「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「期待に胸ふくらませたが・・・」

2011年10月31日 | 旅行・レジャー

      
     福山市、福禅寺対潮楼、客殿からの眺望は鞆の浦を代表する景観。
          
          対潮楼扁額         日本一の常夜灯       復元されたいろは丸

市民活動団体の交流会に手を挙げて日帰りバス旅行に参加した。
一つには、行き先が広島県福山市鞆の浦であったこと。一も二もなく手を挙げた。
鞆の浦といえば、知る人ぞ知る歴史豊かな港町。瀬戸内海を航行するする船の潮待ち港として栄えた。今ひとつは、憧れの坂本龍馬活躍の跡がそこここに残る町であるということ。それだけの動機で充分である。期待に胸がふくらんだ。

先ずは、かつて朝鮮通信使を歓待するために、鞆の浦最高の絶景を選んだという、福禅寺客殿となる対潮楼。あいにくの小雨が、ここでは格別の演出効果を発揮。その絶景が、一段と心に沁みる思いで飽かず眺めた。眼下の潮流渦を巻く瀬戸には、坂本龍馬海援隊の初仕事である「いろは丸」が復元され、観光客を乗せて仙酔島への往復を重ねる。

慌ただしい日程に追われ、日本一の常夜灯、今で言う灯台に馳せ参じるのが精一杯。
いろは丸記念館も、龍馬と紀州が日本初の海難審判に及んだ交渉跡も、龍馬が宿泊した桝屋邸も見られずじまいであったのは誠に残念。
今一度、この足でゆっくり踏破したい夢を残す結果と相成った。いつか行こう!

昨年の朝ドラ「てっぱん」の舞台となった尾道。はるか頭上には、小雨にけぶる千光寺を仰ぎ見る。しっかりしたアーケード商店街も、至るところシャッターが降りている。
朝ドラ人気も一時のものらしく、かつては中心街として賑わった面影は遠い昔。
いずくも同じ秋の夕暮れに思いを致す。

次いで竹原。平安時代には京都下鴨神社荘園となった歴史から、安芸の小京都と呼ばれているだけあって、古い街並みには重々しい雰囲気を感じさせる建物が並ぶ。
江戸時代には、製塩や酒造で繁栄したという。当時の名残の豪商屋敷の街並みは「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、大切に保存されている。

この町も、今一度ゆっくり歩いてみたくなる誘惑に駆られる。名前が竹原だけに、竹のアートはお見事、至るところで目を引いた。
大いに郷愁をそそる三箇所巡りであったが、欲張った感は否めない。期待が大きすぎたこともあって、いささか消化不良。いつか改めてしっかり噛みしめてみたくなった。

竹原の街並み安芸の小京都 
初めて見る黒いポスト

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「柿食えば・・・」

2011年10月29日 | 趣味・・エッセイ

        

       柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺      子規

一つ減り二つもがれて、残り少なくなっていく柿の実。暮れゆく秋の象徴を思わせる。
店先に並べられた柿の横で、段ボールに「柿食えば金がなくなる法隆寺」と殴り書きしてあった光景を思い出す。そう言えば、中学校の日帰り遠足だったと記憶する、瀬戸内海生口島(いくちじま)にある、浄土真宗本願寺派耕三寺を訪れてしばらくは「柿食えば鐘が鳴るなり耕三寺」と囃し立てたものだ。
 
刈り取られた田んぼを見ても、柿の実が減っていくのを見ても、山肌が色づき始めるのを見ても、目に入るもの全てに晩秋を感じずにはいられない。
そんな時季に恐縮ながら、秋真っ盛り、小学校運動会風景を思い出して頂く仕儀と相成った。“またか・・・”と思われる向きもあろうが、片目をつぶってお付き合い頂けると有り難し。

「熊手のかすがい」

『 朝6時、ドーンと花火が上がる。小学校運動会決行。我がことのように色めき立つ。
 手作りのいなり寿司や煮しめ、冷やした果物などをひっさげて決められた見物席へ急ぐ。
 プログラムと首っ引き。カメラ構えて右往左往。
  やがてお昼。2人の孫を囲んで両親と双方のジジババがそろって大人が6人。
 お隣は子供1人に大人が7人。そのお隣も大人が9人。会話がはじける。

 「子はかすがい」とは両親をつなぐ役目をいうが、孫という名のかすがいは、ジジババに限らず親せき一同をも、熊手のような末広がりに    つないでくれる。』

                   毎日新聞「はがき随筆」 掲載

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「色あせぬ友の輝き」

2011年10月27日 | 趣味・・エッセイ

      

この秋、五十数年ぶりに本格的な稲刈りに汗を流した。同級生の友の作業の手伝いなのだ。
 彼は農家の養子だが、繊維製品会社に勤めた後、文字通り定年後の六十の手習いで、約5千平方メートルに及ぶ米作りに挑んだ。
 その悪戦苦闘ぶりを同級生が集まる飲み会のたびに聞いていた。
 
 昨年までは「あまり無理をするなよ」と冷やかし半分で終わっていた。
 今年4月、そろそろ古稀を迎えるに至り、彼らと語らって「体力減退はお互い様。少しでも手を貸そうではないか」と手伝うことにした。

 私の場合、本格的な稲刈りは小6の時以来のこと。足手まといにならないようにすれば、枯れ木も山のにぎわいだ、それらしい仕事があるだろうと開き直ってもう1人と一緒に臨んだ。

 先月末、現場に着くと「これがあんたたちの仕事」とカマを渡された。
 コンバインがターンしやすいように田んぼの四隅を手で刈り取る。
 「こうやれば簡単だから」と3株か4株刈るのを教わった。手伝った2人の作業は夕方まで続き、16カ所も手で刈り終えた。
 「ありがとう、お陰で仕事が3倍はかどったよ」と彼の声は弾む。
 こちらは体調回復に3日はかかったが、あの笑顔ですべて帳消し。

 出会いから半世紀以上。愚痴も自慢も織り交ぜて、いまなおさりげなく寄り添える友は、稲穂に勝る黄金色の輝き。

         2011.10.27 朝日新聞「声」 テーマ「親友」 掲載

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「どうしても好きになれない」

2011年10月26日 | つれづれ噺

       
        あこがれのユンボに乗って、ちょっと緊張の悠雅くん

予約した時刻に行っても必ず待たされる歯医者さん。
所在なく雑誌などめくりながらしばらく待つ。 私ま~つは いつまでもま~つは・・・。
しばらくすると「OOさん、大変お待たせ致しました、どうぞこちらへ。3番のお席へどうぞ」
にこやかなうら若き女性に案内されて、処置室の診察椅子に座る。

ちょっとした問診から始まって、「倒しますよー」診察椅子は倒される。まな板の鯉。
「歯石・歯垢取りますから痛かったら言って下さいね」「開けて下さーい」「・・・ ・・・」「もう少し大きく・・・」緊張は最高潮に達する。身体は硬直し「早く終わって・・・」と祈る。今始まったばかりというのに。
ギリッ、ガリガリ、ゲジゲジ、カキッ 歯を削る色んな音が聞こえる。息を止めてガマンする。

♪♪ 可愛いふりしてあの娘 わりとやるもんだね と・・・ ♪

ふとそんな歌詞が思い出される歯科衛生士さん。笑顔のわりに力強くゲリゲリ・ガリガリ。

6月下旬から通い始めて、実質虫歯1本の治療。他は歯周病対策の歯茎治療。そして、歯石・歯垢の除去。4ヶ月でたまった領収書14枚。よくぞ辛抱したものだ。
たまった領収書

ようやく一通り終えた。2週間後に経過を看てもらって、問題なければ3ヶ月毎の定期健診に移行する。まるで重症患者並みの扱いだ。
でも、これをサボるとさらにまた痛い目に合うことになりそう。サボるまい、と覚悟を決める。
にこやかに招じ入れられても、硬い固い金属器具で引っかき回される。
何回通ってもどうしても好きになれない歯医者さん。若い技工士さん、口腔衛生士さ、そして男先生ごめんなさい。 や~れ、当面終わった!

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「よこがお」

2011年10月25日 | つれづれ噺

        

あの著名な彫刻家「澄川喜一先生」。
生まれは島根県だが、岩国工業高校卒業ということもあって、岩国に何度もお越しになる。とっても気さくな、隣のおじさん的な優しい横顔をお持ちでいらっしゃる。

ご存じの通り、東京芸術大学を卒業、そのまま助手として芸大に残り、やがて助教授・教授そして学長へと順風満帆の芸術の道を歩まれた。
岩国錦帯橋などの伝統的建造物や日本刀から着想した連作「そりのあるかたち」で知られている。(中国新聞)
来年5月の営業開始に向けて工事が進む、東京の新名所「東京スカイツリー」のデザイン監修も手がけられていることも有名な話。
そんな澄川先生が、新聞の教育欄で「私の師」と題した談話を発表されていた。

澄川先生の「師」とは、芸大入学で出会った平櫛田中教授である。
「芸大というのは、芸術を教えたり、教えられたりする場所じゃない。探せ、自分を探せ」といわれた、当時80歳であった平櫛田中教授の言葉が、その後の人生で何かにつけて思い出されると言われている。

「芸術の本質は、名品や優れた作品を、手にとって、触って感じられるもの。インターネットで調べれば見た気にはなるけど感じていない」と。また、「80歳を迎え、芸大で初めて出会った平櫛先生の年齢になった。今でも仕事を続けているのは、次の作品が前より絶対に良くなるはずだと思うから。若い人には負けられない」と意気軒昂である。

短い言葉ながらいくつも参考になる基本が隠されている気がするために、柄にもなく、超一流人物の言葉を敢えて引用させて頂いた。
一度だけ、近くで肉声を聞き、簡単な紹介をされて控えめに挨拶したこともある。
そんなご縁もあって、澄川喜一デザインによる、岩国シロヘビをモチーフにしたタイピンを大切にしている。
時には胸に付けて『次の作品が前より絶対に良くなるはずだ』と自らに暗示をかけてみようかな。それでも実力以上のものは出ないのであろうが。

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「グランドに響く笑い声」

2011年10月23日 | つれづれ噺

     

46回目という、我が住む町の自治会連合会体育祭に誘われた。
年に1度の行事だから、第1回目は46年前だ、ということはつい先頃終わった山口国体の、前回大会から2年後にスタートしたことになる。

随分な歴史である。その間どれだけ多くの人が知恵を出し、汗を流し、試行錯誤を繰り返して来たのだろう。そういったたゆまぬ努力が、一つ一つ実を結んで、今日の笑い声がグランドにこだまし、笑顔はじける楽しい行事に発展してきたのだろう。

行政サイドから発信される、市スポーツ振興会の指導を受けたり、地域の体育推進委員会などで独自の案が出されたり、色んなケースを踏まえてきた。
及ばずながら、小生もその立場に立った時は精一杯の努力を惜しまなかったと思う。

この体育祭は元々10月第3日曜日に設定されていた。
一方で、年々華やかに発展してきた「岩国祭り」が、同じく10月第3日曜日であった。
会社を挙げて岩国祭りを盛り上げるため、総踊りに出演することになり、地区体育祭から遠のく事になる。当然家族も岩国祭りを見に来る。

そんな折り、「自治会体育祭を1週間ずらせたらどうか」という意見を臆面もなく述べた。
予想通り「何を言うか、こちらが先に始めたのだ、岩国祭りが日にちを変えるのが筋だ」と、自治会長老にたしなめられた。「岩国祭りも、自治会体育祭も、市民を楽しませるためにあるのではないのか、それなら市側と交渉してくれ・・・」と食い下がったと思う。
それから5・6年後、ようやく体育祭が10月第4日曜日に落ち着いて、地区住民は、祭りも体育祭も両方楽しめるようになって今に至っている。

そのとき、どれほどの淋しい思いをしたことか。これも、永い歴史の中で今だから話せる体育祭の隠れた一コマである。

「けつあつ測定」と称する、ふくらませた風船をお尻で割ってゴールする、まさにお母さんのけつあつを試す競争。ポンポン花火が上がるような音を立てて風船がはじける。
子ども達がヤンヤの声援を贈る。親も子も必死になれる貴重な一日となる。

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「長寿座右之銘」

2011年10月21日 | つれづれ噺

      

暑さ寒さもほどほどで、天高く澄み空気が美味しく、気持ちよくお腹が空く・・・。
すべからく心地よく過ごせるこの時季。つい調子に乗って食べすぎのきらいがある。
同じ心地よい季節なら、食欲に目覚めずとも、燈火親しみ書物にいそしめばよかろうものを、と我ながら思う。残念ながら思うだけにとどまっている。

ここに掲げる「長寿座右之銘」。
ひらったくいえば「長生きするために心得ておくこと」は、今さら言うまでもなく、手垢にまみれた耳タコの話であるが、何故か今一度チラッと頭の片隅においてみたくなった。

先ず最初に出てくるのが「肉食系より草食系が長生きするよ」ということ。
多少の反論なきにしもあらず。動物性タンパク質は元気に生きるための欠くべからざる必須栄養源である。多少寿命を縮めることはあっても生涯肉食系でいたい。
草食を嫌うなどということではなく、肉食系でいたいということかな。

それ以外は「少煩多眠」「少言多行」「少車多歩」など全て反論なし。おっしゃる通り。
但し、これは「長生き」をするための心得である。
そこへもってきて、元気に長生き・楽しく長生き・快適に長生き・・・などという付加価値を見出すとすれば、意外にこの通りが全てとは言い難い部分もある。

しかしまあ考えてみれば、理屈を述べれば色々あるが、先人の教えに逆らうのは得策でないことも充分承知である。
何事も、欲するを控えめに、思い遣る施しを前面に出して、気持ちを豊かに生きる。これこそが、快適な人生であるという悟りを開け!!と教えられていることを肝に銘じよう。

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「秋・安芸の宮島歴史探訪」

2011年10月19日 | 旅行・レジャー


   本殿回廊から大鳥居(国の重要文化財)をのぞむ


    豊国神社(重文・千畳閣)横にそびえる五重の搭(重文)

世界遺産(文化遺産)、日本三景の一つ宮島。
『平安の雅を今に伝える歴史と浪漫の島』と謳われる安芸の宮島。

絶好の秋晴れに恵まれて、エッセイ同好会御一行様13人。ワイワイガヤガヤ「宮島歴史探訪」と洒落こんだ。その名の通り、単なる見物にとどまらない延々6時間の行程。
まさに、平安絵巻から近代に至る史実をひも解きならのおよそ11000歩。
厳島神社本殿はもとより、中国地方の覇者「毛利元就」の戦いの史跡をめぐり、島内に点在する神社仏閣の故事来歴をこの足で踏みしめる旅。実に面白かった。

見れども観えず、聞けども聴こえず・・・。これまで何度も渡った宮島であるが「美しい・素晴らしい・よくぞここまで・・・」などの感嘆詞に留まっていた。
その美しい・素晴らしい背景にまで思いを馳せるに至ったことは,残念ながらなかった。

ところが今回はいささか趣が違う。牛に引かれて善光寺参りならぬ、リーダーの力強い統率力に引かれた宮島詣で。詳細な宮島資料が事前に配布され、あらかじめ多少の予備知識を持って出かける、という周到な準備がなされた。
その並々ならぬ努力を仇やおろそかには出来ない状況にあった。

ポイントで説明するリーダーの声を、一般観光客が聞き耳を立てる場面もあった。
プロセスはどうあれ結果的には、お互いが単なる物見遊山にとどまらない、奥行きのある宮島観光を満足したということ。そして、人の御坊で法事をするわけではないが、これから後、遠来のお客様を迎えた時など、如何にも知ったかぶりして宮島観光案内が出来るという力を得た。

その前に、我が住む町岩国をもう少し掘り下げて、歴史や観光のウンチクが述べられるよう腕を磨かないといけないかも。
岩国検定をもう一度じっくり掘り下げてみたいものである。

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「いわくに祭り」

2011年10月16日 | 季節の移ろい・出来事

       

10月16日、恒例の岩国祭り。
10月の第3日曜日と前日の土曜日は、岩国駅前一帯を会場とする数多くのイベントで盛り上がる。岩国駅から西に延びる、片側2車線の国道188号は、朝から骨董品など雑多な出店や食料品のお店など、所せましとひしめき合う。その隙間を縫うように、右往左往する大勢の見物客で埋め尽くされる。

午後2時半にはそれらの店が一斉に閉店、後始末をし、道路は元の邪魔物のないきれいな路面にもどされる。そこへ、天然記念物岩国しろ蛇保存会の御神幸として張り子の大蛇が練り歩いたり、地元の山車が太鼓を打ち鳴らしてまかり通る。といった具合。

その後、約30分を岩国市長を先頭に市職員・海上自衛隊・金融機関・電力会社などの、「岩国総踊り」が繰り広げられる。
コウレイの岩国祭りと入力したら、先ず出てくるのが「高齢」の文字。まさしく高齢化社会を絵に描いたように、子ども達の参加も見物も今までより少なく淋しい思いを隠せない。
同時に、参加団体の減少もあって、どことなく華やかさに欠ける気がするのも、長引く不況の影響をそこはかとなく感じさせるせいだろうか。

所得倍増・高度成長華やかな頃。我が岩国工場も100人規模の踊り子を出して祭りを盛り上げていた。若手のバリバリで踊っていた頃、当時の工場長に「岩国を代表する企業という割には、浴衣の帯が腰ひもでは恥ずかしい。せめて角帯にしてもらえないか」と直談判に及んで、翌年から改めてもらった。そしたら、女性の衣装はそれまでより飛びっきり華やかになったことを思い出した。考えてみれば、カッコよさを求めたのにはそれなりの個人的理由があったのかな。ひょっとしたらやがて家族になるかもしれない人が見に来るとか・・・。

血気盛ん、怖いものなしの時代もあったような。
『あれから40年…』 は、中高年のアイドル、綾小路きみまろのキャッチフレーズだが、文字通りあれから40年。朝から晩まで、2歳半の孫をひたすら守りをする忙しさに追われ、第55回という岩国祭り見物で終わってしまった。所詮このような貧乏クジが性に合っているのかも。

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「栗、しぶかわ煮」

2011年10月15日 | 季節の移ろい・出来事

      

     栗飯や 病人ながら 大食らい       子規

お腹がすく。病人といえどもお腹はすく。大食漢であったという正岡子規の心情。
食欲をそそるこの時期を象徴する、簡潔にして明瞭な一句である

手間暇かけて栗の渋皮煮が出来つつある。
大粒の栗が売られているお店へ、朝からわざわざ買い出し。その中からさらに大きい粒よりを選ぶ。先ず鬼皮を剥く。これが大仕事。内側の渋皮を傷つけないよう、丁寧に、後生大事に鬼皮を取り除く。包丁持つ手がしびれる。と、言うのを黙って聞いている。
栗ご飯やお煮しめに使うのなら、鬼皮・渋皮一緒に剥いて、中の実だけを取り出せばいい。
そう簡単に行かないところに、渋皮煮の深い味わいと上品さがある。と、食べる人が言う。

火にかけて、炭酸を入れ煮込む。次々出てくる泡を、付きっきりですくっては捨てる。
これ以上はこの目で確かめてはいないが、まだまだ相当な手間がかかりそう。

出来上がったのを賞味するするのは明日の午後になるのだろう。
それにしても、あのフン詰まりになりそうな渋皮をつけたままの栗を煮込んで、姿・形をを崩さないまま、名状しがたい味に仕上げるなどを誰が考えたのだろうか。

よほど口の肥えた宮中人が、気まぐれに所望した栗の美味しい食べ方に、料理人が必死に応えようとして編み出したものか。
それとも、愛する君に格別美味しいものを食べさせようと、甲斐甲斐しく思いを巡らせるうちに編み出されたものなのだろうか。

単に、ネットからレシピを取り出してプリントしただけのこの身。
ひたすら低姿勢で有り難く頂くことにしよう。

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