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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「弥生つごもり」

2025年03月31日 | 季節の移ろいの中で

          
              枝いっぱいに花を付けたモクレンと桜一枝

今日は温かいね~と言って軽装になったと思ったら、慌てて冬物ジャンパーを着こんだり。とっくに彼岸は過ぎたというのに寒暖の差が激しく、寒さと暖かさが行ったり来たり。花粉は舞い飛び黄砂は舞い降りる。
などと愚痴っていたらもう今日で3月が往き、年度変わりを迎える。

あちこちから桜満開の声が乱れ飛ぶこのころは、夏野菜の畑づくりが忙しくなる。雑草除けの黒いビニールシートで覆っていた部分はいいが、シートの周りにはべったり雑草がはびこっている。先ず草取りから、次いでシートを剥がして肥しや石灰を入れる。そしてまたシートをかぶせる。普段のおサボリのつけが回って足腰が悲鳴を上げる。それでも今やっておかなければ手遅れになる。早くから少しずつやっておけばいいものを。

やっとこさ予定の作業をこなし、重い腰で家に入るとき郵便受けを覗くと封書と葉書が1枚ずつ。封書はグラウンドゴルフの大会案内。問題は葉書ですよ、内容が奮ってますね~。
「おじいちゃん、おばあちゃん、三百さいになるまで長生きして、小説のかきかたやおいしいごはんのつくり方をおしえてね、大好きだよ。」だって。畑仕事の疲れも腰の痛さもいっぺんに吹っ飛ぶような嬉しい葉書。

この4月から6年生になる孫ちゃんが、初めて書いたお手紙なのだそうな。最初に出す相手がじいちゃんばあちゃんというのはええよね~。今年のお正月に百人一首などで散々遊んだ後、のんさんは何する人になりたい?って冗談半分に聞いたつもりジジに「小説家になりたい」と大真面目に答えた孫ちゃんにびっくりしたものだった。聞かれたから無理やり答えたのだろう、くらいに思っていたが実は気持ちの中で何か期するものがあるという話を母親から聞いてはいた。

ピアノに体操に塾にと忙しい中で、小説家を夢見ているとは、さっすがじいちゃんの孫ちゃんである、というのは関係ないが、小学6年生になる子の胸の中にこんな夢が秘められているとはねぇ。それにしても三百さいはちょっときついけど、少しでも長く生きてあげたくなる。高校球児の応援とともに楽しみである。

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「ああ初勝利」

2025年03月30日 | カープ一喜一憂

       

我が家にも、待ちに待った花が見事に花を咲かせた。背丈は低いし花自体も小さめで、道行く人が振り返る、ほどのことはない。それでも純粋に輝くような黄色はこれに勝るものはない。地面近くに集団で咲くことで存在価値を誇示している。咲かせようと精いっぱい応援する者にとっては、やはり可愛い大切な花「イトスイセン」である。

そんな気持ちに似たような出来事が、マツダスタジアムで開幕を迎えたカープさんの、二連敗を受けた三戦目で見せてもらった気がした。道行く人が振り返るほどのことでもないが、ようやく一勝を飾った。ガチの先発3本柱ではなく、開幕一軍を奮起と努力で勝ち取った、若手の森翔平君の素晴らしいピッチングで一生をもぎ取った。乗っている阪神打線を完璧なまでに抑え込み、兎に角、今シーズンの初勝利を熱狂的ファンに、そして新井監督にプレゼントした。

もし今日も負けて3連敗にでもなったら、もう、拙ブログカテゴリーから「カープ一喜一憂」も抹消して、今年はこのブログからカープの話は消えるかもしれない。ちょっと大袈裟かもしれないがそれほど不安で、弱気にさせられるスタートだった。

若手の奮起を期待してバットを振らせて来たがなかなか成果が見えてこない。外人野手も未知数で心もとない。それでも何一つ暗い素振りは見せないように、笑顔で報道陣に答える。選手と監督がこれほど近いチームが他にあるだろうか。あらいさんが何かヘマでもしようものなら、選手みんなが面白がって、ヘマのロゴを入れたTシャツを作り、みんなでそれを着て囃し立てる、そんなチームだよカープって。

負けたらすぐに投げ出すようじゃファンとは言えないよ!!判ってますよ。だからもう50年以上カープ一筋。笑って泣いて喜んで、腹を立てたり横にしたり、やっぱりカープファンは止めらりょか。

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「プロ野球開幕」

2025年03月28日 | カープ一喜一憂

  
  

昨夜の拙ブログは、兎に角熱く戦う男の集団を夢見ての応援投稿であった。
これは飽くまでもカープファンの心情を少しだけ代弁する、いうなれば神頼みにも似た祈りなのである。

神に祈れば、仏にすがれば、ファンの夢が叶うほど勝負の世界は甘くない、ということ。
ま、開幕最初の1試合、143分の1よ、という考えもある。が、練習試合であるオープン戦の戦いぶりや、今宵の開幕戦の戦いぶりから察するに、あまり大きな期待はしないほうが無難かな。などと早くも予防線を張りたくなる貧打とチャンスつぶす症候群は健在である。

それでも心のうちは昨日のブログに何ら変わりはない。この矛盾、どう説明するか。説明のしようがない、予測がつかないのが勝負の世界。10月までの半年間の勝負は今始まったばかり。あまり考えずに早く寝るのが得策である。

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「開幕前夜!」

2025年03月27日 | カープ一喜一憂

                   

中国新聞 特集
 「遮二無二 突き進め!新井カープ」応募エッセイ

 『カープのセ・リーグ初優勝は、球団創設から26年目の1975年10月15日で、全国のカープファンが盛り上がった。その記念すべき日の数日前に、私たち夫婦は長男を授かった。
 当時、出産の不安や産みの苦しみを訴える妻の言葉に、もっと耳を傾けるべきだった。それなのに、私は優勝へ突き進むカープの熱い戦いに連日没頭していた。妻からは「夫失格」の烙印を押されかけた。しかし、長男は無事に生まれ、その後、悲願の初優勝をカープが達成した喜びで、全てを帳消しにしてもらった。その長男もこの秋、満50歳になる。
 あの年のように全選手一丸となって気持ちを新たに、最後の最後まで優勝を目指して突き進んでもらいたい。温かい親心を胸に選手を見つめ、選手個々に合ったこまやかな指導に明け暮れる兄貴分の新井監督に、うれし涙を流させてあげたい。
 あの初優勝から半世紀となるこの秋、また全国のカープファンが歓喜する日が来ることを想像して開幕を待つ。』

プロ野球今年のペナントレースはいよいよ明日開幕する。カープのオープン戦を見る限り、今年も得点力不足は否めない。となると、昨年の9月以降同様に、投手を助けられない貧打線のお陰でバテバテの投手陣。首位陥落も自然に理。這い上がれないまま4位に沈んだ悔しさをバネに、ひと踏ん張りふた踏ん張りしてもらいたい。そして最後の最後まで、遮二無二突き進め~~ 我らのカープ!!

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「春の五計」

2025年03月26日 | ニュース・世相

     春は5K
         黄砂飛来予測図

春とは直接関係ないが、かつて職場環境・労働条件として問題視されたときの「K」は三つ。いわゆる「きつい・汚い・危険」の3Kとして敬遠された一時期があった。そこから環境の整備が進んで、汚いも危険もかなり改善されたが、なかなか完全解決には至っていないようだ。

そんな過去を踏まえたわけでもないだろうが、今この季節、まさしく春にもKはある。それも3Kよりもっと多い5Kというから驚きである。一つ目、乾燥。二つ目、強風。三つ目、寒暖差。四つ目、花粉。そして黄砂。
春の七草はお正月明けの胃に優しい七草雑炊だが、この季節の5Kはご免こうむりたい。
特にここ数日の黄砂は、春霞を3倍くらいにした濃さに見える。杉・ヒノキの花粉も舞飛ぶ。副鼻腔炎手術や、無呼吸症候群対策の器具で鼻炎はひどくなるばかりの人間にとって、この上に黄砂かよう、である。
くしゃみの連発に、朝から晩までティッシュが離せないお鼻垂れさん。何とかしてほしいよ。もうしばらく元気で頑張りたいと思うファイトも奪われてしまいそう。

それにしても、春は5Kとは言いえて妙ではある。感心などしてはいられないが、抵抗のしようがないのも人間という動物の弱さか。つまりこんな現象から身を守るのは、マスク・うがい・手洗いなど、コロナ蔓延期と同様の対策が要るようだ。
一斉に花開く春は、鼻の煩いには大敵。うかつに鼻を上に向けて花を見上げるなど厳に慎みたい。

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「葉の色は移りにけりな・・・」

2025年03月24日 | つれづれ噺

  
    小松菜のなれの果て、小松菜の花           スナップエンドウの真っ白い花

春は出会いと別れの季節とは誰が言ったか知らないが、まさしく言いえて妙である。
我が家の借り物菜園でも、冬物野菜の主としてさんざん栄養補給をしてくれた小松菜が、いま見事に菜の花を咲かせている。隣では、これから実をつけるスナップエンドウの真っ白い花の盛りでもある。

春うらら、こんな季節に、90歳を過ぎても元気で独り暮らしを頑張っていた、母方の従姉から「九州の息子の所に行くことになった。長い間お世話になりました」とお別れの挨拶をもらった。車で30分くらいの田舎に住んでいて、ご主人健在のころには沢山のポインセチアを育てていて、クリスマスの鑑賞品として何度ももらい受けたこともある。若いころは夫婦とも裁判所勤務という、仕事はお堅いが非常に二人とも穏やかな人柄で、いとこの中でも特に親しいお付き合いのあった人である。

寄る年波には勝てず、彼女も息子の言う通りに九州へ行って近くの施設に入るとのことだった。彼女自身がサバサバして息子の勧めを受け入れ、独居を押し通すのは我がままだと理解していたのだから問題ない。
どちらかが一方的に我が意を通そうとすると、結果的に同じことになったとしても不幸を感じる危うさがある。互いに理解し合えばバラ色になる。微妙であり難しいものだね~と、近い将来の自分たちの立ち位置に思いは重なる。

また一人、身近な人が遠くに去った。遠くとはいってもこの世にいてくれる間はいい。ただ淋しいのは、遠くに行って、次に本当の遠い黄泉の国へ行ったときは知らされないことが多いということ。それもまた自然の理、知らぬが仏ということわざもある。いまはただ、元気に楽しい施設生活を送ってね、ということか。

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「手紙文化よ どこへ」

2025年03月23日 | つれづれ噺

   
      間もなく出番が 膨らむツボミ         そろそろ終わりが近い寒アヤメ 花盛り

約136億通、この数字はいったい何でしょう。なんてクイズを出すわけではありません。
2023年度の郵便物の総量なのだそうな。それも、ピーク時から比べると約半数に減ったのがこの数値というから、如何に郵便物の往復書簡が大繁盛した時代があったかという話である。そんな中に、忘れそうな大昔に書いては送った、幼い拙い、恋文と呼ぶにはあまりにもお粗末だったあの頃のあの手紙も、数百億通の1枚に数えられたのだろうね。その前に、友達の代筆をずいぶん頼まれた時期もあった。
書いてはみたものの切手も貼らず投函もせず、ごみ箱に落としたものもあったね~。

ここ数年は年賀状の落ち込みに代表されるように、郵便物の減量ははなはだしい。それに逆らうわけではないが、葉書だけは今もってせっせと書いている。はがき随筆252字の虜はしばらく続きそうである。
郵便物と公衆電話ほど目の前から消えていった、大切な通信手段はない。ただそれに代わって数倍も短時間で、音信という大切なことが足りる手段が身の回りにあふれている。ラインなどというお知らせ手段は、ごく簡単な文章を入れてポチッとしたら、瞬時にグループ登録者に一斉にお知らせが飛んでいく。あまりにも便利すぎて、お知らせを受け取った方も送った方も有難味が薄れてしまうような気がする。でもこれが現代のフツーなのだから、精いっぱい追いかけないとね。

それにしても、手紙文化、封書文化は残していきたい。ないものねだりかもしれないが、今も押し入れのどこかにセピア色に変わった大昔に受け取った封書の1枚もの残っているかもしれない。ないかもしれない。

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「放送記念日」

2025年03月22日 | ニュース・世相

                    
                 日本放送協会に納められたラジオ  

日本の放送は1925年3月22日、東京放送局のラジオ仮放送で始まった。とある。
アナウンサーの第一声に続き、海軍による演奏そして東京放送局総裁後藤新平氏が、文化の機会均等などラジオの機能を説明した。そんな歴史や物語を秘めて始まったラジオ放送。

昭和20年代のラジオは、演芸・スポーツ実況・ニュースなど、内容が盛りだくさん。まるでなんでも出てくる音の魔法の箱のように、鴨居に棚を吊って私たちの頭の高さより高い位置に置くべき、大切な物であった。
親父の大好きな浪曲夜話、上方演芸会、花菱アチャコと浪花千恵子の「お父さんはお人よし」などは必死に耳を傾けたラジオ放送であった。

そしてテレビ放送が始まったのは1953年、昭和28年。まさにラジオの全国放送が始まってテレビの映像放送に移るまでに28年間を要している。放送界をはじめ映像化学など一連の分野が、どれほど多くの力を寄せ合い出し合って、現在のテレビ文化の先駆けになったのだろう。そんな思いが頭をかすめると、その道のプロとして先陣を切ることの尊さを思い知らされる。

放送開始から100年か~。生まれる17年前には、東京でしゃべる言葉が全国に流され、蒸気機関車の蒸気を吐き出す音や汽笛が遠い山奥にまで届けられていたのだ。もう少し長生きしたらどんな新しい発見を見せてくれるのだろうか。やっぱりNHKバンザイだね~。受信料払ってみんなで放送界を守ろうや。

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「春を分かつ日」

2025年03月20日 | 思い出話

                 
                    花咲く日を待つイトスイセン

暑さ寒さでお馴染みの春を分かつ日。牡丹餅のパックとお花を買って、先祖代々のお墓の前で手を合わせた。
それこそ数えるほどしか出向かないお墓ではあるが、お盆前の墓石磨き・草取り・清掃だけは欠かしたことはない。そんな無精者の私でも、手を合わせて帰る道すがら、気持ちがす~っと軽くなるのを覚えるのが何とも心地いい。^^♪ そこにわたしはいません、ねむってなんかいません、千の風になって・・・♪などとは言わないおふくろとおやじ、よ~来たの~と言ってくれるに違いない。

30年前の今日、東京の地下を走る鉄道3路線の電車に、猛毒のサリンが撒かれ、多くの死者や数えきれない負傷者を出した「オウム真理教」による東京地下鉄サリン事件の当日である。本社勤務を命じられて、生まれて初めて親元・故郷を離れて一人暮らしをしていた東京での出来事。朝の通勤に東京メトロで渋谷に着き、そこから地上を走る山手線で有楽町へ。同じ通勤時間帯に犯行があった地下鉄に乗り合わせなかったラッキーは、見えない糸であの世の父と、現世の母がまもってくれたのかもしれない、などと30年たった今そんな縁を思い返している。

そして同年の阪神淡路大震災も忘れてはならない大惨事であるが、ハルマゲドンなどと勝手なことをののしって最終戦争後の理想郷を求めるという、人類を破滅させる宗教活動を展開したオウム真理教。こんな無謀な洗脳活動がまかり通る世の中を再現させてはならない。風化させてはならない一大危機である。みんなが賢くなって、無法に早く気づき危険を予知できる人間社会になることを願いたいものだ。

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「清楚に力強く」

2025年03月19日 | 季節の移ろいの中で

                                             

逆戻りした寒さのなか、華やかにそして清楚に、艶やかさの中にキリリと張り詰めた空気感。
短大の学位記授与式にお邪魔した。幼児教育課程を修了した50人の卒業生。そのうち47人が女性。その大半が思い思いの振袖に袴姿も凛々しく、靴音を鳴らして壇上に立つ。

過去に何度か学位記授与式に侍ったが、今年ほど艶やかな振袖袴姿に目を奪われたのも珍しい。
そしていつも思うのは、こんな華やかな場で素敵な送辞・答辞を述べる学生に思わず拍手を送りたくなるが、厳粛な儀式だけにそれは許されない。これがアメリカ方式だったらどうなんだろう。涙を精いっぱい押し殺して、教職員に対してあるいは後輩へ保護者へ切々と訴える感謝の言葉、未来への決意を語る晴れ姿。間違いなく感動シーンである。
日本式ではシーンと静まり返るが、本場アメリカ会場だったら大いに湧き上がるんじゃないだろうか。
まあそこは国民性というか、厳粛を優先する日本には日本ならではの良さがあるということか。

かれこれ4週間前から咲き始めた我が家の寒アヤメ。寒さの中で清楚にして凛々しく咲き続ける姿が、今日の学位記証書を受け取る袴姿に重なった。
明日はお彼岸の中日。暑さも寒さもこの日を境に好転する。そんな期待を込めてカイロを貼ってお墓参りしよう。

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