「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「皐月つごもり」

2022年05月31日 | 家族・孫話

     

今年初めての挑戦として、4月下旬に苗を買って植えたカボチャさん。お試しということで2本しか植えなかったのだが、これが意外に順調に育って、しっかり弦を伸ばし、雄花雌花がたくさん咲いた。雌花は確実に実を付けているのに、花びらがしおれる頃になると実も一緒に枯れてしまう。
惜しいねー、せっかく実を結んだのに生長段階で生を終えるとは、淋しい限りである。

世の中は、コロナ禍衰退を見せない中でのG・Wとなった。遊びたくてウズウズした人も多かっただろうが、マスクは外せない、大勢の人並みは気に掛かる。そんなジレンマを感じる皐月のスタートではあった。
私にとっても、私たち家族にとってもまさに青天の霹靂。4つ違いの姉が突然の病死という思いもよらない寂しい5月のスタートとなった。G・Wの中で慌ただしく通夜と告別式を進めた。

亡くなった後の、ガス、水道、電気などライフラインの遮断。携帯電話、固定電話、テレビの解約等々。さらには住いの後始末など諸々を一手に引き受けるには、少し年を取り過ぎた感もあり、勘も鈍っていて正直云って、これまで経験したことのない大変な5月であったような。

そんな中でも、「人の一生の最期は一握りの灰となる哀れさ」「それを見守る親族の嘆き悲しむ様子」「だからこそ人の命とは大切であり尊いものなのよ」といったことを、中学1年になった孫君に自身の目で見届けさせられたことは、彼にとって生涯につながる貴重な体験になったのだろうと思っている。

次から次に対応しなければならないことがいっぱい出てくる5月であった。6月も四十九日の法要、納骨、永代供養願いなど、喪主としての義務が残されてはいるが、気持ちのゆとりを忘れず、枝葉を広げている夏野菜の生育と収穫を楽しみに、出来る限りの供養をして、姉を送り出して上げよう。

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「つぐなうって・・・」

2022年05月29日 | ニュース・世相

      
       元大関、朝の山関             元日本赤軍最高幹部 重信房子氏

🎵 窓に西日が当たる部屋は いつもあなたの匂いがする ・・・・・・愛をつぐなえば別れになるから・・・♫
これは、大ヒットしたテレサテンさん唄う「つぐない」という演歌の歌詞である。

この唄とはあまりというか、全く関係のない話である。が、まあ強いて言うなら「つぐなう」という言葉が出てくるし、果たしてこの言葉の持つ意味とは、いったいどんなものか。ちらっと考えてみたい。

大相撲の大関であった朝乃山が、コロナ感染対策で無断外出が禁止されている期間に、接待を伴う飲食店に複数回出入りしたうえ、日本相撲協会の聞き取りに対しうそをついたなどとして、相撲協会は6場所の出場停止と50%の減給6か月の懲戒処分を言い渡した。力士にとって出場停止処分は、その期間は全て黒星、負けたことになる。つまり番付は下がりっぱなしということ。
それが1年間6場所連続となれば、大関から幕下まで落ちると言うこと。それでも、7月に始まる夏場所で序の口あたりから土俵に上がることになった。再起への道が完全に閉ざされてはいなかった。

これが、相撲協会の規約を破った朝乃山の罪のつぐないということになるのだろう。個人的には、随分厳しい罰則であり、再起への道も険しいなと思う。それは、犯した罪の内容を考えてしまうから。
兎に角、相撲協会の規律違反であり迷惑をかけたのだから、マイナスから出直して罪を償う姿をこの目で見てみたい。

もう一人のお方は、かつて世界を揺るがせた、当時は超極悪人として世界中に指名手配された、元日本赤軍最高幹部という、思い出すだに背筋が凍る女性闘士である。逮捕されて20年の懲役判決が確定。その刑期を終え、東日本成人矯正医療センターから出所したという。懲役刑と言うからには収容先は刑務所かと思っていたらそうではなかった。
「半世紀前にはなったが、人質を取るなど、自分たちの戦闘を第一にしたことによって見ず知らずの人に被害を与えたことがあった。古い時代とはいえ、この機会におわびする。そのことを自分の出発点としてすえていきたい」と述べて頭を下げた。と新聞に書かれていた。そっか~これも一つのつぐないということになるのだろうね。

罪を憎んで人を憎まず、とはよく耳にするし納得する部分無きにしも非ずだが、直接的被害者になった人たちはどう考えるのだろう。つぐなうって難しいな~。

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「手も足も出ない、のか?」

2022年05月28日 | カープ一喜一憂

          

プロ野球5月戦線が佳境を迎えて、セントラルリーグの中では、3位につける我が愛する広島カープさん。目下貯金6、ウッシッシ!。
と思ったのはたった5日前。カープにとって文字通り鬼門のセ・パ交流戦が始まって5日が過ぎた。その間5試合が行われた。1つ勝って4つ負け。
早くも借金を3つ減らして残る貯金は3つ。戦いぶりはといえば、手も足も出ない大差の付いた負け試合。惨めこの上ない。

セリーグでは5勝・4勝を挙げているエース級であるはずの二人が、ソフトバンク相手に二試合で二人ともエースの片りんも見せず、完膚なきまでに叩きのめされる。序盤の3回を終えたところでテレビを切って畑の草取りに出る始末。反撃などという言葉も浮かばないお粗末野球。
相手投手のスピードにまるでついて行けない。こちらの直球も変化球も、まるで上から目線で見降ろされているかの如くはじき返される。
遠藤という6番手の投手が踏ん張ってようやく1つ勝ったら、昨年の最多投手に輝いた九里もダメ。大瀬良、森下もヘビに睨まれたカエル同然。

目下、ロシアによるウクライナ侵略戦争で話題になっている、自己防衛力の増強の中で「反撃能力」という言葉が使われている。最初は「敵基地攻撃能力」という言葉であったようだが、あまりにも直接的表現であり、先制攻撃の匂いがするという配慮から、少しゆるめな表現に変わっていった。
自身を守るには、言葉などどっちでもいい。守り通す力を蓄えること、守り通すには何を為すべきか、国民みんなでしっかり考えたい。

ちょっと比喩が大きすぎて物騒な話になりかけたが、そうではなくて、セリーグであろうとパリーグであろうと、おのれの持つ力を出し切って欲しい。少なくとも初めっからオドオドして独り相撲をとらないでよ、と言いたい。カープの強みである全員が繋ぐ野球を維持すれば、チーム打率は1位なのだからどこにも遜色はないはず。打者の繋ぐ意識までくじいてしまう序盤の戦意喪失の戦いぶりは惜しいよねー。

交流戦始まる前の6つの貯金が、いくつの借金となってしまうのか。それとも、一つでも二つでも貯金を殖やせるのか。
明日も含めて13試合ある。投げる選手でも打つ選手も、ファン孝行できる選手の出現が待たれる。遅きに失しないように!!

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「五月病、クリア!」

2022年05月26日 | 季節の移ろい・出来事

   

日本の棚田百選に選ばれるほどの代物ではないが、やはりこの季節、一度は目にしておきたい田舎の田園風景ではある。
しっかり水を張り、耕し、慣らし、代掻きをして早苗が植えられる。今年は気温が未だ上がり切らないせいか、田植えの時期も少しばらばらのようで、早苗がすでに整列して静かに揺れ始めている田んぼもあれば、静かに水を張られた表面に周囲の山影を写し込むだけの田んぼもある。
いずれにしても、これから4・5か月後には黄金色の稲穂がこうべを垂れる実りを迎える。

いつしか5月も下旬を迎え、ついこの間まで小学校最高学年として少し巾を利かせていた孫君も、中学校という少し窮屈な世界に入って2か月が過ぎようとしている。得意とする野球部に所属はしたものの、未だユニフォーももらえず、目下体操服の白Tシャツに黒の半パンで、球拾いにボールボーイに汗を流している。そうは言っても、レギュラーとして活躍している選手は、小学校時代の顔なじみや先輩なので、たまにじゃれたりしながら楽しんでいるようだ。いわゆる生活が大きく変化する5月病に悩まされることなく過ごしている。

ジジとしては、小さな早苗が水に溺れないように、さざ波がたてば両手を広げて風を防いでやりたくなる。が、そこんところを抑えて今はただ黙って見守ってやっている。ババの方は、時折学校帰りに寄って「腹減った、何かある?」という食べ物催促にすぐに応えられるよう、好みの食材を準備しているようだ。
お米とは違ってこちらの実りはいつになるかはっきりしない。1年先にどうなっているか。先ずは努力が続けられているか、中学生野球について行けてるか。こんなことを楽しみに、ひたすら応援するだけである。それは、孫君の応援でもあるが、その前に自分自身が元気で丈夫な身体を維持していなければならないということ。結局は自分の健康を応援するということにつながる。

田植えの済んだ早苗は4カ月先。孫君の将来は当面1年先、そしてその後の将来は永遠に。さてジジの将来はあと何年??孫君のどこまでを見守ってやれるのか。楽しみと不安が入り混じる、早苗が風に揺れる季節である。

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「風に揺れて」

2022年05月24日 | 季節の移ろい・出来事

         
                       

いつもなら孫ちゃんや孫君に誘われて歩く田んぼ道。今日は一人で日差しの中を少しだけ歩いてみた。
4月の終わりに植えられたレンコンが水面に新芽を出し、お行儀よく一列に並んで、小さな葉っぱが皐月の風に揺れている。
このお行儀良い行列が見られるのは今のうちだけで、やがて縦横無尽に枝葉を伸ばし、田んぼ一面が青葉に覆われ、秋の収穫を予感させる。
別に我がものでもないのに、レンコンの出来栄えを気にしている。というのもこの季節の田舎の田んぼ道は実に爽やかである。

レンコン苗を植付ける田んぼづくりに散々苦労した小型フォークリフトが、腕を休めるようにコンクリートのあぜ道で骨休めをしているのもまたのどかである。明日は早苗が一列に並ぶお米の田んぼを散策してみたくなる。

こうして苗を植え水を張り、時期を見て肥しを入れて成長を促す。やがて「いわくにれんこん」というブランドに乗って全国を駆け巡る。
そんな予想をしていても、台風や大雨被害で見事に予想が裏切られたり、逆に雨不足の上に太陽が照り過ぎて不作となったりする。
年間の天候に恵まれて、予想通り順調に生育するのは難しいことである。どんなに頑張ってもお天様のご機嫌に逆らうことはできない。

今日のニュースでもあったように、知床観光船の沈没という大惨事に対して、日本サルベージ会社が海底から一旦海面近く吊り上げていた事故船体を、引き揚げ港に運搬する作業中に、吊り上げていたワイヤーから外れて再び水深120mの海底に落下させるという、考えられないような事態となっているという。世の中何が起こるか予測の付かない現代社会ではではあるが、このような人災は何とかならないものだろうか、と嘆いてしまう。
生きることへの執念、仕事に対する献身的な緊張意識、責任感etc。何かが欠落しているんじゃないかねー。

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「小鼻を膨らませて!」

2022年05月22日 | 晴耕雨読

       

左肩の故障で入院話が決まってから入院するまでの間に、ホームセンターにちゃんと予約しておいたタマネギの苗を植えた。
根付く前の頼りないヒョロヒョロの苗を見ながら手術入院となった。家を空けること47日。暮れの30日に帰宅したとき、タマネギは主の帰りを待っていたかのように、なんとかそれなりの成長を見せていた。

年があけて間もなく「寒肥え」を施した。タマネギは、植えてから約2カ月後の寒の時期に、1本1本の根っこの周りに肥しをやる。
タマネギ専門の肥しでもいいし、一般的な油粕でもいい、丁寧に根っこの周りにまいてやる。それから約5ヵ月。今日の日差しを活用して引っこ抜いた。
写真の如く先ず先ずの収穫。この時ばかりはちょっと小鼻を膨らませて「やったじゃろう」とは言わずに「まあこんなもんだ」と山の神に見せておく。

タマネギとジャガイモは家庭料理の王様であり、今年は1玉100円もする高値だったこともあって、これほどの収穫は、地域活動にうつつを抜かして走り回るアタシの面目を施したようである。また、このくらいの作業で少しずつ肩を慣し、身体全体を慣していかなければ、今か今かと待っている草刈り機の出番に手を貸せない。

夏野菜のキューリもトマトもスイカもカボチャも順調に成長しているが、一番の愛好者であった孫の三男君が中学生になって段々我が家に寄る回数が減った。寂しいことではあるが、これが彼の成長の証であり、私たちが老いていく証なのだから仕方が無い。トマトもキューリも出来はじめたら一気に鈴なりになる。そのときもまた小鼻を膨らませて、せっせと冷凍庫にしまって、少しずつ賞味させてやろう。

梅雨を前にして、何かと忙しく楽しみな季節でもある。

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「少しだけの恩返し」

2022年05月21日 | 季節の移ろい・出来事

普段は多くの先輩ブロガーの皆さんから、素晴らしい力作写真を見せて頂いています。感謝しています。
カメラはそこそこの代物なのですが、腕の方が追い付けなくて、思うに任せない写真でお目を汚しています。
そんな日々のお詫びと、感謝の気持ちで、近くのバラ公園に行って来ました。今を盛りと艶やかに咲く花、ホンの少し峠を越した感じなど色々なバラの素顔を見てきました。恩返しにも洒落にもならないかと思いますが、片目をつぶってご覧いただければ有難いです。

 
           赤(紅)                白(純白)                  黄色(幸せの黄色)
  
             青空に向かって                           幸せのローズ・ロード
  
            姉妹かしらね~                          世界の幸せを願う黄色いバラ  

          
                                                   色とりどりに咲き乱れて訪れる人に微笑みかけている

地面にくっきり影をつける快晴の5月、太陽と咲き誇るバラに癒されて、気持ちの底から一息ついたバラ園散策のお粗末。

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[新年度スタート!]

2022年05月20日 | 地域活動

              

毎年5月に行われる地域活動の定期総会を、3年ぶりに対面による会議方式で開催した。
過去2年間は対面形式では開かれず、年間事業報告、活動報告、会計報告、それに新年度に向かう事業計画、予算案などの総会議案書は作成した。それを役員さん全員に配布して、賛成・反対の書面による議決方式を取ってきた。
今年度は、コロナ感染拡大の様子を見ならがの苦しい決断ではあったが、可能な限りの時間短縮形式で実行する判断をした。

会場の作り方にも様々な工夫を凝らした。テーブルを極力少なくして、椅子席にして間隔を広げたソーシャルディスタンスの確保。窓の解放による空気の入れ替えなどなど。そんなこんな何かにつけて事務局長さんの仕事は増えるばかり。しかもこれまでにないやり方も取り入れて時間の短縮を図る。
基本的にはシャンシャンの賛成多数で全ての議案が可決承認となるのだが、問題は今日から本格的に始まる新年度の活動の内容である。

高齢化はとどまることを知らず、日々の生活の中でご近所のちょっとした気遣い、支え合い思いやる心が大切となってくる。そういった雰囲気を醸し出す役割が地区社会福祉協議会の基本線である。という私自身も紛れもない高齢者である。老々助け合いは笑い話になりそうだが、笑ってばかりはいられない。独り暮らしのお隣さんから簡単な買い物を頼まれればお手伝いをする。ときには傾聴ボランティアも。
出来ることを、できる人が手を貸してあげる。言うは易し行うは難し。

何はともあれ新年度はスタートした。何が出来るのか、何が求められているのか。目を開き、耳を澄ませて周囲を見回す。具体的な活動につなげていく。もうひと踏ん張りだろうか。出来るといいね。

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「楽しみ、スルリ!」

2022年05月18日 | 宴会・会食

               

花よし、緑良し、時や佳し。間もなく菖蒲の開花をみる絶好の季節。
同じ釜の飯を食った仲間が定年退職して、職場を離れた新たな仲間意識が醸成される。その名を岩国工場定年退職者の会という。
300人近い会員がいて、6月初めに行われる総会にはおよそ半分が参加して旧交を温める。参加していない人の消息や近況を噂したりする。

酒類が欲しいとは思わないが、大きなホテルの大宴会場に昔の仲間が集い、美味しい料理に舌鼓を打ちながら思い出を語り合う。赤面したりちょっといい気分にさせられたり。「あんたは、あまり汗をかかない楽な職場を渡り歩いたね」などと人の苦労も知らず大きな声で吹聴する同輩。この雰囲気が好きなんだね~。

などと呑気なことを考えている矢先に、葉書が届いた。「コロナ禍対策のため今年度総会は中止とします」という。
なんとこれで3年連続の中止である。それでなくとも定年退職者の会なのだから高齢者の集いであることは言うまでもない。ア~~アまた中止なの?。
気分転換の絶好アイテムとして楽しみにしていただけに残念である。憎い憎いコロナにまたまた楽しみを奪われた。

それに、丸3年を経過するということは、少しでも病と闘っていたりすると復帰は難しくなる。会社側も、大枚を援助してOB会を維持する魅力に欠けてくるだろう。結局は解散という最悪の事態が見え隠れする。あの人は元気だろうか。あの人はどうしているじゃろう。などと他人の心配をするより我が身を大切にしなさいよ、ということになる。
昭和・平成を支えた企業戦士の末路まで先細りにするコロナとは、ほんとに本当に無粋なヤツである。

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「あれから半年」

2022年05月16日 | 健康イチバン!

                   
                   厳しい入院生活を思い出す。

「苦しかったな~」「こんなノー天気な私でも強烈なストレスを感じたな~」と思い出すのが、あの左肩腱板断裂修復手術の一連である。
昨年11月14日入院。翌15日が手術。その夜から約24時間、唸るような痛みにさいなまれた。今日はあの手術執刀の日から丸半年と1日である。
手術前の担当医の説明で「完全復帰までに半年はかかりますよ」と明言された。リハビリ担当の療法士さんからも「全治半年は覚悟してください」と念を押されてきた。

あの日から半年が過ぎた。自分なりの判定では完治など程遠い話。まだまだゆっくり時間をかけて左腕全体の可動域を広げないと、痛みはそこここに残っていて未だ半人前状態である。これは誰のせいでもない。自己責任が大きなウエイトを占めていることは本人が一番よく心得ている。つまり家での辛抱強いリハビリが不足しているということ。安きに走り難きを避ける典型的なエゴイズム。身勝手。

自家用リハビリの色んな方法を教わってはいる。それなりのグッズも手にしている。あとは実行・反復・継続・・・これが出来ていれば、もっとあれこれ可動出来るのかもしれないが、少し無理な動きをすると脂汗が流れ、自分でやって自分でアイタタッ!と訴える。すぐに勝手に辞めてしまう。これがいけない。分かっちゃいるんだけど、などと甘えてちゃ益々回復が遅れそう。

リハビリに行くと、かなり厳しく曲げ伸ばしされる。そのたびに顔をしかめ、身体をよ痛さを痛さを耐える。これを自分ちでもしっかりやればいいのにね~。

自分で自分に活を入れるのが特にこの頃は億劫になってきた。そのくせ、孫君や他人に対しては結構言いたいことを言っているんじゃないだろうか。人が嫌う典型的な「勝手ジジイ」を演じているのかも。あ~イヤダイヤダ!

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