「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「いわくに 久杉橋」

2022年08月28日 | 旅行・レジャー

       
                下流から見た久杉橋、右手に見えるのが商品の直売所

      
                上流から見た久杉橋、右手に見えるのが本社社屋

岩国市の山奥に、ネットを通じて世界市場に名を連ねる日本酒の醸造元、旭酒造がある。
ブランド銘を「獺祭(だっさい)」という高級日本酒として、地元はもとより海外市場で大きな評価を受けている。
下戸の私でも、口当たりがよくて確かに旨いと思う。しかし高嶺(高値)の花で、いつもの晩酌にとは手が出せない代物ではある。

この山間の蔵元を、2018年7月の西日本豪雨による土砂災害が襲った。出荷前の製品や醸造工程に大打撃を受けて計り知れない損失となった。
しかし、世界に名を馳せる新進の醸造元だけにその立ち直りも早く、ブランド名に傷を付けることもなく製造再開、雇用も守った。
その工場の前を昔から流れている小さな川を挟んで、商品直売所がしつられられている。工場と直売所を結ぶ約21mの小さな橋が「久杉橋」と呼ばれる話題の橋である。久杉橋も当然ながら西日本豪雨で跡形もなく流された。

何故にこの復旧なった久杉橋が注目されるのか。この橋のデザインを担当したのが、建築家でありデザイナーとして世界中から注目され絶賛されている「隈研吾」氏の手による作品だからである。彼の仕事ぶりや学歴などは、ここで述べるまでもなく多くの方が先刻ご承知であろうから省略するが、兎に角大変な実力者である。

災害復興の象徴としてデザインを依頼された彼は、山口県産のヒノキ8トンを使い、美しい曲線を描く久杉橋を創り上げた。
新しい橋は長さ21メートルのコンクリート製で、欄干両側に1266本(長さ30センチ~2・7メートル)の10・5センチのヒノキ角材が組み合わされている。19年11月に着工、今年6月末に完成した。総事業費は3億7千万円で、デザイン料2億円を旭酒造が負担、工事費1億7千万円は県が支出した。維持、管理は7月から岩国市が担っている、というもの。

小さな町の山里に、象徴として世界につながる力を持っていると、デザイナーご本人に言わしめた、まさに目をみはるばかりの美しい曲線美。匂うばかりのヒノキの躍動。叶うなら現物をお見せしたいところではあるが、拙い写真をご覧頂いてさらに想像を膨らませて頂ければ幸いである。

  一度はおいでよいわくにへ 人情溢れる城下町
     緑の山に囲まれて 湧き出る清流数知れず ・・・・・・自慢するもの少ない我が町にも、こんな新たな名所が生まれているんだよ。
                               かく云う私も噂には聞いていたが、実物見学は初めてである。
                               親しい友からの近回りお勧めスポットの一つ。見応えがあった。

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「文月つごもり」

2020年07月31日 | 旅行・レジャー

例年より少し遅れて始まった今年の「錦帯橋観光鵜飼い」。
市役所に勤める娘婿の肝いりで、7月末日のこの日、鵜飼いを目の前で見学する遊覧船乗船の招待を受けた。何日か前に計画していたが、雨で中止や延期になったりしていたがようやく実現した。 

       
         孫三兄弟の頭文字を取った、出発前の貸切遊覧船 

暮れなずむ岩国城を見上げながら先ずは乗船。身内ばかり9人が乗り込むのに、コロナ対策三密を避けるため20人乗りの大型屋形船を借り切り、ソーシャルディスタンス間を空けてゆったり座る。
鵜飼い料理に飲み物を積み込んで緩やかに川面を滑る。およそ1時間、舳先に水竿、鞆に櫓を操る二人の船頭さんに全てをゆだね、ひとしきり談笑。     

    
     遊覧約1時間、休憩のため接岸。ひと休みの後再び川面へ            

    
漆黒の闇に浮かぶまばゆいほどのかがり火を焚き、烏帽子、腰蓑の鵜匠の鮮やかな手縄裁きに操られて、鵜は潜り浮いてはまた潜る。中には鮎を飲み込んで上がってくるが、多くは空振り。それでも、遊覧船から贈られる拍手で鵜も興奮気味にはしゃぎまわる。残念ながら鮎を頂いたのは、鵜飼い料理に載せられた丸々太った鮎で、天然物の苔の匂う若鮎ではなかった。それにしても船遊び鵜飼い遊覧を楽しませてもらった。

ちなみにこの錦帯橋観光鵜飼いは、およそ380年前の岩国領主吉川広嘉のころに、錦川鵜飼いとして始まったといったような諸説あるが、いずれにしても長い歴史を重ねてきたと言われている。一時期中断されていたが、戦後復興の中、昭和27年に当時の岩国人によって復活を遂げ、現在に至っている。また、海鵜を捕らえて調教し、鵜匠と息を合わせて鮎を捕る漁法は伝統的な民族行事として観光資源に活用され、今では内外多くの観光客に親しまれている。

観光鵜飼いを追えて駐車場に急ぐ道すがら、振り返ると、夜空に浮かぶ岩国城をバックに、五連のアーチ錦帯橋がその秀麗な姿を誇っているのが目に飛び込む。これを記念に残さなければならない。
   
      眉目秀麗、気品を漂わせる木造の五連アーチ、国の名勝「錦帯橋」

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「北陸路を訪ねて Ⅱ」

2020年02月03日 | 旅行・レジャー

北陸路の夜は「加賀温泉郷山中温泉」で一宿一飯の恩義に預かった。
豊富な湯量と、華やかさとは少し距離を置いた、寂れた冬枯れの自然を眺める露天風呂は、冷たい小雨が旅情をかき立ててくれる。
ここにも、かつて隆盛を極めたバブルの一時期を遠く忍ばせるような足跡が見える。時代は移り変わっている。特に観光地は。

二日目の朝一番に人間国宝、三代目徳田八十吉の作品が置かれている九谷焼の里に立ち寄り。
それはそれは見事な九谷焼の歴史や、豪華作品にうっとり。手も足も出ない高価な作品に目の保養をさせてもらった。
そしていよいよ、この旅の二つ目の目的地「白川郷合掌造り集落」へ。

         
              うっすら施した雪化粧の歓迎を受けた。白川郷荻町合掌造り集落         

               
以前訪れたのは、新緑が萌えていて雪には縁のない季節であった。その時に思ったのは「今度来るときは雪の白川郷を見たい」であった。
だから、節分を前にした大寒の最も寒い時期を選んだ。ところが暖冬に次ぐ暖冬で、北陸といえども雪景色は期待できない今年の冬。
添乗員さんも、バスガイドさんも「期待して」という声を発しない。ひたすら「運がよければ」の天任せ。
それがどうだ!三日前に少し降った雪が、まさに「冬の白川郷の正装」とも言える雪化粧でのお迎え、有り難かった。
しかも、ケバケバしさと落雪の危険さえ伴う豪雪ではないのだ。山口弁で云う「よーおいでました」と微笑むようなうっすら雪化粧。
おまけに、散策するときは小雪がチ~ラチラ、邪魔をしない程度に降りかかる。実によかった。普段の行いがよかったの誰?そりゃもう・・・??

中国で発生して猛威を振るうコロナウイルスのせいで、観光客は激減。ごった返す白川郷も随分とゆったり。しかも傍若無人な大声のおしゃべりも奇声も少なくて、日本の観光地を散策しているという気分に浸れた。これはある意味とても大切な旅情であると思っている。
但し、私たちもマスクを片時も放せない。食べ物一つ口にしようとすれば、持参の消毒スプレーをシュッと一吹き。
これは、今までに経験したことのない厳しさを伴う旅でもあった。その分、思いでも大きなものになるのかも。

そして三つ目の目的地「金沢兼六園へ」


              
さすがに、前田利家率いる加賀100万石を誇った、金沢城の前庭である。「文化財指定庭園 特別名勝」に指定されているだけのことはある。
お見事というほかない。ただ、お土産物屋さんの専属ガイドさんが案内してくれるのは有り難いのだが、早く案内を終えてお店に戻らそうという意図が見え見えで、急いでシャッター切らなければならない不都合さはある。それを、差し引いてもやはり目の保養には十分である。

わずか2日間でこれほどの旅が出来るとは、観光バスのドライバーやガイドさんの努力と、プロ意識に感謝したい。
そしてなんといっても新幹線・特急サンダーバードなど、高速鉄道のお陰にも感謝する一泊二日の旅であった。
またいつか思い出したときに、言い忘れた話など振り返ってみたい。、先ずは北陸の旅2日間を振り返る一席。お後がよろしいようで。

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「北陸路を訪ねて Ⅰ」

2020年02月02日 | 旅行・レジャー

           

北陸のあの高名な、曹洞宗大本山の永平寺を訪ねてみたい、と思い立ったのはいつの頃だったろうか。
2015年10月に出かけた、東北6県の紅葉巡りの大本命は、平泉中尊寺参拝であった。もちろん高名な金色堂見たさでもある。
そのときふと思ったのが、東北の雄中尊寺、ならば北陸の永平寺にもいつかきっと・・・。と行きたい気持ちに灯が付いたようである。それからみると随分時間がたってからの実現ではある。

    

1泊2日という手頃なツアーが目に留まった。しかも節分を前にした真冬の北陸の気候を味わってみたい、そんな気持ちもあっって即申し込み。一旦は満席で断られたが、「キャンセル待ちが取れました」との電話がすぐに入った。ラッキー!
1月31日午前11時、新大阪駅をバスで出発。大阪万博当時の「太陽の塔」の顔を左に眺め、ほどなく名神高速へ。
京都の中心部を左手に見て抜け、大津を突っ切って近江茶屋SAでひとやすみ。彦根城を遠く左手に、ほどなく北陸道へ。
途中バスの中では、日本海側特有の厚い雲に覆われた暗く低い空から猛烈な雨が。  

           

それが、永平寺に近づくにつれて雲の切れ目から薄日が。永平寺門前に着いたときは完全に雨はなし。用意した傘を濡らすことなく参拝開始。
道元禅師によって開かれた座禅修行の道場だけあって、七堂伽藍と呼ばれる、法塔(はっとう)、仏殿、僧堂、庫院(くいん)、山門、東司(とうす)、浴室、それぞれの隅々はもとより、それらに至る廊下も全てピッカピカに磨き上げてある。勝手に歩かせて頂くのがもったいないような。
当時の著名な画家144名による230枚の絵天井の間「傘松閣」は圧巻である。これら自由に散策できる気安さで、ゆっくりとあちこち見させて頂いた。至る所「撮影禁止」の表示があり、カメラを持ってはいるものの、無遠慮にシャッター押す気も減退。お見せできないのは残念であるが、出来るなら一度永平寺をゆっくりお訪ねをされてみては如何だろう。

そして広い境内を流れる小川には、ゴーゴー音を立てて流れる清流がある。
そのお陰か、庭という庭はまるで絵に描いたような青々とした苔のしとねが目を射る。数百年の老木もお見事と云うほか無い。
開山は1244年ということから780年近い歴史が、目の前に横たわっている。おのずと心洗われる思いがする。

     

順路の途中に爽やかな絵が数枚掛けられていた。それぞれに言葉が書かれていたのにふと目が留まった。
 「どう生きるか」   生まれて死ぬ一度の人生をどういきるか それが仏法の根本問題です
              長生きをすることが幸せでしょうか そうでもありません
              短命で死ぬのが不幸でしょうか そうでもありません
             問題はどう生きるかなのです

 「無常ならざるもの」 生まれたものは死に 会ったものは別れ 持ったものは失い 
             作ったものはこわれます
            時は矢のように去っていきます すべてが「無常」です
             この世において 無常ならざるものがあるのでしょうか   修行の足りない凡人には難しい世界ではある。

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「避暑ドライブ」

2019年08月11日 | 旅行・レジャー

道の駅上関海峡
     上の関町の史跡代表格「四階楼」                      今一番の賑わいを見せる道の駅「上関海峡」

何をしても暑い。動けば汗が流れる。今夕からお盆帰省で、この夏二度目のマゴマゴお接待が始まる。
そんな状況を踏まえて、誰もやって来ない昼間、クルマのエアコン効かせて避暑ドライブに、などと柄にもないことを思いついた。
それも、帰省客でごった返す繁華な場所を避け、海沿いの道を選んで走っていたら、馴染みのある上関町に着いた。

上関町は山口県の最南端に位置し、周防灘に向かって突き出した室津半島の先端部と長島、祝島、八島などの島々からなっている。
古くから潮待ち、風待ちなど海上交通の要衝として栄え、江戸時代には 朝鮮通信使などが、この地を中継点とした歴史もあるという。
ちなみに、山口県の瀬戸内海側には、上之関、中之関、下之関という三つの海上関が設けられ、海上交通の税金を集めていたという。
上之関は岩国市と隣接する柳井市の沖合。中之関は防府市三田尻。下之関はご存じの通り、関門海峡の要衝を監督していたようである。

水軍にまつわる話など多くの歴史を持っており、上関城というお城も存在したという。
但し、それは主に水軍と呼ばれる海賊軍団が拠点としていたらしく、真偽のほどは明確ではないようである。

そんな中でも、1879年(明治12年)幕末に活躍した元第二奇兵隊書記小方謙九郎が建てた擬洋風建築木造4階建ての建造物「四階楼(国指定重要文化財)」がある。建築費は当時の金額で3000円と言われている。擬洋風建築とは日本の大工が自分達の技術で西洋の外観などを模した和洋折衷の建物をいうのだそうで、棟梁は地元室津の吉﨑治兵衛と言う人であった。この建物は取引先の人々や船主らを商売上もてなすために建てられたもので、特に4階は畳が敷き詰められており、いかにも昔の商家が商談に用いた雰囲気を今も残している。

四隅の柱が一階から四階まで貫いていて、内外壁に施された見事な雲龍や鳳凰、唐獅子牡丹などの鏝絵(こてえ)と四階大広間のステンドグラスとの組み合わせなどが、この建物の独特の雰囲気を作り出している。と、パンフに書かれネットで発信されている。
このほかにも見るべき歴史はいくつかある。狭い地域なので、興味のある方は是非一度お訪ねを。なんだか、上関町職員になった気分。

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「締めくくりの初詣」

2019年01月20日 | 旅行・レジャー

                          
           元乃隅(もとのすみ)神社、本宮から眺める参道の朱の鳥居。その向こう側に竜宮の潮吹きが

例年通りの初詣は元旦と二日に済ませた。気持ちの中で今ひとつ、どこかこれまでに行ったことのない初詣に行ってみたい衝動に駆られていた。間もなく迎える喜寿77歳の誕生日を前に、なにかしら特別な正月を迎えた思いがふつふつ。
延び延びになっていた思いをなんとか実現したくなっていた折、山口県西部の日本海に面した長門市油谷(ゆや)に、絶景の神社があることを発見。締めくくりの初詣と自ら命名して片道およそ200kmのドライブに出発。

目的地にした元乃隅神社は、元乃隅稲荷神社として昭和30年に、地域の網元であった岡村斉さんの枕元に現れた白狐のお告げにより建立されたという。いってみれば個人所有の神社ということになるが、商売繁盛、大漁、海上安全は元より、良縁、子宝、開運厄除、福徳円満、交通安全、学業成就、願望成就の大神様であり、地元の篤い信仰に支えられている。昭和62年から10年間かけて奉納された123基の鳥居は、東京・神奈川・静岡・広島・島根など全国から寄贈されており、海岸側から本宮に向かう参道入口から100m以上に並ぶ景色はまっこと絵になる。

アメリカCNNテレビなどが、世界の美しい景色に紹介したことなどから急激に脚光を浴び始めたという。ここ3年くらいで山口県観光の一大スポットとして賑わっている。鳥居などの塗装も新しく、初々しさのある神社でもある。
このように外国人客から人気のスポットとしては「元乃隅稲荷神社」という名前は覚えにくいという理由から「元乃隅神社」に変更されたのが、今年1月1日だとの注釈が付いている。

 
    しぶきとともに噴き上げられる海水       噴き上げられたしぶきに見事な虹が掛けられる。

神社参拝を済ませて、神社から参道を逆に下りて海岸の岩場に進むと、そこにはまさに名前の通りの「竜宮の潮吹き」が見られる。日本海特有の荒々しい波が、浸食された岩の切れ目に打ち寄せられるたびに、かれこれ10m近く海水が上空に噴き上げられる。大型の噴水。まさしく竜宮の潮吹き。お見事。 可能な限り近くに、と寄ってみるのだが、断崖絶壁の悲しさで岩の割れ目までは見ることが出来ない。それなくとも、噴き上げられた潮のしぶきがカメラレンズに付着するのに苦労する。

                                        
                 海岸側からの正式な参道入口と、本宮を望む

4月に開く中学時代の同窓会。今回で最後となる同窓会の成功を神社に祈り、思いがけない絶景に心奪われる感動を受け止めた「締めくくりの初詣」は確かなご利益があったような。
朝8時出発、帰着17時40分。走行距離395km。大寒の入り前日にしては見事な碧空。暖かい一日。
帰りのサービスエリアで30分の仮眠。これが効果バツグン。疲れも何もなくただただ快適の二文字が。

いよいよ実質的な新年の始まりはじまり~。

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「欲張りの旅Ⅱ」

2017年11月01日 | 旅行・レジャー

      
                本丸に立つと、見下ろすほどに広がる城跡        見事に積み上げた石垣の数々

旅の二日目10月30日。心配された雨は上がったものの、雲は厚く吹く風は強くて冷たい。山陽側の真冬を思わせる朝。
湯原温泉を出て一路鳥取砂丘へ。長靴を借りて砂丘に立ってはみたが、数日続いた雨で地面はしっとり。風に砂が煽られる心配はないが、日本海から吹き上げる風の強さ冷たさには悲鳴が上がるほど。早々に引き上げ身体を温める熱いコーヒーが美味しい。
この日一日のタイトなスケジュールを考えると、少しでも早く兵庫県朝来市(あさごし)和田山の竹田城目指してバス移動。

小生にとって今回の旅のメインは、この竹田城跡見学である。虎が臥しているいる形に似ていることから、別名を虎臥城(とらふすじょう・こがじょう)と呼ばれるこの山城跡の石垣に触れ、この足で踏みしめることである。
険しい山道を登るのが大変とは何度か聞いていた。まさにその通り。坂道の取りつきで既にハァハァ。呼吸を整えながら、山頂の雄大な眺めを頭に描いて一歩一歩。幸いにして空は雲が切れて日が差すまでに回復。うっすらと汗がにじむ心地よさ。

険しい地形にありながら、曲輪のすべてを石垣で取り囲んだ城郭が、南北約400m、東西約100mに渡っており、山頂に築かれた城郭としては最後の近世城郭にあたる、と言われている。築城は約570年前の1443年で、初代城主は山名持豊(後の宗全)。やがて織田、豊臣時代を経て、1600年の徳川家康による廃城令まで、160年近くその雄姿を誇っていたことになる。地理的に京の都にも近く、但馬の国という地の利もあってか、時代の流れに翻弄されつつ、城主は何人も変わっているいるようで、複雑な歴史を秘めている城のひとつである。

ややこしい歴史もひもといてみれば興味深いが、先ずは現地に足を運び、頭や胸の奥で往時を偲び、あれこれ連想するのが楽しみの一つでもある。海抜350mの山の上。麓の町一帯が海抜100mというから、実際の山の高さは250m。数字の上では大したことはないが、いざ全部を歩くとなると、それ相応の覚悟が要るほどの山道である。が、そこは目下注目を集める観光地。途中まではマイクロバスでピストン輸送。実際に歩くのは最後の500mばかりを15~20分かけて歩くのだから、この足でもなんとかなった。もしご希望ならぜひ一度お訪ねを。

総延長400mもあるという城郭の全てを、石垣を積み上げてつくることによって、あの険しい山の上に広大な土地を切り拓いた当時の人たちの、辛抱強さ・力強さや、汗の匂いまで感じられるのが実に心地よかった。

次なるは最後のお目当て別名「白鷺城」と呼ばれる姫路城へ。
                               
自分で撮っておきながら、まるで絵葉書を見るような整然とした中に、気品と凛々しさを感じさせるその雄姿。お見事というほかない。
それでいて訪れる人を、何となく優しさをもって迎え入れてくれる寛容さを感じさせる。
もちろん天守閣を目指して城内に入り、階段を登ってはみたものの、やはりお城の中はただ薄暗いだけで、東西南北の大柱の見事さや、梁の大きさ桁の材料などに感動する以外は、格別なものはなにもなかった。
それよりなにより、お城全体を遠くから静かに眺めるのが、姫路城を鑑賞する一番のコツであると感じた。これは「ふるさとは、遠きにありて思うもの、そして静かに懐かしむもの」といわれる「ふるさと」の詩を思い出すのに似ている。

                                      

修復なって2年余りになる姫路城。屋根瓦の漆喰の白さも落ち着いてきて、それはそれはお見事というほかない姿を堪能した。
名残惜しくも帰りのバスに乗るころには秋の夕日に映えて、これまた見事な色映えで見送ってくれたようであった。

たった二日の旅ながら、いろんな景色や歴史を感じさせてもらった。これを励みにまたひと仕事がんばってみるか。

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「欲張りの旅」

2017年10月31日 | 旅行・レジャー

       
     2017.10.29  鳥取花回廊、色とりどりの花が    島根県、足立美術館、庭園

早くから計画していた、ちょっと欲張りの旅「兵庫・鳥取・島根の名所を訪ねる二日間」。
台風22号の進路や気圧配置を気にしながら、待ちに待った秋の旅。どうにか台風進路は太平洋側にずれて、日本海側を旅する我々には格別の嫌がらせもなかった。雨傘は、新岩国を出発する駐車場から駅舎に至る数十メートルの間だけ。あとは傘もカッパも要らない、有り難い天候に恵まれた。肌寒さは至る所で感じたが、その分思いがけない「見事な紅葉」が歓迎してくれていたのは、予想外の景色であった。

小生にとってこの旅の最大の目玉は、「但馬の国主が築いた竹田城址見学」次に「姫路城見学」。そのほかは、初めて訪れる足立美術館には興味があったが、鳥取花回廊や鳥取砂丘は付け足しみたいな感じであった。
但し、こちらの目的順位と旅行会社の行程表とは大きな隔たりがある。初日は新幹線で岡山駅へ。そこで九州各地から集まった見知らぬ人たちとバスに乗り込むツアー旅。全くの他人同士ではあるが、座席に座ればこっちのもの、隣は何をする人ぞ。

最初の訪問地は「とっとり花回廊」。季節が季節だけに花種は少ないだろう、などと高をくくった自分が恥ずかしいほど、色んな花が大歓迎してくれた。雨風関係ないフラワートレインという名のトロッコ遊覧でひと巡り。20度恒温のフラワードームで見知らぬ花を堪能。真っ赤なサルビアの丘。屋根付き周回歩道で様々な花を愉しむ。これはこれで是非お勧めの観光スポットではある。

次に島根県安来市の足立美術館。これは、すごい・素晴らしいという言葉が何度も何度も口をつく。この歳になって初めての訪問が恥ずかしいような、近場の観光スポットである。。
安来と言えばあのどぜうすくいの、ユーモアたっぷりの安来節を思い出す。
安来地方には天井川といって、田んぼや畑より高い位置を川が流れている。その川には砂鉄や砂金が含まれており、砂鉄や砂金をすくって生業を立てる人もいたらしい。土壌をすくうことで、土の中から出てくるどぜうをすくって食べる。
つまり、土壌をすくうとどぜうをすくうがごっちゃになって、後世に伝わったというまことしやかなバスガイドさんの説明であった。
ちょっとマユツバながら、興味あるおもろい話ではある。

そんなことは置いといて、足立美術館の庭園美のすばらしさ。「歓迎の庭」「苔庭」「枯山水」「亀鶴の滝」など、四季折々の優美を誇る日本庭園に圧倒される。掛け値なしの美しさの前で、中国語・ハングル語が、無遠慮に響き渡る。これほどの違和感も珍しい。
庭を堪能したら、本館で横山大観や川合玉堂、上村松園など大家の名画を愉しむ。新館には現代日本画の粋を集めた作品が並ぶ。

兎に角素晴らしい世界に迷い込んで、その数の多さに、結局どれが一番印象に残ったのか、訳わからなくなるほどであった。
これもひとえに、普段、あまりいい世界を味わっていない、知識貧乏の哀れさかも。それにしてもいいひと時を味わせてもらった。

というような初日を無事終え、ゆったりの温泉に。今日はこれにて読み切り。明日は本命の武田城址・姫路城の感想を。乞うご期待。

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「お礼参り」

2017年09月06日 | 旅行・レジャー

                        
         広島県廿日市市が運営する「魅惑の里」 その名も「西の軽井沢」     

『昨夜来の粉雪が積み上げた、見渡す限りの銀世界。40cmを超える真っ白いバージンロードにタイヤを軋ませて駐車場へ着いた。』
こんな書き出しで認めた、今年1月24日の拙ブログ。
親しくお付き合い頂いている友からの、思いがけない雪見温泉へのお誘いを受けて、片道60数㎞の山奥の温泉に行った時の話である。

まさに銀世界に囲まれた露天風呂。温かいお湯と、肌を刺す冷たい風に雪見温泉の醍醐味を味わった。のぼせ上がるような心地よさに酔ったせいか、迂闊にもロッカーに腕時計を忘れて帰った。それが広島県廿日市市にある、通称西の軽井沢「魅惑の里」である。
施設の担当者の心遣いによって腕時計は丁重に梱包され、送り返してもらった。添えられた手紙に「冬景色もいいですが、夏は避暑地としても素晴らしいところです」と書かれていた。

これは是非とも夏場の魅惑の里を尋ねてみたいと思っていた。ようやく今日、そのチャンスに恵まれ、クルマを走らせた。
あの時は、雪深い山奥に出かけるのに、途中でクルマのタイヤにチェーンを巻いて、スリップを注意しながら難儀のドライブであった。
それに比べると今日は雪もなく、エアコンも必要ないほどの涼しい快適ドライブとなった。あの寒い中お世話になったOさんに改めて感謝の念が胸を打つ。

施設の担当者に直接お礼を言いたくて、手土産提げて行ったのだが、肝心な手紙の主は「昨夜の夜勤上げで今日はお休みしています」とのことで会えなかった。が、応対してくれた彼女が1月の出来事を覚えてくれていて、笑顔の再開を果たし、感謝の気持ちを伝えることは出来た。
雪景色はないが、涼やかに吹く風に青い葉っぱが揺れる露天風呂の味も案外いいものであった。

こういった行為をお礼参りというのだろう。そこで、話のついでに「お礼参り」をチラッとひもといてみた。
「お礼参り」とは、神社仏閣に願を掛け、その願いが成就した時に、お礼として礼拝や布施を行なうこと。これが本来の語源である。
今ひとつのお礼参りとは、日本語俗語辞書によると、ヤクザや不良が拘束を解かれてからする仕返しの こと。という裏返しの意味も持っているようで、使い方によっては、なんやら不気味なニュアンスをも含むようである。

飽くまでも今日のお礼参りは、飽くまでも「過去に受けた恩へのお返し、御礼」の意味合いである。気分爽やかな130キロのドライブであった。

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「バラと鯛網」

2017年05月12日 | 旅行・レジャー

         
                                 福山、鞆の浦の刊行鯛網漁

古希を迎えたカミさんが、その記念と言うわけでもないのだろうが、福山のバラ公園を巡るバスツアーに申し込んでいた。
話には何度も聞いていたがまだ行ったことがない福山の「ばら公園」。
GWは自分ちの接待があったり、人混みを避けたい気持ちも働いたりで家に籠っていた。

久しぶりのバスツアー。しまなみ海道の生口島で昼食を。それから福山に渡り、鞆の浦でゆったり観光を、と言うコース。
あの有名な常夜灯や、坂本龍馬の「いろは丸事件」の舞台となる歴史豊かな鞆の浦。
当然ながら「いろは丸記念館」をゆっくり見学。

今ひとつのお目当て、数年ぶりに訪れる「対潮楼」。眼下を「いろは丸」の現代版が連絡船として忙しく行き交う。
ちょうどその時、鞆の瀬戸からけたたましいスピーカー音が海上を駆け抜ける。
何事やと見ていると、なんと「鞆の浦観光体網漁」の船団や観光客船が、目の前をぐるぐる回り始めた。
思いがけないところで、鯛網漁まで堪能させてもらった。これは大儲けした思い。
もちろん我々のコースには鯛網漁は入っていないし、時間もなかった。それが、運よく対潮楼に上がったタイミングがよかった。

そうしていよいよ本命の「福山市ばら公園」へ。
色とりどり。♪ 100万本のバラの花を あなたにあなたにあなたに上げる~~ ♪ なんて誰も言ってはくれないが、見事な花を見せられると、やはり季節に見合った花を愛でる心地よさが余韻として残る。 

      

公園担当者と少し話すチャンスを得た。「20日からのバラ祭りには23万人が訪れますよ」ということだった。
福山市の人口は47万人と言うことだが、すぐ近くに100万都市広島があるのだから、バラ園そのもののスケールはさほど驚くほどではないが、バラに集まる人は多いようである。

バラの観賞が本命なのに、思わぬ鯛網漁も間近に見られて、ちょっと得した気分のバスツアーであった。
これも日ごろの行いの良さが……などとは言わないでおこう。

コメント (2)
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