「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「参加することに・・・」

2012年05月11日 | ニュース・世相

          
           オリンピック聖火採火式。(ネットより拝借)

あと2カ月と2週間後に始まるロンドンオリンピック。
ギリシャのオリンピア遺跡では、世界を巡る聖火の採火式が行われた。
いつ見ても何回見ても、何かしら古代へ夢を馳せる儀式であり、各国の国旗を背負って参加す選手への思いが胸を熱くする。

ヨーロッパ信用不安の元祖であり、国家財政の危機に瀕しているとはいえ、オリンピックと言えばやはりギリシャ抜きでは始まらない。
10日に採火された聖火は17日までギリシャ国内をリレーし、18日にはイギリスに上陸、その後70日をかけて世界を巡るのだそうな。

国内では、日本代表選手が次々と決まり、歓喜の笑顔がこぼれる。
もちろん日本代表に選ばれることが最終目的などでないことは言うまでもない。
自分が選ばれることで、出場の機会を逃し悔し涙にくれる多くの人がいることを忘れてはならない。そのためにも死力を尽くしてがんばって欲しい。
破れて笑顔なんぞ見せて欲しくない。負けた悔しさを前面に出し、涙を流して次への雪辱を誓って欲しい。それこそが本当のスポーツ選手であり向上心の表れであろう。

だからといって「勝つことが全て」などと言うのではない。
そこで「オリンピックで重要なのは勝つことではなく、参加することだ」という言葉を思い出す。これは近代オリンピック創設者クーベルタンが言ったとされている。
が、実はそこには大きな歴史的背景や裏話が隠されていることを知った。

毎日新聞 余録によると、『104年前、ロンドンで開かれたオリンピックでは、アメリカとイギリスの選手間で感情の対立が高まり、反則の判定に不満なアメリカ選手による競技ボイコットもあった。
この時、セントポール大聖堂を訪れたアメリカ選手にペンシルベニア大主教がさとした言葉が「オリンピックで重要なのは・・・ ・・・」というあの名セリフになる。
クーベルタンがオリンピック精神を説いた演説でこの大主教の言葉を引用した。』と。

どちらが言った言葉にしても、確かに参加することに意義があるのは分る。
が、明らかに世界のレベルに到達していない種目については、先ずは国内で鍛えに鍛えレベルアップを図ることが大切な気がしてならない。
古来日本の武士道では「負ける戦はしない」のが常道。それがリーダーの資質でもあったはずだ。やるからには勝つ見込みがあるか、そのレベルまで己を引き上げる努力を惜しまなかったのだと思う。 

オリンピックなどテレビで観戦するしか縁のない人間の勝手な戯言と思し召せ。

コメント (4)
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