「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「雲垂れ込めて」

2010年06月30日 | 季節の移ろい・出来事
4年に一度行われるサッカーワールドカップ。
深夜にわたる実況中継でやや睡眠不足。その割には気分爽快なのはなんでだろう。
結果的にはパラグアイに敗れはしたものの、強豪相手に一次リーグを突破したこと、さらには決勝トーナメントでも、堂々と渡り合い、一歩も引かなかった勇気を評価出来るからだろう。と言うことにしておこう。

さて6月30日。今年も早くも半分が過ぎたことになる。
年初から忙しい一年になりそうな予感はしていた。
今年ほど手帳の予定欄が黒く埋まるのは、いつ以来だろうか。現役のまだ相当若い頃に、目が回るほどの忙しさを経験したことがある。それ以来だ。

そこで、この半年が何故そんなに忙しかったのか、何をどのように生きようとしたのかちょっとだけ振り返っておきたい。それを明日からの後半に向けて、反省材料にするのか、はたまた発奮材料にするのか、自分なりに考えてみたい。

などと、大げさに考えるまでもないことだ。やらなきゃならんことから逃げ出せはしない。
どうせ不器用な男が、手抜きなど今更できるわけもなかろう。だったら粛々とやるだけ。
という結論しかない。

それにしても全てをこなすにはそれなりの能力が必要となる。ここが問題である。
残念ながら、磨きしろがすり減って無くなっている。能力を磨きようがない。辛うじて残っているものをフル回転させたい。と、思うのは山々だけど、今日の空模様のように、遠くの山には重い雲が垂れ込めている。風が変わればこの雲はどこかへ消えるだろう。

我が頭の中の重い雲は取り払いようがない。やはり今まで通り、責めてフットワークで目先を護摩化すか・・・。

( 写真: 家から少し歩いたところ、遠くの山に雲がのしかかっている )
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「思い出をひもとく Ⅱ」

2010年06月29日 | 旅行・レジャー
1年前の6月29日。
ヨーロッパ旅行最大の個人的目標は、スイスアルプス観光。中でも多くの物語りに彩られるマッターホルン(4478m)の実物をこの目に焼き付けること。
そして、これでもか・・・と言うほどのあらゆる角度からカメラに納めること。であった。

 ツェルマットの町から眺めるマッターーホルン
「写真は、いいなと思ったところで即シャッターを押すこと。後で撮ろう・・・は絶対ダメ」添乗員さんから、耳にタコが出来るほど聞かされていた。
特に、ユングフラウ、マッターホルンなど、アルプスの景色は一瞬にして変わる。
それほど雲の動きが速い、だからシャッターチャンスを逃すな・・・と。
ツェルマットの風景


アルプス山中1616mの高所にあるツェルマット。世界的に有名な観光・保養地として年間150万人が訪れる、人口5500人の静かな町。マッターホルンの登山基地として19世紀から開けたという。
現在ここは、一般自動車の乗り入れ禁止。走っているのは全て電気自動車。それに2頭立ての馬車が観光客を運ぶ。


登山電車は「ラックレール(シュトルプ式)」という、レールの真ん中にあるラックに、歯車車輪を噛み合わせて、急傾斜を時速15㎞で悠々と登っていく。
幸いお天気は最高、風向きも最高。
遙か遠くからも、はっきりくっきりマッターホルンの勇姿を拝ませてくれる。

電車内のスピーカーから、日本語も交えて5カ国語で流される観光案内が聞こえる。
カメラのシャッターチャンスも教えてくれる。
ここで問題。登山列車の中から、移り行くマッターホルンの勇姿を、さて何枚写真に納めたでしょう??
と、聞いてみたくなるくらい、撮って撮って撮りまくった。

我が国の富士山と同じように、崇高な山には神宿るという何故か霊山信仰が頭から離れない。
それにしても、ここはもう一度訪れたい素晴らしさを味わった。
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「鏡よ鏡」

2010年06月27日 | 趣味・・エッセイ

『 毎朝、必ずひげをそる。
どこかに出かけるあてもなく、誰かに会う予定はなくてもひげはそる。

滑らかになったそり跡にローションをはたく。
顔と共に気持ちも一瞬引き締まる。

 完全リタイヤのこのごろは、ひげそりさえもおっくうになる時もある。
一日放っておくだけで、ごま塩のごわごわひげが顔を覆う。

 そってもそっても目に見えて伸びるひげ。
なのにおつむの毛は伸びるどころか日に日に退化。数は減りそぞろ吹く風になびく。

同じ首から上なのに、不公平じゃないのひげと髪の毛。

物言わぬ鏡に揺れる男の哀愁 』 


                    2010.6.27  毎日新聞はがき随筆 掲載


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「心の日」

2010年06月26日 | つれづれ噺
暦を追っていくと、OOの日・**の日というのが結構ある。
結構あるというかほとんど毎日のように、何かの日と銘打たれているようだ。

毎年7月1日は「心の日」と決められているという。数日前初めて知った。
あらかじめお誘いを受けていたので、大雨の中、日本精神科看護技術協会山口県支部主催「心の日」イベントに顔を出した。

精神保健法制定と同時に心の日が制定され、心の健康の在り方、精神障害に対する理解等を幅広く考えていこう、と精神科の看護士さんが中心に活動する団体のようである。

肩が痛い・腰が痛い・胃が悪い・歯が痛いなど自覚症状のはっきりした事柄は、その専門医に走り込めば取り敢えず対処してもらえるし、楽になる場合が多い。
ところが、心が病むことにはなかなか気付きにくいし、自覚症状を捉えるのに時間がかかる。
その分、気付いた頃にはかなりの重症ケースが多いという。

あの明朗快活なはずのスポーツ選手の中で、心の病が指摘されるケースが多いという意外な事実には、正直驚いた。
監督・コーチと名の付く人が、選手本人より「勝つこと」「名誉を守ること」だけに集中して、「やらせすぎ」がエスカレートする。選手は燃え尽き症候群に陥る。

つまり、遊び心も余裕も不足して、誰のためにやっているのか分からなくなることで、心的障害を持つに至る、という話だ。
スポーツに限らず、何事にも共通する危険性を見た思いがする。

それでなくとも、肉体的には避けられない経年劣化がある。
せめて気持ちの持ち様だけでも、健康を維持して行きたいものである。







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「木に竹を Ⅱ」

2010年06月25日 | 晴耕雨読
            
             6月13日撮影           6月23日撮影

木に竹を接ぐ話の続編。
10日前の下刈りで、大きな杉の根株に小さな笹が生えているのを見つけた。
さて今回はどうなっているのか気がかりだった。杉の皮と幹の間に、この手で笹を差し込んだのではないか・・・というご指摘もあった。が、そんなことはない、まさしく木に竹を接ぐように、杉の木に笹は生息しており、元気であった。杉の皮を破る勢いで、笹が竹に変身しようと頑張っているかの如き勢いが見えた。
やはり、木に竹を接ぐ話、まるっきりの絵空事でもないことを実感した。

さて恒例の梅の収穫。
色々手を掛け汗をかいた梅が、今年もほどよく実を付けた。
春の天候不順にたたられて、量的には昨年の半分から3分の1の実りだということだった。
我が家もご多分に漏れず、実の数は確かに少ない。が、結構粒が大きく重量的にはまずまずの出来映え。

下刈りはしてあるものの、草いきれの中を這うようにしてもいでいく。
たちまち汗がしたたる。そこへ、下を流れる錦川支流のせせらぎが、一服の涼を耳に運ぶ。せせらぎの向こうから時折“ヒォロロロロ~~”カジカカエルがちょっと切なそうな哀愁メロディを届けてくれる。
なんでもない田舎風景の一コマながら、多くの人に味わってもらいたい素朴な安らぎを感じる。
もっとも、これはしたたる汗とセットであればこそ感じる安らぎかもしれない。

            

桜は下から見上げるのがよしとされる。梅の花は上から眺めるのが風流を誘う。
ところが、梅の実は上からではほとんど見えない。木の下に潜って見上げ、枝を交わしては残さないよう一粒ずつもいでいく。これは大変だが楽しい作業でもある。

収穫の全部をもらって帰って、二階の一部屋に広げる。見事な青梅の洪水となる。
            
階段を上がると、二階中に広がる甘酸っぱい、言葉に出来ないほどの優しい香りが身体を包む。
梅干し・梅焼酎・梅ジャム・梅味噌・・・色々加工され、向こう一年の保存食として冷蔵庫に収まる。
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「思い出をひもとく Ⅰ」

2010年06月24日 | 旅行・レジャー
                
                    新広島空港、出発ロビー

「元気なうちに行ってこよう・・・」思い切ってヨーロッパの土を・・・。あれから1年。
ただただ月日の流れる早さを痛感するばかりである。

綿密な計画や計算があって決めたわけではない。言ってみれば、衝動的に旅行会社からの誘いに乗った・・・。
でも話が決まってからは、あそこもここも思いつくまま調べてみる。欲張ってみる。
旅行会社のツアー便乗の上、全く初めての土地。右も左も分かりゃーしない、勝手な行動など出来ないことは承知していても、ちょっと道草を食ってみたくなる。
パリのシャンゼリゼとは・・・セーヌ川のほとり・・・とは・・・などと、何かでどこかで小耳に挟んだ地名を一通り調べてみる。

早い話、行ってみようと決めてから、出発の前日くらいまでが、まさしく夢見心地のクライマックスを迎えている気分。
滅多に出かけない味噌桶の虫干しだ、なんとかお天気であって欲しい・・と床につく。
当日は朝早~~く起きて、馴れない高速を運転。時間通りに空港ロビーに着けばいいが・・と気にしながらハンドルを握る。
駐車場に余裕があって、スンナリ移動できればいいが・・と気を揉む。

そうして無事、余裕を持って集合場所へ。添乗員さんから名前を呼ばれて顔を合わせ。やっと人心地。

                 
                   韓国仁川空港にて乗り換え

後はもう、後顧の憂いを断ち切ってひたすら旅先の楽しみだけの世界に没頭。
トータル13時間の搭乗。「翼よあれがパリの灯だ・・・」ちょっと気取って、まだガンガンの夕陽の中、パリ・ドゴール空港到着。

それから実質8泊9日。至る所で感嘆の声を漏らしたり目を見張る。
時に、日本の良さがしみじみ思い出されてきたり・・・。
一度はこの目で見たかったヨーロッパ。やっパリいい体験をしたと気持ちが柔らかくなる。

海外旅行、出来るなら元気な内に。足腰確かな内にもっともっと行ってみたい。
まさに体力勝負の側面はある。それより何より、先立つものがね~~。
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「いわくにの特産」

2010年06月22日 | 季節の移ろい・出来事
よそのレンコンより穴の数が一個多い九個で、吉川家の家紋である九曜の紋(くようのもん)とよく似ていることから、藩主をえらく喜ばせたという逸話も残されている、ご当地特産「いわくにレンコン」。
                   
           吉川家、九曜紋          岩国レンコン

田んぼに張られた水面から葉っぱがようやく顔を出し、つい先日まで幼い子どものようにお行儀よく「前、ならえっ」をしていたのに、夏至を迎える頃になると一気に成長してきた。
その青さ、葉っぱの軟らかな匂いがたまらなくいい。
            
           まだ幼いまん丸い葉っぱも    茎にへばりつくタニシの卵

吉川家13代に及ぶ歴代藩主によって瀬戸内海沿岸の干拓事業が進められた。
特に現在の南岩国駅南側に広がる見渡す限りのハス田は、我が家の周辺などのハス田とも合わせて、その作付け面積は全国第5位を誇っている。

中でも干拓地で生産される岩国レンコンは、粘り含んでまさに全国屈指の美味しさと言われている。
その秘密は、耕地が海岸に近いことから、微量の伏流塩分が素朴な味のレンコンに微妙な味付けをしているからとも言われている。

そして毎年のことながら、この時期の特徴として、レンコンの葉っぱの茎にへばりつくようなピンクのソーセージ。
また、田んぼを仕切る石垣にもピンクの色模様を付けたように至る所、タニシの卵が見られる。
実ったレンコン同様、全国に発信したいこの時期の岩国の風物詩でもある。

          
            石垣に無数に張り付くタニシの卵
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「学ぶということ」

2010年06月21日 | 趣味・・エッセイ
一年に一度、「岩国エッセイサロン」年中行事の一つとして定着しつつある「岩国エッセイ教室」。
今年も、大手新聞山口支局長という、記事はもとより、評論・随筆など、ものを書くプロ集団の中でも、大ベテランの講師をお招きしての勉強会となった。

会員17名がそれぞれの役割分担。チームワークのよさとそれぞれの力量を発揮し、参加者も過去最高の44名という人数で、予定した会場が狭く感じられるほどの盛況であった。
巧拙はともかく、文を書いてみる、という我々の活動が少しずつ広がりを見せているのか・・と、また一つ気合いが入る思いである。

               

このように、ものを書くに当たって、勉強する機会はいっぱいある。
ただそれが身に付いているかと言えば、多くの場合「No ノー」と言わざるを得ない。
「学ぶ」とは、真似てする。ならって行う。また、教えを受ける。習う。とある。
「伝えきき、学びて知るはまことの知にあらず」と徒然草はいう。

とにもかくにも、多くを書いてみる。読み返す、また書き足す・思い切り削り取る、また読み返す。
さらに足すまた引く。最初に意図したものとは別の姿になってしまうこともたびたび。ただ、書こうと思い立ったテーマは見失わないように・・・。
などと、自分流に考えてはいるのだが、所詮自己満足の世界に陥り、不満ながら妥協してしまう。

たまたま過去に少しのお褒めを頂いたものを読み返してみると、やはりそこには、色んな用件が備わっていると、我ながら感心することもある、が、それが続かない。
だから、悩む。そして、今日もまた、駄文と思いながらも書いてみる。

           ( 写真:2010.6.20 エッセイ教室風景 )
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「サボテンの花」

2010年06月19日 | 季節の移ろい・出来事
           

     ♪♪ ほんの小さな出来事に

            愛は傷ついて 君は部屋をとびだした

                     真冬の空の下に~~~ ♪

きら星の如く出され、歌い継がれているフォークソングの中で、頭にこびりついている数少ない曲の一曲である。

サボテンの花。
多く水遣りをしなくても滅多に枯れることはない。抑えれば果汁があふれそうな分厚い葉。
人を寄せ付けない鋭いトゲ。

それでも時期が来れば、燃えるような赤、清楚な純白、色とりどりの花を咲かせる。
見事である。
どう考えても、これほど見事な花の咲くサボテンから、このような寂しく暗い感じの歌詞が編まれるのが不思議なくらいである。
が、サボテンの花を育てる背景に、若い二人の愛の破局が訪れたとすれば、なんとなく合点がいく。

ところでこのサボテンの花、意外に手がかかっているのだ。
ということは、私の作品ではないことがお分かり頂けるだろう。つまりお隣のご主人がコツコツ手を入れて咲かせられた見事な花である。

お隣には犬も飼ってある。我が家にやってくる電気検針員さんにも火がつくほど吠えてくれる。
夜中などは、この犬が吠えるとこちらも目が覚めて一瞬緊張する。そのくらいにお隣の恩恵を受けている。
従って、犬のいない我が家でもドッグフードは切らしたことがない。

サボテンの美しさを愛で、犬の可愛さ・大切さなど語らいながら、声を掛け合えるお隣さん。
有り難い、心強い存在である。
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「この木何の木??」

2010年06月18日 | つれづれ噺
 この木 何の木 気になる木
 花?をアップしたもの

  ♪♪ この木 なんの木 気になる木
       
        見たこともない 木ですから 見たこともない 花が咲くでしょう ♪

我が家の菜園は、地主の高齢化によって、荒れ放題となっている雑種地である。
その一角を借り受け、我が物顔に、今はスイカ・トマト・キューリ・ピーマンなどを育てている。

元々小高い山であったのを造成した団地。雑草・雑木はイヤと言うほど生えてくる。
そんな中に、毎年5月半ばから6月にかけて、見事な花というか穂のような雑木がある。
残念ながら不勉強で、名前が分からない。
もし、ご存じの方がおられたら教えて頂けると有り難い。
紫の房に白い小粒の花を付けた、見事なものである。(写真参照)

 この真っ白い花。君の名は・・・

そしてこの花は、先日お城山ウオークに行った折り、麓の水路脇に生えていた、いかにも紫陽花に似た見事な真っ白い花。放射状に広がった花弁が無数に集まり、大人の手のひらくらいの平べったく平面的に咲いている。
これもご存じの方がおられたら、是非ご教授願いたいと思っています。

いずれも手入れも何もなしに、季節になったら見事な姿形を見せる花々。
どれ一つをとっても、命の尊さと、懸命に生きる健気さを教えられる。
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