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「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「葉月ついたち」

2025年08月01日 | 晴耕雨読

 
          NEVER AGAIN カープナイター   
いよいよ葉月ついたち。1年中で最も暑いころと言われる高温の月である。しかし今年の場合は、すでに連日の妬け付くような暑さを体験しているので特に驚きはしないが、これから数日、さらに温度が上がるようならどうやって身を守ろうか。気がかりではある。家の中でも部屋を移動するたびに、氷で冷やしたマイボトルを持ち歩いて、喉の渇きを覚える前に義務的に飲み込まなければならない。

そんな異常な暑さにお構いなしに、日本列島に津波警報や注意報が鳴り響く。カムチャッカ半島大地震発生。
幸いにも、甚大な被害を被るまでに至らなかったのは有難い。

原爆投下から80年。8月6日の平和祈念式典を控えた葉月ついたちの今日、広島マツダスタジアムでは『NEVER AGEIN』、過ちを繰り返さない平和祈念のナイターが行われた。
カープの成績自体は目を覆いたくなる惨状だが、大観衆が集まるスタジアムでの平和祈念活動には大きな意義がある。

カープラッキーセブンのジェット風船飛ばし、いつもなら風船はカープの色、真っ赤であるが、今日は特別仕様で真っ白い風船が夜空に舞った。
熱波や大寒波、大地震などは防ぎようのない自然災害だが、原爆使用とか核戦争などは人的災害である。避けられる大災害である。今年も広島から、長崎から平和宣言が発信されるが、その前哨行動として、真っ白い風船の舞は、一瞬だがこの暑さを忘れさせる爽やかさがあった。

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「灼熱地獄の功罪」

2025年07月27日 | 晴耕雨読

           
            未熟のまま取り入れなければならないスイカ

4月半ばに植えた我が家のスイカ。6月終わりまでは極めて順調に育った。雄花も雌花もしっかり咲いて、朝方の人工授粉が楽しみなほど、雌花へ雄花を押し付けては玉の太りを待った。
初めての体験といわれるほどの早い梅雨明けであったが、人工授粉の効果があってピンポン玉の大きさは数えきれないほどの盛況であった。
その後雨が全く降らない、異様なガンガンお天気が続き過ぎた。それでも一番生りから四番生り位まではスクスク成長、最高は7.1㎏の大玉も出来た。但し一瓢だけ。

ところがその後の雨不足と休みなしの灼熱地獄は、畑全体を熱波で覆い、二日に一度の水やりも間に合わないほどに弦を弱らせた。殆ど枯れてしまいそうなほどの弱りよう。そしたら、成長盛りのまだ小さな玉のうちに畑で割れ始める。今年はアリさんにいくつ提供したろうか。そんなことなら早めに取り上げてご近所さんに食べてもらえばよかったという後悔ばかり。

本来なら、おいしいスイカの選び方の教科書通りに、ピンポン玉から数えて大玉は約40日、小玉は約30日経過しているか、を逆算する。そしていま一つの目安として。
1,スイカのシマ模様がはっきりしてきたか。
2,拳固で軽くたたいて、ボンボンと低い音になっているか。
3,弦はしっかり根元からの水分は肥やしを運んでいるか。
4,お尻は少し広がり気味になっているか。
普通ならこんな条件を参考に弦から切り取るタイミングを計るのだが。今年のようにまだまだ日数も経過していない、玉太りもシマの濃さも音も、全て未熟のまま、割れないうちにもぎ取るのも、作り手としては辛いものがあるが、背に腹は代えられない。その一部が写真の通り。

せめてもの慰みは、水やりもしたが兎に角太陽のお陰というべきか、中味はいずれも真っ赤っかに熟れて甘い。見栄え抜きでご近所さんに喜んでいただいた。孫たちには、二つに割って冷蔵庫で冷やしたものをスプーンですくって食べる贅沢を味合わせてやれた。灼熱地獄の功罪相半ばというところか。

ちなみに今日は「スイカの日」だそうな。美味しいスイカの選び方、参考にして頂けるとあり難し。

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「文月ついたち」

2025年07月01日 | 晴耕雨読

 
    7kg級の大玉、間もなく収穫              3kg級の小玉がゴロゴロ 

文月ついたち。何かと世情を騒がせた今年の前半を終え、今日から後半のスタート。
いったいどんな一年として総括できるのだろう。半分楽しみ、半分不安。

ことし前半は、畑づくりに本腰を入れたせいか、夏物野菜がおおむね順調な実りを見せている。特に、孫たちの歓声を楽しみに頑張ったスイカ作りは、久しぶりに努力の成果が見られそうだ。ただ、こういった自慢話は犬も食わない、猫も食わない、嫌われ話であることを承知で書いている。ま、季節の話題の一つとして取り上げた、という風にご理解頂けるとありがたい。

ところで、7月を昔の暦では「ふみづき」「ふづき」と呼んで来た。7月と文月がどこでどう結びつくのか。一説には、七夕に詩歌を供えた風習から、七夕と文の関係が生まれ、今でも手書きの願い事を飾る七夕祭りが生きていると言われているとか。
また一説には、稲の穂が膨らみ始める「ふふみ月」から転じたという。そんな興味深い話が、毎日新聞の「毎日ことば」に書かれていた。

史上初の、梅雨明け宣言が文月を待たず6月に繰り上がった今年。暑いのなんの、エネルギーを使わないよう、家の中でもあまり動かないよう気を付けていても暑い。何ともたまらず一部屋だけエアコンを入れると、その部屋からちょっと出ただけでもアタマクラクラしそうなほどの暑さである。
長屋のクマさんが「1月2月でこれほど寒かったら、6月7月になったらみんな凍って凍え死んじゃいそうですね大家さん」といった落語があったが、今年の暑さは、ほんと7月8月になったらどこまで温度が上がるのだろう。ヤだね~。

さて私事で恐縮ですが、ブログ生活を始めて17年余。その間、gooブログにおんぶにだっこでお世話になってきました。ここにきて、愛しのgooさんが撤退されることになり、涙をのんで引っ越し作戦をして参りました。紆余曲折あって、ようやくここに新たなブログサイトとして「はてなブログ」さんのお世話になることになりました。   
                     yok12sioka12.hatenablog.com  新たなはてなブログURLです。

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「間もなく・・・(笑)」

2025年06月05日 | 晴耕雨読

            
                 間もなく今年初のかぼちゃが。

今日は二十四節季の一つ「芒種」。穀物、特にお米のタネを蒔く季節の意味をもっているのだが。
季節の先取りが著しい現代では、稲の種まきはとっくに終わり、もはや田植えの真っ盛りを迎えている。
我が家には田んぼはないので、お米の出来栄えや収量に一喜一憂することはない。が、畑の夏野菜の出来栄えには神経を尖らせる。弦は猛烈な勢いで伸びていて、雌花の数も多いのだがなかなか留まらない。ようやく一個、間違いなくお口に入りそうな期待している。

モミ蒔き、田植えを順調に終え、台風なども乗り越えて実りの秋を迎えたら、次に気になるのが新米の値段である。古米、古古米、古古古米が、備蓄倉庫から放出されて、異常な高値で庶民生活を脅かした米価。ここにきてようやく政府の腰を入れた対応で、古いコメなら安く買える。取り敢えず一息つける状態を迎えて、「私などスーパーでお米を買ったことがない」。但し、米農家だった同級生から玄米を30kg単位で買ってきた。

そんな彼も、作っても作っても安値で叩かれて、労力に見合う収入にもならず、機器購入の減価償却さえ難しいと、とっくに米作りを止めてしまった。休耕田となり荒れ放題。仕方なしシルバー人材センターに現金を支払って草刈り作業をしなければならないと嘆いている。これが地方の農業行政の実態である。全てとは言わないが、荒れ地となった耕作地はあるのに作り手の不足で荒れる里山。クマやイノシシ、シカなどの住みかと化す。米価を安定させてコメ離れを防ぐ。狭い国土を活用して食料自給率アップなど、農政の見直しは正念場を迎えている。ガンバロー!ニッポン!!

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「花も実もある来年を信じて」

2025年06月04日 | 晴耕雨読

  
             来年に備えて早くも剪定、丸坊主にされた梅の若木  

市街地から約35km走った山間にあるカミさんの実家。そのすぐそばにある小さな梅林では、私たちの手で枝打ちや下草狩りなど手入れをしたお陰もあって、毎年大量の青梅の収穫があった。
その量は平均して50kg前後。青梅を必要とする人にお裾分けする青梅外交で、梅の実がブルーベリーに化けたり、洋菓子に化けたりした。その上、我が家の梅干し・梅ジャム・梅ジュースなど自家製保存食にしてもなお「梅の実にうなされる」と愚痴るカミさんだった。

そんな実家も、高齢化、過疎化など時代の流れで、住む人もなく古びた住居だけが残されている。
そうなると私たちが梅林の守をする必要もなくなった。こちらも寄る年波で、往復2時間かけて汗びっしょりの色んな作業や梅ちぎりもだんだん辛くなっていた。正直なところ「もうやめようか」何度も考えた。

そんな変わり目のタイミングで、隣の空き地に撒いていた青梅が、大小数えて20本近く根付き、梅の実も少しではあるが収穫した。そうなると、欲の皮が突っ張って来年も梅を実らせたくなる。時期的には少し早いが、伸びきった新枝をバッサリ切って坊主頭に。日当たり、風通しを良くして害虫除けの消毒を施す準備。

この季節の梅の木には「茶毒蛾」という天敵が住む。ちょっとでも油断した服装で作業しようものなら、体中に湿疹かぶれが広がる。馴染の皮膚科で注射や軟膏の治療が始まる。そんな経験を踏まえて今日は、作業着の上にヤッケを着込んで厳重な虫対策服装。これがまた暑いのなんの。枝打ち作業が終わったら体重が減るほどの汗あせアセ。それでもこれをやっておかないと、来年2月の梅見もできないし梅の実も期待できない。身も蓋もない話になる。

一日よく頑張った。お疲れさん。こんな重労働がいつまでできるんじゃろうか。ウ~~ン、腰が痛い(笑)

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「家計の足しになるか」

2025年05月22日 | 晴耕雨読

           
                 鮮やかな黄色、キューりの花
  
     思ったより小ぶり、白玉ねぎ           予想以上の出来栄え、赤玉ねぎ

去年の10月下旬に苗を買って植えた、白玉ねぎ200本、赤玉ねぎ100本。
まる7カ月を畑で過ごし、寒さに耐えて丸々実を太らせた。今日午後の太陽を受けて、汗びっしょりの収穫作業をした。取り敢えず向こう半年は、玉ねぎは買わずに済むと、我が家の財務大臣はお喜びのご様子。

それもそのはず、スーパーに並ぶ野菜のどれもこれも高いこと高いこと。スーパーに買い物に行くのは、ほとんどがアッシー君のこの私でさえ、たまに覗き見る売り場の値段は、昨年の感覚とはえらい違いである。
玉ねぎ、ジャガイモ、キューりなど、この値段なら苦労して作らなくても買った方がいいな~、と思ったのが昨年のこと。ところが今年はどうだ、え~?玉ねぎがこんなに高いの、ジャガイモがこんなにするのか~、だったら俺の作った野菜もスーパーで売ってもらおうか、と言いたくなる値段が付いている。

先ずは玉ねぎは自前で賄える。次はジャガイモを間もなく掘る。そしてキューりも鮮やかな黄色い花をいっぱい付けている。花の根元には小指ほどのキューり間違いなくなっている。
玉ねぎ・ジャガイモ・キューリ・ピーマン・ナス・トマト・スイカにカボチャなど、自前の野菜や果物が次々とテーブルに乗る予定。今年ほど、家庭菜園の有難味を感じるのも珍しい。

家計の足しになるなら、腰の痛さも流れる汗も、我慢のし甲斐があるというものだね~。

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「初夏の実り」

2025年05月13日 | 晴耕雨読

   
       収穫直前のグリンピース               ジャガイモの花

高齢者の健康保持や認知症を遅らせる効果があるといわれる、土いじり。
かつては、収穫の欲が先に立って、認知症を遅らせるとか健康保持といった、医療用語はあまり考えなかった。しかもそのころは、土いじりなどという生易しいものではなく、農業と呼ぶに近い畑仕事に明け暮れたこともある。
やれ腰が痛いとか、しゃがむと膝が痛い、草取りがなんとしても辛い、などという症状を感じなかった。

ここ数年は、色んな経験則もあって、畑仕事が上手になったお陰で、以前と比べて作物の収量がアップして来た。そうなると、欲というヤツはさらに膨らむばかり。但し、それに反して身体が段々言うことを聞かなくなる。そうなると、健康保持や認知症を遅らせるのに役立つ、などという言葉がまことしやかに耳に刺さる。
それでなくても、パソコンの漢字変換が怪しくなったり、話題の選択にも重複があったり二番煎じが出てきたりする。

形あるものは一度は壊れる、その原因は時節到来。という大原則を頭で分かっているものの、経年劣化や自然摩耗などによる、脳の衰え、体力・気力の減退は、目に見えないモノだけになかなか自覚できないジレンマがある。こんなはずじゃなかったのに、オレはもっともっとしっかり者だったのだから、という思いが邪魔をして、素直に認めたがらないように出来ている。そりゃ人間だもの。

ただそんな自覚みたいなものが昂じると、ブログなどという、人目に触れる文は書いてはいけなくなるんだろうねー。淋しいことだけど認めなければ、世の中の人に迷惑をかけることになる。どこで折り合いをつけるか。
そんな話になると、土いじり・軽い農作業は有難いと思う。季節ごとに作物が実りを見せる。自分のやったことを自分で評価が出来るのがいい。足腰の痛さを我慢出来たり、草取りに精を出せるうちは、これに挑戦し続けるのが無難かな。

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「警報級の暴風雨」

2025年05月10日 | 晴耕雨読

                

昨夜から、山口県地方に警報級の暴風雨情報が出されていた。「夕方から降り始める」という予報に反して、雨はなかなか降らない。風も吹かない。日付が今日に変わり、夜が明けても、風はそよとも吹かない。もちろん雨も降らないまま昼を迎えた。

風が吹かないお陰で、午前中は庭の松の木の新芽を欠く作業が存分に出来た。昨夜の警報級暴風雨予報はハズレだね、こういうふうにいい方向への予報外れは我慢できる。そうこうしているうちに風が出て来た。が、雨はない。あれよあれよという間にまさしく大風が吹き荒れ始めた。
収穫間近のグリンピースが、添え木ごと倒れそうに揺れる。益々風は強くなる。こりゃぁヤバイと思いながら畑に下りて、両手で支えてみる。身体ごと押し倒されそうになる。

添え木をしたときはビクともしない、頑丈すぎるほど頑丈に何本もの支柱で支えていた。
あれから4カ月、至る所の結び目が緩んだとみえる。この風には抵抗できそうにない。慌てて添え木を追加して結びなおし、なんとか持ちこたえていると、風の方で怖れをなしたか静かになっていった。それこそ鈴なりに生っているグリンピースを、この期に及んでダメにしてなるものか。2・3日うちに、もいでしまおう。

これと同じように、昨年一昨年とまずまずコメの収量は順調だったはず。大型台風などのアクシデントで収量が大幅に落ちたというなら、なんとなく理解できるが、順調な収穫で備蓄米もたんまりある。なのにお米が品薄で値段が倍近くに急騰して久しい。どこかに深く眠る悪魔が潜んでいるに違いない。札束に囲まれて大笑いしている奴がいるに違いない。経済政策の見直しも急いで欲しいが、その前に、どこかに潜んでいる巨大悪をなんとかならないものか。主食の米価が高騰、流通のガソリンの高騰が続く限り、地獄の物価高騰は避けられない。こまった田植えシーズンを迎えている。

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「一段落」

2024年10月23日 | 晴耕雨読

     

夏から秋にかけて種まきをする冬・春野菜。今日のタマネギ300本の植付けが終わってようやく一段落。痛む足腰をしっかり伸ばして深呼吸。やれやれ、なんとかかんとか言いながらよくやった。

カブ・ダイコン・コマツナ・シュンギク・ミズナなど色々な野菜の自給自足を目論んで、今年も時季を違えず植えた。もちろん畑作りも雑草除けマルチも完璧に敷き詰めて準備万端整えて植えた。だが半端ではない今年の暑さは、植えたタネを一粒残さず腐らせてしまうほどの頑強さであった。

本来なら最初に植えたタネが半分は実っていてもおかしくない秋半ばに、全部植え替えた。そんな二度手間で季節を外したのだから、新たに植えて芽を出した葉物・根菜が完全に成長するかはその時にならないと分からない。ただ、ジャガイモは遅く植えたのがよかったのか、とても元気に芽を吹き始めた。

そして今日、今シーズン最後の植付けとなる野菜タマネギを植え終えた。ジャガイモとタマネギは野菜の根幹をなすとかで喜んでくれる。それだけ使い勝手のいい、重宝な野菜なのだという。
これでやっとこさ賑やかな畑になった。スナップエンドウもグリンピースも芽を出している。

我が国の政治の根幹をなす国政選挙が行われているが、食料需給率を上げる農林水産の必要性の大きな声が聞こえてこない。どこかの国は太平洋に通じる海を占有したら、次は日本に食料供給を制限してくるよ。いわゆる兵糧攻めである。兵糧攻めをされたらどうやって抵抗するのだろう。
日本産の魚介類に難癖付けて買ってくれなくても、我が国は輸入を断れない片手落ちの需給バランス。
食料安全保障こそ我が国を守る最高の安保政策なんじゃないのかね~。       

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「背に腹は代えられず」

2024年10月15日 | 晴耕雨読

               
                     ヒヨドリ

旺盛な食欲を誇るヒヨドリ。お腹を満たすためなら大抵のものは食べる。モズほどの肉食性はないようだが、木の実から畑に出来る野菜類まで大方のものを食べる。食べると言えばかっこいいが、食べ散らかす、無茶苦茶に食い荒らす。ここらあたりが多少なりとも農作業を楽しむ者にとっては、許し難い敵となることもある。

今朝も起きがけにヒョイと窓越しに畑を見れば、何とピーマンの木にあの大きな身体で乗っかって、ピーマンの葉っぱを丁寧に辛抱強くついばんでいる。ピーマンの実ではないから直接的被害はないのだが、キャベツや白菜、大根の葉っぱなら納得もするが、あの苦みのあるピーマンの葉っぱが美味しいのか訊いてみたくなる。
もっとも、背に腹は代えられないという論理から言えば、お腹が空いたら先ずは何かを食ってお腹を満たす。この気持ちは納得できるし、ピーマンの葉っぱでも新鮮な青みとして食べにくるのなら、まいいかと半分赦すことになる。今年はあの暑さゆえに木の実も満足に熟してはいないようだ。

ただこのピーマンも、秋茄子と同じで、夏の終わりにしっかり刈込み一旦丸坊主に戻した後、水やりをして育てた秋の実なのである。勝手食ってもらっちゃ困る、が、わざわざ追い払うことまではしない。人間は野菜不足で値上げにヒーヒー。ヒヨはヒヨで、食料の不作に嘆いているに違いない。ピーピー鳴いているいるようだ。人間にとっても生きずらい秋は、せっかくエサを求めて渡って来たヒヨにとっても生きずらいのだろうねー。我が家のクロガネモチも家主が高齢になって、剪定が難しくなったから完全に伐採。今年は実を食べさせてあげられないねー。人の世も小鳥の世も大きく変わらないのか。

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