「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「弥生つごもり」

2024年03月31日 | カープ一喜一憂
           
             咲き乱れる紫モクレン
まさしく、またたく間に駆け抜けた感じの3ヵ月。正月元旦に発生した能登半島地震の復興状況を見守ったり、なかなか普及しないライフラインに苛立ちを覚えたり、避難所の生活に悩む人たちに思いを寄せる胸の痛さなども、時の流れの速さを後押しした感がある。

我が家の孫たちにも大きな動きのある春である。一人は、胸に秘めた夢の実現を目指すかたわら、昔のスキー中間のところで林業の開拓にチャレンジする。今一人は、資格試験の合格証の通りクルマの整備士にまい進するという。そしてチビッ子さんは幼稚園を卒業して小学校入学である。早い話がジジババにとっては、なけなしの貯えをがっぽり持って行かれる心寒い春でもある。

いずれも3月までとは全く異なる生活にいそしむ出立である。大したことはできないが、今できる最大限の応援をしてやらないと寝つきが悪いし、応援の叱咤激励の声も届きにくくなってもつまらんしね~。そんなジジババの気持ちが届いたなら嬉しいのだが。ま、いいか、それぞれに思いがあって生きて行くのだからひたすら応援するのみだ。

弥生つごもりというのに、関東方面では夏日到来に汗を流したとか。やれやれ、そんなに慌てて夏日などやって来なくていい。それでなくても地球温暖化は間違いなく進んで、今年の夏も熱くなりそうな予感。こればかりはヤだね~
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「最後の、ランドセル」

2024年03月30日 | カープ一喜一憂
       

5人誕生してくれた私たちの孫。小学校入学はその最後となるであろう倅の次女の奈那ちゃん。
お姉ちゃんと同じように、赤いランドセルを背負っての記念写真は、どうしても岩国の錦帯橋と桜の花の下がいいとのご所望だったとか。
絶好のお天気に恵まれた今日、二分咲き程度ではあったが、桜の花びらとともにいっぱいいっぱい写真を撮って来た。
          

親の教えか本人の希望なのかは定かではないが、ジジと一緒に何度か訪れた錦帯橋や河原の桜、そして吉香公園などが少しでも彼女の脳裏に宿っていて、故郷という思い出として残ってくれたなら、ジジとしてこれほど嬉しいことはない。

先ごろの「錦帯橋思い出エッセイ」応募作品の中でも、地元に住む人の錦帯橋はあまり強烈な思い出として残されていなかったように思う。むしろ、遠くに住んでいてたまたま帰郷であったり、家族旅行の中で出会った、五連の木造アーチの錦帯橋や川沿いの桜は、深く印象に残っていたように受け止めている。

そんなことも思い合せて、小学校入学を前にした赤いランドセルの記念写真はやはり、両親の故郷岩国をしっかりと印象づけておきたいと願うのが、ジジの願望でもある。 そうして願わくは、6年間の小学校生活を赤いランドセルと共に過ごし、穏やかに豊かに成長してくれたら有難いと思っている。
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プロ野球開幕

2024年03月29日 | カープ一喜一憂
                       

2024年プロ野球が開幕した。9月の終わりごろまでの143試合の長丁場。浮いたり沈んだり、勝ったり負けたり負けたりになるかもしれないカープを今年も精一杯応援することになるのだろう。腹を立てようがヘソを曲げようが、やっぱりまた元のカープファンに戻るのである。何があっても巨人ファンにはならないし阪神ファンになることもない。これだけは請け合える。

なんだかんだ御託を並べても、試合のある日は必ずと言っていいほど、一日の内の何時間かはカープの応援団長であったり、カープの選手の親代わりになって腹の底からカープを応援しているのである。けっきょく楽しませてもらっているのよ。勝った負けたと騒いじゃいけんのよ。愉しむためにあるプロ野球なのよ。

解っているのよ、全て解った上でやっぱり負けりゃ腹が立つのよ。勝ったら喜ぶのよ。
そんなこんなで今日からガチの応援をするのだ。ナニ?早速逆転負けとな?そんなこともあるのよ。今日に限ったことじゃなく、今年はこんな日が多くありそうな予感。昨年よりも腹を立てる回数が多くなりそう。ただ、補強にあまりお金を掛けない家族チームの良さを発揮して、大砲相手にピストルで戦うとも勝敗はやってみなきゃわからない。そこを頼りに今年も、カープカープカープひろしま広島カーープなのだ。
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「我が町の解体キングダム」

2024年03月28日 | カープ一喜一憂

我が町の数少ない大手企業、中国電力岩国火力発電所は、1966年に地域の瀬戸内海に面した一部を埋め立てて建設し稼働した。1号機、2号機、3号機と順調に稼働域を伸ばし、合計出力107万kWの石油火力発電所として中国地域の電力の安定供給の一翼を担って来たという。

その後現在では電力需要の減少に伴い、発電単価が高い石油火力であることなどから約4年前から徐々に稼働を抑え機能停止の準備をしていた。60年近く馴れ親しんできた工場も、その威容を誇る煙突も解体が始まった。長年、地域の誇りの一つであった煙突とともに、地域に多くの影響を与えて来た。

少年野球の冠大会や、自家グラウンドの貸し出し、地域連合自治会や社会福祉協議会への支援・応援など数々の貢献があった。ただ言えるのは、発電所とはあまり労力を要しない工場のため、雇用と言う点では地元貢献も少なかった、だから撤退するための失業者続出などという憂き目には至らなかったのは幸いである。

煙突の高さに合わせた赤白の大型クレーンが寄り添い、地域の解体キングダムである。最初っから工事進行の時系列写真を撮っておけばよかったが、ザンネン、そこまでのヒマはなかった。
煙突解体工事が進むにつれて、地域から大きな仲間が一つ消えて行く寂しさはある。ただ跡地には幾つかの企業が棟を並べて、地元雇用も約束されているみたいだしマイナスばかりではない。世の流れに順応するしかない場合もあるってことだ。
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「本格的入院」

2024年03月27日 | 趣味・・エッセイ

         
           
    とうとう航空便で首都圏の製造元に入院することになった愛する友 

令和元年5月1日に我が家にやって来た最新鋭であるはずのPC君。
今年1月の終わりごろから何かしらややこしい腹痛や嘔吐を繰り返し体調不良を訴えていた。その都度薬を飲ませ、早ねをさせて、ねんごろに付き合って来たが、一向にしゃんとせん。入院が要るのかどうか、近くのお友だちに相談したら入院が必要だという。そもそもこのお友だちの腕を信頼したのが私の誤りだったかも。

かれこれ3週間入院させて様子を見たが、こちらの要求通りの回復には至らず、あそこが痛いここが悪いとぐずるPC君。普段は秀吉と家康を混ぜたような温厚な持ち主なのに、この時ばかりは何を間違ったか、織田信長そのものになってもうて、痛がる相手をさらに痛めてしまったようで、ウンともスンとも返事をしなくなった。こりゃまずい!と思ってメーカーと言う大病院に相談の結果、やはり入院が必要と言うことになった。

あれこれ幾つかの質問全てを答えた。
取り敢えず航空便を手配します。基盤は狂っていないようなので、順調にいけばこれこれ。ここがこうだったっらこれこれ。診断結果で見積もりを立ててご相談しましょう。ということになった。
付き合ってまだ5年も経たないうちにお蔵入りはないよね~。それにしても無知の指先があちこち触りまくって傷んだ身体をムチ打って挙句の果てがこういうことです。
ヘタな考え休むに似たり。生半可な知識は精密機械をぶち壊す。そんなおとろしい結論で、先ずは途中経過を聞きながら最終的のどう判断するか。
思い切ってオシャカにして、パソコン市場で中古でいい、最新のバージョンを組み込まれたモノを物色するか。これからのお楽しみ。エライ治療費になっってしまった。数々の教訓を残すお粗末でした。
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「バッタリ!!」

2024年03月25日 | カープ一喜一憂
             
                   同い年
今日は10時10分の予約で、帯状疱疹の痛み止め点滴の日。予約10分前には到着を心掛けている。診察はおおむね定刻に。ここから点滴のベッドに横たわるまでがしっかり待たされる。但し、腕に針を刺して点滴が始まったらこっちのもの、たっぷり1時間のここちよいお昼寝タイムである。

そうして会計ではまた待たされ、薬局の投薬で待たされる。と思って薬局の椅子に座ってふと隣を見ると見覚えのあるおばさんがこちらを見ている。なんと同級生で長いことタケノコ同窓会をやっていた仲間のひとりであった。そうなると今日ばかりは、投薬の時間がもう少しゆっくりでもいいのに、などと思うから人間とは勝手な生き物であり、我が侭に出来ていることをつくずく感じる。

あまり長話も出来ないが、タケノコ同窓会もコロナで中断したあとの話が続くのよ。あれから間もなく脊柱管狭窄症を患って、痛い痛いと呻いたんよ。今だにコルセットのお世話になってね・・・歳を取ると食べるようになって体重がね~。これもあれも全く同感で、似たようなもんだよって笑い合って、互いにの病を慰め合う同い年。

同じバッタリ出会うにしてももっといいところがありそうなものよね~。これも二人同感の苦笑いで、またね、元気でね、と手を振ったが、やはり元気でないといけないね~ と改めて思わされたがどうしようもない。そんな一日。
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「信頼の危うさ」

2024年03月23日 | ビッグニュース

                 
           食卓を彩った小松菜も、今では塔が立って菜の花の色どりを

またまた一人の日本人の行動が世界の注目を集めている。誉れある行動なら幾つあっても気にならないが、偉大なる成果を見せつけた人物のそば近くに働いていて、よきパートナーとも噂され、信頼関係で結ばれていたかに見えた人物が、肝心な偉大な人の名誉を傷つけるという、なんとも心無い行為にうんざりである。

プロ野球の本場アメリカン大リーグで、投手と打者の二刀流として数々の歴史を塗り替え、伝説の野球人ベーブルースのスーパー記録を全て塗り替えた、ドジャース大谷翔平選手。チーム移籍の契約金総額でも、世界の度肝を抜いた、日本が、岩手県が世界に誇るプロ野球選手である。そんな彼の通訳としていつも側にくっついていた水原一平氏。スポーツ賭博にはまり込んで、お金の価値を忘れてしまうほどの賭博依存症になっていたとは。

人間の信頼関係なんてほんとに脆いというか、危ういという一面を改めて思い知らされた。
何やってんだよ~、自身の特技を生かして、世界の注目の中で押しも押されもせぬ地位を得て、生活や収入なども超一流であったはずである。それがどうだ!弁解の余地もない悪行発覚。これは水原一平一人の罪悪ではなく、大谷選手にも疑惑の目が向けられ、捜査の手が伸びることである。450万ドル、6億8000万円を掛け金として振り込むとはいったいどういうことよ。貧乏人のこちとらには想像さえつかない大金である。

それでなくとも人と人の関係が希薄になり、信頼などという言葉が死語になりそうである。
外にはお彼岸を過ぎたのに春雨と呼べないざーざー雨が降っている。気温も低いが心も寒いニュースである。

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「手紙」

2024年03月22日 | つれづれ噺

              
              秋に植えた我が家の水菜。いつしか菜の花盛りに

書かなければ、思いを伝えなければ、と思っていた一通の手紙をやっと今日書き上げた。明日投函しよう。
交通事故で突然84歳の命を絶たれた私の実の姉には、二人の息子がいた。私にとって可愛い甥っ子であった。

二人とも高校を出ると九州と東京の大学を出てそのまま都会に居ついてしまった。
母親が急逝したため故郷の家を守るなどの話が出来ないまま、ふる里への思いを残したまま都会の生活に馴染んでいった。特に長男の方は「母ちゃんが苦労して建てた家に住む」といって、定年退職後家族を都会に残し単身故郷に戻って来た。近くに住む私たちは何がしかの応援をした。

そのうち、長男君が思いもかけない重篤な病に襲われた。八方手を尽くしたが改善がみられないまま、ふる里の家を売却して都会に帰らなければならなくなった。弟の方はそれより前に、もらった家をさっさと売却処分して都会に帰っていた。兄の方は一人での田舎暮らしも長かったので、叔父、甥の関係も深化していった。そんな可愛い甥っ子の長男の病は命に関わるため身体の一部分を切除という一大事に至った。

それからしばらくして私自身も、「オーイ、元気か!」などと軽く言えるような状況ではなくなった。
しばらく音信がとだえたまま、互いが相手を思いやって静かに暮らしていた。が、私の方は五体満足、若い彼は障がい者となっている。電話をかけるのは忍びない。生の話を聞くのも辛い。せめて手紙で彼の胸の内を確かめたかった、そんな少し気の重い手紙であった。書くのが苦手ではないが、こういった手紙は難しいね~。

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「お彼岸の中日」

2024年03月20日 | カープ一喜一憂

   
       1年間の下積みを乗り越え、春に向かってやっと咲いたイトスイセンの黄色

雪が積もって凍るような土の中からスッ、スーっと針のような芽を出し、一生懸命頑張って冬を耐え、ようやく訪れた春の風を感じたイトスイセン。鼻をくすぐる芳香を放ちながらまっ黄色な可愛らしいを風に揺らせている。今日はお彼岸の中日、玄関に国旗を揺らし、予測もなく氷雨のような小雨が降るともなしに降るなか、お墓参りだけは済ませた。何故か、気持ちがすっごく落ち着くものを感じている。

そして今宵は、お彼岸の中日に合わせたものかどうかは定かでないが、おとなり韓国で、アメリカンプロ野球のペナントレース開幕戦「あのドジャース対パドレスの試合が行われる。これは面白いと思う。久しぶりに、プロ野球に燃えて熱くワクワクしている。今は試合開始直前である。さて試合の行方は。

今宵ばかりは何をつぶやいても、オータニさんの陰におしつぶされるのでもうやめた。野球をゆっくり見ましょう。

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「お見舞い」

2024年03月19日 | 健康イチバン!

                                           
              山間の静かな集落、住環境と生活環境の矛盾に悩まされている。

我が家から車で60kmばかり走った山間の静かな集落にある、娘の嫁ぎ先を久しぶりに訪れた。お舅さんの病気見舞いである。
娘夫婦は早くから我が家から10分のところに居を構え、孫が三人いるわけで、遠かろうが近かろうが関係なし普段から行き来しているが、私たちにとっては、あの曲がりくねった山道の長距離運転は何かの必要がないと、なかなか思い腰が上がらない。

今日は、お舅さんが心臓疾患でペースメーカーを装着して退院された話を聞いてお見舞いに訪れた。
小一時間話をする中でもほとんどがお互いの病気の話。イヤだねーと思いながらも次から次へ、痛いの痒いの入院中の待遇がどうの、病院食がどうの、コロナで面談を認めるところと一切認めないところがあって・・・などと話は尽きない。
本当は、夢も希望も満載の孫三兄弟の話で盛り上がるはずが、病気の話で盛り上がってしまった(苦笑)

私より6歳年上の米寿。幸い病気の峠は越えたということで、頭脳も言葉も昔と変わらぬお元気さで一安心。すると、すぐ我が身と比較して、私もあの年になったとき、お舅さんのように元気に笑っていられるじゃろうか、などと思ってしまう。

家の玄関を出れば広大な農地が広がる。向こうには一面黄色を競う菜の花畑が広がる。山高く空高く空気は澄み、鳥は鳴き花は咲き乱れる。そんな住環境はまさに人間にとって楽園の感も確かにある。しかし、本当の生活環境としても楽園だろうか。そうではないようだ。
年々歳々空き家は増え人口は減る。商店など成り立たず、買い物は遠く晴れた隣町までクルマで出かけるしかない。生活弱者と呼ばれるのを甘んじて受け入れるしかない集落の現況である。

住環境と生活環境の、あまりにもかけ離れた現実を目にするとき、かつて地方の元気を支えた農業や林業が忘れられようとしている。
ちょっと違うんでないかな~。国土の大半は山また山に囲まれて耕作面積は極めて少ない。それに輪をかけて、耕作する労力は年老いて干上がる寸前。なんとかしないとまさに、熊・猿・イノシシに蹂躙されてしまいそう。飢えを凌ぐために、大量の食料を有するどこかの国に勝手放題に乗っ取られのではないか。今の中山間地を見ていたら、そんな「おとろしさ」を感じてしまう。

これも、お見舞いの話の中で深刻に盛り上がったテーマの一つなのである。

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