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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「やっぱり、故郷の」

2025年06月17日 | 季節の移ろい・出来事

 
     
     

義兄から預かっていた故郷の梅園。義兄の逝去に伴って、返上した。
枝打ちや剪定、下草狩りなど梅園の守をしないまま梅の実の季節を迎えた。足もとは背丈ほどの雑草や低木で、梅の木に近寄るためには相応の作業が必要になる。
こういった農作業は、1年サボると普段の3倍くらいの労力が要る。毎年、毎年、繰り返し季節に合わせて手入れをしておかないと、生り物など収穫は期待できない。

それがなんと、道路から5mも下になる梅の木に、上から見ても、目に十分入る赤い梅の実がたわわに。
何ともこのままほったらかしにするには忍びない。一昨年まではちゃんと手入れして、50kg60kgの収穫があったのだ。道路から見える部分だけでももぎ取って何かに使おう、ということになり、長い梯子を使って直接がけ下に下りて、一部分だけをもぎ取ってきた。
そんな無謀なやり方が来年も出来るかと聞かれれば、おそらくノーであろう。それほど危険で、5m下の梅園まで下りたり、実を引っ提げて梯子を昇るのは大変。怪我でもしたら物笑いにされるだけ。
    

一仕事終えて、汗を乾かしながら冷たい飲み物で涼を取る。梅林の向こうから故郷のせせらぎが聞こえる。
まさしく、岩にせかるる滝川の割れても末に・・・真っ白い泡を立てて、せせらぎと言うには少し大きめの音を立てて流れ続ける。これぞ故郷の音だね~。約16kgの梅の実とともに、グジャグジャの梅林を後にした。
この先この梅林はいったいどんな森に戻るのか。森に戻さない馬力がなくなった私たちが考えても仕方ないことだけど、誰か馬力のあるもの好きが現れないかね~。現れないよね~。

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「松の花粉」

2025年05月09日 | 季節の移ろい・出来事

          
                 見事に実った、松の花粉

我が家の庭で、お客様を出迎えるように、頭を垂れた形の小柄な五葉の松。「鶴が羽を広げているような」と表現してくれる人もある。形容は人それぞれの眼と感性にお任せして。

この小さな松も季節を違えず、無数の新芽を吹いている。その新芽が伸びる根っこに杉の実程度の胞子を付ける。これは松の花と言うべきではないか、と自己流に判断している。何故なら、この胞子に触ろうものなら、それはそれは微細な粉、いわゆる花粉がブワーっと広がる。近年花粉症に悩まされるこの身にとって、文字通り大敵である。松の新芽はそろそろ摘み始めなければならないのだが、この花粉にやられるのが怖くて、日一日と先延ばししている。

何日も先送りはできないので、思い切りホースで水をかけ、花粉を飛ばすか湿らせて、兎に角芽摘みをしなければならない。決められた時期があるわけではないが、その年その年で異なる生育の状態に合わせて摘んでやらないとね。我が家にやってきて来て20数年。家族みたいなものだから、枝ぶりがよくて勢いのある鑑賞用松にしてあげないとね。

もう一つの悩みは、gooブログ活動停止に伴う、他のブログへの引っ越し作業である。
スタートするときに苦労した今のgooブログだが、17年も使っているうちに、指が勝手に動いてくれるような親しみがあった。しかも同じブログ仲間が増えて、友達付き合いのような親しみも感じて来た。
使用経費など一切かからない上に、文章と写真撮影など、ボケ防止には最高のアイテムであった。また一つ苦労して新たなブログサイトで、もうちょっとだけ頑張ってみたいと思っている。

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「皐月ついたち」

2025年05月01日 | 季節の移ろい・出来事

錦帯橋の奥座敷、吉香公園は市民憩いの広場でもあり、四季折々の花々が咲き乱れている。

  
                  コアヤメ(シベリアんアイリス)
  
                公園内いたるところ つつじ&ツツジ
  
   

皐月は鯉の吹き流し。皐月ついたち、まさしく風かおる絶好の季節到来。
カレンダーには幾つかの外せないスケジュールが書き込まれている。それはもちろんスマホの予定欄にも刻まれている。そのくらい念を入れておかないと、月一の大切な活動をスルーしたら大変。そんなことをしたら誰が困るといっても自分自身が大きな損をした気分にさせられる。

明後日からの4連休が我が家にとってほんまもんの忙しいGWとなる。その前に駐車場も空いていて人の往来も比較的少ない今日を選んで、ご当地の観光地へ花の盛りを見に行ってきた。空気もしっとりおいしくて、騒がず慌てずゆったり流れる時間を味わってきた。今年の中間点に向かう季節、大いに楽しみたい。

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「卯月つごもり」

2025年04月30日 | 季節の移ろい・出来事

    
          大根菜の花                  スイセンアヤメ
卯月つごもり。世はゴールデンウイーク(G・W)の真っ最中、どこもかしこも大賑わい。特に開催中の大阪関西万博は、G・Wに限らず大人気の様相で、私など田舎者にとっては眩暈がしそうな人の波・人のうねりを想像している。

もう一つの卯月つごもり4月30日は、拙ブログ「世の中ちょっとやぶにらみ」のHappyBirthdayでもある。親しき先輩ブロガーの手ほどきを受け、というか何度も手を煩わせて、ようやく形を整え、おっかなびっくり公開に踏み切ったのが【2008年4月30日】である。あれよあれよという間に17年経っている。ブログの開設からの日数は6211日目と表示されている。

独りよがりの単細胞思考であったり、その時々の孫自慢であったり、ご訪問頂く皆様のお役に立つものにはならなかったことを反省しています。が、これ以上もない、これ以下もない自己流思考を振りかざして、自称エッセイブログ「世の中ちょっとやぶにらみ」として続けさせて頂くことをお許し願います。

心に映るよしなしごとを、堅過ぎず柔らか過ぎないよう言葉を探し、自らの思いを織り込んで、出来るなら生きた文章となるよう努力したいと考えています。そこには、単なる写生にならないよう、作り事や他人の文体模写にならないことを自らに言い聞かせて、17年1日目に向かってスタートします。
今後ともよろしくお付き合い頂きますようお願いします。

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「弥生つごもり」

2025年03月31日 | 季節の移ろい・出来事

          
              枝いっぱいに花を付けたモクレンと桜一枝

今日は温かいね~と言って軽装になったと思ったら、慌てて冬物ジャンパーを着こんだり。とっくに彼岸は過ぎたというのに寒暖の差が激しく、寒さと暖かさが行ったり来たり。花粉は舞い飛び黄砂は舞い降りる。
などと愚痴っていたらもう今日で3月が往き、年度変わりを迎える。

あちこちから桜満開の声が乱れ飛ぶこのころは、夏野菜の畑づくりが忙しくなる。雑草除けの黒いビニールシートで覆っていた部分はいいが、シートの周りにはべったり雑草がはびこっている。先ず草取りから、次いでシートを剥がして肥しや石灰を入れる。そしてまたシートをかぶせる。普段のおサボリのつけが回って足腰が悲鳴を上げる。それでも今やっておかなければ手遅れになる。早くから少しずつやっておけばいいものを。

やっとこさ予定の作業をこなし、重い腰で家に入るとき郵便受けを覗くと封書と葉書が1枚ずつ。封書はグラウンドゴルフの大会案内。問題は葉書ですよ、内容が奮ってますね~。
「おじいちゃん、おばあちゃん、三百さいになるまで長生きして、小説のかきかたやおいしいごはんのつくり方をおしえてね、大好きだよ。」だって。畑仕事の疲れも腰の痛さもいっぺんに吹っ飛ぶような嬉しい葉書。

この4月から6年生になる孫ちゃんが、初めて書いたお手紙なのだそうな。最初に出す相手がじいちゃんばあちゃんというのはええよね~。今年のお正月に百人一首などで散々遊んだ後、のんさんは何する人になりたい?って冗談半分に聞いたつもりジジに「小説家になりたい」と大真面目に答えた孫ちゃんにびっくりしたものだった。聞かれたから無理やり答えたのだろう、くらいに思っていたが実は気持ちの中で何か期するものがあるという話を母親から聞いてはいた。

ピアノに体操に塾にと忙しい中で、小説家を夢見ているとは、さっすがじいちゃんの孫ちゃんである、というのは関係ないが、小学6年生になる子の胸の中にこんな夢が秘められているとはねぇ。それにしても三百さいはちょっときついけど、少しでも長く生きてあげたくなる。高校球児の応援とともに楽しみである。

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「清楚に力強く」

2025年03月19日 | 季節の移ろい・出来事

                                             

逆戻りした寒さのなか、華やかにそして清楚に、艶やかさの中にキリリと張り詰めた空気感。
短大の学位記授与式にお邪魔した。幼児教育課程を修了した50人の卒業生。そのうち47人が女性。その大半が思い思いの振袖に袴姿も凛々しく、靴音を鳴らして壇上に立つ。

過去に何度か学位記授与式に侍ったが、今年ほど艶やかな振袖袴姿に目を奪われたのも珍しい。
そしていつも思うのは、こんな華やかな場で素敵な送辞・答辞を述べる学生に思わず拍手を送りたくなるが、厳粛な儀式だけにそれは許されない。これがアメリカ方式だったらどうなんだろう。涙を精いっぱい押し殺して、教職員に対してあるいは後輩へ保護者へ切々と訴える感謝の言葉、未来への決意を語る晴れ姿。間違いなく感動シーンである。
日本式ではシーンと静まり返るが、本場アメリカ会場だったら大いに湧き上がるんじゃないだろうか。
まあそこは国民性というか、厳粛を優先する日本には日本ならではの良さがあるということか。

かれこれ4週間前から咲き始めた我が家の寒アヤメ。寒さの中で清楚にして凛々しく咲き続ける姿が、今日の学位記証書を受け取る袴姿に重なった。
明日はお彼岸の中日。暑さも寒さもこの日を境に好転する。そんな期待を込めてカイロを貼ってお墓参りしよう。

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「春分ける日を前にして」

2025年03月17日 | 季節の移ろい・出来事

                  

三寒四温とは、冬から春に移りゆく日々の中で、三日寒い日が続いたら四日温かい日がやって来る、そんな状況を言うと思っていた。実はこの三寒四温とは冬の言葉なのだそうな。 本当の意味は「いくら冬と言っても三日間寒かったら四日間は温かい日がある」というのが本当だと。目からうろこは私だけかな?

でもやはり春分ける日を前にした寒さ・温かさのサイクルは三寒四温。やはり春の言葉だよね~、と逆らってみたくはなるが、元々冬の寒さの変化を言い表したものというから、逆らわないでおこう。
そして春分ける日、つまり春分という言葉の意味がまたむつかしい。地球は1年の周期で太陽の周りを公転しており、この太陽の年周運動を天球上で表したもの、太陽の通り道が黄道という。黄道と天の赤道は天球上の2箇所で交わっており、春分点は太陽が天の赤道を南から北へ横切る点で、ここを通過するのが春分である。と説明されているが、天文学に疎い私などチンプンカンプン。読めば読むほど分かりにくくなり、子どものころにあれこれ想像したことが全部壊されそうなので、これ以上深入りは止そう。

まあそんなことより、暑さ寒さも彼岸までと言われる春のお彼岸を前にした、時ならぬこの寒さにご用心。
花粉に黄砂まで混じって空気は薄汚れている。風邪ひきさんにとってこんな空気は大敵、鼻炎や副鼻腔炎を増長させる。風邪は万病の元と言われる一つでもある。先ずは風邪をひかないこと。
これは誰に言うわけでもない。強いて言うなら、自分自身への戒めである。厳しい鼻炎にひっきりなしのくしゃみ。体力消耗を強いられる。

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「ひな祭り」

2025年03月03日 | 季節の移ろい・出来事

                 

春一番と言ってもおかしくない猛烈な風が吹いている。いつも通る国道188も、潮の加減によっては強風にあおられた波が防波堤を乗り越えて、路面に叩きつけている。そんな波を避けようと不用意にブレーキでも踏めば追突のされる怖れがある。これほどの強風でも山口県は単なる強風。関門海峡を渡った九州では春一番だという。別に春一番と認められなくても、自分たちの感覚ではこの時期のこの強風は「春一番だよね」「うんうん」となる。

まあどっちでもいいようなものだが、3月3日の今日は、本来はお雛祭り「女の節句」である。
孫たちの家には、嫁さんの実家から贈られた近代的な雛飾りが光彩を放っている。それに対して我が家の場合は、50年前の娘の雛祭りに頂いたオーソドックスな七段飾り。朱色の毛氈にお内裏様にお雛様、五人官女の笛太鼓。これはこれで、孫たちは目を見張って喜ぶのだが。残念ながら階段下の倉庫の重しになっている。出すのも仕舞うのも大変だが、足ったり座ったりして飾り付けるのが、我々の力では危なっかしくなった。

そして今一つの3月3日は「ミミの日」だという。耳を傾ける耳寄りな話に、壁に耳あり障子に目あり。良くも悪くも色んな所に登場するお耳さんではある。耳の大きい人とは、耳たぼがでかい人のことではない。人の話をしっかり聴く人のこと、つまり、話す人の悩みも法螺も親身になって聴いて上げる、度量の大きい人のことかな。そういう意味では私なんぞ耳が小さいんだね~。自分のことを他人に聞かせることは多くても、聴く側に回ることの方が少ない。どこにもあふれている一般的なタイプである。

もっと大きな耳の人間になりたかったけど手遅れだね~。今じゃ耳の話になったら、補聴器をついつい真剣に考えてしまう。まだまだ聞こえてるよとやせ我慢しながら、都合のいい話は聞こえても、逆の場合は「聞いてないよ」などととぼける耳のお話。勝手ツンボと言っていたが、今はそんな表現をしてはいけないという、耳の日の耳の話である。

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「弥生ついたち」

2025年03月01日 | 季節の移ろい・出来事

  
   学校長の式辞に耳を傾ける卒業生         退場する卒業生に、在校生から花のプレゼント

弥生ついたち、言わずと知れた高等学校卒業式の日。縁あって今も母校のお招きを受けて、式場に侍らせてもらっている。忘れかけているといえばかっこいいが、ほとんどを忘れている遠い青春の一ページを、敢えてよみがえらせてもらっている幸運に酔っている。そんな1年に一度の有難い一日、緊張を覚えるひと時である。

袴姿も凛々しい校長先生が、148名の卒業生に卒業証書を渡した後、式辞が告げられた。遠い昔に心に刻んで今もそらんじて歌うことのできる校歌の一節一節を、丁寧にひもとき、卒業生に説き聞かせる内容が、実に心地よく、耳に、胸にしみ込んだ。

67年前に入学した当時に歌い始めた校歌であるが、当時は難しい漢文の朗読みたいでなかなか馴染めなかった記憶がある。そんなことだから、我が卒業証書を手にした時の胸の内を思い出そうとしてはみるが、徒労に終わる。ただ一つ強烈に覚えているのは、卒業と同時に学校推薦の職場を得たこと。つまり仕事をすることで「親の苦労を少し減らせる。できるだけ稼いで家計を助けよう」という、現実的な喜びに浸った。

今卒業証書を手にして旅立つ彼や彼女たちには、そんな現実は縁遠いことだろうと思う反面、同じように働いてもなかなか生活にゆとり感が持てなかったり、ありとあらゆる誘惑が忍び寄る危うさとの闘いなど、時代を背景にした色んな選択肢があり、色んな人生がある。踏み間違えさえしなければ、今の方が面白い世の中と言えるのだと思う。一人一人に幸多かれと、入場も退場も手が痛くなるほど祝福の拍手を送った。

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「やっと人並みに」

2025年02月27日 | 季節の移ろい・出来事

         

我が家の玄関わきに植わっている八重の白梅。つぼみは大量に付いていて、いつほころび始めてもおかしくないのにつぼみがなかなか膨らまなかった。この写真を撮ったのは2月2日である。あれから優に3週間が過ぎ、如月も終わろうかというのにどうなってんの、とやきもきした一昨日あたりから二輪・三輪、まさにちらほら。

そして昨日・今日の思いがけない暖かさに、あの固かったつぼみが一気にほころんだ。やったぜ。梅のつぼみがほころんだぐらいで何をそんな大げさに・・・という向きもあろうが、手入れをし、水やりを忘れず一緒に春を待ったのよ。
       
それにしても、一旦つぼみが付いてほころぶのは目前の日から、ひどい寒波がやってきてふくらみかけたつぼみを一気にもとの固い小さなつぼみに戻してしまった。つぼみの状態が長く続くと、腹を減らしたヒヨの餌食になりかねない。

こんなわずかなことでも平年通りに行かないと、何かしら不吉な勘繰りが頭を駆け巡る。なにかと不安材料が多すぎる昨今。とにかく異常なく穏便に過ごせる日々は貴重である。
花の時期が長い梅の花。香りと共にしばらく浅春を楽しむとしよう。

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