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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「卯月つごもり」

2025年04月30日 | 季節の移ろい・出来事

    
          大根菜の花                  スイセンアヤメ
卯月つごもり。世はゴールデンウイーク(G・W)の真っ最中、どこもかしこも大賑わい。特に開催中の大阪関西万博は、G・Wに限らず大人気の様相で、私など田舎者にとっては眩暈がしそうな人の波・人のうねりを想像している。

もう一つの卯月つごもり4月30日は、拙ブログ「世の中ちょっとやぶにらみ」のHappyBirthdayでもある。親しき先輩ブロガーの手ほどきを受け、というか何度も手を煩わせて、ようやく形を整え、おっかなびっくり公開に踏み切ったのが【2008年4月30日】である。あれよあれよという間に17年経っている。ブログの開設からの日数は6211日目と表示されている。

独りよがりの単細胞思考であったり、その時々の孫自慢であったり、ご訪問頂く皆様のお役に立つものにはならなかったことを反省しています。が、これ以上もない、これ以下もない自己流思考を振りかざして、自称エッセイブログ「世の中ちょっとやぶにらみ」として続けさせて頂くことをお許し願います。

心に映るよしなしごとを、堅過ぎず柔らか過ぎないよう言葉を探し、自らの思いを織り込んで、出来るなら生きた文章となるよう努力したいと考えています。そこには、単なる写生にならないよう、作り事や他人の文体模写にならないことを自らに言い聞かせて、17年1日目に向かってスタートします。
今後ともよろしくお付き合い頂きますようお願いします。

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「我が家の球春」

2025年04月28日 | 家族・孫話

    

高校野球は春の選抜甲子園大会が「球春」と呼ばれる。そんな本場の「球春」に一足遅れて、我が家にも我が家なりの「球春」が訪れて、ワクワクドキドキ夢の膨らむ春を迎えている。

幼稚園の年少さんから始まり、小学校、中学校を通して無我夢中で野球を愛して来た一人の野球少年が、4月に高校進学し野球部に入部。ホヤホヤの高校球児誕生から3週間が過ぎようとしている。1年生は上級生が練習するときの球拾いかと思いきや、全部員が20人そこそこのチームではそんなゆとりはない。下剋上というほどではないにしても実力至上主義の厳しい側面も見え隠れする。

孫君は1年生ながら、先輩たちの中には野球を通して数多くの顔なじみもいる様子。普通の練習風景を数日見学させてもらった中でも、ショートストップを守るのは孫君と1年先輩と二人が、厳しいノックを受けたり、内野連携の守備練習でも互いに互角の技量を発揮しているように見えた。そして、早くも他校との練習試合は盛んである。徳山高専高校にはこちらから出向いた。昨日は広島県五日市からやってきて、地元で練習試合2試合を戦った。

残念ながら、まだいい報告が出来る内容ではないが、孫君に関しては第一試合で7番ショートのスタメンを頂いた。昨日は初物相場でジジを満足させる活躍を見せた。明日も県内の高校がやってきて練習試合をやるという。忙しいがこれほどジジを熱くさせるものはない。

6月に入ったら、夏の甲子園大会の県内予選が始まる。この時点では勝たせてくれる相手はなさそうだが、勝負事なのでやってみなけりゃ分からないが、それほど甘い世界ではない。負けて見習い、汗と泥にまみれる回数を重ねて、負けない方法や勝てる要素を求め、ただただ愚直に練習あるのみ。
友情を温め肩を叩き合える友と過ごす中で、ひたすら己を磨け。本人よりもジジが熱くなって呼びかけている。

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「茶碗」

2025年04月27日 | つれづれ噺

           
❝ 形ある物はいつか壊れる。その原因は時節到来 ❞ とは、ある高僧と小僧さんの頓智問答の中に出てきたのだと、あまり宛てにならない私の記憶であるがさてどうでしょう。これと似た言葉が『諸行無常』というのだろうか。こちらは歴とした平家物語の冒頭で、皆様ご承知の通りである。

それはさておき、数日前の夕食を済ませた直後に洗い物をしていたカミさんが大きな声を出した。「しまったお父さんの茶碗が壊れた」と済まなそうに言う。そりゃこっちもびっくりするし、長年愛用して来て手にもお腹にも馴染んできた大型の茶碗である。だが、壊れた物は元には戻らない。壊れたのはその物の持つ寿命、時節が満願に達しただけのこと、とすぐに新しい茶碗を手に入れた。

その茶碗は、壊れた今までのよりかなり小ぶりなものだった。「朝ご飯のお粥さんが少なくなりそう。昼までもてるのだろうか」と心配した。だがそんな心配は三日で消えた。その後は少なくなったその分量がベストのようにお腹に馴染んでいる。
帯状疱疹だ、前立腺がんだと、あれこれ病に襲われるうちに食欲だけは旺盛で、お腹周りと体重はこれまでに見たこともない数値に。それらを見越して朝ご飯も夕ご飯も量が減って、ポッコリお腹にも効果が表れそうな予感が。大きな茶碗から小ぶりな茶碗へ、それとなく自然な成り行きで移行していった結果、健康増進につながるなら、それまでの大振り茶碗ご苦労さん。小ぶりな茶碗よろしくね、である。

意図的に大振り茶碗が手から滑り落ちたのでは・・・などとは言わぬが花、思わぬが花。花盛りの4月も終わりが近づいている。

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「修繕」

2025年04月26日 | 思い出話

  
    約2.5kgの立体型幌馬車               その裏面

遠い遠い昔の話で恐縮ながら、若かりし頃にお祝いとして頂いた「幌馬車」の額縁が、ちょっとした拍子に2mの高さから床面に落ちてかなり傷んでしまった。本来ならその時点でお払い箱になるのところを、「これはオレが生きている間は捨てられん」と、いぶかるカミさんを制して今日修繕した代物である。

この頃では「修繕(しゅうぜん)」なる言葉も行為も忘れられかけているのかもしれない。DIYとかいう簡略後に押されて肩身の狭くなった修繕であるが、私にとってはあくまでもこの手で手直しをして元通りに役立たせようという、思い入れを込めた修復作業である。裏面などの見てくれは決して良くないが、表面はほぼ元通り、年季の入った古さゆえの値打ちと風格も出てきたように思う。処分しなくてよかった。

若干26歳の安サラリーマンが「結婚するのは我が家を建ててから」という信念にも似た意地っ張りを通して、身の程知らずのローンを組んで新築した。その時同じ職場だった大先輩3人が「家を見に行くぞ」と言って、新築のお祝いに頂いた大切な物であり、苦しかったあの当時を忘れることのないメモリアルでもある。
昭和44年、その当時は映画全盛期、西部劇も大流行りで幌馬車の贈り物とは、洒落た感覚の持った先輩だったんだね~などと大喜びした記憶が今もよみがえる。

そんな先輩方もここ数年の間に、定年退職者の会に出て来られなくなった。その分を今私たち世代が大手を振って中心的存在になっている。
この贈り物を頂いた26歳新築から26年を経て、子どもたちの成長などで手狭になったため、新たに2軒目としての新築から既に30年が過ぎようとしている。その間も部屋の鴨居から、ず~っと私の生きざまを静かに見守ってきたこの幌馬車の額縁。私の目の黒いうちは、ちょっとやそっとでは手放せない。
そんな思いで話にお付き合い頂きました。感謝申し上げます。

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「今年のタケノコ事情」

2025年04月24日 | 今が旬

  
      掘りたてのタケノコ               押し切り(現代でいうギロチンカッター)
      
            ぐらぐら煮えたぎるお湯で茹で上げる(直径1mの平釜)

今年はいずこの竹藪でも豊富なタケノコが目につく。どこにでも見られる普通の竹藪は、先ずは孟宗竹の群生と思って間違いない。その次に多いのが、節間が比較的長く成竹の大きさが直径6~8cmの端正な本竹である。その他にも破竹、黒竹などこの季節はタケノコオンパレードである。そんな中で、私たちの食用として気軽にお口に入るのが、完全に成長すると直径が20cmにもなる孟宗竹である。

昨年は何が災いしたのか、タケノコらしいタケノコがほとんど見られなかった。毎年2度や3度はプレゼントとして必ず手に入っていたものが、昨年の場合、竹藪の持ち主の同級生からでさえ1度だけ、それもホンの少々を食べさせてもらった程度であった。団地公園に接する放置に近い竹藪にも新たなタケノコを1本も見ることのない珍しい年だった。
今年はまるで様子が違う。団地公園に接する大きな竹藪から、文字通りにょきにょき、ものすごい勢いで生えてくる。

今日は、藪の持ち主の同級生から2年ぶりとなるタケノコ掘りを誘われた。喜び勇んで馳せ参じた。
駆けつけたときには、朝の早い彼はすでに数本を掘り上げていた。私は皮むき役を頼まれた。穂先から10cm根元に下がった部分を斜めに押し切りで切り落とす。次に根元からタケノコの皮の部分に包丁を入れて、皮だけをそっくり剥がして、中身を上手に取り出す。ちょっとテクを要する作業を約1時間。そして、直径1mの平釜で2時間。ぐらぐら茹で上げる。どうして始末しようかというほどのタケノコはもちろん、ワラビ、タラの芽、サトイモ、新タマまで出来立て取れたて、旬の味のプレゼントは、野菜価格高騰に悩む我が家の家計を応援してくれる。有難いタケノコ豊作の年。持つべきものは友である。

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「曖昧模糊」

2025年04月22日 | ニュース・世相

                                           

世は色とりどりのハナミズキが咲き誇っている。同じく見上げる花でも、桜とはまた違った趣を魅せる。
昔の人は、桜は庭木としてはあまり好まなかった。パッと一度に花開く桜は見事であるが、散り始めたらアッという間に完全に散ってしまう儚さを嫌ったのかもしれない。花の散り方が普通の花とは違って、首から落ちると表現される椿も庭木としてはあまり好まれなかった。

そこへ行くと、寒さに耐えて春の先陣を切って咲く梅の花は、その花期の長さからも庭木として日本の風情の象徴のように愛された。しかし、現代日本人の好みは、梅から桜に移行した感がある。
花を愛でる心意気もその時代、その時の人情で移り変わる。言ってみれば曖昧ではある。

ハナミズキが咲き誇る今この時も、世の中には曖昧模糊、掴みどころのない事柄があふれている。
財務省の機密文書に絡む「森友学園問題」「備蓄米が放出されても一向に値段は下がらない米価問題」「ガソリンの税率軽減による価格見直し」「ロシア・ウクライナの停戦問題」但しこれは停戦ではなく一方的な武力侵略を世界中が受け入れている不思議。「トランプ氏のロシアに対する圧力の頼りなさ」「超大国の横暴を許す、アメリカ・ロシア・中国問題」等々。どこに正義があるのか、何が真実なのか、ストンと腑に落ちることの少ない4月下旬。靴の上からかかとを掻くのが「もどかしさ」の代表だが、今の世界中にはこれ以上のもどかしさが溢れている。

如何ともしがたいじれったさを感じながら、すさんだ風が収まるのを待つしかないのか。声を上げようにも、こちらの声も枯れるし、疲れるのが先になってきた。英知と機知と並外れた度量を持つ世界のリーダーが現れないものか。

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「豊富な話題に」

2025年04月21日 | 今が旬

               

以前にグループとして様々な活動をした仲間のうち5人が顔を揃え、久しぶりの談笑に腹を抱えて笑った。
ひとり一人が豊富な話題の持ち主。息次ぐ暇もないほど次から次へ飛び出す目先を変えた話題に、つい引き込まれたり茶々を入れたり、お菓子とコーヒーを頂きながら、互いの健康を気遣う優しさも忘れてはいない。

年齢が近いこともあって、本人の現状、連れ合いの現状など心配事も話題の中心となり、笑いのネタとなる。
実際は大きな、世界を沸かすバスケット選手の祖母ちゃんも同席なのに、気取った様子もなく、ごく普通の孫のような話としてさらり。そしてついつい病気の話で盛り上がる。全体の時間の3分の2は現在や過去の病気の話になる。そこには男女の区別なく、面白おかしい落ちが付く。

今も痛みが続いている帯状疱疹については「それほど痛いのならワクチン接種をしようね」と、患いを参考にしていただく。そして、ペインクリニックの担当医が言われるように「痛みを忘れる時間が長く続くよう、楽しいこと、笑いあえる仲間を大切にすることだという結論に落ち着く。

こんな仲間と再会して、昔の華やかな話題、高みを目指した当時の話題などで、「やっぱり元気でもう少し生きていなけりゃ」と思わせるところが有難い。ちょっと得した、いい気分の一日となった。

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「ラインの使いこなし」

2025年04月19日 | 地域活動

                  

決して詳しいとは言えない私のスマホ活用術。そんな中にあって、ラインという連絡方法は早くから駆使している。もちろんこれも、倅の嫁さんに教わって、最初は四苦八苦。失敗も繰り返してようやく身に着けた。
それからというもの小グループ活動、たとえば「グラウンドゴルフ仲間」「地域活動の執行部仲間」「地域活動の専門部員同志」など、一斉に連絡して一斉に返信が欲しい場合などに重宝している。

もちろんそこには一定のルールがあり、エチケットもマナーも存在する。それを逸脱した使い方には抵抗を覚える。まだ完全に使いこなせていないころに、苦労して立ち上げた三グループのラインだが、いつしかグループ内の誰からも発信できるようになり、今では個人的会話までグループラインでやりとりするに至ってしまった。ちゃんと最初に使い方のルールやマナーを話しておかなかった自らの至らなさなので仕方ないか。
今さらこんな使い方はダメよ、などといったダメ出しは相手のプライドを傷つけそうだし。

今朝も早くからピロン・ピロンとうるさく鳴る。何事か開いてみると、極めて個人的な会話のやり取りである。たった二人の会話のためにグループ内全員が、一瞬手を止めてスマホを開くことになる。「なんじゃこりゃ、全員に伝える話じゃないじゃん」憮然とスマホをしまう。そしたら二人の間では話の続きがあって、ピロンはまた鳴り続く。こんな経験皆様お心当たりはありませぬか。あらまたピロンが鳴っちゃった(笑)

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「思案中!」

2025年04月18日 | 趣味・・エッセイ

          ❓❓❓

「gooブログサービス終了」の知らせを受けて、さて どうすべ~~ 目下思案中。

既に他社ブログサービスに移転され、完全移転の決定待ちというお仲間もおられる。
今までがあまりにも使い慣れており、多くのgoo仲間がおられて安心し切っていた分、いざこうなってみるとさてどうすべ~ 思案中というのが取りも直さず本音である。

特別大きな変りもないだろうから、早く慣れたらそちらが便利だと思えるようになるのだろう。
もう少し時間があるので、今しばらく思案中の看板を掲げて、考えてみるとしよう。

 

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「あれから9年」

2025年04月16日 | ニュース・世相

                 

「トラ&プー」の気まぐれとしたたかさで、世の中はグラグラの大激震。いつ鎮まるともしれない揺れが続き、なんとも足許の覚束ない日々が続いている。対処しようにもその方策が全く見つからないという苛立ちの日々でもある。

そんな中、九州熊本を襲った地震の本震と言われる揺れの最も大きかった震度7の発生から、今日が9年となる。あちらこちらで追悼行事が行われた。
いつも言われることだが、地震や津波など予期しない不慮の災害が起きるたびに、普段の備えはどうだったか?抜かりはなかったか?必ず議論される。そして死者など被災者が出たりすると、災害発生時の担当部署の責任者が何らかの形で責任を問われる。

災害発生の規模を予測して対策を立てる。その予測した規模以下の災害なら対策が生かされる。ところが東日本大震災の大津波のどでかい規模を誰が予測し得ただろうか。地球温暖化など地球規模の災害の大きさ、強さは人知をはるかに超えた威力で襲い掛かる。それらに対する災害発生への備えを、個人の生活レベルに求められても対応できるかどうか。難しいところである。

差し迫っている南海トラフ地震・津波の発生予測は逼迫しているが、正直なところ、満足な対策ってどこまでを言うのか理解できていないし、結局は近くの高い所に避難する、といった程度の非常に曖昧な答えしか持っていない。

トラ&プーが引き起こす世界の恐慌や侵略戦争のごたごたさえ何ともできない現代社会の中で、地球規模の自然災害が発生したら、いったいどう対処するのか、困っている。そんな災害が身近なところで起きないことをお祈りするしかないのかね~。

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