「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「葉月往く・・・」

2011年08月31日 | 季節の移ろい・出来事

       

八月の旧名ハヅキ。葉月と書く。葉が生い茂る月という意味でないことは容易に解る。
もともと、月の呼び名の旧名は、旧暦を指しており、現在の季節感とは、一ヶ月~一ヶ月半のズレがあることは、いまさら言うまでもない。

旧暦の八月葉月は、そろそろ木々の葉が落ち始める。葉が落ちる月「葉落ち月」が「葉月」に変化したとも言われている。
八月の別名を「月見月」とも呼ばれるほど、八月の空に浮かぶ月は風流を誘うようだ。

そんなこんな八月が往った。ご多分にもれず様々なことがあった。
お盆という、先祖や親族の御霊を迎えるという、なんとなく重い感じのする月でもある。

お財布を買うのは「春財布」といって、春先に求めるのが良いとされている。
そんなこととは関係ないが、暑さの中節電が求められ、低迷を極める経済状態の中で、大震災の後遺症未だ癒えないまま、一国の首相がまた替わった。

枝から葉が落ち始める秋を目の前に、首相の座に着く新総裁は、何となく先が見えているようでお気の毒な気がする。
与野党の連立まがいで政策を推進しようとすれば、たちまち身内から足を引っ張られて、訳の分かりにくい「元総理」とかいう人が出てきて益々混乱する。

ただ一つお願いしたいことは、「ねじれ国会という現実を見据えた上で、政策毎の硬軟を使い分ける器量と、根回しの巧みさ周到さを見せて欲しい」ということ。
野党を切り崩そうとして下らぬ「一本釣り」などという愚の骨頂を、為政者のリーダーたる者がやってはいけない。あさましくて人間的信頼がゼロになる。

あれでも、ひょっとしたら、万が一、我々の暮らしに密着した政治が出来るのだろうか、いちるな望みを託す新政権、苦労九月のスタートを見守ろう。明日から九月。

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「楽しませてもらったのは??」

2011年08月30日 | 家族・孫話

        


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恐怖の夏休みが明日一日となった。
じいちゃん学校は今日が閉校式。最後のご奉公は、例によって錦帯橋上流の川遊び。
今回は2歳児とは別行動で、お兄ちゃん二人。川にハマったり、メガネ損傷の憂いもなし。

時折ミーンミンとなくせみの声をかき消すようなツクツク法師。シュクダイしたか~シュクダイしたか~と鳴くのだそうな。心地よい風と共に川面を舞う赤とんぼ。そして一日中耳をくすぐるせせらぎ。よくがんばった?お二人さんを遊ばせるつもりが、なんのことはない、得も言われぬ心地よいふるさとの音に、こちらが癒されている。

思えば長い40日間。最初はおとなしくやや真面目。こちらも大声を出したいところも抑えられる。段々真面目さもおとなしさも失せてわがまま放題。こちらの声も大きくなる。
40日が限度である。これ以上続くと、ジジと孫の信頼関係にヒビがはいりそう。
やれやれ終わった。明日からマイペースが戻る・・・とお互いが喜ぶ。

本当にそうか?彼らが来てくれたから、暑い夏も朝から気合いを入れて過ごせたのではないのか?孫ネタのエッセイもブログも彼らあってのことではないのか?
そりゃぁまあそうだけど・・・。でもジジはジジなりにご苦労もあったよな~。
明日から来ないとなるとやっぱり淋しい思いをするのだろうか。そうかもしれないな~。
なんだかんだ言いながらも詰まるところ、楽しませてもらったのはこっちかな・・・?
言い古された言葉だが、「孫は来てよし帰って尚よし」これに尽きるか。

ハヤを釣り、思いっきり泳ぎ、足許の危ない岩をよじ登り、ダイブして屈託なくはしゃぐ姿。お腹を空かして、われ先におにぎりをむさぼる発育盛りの彼ら。
何か手助けをしたい、力になれればと思うのは正直な気持ち。暑い夏は終わった。

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「もう一つの同窓会」

2011年08月28日 | つれづれ噺

        
             待宵草が黄色い花を無数につけて

先日亡くなられた、元同僚で今もグループ付き合いのある友のお母さんの葬儀に参列した。
この夏の残ったエネルギーを集中的に降り注がせているのではないか、と思わせるジリジリ太陽の暑さ。それでも、冷房完備の会館葬儀は参列者にとっては有難い。

一般会葬者席は、多くが元の会社関係者が占める。始まる前や出棺前などちょっとした間合いで、小声ながら簡単な情報交換をする。それも無理もない。定年先輩がいたり、いまだ現役がいたり、年齢こそまちまちだが、長年同じ釜の飯を食った仲間。どうかすると、同い年が集まる同窓会とはまた違った感覚のある、もうひとつの同窓会となる。

退職した者同志は、健康状態・趣味道楽の話・土いじりをしているか・・・。ところが、現役の後輩をつかまえると、岩国工場の現状、次に大震災に見舞われた石巻工場のその後。会社がどう対応しようとしているか・・・などシビアな内容になる。

予想通り、従業員削減、いわゆる希望退職者募集という現実があるとのこと。
壊滅的被害を受けた主力工場の石巻が、今もって正常稼動していない。その分岩国工場など、いったん停機したマシンを急遽再稼動させて対応はしているものの、需要の伸び悩みの深刻さは万年的な課題である。

そんな背景の上で、岩国工場だけでも大幅な人員削減。もちろん全社合わせると4桁の数字になりそう。これが、震災に便乗した大幅なリストラという、企業の横暴でないことを祈るばかりである。

こんな深刻な話が出てきては、もうひとつの同窓会もしぼんでしまいそう。
やはり、屈託なく遠い青春にもどれる、ほんまもんの同窓会がいいようだ。 

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「過ぎゆく夏のように」

2011年08月26日 | つれづれ噺

会社現役の時から退職した今尚、グループとしてお付き合いのある親しい友のお母さんが、過ぎゆく夏のように、その熱い人生に終止符を打たれた。
心からご冥福をお祈りします。

職場こそ違ったが、何かと関連があり、年も近いし親と同居という共通点などもあって、何かことがあると、話を聞いたり聞いてもらったりした友の、お母さん。

ここ2年ばかり、病気がちで入退院を繰り返していたが、明確な治療方法がなく、入院させるとなると療養付き介護施設になる。それをお母さんが嫌がるからと言って最後まで、自宅で介護・看病してこの日を迎えた。その間、楽しみな飲み会などにも出席せず、ひたすら看病する姿は気の毒に思えた。

正直な話、自分の経験に照らして「介護施設に入ってもらって、お互いが気楽に顔を合わせるのも一つの選択肢だ」と勧めたこともあったが、かたくなに、お母さんの意向を尊重して、半分自らを犠牲にするような介護・看病の日々であったと思う。

施設入所が是か非か、自宅介護がどうか・・・など簡単には論じられないが、大変な思いをされた事実を目にしてきた。
我々他人が思うほど大変ではなかったのかも知れないが、一つ屋根の下で食事から下の世話まで、年がら年中顔をつきあわせているのはお互いに気詰まりではなかっただろうか、などと要らぬ心配をする。

そこで、自分自身のことについて考えておきたい。
少なくとも、母の晩年を看ていたら、自分もあのように公共施設で過ごすのも悪くないと思うようになった。ほったらかしも困るが、たまに顔を出してくれりゃいい。普段は自分たちの生活を優先してお互いの負担感を軽減する。最後の最期は間違いなく世話になるのだから。

まあ、先のことはどうなることやら。
ただ、最後の花道を選択する我が儘を聞いてもらいたい気持ちはある。

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「白く咲く花」

2011年08月24日 | 季節の移ろい・出来事

      
         今を盛りと咲くアジサイ(隅田の花火)
 
  アジサイの向こうに咲くテッポウユリ        見事な純白、テッポウユリ

      昨日今日 秋くるからに 日ぐらしの
              声打ちそふる 滝の白浪    細川 幽斎

このところ心配されるほどの大雨に降られた。
それ以来、肌布団が離せなくなるほどの涼しさを運んできた。
実に有り難い、何となく元気が出てきそうな秋の気配だ。このままスンナリ秋にはなってくれないだろうが、あごを出した真夏との別れの近さを実感出来るのが嬉しい。 

何日か続いた大雨を、梅雨の逆戻りと勘違いしたわけでもなかろうが、今、我が家のアジサイが誇らしげに花開いている。「隅田の花火」である。
本番の梅雨時期に咲くほど見事な花火模様ではないが、間違いなく薄~い紫を混ぜた清楚に白い花を付けている。その向こうに時季を得たテッポウユリが華やかに咲く。アジサイとユリのコラボレーションとでも言うのだろうか。

口の悪い連中に言わせると「主に似てちょっと狂っているのでは・・・」と言うに違いない。
でも、この時季にテッポウユリとアジサイの純白の競演に出会えるのは嬉しい。

そんな今日、また一つ耳学問で得をした。扇子の使い方についてのお粗末。暑いとき、バッグから取り出した扇子で涼をとる。
その扇子の開き方に、奥ゆかしさがあるやなしや、というお話し。

出来るだけ多くの風を起こそうと、扇子を180度いっぱいに開くのは邪道。
つまり、完全に開かずに、数折り残して、つまり120~140度に開いて使うのが、みやびた奥ゆかしさだと聞かされた。
水も、容器イッパイに入れれば次はこぼれるしかない。もう少し入るだけの余裕を持たせる程度に満たしておくところが、大和おのこ・やまとなでしこの心意気である。

いくら暑くても、扇子を敗れんばかりに開いて涼を求めるのはセンスに欠ける。
センスあるお方が扇子についておっしゃったのだから、信じよう。一理ある。

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「時ならぬ豪雨に」

2011年08月23日 | おせっかい

      

このところ8月の後半とは思えないほどの長雨にたたられている。
夕立などという可愛いものではない。大雨洪水警報が出され、地方によっては避難準備が急がれる始末。台風でもないのに、このような雨は久しぶりである。

テラス屋根の樋の水はけが間に合わず、つららのようなしずくが樋を超えて滝の如くあふれる。向こうが見えにくいほどの雨すだれ。
ものすごい・・・と表現するにおかしくないほどの豪雨。

そんな雨の中にもかかわらず、予定した仲間内での飲み会を昨夜決行した。
メンバーの大半が、曜日に関係なく集まれる呑気者であるが、中には長年オーナーとして現役のまま今に至る奇特な仲間もいる。

台風などによる公共交通機関が、運転見合わせなどの措置に出れば、当然我々も中止するところだが、そこまでには至らなかったので、敢えて予定通り、おせっかいを貫き通した。予定したメンバーが一人も欠けることなく、傘をさして集まった。

月曜日、しかも雨の夜。いつもは大賑わいのビアガーデンもさすがにお客が少ない。その分話声が通りやすい。俄然盛り上がる。それもそのはず、お付き合いが始まったのが1954年4月。ということは、57年という長き、古き、良き友がらである。

それぞれの生活環境を持ち寄り、世話になったりなられたり、みんなが持ちつ持たれつのいい仲間の集いである。時に上げ足を取り、時に秘密の暴露もあるが、それはいずれも酒の肴の範囲であり、ピエロが次々入れ替わる。

そして今回の結論は、大きな農家へ養子に入った彼のもとへ「稲刈りの手伝いに行こう」と話がまとまった。心地よい命の洗濯。おせっかい役はまだまだ続きそうだ。

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「川遊びの代償」

2011年08月20日 | つれづれ噺

        

川遊びと言えば、太古の昔から川に船を浮かべて四季折々の風情を楽しむ、一種贅沢で風流なお大尽遊びであった。今回の天竜川の遊覧船事故は、風流や納涼を楽しむはずが、不幸にも一転地獄絵と変わってしまった。自然を相手の、見えない恐ろしさを改めて実感させられた。

こちら、孫2歳児悠雅君との川遊びは、命にかかわるほど大げさではないが、高~い代償を要求される羽目になった。
怖いもの知らずで流れに向かう幼子を、守るつもりが、何を慌てたかスッテンコロリ!
幼子もろとも頭からびしょ濡れ。幸い浅いところなので彼の方は事なきを得た。

ところがこっちは、膝は擦り剝く、眼鏡はすっ飛ぶ。
ほんのちょっと足を取られたつもりが、なんのことはない頭から川の石をめがけて突っ込んでいた。その場は大笑いで済ませた。
その後がいけない。大事な眼鏡レンズに大キズがついた。安くない眼鏡なのに。

仕方なし老舗のメガネ屋さんに。
フレームは「今は製造されていない希少価値ですからこれを使いましょう。但しレンズは、今の視力に合わせて作り直さなければ」と。従うしかない。
想い起せば、当時の視力に合わせてオーダーメイドしてから19年にもなろうか。あの時以来今日まで、この眼鏡一筋できたのだ。その頃最高級であったチタンフレームは健在のまま今に至る。

念入りな視力検査の結果、10日待って出来上がった。お代はン万円。擦り剝いた膝も痛かったが、レンズの新調は懐がアイタタッ!!
でもよく見えるようになった。慣れるまでは、頭がクラッとするほどの見えようだ。
それにしても、ちょっと躓いたりすると、本人の意思など関係なく、見事にバランスを失い、頭から突っ込んでいく怖さを体験した。気をつけましょうぜ、ご同輩。
メガネレンズ交換で済んだのだから良しとしよう。それにしても「川遊びン万円」やっぱりアイタタッ!!。

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「あの頃も暑かった」

2011年08月19日 | 思い出話

      

本箱の奥から引っ張り出した古語辞典で調べものをした。焦げ茶色に変色したカバー。手垢のしみこんだページ。なんと高校時代に使っていたものだ。
昭和28年4月第一版発行とある年代物。タテ14.5、ヨコ10.5、厚さ約2センチ。3万6千語収録。定価480円とある。当時としては結構高い買い物だったのだろう。

「古典の言葉を漏れなく載せた、簡明な手ごろの辞典が計画されたのは、戦争の終った直後のことだった・・・以下略」と監修者金田一京助さんが序文で述べておられる。
時代は大きく変わったが、古語の世界は全く変わらず、この一冊でたいていの言葉を解釈できる。古語辞典の寿命は長い。

開いてみて驚いたのは、紙の薄さである。 髪の毛の話ではない。
暑さ2センチで1136ページ。ということは、単純計算でも35~40ミクロンという超薄紙を抄造していたことになる。しかも不透明性も抜群。
しかも半世紀以上経た今も、紙そのものは大きく変色もない。

こんな技術を思う時、ふと若いころを思い出す。
酸性抄造から中性抄造への転換期、辞典用紙という特別仕様の紙に、わずかなオレンジ色を着ける新製品開発という命題に取り組んだ。
来る日も来る日も、染料をとっかえひっかえ、足したり引いたり、片面の印字が裏側に抜けない工夫も同時進行。燃えに燃えていたあのころが懐かしい。

辞典用紙はそれまでに開発された技術が優先されたと記憶しているが、文庫本の目に優しいクリーム色は、あの当時開発した紙の色が今でもそのまま生きている。文庫本発行元によって、微妙な色合いの違いは今でもこの目で分る。
だからというわけでもないが、今なお文庫本にはなんとなく愛おしさを憶える。
ビーカースケールに情熱を燃やしたあの頃も、今年の夏のように暑かった。

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「猛暑続く」

2011年08月18日 | ニュース・世相

異様な夕焼け。東の海を望む 
雨の中、黄色に染まる西の空

      
           土近く あさがお咲くや けさの秋    虚子

暦の上では確実に秋に向かっているというのに、相変わらず猛暑は続く。
今日になってこの夏最高の気温を観測したところもあるという。
そんな影響もあったのか、今年のあさがおは花が少なかった。というか、途中からほとんど咲かない日が何日かあり、ここにきてほんの少々。

暑い暑いとこぼしながらも、夕立ちに恵まれて涼しい夕方が迎えられたり、畑の水遣りをさぼれるのは嬉しい。そんな雨の夕方、一年に何度か感じる異様な夕焼けに出会った。

太陽が沈むのを背中に見て、海を望む東側は昼間と見まがう黄色い空。
本来なら日が暮れて、夕闇が迫る雨の午後7時がこの明るさに驚く。
傘をさして西の散歩道に出てみると、田んぼや山肌はいつも通りの夕まぐれ。なのに、どういうわけか、空の色だけは黄色に染められている。

昔の人なら、こんな普通ではない夕焼けを見ると「不吉な予感」「天変地異が起こる」などと恐れおののくのかもしれない。
残念ながらこの程度の事では現代人は驚かない。
もちろん科学的根拠のない異常には恐れも驚きもしない。が、今や何が起きても不思議ではなくなった世の中で、むしろ驚かな過ぎる傾向に心配する。

異常に慣れ過ぎて、滅多なことに驚かなくなった今をどう考えるのだろう。
大自然の偉大さの中では、ホンのちっぽけな人間の存在であることを忘れると、とんでもないしっぺ返しが待っているような気がする。
他愛もない夕焼けの異常くらいで、何を御託を並べることがあろう、と思いつつ人間の弱さを心得て生きなければやけどすることだけは胸に刻んでおくとしよう。

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「送り火」

2011年08月16日 | 季節の移ろい・出来事

     
                        真っ白い百日紅(さるすべり)

迎え火をたいてお招きした精霊も、今日は送り火の灯りを頼りに、路を迷うことなく冥土へお還りになったことだろう。
慌ただしくも華やかで、少し沈む気持ちも感じながらお盆4日間が過ぎた。

「迎え盆」に対して「送り盆」。さらには「盆送り」という言葉もある通り、この日はお供え物や灯篭を、精霊とともに川や海に流して、祖先の霊を丁重にお見送りする。
そんな中でも最も有名な送り火と言えば、京都「大文字送り火」であろう。

今年は、東日本大震災により福島原発の事故によって、大文字焼きに使用する赤松から、放射能が検出されたため、善意で提供する側と受け取る側でのちょっとした行き違いもあったが、兎に角、如意ケ岳大文字が夜空を焦がした。
他に、松ヶ崎「妙法」。「舟形」万灯籠。左大文字。「鳥居形」松明。など合わせて五山の送り火。話に聞いているだけで実際にお目にかかっていない。生涯の宿題の一つか。

このような大規模な送り火行事が、徐々に各地に広まっていると聞く。
大震災に見舞われた岩手県平泉町で、送り盆の今夜、先祖の霊を供養する「大文字送り火」が行われたという。今年は震災の犠牲者を悼み、被災地で倒壊した家屋の木材などを火床に使用したという。我々から考えると、思い切った発想かと思えるが、被災された多くの方の鎮魂の意味を込めて、今なお残るがれきが、送り盆の東北の夜空を照らした。

このようなお盆行事につけても、一日も早く大震災からの復興を祈らずにはいられない。

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