「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「この一年…」

2009年12月31日 | つれづれ噺
2009年最後の一日。
カーテンを開けると外が見えないほどの結露。「冷えてるな…」窓を開けてみる。
オオッ!珍しい、雪が舞っている。はにかみながら薄めの雪化粧。まるで1週間遅れのクリスマスツリーがあちこちに。
今年の諸々を振り返って、少しはお化粧でもして汚れた世の中を綺麗に見せようと努力するお天道様の心意気なのだろうか。

そして自分なりにやはりこの一年を振り返ってみたくなる。
といってもこのブログのお陰で、その時々の思いはその都度記してきたから、二番煎じの感は免れないが、頭の中を・胸の中を新鮮によぎる想いが色々ある。

母の喪に服して、初詣も柏手もないお正月を静かに過ごした。
2月には、6才になった孫にせがまれるまま東京タワー見物に出かけた。現役の一時期を過ごした東京。この得体の知れぬマンモス都市は、母の喪を抱えてうつむき加減に過ごすこの身を一気に元気づけてくれた。4月には母の命を受け継いだのか3人目の孫に恵まれた。これがまた掛け値なしに愛しい。またひとつ元気をもらう存在である。

その弾みをくらったわけではないが、6月にはヨーロッパ旅行計画。夫婦揃って長期間家を空けることにためらいがなくなったお陰もある。

フランス・スイス・ドイツ、3カ国をめぐるにはあまりにも短い10日間ではあったが、見る物聞く物全てが初物づくし。歓喜と感動が押し寄せる日々に圧倒されそうであった。何度もないチャンス、思い切って踏み出したらそれはそれは生涯ものの思い出を作ってくれた。

青春のかけらがちりばめらた、2年に1度開かれる元の職場OB会。少しだけ力を入れて切り盛りしたのが9月。

10月には中学校同期会を持った。3月始めに準備委員会、その後7ヶ月間、幹事が集まってはあれこれ相談を繰り返す。その甲斐あって、終わってみれば結構あちらこちらから嬉しい反応が寄せられた。次回を3年先…とブチ上げた手前、向こう3年何が何でも元気でいなければ様にならない。先ずは成功で安堵の胸を…。

今年も自ら踏み出した大きな一歩もある。新聞記者まがいのタウンリポーター。
これは正直、はまる仕事ではある。4月におっかなびっくりでスタートしたが、年内で36本の掲載をみた。

そして今ひとつ思い切ってお友達の輪を広げたこと。ブログを通じての仲間が幅広くなり、色んな楽しいお話が出来ること。これは説明のしようがないほどの心の財産である。ときめきでもある。
この程度の取るに足らない展開ながら、ホンのちょっと足を止めて立ち寄って下さる貴重なお友達を今後益々大切にしていかなければと思っている。

今年一年を象徴するかの如く、ダラダラと自分の思いだけを並べてみました。
お忙しい中お付き合い下さって恐縮です。この一年本当に有難うございました。

来年も、これ以上もないこれ以下もないブログになろうかと思いますが、どうぞお暇な折りにはお立ち寄り下さることをお願い致しまして、今年の締めくくりと致します。

本当に有難うございました。どうぞ皆様佳き年をお迎え下さい。

       ( 写真: 窓の向こうは雪景色 )


コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「去年と比べて」

2009年12月30日 | つれづれ噺
たった一年前の年末と、今こうして目の前にしている年の瀬の心境を少し考えてみよう。
身辺色々な変化がある。生身の人間が1年間生きてきたのだから、あれこれあって当然であろう。

そんな中でも最も大きな変化は、大口の源泉徴収票が今年は来ないことか。
昨年までの5年間、年間120日前後勤務する非常勤にいそしんだ。ヒマを持て余しもしない、さりとて遊ぶ時間に事欠くわけでもない。その上お小遣いに不足はなかった。

その仕事も昨年末で自ら身を引き、晴れて100%自由時間を得る道を選んだ。
ところが、完全リタイアして時間的拘束から解放され、いよいよ自由な身になったはずなのに、振り返ってみるとやっぱり忙しく、時間に追っかけられる一年であったとつくづく思う。
昨年11月までは母が存命。病院に見舞う時間もたっぷり取れていた。

その母もいない今年、有り余る時間のほとんどを自分のためにだけ使えたはず。
なのに実感が伴わない。どこに、なにをして、時間をばらまいてきたのだろうか。

「小人閑居して不善を為す」耳タコの言葉ながら、結局、余裕の時間を上手に使いこなす計画性に欠け、工夫に乏しかったということなのだ。しかし、忙しかったという中には、自分自身が目一杯楽しんできたことも含まれることは特筆しておかなければならない。

あまりにも几帳面な計画性など考えなくていいのだ。せめて、ホンの少しゆとりを持ちながら、今しかない時間を、大切に使いこなす工夫を忘れてはいけないよなー。

それこそが“今を大切に…”生きることであり“ 我が人生 今が旬 ”を思い起こし、来る年に備えよう。
友を・仲間を大切に、益々交流を深めるもっと楽しい一年になるといいな…。

      ( 写真: 今年届いた、超小口の源泉徴収票 )
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「準備万端」

2009年12月29日 | 季節の移ろい・出来事
いよいよ心せわしく、お正月を迎える準備に本腰を入れる。
今年のお正月は、注連飾りも無し。神棚への鏡餅もお灯明も、榊さえ立てられなかった。もちろん年賀状もない。言ってみれば極めて静かな、ひっそり身をかがめた年頭を迎えた。
母を見送って初めて迎えるお正月なのだから、至極当然のしきたりにのっとっただけのことである。

母の喪が明けた今年、早めに出来る限りの準備をして新春を迎えたい気分である。
先ずは年末のお墓参り。この一年、無事に過ごせた報告と感謝を込めて。

注連飾り、活花用のお花などを購入。仏壇・神棚へお供えする鏡餅は昨夕「ウィーン…」という機械音がホンの少し唸っただけでホッカホカのつきたてお餅の出来上がり。お供えするウラジロやユズリ葉は近くの山で手折ってきた。

明日の朝から備え付ければ、迎春の準備万端整うことになる。

たったこれだけのことである。が、これが出来るからたったこれだけ…と思うだけのことなのだ。
するべきではない・出来ない…となると、これら一連の行事が随分大きく、大切なことに感じられる。
その向こうに、出来ない大きな理由が横たわっているのだから。

出来れば何事もなく、年々歳々華やかな正月飾りで新年を迎えたい。
しかし人の世は無常である。それが出来ない時が必ず何度かやってくる。やりたくてもやれない悲哀を噛みしめておくことで、やれるときの充実感は倍加する。

お正月の準備万端整えられる状態に感謝しなければバチが当たる…などと思ってしまう。

ただ家族全体としては、決して順風満帆な一年ではなかったのだが……。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「罪滅ぼし」

2009年12月28日 | 季節の移ろい・出来事
           

年の瀬を迎えた割には随分と暖かい陽差しに恵まれた昨日。
せめて世間の見通しをよくして、明るい新年を迎えようと一大決心。家中の窓という窓を外し、高圧洗浄機で、積もった汚れを洗い落とそうと張り切った。

昨年の暮れ仕事から完全リタイヤした。文字通り自由気ままな身になった今年は、有り余るヒマが出来るはずであった。ところが、月に10日ばかり仕事していた昨年より今年の方が遙かに忙しかった…と自分では思っている。パソコンに向かう時間を取りすぎたかな…と反省。
「何のお手伝いもしてくれない…」というヒンシュクと嘆き節を何度耳にしてきたことかこの一年。

ヨーシッ!今日は普段の罪滅ぼしだ…と心に誓った。
「ホントに使うの?」と言われながら、結構高い買い物した割にはほとんど使っていない高圧洗浄機。これを使って見せるデモンストレーションの意味もあった。

やはり機械にはそれなりの効力があった。落ちる落ちる、汚れが見事に落ちていく。網戸などは一瞬のうちに新品同様。「ホラね…」とかいいながら得意満面。
なんとか日のある内に作業完了。

終わってよーく考えてみると「お宅のはいつもよく手伝ってもらえるからええですねー」と近所の人がおっしゃる通り、実質作業量は、気合いばかりの当人よりはお手伝いさんの方ががはるかに多かったことに気付く。やっぱりいつもの通りだ。ともう一つ反省。

それにしても高圧洗浄機、なかなかの優れもの。
現役時代、部下の意見をろくろく聞かず、高圧的に物言う上司ほど厭なものはなかった。コウアツ…使い方によってはいい味を出している。



コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「こもごも…」

2009年12月26日 | 季節の移ろい・出来事
            

山口県美祢市にある秋吉台サファリーランドでは、冬休みに入った子ども達で賑わう園内で、今年の干支の丑と来年の干支の寅と干支交代式が催されていた。

いやが上にも年の瀬、今年一年を色々顧みるときなのだ。
今年も色々あった。自らの意志で一歩も二歩も踏み出したと思えることもある。
まあまあやり切ったなーと思えることもある。

後5日残ってはいるが、もう少し時間が欲しかったなーというところもある。
正直、今年一年を懐古する気持ちには未だなってはいない。
最後の最後、後数時間となったときに、本当に今年一年を振り返るのだろう。
その時、何を思うのか。今はよく分からない。

どうせ振り返るのなら、自分で自分を褒めることを多く見つけたい。
あるのかな?ないのかな?ウーン。 こもごも、よく分からない。

ところで秋吉台サファリーランド。
野生動物を放し飼いにしているなかを、自家用車や、サファリバスで進みながら、ライオンやトラなどの猛獣を間近に見ることができる。
世界でも珍しい「ホワイトタイガー」もいる。その大きさと迫力にあやかって、普通より違う色に彩られたいい一年にしたい…などという欲の皮だけは突っ張っている。

大晦日、紅白歌合戦の観覧希望は夢と消えた。
もう一つの大晦日の楽しみ、これも叶えてはくれんだろうな……。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「きざし」

2009年12月25日 | つれづれ噺
100年に1度と言われる大不況に揺れた一年も残すところ1週間。
あちこちで聞かれた賃金カット・ボーナス削減。有効求人倍率の低下。雇用促進の道険し…などなど、世の中全体が貧困にあえいだ一年だった。

そんな中、お一人だけ1ヶ月1500万円もの政治資金が、母親の口座から振り込まれ続けた。そんなことは秘書に任せていたから一切知らなかった…とのたまう裕福な政治家もおられる。あるところにはあるものだ。

冬の陽差しを浴びる沿岸に出てみた。
かつては、一日たりともずる休みなどしてはならぬ…と来る日も来る日も片道40分、ハンドル握って通い上げた、岩国・大竹コンビナートの一角が、入江を挟んで対岸に見える。

ひと頃の需要最悪状況を脱しかけたかの如く、工場群の煙突からモクモクと白い煙が立ち上っている。通勤途上で何度眼にした光景だろう。今こうして改めて眺めると「あそこに多くのものを残してきたのだな…」という感慨に浸る。そして、あの立ち上る白煙の下に、活き活きとした人間の生活があり、笑顔が生まれるのだ…と勝手に思っている。白煙を絶やしてはいけないのだ。

ついでに、海上交通があったら、なにも渋滞道路に悩まされず、一直線で工場に着けたものを…などと贅沢を考えてみる。
通勤の苦労も含め、40数年の勤めをやり通して迎えた定年退職後の今を、有り難いと思う気持ちが広がると言うものか。

冬の青空に立ち上る力強い白煙に、景気恢復の兆しを感じるのは時期尚早かな…。

      ( 写真: 静かな瀬戸の入江を挟んで、白煙を上げる工場群 )





コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「メリークリスマス!!」

2009年12月24日 | 家族・孫話
つい先日、孫兄弟が何やらジイちゃんに聞こえるようにヒソヒソ話をしている。
話題は、クリスマスプレゼントを何にするか…の下相談のようであった。
そんな顛末をまとめてみたら、中国新聞が取り上げてくれた。


 『いよいよメリークリスマス。小学校3年と1年の孫兄弟は、それぞれに思いを込めたプレゼントをサンタさんにお願いしている。

 「おれはね○○が欲しい。でもダメだったら、こっちでもいい」。年上らしい思いを披露した兄が「何をお願いするん」と弟に聞く。

 弟は一瞬考えて 「もうちょっと勉強ができるようにお願いしよう」。
 すかさず兄が「それは七夕さんにお願いすることじゃろう」。
 「アッそうか。そいじゃ東北新幹線つばさ」こんな兄弟のやりとりを聞きながら私は一人、悦に入る。

 二人は、プレゼントのお願いはサンタさん、気持ちの中にうごめくお願いは七夕さまと、ちゃんと使い分けているのだ。

 じいちゃんサンタは早速、兄の第一本命と弟の希望である新幹線模型を探しに走った。

 サンタが誰か、おおよそ気付いている兄。弟は、まだサンタの存在を信じている様子だ。
 さて、どこまで信じさせておくか。いつ夢を壊して現実に引き戻すか迷ってしまう。
 孫の成長に合わせて、かわいい悩みが、また一つ増えた。』

                  2009.12.24 中国新聞「広場」掲載    

       ( 写真: 兄弟へのプレゼント。兄ちゃんのは弟の3倍以上 )
コメント (15)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ちょうど一年」

2009年12月23日 | 季節の移ろい・出来事
         

昨日12月22日、冬至。
かつて、終戦を迎えた8月15日を「日本の一番長い日」と題した映画がヒットしたのをふと思い出した。
冬至の昨日は、一年中で夜が一番長い日であった。今日からはホンの少しずつ日が長くなっていく。これは嬉しくなる。ところが寒さは一段と厳しさを迎える。これはあまり有り難くない。

15個のユズを浮かべたお湯にゆったり身体を沈める。
つぶされないよう逃げまどうユズに鼻を近づける。ウーン!!
遠い昔の人の知恵に、今更ながら驚かされる。日本人にはこれほどに、素朴にして風流・簡素にして実益をもたらす、珠玉にも似た習慣がいくつもある。

そしてついつい思い出す。昨年の冬至は12月21日、母の四十九日法要を営んだ日であることを。

なんでふと思い出すのだろう。
冬至にはユズを浮かべたゆず湯につかると風邪を引かん…。冬至にカボチャを食べると元気に冬を越せる…。こんな迷信じみた教えを、おふくろから教わってきたからなのだろうか。

それとない日常の中で、あれこれ聞いた耳学問が、おふくろの声として気持ちの奥に息づいているからなのだろうか。
折に触れ、時に従って思い出すのはやはりおふくろの方が多い。その点オヤジは、早くに見送ったせいかもしれないが、滅多に出てこない。
しかし、二者択一・三者択一…など切羽詰まったときは「オヤジだったらどっちを選ぶんだろう…?」などと考える。

なんだかんだ言いながら、気持ちの奥底で、二人の存在をしっかり認め、上手に使い分けているのかな。どっちにしてもカボチャもうまかった。ゆず湯にも元気をもらった。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「8ヶ月」

2009年12月21日 | 家族・孫話
           

今日12月21日で8ヶ月を無事に生きた3人目の孫「悠雅君」
8ヶ月もたてば…というのか、わずかに8ヶ月で…というべきか、かなり自我意識がはっきりし始めた。
同時に、ホンの少し行動がともなうようになってきた。

歩行器の縦横無尽は言うに及ばず、床に腹這いにさせたと思ったらすぐに、胸と脚をいっぱいに使って目的に向かおうとする。ただ手が思うに任せない。それでも目を丸くして、ほふく前進するその努力たるや滑稽ながらも目を見張らせる。

ついこの前まで30㎝も進めなかったのに、今や1㍍も移動出来るようになった。
ご機嫌なときは仰向けになって、脚を高く上げてドンドン床を打ち付ける。
痛いのではないかと、ショックを和らげる手がつい出てしまう。

そうして2・3時間も遊んだらさっさと帰っていく。また二人っきりの静寂がやってくる。
だから遊びに来ている間は、他のことを後回しにしても孫の相手だけをしてやれる。帰ってからゆっくり処理すれば済むことがほとんどだからである。

これは、たまにやって来るから言えることである。実際に同居で、四六時中孫守となるとヒスが出るに違いない。と思いつつ、子どもが子どもを産んだような未熟な夫婦をなんとかしてやらねば…と、熟練でもない夫婦が、出来る範囲の手助けをしている。

昔の人はお年寄りも・若い者も・子どもも・犬も猫もみんな我慢強く辛抱強かったのだろう。
一つ屋根の下でお互いの温もりを感じることが、大きな生き甲斐になっていたのだろう。
しかし今は、子育て卒業を喜び、静けさを求める気持ちが結構強い。
生後たったの8ヶ月の孫に、何かしら教えられた気分になっている。


コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「都大路を…」

2009年12月20日 | 家族・孫話
憧れの京都。都大路を走り抜ける、全国高校駅伝大会が行われた。
言うまでもなく、長距離ランナーを目指す高校生の最高の晴れ舞台である。

1950年に始まって今年で60回目となる記念大会。
寒風吹きすさぶ都大路に、次々表れる名所の数々を横目に身ながら、ふるさとの代表という宿命も背負って走り抜けた。

1回目と2回目を連続して優勝した、お隣広島県の強豪「世羅高校」が、2位以下を大きく引き離して優勝した。
ちなみに我が山口県西京高校は20位。その前19位が京都洛南。大雪に見舞われている秋田工業高校は31位であった。

かつて、我が家の長男君も中学・高校と陸上長距離選手であった。
高校は、ひょっとしたら山口県代表が狙える位置にある、ということで練習にも熱が入った。

陸上部員は修学旅行も辞退して練習に励んだ。だが、残念。タッチの差で代表権を逃した。
そこで、修学旅行の代わりに、都大路駅伝見学が設定された。代表にはなれなかったものの、全国の強豪が集う高校駅伝の雰囲気を生で味わえたのは、大いなるプラスだったようだ。

あれから10数年。
歯を食いしばって、延々と走る長距離ランナーの練習に耐えた粘り強さは、今は少し影を潜めた。
しかし、人生マラソンのコースはまだまだ道半ば。胸突き八丁の峠も、脚を運ぶのに苦労する下り坂もあるだろう。

出来れば転ばないように、転んでも再起不能までには陥らないよう願う。
そうして果てしないゴールに向かってくれるようコーチしたい。と思いながらコーチの足腰が弱って、なかなか実践指導が出来なくなったのは少し寂しい。

     ( 写真: かつては格好いい、陸上長距離選手だった一人息子 )
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい