八月の旧名ハヅキ。葉月と書く。葉が生い茂る月という意味でないことは容易に解る。
もともと、月の呼び名の旧名は、旧暦を指しており、現在の季節感とは、一ヶ月~一ヶ月半のズレがあることは、いまさら言うまでもない。
旧暦の八月葉月は、そろそろ木々の葉が落ち始める。葉が落ちる月「葉落ち月」が「葉月」に変化したとも言われている。
八月の別名を「月見月」とも呼ばれるほど、八月の空に浮かぶ月は風流を誘うようだ。
そんなこんな八月が往った。ご多分にもれず様々なことがあった。
お盆という、先祖や親族の御霊を迎えるという、なんとなく重い感じのする月でもある。
お財布を買うのは「春財布」といって、春先に求めるのが良いとされている。
そんなこととは関係ないが、暑さの中節電が求められ、低迷を極める経済状態の中で、大震災の後遺症未だ癒えないまま、一国の首相がまた替わった。
枝から葉が落ち始める秋を目の前に、首相の座に着く新総裁は、何となく先が見えているようでお気の毒な気がする。
与野党の連立まがいで政策を推進しようとすれば、たちまち身内から足を引っ張られて、訳の分かりにくい「元総理」とかいう人が出てきて益々混乱する。
ただ一つお願いしたいことは、「ねじれ国会という現実を見据えた上で、政策毎の硬軟を使い分ける器量と、根回しの巧みさ周到さを見せて欲しい」ということ。
野党を切り崩そうとして下らぬ「一本釣り」などという愚の骨頂を、為政者のリーダーたる者がやってはいけない。あさましくて人間的信頼がゼロになる。
あれでも、ひょっとしたら、万が一、我々の暮らしに密着した政治が出来るのだろうか、いちるな望みを託す新政権、苦労九月のスタートを見守ろう。明日から九月。