「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「春近し!!」

2012年02月27日 | 季節の移ろい・出来事

 
  まるで枯れ木(去年の巣)        少し高いところに、若い新しいカップルが。 
               (どちらも、2012.2.27撮影)

「春隣り」・・・春がすぐ近くまで来ていること。
「春近し」・・・春はもうすぐ来る。長い冬も終わりに近づき、新春を待ち望む気持ちを込めていう。とある。

どちらも季語は『冬』なのに、なんとなくニュアンスが少し異なる。
このほんのわずかな違いを絶妙に使い分け、難しさと面白さが混在する日本の季節の変わり目。そして日本語の奥行きの深さ。70年使ってきてもなかなか満足とは行かない。
日本語を習得しようとするする外国人泣かせなのだろう。

春隣りも春近しも合わせて、窓の向こうに春の使者がやってきた。我が家に、というか私個人に、春到来を告げてくれる早春の風物詩、アオサギの飛来。
スズメもヒヨもツグミもやってこない、小鳥の声を聞かない冬。アオサギも今年は来ないのではないかといささか気を揉んだ。

今年になって初めて声を聞いたというか、一声啼いて挨拶に来たのは、1月も終わりに近い29日の朝であった。それからしばらく、全く姿もなければ声もない。
やっぱりアオサギも来ない春なのか・・・とあきらめかけた先週初め。あの4年目を迎えた、今は枯れ木同然の栗の木の巣にたった1羽、その雄姿を見せた。と思ったら、次から次へやってきた。今日のお天気に恵まれて、二階の窓を開け放ち、ざっと数えただけで7羽はいた。ヨッシャ~!今年も楽しめるワイ!!

一昨年昨年の猛暑酷暑の夏と、極寒の冬。こんな異常気象で小鳥たちの個体その物が半数くらいに減ったのではないかと言う人もいる。そのくらい死に絶えて数は少ない。
そんな中を、どこでどう耐えてきたのか、アオサギ君たちは集団で戻ってきた。
これでこの世の春は近い。間違いなくすぐそこまで来ている。

寒さにかこつけた運動不足を追い払うべく絶好のシーズン間近。
目も気持ちも身体も心も、少し上向きにして、胸を張って迎えよう。春近し!! 

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「大安吉日、納車」

2012年02月25日 | つれづれ噺

 

セカンドカーといえばかっこいいが、田舎暮らしの必需品、2台目の車を更新した。
主なオーナーはカミサンである。たった二人暮らしにクルマが2台。必要?と聞かれれば、必要と答えるしかない。

一旦2台の生活に慣れてしまうと、1台に戻すのは至難の業。どちらかの生活様式を替えるくらいの勇気が要るようだ。どのみち後しばらくで、必然的に1台で事足りる時が来るのは目に見えている。しかしそれが現実のものになるまでは、今までの気ままな生活を享受したくなるのが人情といものか。

お互いが仕事を持っていたり、色んな活動が未だ衰えを知らぬ身であったり、近くに住む孫の送り迎えなど現実的必要に迫られるとすると、どうしても辞められない、止まらない。

上を見ればきりがない。やはり下を見るしかない。
昨日まで11年間乗ってきたと同じタイプの軽自動車ワゴンタイプ。車幅といい長さといい、小回りが効くという点では確かに重宝するタイプではある。特に、何年たっても腕に覚えありとは言わないカミサンにとっては、恰好の代物。私だって、運転の気楽さという点ではこちらに乗る回数は多い。

既にご承知の通り、何もかもコンピューター制御になっているこの頃のクルマは、軽自動車だからと言って、価格が安いわけでは決してない。
向こう何年間か、贅沢をガマンするほどの出費ではある。それでも、公共交通機関を頼りに出来ない田舎生活。たとえ貧乏はしても、快適なクルマライフを選ぶことになる。

大安吉日。海は満潮。午前中に納車してもらった。
プーンと匂う新車の室内。かれこれ4年ぶりの味わいとなる。

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「思い出の富士山」

2012年02月23日 | 思い出話

      
      1959(昭和34)年3月撮影 思い出の富士山(箱根十国峠付近)

2月23日、今日は語呂合わせによる「富士山の日」なのだそうな。
ユネスコ世界遺産の中でも文化遺産に登録しようという運動が行われている。
美しい日本のシンボルでもあり、信仰の山でもある富士山。

ふと思い出した。生まれて初めて本物の富士山を仰ぎ見たときの強烈な印象を。
高校2年から3年に向かう春休みに行った修学旅行で、初めて眺めたその雄姿に圧倒された。そして、どんなに精巧な絵ハガキも、この実物には勝てないことを実感した。

熱海から登山バスで箱根十国峠を越え鎌倉に出るコースで、十国峠頂上あたりからジックリ眺め、頭の中いっぱいにその秀麗な姿を詰め込みたかった富士山だった。
どんなカメラを提げて行ったのか、それすら記憶にないが、77×55mmの小さな小さな写真が、修学旅行思い出のアルバムに残っていた。
色こそセピアに変わりかけているが、初めて撮った富士山としては我ながら上々の出来栄え。なにしろ、思い出はいっぱいいっぱい詰まっている大切な1枚である。

もうひとつの2月23日、それは亡き父の誕生日でもある。
1899(明治32)年2月23日生まれ。生きていれば113歳という計算になる。
ついつい忘れがちな父親の誕生日だが、富士山の日と覚えれば意外にいつまでも忘れないのかな。それにしても、西暦を忘れて和歴だけで言えば、明治32年2月23日。つまり2と3で全てがまかなえるみやすい組み合わせではある。

富士山の日に合わせてたまたま親父を思い出すとは。普段如何に親父の思い出が薄らいでいるのかよくわかる。母親はまだまだ印象が強いのに。許せオヤジどの。

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「マゴにも衣装」

2012年02月21日 | 家族・孫話

孫三人に囲まれて 
   孫三人に囲まれてちょっとご機嫌              選手二人と

何十年振りかのスキー場。昔取った杵柄で、現場に立てば“血沸き肉踊る”かと思いきや、意外に冷静な自分に我ながら驚く。
行きがけのクルマの中では思っていた。どうしても滑りたくなったら、婿殿からちょっと借りるか、レンタルスキーでも十分だ。その気になったら思い出作りにやってみよう、と。

ところが、降りしきる雪。リフトに座って頂上まで行くだけでも一苦労。しかも下から見れば大した斜度でもないようだが、孫二人の下りてくるスピードをみたら、やはり相当な角度があるようだ。一回下りるのにあまりにも時間がかかり過ぎるとジジの面目がなくなる。こりゃ止めといた方が賢者の選択というもの。涙を飲んで、応援団・カメラマンに徹した。

ただ、かっこうだけは玄人はだし!!
これほどのスノーウエアーを着せられたら、やはり板を履いてみたくなるのが人情。だが、雪はそんなに甘くない。せいぜいお子様用のソリゲレンデで、悠雅君と二人乗りのソリ遊びに興じるのがお似合い。そのソリでさえ、「ひとりが、ひとりが・・・」といって悠雅君まで自分ひとりで滑りたがる。トホホホ・・・。

兄ちゃん達は、ピタッと身体に張りつくレースウエアーを身にまとっている。正真正銘似合っている。かっこいいと思う。但し、孫にも衣装とはこんなことを言うのではないよご同輩!孫は孫でも、ジジの場合は「馬子にも衣装」。それなりの物を着せれば、それなりに見えるということ。

つまり、今回着させてもらったのは、婿殿の借りものである。それにしては着こなしと言い、カッコよさといい、なんとか人前に出せるではないか・・・。
ということで今回は、マゴにも衣装のひとくさり。カッコよさの割には疲れた。 

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「雪に埋もれる応援団」

2012年02月19日 | 家族・孫話

     
        午前8時、降りしきる雪の中の開会式。  

久しぶり、というか何十年振りだろう。本格的なスキー場に立ってみた。
但し、自分でスキーを履いてゲレンデを滑降するなどというかっこいいものではない。
5年生と3年生の孫兄弟が、大回転競技にエントリーしていた。その応援団である。
この日もそれぞれ異なるクラスで、二人が雄姿を見せてくれた。

 
     カー君の雄姿                如何にもアスリート、兄ちゃん

受け付け開始7時30分。開会式8時。ということは、岩国から島根県飯石郡飯南町の「琴引フォレストパーク」に行くには、早朝4時起床、4時30分出発がギリギリ。
選手の二人は途中クルマの中で眠りはするものの、完全な睡眠不足で競技に臨むハンディはある。応援団長としては気の毒だな~、と思いながら膝を枕に貸して出来るだけ深く眠らせてやる。

大寒波襲来の昨日、広島県を抜けるころから大雪になった。
スキー場に着いてからもひどくなる一方。「こんなんで競技が出来るんじゃろうか・・・」心配する。そこが素人。関係者も選手も慣れたもので、時間には開会式が始まる。

腕に覚えあり、のつわもの達が、思い思いの派手なウエアーを身にまとい、ヘルメットとゴーグルで完全武装。降りしきる雪など気にする様子もない。
やがて練習が始まる。そして本番のアナウンス。新雪に埋もれながら、カメラアングルを求めて右往左往。ヨシッここに決めた。幸い雪も止んだ。さてカメラを。
望遠レンズをセット・・・と思ったらまたまた視界を遮るほどのサラサラのパウダー雪が遠慮なし。たちまちカメラに白く積もる勢い。こりゃぁいけん!!

なんぼなんでも、高級カメラは使えない。わざわざ買った一脚も全く用をなさない。スペアーに持って行った小型デジカメを駆使するしかない。まるで隠しカメラのように、上着の下からチョコっと取り出してパチリ。直ちにふところへ。それでもカメラが濡れるほどの雪。
そんな状況でも、精一杯の声援を贈った。だが成績発表は控えることにしよう。といっても賞状に届かなかっただけで、恥ずかしい成績ではないことも付け加えよう。

  

           

誰が一番喜んだか。言わずと知れた三男坊。新雪に足跡を付ける快感に酔って、遊ぶは遊ぶは、ほっぺを真っ赤にして、誰よりも嬉々として勝手に遊ぶ。
ソリ遊び用のゲレンデでは、一人で勝手に滑らせろ、手を離せ・・・という。
言う通りにしたら、味をおぼえて何度繰り返されたやら。
雪ダルマにまでなって誰の応援に行ったのやら。何のことはない3歳を前にした悠雅君のお守りに行ったようなものだ。それもまたよし。楽しい一日となった。

青春を思い出すとともに、疲れも思い出した。帰ってひと風呂浴びたら、前後不覚に寝入ったようだ。 

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「運・・・天・・・」

2012年02月16日 | おせっかい

          

「賽は振られた・・・」「静かに結果を待とう・・・」などなど。2年半前にも同じようなことをして、同じようなことを考えてきた中学校同窓会。
ただ今回は少しだけ何かが違う。なんじゃろう。ようわからん。

「古稀というお祝いすべき年齢を迎えた記念の同窓会。何が何でも成功を・・・」
という思い入れが強過ぎたのかな。それとも案内状発送の前から、これまでにないマイナス情報が多く耳に入って来て、柄にもなく不安になっているのだろうか。

そんなものは弾き飛ばし、兎に角みんなに声をかけて、消去法によるマイナス要因排除で気合いを入れ直そう・・・と、なお一層燃え上ってきたこれまでとは少し異なる。

『そんな弱気でどうする!これまでもやってきたおせっかいではないか、やることをきっちりやっていれば、結果はおのずとついて来る。運を天に任せろ!!』
と叱る声がどこからか聞こえる。

そんな中で、ジャンボ自治会が所有する会館の一室を借りて、案内状織り込みから宛名シールの貼りつけなど、幹事12人がうまい具合に作業分担。あっという間に192通の封書案内状が出来上がった。明日は馴染の郵便局から発送する。その時こそ実質的なスタートだ。柏手でも打って、いい賽の目が出るように祈ろう。今は祈るしかない。

ところで、簡単に言ってのける「賽は振られた」という言葉。あのサイコロは、天地四方をかたどり、1が天、6が地、5が東、2が西、4が南、3が北を表わし、対面する数の和が7になる。本来は神に関わり、神に問い、神に捧げ奉る祭祀のものであったという。やがて勝負事につかわれるようになり、神の手から離れてしまったようだ。

ここは一番、神に捧げ祀る昔にもどって、いい結果が出てくれることを祈ろう。

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「バレンタイン、商魂!」

2012年02月14日 | 季節の移ろい・出来事

          
              バレンタインデー大吟醸

その昔、義理とは分っていても、何となく心ときめいたチョコの数。
いつしか、その数も気にかからなくなり・・・というか、数えるほど手許に来なくなって、バレンタインデーの存在を忘れて久しい・・・。などと言えば少し嘘がある。

数こそ減ったが皆無ではない・・・と一応胸を張る。ついでに見栄も張っておこう。
今年だって、自慢じゃないがゼロではない。間違いなくチョコはもらったということ。
そして今日、娘からチョコではないプレゼント、バレンタイン大吟醸が届いた。親父の下戸を心得ていて、300ミリリットルという手軽さ。しかし、その包装たるやなかなかのもの。

バレンタイン商戦をチョコレート業界だけに任せてなるものか、これはどうだ!
とばかりに殴り込みをかけた感のある清酒業界。ここにも逞しい商魂をみるおもい。
それよりなにより、小学校3年生の孫君の方が、チョコを多くもらっていた。トホホ・・・。

などと嘆くに非ず。年輪を重ねた分それなりのバレンタインデーのお祝いを贈られたと自負する出来事もないわけではないこともない・・・。ちょっとややこしいかな。
まあこういったことは多くを語らないのが花ということ。ここまでにしよう。

世の中「スイーツ」と呼ばれ、甘党を虜にする食材があふれる昨今。衰退の憂き目にある、かつて甘さの王様であったチョコレートが、責めて一年一度のバレンタインデーをきっかけに、復権を試みるものの、その道はなかなか険しく、手ごわそうだ。そこへもってきて、清酒や花束や色んな業種が割り込んで来る。

どっちにしても、選択肢は多い方が楽しい。「品物」に勝る「心」はもっと楽しくさせる。

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「公開セミナー」

2012年02月12日 | つれづれ噺

          

春到来を思わせる暖かな日差し。風もない。
そんな陽気に誘われて、お友達から頂いた入場整理はがきを握って、NHK公開セミナー「平清盛」へ行ってみた。およそ50キロの道のり。海岸線をゆったり走る。心地いい。

今をときめく、NHK大河ドラマ「平清盛」人気の底力とでもいうのだろうか、会場に着いたころには長蛇の列。1600人入る会場がほぼ満席。
開館40周年記念イベントとあって、光市長さんの穏やかな笑顔の挨拶もいい。進行役のNHK山口放送局の若いアナウンサーの一生懸命さに、つい拍手したくなる。

ゲストは、平氏方の武将、伊藤忠清役で出演中の、元オリンピック水泳選手「藤本隆宏」さんと、平清盛チーフプロデューサー「磯 智明」さんのトークショー。
表に出ない撮影現場の生々しい話や、時代考証など、興味深い内容につい引き込まれる。

今夜オンエアーされた海賊船での戦闘シーン。海賊大将・兎丸役の加藤浩次さんは、立ち回りで鼻の横を本当に負傷して、自身の血が流れたのだそうだ。それを、如何にもメイクに見せかけながらそのまま撮影して、その後で治療した。とか、一日中かけて撮影しても、本番のテレビに流れるのはせいぜい10分くらい。今夜の1回分の撮影は、海上の戦闘シーンだけに手間がかかって、1週間以上を要したとか。

俳優稼業、実はこんなに大変なのだという生の声。こんな裏話を聞かされると「俳優などにならなくてよかった・・・」と負け惜しみながら思ってしまう。

それぞれがそれぞれの立場で、一つのドラマを作り上げることに精魂傾けているのがよくわかる。ゴロ~ンと寝そべって、お尻掻きながら観てはバチが当たりそう。
書物をひも解く時、書いた人の情熱やご苦労にに思いを致し、本はちゃんと姿勢を正し、感謝の気持ちで読むべきだ。という貴重なご意見も耳に残っている。

そうやって観る大河ドラマ、歴史の重さと共に一段と見応えを感じるようだ。

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「個と私と公と」

2012年02月10日 | つれづれ噺

      

ネット徘徊していたらこんな広告にいくらでも出くわす。
だからいつの間にか馴らされてしまったというのだろうか。目パチクリのお嬢さんを見ても、あまり感動しなくなった。単に年を取ったから・・・だけではない。

ア~ア~な~るほど、ああやってやれば、あの娘がこんなに変わるのか・・・という実態を目の前で見せられることがある。電車の中、どうかすると向かい合ったシートで。

  ああやって マツゲ巻くのか 知る電車    鴻巣 雷作

毎日新聞、万能川柳を引用させて頂いた。たまに乗る電車の中で見かける。
ちょうど私が利用する電車の時間帯が、夕方の仕事帰りや学校帰りの女性と重なるからかもしれないが、ものの見事に“ へんしーん ”する姿を見せて頂ける。

 夢が壊されてあまり有り難くない。
それほどまでに、私自身をはじめ、男だろうと女だろうと、周囲の人間の眼など気にもかからないのだろう。己を美しく飾りたい欲望の前には盲目になるのかもしれない。

その美しさは残念ながら上辺だけの物で、内面的美しさ、奥ゆかしさなどのかけらも見られない。確かに目の前でまつ毛を巻き上げようと、パタパタはたこうと、紅を引こうと、直接的な迷惑を被るわけではない。それにしても、私の電車乗車時間はものの13分である。その間に見事生まれ変わる。神業に近い。

個があって、私があって、肝心な公が失われている。
これを若さの特権などと正当化せれることに、何の抵抗も出来ないのだろうか。
それより若さの本当の特権は、何にもしなくてもはち切れる素肌の美しさにあるような気がするけどね~~。

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「適材適所」

2012年02月08日 | つれづれ噺

      
              三脚に寄りかかる一脚

欲しいな、欲しいなと思っていた「一本足」を手に入れた。
なにはともあれカメラをセットして、ファインダーを覗いてみる。一本足だから前後左右には大きく揺れる。但し、上下に揺れることはない。これで、手ぶれの心配から解放された。今まで以上にいい写真が取れるに違いない・・・と思いたい。

大型電気店へ行って「一本足置いてある?」とうら若き女性の店員さんに尋ねた。
??こちらの顔を見るばかり。「カメラの一本足・・・」「あ~一脚ですね、こちらです」やっと話が通じた。あったあった。値段も手ごろ。いそいそとレジへ。

これは一本足ではなく一脚というのだ。三本足を三脚というのだから、一本足を一脚と呼んで何の不思議もない。そのくらい分かっていたが、敢えてぞんざいに言ってみただけ。

その昔一眼レフという重厚なカメラを買ったときに、しっかりした三脚を購入した。
しっかりし過ぎていて実に重い。よほどのことがないと持ち歩く気になれない。
そこで、重宝するであろう一本足、いや一脚である。持ち運び簡単、幅を取らない、どこにでも立てられる。手ブレを恐れず思いっきりシャッターが押せる。

但しそんな便利ばかりではない。なんせ一本足。自分で立ってはいられない。必ずカメラマンの手を借りるか、壁を頼りにするしかない。が、それはそれでいい。
三脚は三脚のよさが、一本足にはそれなりの便利さとよさが・・・。

猛スピード滑降する孫の雄姿を撮るのは、深い雪を掻き分け斜面で構えるのだという。重い三脚より軽量便利な一脚で事足りる。むしろそちらのほうが良さそう。

こうして選ぶのは私の判断。適材適所。間違ったら誰でもない選んだ私の責任。
「あなたは人事がヘタですね、不適材、不適所じゃないですか・・・」と詰め寄られる、大臣の任命責任者に聞かせてあげたいセリフですな~。

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