「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「ゆく年くる年」

2017年12月31日 | 季節の移ろい・出来事

      
           知恩院の鐘楼          除夜の鐘、本番1日前の試し衝き

ゆく年くる年。今年を静かに振り返ろうとするとき、あれこれ考える前に、先ず目に浮かぶ光景がある。
京都知恩院の除夜の鐘である。高さ約3.3m、直径約2.8m、重さ約70㌧と言われる、国内最大級の大梵鐘。
親綱、子綱を17人の僧侶が最大限の力を振り絞って打ち鳴らす。あの重低音と、僧侶の姿は、目に耳に残っている。
撞く数は言わずと知れた108つ。我々が持つ、この1年間の煩悩108つを払いのけ、清らかな心で新しい年を迎える伝統的な儀式の一つである。知恩院には試し衝きという慣習もあって、昨日晦日に行われたという。

あれこれ振り返るのは、昨日の過ぎにし足跡に任せるとして、色んなことがあった1年ではあるが、今こうして自分でも驚くほど、心静かに、冷静に思い出していられることに、一つの幸せを見出している感じがする。

新聞に目をやると、この1年を、いろはカルタで振り返っていた。いくつかのお気に入りを拝借させてもらおう。
【い】一党両断 【ろ】論よりツイート 【り】リモコンで綱飛ばし 【た】談合4兄弟 【れ】連勝は一二三(ひふみ)から 【そ】損得もそんたく次第 【う】上野でシャンシャンショー 【け】下駄をならして奴が逝く 【さ】サブちゃん馬でも大トリ 【め】メジャー切り込む二刀流 などと続き【す】素手でVX?。世相を反映した物騒なカルタで終わっている。

なるほど、うまいこと「いろはカルタ」作ったもんだと感心する。
ごく普通の、穏やかで幸せな1年だったとは言い難い切り口もたくさんあった。さて皆さんにとって、お心当たりがあるとすれば、さてどれでしょう。

小柄だがやたら吠え付く声がでかく、小さなキバを剥いてあたりかまわず威嚇するチワワのような国が、年明け早々干支の戌年にちなんで、はしゃぎまわるような危険な火遊びをしなけりゃいいがと願っている。

この1年、拙ブログに、ご訪問ご愛読、ご判読頂きまして感謝申し上げます。
皆様にとりまして、素敵な1年となりますようお祈り申し上げます。どうぞ佳い年をお迎えください。

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「過ぎにし足跡」

2017年12月30日 | つれづれ噺

     

今年もいよいよ晦日を迎えた。泣いても笑っても残すところ1日である。
朝一番に神棚を、次いで仏壇のホコリ払い、お供えと飾りつけ。玄関の掃除やしめ飾り取り付けなどで、迎春準備完了。  
今年は控えるべきかな、という迷いもあったが、新たに来年の年神様をお迎えする準備なのだ、と割り切って、一通りの迎春グッズを整えた。

ここまでやると、やはり過ぎにしこの1年の足跡が気になる。
どこにどんな足跡を残してきたのか。その足跡の重さ、形、長さ、数量、など少し振り返ってみたくなる。

三月初めに飛び込んで来た、実の姉の交通事故による突然の逝去。
横断歩道を渡っているときに、76歳の高齢運転者の乗用車にはねられた事故。
近くに住んでいて、日常を知っているだけに、精神的ダメージが大きかった。未だになんかしら尾を引いている。
自分自身高齢運転者であり、高齢歩行者である。この事実をちゃんと認識していると、ハンドルを握る腕が心なしか縮む思いがする。

5月には、それまで開業医で治療を続けてきた蓄膿症の手術を受けることになった。
話が決まるまでは、ああかこうか悩みもあったが、いざ決定して入院する段階では、完治する状態を頭に描いて、冷静そのもの。術後は、自分の命はどれだけ多くの人によって生かされているのか、という感謝に芽生えた。
もちろん、会社生活と言う来し方にも思いが行き、思い出と感謝の充実した入院体験をした。

身辺あれこれを思う時、「どうしても完全ではないな」、「もう一歩突っ込んでおけば…」という悔いは残る。
地域活動も、自分の立場を考えると、もう一歩前進ではないか。その一方で、「出すぎないように」という遠慮や少しの消極性が、結果に表れてまたそこで反省する部分もある。結果論から言うと「中途半端」っだたかな~と。

読書も執筆もこれまた中途半端。ただ、何もしないわけではなく、読書にも幅広く目を向けた。執筆も下手な鉄砲ではなく、これだけは是非というテーマには果敢に挑戦した、と自分では思う。結局は自分で自分を許容できる線をどこに引くか、と言うことにかかっているのかも。

功罪相半ばして静かに暮れようとする2017年。もうちょっと人助けが足りなかった点は認めよう。
そのような点を踏まえて、ホンの少しでも顔を上げて前に進めるような、2018年を迎えたいものだ。 

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「ちょっと手作り」

2017年12月27日 | 季節の移ろい・出来事

                                   

いよいよ気忙しさのピークを迎えた感のある年の瀬。
「何が何でもこれだけは」というほどの、来る年に向かってしなければならない準備はもっていない。
但しそれは、物質的な面に限られるのかもしれない。

新しい年の訪れという節目であり、また一つ年齢を重ねるという人生の節目に当たって、気持ちの中で何か期するものがあるのは当然であり、ごく自然の流れである。早い話が、物欲はなくても意欲はあるということになろうか。
あんなことが出来るか、これはどうだろう、と自分自身の可能性を試してみたい、という意欲は熱く持っていたい。
それは何?と訊かれたら、これから追々考える。という答えになる。

そのような秘めた意欲を、秘めたまま押しつぶすように、来年も又いろんな雑用に追われるのも間違いなさそう。
既に1・2月の予定は数件メモされている。
そんな行動予定を確実に実行するよう監視したり、忠実な秘書のように「今日の行動予定」を目の前にぶら下げる役目をするのが、カレンダーであり本日購入した手帳である。

向こう1年の大切な助っ人として、ともに行動する相棒として、手放せない相手なのだから、丁寧に付き合いたい。
そんな思いから、手帳の表紙を手作りしてみた。これがまた、自分で言うのも憚られるが、お気に入りが出来上がった。積極的に人前に出すほどの代物ではないが、アイデアとしてはお勧めである。

監視役としての手帳の手作り表紙に、お好みの写真など添えれば愛着はひとしお。
段々激しくなってくる物忘れを撃退し、約束反故や無断欠席などの不義理を働かないよう、勧告してくれるに違いない。

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「ボーナス」

2017年12月25日 | 季節の移ろい・出来事

     

      贈り物の 数を尽くして クリスマス        子規

      子供がちに クリスマスの人 集ひけり       子規

孫たちにとって楽しみな楽しみなクリスマス。
本来なら、昨夕24日が前夜祭、すなわち「クリスマス イヴ」。そして今日25日が、本チャンの「イエス・キリストが約2000年前にこの世に生まれたことをお祝いする日」である。

でも、我が家の場合、娘が買ってくれたクリスマスケーキを突っつく以外は、もうとっくにクリスマスは終わっている。早くから頼まれていたプレゼント予約の品は、もう孫たちの手に渡って、今夜はもう彼や彼女らの姿はない。
ちょっと侘しい気もするが、元々クリスマスとは、「プレゼントをもらう日」「贈る日」の他に大した意味はないというのが、我が家の通り相場である。だって代々浄土真宗だもの。ただ、まだ4歳の姫孫は、ひょっとしたらまだサンタさんがいることを信じているのかも。

6月と暮れには、ちょっとした現ナマが手に入ってニコリとしたいた。それは大昔の話。
時を経て、現ナマではなく紙切れ1枚を渡され、肝心なモノは銀行振り込みになった。それは数10年。
6月も暮れも、ボーナスという喜びを全く失ってから15年。入って来なくなった割りには、出ていくプレゼント予算は年々増えるばかり。クリスマスのない、正月だけの国に行きたい。でも、彼や彼女の歓ぶ笑顔がね~。

ボーナスと言えば昨日のJRA、G-1レース「有馬記念」のキタサンブラック。優勝賞金だけでなんと3億円。
その他の功労金や賞金など合わせると「いったいなんぼになるんじゃろう」。大きなお世話。人のふところ計算してみたところでなんになる。
いくらボーナスが欲しいとは言っても、ここまでの大金もらっちゃ、人生が狂っちゃいけんのでそこまでの欲は言わない。「じゃあどれだけよ」と言われれば「そりゃまあ、あれもしたいし、これも買いたいし・・・多い方がいい」というところか。それにしても、この世の中、お金を持っている人のところへお金は群れたがるものだ。不公平だよね~。

キタサンブラックのオーナーとして、ここまで育て上げるにはどれほどの投資が必要だったのだろう。北島三郎だから出来たのだと思っている。
そんな投資資金を持たない我々庶民は、なけなしの投資で一攫千金の夢を買う、宝くじに夢を託そう。
その日まであと6日。2017年の残りも今夜を入れて1週間。果報は寝て待つとしようか。

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「年の瀬風景」

2017年12月23日 | 季節の移ろい・出来事

       
            手作り「ミニ門松」  

門松は、正月前に家の門の前などに立てられる松や竹を用いた正月飾りである。別名松飾り、飾り松などと呼ぶところもあるようだ。
古来から、木のこずえに神が宿ると信じられてきたことから、お正月に迎える年神様が、我が家の前までやって来て、松飾りがあれば一旦その松の木などに留まって、ゆっくり我が家にお入りになる。その留まり代が門松ということ。

そういった話になると、松の木は「祀る」につながるとして縁起のいい木となる。竹は言わずもがな、ひと節ごとに真っすぐ天に向かって伸びる。竹を割ったようないい男、そんな気概が愛されている。他にも南天、葉ボタン、稲穂など何かと縁起のいいものが用いられる。

我が家などにやって来られる年神様に、留まり代の門松など必要なさそうだ。だからこれまでも、しめ飾りは必ず飾ったが、門松とはあまり縁がなかった。
それが今年は折よく、ミニ門松づくりにじっくりお付き合いすることになった。シメシメ。仲間に入れてもらって、世界に一つ、オリジナルミニ門松をこしらえたという次第。

台に用いる孟宗竹は、なんと直径15~20cm、厚さ2cmもある超大物竹である。高さ20cmに切ってもらった。
中に立てる3本の笑い竹は、直径5~7cmの破竹を、35・30・25cmの高さの切って、オアシスという水を含んだスポンジで固定する。ここからがセンスの見せどころ。

一人用に振り分けられた、松、南天、梅、葉ぼたん、稲穂などをうまく使って、隙間を開けたり詰めたりしながら、生け花の如く立体感を出して仕上げていく。講師の女性から「オーいいですねー」などと言われるのを、聞くともなしに聞いているふりをして気持ちは有頂天に。うやうやしく車に積んで帰り、早速玄関に鎮座。

名前はミニ門松であるが、台の孟宗竹といい、破竹の太さ長さといい、出来上がりは50cmの高さになった。
見栄えも出来栄えも、初めての挑戦にしては上出来上出来。ということにしておこう。
この松を留まり代にして、より良い年神様の御座を待ちたい。いいことがあるかもしれない来年を期待して。

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「心温めて・・・」

2017年12月22日 | 地域活動

          

今日は二十四節気の一つ、冬至。
春分、夏至、秋分とともに四季の中央におかれた、いわゆる四季を象徴する日でもある。
お湯にユズを浮かべ、その香りを味わいながらゆっくりのんびりお風呂を楽しむ。それが寒い冬の健康増進に効果的であったことから、冬至にユズ湯は欠かせない一つの風物詩なったのだそうな。

今日は地元の小学校から、午前8時30分の集合が掛かっていた。
「2学期の終業式に合わせ、日ごろお世話になっているボランティアの皆さんに感謝をしたい」というお誘いであった。感謝されるほどのことをしているかな~、などと話しながら20人近くが学校に集まった。

講堂に案内されると、まさに今2学期の終業式が始まろうとするところ。
校長先生の訓示、校歌の斉唱など、一連の式次第が順調に進行。さーいよいよ我々の出番である。
ボランティア一人すつに、3年生の児童が一人ずつ付き、手をつないでステージに上がる。

一連の感謝行事のプログラムも子どもたちの手製なら、司会進行から担当するそれぞれの役目まで、全て児童がてきぱきと動く。「いつもお世話になっています……」丁重な感謝の言葉を述べられて、手をつないで誘導してくれた児童が今一度前に立って、手製の「感謝の首飾り」を掛けてくれる。
続いて背後の立って、「ありがとう」の歌に合わせてトントントン、肩を叩いてくれる。

通学路の安全見守り、宿題の見守り、花壇の水やり、樹木剪定などなど、色んな活動をしては来たが、こうして全児童の集まる公式行事の中で、改めて感謝をされると、もう一つ力を入れて頑張ってみるか、という気持ちにさせられる。
校長・教頭・生徒指導・担任という先生方の指導によるイベントではあろうが、子どもたちの心に「感謝す気持ちを表す」ことの大切さを植え付け、我々地元の大人の力をさらに活用するという心意気が見えた、いい一日となった。

ユズ湯に入るのも心地いい季節の味であるが、それ以上に心温めてもらうことになった冬至の一日である。やり方によっては、小学校教育っていろんなバリエーションがある、ということか。

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「カローリング」

2017年12月17日 | スポーツ・観戦

    
ジェットローラー(直径25.8cm、厚さ4.6cm、重さ3.7kg)   ポイントゾーン(赤:3 黄色2 青1点)

          
            13mのフロアーにローラーを滑らせる。 

またまたここに、高齢者向けというか、老若男女が一緒になってプレーできる室内競技が出現した。
既にご承知のお方もおられようが、その名を「カローリング」という。3世代こぞって楽しめそうなゲームを、知ったかぶりに紹介しておこう。

ゴルフの仲間に、グラウンドゴルフ、パットパットゴルフなど、本チャンをアレンジして、年齢層を超えて幅広く楽しめるゲームがある。それと似たようなもので、こちらは、氷上で行うカーリングを、フロアーで楽しめるよう開発された、言うなればニュースポーツというところである。

基本的には、カーリングと同様に、チームとチームの対決で、ストーンの代わりに、新たに開発されたプラスティック円盤にコロのついた、「ジェットローラー」を滑らせる。13m先の得点ゾーンに載せ、カーリングと同じ、中心点に近い順に得点を数えるゲーム。カーリングは1チーム5人、1ゲーム10イニング。こちらは、1チーム3人、6イニングを戦う。

実際に手に取って滑らせてはみたが、なかなか思い通りには行かない。
ちょっと力を入れればエンドラインを割る。少し手加減すればポイントゾーン手前で失速。
相手のポイントローラーを弾き飛ばそうと思うと、横っちょに曲がって失敗。意外に難敵ではある。

楽しさも多いが難点もいくつか感じた。
用具は当面、市の総合運動公園で貸与されるが、先ずはこれほどのフロアーが必要なこと。
自分勝手に練習が出来ないこと。3人1チームのチームプレーになるので、腕前が同じようなメンバーでなければ、上手下手で少しのトラブルは覚悟が要るようだ。

かつて、ゲートボールという団体戦ゲームが盛んであったが、こちらもチーム内でのいさかいが絶えず、徐々に下火になった例がある。その点、グラウンドゴルフは、何人集まろうと、何人参加しようと、飽くまでも個人プレーであり成績結果も個人の責任、という気楽さもあって、今ではグラウンドゴルフに人気が集中しているようだ。

このカローリングなるニュースポーツ。どこまで浸透するか、どこまで広がるか、ちょっと注目?

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「今年のひともじ」

2017年12月13日 | ニュース・世相

例によって、今年1年の世相を反映させる「一文字」が発表された。
京都清水寺管主さんの手で、墨筆鮮やかに書き出される文字に注目した。
特に今年は、自分の中でも1年を振り返って「一文字で表すとすれば……」と、あれこれ考えた来ただけに、世相を映し出す公式の一字に大いなる関心を持っていた。それが、この『北』という文字に要約された。           
             

今さら説明を待たない。1日とて新聞テレビの報道に載らない日はないほどの一字「北」である。
世界の関心を集め、世界が振り回されたと言っても過言ではない、封建社会の将軍様が君臨するかの国を指している。
一つ間違えば、太平洋を挟んで、核戦争に発展しかねない、あまり賢者とは言い難い二人の国家リーダーを指しているようでもある。

狭い道でクルマ同士が出会ったとする。どちらかが運転が上手であれば、バックするなり相手をうまく指導して、大事に至らないうちに何事もなかったように離合してことは終わる。ところが、下手と下手の出会いや、意地っ張りと鼻っ柱の強いもの同士が出くわすと、どっちも譲らず、いつまでたっても離合することも出来ず動けないまま。終いには喧嘩になったりし兼ねない。なんかしらそんな下らない、アホな結末を自ら招くのを非としないのが、この一字である。

さて小生自身の頭に残る「今年のひともじ」は、残念ながら後ろ向きの否定形になってしまう『不』である。
思い出したくもない、3月に突然の訃報に晒された実の姉の不慮の事故。理不尽な最期。不本意な別れ。その後の事故責任の行方さえ不明瞭で、未だに決着を見ない不透明さと不安。

仏の一番近くにいる肉親の弟として、何事にも経験不足な子ども二人に適切なアドバイスが出来たのかという不安。
その一方で、あまり出しゃばるのもよくない、と控えめになり過ぎた指導力不足など。
今年が終わろうとする今に至っても、何か釈然としない消化不良を抱えている気がしてならない。

世間一般を不安に陥れた一字「北」。そして個人的に悩まされ続けてきた一字「不」。
どちらも、なんとかいい方向で決着して、元気のある南向きで陽の当たる安穏な新年に期待したいものだ。

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「夢を与える・夢を掴む」

2017年12月10日 | ニュース・世相

    

若干23歳の若者が。岩手県奥州市という、野球のメッカでもない地方出身の若者が。
今、世界のスポーツ界の話題を独占しようとしている。それが『大谷翔平』という元日本ハムのプロ野球選手である。

オリンピックに出場させるさせないで、世界を股に大きな問題となっている「ロシアの国家的ドーピング問題」や、相変わらずくすぶり続ける大相撲界の、日本とモンゴル間の問題など、世界を揺るがすスポーツ問題もあるにはあるが、こちらは「暴力行為」とか「不正」や「ルール違反」と言う完全なマイナスイメージの話題である。

そこへ行くと、日本の若いプロ野球の選手が、今までに誰も大成を果たせなかった「投手」と「打者」の文字通り二刀流を引っ提げて、アメリカメジャーリーグに挑戦するという、世界のスポーツ界の話題の中心という胸のすくような話である。世界中の野球選手を志す少年たちに、大きな大きな夢と勇気を与える、近来まれにみる快挙でもある。

社会人野球の父と、バドミントン選手の母と言う、スポーツ一家に生まれたとはいうものの、血統証付きのサラブレッドとまでは言えないようだ。とすれば、この体力気力、郡を抜く身体能力はどこから来たのか。要するに本人の努力と、それらにマッチした環境があったのだろうか。いずれにしても大した男が現れたものである。

昨年のプロ野球日本シリーズでは、この大谷選手に痛い目にあわされた広島カープである。なのに、ファンとしては何故か憎らしさよりも「アイツにやられたのなら仕方がない」と、素直に受け入れさせる魔力みたいなものを秘めている。そんな男も珍しい。

野球の本場メジャーリーグで、「二刀流成功」という自分の夢を掴みとってほしい。これまで多くの人に大きな夢を与え続けてきたのだから。

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「季節のいろどり」

2017年12月09日 | 季節の移ろい・出来事

          
         左側:我が家で1年を過ごした。 右側:今年頂いたもの。

昨年のこの頃、色鮮やかな紅に染まったポインセチアを戴いた。従姉の旦那様から。
日当たりのいい窓辺に置いて、朝に夕に、花でもないのに真っ赤に染まった見事な様子を眺めて来た。
そのまま春を迎え、一旦は摘み取って新しい芽を出させた。日当たりもいいし、このままおいて秋を迎えれば葉っぱが赤く染まってくるだろう・・・。などと高をくくって、そのほかは何もせず秋を迎えた。

一向に赤く染まる気配がない。「おかしいね~」などと言いながら、手をこまねいていた。
そしたらまた今年も、「小さめですがよかったら窓辺に置いて…」と、見事に真っ赤に染まった一鉢を戴いた。
毎年見事に育て上げて、一室がポインセチアで赤く映える部屋を持つほどの丹精である。

「昨年いただいた葉っぱが青々しげったままなんですよ」とも言わず「それは有りがたいことで」と厚かましく戴いてきて、並べたらこんな具合である。
そこで、今さら手遅れながら「ポインセチアの育て方」なるものをひもといた。次のようにちゃんと書かれている。

『ポインセチアは短日植物のため、日の当たる時間が12時間以下にならないと花が咲かない性質を持っています。そこで、9月以降は光の当たる時間を調節してやることが重要な作業になります。夜の人工照明は禁物です。9月下旬から40日間は、毎日欠かさず17時~朝8時まで、段ボールなどをかぶせていっさいの光を遮るようにします。(この作業を「短日処理」といいます)。そのかわり、日中は良く日に当てること。ここでは目安として40日間と書きましたが、面倒でなければ葉の色が完全に色づくまでやった方が確実です。』

『この作業をしなくても、葉は色づきますが、売られているように立派なものは期待できません。短日処理は根気のいる作業ですが葉がきれいに色づいて成功したときは非常にうれしいです。逆に言うと根気があれば失敗は少ない作業ですので、余力があれば挑戦してみましょう。』 いずれもネット拝借。

ということで、分からなきゃ早くに調べてみりゃいいものを。但し、調べたとしても根気に入る作業なので、この手にかかったポインセチアは、真っ赤な葉っぱを見ることなく終わっていたかもしれない。
ぐうたら小生の場合、こうしたことが往々にしてある。だからいつも反省する。「他人任せやほったらかしておいてはきれいな花を見ることは出来ないよ・・・」と。

これは、人との付き合いにも似ている、というか全く同じであるように思う。
時々は油を差したり、思いを聴いてあげたり、口先だけでない寄り添いを見せたり・・・。
たまにはそんなこともしなければ、期待に沿う働きも援助も期待できなくなるということかな。

ポインセチアの教訓ということにしておこう。

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