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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「閑話休題」

2025年06月06日 | 風物詩

  
      

少し早いかなと思いつつ、あまりにもいいお天気に誘われて、錦帯橋そばの吉香公園の菖蒲を見に行った。
水田のような泥田を掘り起こしたり、小さな苗を植え付けたり、早くから多くの作業する姿を見て来ただけに、季節が来たらいち早く菖蒲花見に行くつもりでいた。

思った通り、菖蒲の見ごろには少し早かった。それでも種類によっては咲き乱れて、我が世の春を謳う花もある。金曜日とあって訪れる人もまばら。そんな中でもすれ違う観光客の言葉は明らかに日本語ではない人が多い。有難いことだ。観光地は賑わってこそ値打ちである。

今は大半がつぼみであるが、1週間、10日するうちには満開となる。改めてもう一度覗いてみよう。

 

 

 

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「今年の青梅情報」

2025年05月25日 | 風物詩

                                               

昨年のことを言っても仕方がないが、たとえばタケノコを例にとると、昨年は壊滅に近いほどの不作だった。仲良し同級生からもたった一度のタケノコ便りだった。梅の実も同じように、昨年は数えるしか木に生らなかった。それも2・3日取り入れが遅れたら、その間にどなたかにもぎ取られてしまって、一粒たりとも口に入らなかった。そんなハズレの昨年に比べて今年はどうだ。格別というほどに、タケノコは大豊作。何度もあちらこちらから食べさせてもらった。梅の実生りも例年並みであり、不作ではない。

カミさんの里にある梅林も、たわわに実っているに違いないが、今年はそこまで手を伸ばさないことにした。里の主であったカミさんの兄が昨年暮れに亡くなって以来、里に帰っても実家に入ることもシャワーもトイレも使うことはなくなった。そうなると高齢者夫婦が遠くまで出かけて、流れ落ちる汗を我慢して草刈りをして、それから梅を捥ぎ取る作業は、いささかきつくなった。

そんな状況を察してか、我が家の隣の広大な荒れ地に、毎年毎年ばらまいてきた青梅が根付いて、今や小学生から社会人に至るほどの年齢差で、大小合わせて15本ばかりの木が枝葉を広げ、少しずつ実を付けている。
風に落とされる前に今日は、ちっちゃな木から脚立を使う背高のっぽから梅もぎをした。10㎏近い青梅の収穫があった。

里の梅林から取れていた50~60㎏に比べると随分差がある。しかし、労力や往復の時間、萌えあがる深い草刈りの手間など、比較にならないほど楽である。高齢者にとって、危険を排除し労力を削減できるのは魅力である。梅の保存食はホンの少ししかできないが、今年はこれで我慢ガマン。来年からは隣の梅の木も成長して、実もたわわに生るだろう。そのうち、梅のもぎ手もやがて衰えていく。これも順送りという摂理なのよ。
今年はラッキーを喜ぶとしよう。             

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「風物詩」

2025年05月14日 | 風物詩

                
                 買って来たばかりのサツマイモの苗

ご近所さんから頂いたメダカが、暖かい日差しを浴びて元気に泳いでいる。一つは昨年生まれた2年生の容器。今一つは3年生とそれ以前に生まれたものと混ぜこぜ容器。
1日1回餌をやると、我先に食べにくる。この元気さだとそろそろ産卵が始まるかな、ということで昨日のこと、産卵用の布束を容器に垂らしておいた。

今日午後、試しに布束を揚げてみたら、早くも数個の卵がくっついていた。オーオー、可愛いもんだね~今年も時節を違えず、子孫を残す産卵に余念がない。しかも2年生も、3年生以上も、ちゃんと同じように卵を付けている。今年は、卵を大事にして、数を数倍に増やしてみようか。
こんなメダカという小さなさかなちゃんからも季節の便りをもらう。これも一つの風物詩と言えるのかな。

そしてメダカが産卵するのと時を同じくするのが、サツマイモの植え付けである。
ちょっと出遅れた感はあるが、やっとこさ今日畑をこしらえたので、先ず苗を買いにホームセンターへ。買ってきた苗は取り敢えず水に漬けて、植える少し前に水切りをする。水切りとは、華道の常識で花材を水に漬けた状態で鋏をいれる。そうすると、花が水を吸い上げる力によって、花の美しさを長く保てる、と何かの拍子に教わった。

ならば、サツマイモもこの水切りをすれば、土の中で水を吸い上げる力が強くなるんじゃなかろうか、という素人園芸の知恵なのである。だがこれはここ数年実証済みである。もし、これからサツマイモを植えようという方がおられたらぜひお試しを。こうして水切りしたものを、次の雨が降るまで大事に保存しておいて、雨の中で植えるのが、収量アップの秘訣とか。家庭菜園もなかなか奥が深いね~。だからなかなか止められない。

ついでに言うなら、この水切りという言葉は、本来は船に積まれた荷物を丘に上げることを言う。混同されないご注意を。 別に何がどうということもない雑感にお付き合いさせて申し訳ない。     

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「留守番 GW」

2025年05月04日 | 風物詩

 

GWも後半の4連休に入って2日目の今日、基地の町岩国の風物詩ともいうべき「フレンドシップデ―」が、岩国市の中心部に位置する米軍岩国基地で開かれた。普段はガチの入門許可を得たもの以外は一切入門不可。しかし、今日に限っては一般開放され、広大な米軍基地の内部を自由に散策できるし、普段は近寄れない最新鋭の戦闘機やオスプレイなどを間近に見学できる。マニアだけでなく、旅行会社のバスツアーも組み込まれるようになった。そんなわけで人口13万人の岩国市へ、同数の13万人が訪れたという。

我が家にとっても今年のフレンドシップデ―は特別仕様になった。会場入り口付近の混雑を避けるために出来るだけ朝の早い時間に入場門に着きたいということで、息子夫婦の共通のお友達一家4人が我が家にお泊りすることになった。息子一家4人と合わせて計8人のお宿になった。両家とも男は一人、女が三人という家族構成。男二人は二階の一室に。女6人は8畳の和室に雑魚寝で我慢してもらった。子供たちにとっては、基地見学も楽しみだが、雑魚寝の楽しみが増えて大満足の様子。お客さんは気軽でええよね~。

お泊りの準備や後始末は全てババ様の手にかかる。普段は二階にしまってある布団を持って降りたり上がったり。ただ、少しの苦労はあっても、子供たちのお友達は大事に扱うのが私たち世代の常識である。腰が痛くなるねとか言いながら小接待の5月4日は暮れた。

そして今一人というか、息子家族は4人と1匹、大切な家族のチワワを餌と一緒に預けられた。時間を気にしながらチワワちゃんがお腹を空かし過ぎないように、ちゃんと食べさせた。時々触ったり撫で撫でしてやらないとストレス貯めちゃいけんというので、こちらの接待も大変。大所帯のお泊りもワンちゃんとの生活も非日常。これもまたGWの試練の一つというものか。

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「痛快丸かじり」

2025年02月02日 | 風物詩

     

2月の別称数ある中で、最もわかりやすかったのが「梅見月」であったような。
文字通り2月はウメがほころび芳香を放つ季節である。我が家の玄関先にある八重の白梅も今や遅しと、ほころぶ時季を待つように、つぼみを膨らませている。

例年より1日早い節分。冬から春への季節を分かつ日と言われるが、今年の場合は季節の分かれ目が近いとは思えないほどの大雪に見舞われている。同じ岩国市内でも、海岸線に沿う我が家周辺は雪ではなく雨であったが、少し山間部に入ると重い雪が降り続き、電線切断などで停電となったりしている。娘の嫁ぎ先など雪に閉ざされているという。昨日里帰りしたまではよかったが、帰りはひどい渋滞となったため、周南市方面まで遠回りしてやっと帰り着いたと話していた。

相変わらず食い意地の張っている食欲旺盛爺にとって、節分の楽しみといえば、大きな巻きずしを両手に持って、今年の恵方の西南西に向かって痛快丸かじり。お行儀とか年甲斐などを度外視して頬張る巻き寿司、それも我が家の味のお手製が腹を満たす。ついつい増え気味の体重を「今日ばかりは忘れよう」などと勝手を言っている。

数少ないというか、広くて浅い趣味の一つとして、只々続けて来たともいえる書くことが、ここにきて新たな友の輪を広げてくれる節分となっている。いずれも自筆のエッセイや自伝を送って頂いた。読み進むうちに刺激を受けたり勝手な自己評価をしたり、一人悦に入ったりしている。
そして、そっか~自分もまだまだ駆け出しらしく、これからもいい味が出せる努力はしていかないとね~。

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「天皇杯、男子駅伝」

2025年01月19日 | 風物詩

              
              天皇杯、広島男子駅伝。平和大通りを一斉にスタート

今やこの季節の風物詩ともいる、都道府県対抗男子駅伝.、こちらは天皇杯である。先ごろ京都を舞台に行われた同じく都道府県対抗女子駅伝は皇后杯となっている。
ほとんど知らない選手が走る駅伝競走ではあるが、日本全国都市対抗となれば、我が山口県は。お隣広島県は、東北勢のあの県は、九州勢は・・・など色んな興味が湧いてくる。

そして高校駅伝、ニューイヤー社会人駅伝、箱根大学駅伝それぞれに魅力満載だが、この全国駅伝は、中学生も走る、もちろん高校生から大学一般までという幅広い年齢層が7人1チームとなり、タスキをつなぐところに、面白さと残酷さと大きな試練が横たわっているのが魅力である。全学年揃って最高に力を発揮しなければ優勝はない。今大会は、長野県の史上初大会4連覇というすこぶるつきの優勝であった。

メンバーは年々入れ替わるのに、何で長野県は連続して強いのか。どうして他の府県が優勝戦線に名乗り出て来ないのか。これが不思議であり問題である。特に中学生区間などは入れ替わりが激しく、伝統を築くという思いがなかなか思い通りにいかないと、素人は思うのだが、やはり伝統的に強いチームは強い。指導者の長期展望に立った、長い目での選手指導・深い眼力による育成など、技量の多寡が影響するのだろうか。
そうしてみるとやはり、いい指導者との巡り合いという運命も大切な要素なのかもねー。

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「今年の年賀状事情」

2025年01月12日 | 風物詩

                  

年の初めの試しとて、元旦に寄せられる年賀状を楽しみに待つ。
はがきの大幅な値上げ、儀礼賀状の廃止、年賀状そのものの見直し、など色んな理由から年賀状が年々減ってきているのはよく承知している。単なる高齢のため賀状を辞めたいといった、分かったような分かりにくい理由でお断りをされる人もある。

私個人の今年の年賀状事情は、これこそ年々減る一方で、100枚ちょっとを出したに過ぎない。もちろんその中には返信を期待しない一方通行発信も数枚はある。予想通り80枚はそれなりの返信が寄せられた。ただ、こちらは同じ出すのなら元旦に届くように準備をした。が、6日以降に届いたものが10数枚もある。今年の賀状の特筆すべきことは「今年をもって年賀状を終いとさせて頂きたい」といった内容が多いことである。それも遥か年の若い後輩から三行半を突き付けられてりゃ世話はない。またその逆に賀状復活という同級生もいる。

中には一切の連絡がないまま正月が過ぎ、オレの出した年賀状が届いていないんじゃないか、郵便局に掛け合ってみようかと思わせる相手もいる。
おもろいというか嗤ってしまうといったものから、心から嬉しかったり「な~んだ生きていたのか」と喜んだり、また今年もお互い元気で頑張ってみようや、といったものまでそれぞれの事情が反映されていて、結局はやはり年に一度のお互いの消息確認、決して無駄ではないなという結論に至る。そして来年も生きていればまた愚直に発信するのだろう。ただ、来年は今年の反省から発信は半分近くになりそうだ。

年を重ねた我々は、大袈裟に言えば1年1年が勝負なのである。「まだ生きて元気にしとるよ」「少し弱ったが、会いたいよ」と伝え合うのは大切な命の絆であり、長い付き合いのエチケットみたいなものだと思っている。やっぱり、古~~い人間なのでしょうかね~。

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「ふる里のとんど祭り」

2025年01月11日 | 風物詩

                                  
                         

私の住む町のすぐお隣には、古くから受け継がれた「とんど祭り」が今も盛んに行われている。
「とんど祭り」は言うまでもなく、年神様を迎え入れるために飾った玄関のしめ飾りや、古くなったお守りやお札、書初めなどを焚き上げて天に返そうという神事で、地域の安定と繁栄を願うお祭である。
今年も地域住民の願いを込めて、地元神楽団の舞い奉納とコラボレーションで、見事な炎の競演が行われた。

知己が沢山いることもあって、我が家のとんど祭りも隣町まで出向いてお焚き上げの便を借りている。もっとも、我が済む地区にそんな気の利いた祭りなど一切ない。そして今ひとつ、地域の活動の広報担当という側面もあって、こういった地域活の写真撮影担当を担っている。
長く続けて見ていると、微妙なところで色んな変化が目につくようになった。良くも悪くも役員さんの入れ替わりの激しい時代で、一つひとつの行事に習熟したベテランがなかなか育たないという弱点はある。

新しいことを取り入れるのは結構。ただそこには伝統として古くから受け継がれた風習や故事来歴を大事にしたうえで、近代感覚を取り込んだ改革は必要である。生活そのものが超便利な時代になったことによって、こういったお祭りやふる里行事まで、簡単便利に走り過ぎると、行事そのものが味気なくなったり、人情味という妙味に欠けたりもする。そんなことを迂闊に注意すると「ならばあんたがやればいい」という短絡な話になり兼ねない。伝統を守るのも容易ではない。新しいことに突っ走り過ぎると周囲の賛成を欠く。

年々実行するのは大変なエネルギーである。だから現代知識を盛り込んで省エネし簡素化するのは大いに結構。そうやって世代を超えた人の集まりが生まれ、人間同士の付き合いが育まれる小地域社会の構成が進むなら、この世の中もう少しは呼吸がしやすくなるかも。マンション単位で餅つきをして住民全員に配ったという新勢力も生まれたと聞く。まんざら捨てたもんじゃないね。                     

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「穏やかな年明け」

2025年01月02日 | 風物詩

                                                

令和7年、2025年の幕開け。元旦、二日と実に穏やかで素晴らしいお天気に恵まれている。ここ瀬戸内地方に住む有難さを改めて享受している。一年の計は元旦にありと言われるように、世界情勢・国内情勢難問山積ではあるが、この穏やかな今年のスタート併せて、紛争解決や一国主義の横暴などない一年になると有難い。なってほしい。
トランプ政権誕生という世界秩序の混乱が懸念される今年。この穏やかさが「嵐の前の静けさ」でないことを祈りたい。

ここ瀬戸内の穏やかさを喜ぶ気持ちがあるにはあるが、荒れる日本海側の厳しい風と吹雪の寒さ、そして昨年1月1日発生の能登半島地震・津波、そして大雨洪水被災などの復興を待つ人々の難儀に思いを馳せると、何かにつけて手放しで喜べない鬱屈を感じている。 

正月遊びの中で、様々なトランプ遊びをしてみるが、なかなか思うようにはいかない。それどころかとんでもない占いが出たりする。おっとろしいことである。
正月の里帰りで久しぶりに顔を合わせる孫君もいる。従妹同士の再会に湧き上がっている。
この子たちの将来に果てしない安定が訪れ、続くことを心から願う年の初めである。                                                 

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「お邪魔のいない餅つき」

2024年12月28日 | 風物詩

          

今日を入れてあと4つ寝るとお正月、なんてのはあまりにも子供っぽいが、買い物などに出かけると繰り返し繰り返しこんな歌が流れてくる。
12月28日、この日の我が家は随分昔から餅つきの日と決めて来たようだ。今日も朝から頑張った。といっても実際に頑張るのは餅つき機という器械がウイーンと唸りながら、蒸したお米を餅にしている。

つき上がったら、小さな手が4本伸びてきて、白い片栗粉を周囲に飛ばしながら「おもちって熱いね」とか言いながら半分はお邪魔虫なのだが、ガマンして「上手に出来たね」などと楽しんだ。そんな孫のいる餅つきはここ最近なくなったね~。そりゃそうだ、冬休みに入ったらいち早く我が家にやってきて、食い荒らしていた近くの孫君はもう半大人になってしまった。少し遠くに住む可愛い方の手は明後日にならないとやって来ない。

お鏡餅などというお供え物は、お供えする日も仕舞うひもおよそ決めごとがあるのだから、そんなしきたりを守るためには、お邪魔虫も手助けもないまま二人っきりでもこの日に餅をつくことになる。
そして正月を迎えると、今年は新たな世界を生きる孫君が二人戻ってくる。さてどんな話が聞けるのか楽しみだ。幼い頃はジジの感覚で育てようとした時期もあったが、今では完全に大人の感覚で大人の仕事をしながら、未だ少ない経験ではあるがどんなことを感じ、どのように軌道修正するのかしないのか。こんな話こそが彼らからジジに贈られるお年玉である。

そう云えばこの正月から、お年玉の大口二人が卒業してくれた。やれやれ。

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