶えてしまったか。

何れにしても、夜の耳元の囁きから解放されて有り難いとは思うが、周りにいるべきものがいないのはやはり、何か一抹の不安を誘う。
生きとし生けるもの、やはり己の生命を全うさせてやりたいと思うのも人情というものか。
人間て天邪鬼な生き物ではある。

7月が往く。明日から8月、秋立つ日まであと7日。

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「錦帯橋、津々浦々に」

2018年07月30日 | 岩国検定

            

今年のNHK大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」が面白くなってきた。
昨夜放送の第28話では、我が町岩国市を代表する「名勝・錦帯橋」が全国津々浦々に放映された。絶好のお天気に映える見事な絵であった。
それに、その昔新港と呼んでいた現在の岩国港の様子も。さらに吉香公園のお堀に浮かぶ錦雲閣周辺。最後は今回のドラマと直接つながる、川西の清泰院(元龍護寺)の佇まいなどが、うまくまとめられ、テレビ画面にはっきりと映し出された。

物語は、京都御所蛤御門をめぐる朝廷守護の薩摩兵と、元朝廷守護の立場であった長州側とのせめぎ合いから始まる。
結果的に朝廷、つまり天子様に向けて発砲し挑みかかった長州は朝廷の敵になってしまった。
かつての勢力を失いかけている徳川幕府としては、この際長州をつぶして亡き者にしたい思惑があった。

そこで幕府勢力を結集して長州征伐を企画。その総大将に西郷隆盛を抜擢した。
そのころの日本は、アメリカ・イギリス・オランダなどの列強がよだれを垂らすほどの占領国の標的であることを、当時の心ある若き志士たちは知っていた。勝海舟・西郷隆盛・坂本龍馬・桂小五郎などは、所属する藩や身分は違っても、みんな心を同じくしていた。
幕府の命令とは言え、日本国内で日本人同士が争って疲弊すれば、列強に占領のチャンスを与えるようなもの。

その愚を避けるために西郷は総大将として、戦わずして長州に恭順させる方策を選んだ。
それが長州の玄関口岩国での、西郷と吉川監物による交渉となった。長州側の蛤御門戦闘の責任者として若い家老3人の首を差し出すことで戦争を回避する西郷提案に長州側が従った。これにて第1次長州征伐は一件落着と相なった。

というような物語の展開の後で、話題の町を紹介するコーナーとして、岩国城を見上げる錦帯橋の雄姿。西郷が船で岩国に上陸した新港。そして家老福原越後が50歳で切腹した川西のお寺清泰院などが、緩やかにはっきりと全国ネットに載ったという次第。
物語はこの後頃から明治維新へと一気に流れていく見せ場となるはずである。そこで今一度幕府による第二次長州征伐が始まる。
坂本龍馬ファンとしては、見逃せない幕末ドラマの展開である。もしご興味を示される方は、日曜午後8時NHK総合を。

ちなみに、福原越後の辞世の句を記しておきたい。
   『くるしさは 絶ゆるわが身の夕煙 空に立つ名は 捨てがてにする』   越後

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「豪雨の次は・・・」

2018年07月29日 | ニュース・世相

     
                               昨夜7時のNHKニュースの画面

今までに見たことのない動きをする台風12号。
あれだけ人々を苦しめた西日本豪雨災害の復旧もままならないこの時期に、今度は「これまで経験したことのない進路」を辿る台風12号。

南太平洋で発生した低気圧が、ゆっくり北上するに従って段々発達して台風となり、沖縄・九州・四国さらに北上というこれまでのパターンとはまるで正反対の動きを見せている。
東海、近畿から中国・四国・九州へと駆け抜ける台風がもたらす影響がどんなものか。
いずれにしても日本列島は、まさしく台風の通り道、台風銀座であることには間違いない。

先の豪雨災害の傷が癒されるどころか、疲労困憊の後片付けや、行方不明者の捜索が懸命に行われている中の台風襲来。
兎に角、大きなことにならないよう、手の皮が擦り剝けるくらいに手を合わせてTでも、神さま・仏さま・風雷神さまにお願いしたい。

ここ岩国の海岸線は、午前9時30分現在、曇り空だが雨はまだ落ちてこない。風は?普段の朝と変わらない穏やかさを保っている。
有難いことに、早くも遠くの方々からお見舞いのメールなど頂いている。今のところ「何事もないんですよ」と笑って返信できている。
何をどのように気を付けるのか、あれこれ考えながら、風に飛ばされないよう物陰にしまったりはしている。

まだ7月の終わりである。これから向こう3ヶ月が台風の襲来月というのに、なんでこれほど早くから何度も被害に遭わなきゃならんのか。
誰に怒るともなく、力弱く呟いてみる。ただただ生命の安全・身の安全は自己責任で守り抜かなければならない。
台風よ、優しく足早に去っておくれ。青春時代に何度か経験した淡い恋物語のように・・・・・・。

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「大暑」

2018年07月23日 | ニュース・世相

            

今日からの2週間余りが、最も暑い時期とされる「大暑」だという。それから先が、待望の「秋立つ日」となる。
別段今日からが「大暑」なのよ、などと言ってくれなくても、今年の夏は本当に暑い。熱い。七夕さま頃からすでに大暑であったような。
家の中にいて、何にもしてなくてもエアコンなしでは過ごせないほどの暑さ。日が昇って間もなく、気温は人間の体温を上回る数値を示す。
それも家の中という日陰にいてさえそんな調子。太陽が照り付ける外歩きは如何ばかりであろう。

今日からは我が家も本格的な夏休み。近くに住む孫三兄弟の一番下、小学3年生の悠雅君が毎日やって来ることになっている。
今朝も8時10分には母親に連れられてやって来た。先ずは和太鼓・締め太鼓を打ち鳴らして「お神楽演奏」で挨拶する。
次いで「はさみ将棋」に「回し将棋」と定番の相手をせがまれる。

赤黒く光る顔に鋭い眼。なんとなく勝負師の風貌が漂う。
そんな彼の眼が充血して赤いのが気になる。半分はトレーナーとして彼の体調管理に気を配るジジとしては「何かあったか?」と色めき立つ。「なーんもないよ、おとといときのうの試合がちょっとね」というだけで、暑かったとも疲れたとも口には出さない。
「ちょっと一緒に昼寝をしよう」。将棋盤を脇に寄せて、畳の上にゴロン。間もなく寝息を立て始めた。お疲れの様子である。

エンジンに手足が生えたような9歳児のあふれるエネルギーをもってしても、今年の異常高温は疲れを誘うようだ。
増してや高齢者にとっては、まさに命の危険を脅かされる高温。注意をしなければならない。普通の病気とは少し違って、いくつかの対策を確実に実行すれば、命のやり取りにまでは発展しないのも解っている。

それでも「じいちゃん、カープの二軍戦を観に行きたい」などと言われると、あの日差しを避けようのない由宇球場へ行かなきゃいけんかな~などと思ってしまう。それよりも冷房の効いた図書館や化学センター、ミクロ生物館などもあるなーと思いつつ、でも汗をかいた後ののど越しのビールの味は格別だよな~ などと別な感覚を思い起こし、孫には甘いジジである。

兎に角、自分の命を自分で守る手立てを何通りか考えながら、孫と過ごす夏休み、元気で乗り切らないとねー。

 

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「一つ山越しゃ・・・」

2018年07月20日 | 季節の移ろい・出来事

       
             朝の電線、ツバメの集団がなにやらミーティングの様子

連日連夜「高温注意報」「熱中症要注意」の連発!!
言葉ではもう言い尽くされて、どんな表現をしていいのか迷うほどの暑さが続く。
「今日の最高気温39.8度」などというニュースの声に驚きが鈍くなった。これはある意味とっても怖いことである。

そんな猛暑の中を、何度もミーテイングを重ね、細心の注意を徹底する中で行われた「海岸清掃」という地域活動。
ただ一人の熱中症患者も出さず、救急車のサイレンをとどろかせることもなく、先ずは無事に乗り切ったところで、エッヘンを小さく。

600人近い大人数が、朝7時から90分。総延長800mに及ぶ砂浜に三々五々に散らばって漂着物をかき集める作業。
少しでも油断をすれば熱い砂浜にへたり込みかねない。そこで、給水所に貼り付けた女性会員から、水分補給の声掛けをしてもらう。

そんなこんな、今年初めて取り入れた対策の数々を活用したお蔭もあろうが、やはり「今日は暑い中、特殊な作業をする一日」という
注意喚起をやや大げさに発した声が、参加者の耳に届いたのか、どっちにしても参加者自身が自覚を持って行動した成果に他ならない。
ミ―ティングって大切だな~、などと厳しかった現役の頃の安全活動をを改めて思い出している。

朝起き掛けにアサガオに水をやる。見上げる電線に10数羽のツバメが羽を休めている。
さて何のミーティングをしているのだろう、などと大きなお世話ながらカメラに収める。さてリーダーはどこだろう。
事務局長は?。始業前の三―ティングかな。早い夜明けに誘われて、朝食を済ませた後の単なる羽休めだろうか。
それとも、そろそろ越冬地に向かう旅の実力を身に着けるコツなどが、先輩から後輩に伝達されているのだろうか。

自らに課した仕事を一つ終えて、見上げる青空のなんと明るく清らかなことか。ツバメ君たちにもヤッホー、挨拶を投げかけてみたくなる。一つ山を越したらまた次の山が待っているというのに・・・。

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「ビフォー&アフター」

2018年07月17日 | 地域活動

    
        ビフォー                      アフター

「運命の7月」などとはちょっと大袈裟だな~ と思いながら書いて来た地域活動「瀬戸内海環境保全大作戦」。
西日本を襲った豪雨によって、錦川の上流から流れ出た大木や竹などの長尺物。その量は半端ではない。
これを毎年の恒例事業としてボランティ参加を募り、海岸清掃作業を行う主催者側の一人としては、ただただ無事終了を祈って、神頼み仏頼みをしたくなる活動の一つではある。

大雨による大量の漂着物に加えて、連日連夜の猛暑酷暑。午前7時とは言え、今年の暑さはまさしく「念力がゆるめば死ぬる暑さかな」。
何が何でも熱中症で救急搬送などを出してはならない。この至上命題を胸に「安全に妥協無し」を叫び対策に熱中した。

7月16日「海の日」午前7時。子供から大人まで、今年も約600人の参加を得た。
言うに及ばず朝早くても日差しは強い。そんな中約90分の作業で約8.5㌧という大量の漂着物を回収した。
そんな成果を挙げる中で、終わってみれば誰一人熱中症状も見せず、小さなケガの一つもなく無事終了。これは有り難かった。

プロボラ(プロフェッショナルボランティア)看護師さん3名で救護班を設置。ベッドを備え、AEDも置いた。
地形の関係で、いざという時の救急搬送は漁船による海上輸送に頼るしかない。そこで一隻の漁船はゴミの搬送はせずに、パトロール専用に回した。給水所も昨年の倍に増やし、冷たい水の他、塩飴や経口補水液も設置した。言うなれば熱中症対策のおまじないの品々である。
周到な準備と言えるかどうか定かではないが、あらゆる準備はしたつもり。その結果が完璧な無事終了につながったとすれば、事前にあれこれ声を上げた役回りも救われたというものである。枕を高く、何日ぶりかの高いびきであったような(笑)

中学生と教職員で200人。高校生、小学校の教職員、児童保護者。米軍岩国基地から屈強な海兵隊員、官公庁や企業からの団体参加そして、何より地元の人たちの熱い協力体制等々。
中には、地元の少年ソフトボールチームの男女がユニフォーム姿で参加して、周囲の微笑みを誘う。

誰かがやらなきゃならないことを誰かがやる。単純にそう思いみんなで力を出し合う地域活動。
周到な準備と優しい声かけ、時々無理なお願い。そんな繰り返しで、地域はゆっくりと動いていくのかもしれないね~。

兎に角、皆さんのやる気とパワーで、あれほど大量であった海岸漂着物があっと言う間にきれいな砂浜に戻った。まさにビフォー・アフター、見て頂いた通り。そして執行部の一人として、大いに心配したビフォー・アフター無事終えてホッと一息。さー次の計画が・・・。

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「運命の7月。プライベート編」

2018年07月15日 | 地域活動

               
                  大量に打ち寄せられた大小のゴミの山

いよいよ明日に迫った。
地域活動の中でも、年間事業計画の最も大きな柱の一つ『瀬戸内海環境保全大作戦』、海岸清掃活動。
中国地方を中心に各地で大災害をもたらした、西日本集中豪雨の影響もあって、穏やかできれいな砂浜も大量の漂着ゴミに覆われている。
一旦漂着したゴミが再び海に流れ出たり、沈んだりして海を汚す対策として、海の日キャンペーンとして活動している。

地元中学生180名をはじめ、高校や小学校の児童・生徒それに教職員の絶大な協力を得て行われる、ふるさとを守る活動の一つである。
1年に1度、今回で12回目という歴史を刻んで来た。地元住民はもとより、行政関係者からも参加協力を仰ぐに至った。
その切り盛り役を務めるのが、地域のリタイア組を中心に、地元連合自治会関係者や民生児童委員協議会、福祉員協議会などを網羅して活動する団体を構成している「地区社会福祉協議会」である。

昨年は「全国海岸協会」から表彰され、今年は「山口県港湾局長賞」を拝受することになった。
この様に各方面から注目されるに至った地域活動は、益々力が入り、会員それぞれが自負心を持って行動している気概があるので、益々発展の方向に動いている。「おだてられ、褒められてまたよく働く」という嘲笑の向きもあるかもしれないが、今は純粋に精出している。
今朝も7時から2時間半。猛烈な日差しの中で、明日の本番に備えた安全通路の確保や、安全作業の手順確認に汗を流した。

注目されるのは悪い気はしない。その一方で注目を裏切らないためには「事故を起こしてはならない」という至上命題が頭にこびりつく。
執行部の一人として、安全無事に作業を終えるために何をなすべきか。長い企業生活で鍛え上げられた「安全追及」のクセが出て来る。
でも、そういった安全教育体験の乏しい会員から「小うるさい奴」と嫌われても、やはり厳しく安全を求めていく。妥協など出来ない。
もう一つ、避けられないこの猛暑。熱中症対策に苦労する。水分補給呼びかけ要員を増やして、給水を呼び掛けよう。

何としてでも無事に終わらせたい。明日は午前5時半集合。周到な準備が結果を出してくれることを祈りたい。運命の7月である。

 

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「運命の7月」

2018年07月12日 | スポーツ・観戦

               

野球の発祥がアメリカであることは、先ずは誰でも知っている。
そしてアメリカのプロ野球をMLB(メジャーリーグベースボール)と呼ぶのも大方ご存じの通りである。
MLBの傘下には、マイナーリーグと呼ばれる、3A・2A・A・ルーキーという4段階のリーグがある。日本にやって来るアメリカ選手の多くは、メジャーのすぐ下の3A(スリーA)からやって来る人が多い。中にはメジャーでバリバリ活躍中の選手もたまにいる。

日本プロ野球(NLB)に目を向けると、一軍選手、二軍選手、そして独立リーグの三層に大きく分けられる。
2004年以降に設立された独立リーグは、地域密着を図ると共に、NPBを目指す選手の受け皿として選手育成を前面に打ち出しているところが多い。その逆に、NPBの選手契約を打ち切られた元選手が、仕方なく一旦独立リーグに身を置き、どこかのチームからお呼びが掛かるのを待つ、いわゆる捲土重来を期す人もいる。そんな一人が、巨人からお払い箱となった村田修一その人である。

彼が今年中にプロ野球選手として復帰できるのは7月31日が期限という。言い換えれば、日本プロ球団が新たに選手を獲得できる期限が7月31日ということ。つまり勝負の7月。これを逃したらまた来年、38歳の挑戦ということになる。正直言って難しいだろう。

かつては、今の横浜DeNAベイスターズが横浜ベイスターズであったころ、彼は押しも押されもせぬ横浜の4番バッターであり、日本球界を代表するスラッガー村田修一であった。何を血迷ったのか、6年前に巨人に移籍した。
その当時巨人は、他球団から4番バッターや看板選手をいっぱい集めていた。ソフトバンクから小久保、オリックスから谷、そして村田。

この様に4番バッターばかりを揃えても現代野球は勝てない。小久保はソフトバンクに復帰してもう一花咲かせた。
谷に至っては、オリックスの4番の座を捨てて巨人に行って、何のことはない、たまに指名のかかる代打要員。村田は一時期華やかな活躍をしたがすぐに落ち目となって、結局は本人の意思とは関係なく契約更改無し。哀れである。

入団から世話になり、一人前に育ててもらい、球界を代表スラッガーになりながら、なんで元の球団に簡単におさらばするのか。
こんな素人が考えるほど簡単なことでもなかったろうし、悩みもあったろう。しかし、巨人以外のファンの目には、お金で勝った選手というイメージはぬぐえない。もしも横浜にそのまま在席していたら、37歳の若さでお払い箱はなかったのではなかろうか。

巨人も、よそのチームで出来上がった既製品で強くなるのではなく、ドラフトで合理的に獲得した、若いいい素材を磨き、鍛え上げて強くならないと、あれほど多かったファンが逃げていくのではないか、心配する7月である。

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「疎開」

2018年07月10日 | ニュース・世相

  

西日本を襲った集中豪雨は、雨が止んだ後で時間の経過とともに、その被害の大きさがあちこちで表れてくる。
そしてその被害の重大さは日を追って甚大なものになって来ている。
恐ろしい実態が、大きな悲しみの声とともに目や耳に届くと、毎回のように自然の猛威に翻弄される人間の弱さや生活実態の脆さなどを、嘆かわしく思ってしまう。そして、なんとかならないものかと考える。

考えてはみてもこれといった知恵も妙案も浮かばない。そこにまた、穏やかに暮らす人間生活に付け込む自然の気まぐれがまかり通る。
そんな構図は昔から大きく変わらないのに、未だ根本的な対策が見つかっていないということか。
避難指示の出し方やタイミングはどうだったのか?などと、結果論で行政や担当者を責める論調よりも、本当に災害に強い国家のもと、自然の猛威に対応できる自治体の構築が望まれる。などとかっこいいことを言ってはみるが、解決には程遠いねー。

お隣の呉市に住む倅一家が、昨夜遅く、まるで夜逃げ状態で我が家に疎開してきた。
大きなマンション住まいなので個人的には被害なし。ところが、今回の豪雨で最も深刻な被害の広島県である。ライフラインがズタズタになった。先ずは断水である。これは日々の生活に直結した死活問題。ついで道路の寸断による食料調達の孤立状態。
勝手に買い物にも行けない。行けたとしても流通体型の崩壊で品物不足。特に食料は底をついているという。

普段なら幾通りもある、呉と岩国を結ぶ道路。そのことごとくが被災通行不能となった。昨日午前やっとこさ1本の道路がなんとか復旧したという。それも大幅な迂回を余儀なくされる上に「自己責任で通行を許可」という但し書き付き。それでも昼間は大渋滞であろうことを見越して深夜に、慣れない道路をたどり、普段の1.5倍の時間をかけて里帰りした。嫁にとっては「初体験の疎開」であり、大きな安堵であったような。

「疎開」というと、なにやら暗い過去や、追い詰められた切迫感の漂う語感があるが、昨夜の嫁を見ていたら、5歳と1歳の子供を抱える母親の強さと安堵が交錯する、まさにその昔の「疎開」を彷彿とさせるものであったようだ。
深夜にも関わらず、子どもにシャワーを浴びさせた。子どもはとても気持ちよさそう。それを見て自分も心から安堵していた。

一夜明けた物干しざおには、大小、色とりどりの洗濯物が風に揺れる。まさに満艦飾。
倅は仕事で間もなく呉に帰るのだろうが、嫁と子どもはしばらく同居となる。大災害の難儀をよそに喜ぶことではないが、朝からスイカをもいだり、切って食べたり、華やかな真夏に濃い汗を流している。ただただ一日も早い復興を祈る気持ちに変わりはない。

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「大雨洪水警報発令」

2018年07月07日 | ニュース・世相

 
 2018.7.7 AM9:10 濁流に洗われる錦帯橋橋脚           普段の穏やかな錦帯橋河原  

                                 
                                              もう一つおまけに、黄金に輝く錦帯橋

2日前の木曜日。子供たちが学校にたどり着いた頃から降り始めた大粒の雨。
断続的に降り続くこと40数時間。ときに傘も役に立たない猛烈な雨。土砂降り。豪雨。バケツをひっくり返したような雨。
表現は色々だが、よくも降ったものだというほど降った。降り続いた。

比較的雨量の少ない海岸線でこの豪雨だから、山間部はさぞかし・・・と思っていたらまさしくその通り。
錦帯橋の架かる錦川の源流に近い「らかん高原」あたりは、早速ニュースに流されるほどの集中豪雨であったらしい。
錦川沿線を中心に市内各地に避難勧告が再三出された。避難を呼びかける、連続20回に及ぶサイレン吹鳴は昼夜を問わず、防災スピーカーから鳴り響いた。

これほどのけたたましい経験は初めてのような気がする。このように避難勧告は早くから出されてはいても、結果的には川の氾濫や山崩れによる土砂災害では、生命や財産に大きな被害をもたらした。
確かに避難勧告の緊急放送や呼びかけはあっても、いざ腰を上げるとなると案外抵抗を感じることになるのだろう。
「我が家は大丈夫」と思いたいし、この程度の雨なら、などと自然の猛威を甘く見る感情がある。それが理解できるだけに、後悔がつきまとうことになるのかもしれない。

それに、自宅から遠く離れた避難所に出かける勇気が要る。そして避難所に通う通路の安全の確保も要る。
「避難勧告」とは、意外に難しさを秘めた行政連絡ではある。

昨夜から今朝にかけて、東京や埼玉、その他近くの友などから多くのお見舞いメールなどを頂いた。
先ずは感謝の気持ちと、大事にならず無事元気であることをお伝えしたい。

今朝9時過ぎの錦帯橋の映像をテレビ画面で確認した。あと1mも水位が上がれば、石組みの橋脚を越えて錦帯橋の木造部分に達する恐ろしい映像である(上段左側)。普段は河原からは見上げるほどの高さなのに(上段右側)。
錦帯橋流失という騒ぎは回避できたようであるが、市内はもとより、全国各地で被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。
そして今日は七夕。願いを短冊に込める日。ならばこそ「一日も早い普段の生活復活をお祈り申し上げます。」 

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