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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「敗因分析」

2025年08月28日 | つれづれ噺

          
              今も健気に花開くオーシャンブルー

  ❝ 北海道から沖縄に避暑したい ❞ こんな川柳が今日の毎日新聞に載っていた。
まさしくその通り。ここ数年の異常気象を言い得て妙である。これまで考えもしなかった、沖縄の暑さよりも
北海道の方が暑くて過ごしにくい夏になるなんて。しかも一か所集中で豪雨が襲う雨災害以外の地方では、雨不足水不足で、刈り入れが近い稲の根元が渇いて、ひび割れるなど、死活問題に発展している。

こればかりは誰のせいでもない自然現象ということで、やれ責任の所在はどこだ?誰が悪いのか?という責任追及問題にまでは発展していない。やがて、地球規模の温暖化対策が具体化されることになれば、地球を襲う異常気象に対しても、責任者は誰か、処罰せよという話になるのかもしれない。残念なのは、たとえ責任者を処罰しても、肝心な異常気象が正常気象に戻されなければ、あまり意味のある責任追及にはならないね~。

昨今の日本の政局の不安定と、不可思議な責任論をぶち上げる議員さんたちの無責任さは、この異常気象の責任論と共通したものがある気がしてならない。
相も変わらず、都議選、参院選の自民党敗北原因を、現職トップの首のすげ替えに押し付けて、出直しを図ろうなどという愚を繰り返している。それで本当に責任ある政党の責任を果たしていると言えるのか。聞いてみたい。違うでしょ。大きく議席を失ったのが、現職のトップの責任と本気で思っている人がいるとすれば、それこそ責任政党の資格なしである。選挙民にそっぽを向かれたのは、長年続いた政治とカネの問題、派閥と言う徒党を組んで、斬新戦略、斬新政局を受け入れない体質で保ってきた自民党政権なのではないのか。そこの議論が表に出て、国民からの信頼を取り戻すことが、今の政治家の責務なのよ。

高校野球の地方予選が面白い。弱いチーム、強いチームの色分けがはっきりしている。中にはこのチームは強くなるかも、と期待を持たせるチームもある。率いる監督さんの奥深い采配もある。教える技量の豊富さもある。それらを理解して受け入れる球児の素直さも必要。色んな要素が絡んで、強かったり、弱かったりする。
ただ一つ言えるのは、いいチームとは、いい選手とは、チーム内の選手の技量を責めないこと。負けてヘラヘラしてもらっては困るが、個人を責めたり監督采配を批判するのは愚の骨頂である。ただ負ける悔しさを肝に銘じること。それをバネに互いの技量を磨くこと、練習すること。これらを教える指導力は欠かせない。
いまの政治家さんの行動の反面教師ぶりを、高校球児に見せてもらっている。

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「念力って・・・」

2025年08月05日 | つれづれ噺

                                                    

 ❝ 念力のゆるめば死ぬる大暑かな ❞  村上 鬼城 

ずいぶん前にどなたかから教わって、ブログや色んな所で使わせてもらってきた。死にそうな暑さを表現するには非常に分かりやすい句である。今日の毎日新聞、坪内捻典さん監修の『季語刻々』に取り上げられていた。まさしく昨年・今年のように、押しつぶされそうな暑さに対抗する私たちの気概を鼓舞して、暑さに負けないでね、死なないでね、と叫んでくれる、そんな一句である。

この念力とはいったい何者ぞ。超心理学の分野で研究されており、心に念じることで物理的な効果を引き起こすとされている。例えば、サイコロの目を思い通りに出したり、スプーンを曲げたりする現象が挙げられる。
そういえば『心頭を滅却すれば火もまた涼し』などと、明治生まれの親父さんから時折発破をかけられたのを思い出している。ずいぶん無理な注文をしたものである。火はどれだけ念じても熱いよね~。

仏教においては、念力は悟りに近づくための五力(ごりき)つまり、念力・信力・権力・定力・慧力の一つであり、物事を深く思い込み、いつも忘れず心に留め置く力、記憶力と密接に関係していると言われている。(ウィキペディアより)

 暑さ寒さに耐えること。逆境や困難に立ち向かうときの心構え。身の丈を忘れて己の限界に挑む心意気。そんな目に見えない大きな力に立ち向かう時に、己を信じて耐える、そして立ち上がる、その気力の根源を仏教は教え説いているのであろう。 ちょっと難しくなったが、所詮門前の小僧的考察と思召せ。

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「世界カラオケデー」

2025年07月19日 | つれづれ噺

                                          
                                      かつて一世を風靡したカラオケ機器

誰が言ったか知らないが、何を根拠に言うのか知らないが、今日は「世界カラオケデー」なのだそうな。へ~ そんな記念日もあるのか~。それにしてもこのカラオケほど、身を入れて長く付き合った遊びも少ないね~と改めて思い返している。

私たちの年代は、昭和の右肩上がりと言われた好景気の真っただ中で働きまくった。
仕事も精一杯、遊びも精一杯、遊ばせる環境も精一杯。まさに活気に満ちた青年・壮年時代であった。そのど真ん中にあったのが、上手いとかそれなりとか関係なしに、取り敢えずマイクを握って大声を上げる。それが遊びの仁義みたいな時代であったような。そんな時代から半世紀以上が過ぎた。

職域、地域、同級生、ご近所さん、あらゆるつながりがカラオケを媒体としてグループ化していった。人と人の絆が生まれ、自然発生的に活気が生まれていった。

歌が入っていない、つまりカラのオーケストラをバックに気楽に歌が歌える、つまり歌手気取りにさせられる高揚感。魅力的だったね~。増して「お上手ね」などと見え見えのおべんちゃらと分かっていても、アルコールのお陰もあって、気分を良くしたものである。

今では海外でも、陽気に楽しむ集いには欠かせない存在となっているカラオケ。日本発祥とは少し鼻が高い記念日ではある。

コロナ禍や高齢化で大きな声を出さない生活が定着した。これはよくない!
いま一度カラオケを自分ブームに取り入れて、活性化にチャレンジしてみようかな。

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「訃報」

2025年06月15日 | つれづれ噺

     

また一人、甥っ子という若い命が、がんに奪われた。
はじめの一人は、今年の正月が明けて間もないころ、今は亡き兄の大切な長男を、56歳の若さで見送った。
若くして膠原病という厄介な病魔に取りつかれてしまった。原因らしき原因が分からないまま、徐々に体力を奪われていった。ただ、がんの急激な進行とは少し違って、若さゆえの体力が、ある程度寿命を延ばしてくれた。それでも昨年暮れころから一気に、あちこちむしばまれた、享年56歳は早すぎる若すぎる。

そして昨日、上から二番目の姉の、こちらも大事な長男が、発症からわずか4年という短い歳月で、急激に進行した悪性骨肉腫に勝てないまま、67歳の短い生涯を閉じた。
膝の裏に何かしら違和感を感じ始めた時点で、広島の大きな病院でがん検診を受けた。初期治療で万全を期したはずであったのに、転移が収まらず、さいたまの自宅近くのがん治療専門医で闘病生活に入ったと聞いていたが、あれよあれよという間にほぼ全身に転移していった。

昨日午後4時頃に、自宅のベッドから映像ラインで、存命最後の、酸素マスクを付けた青息吐息の甥っ子とお別れをさせてくれた。有難いと思うのか、そこまでしなくていいから静かに眠らせて上げて、と思うのか複雑な心境であった。それから40分後には「息を引き取りました」との連絡が入った。

今年二人目の甥っ子との別れ。切ないね~。長く生きるということは、こんなことにも耐える気概が要るんだね~。でも親からもらった元気が続く限りは、何かを求めて、何かを楽しみに生きていたいもんだね~。

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「茶碗」

2025年04月27日 | つれづれ噺

           
❝ 形ある物はいつか壊れる。その原因は時節到来 ❞ とは、ある高僧と小僧さんの頓智問答の中に出てきたのだと、あまり宛てにならない私の記憶であるがさてどうでしょう。これと似た言葉が『諸行無常』というのだろうか。こちらは歴とした平家物語の冒頭で、皆様ご承知の通りである。

それはさておき、数日前の夕食を済ませた直後に洗い物をしていたカミさんが大きな声を出した。「しまったお父さんの茶碗が壊れた」と済まなそうに言う。そりゃこっちもびっくりするし、長年愛用して来て手にもお腹にも馴染んできた大型の茶碗である。だが、壊れた物は元には戻らない。壊れたのはその物の持つ寿命、時節が満願に達しただけのこと、とすぐに新しい茶碗を手に入れた。

その茶碗は、壊れた今までのよりかなり小ぶりなものだった。「朝ご飯のお粥さんが少なくなりそう。昼までもてるのだろうか」と心配した。だがそんな心配は三日で消えた。その後は少なくなったその分量がベストのようにお腹に馴染んでいる。
帯状疱疹だ、前立腺がんだと、あれこれ病に襲われるうちに食欲だけは旺盛で、お腹周りと体重はこれまでに見たこともない数値に。それらを見越して朝ご飯も夕ご飯も量が減って、ポッコリお腹にも効果が表れそうな予感が。大きな茶碗から小ぶりな茶碗へ、それとなく自然な成り行きで移行していった結果、健康増進につながるなら、それまでの大振り茶碗ご苦労さん。小ぶりな茶碗よろしくね、である。

意図的に大振り茶碗が手から滑り落ちたのでは・・・などとは言わぬが花、思わぬが花。花盛りの4月も終わりが近づいている。

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「葉の色は移りにけりな・・・」

2025年03月24日 | つれづれ噺

  
    小松菜のなれの果て、小松菜の花           スナップエンドウの真っ白い花

春は出会いと別れの季節とは誰が言ったか知らないが、まさしく言いえて妙である。
我が家の借り物菜園でも、冬物野菜の主としてさんざん栄養補給をしてくれた小松菜が、いま見事に菜の花を咲かせている。隣では、これから実をつけるスナップエンドウの真っ白い花の盛りでもある。

春うらら、こんな季節に、90歳を過ぎても元気で独り暮らしを頑張っていた、母方の従姉から「九州の息子の所に行くことになった。長い間お世話になりました」とお別れの挨拶をもらった。車で30分くらいの田舎に住んでいて、ご主人健在のころには沢山のポインセチアを育てていて、クリスマスの鑑賞品として何度ももらい受けたこともある。若いころは夫婦とも裁判所勤務という、仕事はお堅いが非常に二人とも穏やかな人柄で、いとこの中でも特に親しいお付き合いのあった人である。

寄る年波には勝てず、彼女も息子の言う通りに九州へ行って近くの施設に入るとのことだった。彼女自身がサバサバして息子の勧めを受け入れ、独居を押し通すのは我がままだと理解していたのだから問題ない。
どちらかが一方的に我が意を通そうとすると、結果的に同じことになったとしても不幸を感じる危うさがある。互いに理解し合えばバラ色になる。微妙であり難しいものだね~と、近い将来の自分たちの立ち位置に思いは重なる。

また一人、身近な人が遠くに去った。遠くとはいってもこの世にいてくれる間はいい。ただ淋しいのは、遠くに行って、次に本当の遠い黄泉の国へ行ったときは知らされないことが多いということ。それもまた自然の理、知らぬが仏ということわざもある。いまはただ、元気に楽しい施設生活を送ってね、ということか。

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「手紙文化よ どこへ」

2025年03月23日 | つれづれ噺

   
      間もなく出番が 膨らむツボミ         そろそろ終わりが近い寒アヤメ 花盛り

約136億通、この数字はいったい何でしょう。なんてクイズを出すわけではありません。
2023年度の郵便物の総量なのだそうな。それも、ピーク時から比べると約半数に減ったのがこの数値というから、如何に郵便物の往復書簡が大繁盛した時代があったかという話である。そんな中に、忘れそうな大昔に書いては送った、幼い拙い、恋文と呼ぶにはあまりにもお粗末だったあの頃のあの手紙も、数百億通の1枚に数えられたのだろうね。その前に、友達の代筆をずいぶん頼まれた時期もあった。
書いてはみたものの切手も貼らず投函もせず、ごみ箱に落としたものもあったね~。

ここ数年は年賀状の落ち込みに代表されるように、郵便物の減量ははなはだしい。それに逆らうわけではないが、葉書だけは今もってせっせと書いている。はがき随筆252字の虜はしばらく続きそうである。
郵便物と公衆電話ほど目の前から消えていった、大切な通信手段はない。ただそれに代わって数倍も短時間で、音信という大切なことが足りる手段が身の回りにあふれている。ラインなどというお知らせ手段は、ごく簡単な文章を入れてポチッとしたら、瞬時にグループ登録者に一斉にお知らせが飛んでいく。あまりにも便利すぎて、お知らせを受け取った方も送った方も有難味が薄れてしまうような気がする。でもこれが現代のフツーなのだから、精いっぱい追いかけないとね。

それにしても、手紙文化、封書文化は残していきたい。ないものねだりかもしれないが、今も押し入れのどこかにセピア色に変わった大昔に受け取った封書の1枚もの残っているかもしれない。ないかもしれない。

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「癒しの長電話」

2025年02月18日 | つれづれ噺

                

昨日は国立医療センターで定期検診、今日は医師会医療センターで点滴。二日にわたって半日を病院通いに費やす忙しさ。
そうやって何とか健康イチバンを保たせてもらっていることを思えば、待たされるだの、病院にかかるトータル時間がもったいないなどと大口は叩かれない。と分かっちゃいても時々横着を言う。

やっとの思いで点滴を済ませて帰ったらカミさんは電話中。相手は私の妹で義理の姉妹が長い長いお話中。内容は、妹の旦那が心臓の血流を促す治療で、8時間に及ぶ大手術をした。手術室から出てくまでの気持ちの揺らぎや、最悪をも覚悟した様子などを、私の代理として長々と妹の話しを聞いている。幸いにも二人は同い年で、近ごろの旦那の好・不調はお互いの共通の苦労話。なかなか終わりそうにはない。

病院帰りで「オイ、コーヒー」と言いたいところだが、話の内容をある程度察知しながら長電話が終わるのを待つ。妹の旦那も私と近い年ごろ。かつて単身赴任が長かったこともあって、料理もできるし何かと小まめな義弟で、妻の立場からの旦那評価としては私などよりはるかに高得点であった。義弟も私も押し寄せる年の波にはなすすべなし。せめて奥さん同士が、互いを気遣い癒し癒されながらの長電話は、邪魔くさい存在ではなく、むしろ歓迎とすべきなのだろう。

それにしても「長電話」といえば固定電話を想像するアタシも古い人間だよねー、今はスマホだもの。

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「月曜日の病院」

2025年02月17日 | つれづれ噺

             

手術後9か月目の定期検診で、月曜日の今日11:00の予約で、岩国では最も大きな部類に入る国立病院機構岩国医療センターに出かけた。どっこの病院も同様に月曜日は患者の数が多い。待たされそうだな~というイヤな予感が、入り口ドアから一歩足を踏み入れたとたんに的中。カウンターフロアがある2回ロビーは長蛇の列。

10時半を回っている時間帯という不運もあって、診察を終えて書類を手に持った計算受付に並ぶ人。もう一塊の団体は、計算受付を済ませて支払い窓口から呼ばれるのを待つ人の群れである。なんであんなに時間がかかるのだろう。この人工頭脳万能な時代、しかもそういった先端技術の宝庫でもあるべき大病院のフロントが、待たせることは自然の理とでもいうように待たせる。具合が悪くて病院に来た患者を、一刻も早く我が家に戻らせるのが責務ではないのか。長時間の待ち時間に耐えられる元気な人でなければ病院に来られなくなる。そんな落語のネタになるような話は、科学技術の先端を走るはずの大病院には要らない。

注射もできるが、診療報酬の計算もできる。そして長蛇の列から患者を守るような二刀流の看護師さん養成はできないのだろうか。計算に強い人を多く雇いすぎると肝心な医療体制が脆くなる。逆に事務職ばかり多くなると経営は苦しくなる。臨機応変に看護師制服を着て計算や支払いのフロントに立つ。医療事務を職とする人に看護職もできるようにすれば、患者は助かる。でもそんな二刀流を提案すれば誰も求職してこないかも。

できれば月曜日の病院は避けたい。でも週に3日通院があると、曜日など言っていられない。曜日関係なしに待ち時間が少なくなる大病院の出現を待ちたい。ちょっと間に合いそうにない話題になっちまったね~。
それよりも、前立腺がん除去手術から9か月目の検診で、尿検査・血液検査ともに満点。安心してください。との医師の宣言が腹ペコのお腹に心地よくしみた。

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「延命地蔵尊ご縁日」

2025年02月11日 | つれづれ噺

          

2月11日、建国記念日は、国民の祝日として玄関に国旗を立てるくらいのことで、特にこの日を祝う集会に参加するといった行動は起こしたことがない。
それよりもこの日は、ずいぶん前から延命地蔵尊ご縁日とのご縁を頂いて、ここ数年お参りに出かけるのが通例となっている。

岩国市街地から約20㎞ばかりの山あいにあるこのお寺は、京都に本山を持つ黄檗宗「通化寺(つうけいじ)」という。
徳川幕府による長州征伐の折、芸州口の戦いを左右する長州軍遊撃隊の屯所として使用された。そんな歴史と広大な寺領を有した古刹である。雪舟作と言われる「心字池」もしつらえられていて、本来なら参拝者が後を絶たないはずなのだが、時の流れとともに紆余曲折があって、今は訪れる人とてない寂れたお寺となっている。聞くところによると、檀家さんも極めて少なく、高齢の人が中心で、再興の夢が遠いらしい。

そんな古刹ゆえに、年に一度のご縁日と「通化寺祭り」にはできるだけ顔を出すようにしている。特に今回は、昨年暮れから今年初めにかけて、身近な葬儀が相次いだ。いずれも様々な事情があって気持ちがすっきりすようなお見送りが出来ていなかった。何かしら中途半端な形が多かった。そんな思いを、宗派や方法は異なっても、自分の気持ちの中で故人に手向けをする機会をうかがっていた。

塔婆回向とお炊き上げ供養という願ってもない法要の案内を頂いて、万全な寒さ対策で出かけたが、ささやかな仏心が通じたのか、今日は昨日までとは打って変わって暖かく穏やかな日であった。
胸につかえていたモヤモヤがお炊き上げの煙と共に少しだけ、山あいの空気に溶け込んでいったようないい一日となった。お参りのお接待として頂いた田舎牡丹餅のお味も最高であった。 いま一度 合掌。                                                                              

                                                        

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