「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「ゆく年くる年」

2022年12月31日 | 季節の移ろい・出来事

                    

令和4年、2022年の365日目の夕陽が西の空に沈んだ。たちまちに夕闇がそして間もなく漆黒の闇、大晦日の夜が訪れた。
幸いというか、私の住む小さな町は瀬戸内海の海岸線にあって、非常に温かで穏やかな土地柄。雪も雨も風もなく静かな夜のしじまを破るのは、世の流れに逆らうようだがあのNHK紅白歌合戦の喧騒である。タイトルを替えるべきだ「NHK混合ダブルスダンス合戦」は如何?

そうは言ってもふた昔前くらいまでは、私とて世に後れを取るまいと紅白歌合戦に必死に付いて行ったものだ。
それよりもっと前、要するに演歌絶頂のころは、それこそ年越しそばも早めに済ませて、炬燵の指定席に陣取ったものだ。当時は面白かったのよ。楽しかったのよ。この1年で耳に残るヒット曲を出した歌手だけが登場許されるステージで、文字通り歌・歌唱力で勝負したのよ。
唄を盛り上げるダンスや踊り、パフォーマンスはそれぞれ専門チームが、こちらもしのぎを削ってステージへあがったものだった。

まあ、そんな憎まれ口をこの大晦日に言ったってしかたないっしょ! その通り!今静かにこの1年が往こうとしている記念の日なのだから。
いつまでも言いたいことを口に出していると、みんな近寄らなくなるよ。それでなくても近づきにくいタイプなのだから。

それより、来る年にどんな期待をかけようか。何か決まった目標があるの?? 目下、何を目標にしようか考え中というところ。
そうだ、少し柔らかく化けて誰でも近寄ってくれる人間になろうかな。とんでもない、今から逆立ちで歩く練習しなさい、と言われるのと同じくらい無理な話だよねー。いくら新しい年がやって来ると言われても、今さら変えようのないことだってあるのさ。

今さら無理な課題に挑戦するより、素のまま、ありのまま、ひたすら健康に留意し一病息災、二病息災でいいから、気持ちの前向きだけは崩さないように孫君・孫姫たちの心強い応援団でいよう。こんなくだらないジコチューブログをひねりながらでも、字をつなぐ、言の葉を選ぶ探す、そんな頭の体操も少しだけやりながら、目標はとりあえずこの1年を元気に渡って行こう。それがいい!それがいい!!

ということで、勝手極まりないお願いながら、来る年も、時々でもけっこうです応援よろしくお願いします。
そして一日も早い侵略戦争の集結とコロナの終息を実現させて、腹の底から笑える日が来ることを願って行きましょう。

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「佳いお年を!!」

2022年12月30日 | 季節の移ろい・出来事

                                                             
                                          迎春準備万端、装いを改めた神棚

2022年、令和4年の晦日を迎えた。一夜飾りとならないよう今日の朝イチは、神棚・お仏壇のお供え、飾りつけの仕上げに追われた。
埃を払い、お鏡餅にユズリ葉、ウラジロ、ダイダイの代用品ミカンを添えて、まさしく物心両面の迎春準備完了。

1年を締めくくる最後の一日となる明日は、12月のつごもりであり、今年1年の大晦日となる。
古典落語のネタとなる売り掛け金取立て役と、支払い引き延ばしを図る町人長屋のバトルで、ひと騒動ふた騒動が持ち上がろうという江戸時代から続く因縁の日でもある。

幸いなことに、大晦日に掛け取り役に追われることはないが、横暴を極める特殊詐欺被害には、もうちょっとで餌食になりかかったこともある。
最近大流行の「パソコンウイルス詐欺」である。まことしやかに「パソコンがウイルスに感染しています」とMicrosoft Edgeなどの発信で、いきなり画面に現れる。エッ?そんなバカな!と思いながら一度クリックしたら、ウイルスセキュリティか「危険な発信に反応しようとしています」という警告が出た。こんなバカげた特殊詐欺には絶対に遭わないよう気を付けましょう。ご同輩!

いつも拙ブログ「世の中ちょっとやぶにらみ」にご訪問頂き、感謝しています。来る年も辛抱強くお手伝い頂ければ幸いです。
お互い、新年こそいい夢を見たいものです。

『寝床につくときに 翌朝起きることを楽しみにしている人は 幸福である』と言った法学者います。皆さまどうぞ佳い歳をお迎えください。

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「節目に立って!」

2022年12月29日 | つれづれ噺

            
              オットット・・・年を取ったらつまずき安い。若い時もつまずいたね~

「年越し準備」と「迎春準備」。色んなことに手をかけ時間かけてきたが、取り敢えず今日はひと休み。何をやっても二重苦につながるという12月29日。お日柄あまりよろしからずという言い伝えが頭に残っていて、やる気が旺盛でなかったということと、少しお疲れも溜まったのかも。

昨日までの数日間、要するに新しく迎える年の準備をしてきただけなのに「年越し準備」と「迎春準備」のどこが違うんだろう??って自分なりに考えてみた。似て非なり。自分の中では明らかに違いがあることを意識していたと思う。年越し準備は、飽くまでもこれまでのこと、つまりこの1年間を振り返るどうかすると後ろ向きな話になる。やり残したことを新年に持ち越さないために区切りをつけること。

迎春準備は今年の終わりを一区切りとして、新年は新たなスタート、第一歩を踏み出すための前向きな思考で飛び出す準備をすること。ま、自分の気持ちの中で何かに納得を求めて、あれこれ考えるだけのことかもしれない。しかし、年末の数日・数時間は新年への助走という概念を持っているのかも。

今年だって、同じようにベストで過ごす助走をつけてスタートしたのに、振り返るとやはり、もう少しの努力があってもよかったかな、小さなつまずきもあったよねーと自分で思う。そこで思いがけず見つけたのが「つまずいたっていいじゃないか にんげんだもの」という相田みつおさんの言葉。
人間は失敗する。その能力に限りがあるから。人間は挫折する、夢やあこがれを抱く存在だから。失敗も挫折も、それは人間である証しなのだ、と。
「人間にとっていちばん大事なものは、学歴でも肩書でもお金でもありません。丈夫な身体と健康なこころ、これが最高の宝です」とも。
康で迎えた年末に感謝する中で、こんないい言葉に出会って、新年に向けてまた一つ元気な一歩を踏み出したい。

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「迎春準備その1」

2022年12月28日 | 季節の移ろい・出来事

   
   鏡餅、2年振りこの手で             障子張り替え ビフォー          アフター

今日もあれこれ頑張ってみた。何は置いても先ずは餅つきである。とは言っても私の出番は、搗き上がった餅が少し冷めるのを待って、神棚用・仏壇用・子供たち用に揉み上げるだけ。要するに、もち米を漬かしたりシタミに打ち上げたりの力仕事や冷たい水仕事は、全て山の神の手に掛かる。
餅つき作業そのものは、器械がウィ~~ンという唸り声をあげてしばらくしたら、ねっとり熱々の餅が出来上がって、片栗粉を敷き詰めたもろ蓋に載せられる。火傷しないよう細心の注意で、慌ただしく手のひらの中で右に左に揉み込むと、形のいい自家製の鏡餅が出来上がる。熟練の業でもある。

餅つきと言えば、我が住む家一軒が燃えそうな危機を迎えたことがある。
昔は嫁いだ娘一家や新宅などが親元に集まって、3・4家族分の餅つき行事が年末の楽しみな恒例行事であった。
中学生だった私も餅つき要員に駆り出されて、朝からぶっ続けで米を蒸す火の番をしていて、ひょいと上を見たら、煙突の周囲が紅い炎になって広がり始めていた。とっさに火を止め、急いで屋根に駆け上がりバケツで消し止めるという、火消しの親方というおっそろしい体験をした。今でもあの時の恐ろしさは、火事で全てを灰にするという痛ましい事件とつながって、身震いする思いがある。

それは遠い日のこととして、餅つきに次いで何年振りかの障子の貼り替えをした。
昔々の障子の貼り替えはまさに大変な大仕事の一つであった。古い紙を丁寧に剥がし、桟にこびりついて固くなった糊を洗い流す作業の大変なこと。新たに糊を焚き、頃合いの刷毛を見繕い、桟に糊を伸ばして障子紙を引っ張りながら貼っていく。
そんな苦労が遠い昔の話になった今、アイロンとものさしとカッターがあれば、難なく新品に戻る。プロの業かと見間違える出来栄えは、お年寄り向きの障子張り替え。ご近所さまのお手伝いにいこうかしらん。今は破れた障子を使っている家などありはしない。孫さんが出いるする我が家くらいなものだ。

いろんな思いが交錯する迎春準備。やはり何はなくとも、自らの手で出来ることには積極的に手を出せる元気な身体。これに勝るものはない。

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「年越し準備その4」

2022年12月27日 | 季節の移ろい・出来事

                 

今年も残すところあと5日。他にどうしてもやらないといけないことがなかったせいかもしれないが、今日も目まぐるしく年越し準備に明け暮れたね~。まさしく雑事あれこれ、と言ってもやり終えた後で考えると、無駄なことは一つも無い。お勤めが終わって以来、自分の手で普通にこなしてきた「年越し準備」の数々であはるが、ま、よくやったな~ということにしておこう。

冬枯れた畑に元肥を入れてやろうと、ホームセンターから軽四借りて運ぶほどの量の肥料を畑に入れて耕した。
やっと巻き始めた白菜をヒヨが突っつきに来るので、脅しの黄色いテープで退散を願った。
梅の木が段々大きく育って、枝が混み合い過ぎなので剪定に精を出した。ついでに玄関横の箱庭の柊や柘植の剪定もした。
何より時間を掛けたのは、13年間の長きアッシー君として移動の全てを支えてくれたアクセラスポーツの洗車である。
一緒にお正月を迎えるのは今回が最後になるためか、特に念入りに外から中まで、普段はあまり手を掛けないところまで磨き上げた。クルマは何にも言わないけれどクルマの気持ちはよく分かる・・・どこかで聞いたようなセリフだが、兎に角感謝を込めて最後の洗車に汗を流した。

そんなこんな取るに足らないことばかりであるが、今年はそれが出来る喜びがある。
昨年の今は、まだ病院のベッドで首を長~~~くして退院を待っていた。そんなわけで、何もかもカミサン任せ。手を貸そうにも貸せなかった。それが今年はこの手で全てができるのよ。昨年の罪滅ぼしという考え方もあるが、そうではなく、こうして何でも出来る身体を取り戻してもらったこと。動けることの有り難さを感謝している、これが一番正直なところかな。

年越し準備は今宵のその4で終わりにしよう。明日からは迎春準備その1でお目見えしよう。
昨年は、一人で餅をこねながら「無事な退院を祈って大きめの鏡餅を作ったんよ」と笑っていたカミサンに代わって、今年はこの手で鏡餅を作るぞ。明日はそんな予定が待っている。やはり、年末・迎春準備は何かと多用である。

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「心を込めて5枚」

2022年12月26日 | 家族・孫話

              

4つ違いの姉の急逝によって、今年は喪に服していることから、「お目出度うございます」の年賀状を控えて、喪中欠礼葉書をとうに出した。そのせいもあって、本来なら慌ただしく過ごす年の瀬がなんとなく落ち着いている。その分、11月半ばに慌ただしさを先取りしてきたということだね。

但し、喪中であろうとなんであろうと心を込めた年賀状を、5枚だけは書かなくてはならない。
書いて出したい、相手に読ませたい、そんな願いを込めた年賀状というか、ともすればジジから孫への檄みたいなものである。
「明けましておめでとう」に続く内容は、5才から21才という幅の広さに合わせてそれぞれである。

一番力が入るのが、中学1年生の野球好き君、ジジの期待の星宛てである。
「手にマメをこしらえ、体中アザだらけになってこその野球選手」と気合いを入れて「肩・肘を壊さない基礎練習の反復を」そして「じいちゃんの楽しみ、応援するからね・・・」と、本人にとっては無理難題が元旦に届それに比べるとそれに比べると姫孫ちゃんたちには、それはそれは、猫なで声ならぬウサギを優しくなでなでするジジバカ丸出し。

そして、正月は神戸でバイトで稼ぎ、成人式に帰って来てゆっくりするという大学2年生には「初心忘るるなかれ・・・・・・」まさに檄を飛ばす。これは年賀状と言うよりも、ジジの自己満足であり、孫君達にとってはいい迷惑なのかも。まあこれも若いときの我慢の練習のひとつだ。

5人のどの子にも、幼稚園に行ってひらがなを教わるようになってから欠かさず出してきた。いうなれば、じいちゃん元気だよ、正月は遊びに来いよ、何かいいことあるかも・・・という暗示であり、思いやりなのだ。と自分では思っているのだが。年賀状を手にして、いったいどんな顔をすんじゃろうか。

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「駆け抜ける・・・」

2022年12月25日 | ニュース・世相

                                                        
 ちょっと大げさに言えば、日本中の競馬ファンはもとより、競馬ファンでなくても多くの人に大きな話題を投げかけたJRA日本競馬「有馬記念」は京都中山競馬場を。都道府県を代表する全国高校駅伝大会は都大路を。どちらも精一杯の力で駆け抜けた。まさに今年1年の世界情勢みたいに、良くも悪くも疾走し、満面の笑顔を浮かべる人、しかめっ面に下を向く人。色んな表情を浮かべながら今年も残すところわずかとなった。

クリスマスツリーに喜びの歌を歌う人もあれば、砲声に怯えながらも信ずる神様のご加護を頼りに、安らぎのクリスマスケーキを囲む人。冬休みに入った最初の土日に里帰りするはずの孫姉妹のお姉ちゃんがコロナ陽性反応で、急遽帰られなくなって寂しいkurusimimasuの夜を過ごす爺もある。

1ドルが107円であったり150円に跳ね上がったり、株価は大きなうねりを見せて乱高下。手持ちの乏しいお楽しみ投資家を泣かせる日々が駆け抜けた。暮れようとする今も、なんかしら上向きが期待できない、こちらもあまり美味しいケーキ(景気)ではなかったような。

なんだかんだ言いながらも、コロナに襲われずに過ぎた。ここにきて病院の受診回数は増えたが、普段通りに団地公園のグラウンドゴルフにいそしんでいる。地域活動もなんとか求めに応じてこなしている。だから、よくなかったこと、この身にそぐはなかったことは過去として押し流そう。
あかるみを求めるならば『 沈む夕日をおうことなかれ 出る月を待つべし 』 また新たな年を待ってみるか。それもいい。

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「年越し準備 その3」

2022年12月23日 | 健康イチバン!

              

❝ もーいくつ寝ると お正月~ ❞ 暮れも押し迫ってくると「そうだ、あの人はどうしてるんだろう」とか「今年は音信が途絶えたが、どうしとるんかねー」などとふと頭に浮かぶ人がいるもんだ。今どきは手紙を書かなくても、通信の手段や音信を直接訪ねる方法はいくつかある。
やはり手っ取り早いのと、確実に相手の返事と状況が読み取れる点では、電話に勝るものはない。
増して、簡単スマホのかけ放題契約だと、遠距離だろうが近距離だろうが料金のかさむ心配がない。気楽に相手に合わせて長話できるのがいい。

今日の電話先は思いも寄らぬ神戸であった。地元に生まれ地元以外に出たことのない、4つ先輩のお人である。暇に任せて電話で話し相手をさせられていたのに、この半年は全くの音沙汰なし。「何かあったかな?」と不安がよぎるので、年内に一度確かな消息を訊いておきたいという単純な思いで、電話帳の番号に電話したら、神戸にいるとのこと。不安が見事に当たった。

有能な事務職として長年勤め上げた実績は、自他共に許すキャリヤウーマンであった。良縁に恵まれず独身を通し、母親を失って以降実家にお一人様暮らしとなっていた。今年に入って病気が顕著になり、神戸在住の甥夫婦の世話でそちらのしかるべき病院に入院中だという本人の説明を今日聞かされた。

そっか~、あれほどに頭脳明晰で生き字引と評判の人でさえ、病に冒され、気楽なひとり暮らしも出来なくなり、住み慣れた地元を離れて遠い見知らぬ土地で、見知らぬ病院での生活になるのか。老いとは、避けて通れない一本道ではあるが残酷なものだね~と侘しい感慨に襲われている。

本人からは病院という説明だからそう信じてはいるが、おそらくか介護施設への入所だろうと思っている。要するに本人は何が何だか判らないまま、今の境遇になってしまったと言うことなのだろう。やがて行く道、笑えないが、彼女の過去を知っているだけに哀れと言うも愚かなり・・・。

健康を保ちたいとあれこれ努力はしているものの、結末は誰にも分からない。
兎に角、今を健康に、今を元気に生きること。風邪など引いておられようか。
年越し準備その3のお粗末でした。

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「ゆず風呂なしの冬至」

2022年12月22日 | 季節の移ろい・出来事

                
                  こうは行かない今年の冬至。柚子が品薄!

年の瀬の二十四節季と言えば、言わずと知れた「冬至」であるが、ちょっと違和感を感じるんよね~。
冬に至ると書いて冬至でしょ。新潟県や秋田県では、大雪による難儀が連日のトップニュースを飾るほど。それなのに今日から冬に至ると言われてもね~。などと言うのは屁理屈かな。ただ昼間の時間が一番短いのが今日と言われるのは納得である。

納得はしているが、完全に受け入れているというわけでもない。
別に困るとか、何かに影響するわけでもないのに、夜明けが遅いのはなんかしら、朝の気合が入りにくいというか、ダラダラとスタートするピリリッ感に欠ける。その逆で、あっという間に日が暮れて、もう少しやりたかった作業が日のくれと共にハイそれまで、というのもなんかしらすっきりしないね~。

そんな勝手な感情をよそに、昔の人はうまいことを考えるものだ。
冬至から残されたその年の数日を、ン(運)をいっぱい取り込んで元気に過ごし、運気あふれる新年を迎えようということで、ンのつく七草ならぬ七野菜を食べる風習を作り上げたという。かぼちゃ、これをナンキンと呼んでンが二つ。続いて、レンコン・ニンジン・ギンナン・キンカン・カンテン・ウドンと、飽きるほどのン(運)を並べている。ご利益のほどは宛てにならなくても、ユーモアがあっていいね~。

冬至の極めつけは、湯船に柚子を浮かべて、程よい酸味と優雅な香りを満喫しながら長湯をして英気を養おうとい寸法なのだそうな。
ところが今年は柚子が品薄という。かんきつ類にも表年と裏年があるらしく今年はその裏年。一方で柿類は当たり年で、吊るし柿は大豊作という。
そんなお陰で、手に入るはずの柚子のプレゼントがなくて、今年ばかりは柚子湯はお預け。仕方ない、気候の変動には勝てない。柚子湯をあきらめさせられた分、一段と気を付けて風邪を引かないよう気を付けよっと。今日を含めて、今年も残り十日。皆さん、お元気に!!

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「伝統行事の継承」

2022年12月21日 | 地域活動

地元にある二つの小学校で、年末恒例の「しめ飾り教室」を実施した。
地区社会福祉協議会(地区社協)の年間事業の一つで、我が国の伝統文化を小学4・5年生に理解してもらい、実際に体験してもらって、次代へ継承していこうという試み。児童にも保護者にももちろん学校側にも評判の実践授業として、長年続けられている。

     
     

昨年までは作業開始前の説明として、しめ飾りの由来や私たちの社会とのつながりなどを口頭説明し、縄を綯う実技や作り方も、代表者が実際に綯って見せるっことで事前学習として来た。理解できる子とそうでない子に別れる危険があった。
今年度から、広報部会を中心にデモンストレーションビデオ、DVD作成に挑戦した。その試作品が出来上がった記念の年となった。

  
まだまだ改良余地のあるDVDではあるが、動画馴れしている児童にとって、熱心に視聴する内容であったような。常に前進する子供たち負けないように、前進とまではいかなくとも、せめて現状維持あるいはすこーし前進で、子供たちと一緒に伝統文化を楽しみたいものだ。

         
     慣れぬ手つきで縄を綯う           校長先生も奮闘努力を         飾りを付けたら出来上がり

あまり大きな声で叫ぶと「信教の自由を冒す」などとお叱りを受けるかもしれないが、新年を迎えたお正月に神社仏閣にお参りして、向こう1年の無病息災家内安全、戦争のない世界を祈る素朴な心根だけは忘れないようにしたいね~ ご同輩。
    

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