「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「長月のつごもりは」

2018年09月30日 | 季節の移ろい・出来事

                                   
                                                台風一過。きれいな夕焼けと天に上る見事な虹が

昨日から降り続いた長雨は、時折音を立てる強い雨足で、河川の氾濫や再びの土砂災害などが気になった。
それよりもっと心配だった台風24号の風は、意外にこの地方には大きな影響もなく去ってくれて助かった。
ただそれは、この地方に住む者だけの言うことで、沖縄や九州、四国徳島県などには甚大な被害をもたらしている様子は痛ましい。

夜に入ってから和歌山県に上陸した。台風21号と同じコースをたどるように、関西方面を直撃しそうな勢い。ようやく復旧なった関西の世界の玄関「関空」に再び大きなダメージを与えなければいいのだが。
さらには日本列島縦断という最悪の事態も予想される。ただただ被害が少しでも少なくなるように、いっときも早く熱帯低気圧に変わって海上で消滅してくれるように、ひたすら願うばかりである。

二百十日、防災の日の長月ついたちは、大きな自然災害が日本列島を襲ってこないことを祈る気持ちでスタートした。
残念ながら、たったこの1か月間にも、雨・風・地震など後を絶たなかった。そしていよいよ神無月を迎える前日、長月つごもりに台風24号襲来。9月の終わりと共に自然災害も今年はもうお終い!にして欲しいものだ。
そして改めて、「自分の体は自分が守る」ことの大切さが身に沁みる秋半ばである。

瀬戸内海に面した穏やかな気候の当地方では、午後6時前には雨も上がり、きれいと言うと叱られそうであるが、見事な夕焼け空が広がった。海面からは、これまたスッキリきれいな虹が天に向かって伸びていた。

台風の進路に当たって、命の危険と隣り合わせで闘っている人たちのことを思うと、このような光景をアップすることにいささかの抵抗も覚えたが、襲い来る台風や自然災害は避けることは出来ない。しかし、身構えて対処する方法は幾つか考えられる。その上で、台風一過、やがて青空が広がるのを信じて待つのも、人間の強さであり、したたかさである。自然災害に屈することなく、したたかに生きたいと思う。

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「歓喜!はじける笑顔!ビールシャワー」

2018年09月27日 | 幼馴染の動向

           
    2018年9月26日午後9:03分。カープ三連覇決定の瞬間。ヤクルト最後のバッターとなった山田哲人を三振に撃ち取る。
           (投げ終えてガッツポーズの中崎投手。右手を大きく挙げて喜び爆発の會沢捕手)

    
   歓喜の胴上げに続く、優勝監督インタビュー       セリーグ覇者に送られる優勝ペナントそして優勝カップ

    
  ペナントを大きく広げて、全員がスタジアムを一周      途中至る所で、観客席をバックに記念撮影 

  
 一通りの優勝セレモニーを終え、スタジオインタビューで喜びを語る。緒方監督・會沢選手会長・丸選手(左から)

     
   會沢選手会長の挨拶に始まるビールかけ。         一斉に大声上げて、鏡開き!

     
         あとはヒッチャカメッチャカ、喜びをぶつけ合うビールシャワーがはじけ飛ぶ!!

     
     ビールシャワーに笑顔を見せる緒方監督        ひと騒ぎの後、次なる目標に向かって締めの挨拶。

わずか30分か40分で、6000本という中瓶ビールが、100人に及ぶ選手や報道陣をびしょ濡れにするビールかけ。
一見、狂気の沙汰に見えないことも無いが、1年間真剣勝負で戦ってきた選手たちの、一瞬のねぎらいとして笑顔で見守ろう。
そして今日から体勢を整えつつ、来るべきクライマックスシリーズ、日本シリーズへと準備が始まる。

プロ野球史上巨人以外のチームが三連覇を果たしたのはカープ以外にない。兎に角この日を喜んで、さー!明日から!!

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「歓喜!ついにその時が!!」

2018年09月26日 | スポーツ・観戦

訪れるべくしてなかなか訪れなかった歓喜の瞬間。2018年9月26日午後9時03分、ついにその時が。
待ちわびた。待ちくたびれるほど待った。でも、ついにその時は訪れた。広島東洋カープ、セ・リーグ三連覇の瞬間が。
間違いなく訪れることは判っていても、目の前に確かな証が示されないと、今日か明日かと待たされるファンはたまらなく不安になる。 

      
   試合を決める10点目を叩き出した丸選手     試合終了。優勝決定、歓喜のハイタッチをするナイン

先発九里投手の力投に、打線も活発に援護。久しぶりの畳みかける攻撃で10得点。2位ヤクルトとの直接対決を制し優勝した。 
      
     大観衆の歓喜の声援に見守られ、胴上げされる緒方監督は9回、宙に舞う。ワッショイワッショイ!!

取り敢えずは一区切りついた。次なる目標は、クライマックスシリーズを勝ち抜くこと。そして目指すは日本一。
セ・リーグ優勝のペナントを持って球場を一周。次は日本プロ野球制覇のペナントでマツダスタジアムを一周してもらいたいものだ。

               
               リーグ優勝のペナントを囲んで、スタジアムを一周

振り返れば色々あったカープのこの1年。取り敢えず今夜は、優勝の喜びの一端を速報としてここに記しておきたい。
おめでとう、カープ。おめでとう、選手・スタッフの皆さん。そして熱いカープファンの皆さん、本当によかったね。

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「待ちぼうけ」

2018年09月24日 | スポーツ・観戦

  
  歓喜を予測して打ち上げられるゼット風船   雨にも負けず、その瞬間を待ちわびたファン  待ったのにやはり来なかったね 

2018年9月24日。その日は、日本中に広がる多くのカープファンの記憶に残る『一大記念日』となるはずであった。
カープ球団史上初の3連覇を成し遂げ、27年ぶりの地元胴上げを待ち望んだファンを喜ばせる日となるはずであった。
予定は未定にてしばしば変更有り、とは言い古された手垢のついた言葉であるが、まさにそんな言葉が身に沁みる日となった。

優勝マジックナンバー1、王手、リーチ・・・。上がり寸前であった。
無情にも横浜に敗れた。昨夜、歓喜のサヨナラ勝ちで王手をかけた勢いはどこへやら。消化不良の負け方で、今日の胴上げは夢と消えた。
だからどうっていうほどのことでもないかもしれないが、終盤に来て、これほどカープの情けない試合を数多く見せられると、絶対に優勝間違いなしとは言え、「しっかりせーよ」と苦言の一つも呈したくなる。

「待ちあぐんでぼんやりすること。待っていた人がついに来ないこと」を待ちぼうけという。
動揺にある「待ちぼうけ」は、果報は寝て待て、寝て待っていたらウサギが出て来て木の根っこにぶつかって、易々と手に入った。
怠け者でもたまにはいいことがあるんよ・・・そんな不謹慎な歌詞だと思うが、実力伯仲のプロ野球の世界ではそんな流ちょうなことは言っていられない。などと愚痴ったところで何になる。また明日だ。

今日一日を一言で言い表すなら、「当て外れ」「肩透かし」「待ちぼうけ」「明日があるさ」「果報は寝て待て」・・・色々あるもんだ。
兎に角今日は終わった。また仕切り直し。明日にかけよう、赤の乱舞を。

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「王手!!」

2018年09月23日 | スポーツ・観戦

              

我が愛するプロ野球広島東洋カープ。三連覇に向けた詰めの段階で連日モタモタ。
やきもきさせた挙句ではあるが、今夜の対横浜戦でサヨナラ勝ちによて、ついにというか、ようやくというか、兎に角「王手」にこぎ着けた。マージャンで言うテンパイ。リーチと相なった。

一昨年・昨年の順調なマジックナンバー減らし。ぶっちぎりのセリーグ2年連続制覇であった。
それに比べて今年はどうだ。呆れるほど肝を焼かせた。あれこれ理屈や不満を並べればキリがない。
そんなこともこんなことも乗り越えて、やっとこさではあるが「王手」「リーチ」の局面を迎えた。よくやったの賛辞を贈りたい。

一人ひとりの技と力が結集し、つながりのある団結力で勝ち取った王手。今夜は理屈抜きで枕を高くして寝よう。
次の1勝で優勝を決めたら、今度は安堵の上に興奮が重なって、しばし寝付けないかもしれない。今夜のうちにグッスリと・・・。 

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「敬老ボランティア」

2018年09月20日 | 地域活動

                
                                                 施設の車いす磨きに精出す、地域活動

「敬老ボランティア」などと言うと、さも大袈裟に聞こえるかもしれないが、今、地域活動の中で一つの目玉ボランティアとして取り組んでいるのが、特別養護老人ホームなどを併設する介護施設の「車いす磨き」である。
もともとボランティアと言えば、対象はお年寄りであったり、幼児を含む子どもたちであったりするわけだから、「敬老」の文字をを付ける必要はないのかもしれない、とも思う部分もある。

ここで敢えて取り上げるのは、そういった介護施設のお手伝いをする私たち自身が、介護される側に回ってもおかしくない年齢の人たちの集まりであるということである。
敬老の日を迎えて、自治体から「敬老者対象」とされる年齢は、地域によって多少の差はあるものの、おおむね65歳以上の場合が多い。
さらに小さな自治会などの単位では、敬老会招待対象は75才以上が対象となるところも少なくない。

まさに高齢化社会の中で、敬老対象年齢を下げると、単位自治会の経営に影響を及ぼしかねない、という心配もあるようだ。
そのような状況下で、年齢に関係なく元気な人、動ける人などが互いに協力して、このような活動をしているところに意義があるのだと思って、せっせと汗を流している。車いすを磨きながら「やがて私たちもここでお世話になるかもねー」とか「出来るときにやっとかんとねー」などと、今元気に活動できることを喜ぶ会話がはじける。「やがて行く道」を改めて実感する。

そして思うのは、間もなく10年目の祥月命日を迎える母が存命の頃に、今と同じように「老いを敬う気持ちで母に接して来ただろうか」という疑念と悔恨である。10年前は「自分はまだまだ若い」という気持ちが先に立って「老い」と向き合う気持ちが極めて薄かった。
もちろん今だって「まだまだ、やりたいことがあるな~」という気持ちに変わりはないが、一方でホンの少しだけ年齢を意識するようになったのだと思う。「孝行をしたいときには親は無し・・・・・・」。

せめて地域活動の一つもして、遅ればせながら、おふくろにしてやれなかった分を取り戻そうとしているのかも。

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「あんたもかよ・・・」

2018年09月17日 | 幼馴染の動向

               

今日は敬老の日。我が住む町でもあっちこっちで敬老行事が開かれた。
お役目柄、あっちこっちの敬老行事現場に出向いて写真を撮って来た。その写真と行事内容を記事にして、地域活動機関紙のニュースの一つとして紙面を飾るのである。

今日撮った写真の整理や、紙面レイアウトなどに少し頭を使っているときに、高校時代から今もずーっと付き合いのある友から電話が入った。いつも通り爽やかな屈託のない話しぶりである。稲刈りの苦労話でもしたくなったかな、などとタカをくくって彼の調子に合わせていた。「楽しみにしとった10月の飲み会に出席出来んようになってしもうた」と言うではないか。

近くの開業医で診察したところ「大病院で検査しなさい」ということになり、その結果「改めて10月に検査入院して肺細胞の一部を精密検査をする運びとなった」という重大報告。「オイオイ、あんたもそんなことになったのかよー」と、少なからずショックを受けた。
高校時代からずっとライバルでありよき友であった。お互い会社勤務を経て定年退職してからの16年間は、若い時以上にこの上ない友の一人として、高校仲良しグループ男女10人で、何かにつけて飲み歌い遊んで来た。たまには彼の稲刈りの手伝いもしてきた。

何故か我々のグループに限っては、女性側が早いうちから病気がちで、一人欠け二人脱落していき、ゆいに女性は仲間からいなくなった。
男の方も、一人は完全に治療専念。一人は後遺症を気にしながらの万全でない体調。残ったのは男3人だけになってしもうた。
そんな大切な一人が「重大検査入院」という。なんかしら身につまされるねー。

酒の量では彼が一番。カラオケだけは・・・・・・??どっこいどっこいかな。
この頃の酒の肴は、おつまみともう一つ「元気に生きてコロッと行こうや」「ピンピンコロリを目指そう」などの話も加わっていた。
検査入院の話が出た段階でそこまで心配しては少し行き過ぎ・・・と自分を戒めてはみるものの、「敬老の日」というタイミングでこんな話を聞かされると、やはり身に沁みる度合いが大きい。

長生きを喜ぶ「喜寿」を謳歌する今、「まだまだこれからよ、あんたは大丈夫だよ」と当てもない元気づけはしたものの、心の中では「もう少しオレに付き合ってくれよ」と拝み倒したい心境である。

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「山口の秋」

2018年09月16日 | 季節の移ろい・出来事

                                           
                                                    真っ黄色の可憐な花を付ける荒れ地待つ宵草

今年もあの色鮮やかな黄色い花が、隣の空き地に咲き始めた。
まさに雑草・雑木が生い茂る荒れ放題の空き地。そんな荒れ地の中でも季節をたがえず、敬老の日と共に咲く「荒れ地待つ宵草」が愛らしい。この花が咲くころになると、おふくろさんを出しにして姉や妹、甥姪など集まって、飲んだり食ったりした遠い昔の「我が家の敬老会」を思い出す。そうして段々秋は深まっていく。

今年の山口県の秋と言えば、山口市阿知須の山口きらら博記念公園で開かれている「山口ゆめ花博」が話題を呼んでいる。
と、大自慢したいところだが、実際はどこまで広がっているのだろう、他県や都市部の認知度はどの程度だろう、などという心配が先に立つ。そうはいっても、1年も前から入念な準備で迎えた花博。前売り券売れ行きも好調だとか。多くの人に訪れてほしいイベントではある。
かく言う小生も、早い時期からゲットした前売り券を忘れんように、できるだけ早く訪れてみたい。

正式名称は「全国都市緑化フェアー山口ゆめ花博」で、約1千万輪の花々が出迎えてくれる。明治維新150年の記念施設も見ものだという。日本一を豪語する木製遊具や、全長85mの竹製コースターなど、手作り品の温かさが伝わってくるようだ。
湯田温泉の湯を引いた巨大足湯や、仮想現実(VR)で幕末の名場面を体験できるコーナーもあるという。ということは、今年の大河ドラマ再現で、西郷隆盛が第一次長州征伐を回避した場面に出くわすのかもしれない。ウ~~ン、胸が高鳴る秋半ば。

現実に戻って、夏野菜で疲れた畑に肥しを入れ、汗みどろになって耕して再生させた畑には、カブ・大根・白菜・秋じゃがなどなどの植え付けも済ませた。
荒れ地待つ宵草は、朝に咲いて夕べにしぼむが、畑に撒いた種には昼夜を問わず芽を出す努力をしてもらおう。

大事に育てたメダカさんも、9匹だったのが40~50匹に増えた。これも紛れもない秋半ばの風物詩である。 

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「おせっかいの虫が・・・」

2018年09月13日 | おせっかい

             

またまた中学校同窓会の幹事団結成というおせっかいの虫が、頭の中で、気持ちの中で、うごめき始めた。
前回が2015年4月開催だったので、あれから3年半が経過しようとしている。同級生の7割近くは年内に77歳を迎える。一方で小生のように1月以降の生まれにとって喜寿はまだ先の話である。でもここらでそろそろ準備を初め、全員が喜寿を迎える来年4月に「喜びの歳」喜寿同窓会が開催出来れば、節目としては最高のイベントになるのかな、などと思い立った次第である。

そして今一つ。喜寿同窓会を最後に、中学校同窓会を終わりにしたいとも思っている。
長年、一致団結して精一杯盛り上げようと努力してきた幹事団のお役御免、全面解散にしたいということ。少し寂しい気もするが、来年4月に向けた全力投球が残されているので、そんな感傷に浸っているひまはない、というのが正直な気持ちでもある。
なんだかんだ言いながらも、お節介役から解放されるのはあり難いのかな?まだ少しエネルギーが残っている感もあるが、意外に気持ちだけで身体が付いて行きにくくなったりしている部分無きにしも非ず。

拙ブログのカテゴリーに「おせっかい」の一項を設けている。内容は、小・中・高の同窓会やクラス会の開催をテーマとしている。
半分は謙遜のつもりで、幹事団を組んで世話をすることを「おせっかい」と自称して来た。
残り半分は「うまくいって当たり前。ヘマをすると避難ごうごう」こんな割の合わん仕事をよく引き受けたもんじゃねーという自虐の念もあった。

改めてお節介という言葉をひも解いてみると、「却ってこちらにとっては迷惑になる、相手方の親切心に基づく行動のこと」を総称するようで、その中味は、「ありがた迷惑」「独りよがり」「無用の親切」「余計な世話焼き」・・・・・・等々、決していいことではないように書かれている。
果たして、同窓会幹事という役回りがこの「お節介」に該当するのかどうか。中には「ありがた迷惑」という気持ちで案内状を受け取る人もいるだろうが、「待っとったよ~」と喜んでくれる人たちだって多いのではないか、などと勝手に解釈している。

つまり、お節介なのかなーと思うのは、小生自身の謙遜であって、幹事皆さんの出しゃばりでもなんでもない、それどころか「奉仕の心」の表れと受け止めたい。
つい先日受講した某福祉大学教授の「福祉とはなんぞや」の講義では、「『お節介とは』節度のある仲立であり、これからの世の中で必要欠くべからざる生活習慣ですよ」と聞かされた。

ややこしい話は置いといて、元気に喜寿を迎えた同級生が集まって「来し方・行く末」を談笑するお膳立てをする幹事役。
次にやろうとしても出来ない最後の務め。15人もいた幹事団が何人減ったのか、そんなことも気にせず、目いっぱい気張ってみよう。
火事場のバカ力ならぬ、最後の花道を飾る力が湧いてくるかもしれない。 さて何人集まるんじゃろう。

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「スポーツマンシップ」

2018年09月11日 | スポーツ・観戦

                                                 

テニスの世界4大大会の一つ、全米オープン女子シングルスを制したのは、選手としての国籍を日本に置く「大坂なおみ」選手。
若干20歳の初々しさ残る素敵な女性アスリートである。
未だかつて日本人の誰もなしえなかった、全米オープンシングルス制覇。文句なしの賞賛を贈りたい。

世界の頂点に立って、喜び最高潮のはずの彼女の口から発せられたコメントは「こんな終わり方になってしまい残念です」というものであった。まるで敗者のコメント同然である。何故、こんな発言に至ったのか。何故、もろ手を挙げて喜びを爆発させてやれなかったのか。
試合会場がニューヨークで行われただけに、もっとスポーツマンシップにのっとった爽やかな終わり方が出来たはずなのに、誠に残念。

試合途中では、テニスの試合ではあまり見られない審判の判定に暴言で抗議する姿が映し出された。
ポイントを奪えなくて、自身のラケットを地面に叩きつけてぶっ壊す場面も見た。そういう一連の、世界を戦う選手としてはあるまじき行為を支持して、相手選手にブーイングを投げかける観客の幼さ。観ていて「これが世界に誇る4大大会の一つ??」とやり切れない疑問がわいた。それもこれも全て、長く女王の位置を保ってきた36歳という大ベテランのセリーナウイリアムズという、アメリカ人選手が撒いた、悪しき前例、悪しき種である。

勝者は常に挑戦者たちのターゲットにされる。イチかバチかの捨て身の闘いの標的にされる。分の悪い立場であることはよーく解る。
しかし、それらの挑戦者をことごとく跳ね飛ばし、勝者の位置を守るのが『真の勝者』ではないのか。その裏側には「負けたら辞める」あるいは「捲土重来を期す」。選択肢はこの二つである。潔く負けを認めるところにこそ、過去の栄光にファンは拍手を贈るのである。そして改めて自らが挑戦者の権利を得る。そこから再び勝者への挑戦が新たに始まる。そういったプロセスを忘れて、新しく生まれた力をこき下ろしてはならない。それこそ天にむかってツバするに似た愚かな行為であろう。
優勝に沸くはずの大坂なおみさんの表彰式は、そんなゴタゴタで喜びも中くらいであったような。

スポーツマンシップという概念の発祥はイギリスというから、アメリカではあまり通用しないのかな。
そういえばここのところ「アメリカファースト」が声高に叫ばれ、なんでもかんでもアメリカに従え、という風潮が見えるね~

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