思い起こせば、2009年5月の定期総会の直前。地区社会福祉協議会(略称:地区社協)会長からお呼びがかかった。今回も議長の就任要請だろうと高をくくっていたが、実はそうではなかった。
当地区社協には、執行部のもとに6専門部会がある。その一つの「広報部に力を貸してほしい」という依頼であった。その時以来16年間、地区社協の広報部一筋に奮闘して来た。
ところが初代会長が、発足7年目にして急逝されたことで、地区社協の体制が崩れかけた。それほどに設立に全精力を傾けられた、偉大なる会長に頼り切った我々の怠慢もあった。そんな反省のもと、急遽新会長を擁立して新体制で出直すことになり、新たに事務局長が必要となった。そんな一連の流れの中で事務局長を受けざるを得なくなり、広報一筋のつもりが、なんと二足のわらじを履く羽目になった。
機関紙「○○社協だより」の発行は、1月・4月・8月の年3回だが、実際の取材活動は年がら年中隙間なくある。しかも、地区社協のスポークスマン的役割も兼ねた、情報発信の中心となる広報部。事務局長という重いわらじ。マジに苦しい時もあったが、なんとかやりくりして広報一筋16年のうち事務局長を10年兼務。常にベストを目指すなどという大それたことは出来なかったが、ベストに近いベターを目指すという自負は忘れなかった。
それにしても、地域の多くの仲間と組んずほぐれつ、地域の高齢者福祉活動、海岸清掃を中心とした環境整備、学校応援を中心とした青少年健全育成など、ありとあらゆる活動を手掛けて来た。ここにきてようやく肩の荷を下ろす時がやってきた。
これ以上踏みとどまると、後進の道をふさぐことになる。それは本末転倒、我が意に反する。潮時を心得るのも先輩の役目であろう。
気力・体力・思考力の減退を感じる今、将来ある後任に席を譲った。
幸いなことに、まだまだやらなきゃならないことが一杯ある。ボケを押しのけ、身体を少しいたわろう。
『50、60花ならつぼみ、70、80働き盛り、90でお迎え来たならば、100まで待てと追い返せ』