「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「53分・・・」

2016年11月28日 | つれづれ噺

                                               

「Y君よー、同級生のI君が最近店舗を閉めっぱなしだけど、何か聞いてない?」という電話が入った。
同級生T君が同じく同級生のI君のことを気にかけて、Y君の私に問い合わせの電話を掛けて来たという次第。
「確かにそうだねー、オレも気にはなっていたんだけど……」「ちょっと確認してみてくれんかねー」という。

何のことはない、同級生の消息から体調変化まで何でもかんでも、「Y君に聞けば判るかも」などと安易に頼られているようだ。
しゃーないなー、自分で聞けばいいようなものを、普段の付き合いの深さによっては、いきなり尋ねるのも気が引ける、という理屈もわかる。
頼まれるとつい「チャンスがあったら確かめてみるよ。」などと一旦電話を切るが、やはり気になるものですぐに消息を確かめにかかる。

「モシモシ」から始まって「元気にしとるの?」と尋ねるまでに約10分はかかったな~。
去年の1月に病気が見つかって、どこの病院で手術して、どこでリハビリして、しばらくしてまた新たな部位が見つかって・・・
ああしてこうして一旦はこうなったが、また改めてこうなって……。

こいつは何年も誰とも話が出来なくて、話し相手に飢えていたのか、と思うくらい堰を切ったようにしゃべるしゃべる。
「オレが訊きたいのは…… ?」「それがね・・・」またまた長談義。時計は確実に時を刻む。
やっとこさ「今はこういう状態で、来年2月頃には現役復帰しようと思ってるんよ」までたどりつくのに53分かかってしまった。
オレってそんなに話しやすいんかな~。それとも何にも知らない風な相槌に気をよくして延々としゃべるんじゃろうか。

気のいい男で悪いやつではない。「へ~そうか~、そんなこともあったのか~」とただ聞く立場を貫くアタシが悪いのか?
まあどっちにしても、同級生のことに関しては、ここが中継所・取次所みたいな存在かも。
その上、彼の思いの丈を聞いたやることで元気を取り返す役に立つなら、これも一つの人助けか・・・などとちょっと大袈裟だね~。

それにしても53分間受話器を耳に付けていたら、話が終わったころは左の肘が曲がったまま、元に戻すのが一苦労ですぞ。
1時間くらいへっちゃらよ、とのたまう長電話おかあさん、少し要注意よ。
ということで、来年2月にはゆっくりお邪魔してコーヒーを頂く約束を取り付けた。
元気に回復してくれりゃそれだけで全てが帳消しよ~ ということにしておこう。

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思いがけない国際交流」

2016年11月26日 | 家族・孫話

                                                  

お母さんが病気ではない体調不良で、定期の里帰りができないから、今回は帰らないのかと思っていた。
なんのことはないジジババ大好きの希さんは、お母さんは一緒でなくても、お父さんと二人きりでも岩国里帰りをせがむのだという。
「お母さんは帰れないけど平気なの?」何度訊いても「ウン、じいちゃんちへ行きたい」の一点張りらしい。

お父さんと二人で戻ってきた。「ただいま帰りました」言うが早いか、トントン足音立てて居間に走って来る。
お風呂はじいちゃん、風呂上がりの着換えや髪の手入れはばあちゃん、おねんねは父さんと、希の頭で役割は決められている。
お母さんには「モシモシ、さびしくないでしょ、おやすみなさい」とだけのグッナイコール。

2泊2日の子守を余儀なくされる。
お泊りの朝一番の仕事は畑に出て、あれは何?これは?との質問攻めにすべて答えを出して、ちょっと土いじり。
次に団地の小さな公園散歩から、小川の流れに沿ってカニさん探しのお決まりコース。
その程度では午前中いっぱい使うにはあまりにも物足りない。どこかの大きな公園がいいかな?

そこで、クルマにチャイルドシート積み込んで、少し離れたもみじ谷公園散策。洞泉寺のお地蔵さまと美人比べ。負けてる!!
そして吉香公園の日の当たるベンチでお菓子を食べながら一休み。さらにウロウロ。
 

文字通りの小春日和に恵まれた吉香公園は、紅葉を求めて観光客や、近くの家族連れで賑わっている。
そんな公園の一角に、子どもを連れた3組の外人さんのママ友連と遭遇。というかこちらから一方的に近づいて行った。
❝ エクスキューズミー、メイアイピクチャー? ” 得意の?英語を駆使して国際交流の糸口を。
希さんを入れて記念写真を一枚。何のことやら分からない希さんは不安な顔で、お口は真一文字。

かつて海の公園で、孫兄ちゃんとカー君が、可愛らしい女の子と国際交流を果たした時のような面白さには欠けたけど、希さんにとっては普段見慣れない青い目の子どもたちと一瞬でもお近づきになれたことは、偶然ながら立派な?国際交流であろう。
これから先、こういった人たちと相まみえる日が来るかもしれないのだから。

国際人などと大げさでなくても、基地を抱える岩国なのだから、せめてこういうお付き合いはくらいは活用しないとねー。

 

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「ピラカンサ流芸術」

2016年11月24日 | 季節の移ろい・出来事

                        

今朝早く、すぐ近くの国道188号線で電柱が3本なぎ倒されるという交通事故が発生。
それはそれはけたたましいサイレンを鳴らし、パトカーに救急車、大型小型の消防車がひっきりなしにやって来る。
我が家辺りは、幸いにして停電騒動は免れたが、事故現場周辺は完全停電、信号は作動しなくなった。

もっとも、事故発生と同時に道路は塞がれて、上下線とも完全にストップ。信号も用をなさないのであった。
電柱や電線の復旧工事のため、機材搬入の大型トラックや電気工事車両が道路を占領、通勤時間帯にまるっきりの交通マヒ。
上下線の完全復旧は、事故発生から6時間後の午後2時を回っていた。

決して野次馬根性でもなく、物見高い地域住民の一人になったわけでもなく??ただホンの少しウオーキングのつもりで。
といっても、近くの郵便局に官製はがきを買いに行くという大義名分はあって徒歩で出かけた。
事故現場の数倍の長さを、パトカーと警備会社が完全封鎖した道路を悠々と歩いて実況見分。

そんな帰り道、ふと目に留まったのが、小さな空き地に茂るピラカンサ。
ここ数年、誰も手をかけていないようなはびこりよう。金網を乗り越えたりはみ出したりの伸び放題。
その姿がちょっと変わっていて面白い。思わずパチリ。
ここに岡本太郎さんがいたら、「芸術はバクハツだ~~」と叫ぶかもしれないほどの芸術作品に見える。

岩国市民文化祭も一通り終わり、芸術の秋も冬に代わろうとする今になって、思わぬ自然の芸術作品に出くわすとは。
やはり近くの交通事故などには反応してみるのも悪くはない。やっぱり野次馬根性丸出しということか。
お陰で、何の意味も説得力もない、ただアップのためのブログネタが見つかった、ということにしておこう。
目を通していただく方には、申し訳ないな~という思いが強い。今日を反省してまた視野を広げて・・・・・・。

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「名残の紅葉」

2016年11月22日 | 季節の移ろい・出来事

  
 岩国もみじ谷公園、白壁と山の緑に映える紅葉       公園の奥から、入り口付近を望む

紅葉の鑑賞に汗を伴うような温かさというのも、風情があるのかどうか、判断に迷う。
ただまあ、遠来の観光客や、高齢者の慰問を狙ったもみじ狩りにとっては、あり難い陽気ではある。
そんな陽気が災いしたのか、燃えるようなもみじを期待する本来の紅葉とは、少し趣の異なる今年の紅葉である。

それもこれも勝手な言いぐさであって、もみじはもみじなりの精いっぱいの色を醸し出しており、銀杏は銀杏で精いっぱい、黄色の刃を落とし、訪れる人に「黄落」の楽しさを演出しているのに違いない。
それに、紅葉の仕方がどうであろうと、この時季、一度や二度は紅葉狩りと洒落込んでいれば、それはそれで充分である。
                                  
              この艶やかな紅いもみじが、思わぬ再会を。

お相撲さんが本場所の土俵に上がるときの正式な髪形を称して「大銀杏」と呼ぶのはご承知の通り。
あの大田房に結い上げた本場所髷の後ろ姿が、イチョウの葉に似ていることからそう呼ばれているが、
一面に敷き詰めたようなあの黄色い銀杏の葉の見事さ。思わず子どもに返って両手で空に向かって放り上げたくなる。

そんな銀杏も堪能した帰り道に、一本だけ異様に紅いもみじを発見。これはカメラに収めなきゃ・・・
と思ってパチリパチリやっていたら、いかにも遠来の観光客らしい二人連れと出くわした。
よく見ると「オッ、順ちゃんじゃないですか?」「オーッ〇〇君じゃないか」というわけで、会社時代の先輩とバッタリ。

奈良から新幹線でやってきて、今しがた新岩国に着いて先ずは錦帯橋ともみじ谷をと思って・・・とのこと。
思いもかけない旧知に出会うきっかけを作ってくれた真っ赤なもみじ。美しさもさることながら粋な計らいに感謝。
綿密なスケジュールでの観光旅行のようで、その場は別れたが、来年の職場OB会には出席の約束を取り付けた。

  紅葉の 紅が取り持つ ご縁かな  なんだかんだ言いながら、とても印象に残る紅葉狩りになった。

 

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「千代もみじ」

2016年11月19日 | 季節の移ろい・出来事

   
              宇野千代生家の「もみじ茶会」           

何かと気忙しかった11月もここにきて、少しだけ落ち着きを取り戻した。
そんなちょっとした気持ちのゆとりが、作家宇野千代の生家で行われる「もみじ茶会」へと向かわせた。
宇野千代自ら植えたという木をはじめ、100本余りのもみじが季節を迎えて、あでやかさを競っている。
そんな期待をして出かけたのだが、今年はまだ完全な冷え込みがやって来ないせいか、色艶やかさという点では今少しの感が。

ホンの短い期間ではあったが、宇野千代の功績を後世に残そうと活動する「宇野千代顕彰会」に在籍したこともあって、
顔を出すと、黄色い声ならぬ、年輪を感じさせる低音ではあるが、あちこち?お声が掛かって、ついつい心地よくなる。
顔なじみのブンヤさん、写真家さん、生家を守るNPOの代表など、立ち話も次から次へ。

千代が愛したという、地元の製菓が昔ながらの技法を受け継いでいる、こしあんをお餅で包んだ表面に、赤・青・黄色のお米が10粒ばかり散りばめられた「いが餅」を賞味した後、表千家同門会県支部岩国地区の皆さんのお点前でお抹茶を一服。
何とはなしに心落ち着く気分にさせられるのは、やはり紛れもなく日本人のDNAが息づいているのだろう。

紅葉の美しさが際立つのは、「雨上がりの朝の太陽が、小さな楓に宿る雨粒を金色に輝かせるときである」と思っている。
そうはいっても、そんないい景色にいつも出会うわけではない。
今日のような、夜来の雨が上がってシットリのもみじ林立も悪くはない。もう少し日差しがあれば言うことなし。

何もかもこちらの思い通りのもみじ観賞なんて滅多にないこと。少し青さの残るもみじ茶会もまたよしとしよう。

 

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「初冬の瀬戸内海」

2016年11月16日 | 季節の移ろい・出来事

                            
               大小20艘の釣り船が寄り添って

波が穏やかで、ひねもすのたりのたりかな、は春の海の特徴である。
ところが、ここ瀬戸内海では、西風にあおられ荒れるこの季節を迎えても、風さえなければ穏やかこの上ない。
どうかするとさざ波一つない鏡のような面を見せることもある。

もちろん、ちょっとの低気圧ともなれば、波がしらは立って白波が打ち寄せる。
防波堤を超えて国道を塩水で洗うのもこの季節である。
穏やかが売りの瀬戸内海でも、ときに大きく荒れることを忘れているわけではないようだ。

今日は絵にかいたような穏やかな海。岸壁から1kmも沖合になろうか、似たような漁船らしき船影が一カ所にひしめいている。
あれだけの広い海で何故あれほど一カ所集中なのか。ちゃ~んとしたわけがある。
船尾に小さな帆を揚げて、あちこちに流されるのを抑えながら、魚釣りをしているのだと聞いた。

この季節「太刀魚?」と訊くと、「ううん、ハマチやブリ、マグロ」というではないか。
ハマチは60cm級。マグロは長さこそ同程度だが、重さは30kg近くあるのもいるらしい。
「エー!瀬戸内海のこんな入り江に?」「餌になるイワシが入って来ると大物が一緒に入って来るんよ」と。

しかもイワシの通り道を大物も通る。それを魚探(魚群探知機)で探して釣り上げる。
だから釣り船はみな同じようなところに集中するのだそうな。逞しきかな漁師魂。
あの中に地元漁師が何人いるのだろうか。「よそから来る者の方が多いよ、昔ならおおごとになる景色なんよ」と。
昔は猟場争いはし烈を極めたという。言葉や交渉だけでは収まらなかったようだ。

「皆さん今は大人になって、多少の譲り合いもあり、安心して釣りも出来る、いい時代よ」
と、しわを刻んだ太い手の先輩漁師さんは、穏やかに笑う。山の紅葉もいいが、遠く海に浮かぶ船影の眺めも悪くないな~。

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「フラッシュ」

2016年11月14日 | つれづれ噺

                         
              小雨にけぶる、山口県庁

思わぬことで大そうなお褒めを頂く仕儀とあいなった。
正直なところ、自分で「それほどのことをしたんじゃやろうか」と思ってしまう出来事である。
地域活動の中の一つである「瀬戸内海環境保全大作戦」つまり、海の日に行う海岸清掃の一件。

我々の呼びかけに応じて、暑い中早朝より600人を超える人々がボランティア参加し、漂着物の回収をする活動。
そのご苦労たるや大変なものである。そんな様子をカメラに収め、ホームページでお披露目したり、広報誌でPRして、皆さんの労に報いる広報活動を担当をしている。言うなれば、皆さんの汗の結晶を記録しているような写真である。

そんな中の1枚を、山口県が環境保全活動の一環として行っているフォトコンテストに応募した、という次第。
図らずもその1枚が、今年度の「やまぐちキレイな海岸フォトコンテスト」の『清掃活動の部門』最優秀賞に選ばれた。
自分でも驚くばかりだし、写真にかけてはプロの友を持つ小生としては、決して大きな声で自慢できる代物ではない。
写真そのものはその程度の出来栄えと思っているが、「海をキレイにしよう」という活動理念が、この賞につながったのだろう。
と思っているし、どこかくすぐったい感じを覚えながらも、ジワ~っとした嬉しさはある。

今朝は早起きして、県庁3階の表彰式会場に9時30分に間に合うよう、高速をぶっ飛ばした。
「山口県環境保全功労者等表彰式」は、小・中学生の絵画・ポスターの部ほか、環境保全活動功労者、地球温暖化対策優良事業所など9部門16人が個別に村岡嗣政県知事から、直接賞状を手渡される。
賞状が読み上げられるたびに多くのカメラのフラッシュが浴びせられる。
こればかりは初めての経験である。報道関係者や県職員が一斉にカメラを構えていた。心地よい瞬間ではある。

写真の巧拙・内容はともかく、我々の地域活動にホンのいっときでもフラッシュを浴びせてもらったことを誇りにしたい。

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「七五三」

2016年11月11日 | 家族・孫話

                                    

11月も早半ばを迎えて、神社の境内は七五三を祝う子どもの晴れ姿がちらほら。
取り巻く両親や祖父母など、ひとりを囲んで多くの大人の笑顔も見られる。
小さなひとりを囲む大人の人数は、小学校の運動会で昼食を囲むひとときほどではないにしても、かなりの数に上る。

かく言う我が家も、ひとりを囲んで4人の大人。
うやうやしくご神殿にはべらせ給い、神官の祝詞奏上、玉ぐし奉てん、二礼二拍手一礼。
主役の三歳児は、全く訳わからんまま、両親、祖父母に倣って精一杯のお辞儀をする。

それにしても、馬子にも衣裳とはよく言ったもので、普段見たことのないような、着物用の髪形に仕上げてもらい
ありとあらゆる着物の柄から、自分の好みに、と言っても主に母親の好みに合わせた着物を身にまとう。
出来上がりはかくのごとし。本人もいつしかその気になって、カメラを向けるたびに色んな表情をする。

これまでの七五三経験は全てタキシードや、スーツ仕様の男の子三人。
華やかな着物に帯、派手な道行など縁がなかったが、今回は初めての姫孫三歳の宮参り。なんとなく華やぐな~。
普段履き慣れない草履を履きこなしたはいいが、ポーズをとるのはいつもの洋服気分。足を開いてハイポーズ!
まあこれも「可愛いな~」ということに。

このように、昔からの迷信じみた儀式ではあるが、初穂料をお供えし、無事な成長を神に祈るのである。
それにしても、ついこの間生まれたことを喜んだと思ったら、もう七五三。ジジもまだまだこれから。

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『コスモス一輪」

2016年11月10日 | 思い出話

           

2008年11月10日。人生の中で忘れることのできない日の1日である。
時折一気に寒さが押し寄せたり、またポカポカ陽気が戻ったり。行きつ戻りつしながら、秋から冬へ移り行く季節。
徐々に色濃さを増す紅葉も、黄金色を誇るツワブキの花も、人目を引くには十分な値打ちを持っている。

今を盛りと咲き誇るコスモスも色とりどりで見事である。但しそれは、大きな集団となり寄り添って咲くところにその魅力がある。
そこへいくと、群生から離れてヒョロヒョロっと伸びた一輪のコスモスには、なんかしらものの哀れを感じさせるひ弱さがある。
8年前の11月10日、101歳7か月を一期に永遠の眠りについた母の姿がそこに重なるからであろうか。

「大至急お越しください」という電話で、何はともあれ一目散に駆けつけた母が入院中の介護施設。
静かに横たわる母の額に手を当てると、まだ温もりがあった。それでも「大変お気の毒ですが……」
看護士の言葉を受け入れるしかなかった。そのとき部屋の外に、頼りなさそうに揺れる一輪のコスモスが見えた。
夕闇迫るガラス越しの向こうで、右に左に頼りなく揺れるコスモスは、駆けつける私を待ち望んでいた母の気持ちを見る思いがした。

100歳を過ぎて黄泉路を渡る人に贈られる「天寿を全うした」という言葉にふさわしい大往生である。と思いたいのだが。
あのヒョロヒョロっとした一輪のコスモスが、今も目の奥に焼き付いていて、この季節を迎えると、もっと何かをしてあげられたのではなかろうか……という悔悟の念が湧いてくる。
8回目を迎えた母の祥月命日。姉や妹が訪れた。賑やかな昼食は進むものの、母の回顧話は意外に少ないのに驚いた。

それもそのはず、母が亡くなった後に生まれた二人目の孫が、倅の長女希さん。七五三の宮参りで里帰りしていた。
女の子で、おしゃまでおしゃべり。華やかに着飾った彼女の存在が、祥月命日の食事を一気に明るくしてくれた。
母から生まれた子どもが6人。孫が12人、曾孫が14人。母一人の存在がこれほどの人口増に貢献しているということ。

今一度仏壇に向かって感謝の言葉を述べよう。「あんたはやはりすごかった」と。

 

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「秋深し Ⅲ」

2016年11月08日 | 季節の移ろい・出来事

                

秋という季節ほど、喜怒哀楽の情を表現したり、移りゆく景色模様を讃える言葉が豊かな季節はほかにはない。
そんな秋を感じる受け方も、お年頃によってさまざまであり、徐々に変わっていくものでもあるようだ。
今となっては「食欲の秋」は少し敬遠がちに。スポーツの秋ももっぱら見学する立場が多くなった。

そんな中でも、若いころから今に至っても大きく変わらない秋の表現がある。
それは「灯火親しむ」ということにつながる「読書の秋」であり、「ものを書く」秋となる。
読む・書くとなると、書く方はこの拙ブログをはじめ、エッセイもどきやちょっとした便りを書いたりする。

ところが、読むとなるとこれがなかなか。
これはぜひ読んでみたいと思う本が、枕元に何冊か摘まれている。たまに手を伸ばすのだが……。
文字通りの「積ん読」で、いつかは読むぞ、との掛け声ばかり。

先日もちょっとした息抜きにお邪魔した友の家。ソファーの横に、見慣れた作家の本が10冊近く積まれている。
「図書館で借りて来た。ざ~っと読んどるんよ」とのこと。
与謝野鉄幹を思い出す。「…… 友を選ばば書を読みて 六分の侠気四分の熱」 そしてわが身を振り返って恥ずかしい。

世はまさに読書週間。文化の日を挟んで前後1週間ずつ。つまり10月27日から11月9日までの2週間。
ということは、今日を入れてもあと2日しかない。必死に読みふけったとしても手遅れこの上ない。
今年の読書週間にどれだけの本を読んだか?とんでもない、読みかけの本の何ページが進んだか、というオーダーである。
それでも、この読書週間のあいだに、己の読書の少なさに気が付いただけでもよしとしようか。

身の回りにあふれる、ありとあらゆる本の種類と数。やはり自分の好みにあったものから、ということになりそう。
理屈はともかく、先ずは手を出すこと。襲い来る睡魔と如何に闘うか、戦略も要るようだ。

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