「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「めぐる季節を」

2011年03月31日 | ニュース・世相

         
                        一輪・二輪咲き始めた桜 3.31

弥生三月は、寒さも峠を越し、多くの花が咲き競う胸ふくらむ頃である。
一方で、別れの季節でもあり、人によっては命運を分ける季節でもある。

元々「木草弥や生ひ月(きくさいやおひづき)」といわれ、木や草が芽を出し生い茂る季節のことをこのように呼んだ。それがいつしか省略されて「やよい」といわれるようになった三月。「弥生」の他にも「花月(かげつ)」「花見月 (はなみづき)」「夢見月(ゆめみつき)」「桜月(さくらづき)」などといずれも風流な呼び方をされている。

しかし、3月11日を境に、そのような浮かれ気分を一掃。人類等しく悲しみにこうべを垂れる弥生となった。
この記憶は未来永劫忘れることなく語り継がれ、春の訪れは痛恨の思い出と共にやって来ることになる。

長く寒かった冬もようやくここにきて日中だけでも少し暖かくなってきた。
固かった桜のツボミも一気に軟らかさと赤みを増し、開花の準備に余念がない。
時節が来れば咲く桜に勇気をもらいながら、国を挙げての再起に望みをかけたい。

桜に限らず、寒さに耐え一冬を越したたタマネギも逞しく成長している。
これらの力強い姿を、沈みがちな今の気持ちの糧として、直面している難局に立ち向かうことが求められるのだろう。
もちろんそれは、被災された方々や、現場で復旧に汗を流されている方々だけでなく、我々一人ひとりも同じ気持ちなのである。
お隣、周南市八代で越冬したナベ鶴11羽も、元気にシベリアへ旅立った。
あすから4月。「卯月」のスタート。
          

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「けんか」

2011年03月29日 | 趣味・・エッセイ

               

朝日新聞が提供する読者のwebページ「アスパラクラブ」というのがある。
朝日新聞の看板エッセイ「天声人語」を文字った「天声新語」という読者投稿欄がそこにある。以前から一度は挑戦してみたかった。今回のテーマは「けんか」。
昔からけんかは弱く、自信のない作品ではあったが、図らずも掲載して頂いた。
         2011,3,28日 アスパラクラブ天声新語テーマ『けんか』 掲載

 

 犬も食わないと言えば夫婦げんかの代名詞。それほど愚かなことなら最初からしなきゃいいとわかっちゃいるが、時に衝突することもある
▼結婚当初から両親と同居の私たちに、長女・長男が誕生し父が他界。3世代5人の生活に落ち着いた。
子どもの成長に合わせたお祝い事やしつけなど、いろんなことがある。夫婦や親子の意見の相違も出てくる。時にいさかいの種にもなる
▼「嫁と姑の戦争をさせないこと」を親と同居する男の甲斐性でもあり、妻に対する最低限の思いやりとして結婚以来肝に銘じてきた。
そのためにはまず私たちが夫婦げんかをしないこと。けんかになれば母は必ず私に味方する。2対1になるだけでなく、嫁と姑の折り合いまで悪くなる
▼2人の間に挟まって右往左往する哀れな男を演じないためにも、家庭円満の知恵をしぼり、自分を抑える努力もした。それでもたまにムカッときて、一言、言わなきゃ収まらない時もある
▼そんな時、母の前で嫁さんをこき下ろしてはこれまでの努力が無駄になる。まずは自分を抑え、寝室で夫婦2人きりになるのを待っておもむろに話す。同様に母に小言を言う時も、自分の部屋に戻るのを待って母と2人で本気で話す
▼つまり、けんかも小言も1対1の差し向かいになるのを待つ。この待つという時間が、ほとばしる怒りを抑える絶妙の間となる。気持ちの角が取れ、冷静な自分に返り、いさかいがアホらしく思えてくる
▼「言いたいことは明日言え、短気は損気」という母の長年の教えを守っているだけのことである。

  ( 写真 : 文面とは関係ない、およそ半月遅れで満開の沈丁花 )

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「春休み御難」

2011年03月28日 | 家族・孫話

        

小学校が春休みに入ると同時にじいちゃん学校が始まる。
朝8時半、二人揃って元気よくやって来る。
提げてきたバッグを放りだし、テレビのチャンネルを子ども向け番組にさっと切り替え。
かたや、冷蔵庫は開ける、ナベの蓋は取る「何かある??」「飲み物は?」
やりたい放題の30分。

こちらのペースに引き込むには、なかなか時間もかかるし骨が折れる。
4年生と2年生を終えた春休み。「あゆみ」という、昔で言う通知票を持ってきている。
さすが兄ちゃんは、1学期と比べると数段の進歩で3学期を終えた。5年生に期待が持てる。
肩を抱き、しっかりアタマを撫で撫でしてやる。厭そうな素振りを見せながらもニッコリ!
兄ちゃんは花粉症で目の縁を腫らすほど。ついにゴーグル使用中。

弟カー君は・・・。先生のお話の伝達や、自分の意見、物事に対する独特の見方が出来るのに、「あゆみ」という成績表においては大いに努力を要求されている。
そうではあってもこちらもしっかり撫で撫でして、褒めてやる。

そして、早速お弁当買って錦帯橋河原での、冬並みの寒い風に吹かれながらお昼ご飯。
その足で、30キロばかり走って根笠岩屋観音様を見学に。
連日のこの寒さ、山深い田舎道を走る古刹訪問の客もない。貸し切り同然、パチリパチリ。
ちょっとしたウンチクを聞かせながら、休止中の大水車を手で回してみせる。

 

 
   4年生最後の兄ちゃん                2年生最後のカー君

まだ始まったばかりの春休み。まだまだこれから色んなことがありそうだ。
守り役にとっては何かと御難の春休みではある。

昨年この手で剪定した梅の木も、いっぱいに花を付け、今年も梅の実が期待出来そう。それにしても、子ども達の春休みに梅が見頃というのもなんかシックリこないな~。季節も巡りが悪くなったのかな。 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ベストでもベターでもないが・・・」

2011年03月26日 | ニュース・世相

プロ野球ファンの一人であったが、セリーグの人気を誇るある球団の動向によっては、プロ野球を蹴っ飛ばしてサッカーファンに鞍替えしようかと思って見ていた一連の動き。

「ベストでもベターでもないが、これが唯一、選手の気持ちや政府の要請に沿う。そうであればその道を取るべきだと思う」というセリフ。
可愛くないよね~。人気の上に胡座をかいて。

まあいずれにしても、パリーグ全体と、セリーグ選手会や文部科学省の意向に従う形で、4月12日、セ・パ同時開幕に落ち着いた。(某球団の完敗ともいえる結末・・・毎日新聞)
だから、今年もプロ野球をたまには観ることにしよう。

ただ残念なのは、全国的に人気のある球団という思い上がりが、プロ野球ファンを失う結果につながりはしないかと懸念する。今までだって随分なゴリ押しを見てきた。
今我が国ががどんな状況に置かれているか、それさえ分からないのだろうか。
人気球団だけに、先頭に立って自主的に、開幕を延期してセもパも足並み揃えて、大震災被災者の気持ちに沿うよう旗振りをするべきではないか。

こんなことを言うと、「プロ野球を見せることで、被災者を勇気づける」と必ず言う。もっともらしい理屈である。
しかし、今回の問題は単に精神的なことばかりではなく、電力不足などという物理的な要件が満たされていないのは、こんな素人が言うまでもなく分かっているだろうに。

まあいい、4月12日、セ・パ同時開幕に落ち着いた。
選手会もよくがんばった。これからも、喧嘩をしないことに越したことはないが、必要なことは言うべきであろう。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「1ヶ月遅れの」

2011年03月25日 | 季節の移ろい・出来事

 
 めったにこんなところに降りることはない   手頃な枯れ枝をくちばしでゲット!

向かいの小山のアオサギが、例年に比べると約1ヶ月遅れで、ようやく巣作りを始めた。
ここにきてやっと何組かのつがいが出来上がり、2羽が仲良く協力する様子が見える。
掴まるのが精一杯の枯れ木同然の栗の木に、せっせと枯れ枝や竹の切れ端を運び、協力して巣作りに余念がない。

巣を架ける位置からすぐ近くの伐採された山肌に舞い降りる。こんな光景は、巣作りの材料調達中の今しか見られないアオサギ君の勇気ある行動である。
どうかすると、あの大きな身体の自分よりもっと長い木切れをくわえて運ぶ。
受け取った一羽は、丹念に丹念に縦に差したり横に組み合わせたり。枯れ木に見える木の枝をも大きなくちばしで曲げ、引っ張り込んで組み合わせ段々厚くしていく。生きている木と組み合わせることで、風にも飛ばされない頑丈な巣に仕上がっていくのだろう。

考えてみると、そんな営みは我々人間と大きく変わらないのだと思う。
自分の身体より随分長い木を死に物狂いでくわえて飛ぶ姿は、自分の1ヶ月の給料の何十倍、何百倍もの投資で家を一軒構えるのと実によく似ている。そこで妻子と共に過ごし、得も言われぬ癒しを受け、仕事をする意欲をかきたてる。

そんな住処も、積み重ねた思い出も、一瞬にして根こそぎ奪っていく自然災害。
泣いても泣ききれない残念な想い、想像を絶する。

そんなことを考えながら巣の方に目をやると、ここんところの冬逆戻りの寒さに震えながら、二羽がひっそり寄り添っていた。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「照準併せて」

2011年03月24日 | つれづれ噺

        

お彼岸も過ぎようと言うのにぶり返した冬の寒さ。思わず背中を丸めたくなる。

こんな天候不順のせいか、向かいの小山のアオサギ君達の行動も落ち着いている。
昨年のお彼岸頃には卵を抱いていたように思う。それが今年は未だ巣作りの段階。
芸術的な巣作り、つがいの見事な連携による産卵・抱卵。そして一日に何度となく餌を運んでは、喉の奥から吐き出してヒナに食べさせる子育て。

雨にも風にも日照りにもめげない逞しさで、見事に成鳥に導く野生のドラマ。
さんざん楽しませてもらった昨年、一昨年。
それに味を占めて、今年はもっともっと観察したい。決してノゾキではない、生態観察なのだ。まあ結果は似たようなものか。

兎に角、話のタネになるように今年はついに、80倍ズーム双眼鏡をゲットした。
セットで付いてきた三脚は出窓に建てっぱなし。いつでも覗いてしっかり観察出来るように、照準を合わせてある。なかなかの優れ物だ。多いときには10羽があっちこっちに止まっている。

本音を言えば、これほどの倍率のカメラ望遠レンズが欲しいのだ。
でもねーそこまでやっちゃ夢がなくなりそうだ。夢はなくなってもいいから望遠は欲しい。
でもやっぱりねー。ボーナスが入らなくなって久しいしねー。

      ( 写真 : 出窓から向かいの小山に照準を合わせてある双眼鏡 )
   

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「喜びと不安と」

2011年03月23日 | つれづれ噺

遠く穏やかな瀬戸の海

望遠レンズを用いて

二階の窓から瀬戸内海を臨む癒しの空間に、今年初め頃から何やら基礎工事が始まった。高層マンションなど建てられたら、せっかくの遠景が遮蔽されるが・・・と不安だった。
ところが工事が進むに連れて、それほど高い建物ではないと分かってきた。
外装工事もほぼ終わり、工事用の囲いネットが取り払われた。二階建ての賃貸アパートが横並びで2棟建っている。幸いなことに、屋根は低く視界を遮ることもない。
これまで通り朝な夕なに海が臨めるのは有り難い。と、喜んでばかりはいられない。

ここ岩国は、山口県東部にある断層「岩国断層帯」の上にある。
山口県周南市から広島県大竹市まで、約44キロメートルにわたって断層が通っている。
いつ地震や地殻変動が起きてもおかしくない地帯である。

そうなると、いつも穏やかな瀬戸の内海といえども、地震と共に発生する津波はやはり怖い存在である。
平地のアパートの屋根を見下ろせる程度の高台ではあるが、それとて今回の東北関東大震災のような、想像を絶する津波が襲ってくればひとたまりもない。
太平洋や日本海のように外洋ではないが、ひとたび荒れたら何が起こるか分からない。
それが海であり、水の怖さだ。
死に物狂いで走って、娘や孫の住む高台にたどりつくしかない。

心地よい海風や眺望の恩恵を受ける身を、せいぜい海に感謝し、穏やかであり続けてくれることを祈るほかはない。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「できることを」

2011年03月22日 | ニュース・世相

        

いくらしゃかりきにがんばってみたところで、一人の力なんて高が知れたもの。
何人かが力を合わせることで、とてつもない大きな力を生み出す。
協力の協という字は力を三つ足してある。
そうは言っても、一人でも持ち上げる気力のない者が、二人寄っても三人寄っても持ち上げることは出来ない。
だから、気力のある仲間を見つける目を養わなければ・・・などと。

こんなことを身をもって感じたのは、まだ若かりし頃、自分を信じれば何でも出来る、と思い上がっていたころに足を踏み入れたPTA活動であったような。

今回のような、今を生きている人間だれもが体験したことのない大災害。
何かをしなければという強い思いはある。何をする?何が出来る?
今週末には所属するグループが年間行事のイベントを行う。そこで何か出来ないか?自分には口もある。手もある。仲間もいる。
義援金お願いの看板を作ろう、募金箱を設置して大きな声で呼びかけよう。
募金箱に寄ってきた人に褒め言葉の一つもかけてみよう。

避難所として使われている体育館の片隅で行われた、中学校卒業式。
“ 天を恨まず、運命に耐え、これからを生き抜いていこう・・・ ”
流れる涙を制服の袖で拭いながら、力強く宣言する15歳。

この声に応えるためにも、できることから始めなければ。
小さい小さいことかもしれない。目に見えないかも知れない。
たった一つの細胞になればそれでいい。

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「命名権」

2011年03月21日 | ニュース・世相

        

3人目の孫が誕生して20日目。この時点で「悠雅」というれっきとした名前をもらっていた。
子どもの命名権はもちろん親にあり、多くの場合生まれると同時に名前が付けられる。
どうかすると、男の子なら「OO」女の子なら「◎◎」と、生まれる前から名前が決まっている場合だってある。この頃では生まれる遙か前から性別もはっきりするようなので、名前も早くからはっきり決まるようだ。

我が孫の場合「千陽・ちひろ」「和来・かずき」「悠雅・ゆうが」それぞれに、親の思いや期待が込められた名前をもらっている。

ところで、東北から関東一円を襲った今回の超大型震災の名前というか呼称がいまだ明確でない。というか統一されていない。新聞の多くは「東日本大震災」。NHKは「東北関東大震災」。そしてネットを見ると最初に呼ばれていた「東北地方太平洋沖地震」となっている。この他にも、報道機関独自の呼び方もされているようだ。

豪雨・豪雪、台風、地震、火山噴火などそれぞれの災害に細かく決められた規模の大きさの基準がある。それらに照らし、一定以上の規模を有した場合に気象庁が命名する。
命名の目的として『気象庁は、過去に発生した自然災害における経験や貴重な教訓を後世代に伝承するとともに、防災関係機関などが災害発生後の応急、復旧活動を円滑に実施するため、大規模な自然災害に命名を行っている』とある。

ということは、命名権は気象庁にある。ところが中には、阪神淡路大震災のように、閣議で、口頭によって決められることもあるという。いずれにしてもどこかで早く統一した呼び方は出来ないものか。

呼称が統一されたから何がどうなる・・・というものではないが、国家を上げ、国民一丸となって復旧に力を発揮しようという時に、それぞれの報道機関がバラバラな呼び方をするのでは、なんかしら国民一丸の協力態勢に齟齬をきたすような印象を与えないだろうか。 ここにも国家の指導力の低下が見え隠れする。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「一仕事」

2011年03月19日 | 趣味・・エッセイ

        

所属する同好会の仲間が県の単位で一堂に会し、1年間の優秀作品を表彰される場に立ち会った。晴れの表彰式の進行役を依頼された。

表彰されるご当人にとっては、培ってきた感性や洞察力、さらには筆力といった総合的な実力を評価された結果での表彰である。間違いなく晴れ舞台である。楽しく華やかに、皆さんから大きな拍手を頂ける場面を多く作ること。それが進行役の本分であると心得ている。当然にぎやかな笑いも欲しい。

しかし、あの未曾有の東日本大震災からまだ8日しかたっていない。華やかな笑いや歓声を集めるにはいささか腰が引ける。不謹慎ではないか、と。
いっそ延期にしてくれたらいいな・・・と弱気が頭をよぎる。そうは思ってもやるからには何とか、表彰される方々を輝かせたいとあれこれ準備を整えて臨む。

逸る気持ちに足かせを付けて、抑えながら進行する。苦しい闘いだった。前半は。
でもこれはこれで、今でしか味わえない貴重な体験をしたのも確かだ。

なんだかんだ言いながら、チョンボもあったが、最終的には結構にぎやかな笑い声も聞こえた。
冒頭で全員の黙祷を呼びかけ、義捐金のお願いも声高らかにしたことで、被災された方々を冒涜したわけではないことを分かって頂きたい。と、申し開きをしておこう。

またひとついい勉強をさせてもらった。

コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい