「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「葉月つごもり」

2020年08月31日 | 季節の移ろい・出来事

ようやくというか、やっとの思いで「葉月つごもり」を迎えた。と言ってもそれは、飽くまでも暦の上での話。
異常気象を絵に描いたような今年の場合、お盆が過ぎようが、8月下旬をむかえそして8月最終日になっても連日の猛暑は衰えを見せない。
朝から照りつけるお日様が痛い。お日様が高くなればさらに肌を刺す。夕方になればまた強烈な西日が汗をしたたらせる。

兎に角雨が降らない。夕立らしきものも8月中に1度もやって来ない今年は、乾ききった大地の温度を下げる間がない。来る日も来る日も朝から晩までガンガン照り。家庭菜園に毛が生えた程度の我が家の小さな畑ではあるが、張り切って実っていた夏野菜がついに枯れ果ててしまった。
なんとか助けようとどれだけの水やりをしたことか。それでも枯れた。高い水道代を思えば買って食べる方が安上がりかも。
     
などと愚痴グチ考えていたら、今日は「ヤサイの日」だという。8.31をもじったのだと言われている。
こんな不順なお天気の中、いくら専業農家とは言え野菜の出来高は落ちるはず。だから野菜の高騰がトップニュースになるご時世。
そんな中にあっても、キューリは真っ直ぐで役20㎝とか、トマトは小ぶりも大ぶりもまん丸くてカッコよくなければならないとか言っている。これほど野菜不足で高騰していてもなお、下らん規格を持ち出して出荷量が抑えられている。アホみたいな話である。

我が家のキューリなんぞ、形もサイズもあったものではない。Sの字だろうと、ウリと間違えられそうな超大型でもキューリはキューリよ。
何より新鮮さこそイチバン!!瑞々しさと歯ごたえがあれば十分!!
スーパーの店頭で買う消費者も、生産する人も仲買業者も、見栄えや形にとらわれず、実ったものは全て商品にしようじゃないか。出荷する前に規格外品として腐らせるほど、我が国の農産物の生産能力に余裕があるとは思えない。

8月31日野菜の日を契機に、野菜の本当の値打ちを見直そうや。そうして高騰する価額を抑えることが、景気の底上げになるのでは??

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「時の移ろい」

2020年08月30日 | つれづれ噺

          
                           つぼみから花開き           実を結ぶ         熟して美味しい食べ頃
              
               やがて実は苞とよもにしおれ        やがて枯れる。そして・・・

8月最後の週末。昨日も今日もやっぱり暑かった。
ジリジリ灼け付くような日差しが容赦なく降り注ぐ。半袖半ズボンでは露出の皮膚が悲鳴を上げそう。
8月最後の里帰りを、目いっぱい楽しもうとする小1の姫孫さんには、そんな日差しなどものの数ではない。
さっさと日傘2本を用意して「じいちゃんお散歩に行こう」と手を取りにくる。エ~ッと思いながらも「まいいか、今のうちだ」と思い直してお付き合い。

いつもと変わり映えせぬレンコン繁る農道をテクテク。彼女には彼女なりの発見があるようだ。
こちらは別になにを考えるでもなく、日傘のお陰をこうむりながら、訊いてくる質問に答えるだけ。
それでも、広がる蓮田を見てみると、ひところより花の数がめっきり減っているのに気付く。その分、花の後にできるハスの実が無数に晩夏の風に揺れている。

ピンクがかったつぼみから純白やピンクの花を咲かせる。その花はどれ一つ違うことなく小さなハスの実を結ぶ。間もなく大きく成長し食べごろを迎える。といっても、小生の子供ころと今は食料事情が大きく異なるので、ハスの実が美味しいなどと言ったら笑われる。でも子供のころには格好の夏のおやつであった。下手をすると、地主さんから叱り飛ばされる。そんな危険を冒してでも食べたいハスの実だった。

そんな美味しいハスの実もやがて大きく開いて硬くなり、時が来れば枯れていく。そして今度はそれが、生け花の花材になったり、油絵のモデルになったりするのである。なかなか面白いハスの花の一生ではある。

時の移ろいと粋なもので、神羅万象みんな成長させ、絶頂期を迎えさせ、やがてしおれさせる摂理を持っている。
お辞めになった総理大臣もいま、時の移ろいを感じておられるのでしょうねぇ。

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「一つの時代が」

2020年08月29日 | ニュース・世相

           

似顔絵というのは不思議である、といつも思う。
特に、絵心とか、イラスト心といった、ゆとり思想を持ち合わせない小生には、似顔絵を上手に描ける人は尊敬に値する。
その心は、似顔絵一つでその時々の体調の塩梅や気持ちの奥まで覗き見たような表現がなされるところにある。
目撃したその直感を見事に絵筆に乗せること。またその見透かす観察力も含めて羨ましく思う。

この人の似顔絵を何人の人が何回描いたであろうか。この人以上に描かれた人は他にいないのでは、と思わせるほどである。
そこには、安倍晋三首相の連続在任日数が2799日(7.67ケ月)となり、大叔父である佐藤栄作元首相の記録を抜いて、歴代最長となったという長き在任期間がそうさせている。自民党総裁としての任期は残り1年余りあったわけだから、健康不安さえなければ、記録はさらに延びている。ということは、もっと多くの似顔絵を描かれるところであった。

何も似顔絵の数やそのうまい、へたを話題にしたいわけではない。
問題はその長き一つの時代を、一国の総理として、リーダーとして、他国との駆け引きに埋没することもなく、精一杯駆け抜けてきた功績を、先ずは両手を叩いて褒めてあげるべきである。「長いことお疲れさま」と。

「でもねー、あれこれあってねー」と言う人たちは、自分にそのリーダー役を担える力もなければ、人望もなかったということではないのかな。
なんだかんだ言いながら、歴代最長任期を委ねてきたのではないか。途中で降ろせるだけの人材が、与党野党両方から出てこなかったのだから、潔くその功績を認めるのが大人の見識というものではないか、などと言うのは暴論かね~。
体調不良もあって、そのリーダーとしての責任を全うできない自分を悟って、自ら築いた一つの時代に自ら幕を引く。ご苦労さんですよね~。

しばらくは自民党総裁選挙、いわゆるポスト安倍政権が全ての注目を集めることになる。
野党の皆さんも、数あわせの野党連合にだけこだわりすぎると、世間の耳目から置いてけぼりされないように頑張らないと。
今この時の首相退陣というビッグニュースは、他のどんなニュースも消し去る力を持っている。そんな気がしないでもない。

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「涼を求めて」

2020年08月27日 | つれづれ噺

                                        
                                   夕涼みにはちょっと贅沢な絶景スポット、岩国錦帯橋夜景五連のアーチ。

口に出すのも憚られるような連日連夜の猛暑、熱帯夜。五尺の体の置き場に困る、などと言えば少し大げさだが、兎に角逃げ場のない暑さが続く。
エアコン利かせて弱風の扇風機でも回せば、確かに「この世は天国」の気分を味わえる。が、それもいっときのこと。
テレビから流れる広島カープの選手たちが、華やかな笑顔で躍動しているならそれはそれでヨシ!しかし、中6日も7日も休んで出てくる先発投手が、試合を作ることもできずに早めの降板。後は負け試合を見るだけという惨めさは、この暑さの中では耐えられない。

早めにテレビもエアコンも扇風機も止め、天然の涼を求めてひとっ走り。岩国のシンボル錦帯橋夜景を目指す。
約1ケ月前の鵜飼い遊覧は、川面から見上げる五連のアーチであったが、夕涼みの眺めは錦帯橋とほぼ同じ高さで真正面に見据える。
「もう少しの川風が欲しいね~」と思いながらではあっても、さすが岩国のシンボルであり国の名勝指定だけあって、見るべき価値のある夜景ではある。

                
              錦川を挟んで岩国側に広がるホテル街    照明灯真下が錦帯橋第一橋。五連の橋を渡ると横山側へ

ここで、中国地方の観光スポットの一役を担う「岩国錦帯橋」の歴史的背景などについて、少し解説を加えさせていただきたい。
話が長くなるので、興味のない方にはこれより先は読み飛ばしていただいて結構。

 錦帯橋特徴:日本三大名橋の筆頭で三大奇矯のひとつ。日本を代表する木造橋で、特異な姿の木造五連の太鼓橋が有名となっている。
 錦帯橋概要:長さは全長193.3m、橋面に沿って210m。幅は5m。高さは最も高い第3橋で13.03m。橋台の高さ6.64m。
 創建の目的:岩国領主初代吉川広家は、自然の流れ「錦川」を外堀に見立てて岩国城を横山山上に築城し、居館や上級武士の館はお城の麓に配置し 
       た。横山地区は手狭なため、中級武士や町家は錦川対岸の錦見(にしみ)に置き岩国城下町を形成した。横山と錦見は川幅約200mの錦川
       で隔てられているため橋は必要不可欠であった。
 創建者  :何度か架けられた橋は洪水などで流された。三代領主吉川広嘉は、流されない橋の架橋を決意した。
 建設ヒント:明の渡来僧「独立(どくりゅう)」の持つ「西湖遊覧志」にある島伝いの石橋の絵図。甲斐(山梨県大月市)の桂川に架かる「猿橋」など
       を参考とし、部下の名工児玉九郎右衛門に命じて1673(延宝元)年に、現在の形に似た初代錦帯橋を完成させた。
 錦帯橋歴史:翌1674年の洪水により流失したが、広嘉はめげずに二代目架橋に挑戦。同年11月に完成させた。
       以来276年間不落を誇り、人々の貴重な生活の橋として長年活躍した。1922(大正11)年3月、国の名勝に指定された。
       1950(昭和25)年9月、中国地方を襲った「キジア台風」により、276年の長寿の歴史に幕が下ろされた。
       2年間の歳月と、現在の金額にして約60億円の巨費を投じ、当時の岩国人によって三代目錦帯橋が再建された。
       その後通行量の増加や、観光客の安全確保など観光資源確保等の観点から、三代目建設からおよそ50年を目安に建て替えが検討された。
       そうして2001(平成13)年秋から、昔ながらの木組み工法で架け替え工事が始まり、2004(平成16)年3月に竣工して現在 
       に至っている。        (文献:「いわくに通になろう」岩国検定実行委員会発行)

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「足跡の形を」

2020年08月25日 | つれづれ噺

              
                  テレビに流れた映像 

暑い。全く雨が降らない。地上も人の気持ちもからっからに渇いている。
コロナは日に日に感染が拡大し、山口県内でも数値は確実に伸びている。気持ちは自然に萎縮する。行動は自粛が優先する。そんな中でも、ただただ家に閉じこもってばかりでいいものか。この性格ではそうも行かない。

長いことつながりのある市民活動支援センターから、主催する講座へのお誘いを頂いた。
司会進行や議長などの役割の重要性は今さら言うまでもなく、如何に耳目を集め、参加者個々の意見や思いを述べさせる雰囲気作りである。同時に、決めることはちゃんと決める。つまり結論を導き出すことにある。
そんな会議の進行の仕方、結論への誘導など、いわゆるスムースな会議の進め方。つまり「議論の見える化」を取り入れるとさらに議論が深まり、よりよい結論を得る。といった内容の講座であった。

これまで、ありとあらゆる会議や集会の進行役を仰せつかって来たと自負しているが、今回の講座は、これまでとはひと味違う魅力を感じてもいたし、これまでの自分のやり方を振り返るチャンスにしたい思いもあった。自慢は知恵の行き止まり。反省無きところ進歩無し。こんな思いで参加した。

会場には地域のケーブルテレビが取材に来ていた。「どういった目的で参加されたのですか」お決まりの質問でカメラを向けられインタビューを受けた。そんな映像がニュースとしてテレビ画面に流れた。すぐに色んなところから、冷やかしの電話やメールが入る。テレビ報道とはそんな素早い反応をみせる。

決して大したことでもないし、何をしたと言うわけでもないが、自粛に次ぐ自粛のお籠もりさんを返上。何かを求めたわけでもないが、行動に移したら、こんな出来事が待っていた。と言う話。
体調管理はしっかりと。度を超えた無理は禁物。この二つを肝に銘じて、やはりお籠もりさんは返上したい。段々先が短くなる人世なのだから。今のうちに色んな場所に色んな形の違う足跡を残しておきたい。

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「夏休み最後の日」

2020年08月23日 | 地域活動

          
          学校環境整備の開会式。二密防止でバラバラに集合

市内の小中学校の夏休みは今日で終わり。
明日からは、まだまだ熱い陽射しの中を重いランドセル背負って通学することになる。
当然、孫君もやっとこさ小5の二学期始まりで、じいちゃん学校を終えた。

地域にある小学校では、夏休み最後の日曜日を「学校環境整備の日」と決めて、保護者や地域の人たちに広く呼びかけて、草刈りを中心に樹木剪定や運動場の草むしりなどが行われた。孫君とは関係ない学校ではあるが、地域活動の一環で動員が掛かるし、地域の広報活動を預かる立場として写真撮影やわずかながらの取材活動も含めて、朝から大汗をかくことになる。

          
        こちらは草刈り機などの使用で、危険防止から自ずとディスタンス

さて、児童や生徒の授業は明日から始まる。義務教育の授業時間数などの教育行政からみれば、ここらで学校再開が必要という理論はよく理解出来る。
しかし、4月に新学期が始まって間もなく「緊急事態宣言」などで臨時休校に至った時期に比べると、実際のコロナ感染リスクは、現時点の方が遙かに大きく、感染拡大の第二波真っ只中と言っても過言ではない。

そんな中を学校再開で登校させるのは、保護者の一人としては不安な思い大である。
一方で、これ以上授業時間数を減らすことは、もう限界なのだろうというのが素人目にも解る。しかも、孫君を見ていると、ゲーム機片手に、全く目に見えない遠くのお友だちとしゃべりながら、大声で喜んだり悲鳴を上げたりして遊ぶ方法が完全に板についている。家の中にいることがなんのストレスにもならない、という恐ろしい時代であることも事実。

どちらも「なんとかしなけりゃ」と思うことばかり。ならば、ちゃんと決められたとおり学校に行って、規則正しい生活の中で、コロナ対策に万全を期して、義務教育課程を全うさせることがベストなのだろう。それには、学校の先生はもとよりだが、保護者のコロナ対策教育もおろそかにしてはならない。どっちにしても厄介な世の中ではある。

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「花火の季節に間に合った?」

2020年08月21日 | 季節の移ろい・出来事

              
                尺玉の花火を思わせる、季節を外した大輪のアジサイ

連日の夏日、真夏日、猛暑日と言われる暑さに驚いたのか、それとも、季節を外して一輪だけ見事に咲いて人目を引きたい魂胆なのか。
昨日の朝、庭のアジサイ「墨田の花火」が真っ白い、それはそれは素敵な花を咲かせた。ここでは「狂い咲き」などとは言わない。
思わず、というか「してやったり!」というか、兎に角カメラに納めようと、椅子を持ち出し真上から撮ってみた。

これがまた面白いことに、「墨田の花火」まさにその名に恥じない、尺玉と呼ばれるほどの見事な大輪の花火を思わせる咲きっぷりである。
何を間違えたんじゃろう、と正直思う。まあ深くを追求せず、咲いた花の見事さを愛でてやるのがいちばんである。

夜空を見上げて思わず歓声とため息の入り混じる実物の花火を、ただの一度も見なかった夏は、長い生涯の中でも今年くらいなものだろう。
コロナコロナに圧されて、例年の花火大会という花火大会は全て中止に追い込まれた。
それでも、夏には夏の風物詩で盛り上がろうとする、地域における花火大会はあちこちで開かれた。それさえも、人が密集するいわゆる「蜜」を避けるために、あらかじめ宣伝することも、大きく見物客を集めることもないままに終わった。一抹の淋しさを感じてはいた。

そんな家主の思いを受けて発奮したのか、庭のアジサイが一輪だけの大花火を見せてくれた。と思うことにしよう。
ま、ものは考えようだ。溶けそうになるほどの暑さをなんとか耐え、コロナの感染対策は自らに厳しく、一つでも多くのオモロイことを探して元気に過ごしていれば、色んな事が目に入り、ガマンを癒してくれることもあろうというもの。

あしたの暑さにも、第二波真っ最中のコロナにも負けんように、目を見開いて周囲を感じるアンテナは錆びさせないぞ~っと。

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「夏休み、作文材料」

2020年08月19日 | 家族・孫話

         

夏休みの恒例行事として孫達から毎年1回は、ふる里の川にハヤ釣りや水遊びをせがまれる。
今年はコロナ禍で短い夏休みなので、広島に住む姫孫はついに実現しないまま終わった。近くに住む小5のアウトドア派の代表みたいな孫君は、なんとかやり繰りして今日やっと、あの炎天下を厭わずハヤ釣り道具や弁当、飲み物を積み込んで、1時間ばかりクルマで走った。

着くが早いか上半身裸で釣り竿持って川に入りハヤを釣り始める小5君。一旦呼び戻してライフジャケット(救命胴衣)を着せ、ゴーグルを頭につけさせて「ゴーサイン」。鵜飼いの鵜がアユを求めて水中に潜るのと同じような勢いでハヤを釣り始める。2匹、3匹上手に釣り上げる。

ふと目をやるとそこには、豪華な釣り竿や、値の張りそうな生け簀や釣り上げた魚をすくう網などが置いてある。「これはアユ掛けに来た人の高価な道具に違いない。近寄らないように」注意してハヤ釣りを続けていたら、かの豪華道具の持ち主が上流の偵察から帰って来た。本当はここでアユ掛けをするつもりだったようだが、孫君は泳いだり川の中を駆け回ったりしてのハヤ釣りなので、アユなど追い払ってしまったようだ。気の毒ではあったが、ここは私たちのふる里だから、と大目に見てもらった。

詫びの気持ち半分に、先ず道具を褒め、アユ掛けの魅力などを訊いているうちにすっかり仲良しになった。「ボク、アユ掛けを教えてあげよう」と、思いがけない提案にすぐに乗っかる小5君。「アユの友掛けはね、こうして・・・・・・」と、生きのいいアユを生け簀から出して、頭のあたりを釣り糸で上手にくくり、その周囲に針をつけて「こうして泳がすんよ、縄張りを取られんように、この川のアユが攻撃してくるのを引っかけるんよ」。漁法とテクニックをうまく説明して、あの高価な竿を持たせ、「こうして流れに逆らいながら右に左におとりのアユを泳がせるんよ」と教えてもらった。

   

「この子はスジがええよ」と何度も褒められながらがんばった。しかし、アユも素人の手に掛かるほど甘くはない。残念ながら掛けるところまでは至らなかったが、夏休みの作文の材料にはとっておきのものとなった。姿といい恰好といい、随分な投資をした職人肌で、一見気難しそうなおじいさんだったが、道具褒めが効いたのか、まさしく初めてのアユ掛け体験までさせてもらう幸運に恵まれた。

暑さとコロナ対策で家にこもるのもいいが、三密を避けられる場所なら、思い切って出かけてみるのも悪くない。何より、孫君の宿題の手助けが出来たとなれば、ジジの面目躍如である。
それに、好奇心のカタマリのようなこの時期に一つの新たな体験は、偶然の出会いに心から感謝である。

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「年の差を超えて」

2020年08月18日 | スポーツ・観戦

               

小さな団地の小さな公園に、年の差など関係ない歓声や「ナイスッ!」「惜しいっ!」などの掛け声が響く。
公園沿いの道を歩く人も一瞬立ち止まって笑顔で見守ってくれる。〇〇団地グラウンドゴルフ同好会(G・G)という小集団。
小雨が降っても頑張るし、この暑さの中でも週3日の開催予定日は必ず数人が集まる。

但し、お盆の期間は1日だけお休みしてお互いの英気を養った。そして盆明けの今日から今年の後半に向けて練習がはじまった。
最高齢は82歳の男性。次は80才の女性。若手は小学5年生11歳、小生の孫君である。長期の休みだけ特別参加する。さすがにスポーツマンだけあって、みんなの仲間になり切って楽しむことには慣れている。なかなかの勝負勘を持っているようで、大々先輩を褒める言葉も慰める言葉も知っている。まるでG・G仲間のアイドル的存在となっている。
この子がいるお陰で一段とおしゃべりも弾むし、プレーにも力が入っているように見える。

プレー前のラジオ体操では、82才も80才も若々しく率先して身体を動かしている。体操を終えて2・3分、スクワットや片足立ちの基礎訓練は、80才女性がリーダーを勤める。これはいつも話題になるほどの軽やかさで、両手を拡げカカシよろしく片足立ちを長いときは30秒も連続で。
こういうのを見せられると、70代の我々はボーっとしていたら叱られそう。ついつい引きずられて必死にがんばる。

もちろん汗は流れる。各自持参の飲み物を随時飲むように勧めるとおしゃべりも始まる。「私、5年日記をつけているんよ」とか「60才を迎えた時、やっと自分を褒めてあげられる生き方をしてきたことに気付いた」などと、くだんの80才女性がポロッとおっしゃる。これが素敵な生き方、これぞ参考にしたい良き先輩との出会いである。こんな素敵な出会いが、小さな団地の小さなG・Gに隠されていた。

熱中症にだけは十分な注意をして、この暑さの中でも続ける意欲を与えられた気がしている。

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「日本列島サウナ風呂」

2020年08月16日 | ニュース・世相

            

暑い、実に暑い毎日。庭の木々も畑の作物も、雑草までも弱らせるほどの強烈な日照り続き。
長い間の雨無し水不足。人間までも干からびそうである。

      言うまいと 思えど今日の 暑さかな

なんにもしていなくて、只座っているだけで汗が流れる。喉が渇く。やたら冷たい飲み物が欲しくなる。
この状態は、まるでサウナ風呂に座って、ガマンしながら汗を流すのに似ている。それも、湿度を抑え、乾燥した高温の正規のサウナ風呂ならともかく、湿度を伴う蒸し暑い、入場料を値切った安っぽいサウナ風呂に似ている。

とは言っても、自分でも実際に経験したことはないが、値切ったサウナ風呂は「こうなんじゃなかろうか?」と思わせる、イヤ~~な暑さが続く。
それでも月日は確実にながれる。今日でお盆も往き、現世にお帰りになっていた先祖の御霊も再びあの世へお戻りになったであろう。京都では、五山の送り火の大文字焼きもコロナ禍に配慮して、文字の端々と交点の6ケ所だけに火を灯したというニュースも流れた。

昔なら、お盆が来たら川や海での泳ぎは「猿猴に引かれるから」と、固く戒められたものだ。
今は、暑ければ涼を求めていつであろうが、どこであろうが勝手に泳ぐ。そんな節操のなさは目立つが、それにしても、いつまでも水に浸かっていたくなる暑さではある。

いつまで続くこの暑さ。「値切ったサウナ風呂に入った不運」とあきらめて、自分の身は自分で守り、救急搬送されて医療機関を圧迫させることだけは避けましょうや。御身ご大切に、ご同輩!

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