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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「茶碗」

2025年04月27日 | つれづれ噺

           
❝ 形ある物はいつか壊れる。その原因は時節到来 ❞ とは、ある高僧と小僧さんの頓智問答の中に出てきたのだと、あまり宛てにならない私の記憶であるがさてどうでしょう。これと似た言葉が『諸行無常』というのだろうか。こちらは歴とした平家物語の冒頭で、皆様ご承知の通りである。

それはさておき、数日前の夕食を済ませた直後に洗い物をしていたカミさんが大きな声を出した。「しまったお父さんの茶碗が壊れた」と済まなそうに言う。そりゃこっちもびっくりするし、長年愛用して来て手にもお腹にも馴染んできた大型の茶碗である。だが、壊れた物は元には戻らない。壊れたのはその物の持つ寿命、時節が満願に達しただけのこと、とすぐに新しい茶碗を手に入れた。

その茶碗は、壊れた今までのよりかなり小ぶりなものだった。「朝ご飯のお粥さんが少なくなりそう。昼までもてるのだろうか」と心配した。だがそんな心配は三日で消えた。その後は少なくなったその分量がベストのようにお腹に馴染んでいる。
帯状疱疹だ、前立腺がんだと、あれこれ病に襲われるうちに食欲だけは旺盛で、お腹周りと体重はこれまでに見たこともない数値に。それらを見越して朝ご飯も夕ご飯も量が減って、ポッコリお腹にも効果が表れそうな予感が。大きな茶碗から小ぶりな茶碗へ、それとなく自然な成り行きで移行していった結果、健康増進につながるなら、それまでの大振り茶碗ご苦労さん。小ぶりな茶碗よろしくね、である。

意図的に大振り茶碗が手から滑り落ちたのでは・・・などとは言わぬが花、思わぬが花。花盛りの4月も終わりが近づいている。

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「葉の色は移りにけりな・・・」

2025年03月24日 | つれづれ噺

  
    小松菜のなれの果て、小松菜の花           スナップエンドウの真っ白い花

春は出会いと別れの季節とは誰が言ったか知らないが、まさしく言いえて妙である。
我が家の借り物菜園でも、冬物野菜の主としてさんざん栄養補給をしてくれた小松菜が、いま見事に菜の花を咲かせている。隣では、これから実をつけるスナップエンドウの真っ白い花の盛りでもある。

春うらら、こんな季節に、90歳を過ぎても元気で独り暮らしを頑張っていた、母方の従姉から「九州の息子の所に行くことになった。長い間お世話になりました」とお別れの挨拶をもらった。車で30分くらいの田舎に住んでいて、ご主人健在のころには沢山のポインセチアを育てていて、クリスマスの鑑賞品として何度ももらい受けたこともある。若いころは夫婦とも裁判所勤務という、仕事はお堅いが非常に二人とも穏やかな人柄で、いとこの中でも特に親しいお付き合いのあった人である。

寄る年波には勝てず、彼女も息子の言う通りに九州へ行って近くの施設に入るとのことだった。彼女自身がサバサバして息子の勧めを受け入れ、独居を押し通すのは我がままだと理解していたのだから問題ない。
どちらかが一方的に我が意を通そうとすると、結果的に同じことになったとしても不幸を感じる危うさがある。互いに理解し合えばバラ色になる。微妙であり難しいものだね~と、近い将来の自分たちの立ち位置に思いは重なる。

また一人、身近な人が遠くに去った。遠くとはいってもこの世にいてくれる間はいい。ただ淋しいのは、遠くに行って、次に本当の遠い黄泉の国へ行ったときは知らされないことが多いということ。それもまた自然の理、知らぬが仏ということわざもある。いまはただ、元気に楽しい施設生活を送ってね、ということか。

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「手紙文化よ どこへ」

2025年03月23日 | つれづれ噺

   
      間もなく出番が 膨らむツボミ         そろそろ終わりが近い寒アヤメ 花盛り

約136億通、この数字はいったい何でしょう。なんてクイズを出すわけではありません。
2023年度の郵便物の総量なのだそうな。それも、ピーク時から比べると約半数に減ったのがこの数値というから、如何に郵便物の往復書簡が大繁盛した時代があったかという話である。そんな中に、忘れそうな大昔に書いては送った、幼い拙い、恋文と呼ぶにはあまりにもお粗末だったあの頃のあの手紙も、数百億通の1枚に数えられたのだろうね。その前に、友達の代筆をずいぶん頼まれた時期もあった。
書いてはみたものの切手も貼らず投函もせず、ごみ箱に落としたものもあったね~。

ここ数年は年賀状の落ち込みに代表されるように、郵便物の減量ははなはだしい。それに逆らうわけではないが、葉書だけは今もってせっせと書いている。はがき随筆252字の虜はしばらく続きそうである。
郵便物と公衆電話ほど目の前から消えていった、大切な通信手段はない。ただそれに代わって数倍も短時間で、音信という大切なことが足りる手段が身の回りにあふれている。ラインなどというお知らせ手段は、ごく簡単な文章を入れてポチッとしたら、瞬時にグループ登録者に一斉にお知らせが飛んでいく。あまりにも便利すぎて、お知らせを受け取った方も送った方も有難味が薄れてしまうような気がする。でもこれが現代のフツーなのだから、精いっぱい追いかけないとね。

それにしても、手紙文化、封書文化は残していきたい。ないものねだりかもしれないが、今も押し入れのどこかにセピア色に変わった大昔に受け取った封書の1枚もの残っているかもしれない。ないかもしれない。

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「癒しの長電話」

2025年02月18日 | つれづれ噺

                

昨日は国立医療センターで定期検診、今日は医師会医療センターで点滴。二日にわたって半日を病院通いに費やす忙しさ。
そうやって何とか健康イチバンを保たせてもらっていることを思えば、待たされるだの、病院にかかるトータル時間がもったいないなどと大口は叩かれない。と分かっちゃいても時々横着を言う。

やっとの思いで点滴を済ませて帰ったらカミさんは電話中。相手は私の妹で義理の姉妹が長い長いお話中。内容は、妹の旦那が心臓の血流を促す治療で、8時間に及ぶ大手術をした。手術室から出てくまでの気持ちの揺らぎや、最悪をも覚悟した様子などを、私の代理として長々と妹の話しを聞いている。幸いにも二人は同い年で、近ごろの旦那の好・不調はお互いの共通の苦労話。なかなか終わりそうにはない。

病院帰りで「オイ、コーヒー」と言いたいところだが、話の内容をある程度察知しながら長電話が終わるのを待つ。妹の旦那も私と近い年ごろ。かつて単身赴任が長かったこともあって、料理もできるし何かと小まめな義弟で、妻の立場からの旦那評価としては私などよりはるかに高得点であった。義弟も私も押し寄せる年の波にはなすすべなし。せめて奥さん同士が、互いを気遣い癒し癒されながらの長電話は、邪魔くさい存在ではなく、むしろ歓迎とすべきなのだろう。

それにしても「長電話」といえば固定電話を想像するアタシも古い人間だよねー、今はスマホだもの。

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「月曜日の病院」

2025年02月17日 | つれづれ噺

             

手術後9か月目の定期検診で、月曜日の今日11:00の予約で、岩国では最も大きな部類に入る国立病院機構岩国医療センターに出かけた。どっこの病院も同様に月曜日は患者の数が多い。待たされそうだな~というイヤな予感が、入り口ドアから一歩足を踏み入れたとたんに的中。カウンターフロアがある2回ロビーは長蛇の列。

10時半を回っている時間帯という不運もあって、診察を終えて書類を手に持った計算受付に並ぶ人。もう一塊の団体は、計算受付を済ませて支払い窓口から呼ばれるのを待つ人の群れである。なんであんなに時間がかかるのだろう。この人工頭脳万能な時代、しかもそういった先端技術の宝庫でもあるべき大病院のフロントが、待たせることは自然の理とでもいうように待たせる。具合が悪くて病院に来た患者を、一刻も早く我が家に戻らせるのが責務ではないのか。長時間の待ち時間に耐えられる元気な人でなければ病院に来られなくなる。そんな落語のネタになるような話は、科学技術の先端を走るはずの大病院には要らない。

注射もできるが、診療報酬の計算もできる。そして長蛇の列から患者を守るような二刀流の看護師さん養成はできないのだろうか。計算に強い人を多く雇いすぎると肝心な医療体制が脆くなる。逆に事務職ばかり多くなると経営は苦しくなる。臨機応変に看護師制服を着て計算や支払いのフロントに立つ。医療事務を職とする人に看護職もできるようにすれば、患者は助かる。でもそんな二刀流を提案すれば誰も求職してこないかも。

できれば月曜日の病院は避けたい。でも週に3日通院があると、曜日など言っていられない。曜日関係なしに待ち時間が少なくなる大病院の出現を待ちたい。ちょっと間に合いそうにない話題になっちまったね~。
それよりも、前立腺がん除去手術から9か月目の検診で、尿検査・血液検査ともに満点。安心してください。との医師の宣言が腹ペコのお腹に心地よくしみた。

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「延命地蔵尊ご縁日」

2025年02月11日 | つれづれ噺

          

2月11日、建国記念日は、国民の祝日として玄関に国旗を立てるくらいのことで、特にこの日を祝う集会に参加するといった行動は起こしたことがない。
それよりもこの日は、ずいぶん前から延命地蔵尊ご縁日とのご縁を頂いて、ここ数年お参りに出かけるのが通例となっている。

岩国市街地から約20㎞ばかりの山あいにあるこのお寺は、京都に本山を持つ黄檗宗「通化寺(つうけいじ)」という。
徳川幕府による長州征伐の折、芸州口の戦いを左右する長州軍遊撃隊の屯所として使用された。そんな歴史と広大な寺領を有した古刹である。雪舟作と言われる「心字池」もしつらえられていて、本来なら参拝者が後を絶たないはずなのだが、時の流れとともに紆余曲折があって、今は訪れる人とてない寂れたお寺となっている。聞くところによると、檀家さんも極めて少なく、高齢の人が中心で、再興の夢が遠いらしい。

そんな古刹ゆえに、年に一度のご縁日と「通化寺祭り」にはできるだけ顔を出すようにしている。特に今回は、昨年暮れから今年初めにかけて、身近な葬儀が相次いだ。いずれも様々な事情があって気持ちがすっきりすようなお見送りが出来ていなかった。何かしら中途半端な形が多かった。そんな思いを、宗派や方法は異なっても、自分の気持ちの中で故人に手向けをする機会をうかがっていた。

塔婆回向とお炊き上げ供養という願ってもない法要の案内を頂いて、万全な寒さ対策で出かけたが、ささやかな仏心が通じたのか、今日は昨日までとは打って変わって暖かく穏やかな日であった。
胸につかえていたモヤモヤがお炊き上げの煙と共に少しだけ、山あいの空気に溶け込んでいったようないい一日となった。お参りのお接待として頂いた田舎牡丹餅のお味も最高であった。 いま一度 合掌。                                                                              

                                                        

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「梅枝」

2025年02月07日 | つれづれ噺

                 

『東風吹かば匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ』 古典の入り口1丁目1番地のような詩である。
そんな匂い起こした梅の一枝を手折って何と呼ぶか。「梅枝」と書かれる。うめのえだでは能がなさすぎる。
「ばいし」これは有りかも知れないなと思う反面、関西落語会一問の新弟子の名前を連想させて、ちょっと夢がしぼむ。

これを「うめがえ」と読むと一気に古典の匂いがしてくる。奥深い万葉の宮中人の感性が伺い知れて心地よくなる、などと言えばちょっと大げさな気もしないでもない。
思い起こせばこのうめがえと言う言葉は、私たちの身近なところで息づいている。

かつておふくろが元気だったころ、4歳下の妹と一緒にいると「岩国の金さん銀さん」と呼ばれたことがあった。この二人が好んで出かけたのが、岩国のもみじ谷公園にある梅枝薬師さん(うめがえやくし)と呼ばれた小さなお薬師さんだった。さらに山口県では最大級の天神社「防府天満宮」では、お抹茶で一服するときに食するあずき餡の平たい餅を梅枝餅(うめがえもち)と呼んだ。奥深い古典であると同時に身近な存在であった。だからどうなの??? ただ、梅の一枝をうめがえと呼び変えて風流を醸し出す感性がいいね。

こんなことでは、読書感想文コンクールで入選する小学生の感性にも遠く及ばないのかもね。それでも何とかこの年までは生きて来られた。その先は?今までのことさえしゃんとせんのに、先にことなどね~。

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「返信の要る郵便物」

2025年01月23日 | つれづれ噺

                

昨日は郵便事情で少しいい思いをさせてもらった話をした。続いて今日も郵便にまつわる話である。郵政省という親方日の丸時代から、企業体へと民営化されて久しい郵便事業の回し者ではありません。ただ一つ、日本郵船という昔から耳に馴染んだ株価がえらい暴落している。余ったお金があれば「買い」なのだろうけど、惜しいかな資金がない。

そんな話じゃなく、今日は珍しく郵便物が5通も届けられた。いつものけたたましいバイク音が間違いなく我が家にも止まり、慌ただしく走るように配達員さんがポストに投げ込んでまた慌ただしく隣に行った。お昼前と言う早い時間は珍しい。どうかすると日の暮れ時分にようやく葉書1枚が届くこともある。

届けられた内容は、これまた珍しくレターパックが1通、Aー4版封書2通、普通の封書と葉書がそれぞれ1通。中でも間違いなく返書を認めなければならないものが2通もある。特にレターパックは、自作の短編小説を読んで感想を聞かせて欲しいというものである。私よりかなり年上で、同じように大企業で物づくりのチームを経験された、謹厳実直、年齢とは関係なく真面目に世間を見られる方である。

私などが感想を述べさせて頂くなどおこがましいが、私の小作品も読んで頂くうちに、何となくウマが合い、互いのカメラで撮った写真を交換したりするうちに、「実はね」という話になり、何篇か貯まったら読ませて頂いている。しっかり読み解き、隠された意図を見つけ出して、私なりの読後感を述べる。周囲を見回しても数少ない「モノが書ける方」である。この年でこんな出会いがあり、長く続いているレターパックの主に、敬意と感謝を捧げ、後を付いて行っている。

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「お目こぼし」

2025年01月22日 | つれづれ噺

                 

遠くに住む友から電話があった。「〇〇ちゃん、あなたからもらった年賀状で切手シートが当たったよ!有難う。ところで私が出したのは当たってなかった?」と言う。「エッそうなの、当選発表はいつだったの?」などのやり取りがあって、まあダメで元々、パソコンで当選番号をチェックして、いざ照らし合わせ。

そう云えば、大晦日の昼に発表があった年末ジャンボ宝くじも、神棚に挙げたまま年が明けてからゆっくり丁寧に、慎重にチェックしたのを思い出した。何故発表と同時に飛びついてチェックしないのか。それほどガサついても仕方がない、それより鷹揚に構えて「当たってくれ」と願う心の内を見透かされないように・・・などと男の美学を洒落込む癖がいつしか身に付いていた。但し、年賀状の当選発表はほんとに知らなかった。ま、どうせ当たりゃせんじゃろうという先入観のなせる業か。

友からの電話に触発されて、一応チェックしてみた。案の定1等2等などかすりもしない。結果的にはそれほど必死になって細かくチェックいたわけですよ。おまけともいえる3等の切手シートが4枚当たっていた。
年賀状100枚買って8500円。切手シート4枚で780円分が戻ってくる計算である。これはなんと9.3%に当たる還元率である。なんてケチな計算しているようじゃ大成はしないね。

友の電話から思わぬ拾い物。ただ彼女からの葉書は外れだった。それにしても斜陽の年賀状産業に対して100枚せっせと書いた律儀を神様が認めてくださって、籤運の悪い男へのお目こぼしを頂いたと喜んでおこう。

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「隣の芝は・・・」

2025年01月15日 | つれづれ噺

              

ここんところ週に3~4回、ちょっとしたウオーキングを心がけている。
毎日と言いたいところだがとてもとてもおこがましくてそれは言えない。ただし、自ら歩いてみようと思うようになったこと、思い立ったら身体が自然に外に向くようになったことは、大いなる進歩であり自分に対して自らムチを当てる気持ちになったということか。問題はいつまで続くか。

当面の目的地は1.5km先の郵便局。但し、国道を歩けばこの距離だが、一歩街中に向かうと昔の商店街があり、かつてはバスも通ったくねくね道があるのよ。今の国道沿いより遥かに密度の高い、軒を連ねる商店街の跡がうかがえる。結構歩数を稼げる昔道。

国道から折れて旧道に入るとお寺がある。「新たな年を迎えられたのは偶然ではなく必然、だから大切に生きましょう」と言ったような掲示板を横目に見てふと上を見たら、真っ赤に咲き誇るサザンカに出会った。
「隣の芝は青い」といやっかみが通り相場だが、今日の場合は「隣のサザンカは紅い」である。我が家のサザンカは年季も入っているし背も高いのだが、日照不足で花が付かない。よそ様の華やかさに思わずパチリ。これもウオーキングを愉しむ気持ちのゆとりのなせる業か。

まだ日が高いうちに出かけたのでサザンカの空は青く輝いている。それでも寒さ・冷たさは小寒から大寒に移ろうとする季節、最高潮の寒さ。完全防備でも顔までは隠せない、しゃーないこれ以上無理という防寒対策で出かけたが、そこはうまくしたもので、我が家が近くなるころには頭から湯気が立つほどに。楽しいねなどと思う。勝手なもんだ。やりゃ出来るのよ、本当はやりたくない、やる気になるまで時間がかかる。それでも命を縮めることへの抵抗なら、やるっきゃないね。

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